先日、自称”料理マニア”のヨアンナと知り合いました。彼女は友人のお兄さんの奥さんで、母親がサルデーニャ出身、父親がオーストラリア人で、ミラノに住んでいます。ヨアンナと料理の話をしていたら、イタリアでも代々伝わる郷土料理を作る人がどんどんいなくなっているという話になりました。イタリアの若い女性で手打ちパスタができる人、フルコースを作れる人は20%に満たないといいます。
ヨアンナのお母さんは50年前にオーストラリアに移民として渡り、ミラノに移るまでの10年間サルデーニャ料理を作り続けたそうで、その意志の強さは見上げたものです。現在80歳のお母さんは、ミラノにいながらもやはり昔ながらのサルデーニャ料理を作っているそう。
「オリーブオイルのおいしい生活」という本を12月に出してから、「なぜ日本人の著者がイタリアの郷土料理の伝統を受け継いでいくのか疑問だ」という感想を頂きました。なぜそうなのかと言えば、ひとつは息子がいるからというのがあるでしょう。父親はイタリア人だし、子供がその土地の人間と関わって生活していくのだから、その人たちと同じ土地の食べ物を教えたいと思うのは当然のことのような気がします。もちろん、和食だって作ります。日本に帰国したらどんなに重くても、米、しょう油、麹、かつおぶしに昆布とまるで移民のように大荷物を持ってイタリアに帰ります。この間は土鍋も持って帰り、割れないようにと気苦労も多い旅でした。ダシだってインスタントには頼らないし、味噌も豆腐も自分で作ります。
もう一つは、昔ながらの文化が消えてしまうのはイタリアであろうと日本であろうと私の中で危険信号が灯るのです。動物的な勘かもしれません。ヨアンナのお母さんが作る、サルデーニャの一部の小さな村でしか作られていない貴重な料理を、80歳になったお母さんを見て「この人がいなくなったら、これらの料理は食べられない」とヨアンナが危機感を持ったのも心の底からよくわかります。
昔の人が作って食べてきた料理というのは生活に基づいたもので、「あるものを無駄なく使う」というものが基本です。「ないものはない」から補うための保存食を充実させていったわけです。日本で暮らしていた頃、生ハムと言えばホテルのレストランで食べる水っぽいメロンといつ切ったかわからない乾ききった一切れの生ハムというものでした。ローマに住んでいる時も、量が増えて新鮮になったとはいえ、やはり生ハムは前菜にでてくるかパンに挟んである一品でしかたなかったのです。それが田舎に暮らして生ハムを一本作り上げると、家に一本生ハムがあるというのがどういうことかようやくわかりました。削りカスや脂身など今までお店で買った時になかったものがでてきて、こういう部分は豆料理やトマトソース、煮込み料理など様々な料理の抜群の調味料やアクセントになることがわかりました。料理って、そうやってできていくものだと知ったのです。
そういう料理をもっと大切に残していきたいということで、ヨアンナと意見が一致してとてもうれしくなりました。
写真:ヨアンナと娘のアンニック。ヨアンナ手作りのパナーテ(豚肉、空豆、アーティチョーク、オリーブの実、乾燥トマト、イタリアンパセリ、の詰め物入りパイ)