2004年05月31日

広島県広島市 青原慧水さん 1日目

はじめまして。青原さとしと申します。本名は慧水(えすい)といいます。何でこんな変な名前かといえば、私はお寺の生まれで坊さんの資格をもっているからです。ドキュメンタリー映画を製作しているので俗名である「恵(さとし)」を芸名にしています。
今年の2月末から23年ぶりに故郷・広島に居かまえ次回作を模索しながら、プータロウをしております。こんな男の行動をこのようなサイトに載せていただけるとは、少々気がひけまするが、朝田くに子さまのたってのお願いということで乱文ながら執筆させていただきます。
今週の初めは、富山県城端町に滞在中で、そこから始めると中途半端なので、少しさかのぼってから書き出しますのでご了解くださいませ。
 なお私のプロフィールは、『土徳』公式サイトをご参考ください。
 またローカルジャンクション21の方には、当サイトの「安芸国人聞き撮
 り日誌」がお薦めです。 http://www33.ocn.ne.jp/~dotoku/


5月30日(日) くもりのち雨 
昨晩、高速バスで広島を立ち、翌朝大阪で乗り換え夕方に富山駅についた。駅で大福寺住職の奥さんが、車で迎えてくれた。奥さんがいった。「うちの方は、金沢駅の方が近かったんですけどね」
広大な田園にぽつりぽつりと屋敷林のある家が散在する砺波平野。浄土真宗大谷派・大福寺は富山県東砺波郡城端町大窪というところにある。
大窪地区一帯はかつて山田郷と呼ばれ、江戸時代初期、新田開発された村である。各地から開拓にきた約400軒ばかりの農民たちは、真宗門徒であった。彼らは、自分たちの村に真宗道場・大福寺を建立した。門徒たちは移住前の各村にある手次寺とも縁を切らないまま、檀家のないお寺として大福寺を今日まで支えてきた。
明日、この大福寺で永代祠堂会(えいたいしどうえ)という法要が2日間営まれる。その法要で拙作『土徳−焼跡地に生かされて』が2日間・4回にわたり上映されるのである。



大福寺に到着すると大田浩史住職が、部屋に案内してくれた。


棟方志向、柳宗悦などの書画の掛け軸や焼き物が、通りすがる廊下や部屋のいたるところに飾ってある。現住職および先代の大田利男氏は、民芸協会の会員であり、利男氏は、昭和20年代に棟方志向、柳宗悦らの民芸運動の同士でもあられたのだ。



凄いお寺によばれたものだとあっけにとられていると、奥さんが、「あっちの部
屋で御花講の方が呼んでおられます」と別の部屋に招かれた。二人の老人が、酒
宴をしており「監督さんは、一献やらんといかん」と誘われた。このお二人は、
城端別院に仏花を活ける「御花講」の講中だそうだ。大福寺の門信徒でもあり、
大福寺の仏花は、必ずこのお二人が奉仕として活ける。
農家であるお二人は太く無骨な手でお猪口をあおる。話題は、拉致問題とイラク
問題なのに、話の展開が、最期には「自分とは何か」の問題に集約されて、お坊
さんさながらの会話なっていくのには、圧倒されてしまった。





posted by LJ21 at 14:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 広島県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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