2005年09月27日

青森県青森市 張替淳子 1日目

はじめまして。ハリガエです。
5月にインターンとしてNPO法人グリーンエネルギー青森(以下GEA)に入り、事務局のスタッフのお手伝いをしています。GEAは・・・本当にいろいろなことを手がけているNPOなので、今の私ではまだ上手く説明できませんが、簡単にいうと、鰺ヶ沢町に市民出資で風車を建てて地域を元気にしているNPOです。(HPをご覧ください。)

私は青森県在住5年目。故郷は茨城県の坂東市という、とりたて特長のない平和なところです。
自然豊かで、みんなが豊かな社会にしたい!というのが私の思いです。究極的に言えば「農家(本家)のお嫁さんになりたい!」。まだちょっと早い気もするので・・・いろいろと修行させてもらっている22歳です。
GEAにいると、仕事を進める大変さが分かると共に楽しいことがたくさんあります。

GEAでは、先に「今週の私」に登場していた柳沢さん率いる(企)あっぷるぴゅあと協働で、鰺ヶ沢産毛豆「風丸」の市民風車ブランド化を進める「風丸プロジェクト」に取り組んでいます。「毛豆」は、昔から青森で栽培されていた在来種の枝豆です。栗のようにホクホクした食感で甘くて濃厚な味。それでいて、やめられないとまらない枝豆の風味がきちんとある。サヤは食べるとき口に入れるのが心配になるくらい毛深い。かなり個性的な豆なのです。私が弘前に住んでいた4年間に一度も存在に気付かなかったように、青森ではあたりまえでありふれたものとして扱われている。そんな毛豆に「風丸」という名を付け、全国のみんなに知ってもらおう!というのが「風丸プロジェクト」です。(明らかに説明不足なのでこちらも参照してください・・・→「風丸くらぶ」)



そのプロジェクトの一つである、毛豆の加工品開発をお願いしている市内の和菓子屋「おきな屋」さんが、毛豆を使ったオリジナル菓子を作ったということで、わざわざ事務所に持って来てくれました。
黄緑色した毛豆のペーストがきれい。こっくりとした味わいにうっとりです。そして、いかにも栄養たっぷりといった感じ。今日は、パイとクッキーでした。



ここに入ると同時に一人暮らしを始め、日々節約に励んでいるので、食べ物が出されると、ここぞとばかりにいただいてしまいます・・・。同じく試作品である毛豆と米粉のクッキーを約10枚ほどほお張り、数十分後、気が付けば予想以上にお腹いっぱい。苦しい〜。食物繊維のおかげ??やっぱりお米はお腹いっぱいになるものなのかなぁ・・・と、考えているうちに、そういえば最近朝食に小麦粉を食べていたので、そろそろ実家から送られていたお米も食べなければと思い出しました。今、青森は涼しいを越えて朝夕は寒いほど。住処も事務所も街中にあるため、ほとんど田んぼを目にすることができないのですが、おそらくほとんど稲刈りは終わっているのでしょう。故郷茨城の田んぼはどれくらいになっているのだろう・・・新米が送られてくるのが待ち遠しくなりました。

食べ物のことばかり考えている場合ではありません。10月1日〜2日、主催イベント「第2回 白神エコスーリズムとわんずの集い」が迫っているのです。それとは別に、2日には「市民風車見学・農業体験・エコクッキングに学ぶ自然エネルギー教室」も開きます。私の担当するこまごまとした仕事は、こうしたイベント前などに一気に量が増えるのです。

仕事が6時に終わってから、事務所に残って書かせていただきました。
もうこんな時間・・・外は上着がないと震える寒さです。
それでは、そろそろ失礼します。

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2005年09月17日

東京都目黒区 中森まどか 3日目

稲刈りの季節ですね。
新規就農数年目の友人たちも「腰が痛い」と言いながら有機栽培のお米づくりを頑張っています。(手伝いに行けなくてごめん!)

5月に地元の子どもたちを連れて田植えに行った東京都町田市にある田んぼも明日が稲刈りです。
そこでは住宅街の真ん中に残っている田んぼを近隣の小学校の先生とPTAが協力して借り、生き物のすみかを増やす「不耕起栽培」に挑戦しつつ、子どもと大人の環境学習、体験の場として保っています。
徐々に農家や近隣の方の理解と協力も得られるようになり、お母さんたちは体を張って「生きがい」のように日ごろの田んぼの管理も行っているようでした。

目黒のエコプラザでは、今年は「お米」をテーマに、プランターでも「陸稲」を育ててみたり、いろいろと企画を行っているのですが、その中で先日、「かかしづくり」に挑戦しました。
今や、鳥除けには銀色のテープなどが当たり前ですが、ひと昔前までは本当に「かかし」が頼りでを心を込めて作っていたのだろうな〜などと想像したりしながら・・。
(ちなみに「かかし」が「かがせる」から来ているって知ってました?)
ともあれ「生きた素材」を使ったものづくりってやっぱり良いですね。参加した大人たちのほうがはまっていたようです(^^)v


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2005年09月16日

東京都目黒区 中森まどか 2日目

さてさて、皆さんは「コミュニティビジネス(Community Business = CB)」をご存じですか?

簡単に言えば、いわゆるNPOやボランティアなどが行うとされる「地域のため、社会のため」の活動を、「事業として」成り立たせたもの。その双方を両立させて「適性規模、適性利益」で「継続可能な活動」を実現する『考え方』です。

「ボランティアとして」の傾向が強い市民活動に対し、コミュニティビジネス(CB)は、独立した事業体として各種会社、NPO、組合、SOHOなどの形態をとりながら、市民が主体となり、福祉、教育、環境、まちづくり等、さまざまな分野における「地域貢献活動を自立的ビジネスとして」行った場合の事業活動の呼称です。
(当会HPご参照→www.cb-s.net/CB.html

もちろんその中身は今に始まったものばかりではありません。その考え方の基本は、今も商店街や田舎町には当たり前に残る『人の支え合い』だったりします。
けれども多くの地域で喪失されつつある「顔の見えるコミュニティ」や「住民参加」が今、CBという切り口から新たに少しずつ再生され、「地域の活性化」、また若者から主婦、高齢者までの「雇用創出」や「生き甲斐づくり」などにつながってきているのですね。


省庁レベルから自治体まで、行政のCBに対する関心は近ごろ急激に高まってきているのを感じます。支援策も徐々に整えられようとしている流れです。

・・身の丈に合った、確実に顔の見える間柄で、おおもとの見える取引をして、まわる経済、その要素となるCBのような活動の積み重ねが、確かな笑顔と元気な社会の源になるのかな、と思ったりしています。



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2005年09月15日

東京都目黒区 中森まどか 1日目

はじめまして。東京出身とは思われない土くさいことが大好きな東京都目黒区育ちの中森です。近々もう少し郊外への引っ越しをたくらんでおりますが・・。

昨日と比べてマイナス8度。いよいよ夏の終わりですね。原付(かなり年季の入った愛用カブ)で30−40分の通勤にジャケットが欠かせなくなってきました。原付の良いところ(?)は、季節を肌で感じられること!夏場はまさに「ヒートアイランド」を体感しつつ、フライパンの上を走っているかのようでした(^^;)・・・そしてもう一つ、「危険」も体感!2週間前に他のバイクの転倒に巻き込まれてアスファルトに強打した右ひざがまだ痛みます・・(;;)

と、悪いことは続くもので、昨年買ったばかりの自宅のデスクトップも故障!で数日間「入院中」です・・・(というわけで自宅で作業できないため、日記が滞ることもあると思いますがお許しくださいませ!)


と前置きが長くなりましたが、私は現在、NPO法人コミュニティビジネスサポートセンター(www.cb-s.net)という、NPOや企業による地域貢献活動の立ち上げ・運営を支援する「中間支援組織」のスタッフとして働いています。日頃は講座、相談、調査などの事業に関する一連の業務を行なっています。
今日は一日パソコンに向かっておりました。(「スローライフ」を求めながらも、携帯とパソコンと「肩こり」付きのライフスタイルが前提となってしまっていますね・・)


でもやはり泥くさく「現場」に近い方が好きです。地元の目黒区では数年前から環境活動グループ(ecostaffmeguro.hp.infoseek.co.jp)を組織して、区、商店街、各団体の皆さんとの協働で、「ごみゼロイベント」や「環境学習」の勉強会を行なったりしています。
もともとは農学部出身で、学生時代は岩手から鹿児島まで農家実習・調査に行き、インドネシアや東南アフリカの調査を行ったりもしました。卒業後も「自然農」や「パーマカルチャー」の勉強もしたり、有機農家に長期で住み込み研修をさせていただいていたこともありました。青果物流通の会社にも勤め・・・


というわけで、今は「Think globally, Act locally」の感覚を子どもたちに伝えたい、農業や貧困の問題を理解する「グリーンコンシューマー」の輪を広げたい、という願いから、全国各地の農業や教育の現場で頑張る同志を想いつつ、とりあえずアスファルト東京で頑張っています(^0^;)/

つづく・・。



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2005年09月14日

アロハの起源は周防大島にあり。 山口県周防大島 大野圭司[四日目]

今日の周防大島は、涼しい秋風がピューッと家に吹き込んで来ます。

さて、みなさん。

アロハシャツってご存知ですか?
ご存知ですよね、若者の間では夏のオシャレ着としてアロハは
流行っていたりします。男性なら一枚くらい持っていたりしませんか。

そのアロハの起源はご存知ですか??

実は、周防大島からハワイ移民で渡ったチャレンジャーたちが、浴衣
をシャツに仕立て上げたのが”アロハシャツ”なんです。

ちなみに、周防大島では19年前より役場職員、郵便局、JAなどの公
的な仕事人は「アロハビズ」ですよ。クールビズが、やっと今年でしょ。
ぜんぜん遅い。しかも、アロハのほうがインパクトあります!もちろ
ん82歳の町長もアロハビズです。ミスハワイが石原都知事にアロハ
ビスを提案してたみたいですが、うちは実践済み。

そもそもハワイ移民は、明治の官約移民という移民制度ができ、日本
から4万人ほどハワイに渡り、その約1割の3,900人が周防大島人だ
ったという歴史があります。

今でも島には、80歳代の2世のおばあちゃんが喫茶店を営み、
ハワイの直輸入のチョコレートやコーヒーがあります。ローマ字で
ハワイの親戚と手紙を出し合っているそうです。他にも、たくさん
英語で会話ができる、おじいちゃんやおばあちゃんがいらっしゃって、
周防大島って本当におもろい島だなあと思います。

もしかしたら、コーヒーを飲むという文化が伝来したのは、都会より
早かったのではと思います。

今日のメッセージは、
 
 「アロハの起源は周防大島にあり。」 

ではでは、今日はこのあたりで。

次回は、最近発足させたアロハ関連の商品開発チームでの構想中
商品についてお話しさせて頂きます!

日本ハワイ移民資料館

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2005年09月12日

今日の一歩は30年後の未来を刻々と変化させている。 山口県周防大島 大野圭司 [三日目]

総選挙を終えて思う事を少々。
個人的には、国政選挙に投票したのは、社会人一年目の選挙
と合わせて二回目。周防大島に帰ってからは初めての国政選
挙だった。率直に意見させてもらう。母も祖母も自民党に投
票する事はどういう事か、島の未来、孫の未来にどういう影
響があるのか、自分の頭で深くは考えていないと思った。た
ぶんそれは、都市部の有権者より地域の有権者の方が、町・
県・国などの大きな力に頼り生きながらえて来た歴史がある
からだと思う。

デジタルフォレストの猪塚武氏の、たとえ話を使わせて頂くと、

「大胆な地方主権は子供を崖から突き落とすようなもの」

と表現される。郵政民営化する事のメリットとデメリットを差
し引きすると、国にも地域にもマイナスになると思っているの
だが、それ以上に、理想とする地方主権を加速する事で、周防
大島のように若者の人口流出が激しく、高齢少子化が進み、自
主財源比率が低い地域は、どんどん地域経営が苦しくなる。

親ライオン(国)は子どもライオン(地域)を谷に落とし、這
い上がった子どもライオンは自立したライオンになれる。だが
”日本国丸”に先導され、周防大島丸の舵取りをしてきた方々や
乗組員たちは、その深く険しい谷から這い上がるモチベーショ
ンをお持ちだろうか?諦め感が強いのではないだろうか。とい
うか、このような意識をそもそもお持ちの方は少ないと思う。

27歳の若者が生意気を言っているのは重々承知だが、30年後の
未来も57歳で生きる僕としては生意気を言わざるを得ない。今、
57歳の団塊世代は30年後には、この世にいらっしゃらない方が
多い。であれば、少なくとも、この島の舵取りに20代30代のメ
ンバーが加わり切磋琢磨していく事が健全な地域経営だ。

国は、地方主権のルールを創る事で、

「これで自由に主体的にできるじゃろ。あんたらぁの事は、
あんたらぁでやりんさいよ。お金がないなら儲けんさい。
もう、私らぁは知らんけえ、がんばって!」

今回の選挙結果で、このような時代に加速して行きそうだ。

僕は、愚痴っているわけではない。逆に、周防大島はチャンス
なんだと言いたい。正直、周防大島は他の地域より早く経営破
綻を日々の生活で感じるようになる。だからこそ、先駆けてV
字復活できるチャンスがある。そのためには、僕らが熱い想い
で語り動き、自らのアイディアで人を巻き込み、スキルアップ
し、島ぐるみで儲ける実績を創ることが必須。

この島に、心の底から自分があったらいいなと思うモノ(商品)
やコト(サービス)をつくれば、きっと、島の外のお客さんが
買ってくれる。市場調査やマーケティングなども大切かもしれ
ないが、cafe Misakiや周防大島.comや島スタイルは、そんな
事はあまりせず始め、少なからず成功の階段を上っている。

ひとりでも多くのチャレンジャーが、周防大島で生まれ成功
できる風土を創り、優秀な船員で溢れかえった周防大島丸の
船頭に僕はなりたい。

最後に、今回の選挙日は9月11日、アメリカ同時多発テロと
同じ日だった。これは意味のない偶然なのだろうか。もしか
したら、警告メッセージなのかもしれない。競争原理、市場
原理を元に作ったアメリカ社会の歪みは、イラク戦争やハリ
ケーン被害で露呈されている。こんな社会にしないために、
日本人よく考えろ。というメッセージだと僕は感じている。
そのメッセージを裏切らない島にする。

今日の一歩は30年後の未来を刻々と変化させている

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2005年09月06日

島ぐるみで儲けるという意識ヘンカク 山口県周防大島 大野圭司 [二日目]

続きです。

僕が島を歩き始めた、その一歩目が島スタイルというフリーペーパー
の発行です。島スタイルの目的は、

 「島人の夢の種から生まれた島遊びをビジネス化する夢カタログ」

を島内外に情報を届ける事です。収益源は、広告料と
共感して頂いた方々のサポーター年会費です。現在、
A5サイズ、4ページ、フルカラー、5,000部発行で、
島内の主要観光施設、ホテル、コンビニ、レストラン、
カフェや、山口市、柳井市、広島市、東京などにも全国
配布中です。

創刊して3号を半年で発行し、中国新聞、読売新聞、
KRY山口放送、NHKラジオ、タウン情報YAMAGUCHI、
すおう大島広報など地元のメディアには、かなり取り上
げて頂いていますが、未だに、発行する事に5万円の
収入にしかなっていません。これでは、ぜんぜん、かっこ
よくなくて、えらそうな事言うなら、まず自分が島に必要
なビジネスを成功させます。



ちなにみ最新号は、

 「この島に、ふたりのヒロインが舞い降りた。」

というキャッチで、新しく島にできた、ふたつの女性オーナー
カフェを特集しています。島に若者が少ないのは、島が嫌だ
から帰って来ないのではなく、島に帰って来たいけど、雇って
もらう場所が少ない、業種に限りがあるという理由です。

旧態依然とした、役場、JA、漁協、福祉での雇用には限りが
あり、今後も縮小が続くでしょう。であれば、どうやって、この
島は生きて行くの?次の世代が生まれない周防大島に未来が
ないという事を、マジで考え行動している島民は、人口2万人
中1%もいないと思います。

だからこそ、生意気ながら、27歳の僕が大きな声で叫んで
います。本当にこのままでいいの?かと。僕としては、これから
30年で1,000組のUIターン島起業をする20代、30代を
つくりたい。1,000×4人で4,000人の、若年人口増を目指
しています。

僕の最終目標は、

 「高齢化率を35%に下げ人口を2万人キープし自主財源100%の独立国」

です。これを生涯をかけ実行します。
ふつう、島のリーダーが、こういう事言うんじゃないかと思うの
ですが、言わないんです。未来を切り拓く政治家は、この島に
はいないように感じます。


ま、文句言ってもはじまらんので、僕は僕のできる事を好きな
ようにさせて頂いている事は幸せです。それに、予想以上に、
共感して頂ける同世代、上の世代、島外の協力者。この調子
で、大野圭司とつながる5,000人の次世代ネットワークをつ
くり、島にお客さんを呼び込み、利益を島で分配し、自分もお
金を稼ぐ事を、自分の仕事にして行けば、10年後くらいから
は、ぼちぼち、島を動かせるポジションを獲得できそうです。

なにぶん、若く未熟者で、妄想癖ですので、これからも、
みなさんのご指導、ご鞭撻が必要です。どうぞ今後とも
よろしくお願い致します!

では、明日またお会いしましょう!

島スタイルのブログ
大野圭司の詳細プロフ


posted by LJ21 at 21:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 山口県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ココロの成長が未来の島を刻々と変化させる。 山口県周防大島 大野圭司 [初日]

「今週の私」ファンのみなさん、はじめまして!
山口県、周防大島の大野圭司と申します。

去年の夏に東京から島にUターンし”島スタイル”という
フリーペーパーの編集長を、ひとり気ままにしています。
それと、実家が大野工業という土建屋もしていますので、
そこの従業員でもあります。

先週の「増刊現代農業」甲斐良治さんに声をかけて頂き、
今日から一週間つらつらと書かせて頂きます。ていうか、
昨日の文をまだ書いていないので、今日は2連発!

まず今日は、大野圭司とは何者であるかという事を皆さ
んにお伝えできたらいいなあと思います。そもそも、周防
大島という島は、瀬戸内海で3番目に大きい島で、全周
160kmもあり、僕の暮らす旧東和町は高齢化率50.6%
の日本一高齢化した島です。ちなみに、本土から橋が
かかっているので離島ではありません

同級生は13人中3人しか島内で暮らし働いていない。
そんな島に、ひとりでも多くの同級生が帰り、島で暮ら
し、昔のように、夏になると夜、全裸で海に飛び込むよ
うな僕らの物語の続きをしたいと思っています。ちょっぴ
りでもキラキラした未来をつくるために去年、東京から
帰って来ました。そもそも中学生の頃は、周防大島で
リタイアメントコミュニティづくりによる、島おこしビジネ
スをしたいと思っていました。

島に足りないものはたくさんあるけれど、その根源は、
自らが新しい事にチャレンジしようとする”ココロ”を持
つ人が少ない事。であれば、まずは自分自身が、自分
のできる事からチャレンジしてやろうと日々、島を歩いて
います。


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2005年09月03日

東京都港区 甲斐良治 6日目

これまで高千穂、周防大島での夏休みのことを書いてきましたが、私にはもう一カ所、「おかえりなさい」と言ってもらえる場所があります。それは、千葉県鴨川市の「鴨川自然王国」。故・藤本敏夫さんが1981年に開設した農事組合法人で、02年、藤本さんが亡くなる一カ月前にインタビューさせていただいたことがきっかけになり、03年から王国で開かれている「里山帰農塾」に通わせていただいています。

「里山帰農塾」には、2泊3日の「入門コース」、4泊5日の「里山専科コース」があり、座学と実技で農的ライフスタイルへのアプローチ法を学びます。一回の受講者は10名前後ですが、この3年の卒業生は100名を超え、8月6日には「帰農塾同窓会」も盛大に開催されました。

写真のカレーは王国の名物で、屋外のテーブルで棚田をわたる風に吹かれながらの食事は最高です。最終夜の飲み会では、藤本さんと加藤登紀子さんの次女・Yaeさんが、カエルの声をバックにアカペラで歌ってくれることもあります(オジサンは毎度のことながら、不覚にも涙してしまいます)。


翌8月7日は大山不動尊の夏祭り。塾長のインサイダー編集長・高野孟さんや塾の同窓生もおみこしをかつぎます。私はこの夏、はじめての見物だったのですが、意外に多くの若者や子どもたちが参加していることに胸を熱くしました。


どうですか、この子どもたち。まるで昭和30年代のようです。


一心不乱に太鼓を叩く女の子。子どもたち一人ひとりのこころに、「ふるさと」が刻み込まれていくようです。


「里山帰農塾」は、たんなる「田舎暮らしのすすめ」というより、仕事(労働)や遊びも含めた自然と人間のつながりを見直す試みです。

最近では、LJ21の「事務局ドタバタ日記」でもレポートされているように、YaeさんプロデュースのEn祭りが広尾の天現寺で開かれるなど、鴨川の若者たちによる都市へのライフスタイル提案のような動きがはじまったり、それを帰農塾の卒業生たちがサポートしたりしています。

次回の「里山帰農塾」は9月21〜25日。あなたもぜひ、参加してみませんか。
▼鴨川自然王国

この一週間、おつきあいいただいて本当にありがとうございました。


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2005年09月02日

東京都港区 甲斐良治 5日目

仕事柄全国の朝市や直売所に立ち寄ることが多いのですが、周防大島・志佐地区の「食の工房 ふきのとう」の朝市は規模も営業時間も「日本一小さい朝市」ではないかと思います。ツレアイの中学校時代の同級生・山根要子さんがはじめたもので、週2回、朝1時間だけの営業時間なのですが、朝8時からの開店なのに、まだ薄暗い6時半、7時くらいからお年寄りが集まってきます。


志佐地区は小さな漁港のある住民300名ほどの集落なのですが、NTTを早期退職後、「食の工房 ふきのとう」を開き、農産加工をはじめた山根さんの目についたのはひとり暮らしの高齢者の多さでした。

そのお年寄りの多くは車の運転ができないのですが、まとまった買い物のできるスーパーは数キロ離れた町の中心部にしかありません(そもそもそのスーパーが進出したために、身近なお店がつぎつぎ廃業に追い込まれたのですが)。

山根さんは、不便さをかこつお年寄りをみかね、私費を投じてこの朝市を開こうと思い立ったそうです。


朝市の人気は山根さんがつくる地場産大豆100%の豆腐、おからコロッケやおはぎ、船員だった同級生がつくる新鮮な野菜……。ひと月の半分を東京で、半分を大島で暮らしているツレアイも自家製の野菜やスダチを出しています。

ささやかな、「早めの定年帰農」の同級生の気持ちが集まるこの朝市は、ひとり暮らしのお年寄りの気持ちが集まる場所でもあるようです。


高千穂のような山村、大島のような島(橋でつながっているので行政上は「離島」扱いではないようですが)は、思えば農山村の、いや日本全体の縮図のように思います。

そこには矛盾もいち早く現われれば、その解決策もいち早く現われるような気がしています。そこには大都市・大企業がいまだ示せないでいる高齢者の、また若者の「希望」があるのではないでしょうか。

昨夜の若者たちもみんなが大島への希望を語っていました。


山根さんの豆腐は地場産大豆100%なのに、信じられない安さです。


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東京都港区 甲斐良治 4日目

8月18日は高千穂からツレアイの実家のある山口県周防大島へ。途中博多で森千鶴子さん、安永淳さんと打ち合せ。森さんは増刊現代農業の常連ライターにして九州・中国地方の「食の文化祭」伝播者、安永さんは宗像市漁協顧問・同市観光協会事務局長です。中洲で「吉塚うなぎ」をいただきながら、宮本常一の『海をひらいた人々』絵本化について話し合い。

ご存知周防大島はその宮本常一を育んだ島です。昨年には「宮本常一展示室」もある「周防大島文化交流センター」も完成しました。写真はそこに展示してある宮本愛用の品々。とくにハーフサイズのカメラは、新発売の際、「これでフィルムが節約できる!」と大喜びしたそうです。またルーペは、ベタ焼きの写真を見るためのもの。デジカメの時代まで生きていたら、どんなに喜んだことだろうと思います。


展示室には宮本の撮影した写真が多数展示してあり、これもその一枚。浜の魚網の上で眠る子はまさに「われは海の子」。撮影した宮本の影も映っていて、じつにほほえましい一枚です。




これは昭和38年撮影の「バカンスを楽しもう 村内一斉休養日」ポスター。昨日「村の遊び日」でもふれたように、ほんらい農村は勤勉一辺倒ではなく、休むこと、遊ぶことにも共同性を発揮していたような気がします(私は昭和30年生まれですが、昭和40年くらいまでの高千穂もそうでした)。

なお、宮本が撮影した膨大な写真、著書、年譜が、現在文化交流センターによって「宮本常一データベース」としてネット上で公開されています。

あなたの生まれたころ、生まれたふるさとの写真があるかもしれません。ぜひのぞいてみてください。


周防大島は『大往生の島』としても知られるように高齢化率の高い島ですが、いっぽうで「定年帰農の島」でもあり、また最近では若者もしだいに増えてきているようです。

18日の夜は、そうした若者のひとり、大野圭司さんの呼びかけで「自称若者」も含め、9名が集まりました。大野さんは建設会社の息子でUターン―増刊現代農業流に言えば『土建の帰農』と『若者はなぜ、農山村に向かうのか』を足して二で割ったような人物。

会場は社協職員・河内啓さん/看護士・河内乃理子さん夫妻の家。「風流」を感じさせる古い民家です。食事と飲み物は一品持ちよりということでしたが、河内さんはたくさんの食事を用意されていました。


集まったメンバーは下記の人々。それぞれHPを開設されていますので、ぜひのぞいてみてください。

おげんきクリニック・岡原仁志さん(医師)

島スタイル編集長・大野圭司さん

社協職員・河内啓さん/おげんきクリニック看護士・河内乃理子さん夫妻

岩国・染織工房「七夕屋」植野竹代さん

●ほかに中国新聞大島支局・久保木要さん、染織家・今澄智子さん(宇部&東京)
も。

みなさんお世話になりました! そしてごちそうさまでした! またお会いしましょう!


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2005年09月01日

東京都港区 甲斐良治 3日目

帰省3日目の8月17日は、役場の工藤君とともに熊本県旧清和村の前村長・兼瀬哲治さん(59)に会いに清和文楽邑へ。兼瀬さんは、1987年ころから本格化した「文楽の里」づくりに役場企画係長としてかかわり、91年「文楽邑」支配人に、99年には村長になった方です。これまで「増刊現代農業」では『帰農時代』(99年)、『地域から変わる日本 地元学とは何か』(01年)などにご登場いただいてきましたが、実際にお会いするのはこれが初めてです。

それどころか、私が清和村の土を踏むのも約20年ぶりのこと。当時「月刊現代農業」の野菜や土・肥料・農薬担当記者だった私が、同村在住の「自然農薬」研究家・古賀綱行さん(82)のお宅に何度かお邪魔させていただいたとき以来です。古賀さんは、取材が終わると、私や同行の画家・貝原浩さん(故人)に食べきれないほどの仕出し弁当をふるまい、「この弁当は『お芝居弁当』といって、昔、この村で農村文楽がさかんだったときの名残り。昔のディナーショーじゃな」と笑わせたり、村の小さな公民館に展示されていた文楽人形の頭(かしら)を見に連れて行ってくれたりしました。

清和村は、私が陸路帰省する際に利用する高速バス「ごかせ号」(福岡〜高千穂〜延岡)が走る村です。それ以来、清和村を通過するときには古賀さんのことや文楽のことなどを思い出しながら車窓の風景を眺めていました。

ところがその何年か後のこと、清和村通過の際に、突然私の視界に、立派な木造の「文楽館」の建物と道沿いに林立する「お帰りなさいフェスタ」ののぼりが飛び込んできました。「文楽が復活したのだ!」―そう思い、古賀さんに電話で連絡し、紹介してもらったのが当時・文楽邑支配人だった兼瀬さんでした。

兼瀬さんはユーモアとウィットの人。以下『帰農時代』にご寄稿いただいた文章からその片鱗をご紹介すると――

――清和文楽保存会の定年は80歳である。今、農家の若い人は兼業で勤めている人が多い。そのような保存会員は日曜日の公演にだけ出ている。40歳の人はこれから20年間そのようにして過ごして60歳で定年になったら毎日、文楽館へ通うことになる。これを「60歳からの後継者づくり」と言っている。60歳から80歳まで好きな浄瑠璃を聞き、人形を操りお客様との交流で楽しさと元気をいただいて過ごすことになる。

―― 元気になったおじさんおばさんである。そのおじさんおばさんに目をつけたのは昭和54年であった。今から20年前のことになる。茶飲み話で浄瑠璃のことをを話すおばさんたちがいる。「たいじゅうが…、たいじゅうが…」と話している。体重が重いのか軽いのかと思って聞いていると、『絵本太功記十段目』のことであった。太功記の太と十段目の十を取って他を省略してしまっているのである。

――農業はもともと融通のきくところがある、専業農家の保存会員は農作業の合間に駆けつけている。公演がある時、忙しい時期は早朝と夕方が大事な農作業の時間である。農業が出来ないでしょうと心配されるお客様には「農業は今、流行のフレックスタイム制ですから」と説明している。農村は都市の効率、迅速、膨張や高度は無いが安定、融通、継続の力があるといえないだろうか。

いま「文楽館」の来館者は年間1万人どころか3万人。「物産館」「レストラン」が7万人。
観光客ゼロだった村は「農村文楽」によって年間10万人を呼び寄せる村になりました。

――(文楽館建設に「こんな田舎の人形芝居を見に来る物好きなんているものか、いたとしても二度とは来ないだろう)と反対されて)「フト考えた。一度はお出でると思っている。一度は保証付きである。九州内の1500万人の人が1年に1万人ずつ来ていただけるとしたら、それは1500年かかる。1500年のうちには二度ぐらいはお出でるのではなかろうか。と考えたときまた一歩を踏み出したのである」。






清和文楽の保存会員は約20名で年間公演回数は260回。担い手のほとんどは兼業農家の60〜80歳。

文楽がさかんになったのは江戸末期の嘉永年間。春4月と秋9月の祭りを中心に伝えられてきたということですが、「猫の手も借りたい農繁期になぜ祭りの日をつくったのか」という疑問に兼瀬さんはこうも書いています。

――それは豊作祈願願成のためばかりではなかった。それは「農休日」であった。農村は一律の社会であった。つい最近まで農休日の旗が掲げられ一斉に休みを取るのである。豊作祈願は五分の建前とされた。後の五分は本音の農休日であったと思われる。じつは働きたいのだが神様の名を借りてその心までも縛って休みを取るのである。農繁期の疲れた体を労るひとつの知恵であったのであろう。

江戸末期に新しく祀られる神様が増え、また祭りと「遊び日」が増えたのは全国的な傾向のようです。農文協から発行されている古川貞雄さんの『村の遊び日』(解説・結城登美雄さん)に詳しく述べられていますので、ご関心のある方はぜひご一読ください。「遊び日」に禁を破って働いた村人への罰則なんてケッサクな話もあります(増刊『21世紀は江戸時代』でも紹介)。昔の人はやたら「生産力の上昇」なんて求めなかったのですね。

また兼瀬さんは「物産館」をつくるにあたって、隣県大分の「一村一品はモノカルチャーだ」と、「一村百品」をめざし、農家の蔵を調べたら「いまあるものだけで70品、あと30品は一息だ」と女性たちを励ましたとのこと。

清和村では、まず「経済活性化」ありきの村づくりではなく「伝統文化」「生活文化」の掘り起しが周年の仕事づくりにつながったようです。


文楽邑見学の後は、標高700mの「清和高原天文台」へ。グランドゴルフ場や「清和高原の宿」もある人気のスポットです(本当はここに一泊し、九州在住の増刊現代農業ライターのみなさんや、『若者はなぜ、農山村に向かうのか』に登場する山村NPOの方々と交流会をもちたかったのですが、すでに予約で満杯でした。来年はぜひ計画的にやりたいと思っています)。

(画像は「高原の宿」。兼瀬さんによれば、50名規模のホテルを建てようとすると最低でも5億円かかるけれど、こうした1棟1200万円のロッジ10棟で50名収容できるそうです)


清和村から工藤君の車で40分かけて高千穂に戻ると、待ち受けていた同郷の高山文彦さん(45)と居酒屋「手力」(たぢから)と、店名は忘れましたが田舎には珍しいカフェ・バー風の飲み屋で痛飲。高山さんは『火花―北条民雄の生涯』で大宅壮一賞・講談社ノンフィクション賞を受賞したノンフィクション作家で、最近は『水の森』『鬼降る森』などふるさとを描いた作品も多く発表しています。

画像は昨年夏、ハワイ在住で夏を高千穂で過ごす画家興梠義孝さんのアトリエで『鬼降る森』について話す高山さんです。


posted by LJ21 at 13:06| Comment(1) | TrackBack(0) | 宮崎県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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