2004年07月09日

熊本県水俣市袋 遠藤邦夫 四日目

7月8日木曜日 晴れ時々曇り時々雨
 今日は、来年の3月に教育旅行でやってくる正則高校の打ち合わせに、杉本水産の加工場を訪問した。栄子さんは資料館の語り部でいなかったが、杉本肇さんがいたので資料を渡して、8月の下見の時のお願いをする。肇さんは今朝獲ったカタクチイワシの12センチくらいになったタレの乾燥作業をしていた。このサイズになると出荷しても価格が安く、もうみんな獲っていないとのこと。脂がのって乾燥しにくいとのこと。でもダシをとると良い味がでるらしい。肇さんはバラ(カタクチイワシをその上に並べて乾燥させる75センチ四方の木製の道具)にならんだタレをひっくり返して、良く乾燥するように次々とバラを始末していた。私はそれを猫のようにつまんでは、おいしいねと言いながらたべていた。天気の良い日には天日乾燥するのだが(写真は少し前の、栄子さんと雄さんのチリメンの乾燥作業風景)、猫や烏や果ては人間までやってきてはつまみ食いをするのだが、栄子さんは「チリメンは人間の分だけじゃなくて、猫や烏の分もあっでなああ」と語る。


水俣市内のお店にはらせてもらうポスターをもらいに、青果市場の奥にある能不知火の事務所に行った。事務局長の金刺さんと事務局員の魚住さんが仕事をしていた。能不知火は石牟礼道子さんが書いた新作能で、今年8月28日に水俣湾埋立地の親水護岸で奉納する。予定していた1200の席はすでに完売となっており、あとは当日にむけての準備に邁進中。水俣病事件は闘争の時代はすでに終わり、新たな舞台は水俣病を多様な表現で意味を伝え・活用(役に立たせる)していく時代となっていると考えている。だから水俣で2001水俣ハイヤ節生まれたり、能不知火が行われたり、一方では環境学習や村丸ごと生活博物館(エコミュージアム+グリーンツーリズム+地元学)が、展開されていることは偶然ではない。


昼飯を妻と待ち合わせておいて、ほっとはうすで食べた。妻はこの3月までほっとはうすに勤めていたが諸般の事情でやめて、初めて訪れることになった。木曜日は喫茶のみが営業している。家の近所に住む山添友江さん(通称ともえどん)が今日の担当だった。行って見ると近所でガソリンスタンドを経営している、相思社のアドバイザー委員でもある小柳さんがピラフを食べ終わったところ。連れの女性が子どもさんから電話を受けて、「え、なに、早飯大会?」「ちがう、ハイヤ節大会」、一同大笑いしてしまった。この後妻は栄子さんに誘われて、早飯大会ならぬ2001水俣ハイヤ節を第一小学校で教えに行くのでしした。

 昨日の夕食は、何も考えていなかったので急遽御お手がるな手巻き寿司。巻き込むモノは、Gコープのマグロ・金糸卵・納豆・キュウリ・しそだけ。キュウリもみ(中華風味付け)とみそ汁。しかし、その子は目先が変わった食事はよく食べる。毎日こんなふうに食べてもらいたいものだ。夕食後に北海道の友だちから夕張メロンがとどいた。娘はあまりメロンが好きではないので関心がなさそう、妻は腹一杯なのでこれまた関心をしめさず。ごめんね小川さん、ワガママな家族で。




posted by LJ21 at 09:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 熊本県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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