2007年06月30日

月刊むすぶ編集長 四方哲 京都府京都市 6日目

本が売れない

「月刊むすぶ」は、そう簡単に売れる雑誌ではありません。

そこで各地の集会なんかへ行商に出かけます。たとえば産廃問題。関連の特集号や他社の関連本を並べます。集会の始まる前、中休み、終わり際に「産廃問題を取り組む住民運動の報告をのせています」と声を張り上げるのです。視線が合う、買って!買って!光線を発射。ついでにチラシも手渡す。

とにかく交通費プラスぐらいは稼がなくては!

書店では社会問題の本は売れないという。ロシナンテ社は、とにかく直接の関係を大切にして生き延びてきました。

仲井富さんのこと

仲井さんに初めてあったのは1995年の秋ごろだした。小柄な老人。1950年代から全国の住民運動の現場を回ってきた。生まれは岡山。一番最初の現場は、砂川闘争らしい。ボクなんかにとっては、もう伝説の話だ。戦後、米軍の基地に土地を取り上げられようとするのに対して地元民が立ち上がる。その反対闘争だ。

当時、権力の表現を文字通り暴力であったそうです。対する住民の武器は己の肉体のみ。工事を始めるため、敵はまず警察力で排除にかかります。座り込む住民をごぼう抜きです。流血もあります。

住民闘争のそんな現場を歩いてきた富さんはいいます。

「男はだめだね。お金をドガンと詰まれると、手が札束を掴んじゃうもの」

「そこへいくと女の人はお金では心は動ごかされないね。これまでの生活を大事にするね」

そんな仲井富さんの連載が、「月刊むすぶ」に載っています。是非、ご購読をよろしくお願いします。 バックナンバーのタイトル閲覧できます。

京都の夏

暑い。蒸し暑い。連日、30度超。座っているだけで汗をかく。

祇園祭もその昔、夏場に流行る疫病退散の祭りと聞いています。

京都は盆地で湿地帯だったからでしょう。

この時季、よく冷えてわらびモチを軽トラで売り歩く声がたまに流れてきます。家と家とが密集しているお家では、すだれやよしずが涼を誘います。

北のほうへいけば、まだマクワウリを作っている農家もあります。最近のメロンなんかに比べると素朴な味わいでボクは好きです。

暑い暑い夏が過ぎていきます。

ロシナンテ社が、誕生してこの夏で37年になりました。現在、専従は私一人です。決して商業ベースにはなりません。本当にコンビにで売れるようなレイアウトでもありません。読みやすい内容でもありません。それでも、各地の決してマスコミが十分に取り上げないような課題を取り上げてきました。1冊、1冊を売ってご飯を食べてきました。

この「今週の私」もあと一日、最後までよろしくお付き合いくださいませ。
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2007年06月29日

月刊むすぶ編集長 四方哲 京都府京都市 5日目

6月28日。

 いつもは、本の行商、集金、お話を聞いて回るなどで出歩いているのですが、今週はあまり仕事場を離れることはありません。夏場、外回りは中々つらいものです。まず暑い。特に関西の暑さは、まとわりつくように全身を包みます。

 京都市内の中心部に残る古いお家は、俗にゆう「うなぎのねどこ」です。奥行きを長くして風の通り道を作ります。そして外からは見えないところに小さな庭があります。今はどこの家にもクーラーがありますが、これがまた蒸し暑さを増加させます。

 夕方、印刷所に原稿・版下を届けるため自転車で走っていました。今、東山区の一番、南にいます。ここは、ちょっと行くと映画「パッチギ」の撮影があった地域です。在日韓国・朝鮮人の人達がおおぜい住んでいます。その地区の隣が同和地区になります。関西的な事情というのは、この同和問題をどう捉えるのかという点です。人権を考える市民運動の一つの分岐点になってきました。

 自転車で川端通を北上していきます。塩小路→七条→五条→と進みます。四条川端の南側にあるのが歌舞伎で有名な南座です。高校のとき、一度、見学会で入ったことがあるだけ。入り口にあるお店のニシンそばは美味しいらしいが食べたことはない。このあたりから東は八坂神社、西は四条大宮にかけてが京都で一番の繁華街になります。

 四条川端を過ぎると次は京阪三条が見えてきます。京阪電車の駅があって三条通に面しているから京阪三条といいます。京都の旧市街は碁盤の目のようになっています。X軸とY軸が縦横にあるようなものです。だから四条河原町といえば、四条通と河原町通が交差した場所を指します。

 三条京阪から少し走ります。京都大学が見えてきます。そして出町柳につきます。ここの北側にあるのが下鴨神社。ここの糺の森は、世界遺産です。

shikatasan2.jpg
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2007年06月28日

月刊むすぶ編集長 四方哲 京都府京都市 4日目

先月末まで中京区という京都のど真ん中で仕事をしていました。よく京都の町は碁盤の目のようになっているといわれますが、中京・上京・下京というあたりが方眼紙のような区割りになっています。「室町六角上る」などと表示するエリアがこのあたりになります。

今度、引っ越したところは、東山区の南の端になります。映画「パッチギ」の舞台になったところのそばです。

「パッチギ」で描かれたのは、在日朝鮮・韓国人に対する差別問題でした。古都・京都はその歴史ゆえに部落差別や在日の問題を根深く抱え込んでいます。

shikatasan.jpg新しい仕事場の近くに豊国神社があります。豊臣秀吉を祀った神社です。その鳥居の前に耳塚があります。その昔、秀吉の朝鮮侵略の際、敵の首を持ち帰るのが大変だからというので耳や鼻をそぎ落とし、塩漬けにして持ち帰ったそうです。その供養等です。

観光都市・京都といわれますが、私たちの歴史にはかならずもうひとつの事実があることを忘れていけないと思うのです。

華やかに見えることがらもちょっと視点を変えれば違ってきます。

私たちの生活と歴史は違うもの、身近なものとしては中々、過去の出来事を体感することは難しいとは思います。


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2007年06月27日

月刊むすぶ編集長 四方哲 京都府京都市 3日目

6月26日。
朝から事務作業。台帳の整理、請求書を用意する。

「本の行商」

行商をして北海道から沖縄まで回りました。

その際、交通費と宿を安く上げる必要があります。

宿 

どんな街にも1000円前後から3000円までの安宿はあります。

旭川

10年ほどまえ「大規模林道問題全国ネットワーク」の集りで

出かけました。

夕方、札幌を出発。夜、8時頃JR旭川駅前着。

(さぁどうしよう)

(あの辺がにおう!)

本を入れた段ボール2箱をキャリーに積んで前進。

簡易宿泊所の看板を発見。

「あの〜一泊いくらですか?」

「泊まれますか?」なんて聞かない。

こちらは、泊めろ!と思っている。

「1500円」とおばさん。

中へ入る。

蚕だなのような二段ベットが並んでいる。

きっとご同輩だろうおじさん二人が酒盛りをしている。


秋田

8年前。

戦争責任を問う証言集会で行商。

集会が終わり、駅前をぶらぶら。

(うん、こっちだ!)

駅から数分。

(におうぞ、におうぞ!)

(あった!)

名古屋駅前のサラリーマンホテルのような部屋。

一泊2000円。

2畳半ほどの部屋にベットとテレビがあるだけ。

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2007年06月26日

月刊むすぶ編集長 四方哲 京都府京都市 2日目

6月25日。
今日は月曜。土日と東京。宇井純を偲ぶ会に参加。
会場で本を売っていました。夜行バスで帰社。早朝、着。

今日は支払の日。午後から信州から知人が訪ねてくる。

話は変わりますが、先月の末、仕事場を変わりました。それで今日の夕方、机を一つ買おう思って何軒かお店を見て回りました。京都駅から西へ自転車で10分ほどのところにある量販店に入りました。
「いらっしゃいませ!」
広い店内から声が飛んできました。お客はボク一人。ある種の威圧感が漂っている。

「何をお探しですか」

「ちょと見せてください」

奥へ進む。少し離れて30代と思しき店員が説明しながらつく。このプレッシャーの掛け方、なかなか巧いと感じた。

売るという行為には実にいろんなスタイルがあります。

「月刊むすぶ」は、書店ではほとんど販売していません。まず売れない。ならばどうやって広めてきたか?

@全国に約1500人・団体の定期購読者がいます。

Aそして書き手の方やいろんな課題に取り組む方々のお力を借りて広めます。

Bもうひとつ、あります。それは行商です。集会を渡り歩くのです。

 つまりロシナンテ社の「月刊むすぶ」の広め方は、「直接」が基本です。確かに媒体としては弱いです。私たち市民運動系に近い「週刊金曜日」や「世界」で実売数は多分、2〜3万冊前後だと思います。こちらは、一ケタ下の2千部いくかいかないぐらい。でも負け惜しみではないですが(?)、出るところへ出れば、現場ではそれなりの浸透力はあります。37年出し続けてきたというのはそれなりにエライことなのだと感じるときはありますね。

 マスメディアは、情報流通産業です。お金になるテーマしか取り上げません。インターネットは、度々個人のむき出しの感情が飛び交います。そしてその仮想現実感のような世界ゆえの不健康さが生まれてきます。ロシナンテ社の仕事はこれらの世界の対極にあるのかもしれません。

お昼から信州の知人達と2時間半ほど京都の町を歩いた。観光スポットでは決して紹介されない小さなお寺や神社が結構あることに気がついた。これら寺社仏閣はその周辺の人達が永い時間をかけて守ってきた共同体の要(かなめ)なんだろうなと感じられる。多分、こういった場・空間に私たちの原点、健やかで決して変わらない人間らしさとどうしようもない私たちの差別性が同居しているのかもしれない。

 梅雨の時期から夏が終わるまで、京都はとにかく高温と湿度で、一年で一番過ごしにくい季節です。

今年もクーラーなしでがんばるぞ!



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2007年06月25日

月刊むすぶ編集長 四方哲 京都府京都市 1日目

むかし、「月刊地域闘争」という雑誌がありました。
(いまは、「月刊むすぶ」という誌名です)
昨年、亡くなった宇井純さんや各地の住民運動の担い手達に突き動かされ、1970年、創刊されました。
申し遅れましたが、私は、この雑誌を出し続けることのみを業としていますロシナンテ社の四方哲(しかた・さとし)といいます。
よろしくお願いいたします。

創刊されたころ、私はまだ小学5年生。
だから当時のことは何も知りません。
1984年からこの仕事をさせていただいています。
1970年代は、いろんな場で政治が身近なものであったのだと思います。そして高度経済成長の結果、全国各地に公害問題、被害が深刻化していった時代でもありました。本当に暴力的な被害が、地域住民を襲っていました。そして社会的少数者に対する差別はより露骨であった面もあります。とことん痛みつけられ、踏みにじられ、そしてその苦しみの中からようやく住民・市民が、立ち上がり、闘い始めるのです。

水俣病をはじめとする当時の社会的運動の歴史を振り返ると「闘争」という言葉の意味が伝わってくると思います。
大企業はとことん傲慢で、行政はとにかく責任逃れ。被害者がポツンと残され悲惨な生活を強いられていたのです。

でも見落とさないでください。この現実は一向に変わっていません。国家はどこもでも権力を振りかざし、市民・住民を管理・支配しつづけていることを、大企業はどこまでも自分さえよかったらと考えていることを。

この現実を少しでも良くするには、私たち一人ひとりが、とにかく声を出し続けること、参加することが大切なのだと思います。まぁこういう中から「月刊地域闘争」=ロシナンテ社はスタートするのです。

故・宇井純さんは、お会いする度に「食べれていますか?」と声をかけてくださいました。 この雑誌はなかなか売れません・・・
お金になりにくいということは・・・大変なことです。

「伝えること」「情報」などには、その時代の雰囲気や欲求というものが大きく作用するのだと思います。民衆?大衆?市民?とにかく私たちはとっても我がままで移り気で自分勝手です。それはインターネットの世界を覗けば一目瞭然。そんな世間に少数派の声をネットワークすることがロシナンテ社の生業(なりわい)です。とにかく儲かりません。

確かに今、環境問題は社会的に認知され、地球温暖化といえば誰もが少しは関心を持っている課題にはなりました。でも・・・この根っ子には、公害被害者の叫びがあったことを忘れてはいけないと思うのです。

世間のメインストリームになる前のささやかな問題提起の場が、ロシナンテ社なのです。そんな中でどうやって生き抜いてきたか、そんなロシナンテ社の日常を今週、お伝えできたらと思っています。


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宮崎県宮崎市 児玉健作 7日目☆☆

あっという間に最終日です。

おおよそ着物屋らしからぬ話をしていたような気がします(笑)

まだまだ書いてなかったことを思い出したりもしますが、これからも何らかの手段で発信していきたいと思っています。

さて、楽しいお知らせを。

今年で4回目になりますが、

『ニッポン全国きもの日和』

という催しが、11月3日に開催されます。
全国各地の着物ファンが、思い思いのイベントを同じ日にそれぞれの地域で開催するものです。既にご自分の地域で報道されご存知の方もいらっしゃるかもしれませんね。

これは、名目上「着物のファン」が主体となって毎年11月3日に開催される、という決まりだけが存在します。
日本中で同じ日に色々な所、この空の下に、着物を着る人がいたら面白いんじゃない?ということで始まりました。
ですから開催されない地域もありますし、たった1人でも2人でも「今日はきもの日和だぜっ」と着物をまとえば、それはきもの日和のイベントなんです。とても簡単、気楽でしょう?

宮崎にも実行委員会があるんですよ♪
昨年は古き町並みを残した港町「美々津」で。
今年は近代宮崎の山林王、後藤家を中心に賑わった町「高城」にて。

地域の伝統や、和文化の良いところを見つけ出し、小さい子どもからお年寄りまで誰もが楽しい!と言える町おこしに。
そう思って宮崎では、やっています。

皆さん、今の内から11月3日に目標をつくって、着物を着てみませんか?



「今週の僕」の思っていること。〆
さて、最後に書いておきたいことがあります。着物に関する、考えて欲しいこと、です。

「着る」という、衣服としての最も重要な根幹がありながら、この世に生まれ1度も誰にも袖を通されなくて、消えていく。

そんな運命を辿った着物たちは、数知れません。
今、日本の各家庭に眠る着物の総額は4兆円分ともいわれています。
ちなみに宮崎県の抱える負債は1兆円弱です・・・。
古本屋でコミックを売ったことのある方はご存知でしょうが、古着屋さんに売っても信じられないほど安く買い叩かれます。
価値を認めない人からは、荷物が減って部屋スッキリ。1,000円にもなれば御の字だ!と思われるかもしれませんが・・・。


私も、私の両親も、店でこう言います。

「着物を着ませんか?」

着物に興味をもたれた方には

「まずはタンスの中を見てみてください。お母様やおばあ様、
お父様やおじい様の着物が眠っているかもしれませんよ。」

と。

確かに、新しい消費を得られなければ、今の生産者の生き残りには益になりません。一般的に厳しいとされる今の呉服業界、消えゆく技術がどれほどたくさんあるでしょう。

しかし、思いを込めて作られたであろう数々の着物たちの行く末を思うと、そう言わずにはいられないのです。

呉服屋の決めゼリフに「置物は(笑)お着物は何代にも渡って着られますから、お得ですよ」などという言葉があります。
僕は、そんなのは商品に付加価値を付けてより高額で売るための、セールストークだと思っていました。
今も、そう思っていないわけではありません。
深く考えず、イメージだけでそう言う呉服業界人が存在するからです。

しかし、1枚の布として完成するまでに幾多の工程を経る着物、裁断され縫製され丁寧に仕上げられたそれが手元に届く、着て、解いて、縫い直されて、或いは染め替えられて、いつしか着用に耐えられなくなった頃、布としてまた何かに活用されついには消滅していく。

そんな使われ方をされていたという事実が、あるんです。

捨てられるために、パッチワークに売買されるために、洋服にされるためにこの世に生まれたわけじゃない。

着物には、一つのものを使い捨てではなく、ずっと使い込み大切にしするというある種の「モノ」の理想が、この国の知恵が、様々な思いや想い出と共につまっています。

呉服屋さんにセールストークを仕掛けられた時、その店員さんが洋服だったら是非聞いてみてください。
「なぜ、あなたは着物を着ていないのですか?」と。

もしあなたが着物を着ていて、それに後ろ指を差す洋服の方がいたら、尋ねてみてください。
「なぜ、あなたは着物を着ていないのですか?」と。

もちろん伝統衣装などという一方的なレッテルを貼られた「凍ったもの」ではなく「血の通った衣服」である限り、着ていようがいまいが個人の自由です。でも今の着物のあり方はとても不自由です。

営々と築かれてきた知恵の積み重ねと、家庭ごとの地域ごとの伝統なくして、ただただ洋服と比べるのはあまりにも、分が悪い。
悲しいかな、憂うべきかな。


7日間にわたって僕がここで書いたことを、少しでもあなたが覚えていて
いつか凛とした、あるいはとてもリラックスした、キモノの面白さを知っていただけることがあれば、何よりも幸せです。

また、どこかでお会いしましょう。

2007年6月24日 宮崎市 染織こだま店員 児玉健作

蓮屋 hasunoya http://hasunoya.atukan.com
はすのやにっき http://ameblo.jp/hasunoya/


メッセージ、コメントお待ちしています。


ご紹介いただいて日向時間テツロー様、朝田様、読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。また明日も頑張れます。
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2007年06月23日

宮崎県宮崎市 児玉健作 6日目☆

着物と時間というところから本日は始めたいと思います。

着物を着用するのにかかる時間はどれくらいでしょうか?

僕はその時々によって違う、といいますか変えているのですが
おおよそ1分〜8分程度です。
急いで出かけるときなどは、パッと着物を羽織り帯を締めて出ます。
冬はそれでは寒いので、足袋やら羽織やらマフラーが加わり3分ほど。

スーツを着て出かけるときと、そんなに大差は無いです。

では、変えているとはどういうことか。

それは

あえてゆっくり着る時があるということです。

丁寧に襟元を合わせ、着物をなるべく自然な形に体に沿わせます。
帯は、着物の要ですので腰に(いわゆるくびれの部分ではなく腰骨)馴染むようしっかりと締めます。
そんな時は大抵袴を着けるときですが、袴もまた腰を支えるものとして、丁寧にしっかりと身に着けます。
そうしている間に、気が引き締まってくるのが感じられます。

気力を充実させたいとき、敬意を払いたい誰かにお会いするとき、
また着る時間そのものを利用してリラックスしたい時。
僕はゆっくりと、ゆっくりと、着物を着ます。

着物(和服)を「スローウェア」と呼ぶ根拠の一つでもあります。
着物を着用する、或いは帯を結ぶ早さを競う大会などがままありますが、スローであることの意義を手放しているような気がして、ちょっと重いため息をついてしまうことも。

また、1枚の着物。高価なもの、安価なものどちらもあります。
3000万円とされるものも、50円とされているものもあります。
どちらも「お着物」と呼ばれる存在。

中には、実に2桁にも及ぶ工程を経て、何人もの手を巡り、気の遠くなるような作業の果てに完成されるものもある着物です。
その時間、技術への対価ということを考えたとき、それが素晴らしい工芸品であり美術品だと認識されたとき、高級着物は「適正価格」を付けられることがあります。

時間への対価、という意味。それは製作の工程においても、着物のスローであることの裏づけになることでしょう。

あえて書きますが、それを殊更に喧伝し利幅をいや増しに増やす業者がいることも事実です。職人に対して値切ることはいくらでもするのにね。

もう一つ着物をスローウェアという根拠ですが、これは時間の質を変えるということ。同じ日に同じ場所で、洋服・和服を着て行動するときに違いが生まれるのです。

秋、次第に突き抜けるよう高くなりだした空には、ポカンと浮かぶ月。虫の声が、風吹き抜ける植物の擦れ合う音。遠く聞こえる波濤。

この質を高めることが出来るのは、そのものを感じ取れる人であること。土と共に、海とともに生きている人です。

それを助けるのが、家であり調度であり、食膳であり、そして衣服です。衣・食・住の三者をもって、時間の流れをゆるゆると緩めることが出来るようになります。

既に、それを体感されている方も、多いのではないでしょうか?

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2007年06月22日

宮崎県宮崎市 児玉健作 5日目☆

着物で旅する男、児玉健作でございます。

自分の好きなことを凝縮していったら、いつの間にか「着物で歩いて旅をする」になっておりました。

徒歩の旅は、自分の体を酷使するという側面もあってか、普段とは比べ物にならないほど「人間以外」のものが沢山見られます。
それを写真や絵画に写し取る術を持たない僕は、ただただ感じるままに心を巡らせるばかりでした。
驚くほどにあらゆる生き物の生死の有様を見て、自然災害の傷跡に直面して、過去の遺産に心を揺さぶられて、
今を生きる見知らぬ人々と言葉を交わし、「この世は常に生と死の明滅で形作られている」という心境に至ったものでした。

暑い日は川縁に体を休め、湧き出る清水に浸した手ぬぐいで汗を拭い、雨の降る日は雨の音を全身で聞き取り、暗い山の中では人ひとりの弱さを知り、賑やかな街の中では普段の暮らしを、まるで違う者の目で眺める。

ある意味で自分を異界の者と成す故に感じた多くの事象は、僕の死生観や自然観をかなり変えてしまいました。

身の程を知る、とはネガティブなイメージが付きまとったりするものですが、正に逆の、良い意味で身の程を知ることの叶った旅でした。



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2007年06月21日

宮崎県宮崎市 児玉健作 4日目☆

tabi01.jpgさて、第4日目。コメントいただいた中に着物の機能性の
話しがありましたので、その辺の画像をちょっとだけ。
この画像は、宮崎県を縦断する「ひむか神話街道」を歩いて旅した時のものです。

tabi02.jpgこれは愛用の地下足袋です。内側がメッシュ素材になっていまして、ウォーキングなどのスポーツ用に開発されたものです。ネット通販で買えます。

tabi03.jpgえー、着物にはよく見かけるカタチは四角い袖があって、肩から足元までストーンと下りたものだと思います。ところが、腰丈・膝丈の着物というものも昔からありました。一時期話題になった「ミニ浴衣」など、一休さんのサヨちゃんが着ている位の丈ですから、目新しいものではありません。

この丈が半分のものを「半着(はんぎ)」といいます。

前述の長い方は「長着(ながぎ)」と呼びますから、そのまんまです。
その「半着」ですが、袴の下に履いたりする時は、嵩張らず便利です。かつての野良着も、近いものがあったかと思われます。袖の形状は「船底(ふなぞこ)」、機動性第一です。

もう1点の方に目を向けていただくと、これはバッチョと呼ばれる笠の一種です。
漢字では番匠と表すようです。棕櫚の皮や竹で拵えた物があります。宮崎の土産店には400円位から置いていたりします。
雨の日も視界を遮らず、かつ両手が自由になります。
頭と笠の間に空間もありますので、蒸れたり熱がこもったりしません。
実に理に適ったアイテムを先人は生み出していたものです。
よく時代劇などに登場する菅笠も、雨が降れば水分を吸って膨らみ、かえって防水性が高まるものです。
まあ、難を言えば強風には弱いところがあります。

tabi04.jpg
最後に、ここは宮崎県西都市の寒川集落です。
近年しきりにメディアに取り上げられるようになった「限界集落」。
その終着点です。詳細は映画になっていますので、サイトを見てみてくださいね。
映画「寒川」公式ウェブサイト ※注 寒川は(さぶかわ)と読みます。

これらの画像で、おおよその僕の旅姿を見て取っていただけたでしょうか?
着物も色々、あるんです。

僕はかつて、自転車、二輪、四輪またはバス・電車・飛行機といった
速い旅・早い旅をしてきました。
ある時など、宮崎を夕方に出て翌朝奈良に到着という自動車旅行。
もちろん、途中の景色や名物、人との出会いなど有りはしません。
ただズワーッと続く夜の高速道路・・・。
やる度に「もうこんなアホなことはしないぞ」と思うんですよ。

そうして気づいたんです。旅はその過程こそが面白いはずだ、ということに。
人は、人が動く速さ以上の旅では、沢山のものを見落としてしまうし、
速さを競う旅では見えてこないものもある。

だから、「物見遊山」
をキーワードにして旅を、徒歩の旅をするようになりました。

キャッチフレーズは「時速一里の歩き旅」

これをスローツーリズムと呼んでも、いいでしょうか?
さて、明日5日目はスローな服とスローな旅の邂逅。
「歩き旅」のお話を予告いたしまして、4日目の〆といたします。






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2007年06月20日

宮崎県宮崎市 児玉健作 3日目☆

第3日目です。着物暮らしがどうスローライフと関わるのか、前回の最後で少し触れました。その中で、自分が実際に感じたところをご紹介していきたいと思います。

◆四季の移ろいを感じる
 春夏秋冬それぞれの時期に応じた素材や形式別の着物があり、それぞれの組み合わせにより季節を味わうことが出来ます。また、柄や模様・小物によって季節感を演出することは着物の大きな楽しみの一つです。
例えば、四季を通じて好まれる桜ですが、花見のときの桜模様は格別ですし、七夕のときの星をかたどった小物。中秋や仲秋の観月の折に、ウサギの模様など。最近ではハロウィンやクリスマスにちなんだ柄なんかもあったりして、コーディネートの妙を楽しませてくれています。
その時そのときの「らしさ」を意識することにより、自然や気候・また文化との調和を体感することが出来て、無理のかかった「季節外れ」すなわち人工的な、旬以外に供される食べ物ではなくその時期のものを愛でることにより自然との一体感を味わえます。

◆古人の知恵を受け継ぐ
着物に親しむことと、切り離せないのが日本の伝統的な「知恵」との接触です。おばあちゃんの知恵袋や、最近では「風呂敷」のようなエコロジーとされる工夫も、着物暮らしではいち早くその生活に取り込んでいます。便利なものは、例え着物から離れたとしても、いつしか身に付いた知恵になるものです。
身振りや仕草、作法といったものも特に習い事をしなくても自然と身についてきます。これはちょっと自分でもびっくりするぐらいでした。
不便さを嘆く前に、それを越える知恵を磨くことが出来るのも、思わぬ収穫になることでしょう。

◆歩くこと
 着物は歩きにくいという先入観があるようです。総じて活動的ではない、と。ここでビシッと反論しておきましょう。
着物を動きにくいものにしてしまったのは、近代に、いやここ50年ほどの着物文化に原因があります。結論から先に申し上げますと、
「着物を着ていても野球ぐらいは出来ますよ」
というところですね。
ちょっと逆説的な話になりますが、昔(明治以前くらいですか)の人は、皆おとなしくきちーんと端座して、お行儀良くしていたでしょうか?
そんなはずはありませんよね。自然を友としながら、それぞれの地域で働いて、涙して笑って、時に喧嘩もしながら、生きていたはずなんです。



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ラベル:着物 季節
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2007年06月19日

宮崎県宮崎市 児玉健作 2日目☆

第2回目です。前回、突然の着物熱にかかってしまった貧乏男子大学生が、いかに着物を手に入れるか〜、というところで終了しました。その顛末を述べまして、当世着物事情から話を進めましょう。「スローウェア」とどういう関わりがあるのか、いずれのお楽しみに。

お金の無い学生のこと、帯も着物も履物も、まず持ってはおりません。手に入れたいとは思うものの、呉服店は金額も敷居も高そうだし、浴衣を買うほどの金も無い。
書店にも資料は無し、苦肉の策で当時普及しつつあったインターネットを使い、情報を集めました。ところが、「男の着物を格安で手に入れる方法」はどこにも無かったのです。(もちろん今はこの頃よりも遥かに情報は増えていますが)
やっと見つけた2、3のサイトで調べて発見しましたのが「骨董市」。確かにこれなら古着もあるはず!早速京都は東寺の弘法市へと足を運びました。選び方すらもわからない中、とにかく店のおじさんおばさんに聞きまくって1枚の麻着物を入手したのです。お値段は忘れもしない5,000円ナリ。
帯は実家から祖父のものを送ってもらい、履物は500円くらいの一番安い雪駄を。襦袢は、当時雅楽を習っていた関係で半襦袢がありましたのでこれを流用。こうして何とか一通り揃えて、僕の着物ライフは始まったのでした。

着物を着始めて、何を感じたか。季節の移ろいか、日本の心か、いやいやこれが羞恥心だったのです。やけに通りすがる人々がこちらを見ているような気がしまして、何とも恥ずかしい気持ちがありました。
今にして思えば、これは自意識過剰であったような気もしますが、いっちょう着物を着てみようと決めた男は、結構誰しも通る道なんですよ。それが故に着物に今ひとつ踏み込めないという諸兄の話も聞きます。
さて、その後のことを少し。祇園祭デビューを着物で果たした後、それからは古着を扱っている店が不思議と目に付くようになりまして、リサイクルショップや骨董市、または着物専門の古着屋を回りました。
ちょっとずつちょっとずつアイテムを増やし、それと同時に秋は紅葉・・などと決めて色々な場所を散策しました。それまでも訪れていた古寺や名勝が、まったく異なった光を放つように感じられたのは、意図しなかった喜びでした。

当時手に入れた最も安価な着物は、ウールのアンサンブル。着物は50円で羽織も50円。まったく笑ってしまうくらいの値段です。しかし、需要が無いものは、この値段でも売れはしなかったということなのでしょう。在庫は豊富でした。もっとも、今は同じ店で30倍!のお値段が付いていたりします。それが安いか高いかは、人それぞれでしょう。
そんなこんなで、まったくの呉服屋稼業とは対極に位置して着物に親しむことになった僕ですが、今の呉服業界であるとか着物ファンである方々の動向というものは、大変面白く感じられます。
多くの方が思うような、堅苦しい「日本の伝統と高級感」の世界がジワジワと変化してきているのです。
もちろん、2006年夏にちょっと話題になった、悪質な販売方法をとっていた巨大チェーン店の倒産に象徴されるように、まだまだ高額商品押し込め路線は、残念ながら健在です。もっともそうでないお店が増えたことが、大いに励みになるのですが。

ちょっと脱線してしまいましたが、「着物」の価値観が変わってきていることが言いたかったのです。何かあったときや人生の節目に着るものから、普段に個人の楽しみとして選択できるものへの変化。衣装としての着物が衣服としてのそれとして復活しつつあります。

これを僕は、自然とともに生きるスローな生き方と切り離して考えることが出来ません。着物を着ると、自然歩く時間が増えます。自家用車に乗って走る時速4、50kmの視点から時速4、5kmの視点へと変わっていく。
そこには、きらめく様な世界が広がっていました。季節を感じ、大切に培われてきた伝統、知恵を自らのものに成していく。
まったく素敵な生き方があったもので、そこをもって「スローウェア」と呼ぶには十分すぎるような気がします。
こんな現代の着物暮らしを通したスローライフ、これを明日のテーマにしたいと思います。

蓮屋 hasunoya http://hasunoya.atukan.com
はすのやにっき http://ameblo.jp/hasunoya/
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2007年06月18日

宮崎県宮崎市 児玉健作 1日目☆

kodamaはじめまして。児玉健作と申します。
この度1週間のお時間をいただき、「今週の私」をお届けいたします。
さて、簡単に自己紹介申し上げます。1980年2月生まれ、宮崎県
宮崎市で高校まで過ごし、4年強を奈良に。
その後故郷へ戻り、3年間をサラリーマンとして企業で働きます。
ただ今家族で経営する和服の小売店で、2007年春より勤務。
地域振興をライフワークとして、楽しく元気な地域づくりを日々考えています。
趣味は徒歩の旅、性格は「石橋を叩かずに跳ぶ」タイプです。
しばらくの間、お付き合いのほどよろしくお願いします。

さて、僕がまず取り上げるのは「衣・食・住」のうち「」です。スローライフが支持され、LOHASが求められる中、食への関心や住まい、或いは自然と共にある暮らしへの志向は高まっています。
ところが、日本に暮らすものにとって文化としての衣、ここで取り上げます「和服」の価値や効能というものが見落とされている気がしてなりません。
そこを『スローウェア』という言葉で語っていきたいと思います。

まず、僕自身の着物との接点を簡単にご紹介して1日目の話題といたします。着物、つまりは和服を着用するようになったのは2001年の夏からです。当時近畿地方で暮らしていたのですが、ちょうど祇園祭が近づく頃。そうですね、季節としてはこのブログを書いている今くらいでしょうか。「突然着物が着たくなった」のです。もっとも、奈良という懐深い土地に住むようになったのが「奈良京都という歴史と文化財の宝庫を堪能するには、住んでみるのが1番と思った」からで、したがってその土地の風情を味わう上で着物をまとった方が、より深く楽しめると感じていたので、ある意味ではそれは必然だったのかもしれません。

僕は実家がいわゆる呉服店だったわけですが、それまで着物に親しむといえば夏の浴衣か正月の着物、成人式の着物ぐらいでした。それでも他の人より少しは着た回数も多かったでしょう。しかし成人式の頃、1人で着ることなんてとても出来はしません。まして着物が生活の一部になり得るなんてまったくの予想外。かけらも考えていませんでしたね・・・。

そういうことで、急に着物が着たくなったものの、季節は夏。浴衣の他に夏の着物もあるのかな〜くらいしか考えていなかった身としては、「何から手をつけていいかさっぱりわかりません!」という状態です。
呉服屋の息子だからそれくらいわかるだろう、などと言われるかもしれませんが、興味関心が無いということは、たとえそれが家業のことであっても理解しようという気も無いのですからどうしようもありません。
実際のところ、身近に呉服屋さんのお知り合いがいらっしゃる方は、普段からその方が和服を身に着けていらっしゃるのかどうか、気に留めて見てみるか、姿をちょっと思い出してみてください。

というところで第1回はここまで。明日はいきなり壁にぶつかった僕がどういう行動に走ったか、そして冒頭にて触れました『着物の効能』について書いていきたいと思います。

まず読んでいただき、ありがとうございました。

蓮屋 hasunoya http://hasunoya.atukan.com
はすのやにっき http://ameblo.jp/hasunoya/


ラベル:着物 宮崎
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2007年06月17日

新潟県十日町市松之山 田辺慎一 7日目

 今日で最後となります。機会をいただいたことに感謝しつつ、初日を含め2日もアップできなかったことを反省しつつの1週間でした。お誘いいただいたLJ21の朝田さんには、あらためてお詫びいたします。

 いつも何気に書き始めるのですが、振り返ってみると生き物のことばかりとなってしまいました。キョロロでの仕事は松之山の自然があってこそ、そして、私や家族の生活も、まわりの豊かな自然から数々の恩恵を受けています。

 豊かな自然やそこから私たち家族がいただく恩恵も、松之山に暮らす人々からのおすそわけ。今、そう感じる自分がいます。豊かな自然は、松之山のかけがえのない財産であることは間違いありません。しかし、それ以上に、その自然を利活用する術や知識をもつ地元のおじいちゃんやおばあちゃん、おとうちゃんやおかあちゃんたちこそが最大の財産。いつのころからか、そう感じるようになりなした。

 松之山には、森の仕事をこよなく愛する若き男がいます。彼は今年高校1年となりました。森林組合で働いていた彼のおじいちゃんには、チェーンソーの使い方や目立ての仕方、薪の割り方など、一から教えてもらいました。彼はいつも直球勝負、熱い男です。ナタの使い方や研ぎ方、チェーンソーの使い方などをとても楽しそうに話す彼を、かっこいいと感じます。

 キョロロは、地域振興の拠点となるべく奮闘の日々を送っています。地域振興には、よそもの、わかもの、ばかもの、の視点が重要との話を昨年聞く機会がありました。今回書かせていただいたブログは、よそものでわかもの(?)の私が、地域の視点を意識してつづったもの、と思います。地域には都会の視点も重要ですが、反対に現代の都会には地域の視点が重要と感じています。私は、地域のものでも都会のものでもありません。ばかものの視点も漠然としています。が、そんな研究員が、失敗しながらも、まず行動し、試行錯誤していけるキョロロに感謝しています。

 人の縁とは不思議なもの。今後もそんな縁に期待しつつ、終わりにいたします。ありがとうございました。
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2007年06月16日

新潟県十日町市松之山 田辺慎一 6日目

 松之山には、若きマムシハンターがいる。今年、中学3年になった彼は、小学生の頃すでに大人にひけをとらないハンターであったと聞く。キョロロに来て間もない頃その話を聞いて、また実際にその若きハンターに会って話をして、こりゃ自分でもとらなければならんなぁと漠然と思っていた。

 松之山で暮らし、キョロロで仕事をしていると、生き物について人生初めて経験することがなんと多いことか。見て、聞いて、嗅いで、触って、食べてと、まさに五感で感じることだらけだ。普通、ある生き物について、食べることまで経験することは少ない。マムシ、ハチの子、うさぎに関しては、それぞれで五感を使うこととなった。

 マムシに出会うときは、突然やってきた。昨年8月、ブナの芽生えを調べているときだ。がさがさしたので、またウサギかと思ったが...振り向いたとたん目と目があってしまった。彼(?)は逃げた。私はというと、正直なところ、めんどくさいと感じてしまった。疲れているし、暗くなる前に作業が終るかどうか焦ってもいて、森の奥で人里から離れているし、袋もないし。しかし、身体が勝手に追い始める。それからは、どうやって捕まえるかしか頭にない。彼は、ときどき止まっては威嚇する。

しゃー。

mamushi.jpg

とはいわなかったが、ほんとに聞こえた気がした。とぐろを巻いたとき、身体がえらく太くなっているのに気がついた。チャンスと思い写真に撮った。撮りながら、ハッと気づくとかなり近づいていた。危なかった。こんなことで噛まれたら、あまりにも情けない。彼は、また素早く動き出す。私は手ごろな枝を捜しながら追いすがる。先端が二股に分かれた枝を見つけた。勝負に出た。足で上半身のどこかを踏んで、一気に頭を押さえる。やったぜ。でもそこから手に取るまでが一番緊張した。頭は枝の下だが、うまく指が入らない。枝をゆるめるのは怖いし、でもそうしないと捕まえることができないし。悶々とした時が過ぎる。その後あっさり手づかみできたが、見ると彼の顔はかなりひしゃげていた。

mamushi2.jpg

思わずというか、当然というか、押さえる手にかなり力が入っていたようだ。でもしぶとく生きており、はじめてのマムシ捕獲は無事に終った。時計を見ると、30分ほど。短かったのか、長かったのか、感じとしてはどちらでもなく。その後は、ザックにマムシをいれ、ブナの調査を続けた。


 その約一ヵ月後。件のマムシを食べた。それまでは、浅めに水を張った2L焼酎のペットボトルに入れて、身体の老廃物を出させておく。皮のはぎ方や食べ方は教えてもらった。先生は、キョロロスタッフの一善師匠。これが心臓で、胆のう(いわゆる肝)で、と皮をはぎながら教えてくれる。さばき終わったマムシを見ていると、いきなり胆のうを飲み込む師匠。

mamushi4.jpg

mamushi3.jpg

心臓はやる、と言われて、まだとっくんとっくんしている心臓をおし頂いた。口の中で転がして味わいながら、飲み込んだ。感想は特になし。内臓はフライパンでいため、塩を振って食べた。いためている内に油が出てきて、かなりジューシー。これはうまかった!

 今年の3月、野兎追いに参加した。打ち手さん8名、追い子さん12名。長くなるのではしょるが、打ちし損じたウサギが、なんとこちらに逃げてきた。そりゃっと捕まえて、耳を持ってぶら下げていたら、その内おとなしくなった。ふっと、気を抜いた瞬間逃げられた。逃げていく先には、地元の追い子さんがいる。捕まえると、すぐに近くの木の太い枝に頭の後ろを打ち付け、さっとまた歩き出す。反省。捕まえにきたのに逃げられるとは。はっきりと目に焼きつけた。
 
 夕方からの反省会には、ウサギ尽くしの料理が並ぶ。うさぎ汁、焼肉など、どれもおいしかったが、背肉の刺身は絶品だった。獣肉はいろいろと食べてきたが、これが文句なく一番。血抜きもしていないのに生臭くなく、たんぱくながらも滋味があり、やわらかくて、ウサギがこんなにうまかったとは。
 
 ハチの子を捕まえて食べるのは、キョロロに来る前も何回か機会があった。ので、省略。

 今、私にとってマムシやウサギは食べ物だ。外でマムシを見つけたら絶対にとってやる、と思っている。ウサギはかわいいだけでなく、おいしい生き物。背肉の刺身が頭に浮かぶ。

 いまのご時世、うまいものがたくさんある。しかも簡単に手に入る。別にマムシやウサギを食べなくても良いのです。ほんとにそう思う。しかし、自分の中で自然の見方が変わった、というか、「食べる」という視点がドカンっと強くなったことで、マムシやウサギなどに対する興味や関心が非常に大きくなった。自然は食べ物の宝庫。里山の自然は、特にそうだ。息子たちや娘にもぜひ食べてもらいたいし、できればその前に、探して、見て、聞いて、においを嗅いで、触ってというプロセスを経験してもらえればと思う。間違いなく、これらのプロセスを踏んで食べるのが一番、と実感しているのです。

 キョロロには、今年4月からカタツムリの研究者が加わった。カタツムリはうまいのか?一番うまいカタツムリは?料理法は?タニシもぜひ食べてみたい。松之山でカタツムリを食べたという話は聞かない。ここでの伝統や暮らしの知恵に学びつつ、カタツムリなど松之山の新たな食材の可能性を探るのも、キョロロの大事な使命。というか、機会あらばもれなく食べる。キョロロにいるとそうするようになってしまうのでした。
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2007年06月15日

新潟県十日町市松之山 田辺慎一 4日目

美人林.jpg
 松之山には、年間数万人もの人々が訪れるブナの森がある。その森の名は、美人林。ブナの立ち姿があまりにも美しいことから、誰ともなくそう呼ぶようになったとか。原生林ではなく、80年ほど前に伐採された後、自然のおもむくままに育ってきたブナ林だ。ブナは、たくさん種をつける豊作年が数年おきにやってくる。豊作年以外は、ほとんど種がならない。そもそも花が咲かない。美人林は、伐採される前年か数年前に豊作年があったと聞く。美人林の美しい所以は、整然と並んでいるほっそりとまっすぐに伸びたブナにある。伐採後たくさんの芽生えが一斉に光を求めて背比べをしていたら、現在の姿になったようだ。あまり知られていないが、美人林の奥のほうに、美人林よりも古いブナ林がある。私は、美熟女林とひそかに呼んでいる。

 ブナは、働き者だ。春になると、樹木の中で一番早く葉をつけ、秋には、一番遅くまで葉を残している。ブナ林は、緑のダムと呼ばれるほど、保水力が高いといわれる。保水力の定義もあり、科学的に信頼できるような広範に調べたデータはないようだ。昨年、ふと思いついてブナ林の地面に、落ちていた枝を刺してみた。ぶったまげた。ずぶずぶずぶずぶと刺さる刺さる。80cmくらい入ったはず。スコップでざくざく掘ると、地面から20cmくらいは、分解途中の落ち葉がミルフィーユのように重なっている。まさにスポンジ。見るからに吸水力は高そうだ。ブナ林を歩くとふかふかしてとても心地よいが、その真相みたり、の瞬間であった。面白いのでついついやってしまい、気がつくとブナ林を通る散策路のあちこちに枝がそそりたって...実は、今日もやってしまいましたが、今度からは抜いておかなくては。

 ブナはどんぐりをつけるブナ科の樹木で、ミズナラやクリも同じ仲間だ。ブナ科の樹木は22種あるが、その中でもブナの実はおいしい部類に入る。実際、生で食べてもなかなかおいしい。反対に、ミズナラのどんぐりは、あくが強くてとても生では食べられない。ブナの実が生でもおいしい秘密は、どんぐりが含むタンニンの量にある。タンニンは、渋味や苦味の成分であり、身近なものでは、お茶、ワイン、柿やアクが出る山菜などに含まれている。ブナの実は、まったくタンニンを含んでいないのです。

 ちなみに、ブナの芽生えも生で食べられる。松之山の人々は、このブナの芽生えを「ブナもやし」と呼んで、昔から食用として利用してきた。ゆでてわさび醤油で、あるいはゴマ油でさっといためて食べるなど、調理の仕方はいろいろ。子葉の部分に栄養がつまっているので、双葉が開く前までが食べ頃です。

 人が食べてもおいしいブナのどんぐりや芽生えは、他の生き物たちにとってもごちそうだ。どんぐりは、クマ、鳥、ネズミや様々な虫たちなどに食べられ、そして芽生えは、ウサギやネズミたちがこぞって食べている様子。ブナの身になってみれば、子どものブナが育たないのは大問題だが、そこはブナもやられっぱなしではない。前述したように、ブナは数年に一度しかどんぐりをつけない。この豊凶現象は、実は他の生き物に子どもが食べられないためにブナがわざとやっている、と考えられている。

 実際、豊作の年には、さまざまな動物たちの攻撃をすり抜けて、生き残るどんぐりの割合が増加する。一昨年、松之山ではブナの実が大豊作となった。昨春、ブナ林の地面は、芽生えの絨毯で覆われていて、足の踏み場がないとはこのことか、と思うほど。十年に一回といわれるこのチャンス。うおーし、いっちょやってやるか。昨年からキョロロの森でブナの芽生えの調査を始めた。合計3000本ほどのブナの芽生えの一本一本に、番号のついた針金をたてて、月に一回、生きてるいるか、枯れてしまったか、何に食べられたか、などを調べている。今は本数がかなり減って楽になったけども、最初は想像以上に大変だった。つらかった。一日中、カの攻撃を受けながら地面に這いつくばって、夢中で芽生えとにらめっこしていると気配が消えるらしく、すぐ後ろまでウサギがやってきても気づかない、なんてこともたびたびあった。

 他の調査例と比べると、昨年、ブナの芽生えが生き残る割合はかなり高い結果となった。まだ数年は調べる必要があるけども、豊作とかなり関係がありそうだ。人間を含め、動物は動いて逃げることができるけど、動けない木々たちは自ら「豊作年」をつくることによって、食べられないように逃げているのかもしれません。樹木と他の生き物たちとの関係は、考えれば考えるほど面白くなってくるのでした。調査やめなくてよかったぁ。
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2007年06月13日

新潟県十日町市松之山 田辺慎一 3日目

今日は生き物のお話です。

松之山は生き物の宝庫だ。
クロサンショウウオ

kurosan2.jpg 

モリアオガエル

kaeru2.jpg

タイコウチ、シナイモツゴ、カジカガエル、トノサマガエルなど、他の地域では希少種や絶滅危惧種に指定されている生き物たちが、ここではごく普通に暮らしている。以前、水生生物の研究者に、モツゴやメダカをキョロロで飼育している生き物のエサにするときもあるといったら、予想通りとても驚かれた。また、反対に、地元の人に、これは絶滅危惧種でとても珍しいんですよ、といったら皆うへぇーという顔をする。
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2007年06月12日

新潟県十日町市松之山 田辺慎一 1・2日目

 人口3000人弱、65歳以上の方の割合は42%。平均積雪3.5m、棚田とブナ林に囲まれた世界有数の豪雪地、松之山。「森の学校」キョロロは、そんな地域の博物館として5年前に建てられ、私は、キョロロの研究員として、昨年の4月松之山にやってきました。
 人の縁とは不思議なもので、今、そのことを実感しながらこのブログを書いています。日付は12日になってしまいました。2日目となったこの文章を含め、残りの6日間、松之山でいただいたご縁に感謝しつつ、松之山のこと、キョロロのこと、そしてここでともに暮らす家族のことなどつれづれに書いていこうと思っています。
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2007年06月09日

宮崎県日向市 川崎修 5・6日目

申し訳ない(泣)
一日空けてしまいました。せっかくコメントいただいていたのに・・・。

昨日と今日は、お隣、延岡市で「ISO9001/14001」の内部監査員講習会があり、そこで受講していました。ひさしぶりの「座学」しかも、丸一日、2日間。ひとこと「ひんだれた〜〜〜〜」です。

※「ひんだれた」=宮崎の方言で「大変つかれました」の意

ブログを更新する気力ありませんでした。見事な3日ボーズです。

さて、今日は昨日いただいたコメントのうち、高千穂の友人「藤木テツロー」君のことを・・・。

彼との出会いは、もう1年前でしょうか?私が以前つとめていた菓子屋で、お店のギャラリーがあり、そこで「ツバルの光」写真展をやってもらったのが始まりです。それ以前に宮崎県情報を発信している、「パワナビ」の代表者である「藤木くんていう、若者がいる!」と話しを頂いていましたが、そのときはコンタクトできず、雑誌「日向時間」を主宰した若者として、どんな強者?という正体不明な存在だったのですが、実際にお会いしてみると、なんか「ふわふわ」しているような、脱力系というか癒し系というか、雑誌「日向時間」創刊号の硬派なイメージとはかけ離れた印象でした。

日向時間創刊号.jpg日向時間創刊号

そんな彼と、再会したのは、この「ひゅうがリサイクルセンター」がオープンした直後、私が「この施設は県内、いや全国に情報発信したい!」と懇願したんですね。そしたら「「日向時間」として取材にいきます!」と快く、OK。あれよあれよと取材をしてくれて、たっぷり情報発信してくれました。

それから、いろんなことで彼とコンタクトをとるようになり、背中を押されるように地元のFMラジオで少しインタビューを受けたり、延岡のジャスコで一緒にイベント打ったり。とバタバタとまた、急速に深くおつきあいさせていただくことになったのでした。

不思議な男です。藤木テツロー

彼の講演会が6月28日かな?日向市で行われます。私が日向市役所に言って、少しですが予算が付いたことによるものです。少しでも彼のイイ話が日向の人たちに伝われば、また、彼に頂いたご恩を少しでもお返しできれば・・・と思います。

オサム語録:「最善観(さいぜんかん)で生きる」

森信三先生が「終身教授録」で語られた言葉です。

「自分の身に起こることは、全て必然であるとともに最善のことであるから、一切これを拒まず素直にその全てを受け入れ、そこに隠されている神の意志を読みとらなければならない。」

神という表現について、異論を唱える方々がいらっしゃるかもしれません。が、私が2日目で「すべては必然」と書いた、元になる言葉です。

私がこの会社に入れたのもこの最善観によるものかもしれません。私は、高卒です。でも負けん気だけは人一倍強かった。「成功したい!」との思いで、この15年間は勉強もしましたし、いろんなセミナー、また仕事も一所懸命やってきました。そんな中、7年前に辞めた会社の専務から、電話が・・・。

「少し話があるから、時間とれるか?」
すぐに向かいました。私にとっての「2師」か「3兄」の一人です。

専務の会社に到着後、応接室に招き入れられ。

「おまえは、今の会社にいて未来はあるのか?」

開口一番の言葉です。

「う〜〜〜ん、ないと思います。今の会社は家族経営(株式会社ですが)で、よその血を入れたがらないようですから。」

「それなら、ちゃんと聞け、おまえにある男を紹介する・・・・・・。」と今の会社のセンター長であり、私の今の上司になる「加藤氏」を紹介する。といった話でした。

会社を立ち上げているが、「工場長」の役目をその専務にに相談したんですね。それに対して「俺はいま、動けんから俺の片腕を紹介する!」と言って私の名前を挙げてくれたんです。

もう7年前です。その専務と一心同体のように行動していたのは。普通ありえない話です。専務はそのやりとりを私に話してくれました。

「いきます!その加藤くんに会わせてください」

あっという間に、話はついて、今、私は「ひゅうがリサイクルセンター」の工場長です。

私を紹介してくれた専務に感謝です。また、加藤氏との出会いに感謝です。そして、いままでがんばってきた自分にも感謝しました。

いま、一所懸命がんばっているのになかなか報われない人たちって多いと思います。でも、頑張っていれば、いろんな力が作用して、必ず報われるものだと思います。常に「最善観」を忘れずがんばっていきたいですね。




ラベル:宮崎県 日向市
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2007年06月07日

宮崎県日向市 川崎修 4日目

クルスの海.jpg日向市のこと・・・。
今日は、私が毎日通勤している「日向市」のことを少し。
日向市は宮崎県の北部に位置する、太陽の光と青い海に囲まれた町です。Bn}.jpg人口は、63,506人(2006年2月1日)、市の花=ひまわり。日向市出身の有名人=「若山牧水(歌人)」「江藤隆美(元代議士)」「青木宣親(プロ野球選手)」「桂歌春(落語家・(社)落語芸術協会監事 )」などなど詳しくは、ウィキペディアにて・・・。

私は、この会社に勤務するようになってはじめて、日向市のことを詳しく知ることになったのですが、通ってみてこの土地と人に接することになったのですが、一言「あったかい!」

仕事を通じての人間関係なので、もっと深いところを見ないといけないとは思いますが、私が生まれ育った延岡よりもイイと思いました。とても表現が稚拙で申し訳ないんですが・・・。

今日の記事の頭にある写真は「クルスの海」と言います。太平洋に面した日豊海岸にある日向岬の一部なのですが、通称「願いが叶うクルスの海」として主にカップルに人気のスポットです。また、その近くに「サンドーム日向」をはじめとするお倉が浜運動公園には、現在毎年、「欽ちゃん球団ゴールデンゴールズ」もキャンプに訪れ、温暖な気候と暖かい人情のある町として萩本欽一さんも楽しみに訪れてくださっています。

また、日向市は先に書いた日豊海岸を擁し、サーフィンのメッカとして「金ヶ浜」「小倉ヶ浜」など有名で、一説にあの木村拓哉も波乗りにお忍びでやってきたとか。結構捨てたもんじゃないところなんですね。

まだまだ、日向市の魅力はあると思います。でも私も現在勉強中でして、もう少し調べて、もっときつーい情報をアップできればと思います。とにかく、南国宮崎。あの「どげんかせんといかん」の東国原知事で有名になっていますが、知事のみならず、ここ日向も魅力満載ですので、どうぞお気にかけて下さい。

オサム語録:「針は天極をさす」
高村光太郎さんの言葉です。
【高村光太郎の詩・書】
  いくらまわされても 針は天極をさす


自分の信念を方位磁石(コンパス)に例えた詩です。
どんなに振り回されようが、自分の目指した方向は見失わない。
どんなに誘惑されようが、流されない。

天極という言葉もいいですね。

『天極』

あなたの天極は何ですか?



ラベル:宮崎県 日向市
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2007年06月06日

宮崎県日向市 川崎修 3日目

今日は、昼間はうちの女子従業員のユイさんと宮崎市まで行くことになり、片道2時間、往復4時間の運転でした。彼女は22歳大卒の新人です。

当社では、「環境学習課」という部署を設けました。そこの担当です。彼女からこんな質問を受けました。「工場長は休まないんですか?」と。

「・・・・う〜〜〜〜ん、休まないとイカンよね。俺が休まんとみんな休み辛いやろ?」「はい」

そうなんです。会社をオープンさせて、ほとんど休んでいません。別にそれが手柄ではないと分っているのですが、また、他人に対して、その姿をひけらかすつもりも毛頭ないのですが、結果、みんなに「休みづらい」空間を醸し出してしまっているんですね。

「もうしばらくしたら、しっかり週休2日とらせてもらうわ」

と答えておきましたが、どうなることやら???
とにかく安定稼働が見えるまでは、気が抜けないので、当分「休み」は考えられないかな?ごめんユイさん。

オサム語録:「過去と事実は変えられない、変えられるのは解釈だけだ」

これは、私が以前つとめていた会社の社長が教えてくれた言葉です。少し造語?の部分がありそうなんですが、共感したので、しっかり頭に入れてます。

そうなんですよね?「過去」自分がとってきた行動・決断。「事実」目の前にある真実。は変えようがないですね。昨日も少しここで書きましたが、「・・・たら、・・・れば」を考えてもちっとも良いことなんかない!。また、目の前の事実は事実として存在するときに、人間は、ようはどう解釈するか?しかないんですよね。私の前の会社の社長はよく「ラッキー!」を口癖にと言っていました。

仮に、なにかケガをしても「ラッキー!」とまず、口にする!
そしてその後、なぜ「ラッキー!」か?考える。と言っていました。私もそれに習っています。目の前に起こる問題、課題に対して「あ〜〜なんて俺は不幸なんだ〜〜〜」と嘆くよりも「これも必然!ラッキー!」と考えて、なぜラッキーなのか答えを探ったほうが、より前向きに行動できる。実際そうしてたくさん実体験を積んできて、結構自体が好転sていくことを知ったんですね。

どうですか?みなさんも「過去と事実は変えられない」ならば「解釈」を「ラッキー!」に変えてみませんか?

また、明日!
ラベル:宮崎県 日向市
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2007年06月05日

宮崎県日向市 川崎修 2日目

gaikan04.jpg今日も仕事の話を・・・。

本日は日向市環境市民会議の皆様、約40名の方々が、施設見学に見えられました。日向市環境市民会議とは、日向市が取り組んでいる「日向市環境基本条例」に基づいた日向市の環境問題を地域で実際に推進する方々を募って構成されている団体で、いわば町の環境問題対策員さんです。主に各区の区長さん方なのですが、その方たちが、新しいごみ処理施設の勉強にと来られたのです。0605kengaku3.jpg

当ひゅうがリサイクルセンターでは、出来る限り、研修見学の受入を積極的に行い、情報発信をしていくことを考えています。今まで小学校の生徒さんや、高齢者団体、地域の婦人会の方々などと共に勉強してきましたが、今回は実務面で高い意識を持った方々なので、しっかり取り組んでいこうとメンバー(私を含め4名)全員で対応したのでした。

本来なら、施設の説明はビデオやDVDを準備したほうが、伝える内容、ニュアンスも同じなので大変楽なのですが、私たちは、経費の面と自分たちのスキルアップのことを考え、スライドショーで説明を行っています。本日の講師はわたくし川崎がつとめました。

まず、施設の概要説明(スライドショー)→質疑応答→館内案内(管理棟)→工場内見学とステップを踏んで大体1時間30分の案内でした。
帰り際に「今度は区のみんなと見学にくるね」と多数の方から見学の依頼を受け、とにかく喜んで帰っていただきました。

ごみ処理を業としていますが、特に思うことです。このごみ処理という事業は、ごみを排出される方々との理解がものすごく必要な事です。ホントに最近つくづく思います。実は昨日は当センターに日向市議会の議員さんが3名見えられて、「分別が進んでいないと赤字になるでしょ?」と言われました。「そのとおりです!」と答えました。嘘偽りない答えです。本当に排出される皆様方の理解と実践があれば当センターで従業員が「手選別」しなくてもいい。ことになります。そこは、経費なんですね。市の予算を圧縮するために民間委託を検討される自治体が多数だと思います。でも、民間委託してしまった後の自治体の責任は変わらず、啓蒙活動を続けていくことが重要なのです。

しかも効果的な活動が必要ですね。なぜなら、たとえば「チラシ」を配布して、市内全域2万3千世帯に知らせました!では、理解が進んでいることとはイコールではないのですから。そんなこんな問題がいっぱいあって、ごみの分別はなかなか進まないのが実態です。

先に述べた、市議会議員さんに伝えました。「私たちの活動は、ごみそのものを処理する役務と、それによって得られる情報が命です。だから、私たちは地域の皆さん方へ効果的な啓蒙活動していくことも事業活動ととらえています。また、そういったノウハウは価値のあるものだと思っています。もしかしたらそこにビジネスチャンスがあるかもしれないと思っているんです。」と・・・。
これからもっともっといろいろな経験を積んでいくことでしょう。そこで得たものをみなさんへお返しする日が早く来るように頑張っていきたいと思っています。

オサム語録2:「すべてが必然!」

今回、会社を操業するにあたり、約50名の社員さんが集まってくれました(新規採用です)。いろいろな経験、年齢、性別の人たちです。私よりも年上の方たちが多数いらっしゃいます。みんなに来ていただいた初日に伝えた言葉です。「今日、この日この時間、この場所に一同に介したみなさんとは、会うべくして会っている、すべては必然で起こっていることと思っています。このご縁をしっかりつないでいきたい。この会社で働く事すべて、また、ここで起こることはすべて必然です。だからこのご縁を大切に毎日がんばっていきましょう!」と。

よく「・・・たら。・・・れば。」と言う人がいます。私個人の考えで「タラ・レバ」は嫌いです。過去があって今がある。だから過去に起因することを今、どうこう言うこと自体が無意味だと思っています。過去のそのときは、ベストの決断だったんだと思わないと前に進めないとも思っています。生きていくうえで、良いこと、悪いこと起こります。そのとき「これは偶然ではなくて私にとって必要なこととして目の前に起こっている。」と考えれば、自分を成長させる種として、肯定的に捉えられるじゃないですか。私は、これからもこう言い切ります。「すべては必然!」また、明日!
posted by LJ21 at 18:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 宮崎県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月04日

宮崎県日向市 川崎修 1日目

ひゅうがリサイクルセンター
 初めまして、今日からこの「今週の私」を1週間担当させていただくことになりました。どうぞよろしくお願いします。
さて、初日なので簡単に自己紹介を・・・。

昭和42年10月生まれ、現在39歳の男です。妻1人、子供3人(長男小6、長女小4、次男幼稚園年中)の5人暮らし。
住まいは、日向市のお隣、延岡市です。特技は、剣道4段(小学校2年からやっていました)。趣味は、パソコンいじりと料理。

こんな男です。今回この「今週の私」に参加させていただくことになり、大変光栄に思っています。どんなことを投稿していくか、いろいろ考えておりまして、この地域のこと、仕事のこと、自分のことetc...。とまあ、日々の出来事を中心に投稿することになると思いますが、気長におつきあい下さい。

 私の仕事:日向市で今年の4月1日に操業開始した、複合型ごみ処理施設「ひゅうがリサイクルセンター」というところで工場長を務めています。工場長といっても私は技術屋ではないので、全体の運営管理、工程管理、自治体との交渉窓口などを受け持ってます。
 ここで、「複合型ごみ処理施設」と書きましたが、どんなことかというと、当センターでは、世の中にある「一般廃棄物」と「産業廃棄物」とありまして、一般廃棄物は自治体の責任で処理すること、産業廃棄物は事業所の責任で処理すること。となっています。簡単にいうと、ごみを処理する際に係るお金の負担が一般廃棄物は自治体(税金)、産業廃棄物は(事業主)と分かれています。通常、一般廃棄物の処理は、自治体が箱物を作って、職員は直営(公務員)か第3セクター方式であたりさわりのない「○○○組合」とか「△△△協会」とかに委託して行われ、基本的に一般廃棄物のみの受入で産業廃棄物は受け入れないのが原則です。そして産業廃棄物は、一般的に産廃事業者が施設、設備を投資して、産廃排出事業者への営業をかけて、営利事業として運営していく。つまりしっかり、区分がされているんですね。

 当社は、一中小企業です。もともと産廃処理事業でお隣の延岡市で40年間農業用廃プラスチックのリサイクルを事業の柱として取り組んできました。今回、縁あって日向市さんより誘致を受け、産廃処理で培われたノウハウと柔軟な発想で一般廃棄物も処理できる施設をつくってくれないか?というお誘いを受け、一般廃棄物も産業廃棄物も両方処理できる「ひゅうがリサイクルセンター」の建設が実現されたのです。

 一般廃棄物の処理委託を受託するときに問題となることがありました。それは当社が「いち、事業所」ということです。しかも今回の委託は、一般市民の持ち込みも可能な形での委託。つまり一般廃棄物の事業をまるごと「いち事業所」に委託することに対する、議論でした。結果的に予定通りに当社が受託したのですが、非常に珍しい「民間委託」(おそらく全国で初めて)が完成したのです。

 しかし、全国的に見て「第三セクター方式」ってうまくいってるとこあります?ほとんどないですよね?うちも始まったばかりなので大口はたたけないですが、第三セクターは運営体が「○○○組合」などいわゆる、同業他社の集合体なんですね。そうすると、事業活動しているということは常に「問題解決」がつきまとうことだと思うんです。「問題点」は組織が1枚岩なら、多少の無理を強いても団結力で乗り切ることができると思うのです。でも、そこに変な利害関係や派閥や仲間意識がある組織だと一枚岩になります?私はならないことのほうが多いと思います。だから、第3セクターはうまくいかないのではないかな?と思うんです。その点、日向市さんは(イイ意味で)非常識な決断をしてくださいました。行政改革をしていかなくてはならない全国の自治体のみなさんへの「勇気」につながるのではないかな?と思います。

 そんなこんなで約2ヶ月「ひゅうがリサイクルセンター」をやってきました。これからもず〜〜〜〜〜〜っとやっていきますけど、今日こうして投稿したことが「あら!口だけ」と言われないよう努力していかんとイカンと思います。まさしく「どげんかせんといかん!」です。

 仕事のことは、徐々にお話ししていきます。最後に、私は朝礼で必ず話さないといけないのですが、自称「オサム語録」を作っています。それの一部のご紹介。

オサム語録:「2師3兄5友(にしさんけいごゆう)をもて」

長崎蒲正鰍フ上戸社長よりいただいた言葉です。「川崎さん、人間が成功する、人生を生きていくうえで大切な人って何人必要と思います?」という質問をある勉強会で受けました。「???????????」私は、「解りません」と答えたのですが、そこでいただいたのがこの「2師3兄5友を持て」でした。たくさんの人と出会い、別れ、たとえば「一期一会」とか「○○○は袖すりあう縁をも活かす」とかありますけど、単純でなおかつインパクトがありました。「あなたが生きていくうえで、本当に「師匠」と思える人を2人、そしてあなたにとって「兄」と思える人を3人、最後に本当に「友」と言える人を5人持てたら、あなたの人生はいい人生(成功する人生)だと言えます。」

あなたにとって「2師3兄5友」は何人います?私はまだ完成していません。・・・。ではまた明日!

posted by LJ21 at 19:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 宮崎県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月03日

北海道佐呂間町 安永淳 6日目

今日は、トップファームの奥さんからホタテの稚貝の「おすそわけ」です。この時期、サロマ湖内で養殖していた2年目の稚貝をオホーツク海に放流するそうです。この放流からもれた稚貝が私のところへやってきました。
茹でて身を取り出し、混ぜご飯、酢の物を作りました。茹で汁で蕪と人参を煮ました。
頂きものリストに書き留めました。佐呂間で暮らしはじめて、このリストは一杯です。

4回目の登場は、どこでしょうか。今から楽しみです。
では、みなさん。お元気で、さようなら
ラベル:北海道 佐呂間町
posted by LJ21 at 22:50| Comment(5) | TrackBack(0) | 北海道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

北海道佐呂間町 安永淳 5日目

今日、トップファームの奥さんから祝島の枇杷をいただきました。氏本農園の氏本長一さんからの斡旋です。氏本さんは「今週の私」の4月30日から登場されました。
トップファームは、氏本さんが以前お勤めだった宗谷肉牛牧場とお取引がありました。氏本さんが祝島に戻られても、いまだにお付き合いがあります。
九州育ちの私には、懐かしい味でした。学校の帰りの雑木林で枇杷をほおばり、決まってお腹を壊してしまう思い出です。
前回食べた記憶がないほど久しぶりの枇杷でした。もちろん、祝島の枇杷でお腹は壊していません。念のため。

佐呂間に来て果物を味わうのは、「おすそわけ」がほとんどです。青森からの林檎(リンゴジャムにもしました)、愛知からの八朔、九州からのイチゴや柑橘などです。
食すとき強く感じるのは、その土地の景色や空気や水や土を一緒に食べてるんだ、と。
そして、贈る人の気持ちです。こちらに語りかける顔が見えます。
通信販売の産地取り寄せでは味わえない、「ありがたい気持ち」になります。

三年前に、地元学協会事務局長の吉本哲郎さん、その後、民俗研究家の結城登美雄さんに会う機会を得ました。
当時私は、会社経営の傍ら地元の観光協会事務局長を非常勤で引き受けていました。
お二人からそれぞれ得たものは、大きなものでした。
それまでにもまして、自分の地元を強く見るようにもなりました。
また様々な土地にも行きました。大規模な肉牛生産の現場は多少知っていましたが、普段の農業や漁業などの現場を知ることができました。それまでの私の見かたや感じ方が変わったと思います。
その延長で、地元の漁協の組合長を経験することができたと思います。
友人には、わかりづらいと不評でしたが、「海と食卓をつなぐ」を組合長としての抱負としました。任期中に見える形での実現は困難でしたが、きっといつか実現できると信じています。
しかしながら、当時から気になっていたことがあります。続きを読む
posted by LJ21 at 13:35| Comment(2) | TrackBack(0) | 北海道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月02日

北海道佐呂間町 安永淳 4日目

ロバート・キヨサキ氏の「金持ち父さん貧乏父さん」を読んだことがあります。
最近「格差社会」とか言われているようですがずっと以前から、金持ち父さんはいました。

各地には篤農家といわれる人がいて、人望を集めていました。
学校の先生は偉いに決まっていました。
今では井戸端会議の話し声が電脳の海をアッという間に広まり、世論を動かしてしまいます。

情報の格差が貧富の格差の大きな原因のひとつだったと思います。
情報格差が少しだけ狭まり、情報発信の手段も多様化・簡便化しました。

さて、我が町の話に戻りたいと思います。
佐呂間には三種類の道があります。
(動物や人間の)足が作った道。人の手が作った道。機械が作った道です。二番目は開拓の道です。ほんの百数十年前のことです

佐呂間町は、サロマ湖の漁業と酪農の町です。以前は林業も盛んだったようです。
しかしここ数年、離農する人が増えています。
夏の間、乳牛を放牧するための公共牧場も数箇所ありますが、トップファーム前の公共牧場は数年前に閉鎖されました。
今週の日曜日には、その土地に漁業者が植林をします。数年続いているそうです。

トップファームは、今年30ヘクタールの離農地を取得しました。一部は第二牧場用地として利用しますが、残りはデントコーンを作付けします。牛の飼料となるサイレージを作るためです。
今までも農協の斡旋で町内50ヘクタール分を契約栽培していましたが、今後は出来るだけ自作地を増やす計画です。当然、農協や運輸会社や建設会社などが組織するコントラクター組合など地元の力を借りなければなりません。

大昔、私たちの祖先は、家族のため、集落のため一粒でも多くの実り、一匹でも多くの漁獲のために知恵や工夫を重ねてきました。それが、現代の科学の礎となっていると思います。
ただ、忘れてはならないのは、先人の知恵や工夫は長い時間をかけて積み重なっていったと言うこと。それらの成果の伝わる時間もゆっくりであったということです。

ただ、私たちは、後戻りはできません。先人の思いを忘れずに、現代の術を利用して、家族のため集落のため、豊作と大漁を目指すのです。
posted by LJ21 at 18:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 北海道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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