2005年04月30日

岩手県江刺市 及川純一 7日目

4月30日(土)晴れ

 今日は朝から田圃に出て肥料散布です。(右の写真は田圃から我が家を見た所)
 イネの苗も出そろって、青々としてきました。16日に種を蒔いたのですが、やっと安心して見られるくらいに成長しました。我が家の苗の管理は、84才になる父親が主に行っています。私が設計業などをやっているものですから朝晩しか農作業が出来ませんので、代わりにやってくれます。ありがたいことです。
 時々「いつまでやらせるつもりだ。早く引退させろ」と叱られます。本心は、元々農業一筋で頑張ってきた人なので、係わっていたいのです。いまだに農業について勉強していますので、頭が上がりません。感謝の意を込めて夕飯時に、コップ酒を進めます。息子に酒を勧められるのがうれしいらしく、相好を崩しながら私と付き合うのです。
 母が逝ってから10年近く立ちますが、昼間父だけが家に残っていますので話し相手もなく寂しいとは思います。ですからせめて僅かな時間でも父の話を聞こうと思うのです。幸い呆けの兆候は見られないので、もう少し親不孝な息子でもいいかなと考えてます。さっぱり駄目な息子だと思わせることが、長生きさせる一つの方法でもあるのかなと思っています。


世間では好天に恵まれたおかげで農作業がだいぶ進んでいます。既に代掻きを行っている人もいます。多分連休明けから田植えが始まるでしょう。我が家では5月中旬を目標に頑張っているところです。あくまでもマイペースです。

 さて、この一週間お付き合い下さいましてありがとうございました。「今週の私」というよりは「私の勝手な江刺紹介」で終わろうとしています。企画者の意図とちょっと違ったかなと反省してますが、せっかくの機会ですから最後まで紹介で終わろうと思います。
 連休の3〜4日には江刺甚句祭りが行われます。具体的な内容については市のホームページをご覧下さい。
 来年2月には江刺周辺の5つの市町村が合併し「奥州市」となる予定ですので、江刺市としては最後の甚句祭りとなります。また5日には人首町の祭りがあります。
 私はと言うと、この間はガラス館とオルゴール館の手伝いでレジを叩いているかもしれません。もし連休中江刺においでいただく予定の方は私に声をかけて下さい。江刺の魅力をお教えします。では私の手配写真を貼り付けて終わりにしたいと思います。




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2005年04月29日

岩手県江刺市 及川純一 6日目 丘陵地

4月29日(金)晴れ 強風 【みどりの日】

 夜半より風雨が強く、明け方になって雷雨でした。今日は隣の水沢市で火防祭が行われる日でしたので心配していましたが、8時頃には晴れてきました。また北上の展勝地でも桜祭りが行われる日だったようですが、昨夜の風雨で花びらが落ちてしまったのではないかとこれまた余計な心配をしてしましました。
 さて今日は私が住んでいる地域の紹介を少し。江刺は地形的に見ると中心市街地のある平野部と種山などのある山間部、そしてその中間地帯である丘陵部に分けることが出来ます。これまで平野部と山間部の話しをしましたので、今回は丘陵部について紹介します。
 丘陵部は北上山地が平野に落ち込む所であるため大変に起伏に富み複雑な地形をしています。かつては殆どが山林でしたが、昭和40年頃国策による開田事業が始まり開田化されました。遊びのフィールドが禿げ山になり、ブルで押され景色が変わっていきましたが、むしろその変化がおもしろくて喜んで遊んでいた記憶があります。


上の写真は江刺市藤里地区の俯瞰写真です。残存林は急斜面と神社仏閣及び屋敷林で開田化出来ない所です。7割近くが開田になったのです。
 この結果段々田が出現し、スカイラインが水平という人工景観も見られるようになりました。また、場所によっては水田面積より畦畔面積が多い場所も少なくありません。
 しかし、この開田により奥行きのある変化に富んだ農村景観が出現したと思っております。アップダウンのある道路や移動するたびに細かく変化する眺めは、最高だと自負しています。


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2005年04月28日

岩手県江刺市 及川純一 5日目 水車小屋

4月28日(木)晴れ
 
 人首の町から種山方面へ向かって行くと、中沢集落へ向かう橋が左に見えてきます。そこを渡って500mぐらいの所に中沢トコトン水車があります。
 この水車小屋は明治10年頃に大場梅三郎という水車大工が建てたものです。間口5間、奥行き3間の茅葺き水車小屋です。この水車小屋は浅倉平治氏から三浦久蔵氏に移り、主に三浦家が中心となって経営してきたものでした。
 この水車ではコメ・ムギ・ヒエ・アワなどが精製され、コメ・コムギ・ダイズ・キビなどが製粉されていました。この作業は女性の手で行われ、男性は運搬作業を行っていたようです。最盛期には24時間稼働もあったそうで、その繁盛ぶりが伺い知れます。しかし昭和40年には機械の普及に押されて受注が減り、立ち行かなくなってしまいました。そのためそれ以降休業の状態が続いていたのです。何年も放置されていたため、建物の傷みもひどくなっていました。それを見かねた市内の篤志家が自分の浄財で修復しましたが、受注もないため使用する機会を得ず再び放置され、廃墟に近い状態で残されていたのです。


そんな中、平成16年春に浅倉冨治氏の努力により保存会が結成され、米里地区有志によって再度復元されました。地区の人々は茅葺き作業を手伝ったようで、故老から作業の手順ややり方、コツなどを聞きながら葺き上げたと聞いています。この作業が地区の結束を高めたようです。今後水車をいろんな形で利用することで農村の暮らしを豊かに出来ると期待をしています。

 さて完成写真をご覧になってどんな感想を持たれたでしょうか。外見からはわかりませんが、この水車は初めから営業用に造られています。そのための工夫がたくさんあります。
 水車本体の位置を見て下さい。よく見かける水車小屋は建物の外に出ているはずですが、この水車は建物の中央寄りにあります。なぜでしょう。これは営業品目を増やすための工夫です。水車が外に出ていると利用する空間は片側だけですが、建物の中央にあると両方使えるのです。建設当初から篩い付きの石臼1基と米麦用の杵8基が設置されていました。それぞれを木製の歯車で連結して稼働させるという、往時としては他に例を見ない水車小屋なのです。


その造りを説明しましょう。水は中沢川から水路で導水します。水車手前で水路を約40°前後に傾けています。落水に加速を付け水車に当てることによって出来るだけ大きな水車を回そうとしているのです。
 水車小屋は水車によって二分されています。水車の左側には大きめの石臼があります。水車は写真の方角から見て反時計回りに回転します。それを木製の歯車で回転の方向を変え石臼を回すようになっています。しかも挽かれた粉を篩いが篩って完成品となります。縦の回転が横の回転に変わり、さらに前後に動くように工夫されているのです。
 水車の右側には精製と製粉用の杵と臼が8基あります。水車の縦の回転をそのまま直角に曲げ、杵を動かす軸に伝えます。8つの杵が同時に動くと軸に力がかかりすぎるので、8つの杵が一つずつ動くように微妙に調整されています。
 このシステムを実際に見たときの感動は忘れられません。人間ってなんてすごいんだろうと思いました。でも、もっと驚くことがありました。水車右側に窓があり、杵を動かす回転軸が見えます。かつてはこの回転軸が建物の外に伸びており、軸の回転を利用して外では製材も行っていたと言うことです。


水車を利用可能な限り利用して営業を行っていたのです。先人達の英知と努力を肌で感じました。

 今度は使われなくなった水車の話しです。
 実は私の親戚の家が中沢入り口近くにあり、やはり製粉の水車を回して営業していたのです。この水車がまたすごいのです。小学生の頃一度だけ見せられたことがあったのですが、いまだに忘れられません。
 ここの水車は人首川から取水し建物へ導水します。この水はそのまま建物の中に入り、滝のように落下するのです。その中には縦のタービンが2基、並んで設置されていました。水は渦を巻いて落ち込み、その勢いでタービンを回します。これを動力として製粉業を営んでいたのです。落水とタービンの回る音がものすごかったのを覚えています。最近いつ頃造られたのかを聞きましたが、大戦前だとか戦中だとかではっきりしません。戦後活躍していたことだけは確かです。現在は河川改修で導水路が使用できなくなり、使っていないとのこと。設備はそのままあるそうなので、もったいない気がしています。

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2005年04月27日

岩手県江刺市 及川純一 4日目 人首村

4月27日(水)快晴
 今日は中心市街地から離れて、山村の話しをしたいと思います。

 江刺市米里はかつて人首村と呼ばれていました。今でもまちは人首町、横を流れる川は人首川と呼ばれ人首という名が残っています。人首村と聞いて横溝正史の世界を想像した人もおられるでしょうが、名付けの理由におどろおどろしい過去を期待されても困ります。でも人の首と大いに係わりあることは事実です。
 坂上田村麻呂が征夷大将軍としてこの地にやって来たとき、抵抗したのが悪路王(大岳丸)です。やがて抵抗空しく処刑されてしました。その子人首丸は逃げ落ちて隠れましたが朝廷軍の知るところとなり、捉えられ斬首されてしまいました。若干15才の美少年だったと言います。今から1200年前の話しです。口伝では切られた首が空を飛び、近くの川に落ちて水を真っ赤に染めたと言います。それ以来、その川は人首川、まちは人首町と呼ばれtるようになりました。ただし、人首と書いて「ひとかべ」と読みます。
 私はこの地に親戚がいて小学校の殆どの休みにはこの地で遊んでいました。起伏に富み奥深い北上山地のはずれ、山ひだに抱かれるように集落が点在しています。入母屋の茅葺き屋根が典型的な山村景観を見せていました。子どもながらに美しいと感じていました。水が豊富で魚も多く、私は魚の採り方を教わりました。私の原風景を育んでくれた所なのです。
 



一方で非常に不思議な文化を持つ所でもあります。山村ながら都会の匂いがするのです。これがもう一つの魅力です。この魅力の形成には歴史が大きく係わっていると思っています。慶長11年に伊達藩となり南部藩との藩境として重要な場所であると共に、内陸と沿岸を結ぶ交通の要所であり宿場町として栄えました。
 また、金や銅を産出する鉱山がかなりありました。大野、小屋沢、古歌葉(こがよう)金山は平泉時代に発見採掘された物で近世まで採掘していました。当時の鉱山は公政不入の地とされ、一種の治外法権地域であったとされます。そのため多くの切支丹が流れ込み、鉱山で働いていました。伊達政宗は切支丹を容認していたしその家来である後藤寿庵は水沢で布教活動行っていました。そのため岩手県南には切支丹が多くいたと思われます。宣教師達も鉱山を巡って布教活動を行ったようです。
 明治期になると禁止令が撤廃されますが、この地にはロシア正教とカトリックの二つの教会がそれぞれ建設されていきます。小さな町の中にキリスト系教会が二つあったのです。ロシア正教は明治12年から布教が行われ23年に教会堂が建設されています。当時の信者は300名を越えたと言います。その後教会堂は二度も火事に遭い、現在は残っていません。明治40年のロシア革命以後急速に衰えて、信者も大正末には


120余となり現在は14名です。
 カトリックは明治17年に教会を建てています。38年頃フランスからアンジェラスの鐘を輸入し設置しています。以後戦後の一時期まで毎日、この鐘の音が山間に響き渡っていたことになります。わたしが小学生の頃は聞くことがありませんでした。
 文学との係わりも深く、宮沢賢治は「五輪峠」や「人首町」にその感想を残していますし佐々木喜善、草野心平、串田孫一も感想を文章に残しています。また、詩人佐伯郁郎はこの地で生まれています。

 人首村は蝦夷の文化を下地にしながら、平泉文化、宿場町に泊まる人々、鉱山で働く切支丹など多くの人々と彼らの持つ文化を受け入れてきたのだろうと思われます。山村なのに都会の匂いがする不思議な感覚は私だけの物なのかもしれませんが、このような歴史によって生まれ、育まれてきたものではないかと想像しています。
 人首村は現在も都会からの移住者を多く受け入れています。一つの集落の半分近くが移住者という所もあります。今度はこの人達によってまた新しい人首の文化が創られていくのではないかと密かに期待しています。
写真上:古歌葉集落
写真下:人首町並




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2005年04月26日

岩手県江刺市 及川純一 3日目 蔵の話し

4月26日(火)晴れ
 2日目の写真ですが、最初の物がガラス工房となる土蔵の曳き家風景、真ん中がガラス館内部、最後がガラス館(左)とガラス工房です。ガラス館は新築、工房は明治43年頃に造られた土蔵を無料でもらい受け改修しました。
 さて、今日は土蔵の話しです。江刺市の中心は岩谷堂地区で人口約1万人。市全体で3万4千人ですから約3割の人々が住んでいます。古くから物資の集散で栄えた商人のまちでした。当然土蔵も多く建てられていました。現在ガラス館を中心に半径500m以内に134棟の蔵が残されています。範囲をもう少し広げると200棟以上はあるでしょう。最近江刺は蔵のまちとして売り出していますが、川越や宮城県村田町のように店蔵が街並みを形成している姿とは大分違います。江刺の場合は家財道具を入れる文庫蔵が多いのです。そのため土蔵は敷地の奥に配置されていて、表通りからは殆ど見えません。どこに蔵があるのと怒って帰られる方もいるでしょう。でも、路地裏にはいると土蔵が並び、懐かしい空間が広がっています。
 江刺は明治37年から39年にかけて5回も大火に遭遇しています。延べ1400棟もの住宅を焼失しています。現在残っている土蔵の殆どがこの後に造られています。県南の花泉町の土蔵は狛犬が逆立ちしていたりレリーフで鶴亀の模様があったりと豪華ですが、江刺の土蔵は至ってシンプルなデザインです。土壁のみあるいはなまこ壁に漆喰仕上げが殆どですが、財力のある人でもせいぜいなまこを屋根の下まで立ち上げる程度です。これは連続の大火で建設費が不足したか、早急に建設する必要があったか、あるいは文庫蔵と言うことで奢侈に造る必要がなかったことによるものと推測します。いずれ、このことがシンプルで清楚な美しさを持つ土蔵の造られていった理由でしょう。


土蔵はそれぞれの役割を持って造られます。店舗用の店蔵、家財道具を収納する文庫蔵、酒などの製造に使う工場蔵、商品を収納する倉庫蔵、穀物を入れる穀物蔵などがそれです。ただ穀物蔵は板蔵の場合が多いです。しかし、蔵は現代生活になじまないと考える人も多く、その役割も時代によって変わってきています。代が変わるたびに商売の縮小、商売替え、廃業などになると蔵は最終的には空き蔵となり、邪魔者の扱いになってきます。勿論蔵の重要性を認識する人もいますが、出来れば壊したいと思っている人も多いのです。
 江刺商人の誇りであり文化の象徴である土蔵はこのままでは消滅する恐れがあります。中心市街地はそもそもそのまちの文化の発信地であり、まちと周辺農村部を結びつける核で遭ったはずです。その核を失ったまちは果たして10年後100年後に世に誇れるまちとして存在できるのでしょうか。自分たちの生き様こそが歴史を作り、その歴史が宝となり、誇りとなるのでしょう。文化としての土蔵を新しい視点から見直すことが必要だと考えます。



江刺の蔵は新しい物でも築後100年は経っています。従ってどんな蔵も傷んでいます。この補修も個人の力ではどうにもならないのが現状です。また、現在の持ち主は老夫婦や独居老人である場合が多く、そろそろ代替わりになります。子供達は都会で暮らしている家庭が多く、世代交代によって蔵が残らなくなる可能性があります。価値観の違いや修理にかかる費用の問題から江刺の蔵の風景は無くなることもあるかもしれません。
 蔵のある風景を残して行くためには、蔵を継続的に残していく法的、資金的、技術的、人的システムの構築が望まれるのです。


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2005年04月25日

岩手県江刺市 及川純一 2日目

4月25日(月)花曇り
 今日は大忙しの日で、肝心の仕事が出来ませんでした。朝8時半、自治会の仕事で地区センターへ。9時半頃出勤し、その後銀行へ。何せ一人事務所のため何でもしなければなりません。11時から黒船のアルバイトの面接立ち会い。午後2時、みずさわ地元学懇談会出席。昨年から委員として参加してますが、ここで浦嶋さんと知り合いました。午後7時半から黒船役員会。もう始まってますが、これを終えてから出席します。
 さて、今日は江刺のまちづくりについて紹介したいと思います。
 「えさし」と聞いて北海道かと思われる方が多いと思います。自分の生まれた場所の知名度が低い。これは自信喪失に繋がります。これを払拭して子や孫の代に自信のもてるまちを残したい。これが我々のまちづくりの原点です。この思いは同世代の共通認識としてあり、東北新幹線「水沢駅」に江刺を入れさせ「水沢江刺駅」にし、NHK大河ドラマ「炎立つ」の放映決定と同時に平安のテーマパーク「えさし藤原の郷」を建設する原動力となりました。
 しかし、「藤原の郷」にお客が来ても中心市街地には来なかったのです。この現実が我々の視点を変えました。中心市街地を守らないで文化を誇れるまちと言えるのだろうか。まちを調べていく内に土蔵の多さに気づきました。その土蔵は道路拡幅や価値観の変化で簡単に壊されつつありました。この土蔵を何とか残したい。しかも使いながら残したいという思いが湧き上がってきたのです。


仲間11人で民間のまちづくり会社黒船を立ち上げ、滋賀県長浜の黒壁の協力を得ながらガラス館、ガラス工房(土蔵を曳き家し改修)を造りました。その後キンコン館、オルゴール館と土蔵を集積しながら店舗に改修していきました。
 済みません。催促の電話が入りました。これから役員会に出席です。
 続きはまた明日。


また


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2005年04月24日

岩手県江刺市 及川純一 1日目

4月24日(日)快晴
 初めまして。今週お世話になります及川です。
 まず簡単に自己紹介。1952年生まれ。つい最近53才になりました。農業系の大学を出た後、電鉄系の建設コンサルタントに勤務しておりました。しかし都会の生活になじめず、妻と実家に戻ったのが26年前のこと。8年間の専業農家を経て、ランドスケープの設計事務所を立ち上げ現在に至ってます。現在も水田を作りながら農村生活にどっぷり浸かっています。
 また、7年前から江刺のまちづくり会社黒船の設立に参画し、まちづくりの実践を行っています。この辺の話しは日を改めてしたいと考えています。

 さて、今日は朝から川にある頭首工に向かいました。実は今年度からある水利組合の組合長になってしまいまして、本日は水揚げの日だったのです。役員6名で頭首工から約7kmの水路を水と一緒に歩きました。途中、水路のゴミを上げたり支線の止め板の確認をしていくわけです。農作業は種まきが終わり、田堀り作業が始まった段階です。まだ田圃に水を必要とはしませんが、準備をしておく必要があるわけです。平年に比べ農作業は遅れ気味ですが、水揚げは例年通り実施しました。



今日は日差しがポカポカと暖かく、ウメやコブシが満開です。サクラが六歩咲きと言う状況。雑木の芽も少しずつふくらみ、春らしくなってきました。歩きながら水路の土手や山際にキクザキイチリンソウ、カタクリなどの花を見つけるたびにうれしくなりました。
 突然カモシカとはち合わせ。お互いびっくりしてしばらくお見合いしていましたが、彼(彼女?)は悠然と崖を登っていきました。私は写真を撮ることを忘れていていたので、今回には載せることができません。残念!。
 水路の半分はコンクリート水路ですが、土側溝の所も半分ぐらい残されています。その部分で魚類を探してみましたが、全くいませんでした。いたのはザリガニ一匹のみ。この原因は秋から春先まで水路に水を流さないことが一番の理由です。次にコンクリート水路にしてしまい生き物が住めないようにしてしまうこと。私が子供の頃はフナ、ドジョウ、ナマズ、ウナギなどかなりの種類が生息していました。
 孫にはホタル狩りをさせたいと言いながら、コンクリート水路化を進めているのが今の農村。農業技術の変化と、自然環境のあり方がもっと議論される必要があるし、農地の生き物調査をして状況確認をする必要も感じた一日でした。


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2005年04月21日

茨城県つくば市 中井 聖さん 4日目

1日遅れての投稿です。
 21日は幼稚園で初めてのお弁当の日でした。
 友だちの管理栄養士さんに「最初はとにかく、"全部食べられた!"という達成感が大事。お弁当箱は小さめにね」というアドバイスで、お店で売られていた一番小さいお弁当箱を用意。娘はただでさえ小柄な上に早生まれなので、幼稚園ではひときわちっちゃいのです。
 写真で分かるとおり、懐かしいアルミ(アルマイト?)製。私も小さい頃は、アルマイト製のお弁当箱を使っていました。ふたには星の入った大きな目と縦カールの髪の毛をした女の子の絵が描かれていたっけ。実はあのお弁当箱と、金属のフォークとかがこすれる音って私は嫌いだったのだけど…。このサイズは選ぶ余地がなかったのと、安心して熱湯消毒できるのでこれに決めました。ホントはわっぱのお弁当箱とか木製のものを用意してあげたかったのだけど、モノの扱い方がもう少し分かってからにしましょう。

 メニューはそんなに凝っていません。最初に凝ると、あとが続かなさそうなので(笑)。
 ご飯も炊きたてが用意できなかった(真夜中に精米器を動かしたくなかったのです)ので、粟入り五分づき米のお冷やに、細かく刻んだ大根葉やパプリカ、炒り卵を混ぜて炒飯に。まぁ、味つけご飯は食がよく進むのでよしとしましょう。
 おかずは蒸した蓮根とアスパラガスに軽く塩をふったもの、ウインナー、ミニトマト。
 こうして書き並べてみると、本当に手を掛けてないですね〜。野菜は全て直売所で買った新鮮なもの。素材で勝負です。

 初めてのお弁当、娘はご飯一粒残さずに食べてくれました。ありがとう。でも「足りなかったよ〜」って言う前に、朝ごはん、もうちょっとシッカリ食べようね。
 朝ごはん、この日は牛乳とパン1枚弱を食べさせるのが精一杯でした。前々から、散々時間を掛けてほんの少しの朝ご飯をお腹におさめたと思ったら、小1時間もすると「お腹空いた〜」と言い出すのが悩みの種でした。
 一度にしっかり朝ごはんを食べて貰うコツ、誰か教えてください。


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2005年04月20日

茨城県つくば市 中井 聖さん 3日目

今日のつくばは雨。
 肌寒いので外出はおっくうになってしまうけど、畑の野菜たちを思うと、恵みの雨に思えます。
 私の自宅は集合住宅なので庭がありません。建物は南を向いているので、日当たりはとても良いのですが、ベランダは寒暖の差が激しく、乾燥しすぎて植物を育てるにはあまり向いていません。

 子どもが生まれる前から、畑を借りて野菜を育てたいなと思っていたのですが、夫のつてで去年から無料で畑を借りられることになったので(それも、もったいないくらいの広さ)、二組の友だち家族も巻き込んで、野菜作りを始めました。
 みんな乳幼児を抱えている「ままとーん」のメンバー。自宅から畑まで少し離れていること、ままとーんの活動が忙しいこともあって、なかなか畑の面倒が見られせんでした。去年は梅雨を迎えたあたりから畑は雑草に覆われ、惨憺たる有り様。それでも、枝豆やトマト、トウモロコシ、ジャガイモ、サツマイモなどが収穫できたのですが、隣接する畑の持ち主のかたがたには迷惑だったかもしれません。

 そんな訳で、今年は畑仕事は止めておこうかとも思っていたのですが、冬の間に枯れた雑草を片づけ、耕耘機をかけてもらうと、目の前には黒々としたまっさらの畑。ああ、ここにまた種を蒔きたい、苗を植えたいという気持ちがふつふつと湧いてきて、結局今年も畑を借り続けることにしました。
 ココではお馴染み「おとなのための食育入門」の中で出会った"食の当事者になるには、まず自らが種蒔く人になること"というフレーズにも後押しされたような気がします。
 先週末までに、3種類のジャガイモ、ラディッシュ、トマト、ナス、ズッキーニ、カボチャ、ゴーヤーの植えつけをしました。
 雨が降ると、照っているとき以上に畑の野菜たちが気になります。晴れたら、様子を見に子どもたちと一緒に畑にでかけましょう。

 畑を借りたかったのにはもう一つ理由があります。台所から出る生ゴミ(あんまりゴミって言いたくないのですが)の行き先がほしかったからです。
 庭があれば埋めるという手があるのですが、そういう訳にもいきません。最近は電動の処理機もありますが、ゴミ処理にわざわざ家庭でエネルギーを消費するのも、何だか違うような気もします。
 畑を借りたら是非トライしてみよう!と思っていたのが、プランターを利用した生ゴミ処理です。
 これを畑を借りると同時に自宅のベランダで始めてみました。およそ1年経つのですが、そこそこ順調に分解されているようです。ただ、ちょっとかさが増えてきたので、プランターの半分くらいの土を畑に入れ、代わりに新鮮な土壌の菌を補充するために畑の土を持って帰りました。ついでに、家庭用精米器から出る米ぬかも、畑に持っていってまきました。
 こうして野菜くずなどを焼却場でなく、畑に戻してあげられるのが気持ちいいのです。野菜くずをプランターに入れる前に台所のボウルにためていると、娘は私のつたない説明そのままに「これは土さんが食べる分だね」と言います。捨てるのではなく、食べて貰う。土の力を借りられる暮らしって、楽しくて面白くて始末がよいです。

 ところで、下の娘は生まれて半年くらいから、写真のように土を食べて育ちました(笑)。地元の農家の人たちに「1歳くらいまでに土を食べておくと、体が丈夫になるそうだよ」と言われていましたが、彼女はとっても元気です。上の娘は2歳頃まで食物アレルギーに悩まされましたが、それも全くありませんでした。
 以前、食話会で土を食べさせると病気知らずの鶏が育つといったお話を伺いましたが、土の力はホントに偉大です。
 ちなみにこの子の名前は「樹(いつき)」。土を味方にスクスク育って、いずれは自ら土を豊かにする人になってほしいものです。


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2005年04月19日

茨城県つくば市 中井 聖さん 2日目

今日は午後から「いばらき女性特派員」の委嘱状交付式。上の娘を幼稚園に迎えに行き、2人の子を友だちに預けて水戸市の県庁に向かいました。

 「いばらき女性特派員」とは茨城県の広報広聴課が毎年募集している女性レポーター。さまざまなテーマに添って取材と記事の執筆をし、県の広報紙「ひばり」で発表します。募集4人に対して50名弱の応募があったそうで、なかなかの難関だったとか。応募動機と地域の話題に関する簡単なレポートによる一次審査と、面接による二次審査によって選ばれるのですが、私自身は面接で見事なほどに上がってしまい、決定の知らせが来るまで選に漏れたものと思っていました…。

 県知事から委嘱状を手渡され、知事の挨拶。が、残念なことに、少子化対策や福祉、新産業創出の話題ばかりで、個人的に一番興味のある農業や林業の話題には全く触れられませんでした(あ、6月に茨城で開かれる全国植樹祭の話はチラリと出ましたね。私も在県の森林インストラクターとして招かれています)。
 知事と4人の特派員とで記念撮影をした後、別室のスタジオで広報紙掲載用の顔写真の撮影。結婚式の時でさえ、あんなに顔だけをしつこく撮られることはなかったかも。カメラマンの「笑顔でね!」との声にも、緊張でこわばってしまいました。
 最後に広報広聴課の担当者の方々から特派員活動についてのレクチャー。私の担当テーマは「自然を学ぼう!」と「男女共同参画社会」。「チャレンジいばらき」と言う体験レポートのテーマは「桐下駄」、「地ビール」。どれも興味を惹かれるテーマで、今から取材が楽しみです。

 つくば市に戻ってきたのは午後5時前。娘たちはたくさんの友だちと一緒に、よもぎ団子作りを楽しんでいました。
 場所はままとーんの事務所裏手にある「ちびとーんの林」。一昨年から、スタッフ、スタッフのだんな様がた、子どもたち、みんなで遊び場にしようと手を加えている雑木林です。
 写真は昨年秋の林の様子。ターザンロープや、笹やぶの迷路、トタンや笹、竹で作った小屋、トーテムポールなどがあります。いずれは小さなプレーパーク、冒険遊び場へと育っていくといいなと夢見ている、私も娘たちもとても気に入っている場所です。

 娘たちが作ったよもぎ団子は、清しい緑色でもっちりした歯ごたえがありました。まちまちの大きさも微笑ましくて、何ともおいしかったです。
 自分がしたいこと、楽しいことのために子どもたちを預けるのは、時に罪悪感がともないます。が、その間子どもたちも充実した時間を過ごしていたなら、そんな気持ちも薄らぐというもの。
 「お団子をねぇ、まるめたりね、こねたりね、草をごりごりして(すり鉢でつぶしたこと)ね…」と、一生懸命報告してくれる娘の顔を眺めながら、こんなに楽しくておいしい企画を立ててくれた友だちに、感謝の気持ちでいっぱいになりました。



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2005年04月18日

茨城県つくば市 中井 聖さん 1日目

はじめまして。茨城県つくば市在住の中井聖です。
 出身は千葉県千葉市なのですが、つくば市の研究所に就職してここに住み始めました。研究所の仕事は3年ほどで辞めてしまったのですが、縁あってつくばに住み続けて今年で9年目になります。
 現在の仕事はフリーライター、趣味は競馬と山歩きと母乳育児です。ホントはここに「お茶を飲むこと」と付け加えたいのですが、出産以来ゆっくりお茶をたしなむことが少なくなってしまいました。4歳と2歳の娘の母でもあります。

 今日は自己紹介も兼ねて、私と地域のことなど。写真は明日から載せることにしますね。

 つくば市に住み始めた頃は、転勤が頻繁にある職場だったこともあり「どうせすぐ他の土地に移るのだし」と、地域との関わり合いなど考えもしませんでした。
 それが少しずつ変わったのは、つくばで結婚し2人の娘が生まれてからのことです。
 初めての子どもが生まれてから約1年間は、自宅に引きこもって生活していました。周囲に子どもを持つ友だちもなく、一体どのくらい大きくなれば赤ちゃんを連れて外を歩き回っていいものか分からなかったからです。外に出るのは買い物をするときくらいでした。
 でも、赤ちゃんを連れてまちに出ると、見知らぬ人が声を掛けてくれます。私が1人でまちを歩いていても、そうそう人に声を掛けて貰えるものではありません。特にその頃からよく足を運ぶようになった農産物直売所のおばちゃんたちは、何かと私と娘を構ってくれました。赤ちゃんが、親になったばかりの私と地域に住む人々との橋渡しをしてくれたんですね。その直売所の野菜はとてもおいしくて、娘は蓮根やゴボウが大好きな子どもになりました。娘はそこの野菜とおばちゃんたちの言葉とに育ててもらったようなものだと思っています。

 そして茨城県南の育児情報を発信してる「ままとーん」というグループと出会い、スタッフになりました。「○○ちゃんのお母さん」ではなく自分の名前を呼んで貰える場所と、同じ立場のお母さんたちに向けて地域の情報を届ける仕事とを得て、「公園デビュー」する間もないほど(笑)、この3年間どっぷりはまってしまいました。

 先週、上の娘が自宅のすぐそばにある公立幼稚園に入園しました。「公園デビュー」し損ねたので、近所のお母さん方に顔見知りが1人もいません。そこでPTAの広報委員になり、あらためて「ご近所デビュー」することにしました。
 私の住んでいるエリアはつくば市の中でも転勤族の多い公務員の官舎が密集し、地域としての繋がりを得づらいところです。しかも、今年8月のつくばエクスプレスの開業を控え、マンションの建設ラッシュで更に新しい住民が増えています。
 娘たちには正真正銘の「ふるさと」であるこのつくばで、いかに地域と結びついて暮らしていくか、少しずつできることからはじめていきたいな、と考える春でもあります。





posted by LJ21 at 19:50| Comment(2) | TrackBack(0) | 茨城県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

里山の春を楽しむ会

今日の茨城県県南地方は、晴天にも恵まれ桜がちらほらと散り始めるなか絶好の花見日よりでした。
土浦市が全国へ向けて発信している大きなイベントが2つあります。ひとつが4月の「霞ケ浦マラソン」と10月の「花火大会」です。今日、その1つである「霞ケ浦マラソン」が「甦れ、霞ケ浦、水はスポーツの源」をメインテーマに開催され、街中にぎやかでした(全国的には知らない方が多いとは思いますが・・・・)。

そのような賑やかさとはまったく関係なく、宍塚の自然と歴史の会では、毎年行っている2大イベントの一つである「里山の春を楽しむ会」を開催しました。ちなみに、もう1つは10月23日に開催する「収穫祭」です。「里山の春を楽しむ会」は会員を対象に、「収穫祭」は広く一般を対象に開催しています。「里山を楽しむ会」では、蓬、セリなど野草を摘んで、それを料理して食べながら、里山を丸ごと楽しもうという催しです。今年は草団子、赤米のお粥、おやき、燻製など皆様、それぞれの分担に分かれ、地元のおばあちゃんたちも加わるなど80名ほどで、和気あいあいと作業をし、充実した一日を過ごしました。

画像:大池の堤防の桜の木の下で


この行事が終われば田んぼの仕事が忙しくなります。「田んぼ塾」での塾生による稲作の実践、「田んぼの学校」では一般、小学校、各種団体等の農業体験の受入れをしています。
(詳細はhttp://www.kasumigaura.net/ooike/tanbo/index.htmlをご覧ください)

画像:田植え


また、市民の方に米を買って頂き、農家の谷津田での稲の耕作を助けることにより、里山環境を保全しようと始めた「宍塚米オーナー制」も7年目を向かえ、谷津田での復田も着実に広がってきています。今年も生産者への援農で、種籾撒きに3回、延べ人数20名が参加するなど農家との交流も広がっています。
まだ、「宍塚米オーナー制」の会員を募集していますのでご応募ください。「宍塚米オーナー制」の仕組み、応募方法は会のホームページをご覧ください。
(詳細はhttp://www.kasumigaura.net/ooike/owner/index.htmlをご覧ください)

画像:播種作業


宍塚の里山は土浦市の開発計画に位置づけられ、また大部分が私有地(300名以上の地権者)であるなど保全の道のりは容易ではありません。行政はインフラ整備、地権者は私有財産を守るという重要な責務を負っているなか、市民団体としての責務とは何かを自問しつつ取り組んでいます。
今回取り上げた他にも「観察会」、「調査」、「里山作業ボランティア」など様々な活動をしています。

画像:ゴミ拾い


我々が様々なメニューを示すことにより、多くの方が、宍塚の里山の魅力を「見て、知って、体験」することにより理解を深め、里山の価値の重要性に気づいたなら保全は可能と信じて活動しています。
皆様のご協力をお願いいたします。

画像:草もちづくり


posted by LJ21 at 09:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 茨城県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月16日

里山の聞き書き活動について 佐々木哲美さん

LJ21理事の結城登美雄さんが、芸術選奨を受賞されまして、まことにおめでとうございます。
里山保全に関わるものとしてもうれしい限りです。今日は講演会と祝賀パーティに参加させて頂きましてお話をお聞きしたいと思っております。

NPO法人「宍塚の自然と歴史の会」では地元宍塚の集落の方々からの聞き書き活動をしてきました。地元学という言葉も知らずに始め、実践してきましたが、今調べてみたら我々のやってきたことが地元学そのものだと気がつきました。
今日は、NPO法人「宍塚の自然と歴史の会」の歴史部会による聞き書き活動した成果を、「続・聞き書き 里山の暮らし −土浦市宍塚−」として発行しましたので紹介させていただきます。

画像:田起こし


宍塚大池の周りにある里山は、人々が積極的にその自然を管理してきた結果生まれた歴史的文化財です。農業や生活が変化した中で、里山は利用されなくなり、荒れてきました。里山の保全方法、里山に関する文化は今のうちに調べ記録しなければ、忘れ去られてしまいます。
宍塚の自然と歴史の会では、1989年の発足当時から会員が地元の方々に昔のことをうかがったり、宍塚の歴史に関する資料を探したり、遺跡めぐりの観察会を行ったりしてきましたが、これは緊急な課題と考え、1998年3月に歴史部会を発足させました(歴史部会の詳細はhttp://www.kasumigaura.net/ooike/hist/index.htmlをご覧ください)。
また、私たちは里山保全活動を続けているなか、地域の人たちが地域のことを知り、誇りと自信を持たなければ里山は残らないと考え、知らせる努力もしてきました。

画像:除草機かけ


歴史部会では、地元の方々(年配者中心)を訪問し、以前の宍塚大池周辺の状況、田畑、林の利用方法、行事、衣食住、娯楽、その他以前の生活のようすの聞き書きを続けています。お話を伺っていると、地域に生活してきた中で得た知恵、知識、苦労をかさねてきた自分史と里山に対する愛着、そこに生きてきたことへの誇りを感じることができます。また、それらを次世代に伝えたいという気持ちも伝わってきます。
 聞き書きと併行して、宍塚地域に関わる資料を収集し客観的な地域の歴史、里山、農業、生活の変化の背景をつかんでいくことの作業もおこなっています。明治時代初頭に作成された地引帳をもとに、当時の土地利用状況を明らかにしたりもしました。

画像:サツマイモ洗い


里山のくらしの聞き書きの成果は、「聞き書き 里山の暮らし −土浦市宍塚−」にとりまとめ、1999年に発行しました。この単行本は、地元の歴史発掘の例として高い評価を頂き、茨城県の中学校推薦図書に選定され、地域学習の教材としての活用もされています。
 聞き取り調査は、その後も歴史部会の阿部きよ子さん、及川ひろみさんを中心とするメンバーにより継続し、2005年3月に「続・聞き書き 里山の暮らし −土浦市宍塚−」を2作目として発行しました。A5版334頁で価格は1,950円で配布しています。会員4人の方による挿絵もふんだんに入り、読みやすくなっています。地元学の参考書として、里山保全の教科書としても使えるのではないかと自負しております。
(詳細はhttp://www.kasumigaura.net/ooike/topics_contents.htmlをご覧ください)
是非、興味のある方は購入して読んでいただきたいと思います。
当初の予定の倍のページ数になり、資金回収のための販売が歴史部会活動の急務となっていますのでご協力ください。

画像:とうみ



里山と関わる暮らしの記憶、地域の歴史を、地元をはじめとする多くの人々の共通の土台とすることは、今後の里山のありかたをさぐる上で欠かせないと認識しています。これらの成果を宍塚の自然と歴史の会の中の実践グループである里山作業ボランティア「里山さわやか隊」、稲作の「田んぼ塾」、畑作の「里山ふれあい農園」、「環境教育部会」など各グループの活動に反映させています。
(詳細はhttp://www.kasumigaura.net/ooike/kaikatsudou_contents.htmlをご覧ください)

画像:なわない


posted by LJ21 at 11:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 茨城県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月14日

佐々木哲美さん 茨城県土浦市

はじめまして! 佐々木と申します。

18日から担当と言われていまして、第2週と書かれているのを見てビックリ!
あわてて書込んでいます。
今日、東京地方は雨模様の肌寒い一日でした。そんな中、土浦の桜は満開のままを維持しています。もう少し晴天になるまでガンバレ!

画像:宍塚(ししつか)の四季 上から春夏秋冬です。

私は、都心に通うサラリーマンですが、土浦市のNPO法人「宍塚の自然と歴史の会」という団体で里山保全活動をしています。

これから1週間、宍塚の自然と歴史の会の活動内容を書かせて頂きたいと思います。



まずは、簡単に土浦市と宍塚の自然と歴史の会の紹介から、
土浦市は、日本第2の広さの霞ヶ浦や桜川、丘陵地帯の斜面林など水と緑に恵まれ、茨城県南部の中核都市として発展してきました。市域は東西13.1km、南北15.3km。東京から60km圏内にあり、常磐線の土浦駅、常磐自動車道の桜・土浦インターチェンジ、などからアクセスできます。また、筑波研究学園都市に隣接しています。人口は13万6千人あり、隣接する新治村との合併を控えています。

この地域は、霞ヶ浦がまだ海だった太古、土浦は、海の幸、山の幸に恵まれた豊かな土地でした。江戸時代は水陸交通の要地であった土浦の商業は発展し、水戸に次ぐ常陸国第二の都市として繁栄していました。
戦前は、霞ヶ浦海軍航空隊予科練習部等が開設され、土浦は海軍の町としても有名でした。近年、都市化の波にさらされ貴重な自然が失われてきました。



私たちNPO法人「宍塚の自然と歴史の会」が活動している宍塚地域は、土浦駅から西へ約4km、土浦市とつくば市の市境近くに位置し、清涼な水源を有する約3ha宍塚大池を中心とした約100haの里山が存在し、さらに近隣のつくば市の天王池周辺を含めると200haの林が広がっています。東京から筑波山の麓までで 最大の里山です。周囲には 宍塚古墳群や 国指定の上高津貝塚に代表される遺跡群も豊富に点在し 歴史的にも大切なところです。



当会は1989年に発足以来、開発計画もあるこの貴重な里山を 次世代によい形で手渡すための活動を続けています。
詳細は、宍塚の自然と歴史の会のホームページをご覧ください。
http://www.kasumigaura.net/ooike/index.html


posted by LJ21 at 07:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 茨城県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月02日

今日から日記担当する佐野です。

みなさまはじめまして!
今日より1週間、「今週の私」を書かせていただく東京の佐野です。
実は、今週の私は2回目でして、以前は昨年の夏に徳島に居たおりに書かせていただきました。

いまは、東京北区にある「ERIC 国際理解教育センター」というNPOで働いております。
といっても、この4月からスタートしたばかりのホヤホヤです。ERICでは、国際理解教育を人権や平和、多文化共生、環境といった様々な側面を内包した幅広いものとしてとらえ、年間さまざまな研修を日本各地で実施しています。
http://www.try-net.or.jp/%7Eeric-net/j-main.html

なかでも、僕が担当しているのはESDファシリテーターズカレッジ推進事業。
ESDとは、Education for Sustainable Development の略で、日本語では「持続可能な開発のための教育」と呼ばれています。
もともとは、ヨハネスブルグで開かれた環境開発サミットで日本政府とNGOが提唱したことから始まり、今年2005年より「持続可能な開発のための教育の10年」というのがユネスコ主導で世界的に推進されています。

ERICでは、そのESDを国内外で進める“ファシリテーター”(学びの場づくりの推進役)を要請するため、自主・受託合せて様々な研修・ワークショップを開催しています。
ご関心のある方は、ぜひご参加ください!

ということで、今日はカゼのため1日家におりました。
明日も家でのんびりです。どうも天気が良くないですね。
さあ、来週はお花見日和かな?




posted by LJ21 at 18:00| Comment(1) | TrackBack(0) | 東京都 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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