今日のテーマは「食」とユニバーサルデザインです。ユニバーサルデザイン(以下「UD」)ってご存じですか?
全ての人にとって使いやすいモノ・サービス・制度などをデザインすること、
というふうによく言われますが、これではバリアフリーと何が違うのか
わかりませんよね?
言葉がある以上何か意味があるハズですが、今のところUDのほうが
広い概念とだけ申し上げておきます。
今回は、「食」をUDで斬ってみることで、UD的な考え方に触れて
いただければと思います。
ここではUDそのものについて詳しくは書きません。
関心のある方は
こちらをご笑覧ください。
(私が勉強会をやっていた頃の残骸です。「にいがたUD講」という
ーナーに、私なりの考え方を紹介しています。)
田舎料理って、実はUD的。旬の素材を使った田舎料理って、カラダにやさしいものですよね。
中には、都会から子どもが来るからとハンバーグやエビフライ、
大人には山の中なのに海のお刺身とか、そういう「おもてなし」
もありますが、田舎料理は元来カラダにいいものです。
というのも、その土地の人たちがつくったり、とってきたりするものは、
安全かどうか、いつが食するに適しているか、保存の工夫など、
その当人たちが一番よく知っているからです。
それに、人間のカラダって、気候の変化と旬の食材とでバランスが
保たれているようなもの。
だったら、そのカラダにやさしいものを食する=健康づくりとして
打ち出しているかというと、あまり見かけませんね。
「うちはやってるぞ!」という声も聞こえてきそうですが、具体的に、
何がどうだから、どんな人にとってやさしい、といった情報を添えていますか?
なんとなく安全・安心志向という人には莫としたもので十分かも
しれませんが、例えば、病気で塩分やカロリーを控えなければいけないとか、
アレルギー体質であるとか、本気でダイエットしてるとか、そういう人にとっては、
具体的な情報が伴わないと動機付けにはならないでしょう。
いろんなところで結構取り組まれているのに、それが、それを必要としている
人たちに届いていないとすれば、それはやっていないと同じことだと思うのです。
きちんと情報を届けるというところに、UD的な意味合いがあります。
情報を届けることで、食事のことを気にして今までお出かけに躊躇していた
人たちが出かけることができるようになるんです。
また、戦後の食料不足を知っている都会暮らしの方々は、
食べきれないほどの量を敬遠する向きもあるといいますから、大盛は善という
発想も考えなおしたほうがよいかもしれませんね。
もう一歩踏み込んで、今度は調理や提供の仕方でもUD。食材や調理の仕方などで要望があれば対応します、っていうやり方、
結構やっておられると思います。
新潟県のある農家民宿でも、お子様メニューはもちろん、離乳食・流動食、
きざみ食、スプーンを出すなどの対応をしています。
箸を使うのに困難がある人、口に入れる・かむ・のみこむといった動作に
困難がある人への対応です。
ハンディキャップって、何も手足の不自由さだけではないんですよね。
そのへんをわかっていらっしゃる。
このほか、薬効というと法律に触れる可能性もありますが、
気温が高いときには疲れをとるメニュー、サラリーマングループには
ストレス解消のメニューといった工夫もしています。
このように、大掛かりな改修工事をしてバリアフリーでございます、
というだけでなく、今日からでもできる取組がたくさんあるというのがわかります。
もちろん、その情報を発信するということが前提ですが、田舎の奥ゆかしさ(?)
でしょうか、やってるのに、やりますよって言わないんですよ。
やってますって言ってくれるだけで助かる人がたくさんいるということ、
わかってもらえたらなって思います。
UDの世界でも、東京も「食」をテーマにしたシンポジウムが開かれるような
時代になってきましたが、まだまだ、食器やパッケージの工夫といった、
見た目の障害への対応に終始するようなきらいがあります。
観光面ではUD的な発想がどんどん入っていく傾向にありますから、
グリーン・ツーリズムに代表される農業サイドからの取組がとりこまれていけば、
「食」に関してももっと広がっていくものと期待しています。
あっ、そうだ、もう1コ。非常時のUDについて。新潟も大きな地震を経験して、「非常食」がやさしくないということに
気がつきました。
パッケージにしても中味にしても、決して物理的に食べやすいものではないです。
これに着目して、新潟大学が研究レポートをまとめたり、商品開発する
企業が出てきたりと、取組が進んでいます。
このように、できる人ができる範囲のこと、どんなにちっちゃくてもいいから
積み重ねていくことで、「より多くの人が自ら選択して行動できる」世の中
になっていくと信じています。