振り返ってみれば、昨年6月に、熊本日日新聞社から原田正純著「水俣病」(岩波新書、1972年)の英語版が出版されたのが始まりでした。早速入手し、それを8月に試しにマカッサルの仲間たち(地元NGOのMKS[Media Kajian Sulawesi])のところへ持っていったところ、「是非インドネシア語に翻訳したい」と強く懇願されました。折りしも、今回紹介した北スラウェシ州ブヤット湾で「水俣病が発生した」という新聞報道が世論を騒がせていた頃でした。それから約半年で翻訳は終わり、日本での著者、出版社、写真家などとの交渉を終え、ようやく出版となりました。彼らとしては、水俣病の有無よりも、水俣病というものがいかなるものかをきちんと知ってもらいたい、というのが出版の意図でした。
インドネシアの人々は、病気は薬を飲めばすぐ治ると信じている一面があります。出版記念セミナーでも「水俣病はどうすれば治るのか」「予防はどうすればよいのか」という質問が出ました。原田氏からの「治ることはない」「(有機水銀の科学的有用性は否定しないが)有機水銀を排出しないこと」という答えは、セミナー参加者に重く受けとめられたようです。植民地時代から行政が住民を監視・敵視してきた長い歴史を経て、ようやく行政と住民とがコミュニケーションをとらないわけにはいかない時代となってきた今日、もはや行政がブヤット湾のような問題を隠蔽することは困難であるにもかかわらず、行政も住民もなかなか歩み寄れない状況が続いています。
しかし、今回の「水俣から何を学ぶか」という私たちの問いは、翻って「水俣から我々は何を学んできたのか」という問いになって自身へ返ってきたようにも思えます。来年は水俣病が正式に「発見」されてから50年。地元学を生み出してきた背景にある、様々な苦しみや葛藤の水俣50年の歴史の重みを踏まえながら、最も重要な何かを国内外の様々な人々に伝えていく必要を痛切に感じた1週間でした。
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今週1週間、私のつたない「日記」にお付き合いいただきありがとうございました。またどこかで皆様にお世話になることと思います。いろいろとご指導いただければ幸いです。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。