2004年08月22日

滋賀県近江町 廣瀬正明 7日目 8月22日(日)

今日は、新庄市に暮らす友人・栗田晃一君と奥さんの裕子さん、愛娘の光里ちゃんに会いに新幹線で一路北へ。サクランボ、リンゴ、桃、ラ・フランスなどの果物畑と「どまんなか」などを植えた田んぼ、民家、杉林をぬけて約45分の旅です。
私と彼は通う学校は違いましたが、同じ「世代に架ける橋(8/21の日記参照)」のメンバーで苦楽を共にしました。そして、私がカヌーに没頭するようになったのも彼のせいです。大学を卒業して2人とも山形を離れました。私は滋賀に、彼は東京へと。就職してからしばらくすると、私は仕事にやり甲斐を見つけられず、東京に行くことがあれば必ず彼のところに顔を出し、世田谷・上野毛の部屋にテントを張っては、現実を慰め、夢を語るうち、学生時代の活動に話が及びました。その頃の私たちは、飯盒炊さん、オリエンテーリング、登山、キャンプファイヤーなどプログラムでどんどん押していくスタイルであって、集団行動や危険回避のための規律を重んじていました。ただ、メンバーはそれ以外のところでずいぶんと鍛えられ成長を遂げた。子どもとどう関わるかという基本的な姿勢を語り合ったり、プログラムの検討・準備、資金集めのため趣旨を説明しながらの廃品回収や街頭募金、スタッフ集めのための学校廻り、後援を得るための役所廻りとさまざまな準備に県内を駆けずりまわりました。ずいぶん汗も涙も流した。悔しい思いもした。恥もかいた。人が共に活動を起こしていく際の全てのエッセンスがそこにあった。けれど、「あのころ、子どもたちは自然を楽しんでいただろうか」そして、「俺たち自身は本当に自然を楽しんでいたか」と。その答えはノーでした。そのこと自体を楽しむ精神的余裕は全くと言っていいほど無かったのです。あのように自然のスケールのでかい山形をはじめとする東北にいながら自然に本当に触れていたのか、その怖さを知っていたかと。2人は原点に返ってみようと思いました。カヌーとテントを担いでの旅をしようと相談しました。16年ほど前の初夏、約束どおり最上川を下りました。私にとっては恐ろしくも衝撃的に魂が喜んだ体験でした。それからというもの10年ほどカヌーに没頭するようになります。北海道の川と海、関東・近畿・四国の大小の川をツーリングして歩き、自然にどっぷり浸かる、そこに暮らす人と言葉を交わすおもしろさにはまってしまったのです。栗田は僕に生きることの喜びを再び蘇らせてくれたかけがえのない友です。
この写真の女の子が娘の光里(ひかり)ちゃんです。



さて、栗田がこの春家を建てたというので、それを見せてもらうのも楽しみでした。7年ぶりの再会です。家に着いて驚いた。環境共生住宅ですね。消費電力の半分をソーラーでまかなっていました。新庄は雪がたくさん降るので冬はかえって照り返しがあって、発電量が大きくなるとのこと。雨水を溜めるため屋根がM字型になっており、センターに集まった水を溜めては、庭の散水、洗車、その他洗い物に使っているそうです。M字屋根なんて珍しいなと思ったら、JRのプラットフォームにかかる屋根はM字形でしたよ。そして、暖気はパッシブソーラー式でありました。彼の仕事は電気設備のメンテ。その仕事の関係で知り合った大工さんのアイデア満載です。部屋には知り合いの木工作家によるキハダのテーブルと薪ストーブ。栗田の父は製材屋さんですが、お父さんが来ると、つい2人で薪ストーブのそばに集まってしまうそう。現代のいろりです。やまんばの会の薪も持ってきてやりたいぐらい。ところが彼の母親は、ファンヒーターの方が便利でいいというらしい。ここにロマン派の男たちと現実を見つめる女性の違いがあっておもしろいです。


さて、お昼になり、裕子さんがごちそうしてくれました。実は彼女も岐阜の大学が休みになると鶴岡の実家に帰り、世代にかける橋の活動に加わっていたメンバーです。誤解されるといけないので言っておきます。決して恋愛を目的にしたグループではありません。
山形県内も広く、彼女の実家のある鶴岡(日本海側)、新庄周辺の最上地方、山形市など内陸南部とでは食べるものや食べ方に違いがあります。驚きはナスの漬け物の食べ方。ナスも小ナスではなく長なす。かっらいトッキビ(ヒーヒーいうぐらい辛いシシトウ)を焼いて、腹を割き、そこにしょうゆを垂らし、その辛い種にナスの漬け物をなすり付けてから食べる。ヒーヒーいいます。
いま、食べようとしている写真の彼が栗田君です。


もうひとつは「うるか」。鮎の内臓の塩辛です。釣ってすぐの鮎のワタを岩塩で漬ける。10年ではまだ若すぎる。15年から30年がちょうどなじむと栗田は言います。これは日本酒が進みます。そして、白山のだだちゃまめ、鶴岡のおっぱい豆腐もビールのあてに最高。(ちなみに鶴岡にはまん丸い小ナス・民田ナスというのがあり、カラシ漬けにするのですよ。)馬刺も最上ではよく食べるらしい。そして、芋煮は日本海側流。内陸では牛肉・しょうゆ味ですが、ここでは、豚肉・しょうゆ味です。すっかりごちそうになってしまった。


メールのやりとりはあっても7年ぶり。互いにいろんな話をした。地元学に出会ったこと。いつか森の中で子どもたちと学ぶ場を創れと卒業の時先輩から叱咤激励され、20年を経て今ようやくやまんばの会で実現しはじめたこと。その先輩は先日亡くなったこと。栗田は墓参りにいってきたこと。
都市では分業が進みすぎてしまったこと。農山村では、一つの仕事にこだわらずいろんな副業で生活をしてきたこと。
さらに話は、日々の暮らしのことに。新庄祭りは、山車を町中の人が作り、お囃子は郊外に暮らす人が来てするそうだ。だから、街ぐるみで祭りをつくり、自分たちで楽しむ。もてなす客は基本的にいなかったそうだ。観光用の祭りではない、祭りの原点である。
彼ら家族ももちろん参加する。今夜から始まるらしい。半被を取りに行くというので付いていく。マチの若衆が山車を製作中だった。彼も若衆の一人である。いい祭りに違いない。


駅まで送ってもらったが、とうとう酔っぱらってしまい、携帯とシャツを置き忘れる始末。幼稚園児の光里ちゃんにせがまれて行水してしまったせいだ。どこに脱いだのか記憶が飛んでいた。どうもツメが甘い。酔うとさらにひどくなる。後日送ってもらうことに。またの再会を誓う。

最後7日目は入魂の1球となりました。
たった1週間なのに、これまでの半生を語る羽目になりました。少し立ち止まって考えられた気がします。明日は滋賀に帰り明後日から仕事です。またフル回転の日々です。1週間、おつきあいいただき、どうもありがとうございました。





posted by LJ21 at 12:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 滋賀県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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