2004年07月12日

京都府京都市 濱崎加奈子 1日目

はじめまして。「伝統文化プロデュース 連」の濱崎と申します。一週間、どうぞよろしくお願いいたします。
 唐突ですが、この2週間、ポルトガルのリスボンとパリで茶会をさせていただき、昨夕、帰国いたしました。関西空港から乗合バスで京都に向かったわけですが、市内にはいったとたん、京の町は祇園祭まっただ中であることを思いだしました。いえ、決して忘れていたわけではないのですが、例年ならば、徐々に祭モードに入っていくところが、いきなり祭の中に飛び込んだ!という感触でしょうか。暑さとけだるさで流れが堰止められたような京の町中にあって、辻々から、どこからともなく、祭を前にした、そわそわ-さわさわ、とした空気が伝わってきます。それもそのはず。「鉾立て」の日だったのです。通りを一筋すぎる毎に、まだ骨組み状態の、鉾や山が立てられていました。
 京都の人にとって、祇園祭は、格別のものであるように思います。千年あまり都がおかれていたことで、貴族文化が発達し、宮中儀礼に端を発した祭も数々ありますが、京都中を文字どおり祭一色に染めるのは、やはり、この庶民の祭たる祇園祭だと思います。
 もともと神戸出身の私ですら、毎年、この時期に聞かれる「コンチキチン」のお囃子を聞けば、「ああ、この季節になったんだな」と感じるから不思議です。少し先のことになりますが、8月の送り火(大文字)を見れば、夏の終わりをしみじみと感じ、「日本人でよかった」と思ってしまうのも、面白いことです。
 とまれ、祭には、元来どの土地の人間であるかに関わりなく、先祖代々連綿と伝えられてきた、私たち自身の「歴史」が刻まれているのでしょう。年に一度、自分自身の中の歴史を感じる時間。祭の起源たる、農耕や宗教的意味合いを失いつつある現代にあっても、年に一度、「1年」という時間の流れを実感する意味はことのほか大きいと思います。それは、自らもまた、循環する生命の一として位置されることを再確認する時間でもあると思います。
 祇園祭は今週末にクライマックスを迎えます。おいおい、レポートさせていただきたいと思いますが、今日は、夜の鉾町を歩いたので、写真をお送りします。撮影者がよくないので申し訳ないのですが、寝静まった町の闇に浮かぶ長刀鉾の、祭の日をじっと待つ様子を思い描いていただければ幸いです。


話は変わりますが、せっかくですので、リスボンとパリでの茶会の様子を少しお話しさせていただきたいと思います。今日は、時系列とは逆に、パリ茶会から。
 7月6日の夜。といっても、夏のパリは夜10時頃、ようやく陽が沈みはじめます。そんな、まだ空の蒼い一夜、七夕にあやかり、「パリ・コスモガーデン銀河の茶会」と題して30数名をお招きしました。
 場所は、パリ市内中心部にある、現代アート作家の黒田アキ氏のアトリエ。2階が天文学者のお宅とあって、彼の協力も得て、2階を待合(まちあい)兼2次会パーティー会場とし、1階のアトリエは、ちょっぴり厳粛な空気をただよわせた茶室に仕立てました。…と、簡単に書きましたが、準備は少しばかり大変でした。
 茶会に要するすべての道具をパリまで運ぶことは不可能に近いですし、それに、すべて日本から持っていったのでは、日本での茶会と同じことです。今回は、道具をできる限り、パリで調達することにしました。え?パリで調達?? しかも、お茶のためにしつらえられた道具ではなく、できる限り、日常品の中から探し出す。もちろん、パリで茶道具をさがすことはさほど難しいことではないと思うのですが、それはやめよう、という暗黙の了解のもと、私たちは町にくり出しました。
 そして、揃えられた道具の一部が、写真のとおりです。釜と茶碗(この1碗のみ持参)、茶筅、茶杓は日本から持参しました。長板(黒田氏の作品と同じ青で塗っていただきました)、水指(ガラス製のものに、葉を蓋にしました)、風炉(白い陶器製のもの)、五徳(見えないのですが、風炉の中で釜を支えてます)が、現地で揃えられたものです。



それから、茶入(手前の袋に入っている)は、写真では見えないのですが、アンティークのインク壷を茶入に見立てたもので、日本からこの茶会のために渡仏した友人(点前をしている女性)が持参。ちなみに、この方がまとっている青い着物は、黒田氏の絵の色そのままに日本で染めた無地の着物に、茶会の数日前、黒田氏がアトリエで筆を入れた作品。この茶会ののための1度きりの着物は、アトリエの中でピタッとはまり、茶室は舞台なのだなあと感じさせられました。
 こんなふうに、茶会の前日に道具から食材から、細かい演出に用いる品々まで買い求め、アトリエにある作品群を移動させ、茶会のスペースを確保。かねて注文しておいた1畳台を、お茶を点てる点前座と、客の座す客座にし、ともかくもアトリエが茶室に変身したのは、当日、お客様がいらっしゃる数時間前のことでした。



茶会は、いつも思うのですが、パズルのようなものだと思います。そこに居合わせた人、場所、モノ、お客として来た人々、それらすべてが、絶妙なタイミングで、ピタッピタッと嵌められいく。場所とモノと人とが、一回限りの物語を創造する。私たちはこれを、まさに、レヴィ=ストロースの「ブリコラージュ」(そこに寄せ集められたもので、神話は構築される、という理論)であるといつも話しています。ありきたりの言葉ですが、「一期一会」ということを実感させられるのです。
 そして、こんな茶会の思想のなかに、日本人の、コミュニケーションのありよう、コミュニティのあり方、文化の構築の仕方のさまざまが見えてくるように思われます。時に、現代生きる私たちに対し、何かヒントが隠されているようにも思えてきます。茶会は、人と人との間に生みだされた文化の代表のようなものだと思います。単にお茶をいれて飲むだけなら5分とかからないのにね、と自笑しつつ、茶会の後は、なぜか満ち足りた気分になるのは、なぜなのでしょうか。
 そんなことを考えつつ、次回は、リスボンでの茶会について、お話させていただきたいと思います。
(日付が変わってしまい、申し訳ございませんでした。)





posted by LJ21 at 03:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 京都府 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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