2007年06月25日

月刊むすぶ編集長 四方哲 京都府京都市 1日目

むかし、「月刊地域闘争」という雑誌がありました。
(いまは、「月刊むすぶ」という誌名です)
昨年、亡くなった宇井純さんや各地の住民運動の担い手達に突き動かされ、1970年、創刊されました。
申し遅れましたが、私は、この雑誌を出し続けることのみを業としていますロシナンテ社の四方哲(しかた・さとし)といいます。
よろしくお願いいたします。

創刊されたころ、私はまだ小学5年生。
だから当時のことは何も知りません。
1984年からこの仕事をさせていただいています。
1970年代は、いろんな場で政治が身近なものであったのだと思います。そして高度経済成長の結果、全国各地に公害問題、被害が深刻化していった時代でもありました。本当に暴力的な被害が、地域住民を襲っていました。そして社会的少数者に対する差別はより露骨であった面もあります。とことん痛みつけられ、踏みにじられ、そしてその苦しみの中からようやく住民・市民が、立ち上がり、闘い始めるのです。

水俣病をはじめとする当時の社会的運動の歴史を振り返ると「闘争」という言葉の意味が伝わってくると思います。
大企業はとことん傲慢で、行政はとにかく責任逃れ。被害者がポツンと残され悲惨な生活を強いられていたのです。

でも見落とさないでください。この現実は一向に変わっていません。国家はどこもでも権力を振りかざし、市民・住民を管理・支配しつづけていることを、大企業はどこまでも自分さえよかったらと考えていることを。

この現実を少しでも良くするには、私たち一人ひとりが、とにかく声を出し続けること、参加することが大切なのだと思います。まぁこういう中から「月刊地域闘争」=ロシナンテ社はスタートするのです。

故・宇井純さんは、お会いする度に「食べれていますか?」と声をかけてくださいました。 この雑誌はなかなか売れません・・・
お金になりにくいということは・・・大変なことです。

「伝えること」「情報」などには、その時代の雰囲気や欲求というものが大きく作用するのだと思います。民衆?大衆?市民?とにかく私たちはとっても我がままで移り気で自分勝手です。それはインターネットの世界を覗けば一目瞭然。そんな世間に少数派の声をネットワークすることがロシナンテ社の生業(なりわい)です。とにかく儲かりません。

確かに今、環境問題は社会的に認知され、地球温暖化といえば誰もが少しは関心を持っている課題にはなりました。でも・・・この根っ子には、公害被害者の叫びがあったことを忘れてはいけないと思うのです。

世間のメインストリームになる前のささやかな問題提起の場が、ロシナンテ社なのです。そんな中でどうやって生き抜いてきたか、そんなロシナンテ社の日常を今週、お伝えできたらと思っています。




ラベル:京都府 京都市
posted by LJ21 at 11:06| Comment(2) | TrackBack(0) | 京都府 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

宮崎県宮崎市 児玉健作 7日目☆☆

あっという間に最終日です。

おおよそ着物屋らしからぬ話をしていたような気がします(笑)

まだまだ書いてなかったことを思い出したりもしますが、これからも何らかの手段で発信していきたいと思っています。

さて、楽しいお知らせを。

今年で4回目になりますが、

『ニッポン全国きもの日和』

という催しが、11月3日に開催されます。
全国各地の着物ファンが、思い思いのイベントを同じ日にそれぞれの地域で開催するものです。既にご自分の地域で報道されご存知の方もいらっしゃるかもしれませんね。

これは、名目上「着物のファン」が主体となって毎年11月3日に開催される、という決まりだけが存在します。
日本中で同じ日に色々な所、この空の下に、着物を着る人がいたら面白いんじゃない?ということで始まりました。
ですから開催されない地域もありますし、たった1人でも2人でも「今日はきもの日和だぜっ」と着物をまとえば、それはきもの日和のイベントなんです。とても簡単、気楽でしょう?

宮崎にも実行委員会があるんですよ♪
昨年は古き町並みを残した港町「美々津」で。
今年は近代宮崎の山林王、後藤家を中心に賑わった町「高城」にて。

地域の伝統や、和文化の良いところを見つけ出し、小さい子どもからお年寄りまで誰もが楽しい!と言える町おこしに。
そう思って宮崎では、やっています。

皆さん、今の内から11月3日に目標をつくって、着物を着てみませんか?



「今週の僕」の思っていること。〆
さて、最後に書いておきたいことがあります。着物に関する、考えて欲しいこと、です。

「着る」という、衣服としての最も重要な根幹がありながら、この世に生まれ1度も誰にも袖を通されなくて、消えていく。

そんな運命を辿った着物たちは、数知れません。
今、日本の各家庭に眠る着物の総額は4兆円分ともいわれています。
ちなみに宮崎県の抱える負債は1兆円弱です・・・。
古本屋でコミックを売ったことのある方はご存知でしょうが、古着屋さんに売っても信じられないほど安く買い叩かれます。
価値を認めない人からは、荷物が減って部屋スッキリ。1,000円にもなれば御の字だ!と思われるかもしれませんが・・・。


私も、私の両親も、店でこう言います。

「着物を着ませんか?」

着物に興味をもたれた方には

「まずはタンスの中を見てみてください。お母様やおばあ様、
お父様やおじい様の着物が眠っているかもしれませんよ。」

と。

確かに、新しい消費を得られなければ、今の生産者の生き残りには益になりません。一般的に厳しいとされる今の呉服業界、消えゆく技術がどれほどたくさんあるでしょう。

しかし、思いを込めて作られたであろう数々の着物たちの行く末を思うと、そう言わずにはいられないのです。

呉服屋の決めゼリフに「置物は(笑)お着物は何代にも渡って着られますから、お得ですよ」などという言葉があります。
僕は、そんなのは商品に付加価値を付けてより高額で売るための、セールストークだと思っていました。
今も、そう思っていないわけではありません。
深く考えず、イメージだけでそう言う呉服業界人が存在するからです。

しかし、1枚の布として完成するまでに幾多の工程を経る着物、裁断され縫製され丁寧に仕上げられたそれが手元に届く、着て、解いて、縫い直されて、或いは染め替えられて、いつしか着用に耐えられなくなった頃、布としてまた何かに活用されついには消滅していく。

そんな使われ方をされていたという事実が、あるんです。

捨てられるために、パッチワークに売買されるために、洋服にされるためにこの世に生まれたわけじゃない。

着物には、一つのものを使い捨てではなく、ずっと使い込み大切にしするというある種の「モノ」の理想が、この国の知恵が、様々な思いや想い出と共につまっています。

呉服屋さんにセールストークを仕掛けられた時、その店員さんが洋服だったら是非聞いてみてください。
「なぜ、あなたは着物を着ていないのですか?」と。

もしあなたが着物を着ていて、それに後ろ指を差す洋服の方がいたら、尋ねてみてください。
「なぜ、あなたは着物を着ていないのですか?」と。

もちろん伝統衣装などという一方的なレッテルを貼られた「凍ったもの」ではなく「血の通った衣服」である限り、着ていようがいまいが個人の自由です。でも今の着物のあり方はとても不自由です。

営々と築かれてきた知恵の積み重ねと、家庭ごとの地域ごとの伝統なくして、ただただ洋服と比べるのはあまりにも、分が悪い。
悲しいかな、憂うべきかな。


7日間にわたって僕がここで書いたことを、少しでもあなたが覚えていて
いつか凛とした、あるいはとてもリラックスした、キモノの面白さを知っていただけることがあれば、何よりも幸せです。

また、どこかでお会いしましょう。

2007年6月24日 宮崎市 染織こだま店員 児玉健作

蓮屋 hasunoya http://hasunoya.atukan.com
はすのやにっき http://ameblo.jp/hasunoya/


メッセージ、コメントお待ちしています。


ご紹介いただいて日向時間テツロー様、朝田様、読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。また明日も頑張れます。
posted by LJ21 at 00:01| Comment(4) | TrackBack(0) | 宮崎県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。