2004年06月03日

青原さん 4日目

●6月2日(水) 晴れ 富山県東砺波郡城端町西上
広島に帰る前に太田住職が、城端別院・善徳寺に案内してくださった。

善徳寺は、文明3年(1471)、加州に蓮如上人が開き、栄禄2年(1559)に当地に移築さrれた。天正13年(1585)本願寺が、豊臣秀吉と講和するまで、瑞泉寺、勝興寺と並び、越中の一向一揆の拠点寺院として活躍した。


文化6年 (1809)の山門。複雑に組み込まれた軒下の斗栱(ときょう)や、緻密に掘り込まれた扉の木彫に圧倒される。境内には、山門を作った大工棟梁の碑がある。

本堂の脇の「お花部屋」に案内される。善徳寺では、365日無休で勤行と法話が営まれる。毎日、供えられる仏花は、城端町民によって結成された「お花講」が、奉仕で活けるのである。



ずいぶん老朽化し風格さえ感じさせる「庫裏」脇の倉庫にたくさんの樽があった。太田さんが語る。
「これは、さば寿司で、報恩講のときのお斎(とき)に出すもんです。これを漬けるためのお講・さば寿司講があるんですよ。全部、町の人たちで組織されてます」


庫裏から台所に案内される。
別院の高島浄心さんが、熱っぽく語る。
「この囲炉裏は前はもっと大きかったんです。11月の雪囲いの時や報恩講のときなどに門徒のみんなあつまってここで暖をとりながら、談合(膝をまじえて本音で語り合うこと)をしていたんですね。
昔、『越中・能登・加賀三カ国、善徳寺門徒たるべくそうろう』といわれるくらい多くの門徒の懇志によって善徳寺は成り立ってきました。いまでも実際それで動いてます。かつては1千カ村といわれてましたからね。」


善徳寺は1672坪の敷地で29棟もの建物がある。まるで迷路のような入り組んだ廊下を歩いてゆく。途中で一人にされたら、おそらく迷子になってしまうだろう。
封建時代やお寺の格式を伺わせる部屋へ次々と案内される。
殿様や本願寺の法主などが利用する所と一般僧侶が利用する所と二重構造になった廊下。





posted by LJ21 at 17:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 広島県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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