2004年11月06日

山口県宇部市 山口大学 河原利江さん 6日目

さて、今週の私、残すところ今日を入れて2回となりました。今日も張り切って書かせていただきます。

今日は午前中に昨日行った材料実験の後片づけを行い、午後からは自身の研究に関する調査も含め、小野田へ資料調査へ行くことにいたしました。小野田市は徳利窯のことでも学生時代からたいそうお世話になっている街です。最近ではセメント焼成窯ではなく、登り窯といって主には煉瓦、瓦、食器、壷などといったものを焼成することができる煉瓦造の窯の保存についても研究させていただいています。この登り窯についてちょっと紹介させていただきます。

小野田市にはかつてより「セメント町」「硫酸町」といったユニークな町名が存在しましす。(硫酸町のほうは現在はないようです。)「セメント町」は明治14年に設立された小野田セメント製造会社(現太平洋セメント小野田工場)に由来する名前、「硫酸町」は明治22年に日本舎密製造株式会社小野田工場が設立され、硫酸の製造がはじまり、その硫酸の容器(硫酸瓶)を現小野田市旦の皿山にて地元の土を使って焼いたことに由来するものです。今回ご紹介する登り窯は、「旦(だん)の登り窯」というは明治初期の登り窯で、この硫酸瓶を焼成していたことのある窯です。小野田には当時登り窯を持つ製陶所が数十箇所存在していましたが、現在完全な形で残っているのはこの旦の登り窯のみとなっています。


登り窯に使われている煉瓦は、通常私たちがよく目にする21×10×6cmの平べったい形ではなく、かなり大きくぼっこりした形の煉瓦で組積されています。このぼこぼこっとした風合いが人の手で創られた温かみを感じさせます。
現在この登り窯の煙突部分が傾いており、保存上危険な状態であることから、補強および補修対策の検討が行われています。何しろ小野田では唯一完全な形で残っている登り窯ですので、この地の製陶業の歴史を物語る遺産として、周辺の皆さんもきちんと保存されてほしいと願っているようです。将来的には、この窯を中心として焼き物の里というような文化コミュニケーション施設として、一般の方にも楽しく見学利用していただくような施設の計画をしていきたいと、以前小野田市の職員の方がお話してくださいました。



さて、また話をぐっと最初に戻しまして、今日私が資料調査に行ったのは小野田市歴史民族資料館です。以前から行こう行こうと思っていたのですが、なかなか機会を見つけられず、今日この記事を書かせていただくということをきっかけに行ってみようということになりました。この歴史民族資料館は小野田市立図書館、小野田市民館と併設されており、こじんまりとしてほのぼのとしたところです。
 入館しようとお財布を持ってエントランスを入ったところ、窓口に数人の職員の方がいらっしゃったので、「こんにちは」と声をかけ「入館料っていくらですか?」とお聞きしたところ、職員の年配の男性が「入館料はねえ、とっとらんのだけど、大金持ちの人からはもらっとるのよ(笑)。」とおっしゃいまして。「ははは、すいません、大金持ちじゃないんで」といって早速見学することにいたしました。ただだったんですね。
 入ると1階は主に、小野田の産業を種類別にブースで分けて展示してありました。農業・漁業・工業・窯業、それぞれにかかわる機械や道具、農家の内部の再現も展示してありました。特に興味があったのがやはり窯業(製陶業)に関連するものですね。小野田はその名前になる前、須恵村という名前でした。その名のとおり古来より採取される豊富な粘土を利用した窯業が盛んだったんですね。


2階に上がると、さすが小野田ということで、小野田セメントを起こした初代社長「笠井順八翁」の生涯と小野田セメントの歴史について展示してありました。おお、これは学部生4年時代に本をひっくり返して調べたことだ、と思っておもわず愛着がわいてしまいました。しかし、今日分かったのは笠井順八という方は、セメント業だけでなく、石炭、鉄道・電気・・・・その他数々の産業を小野田で発展させた重要人物だったということです。それは、大きな銅像も建つわなあと納得いたしました。・・・以前この銅像の事を聞きつけ、ある公園の敷地内を探し回り、小高い丘の、緑で覆われた一角に地球のような丸い物体を前に堂々と座っている笠井順八像を見上げたときは、あまりの大きさと迫力に、ちょっと後ずさりしたほどです。写真は私が大学院1年生の夏の調査のときのもので、頭がタオル巻き状態という情けない姿で申し訳ありません。


資料館を満喫した後、久々にお気に入りの場所へ向かいました。大学院2年生の頃、市立図書館へ向かう道で、国指定史跡「浜五挺唐樋(はまごちょうからひ)」という看板が出ており、これはなんだろうと思って向かったところ、その史跡のある当たりの雰囲気にはまりまして、ちょっと行き詰ることがあるといつもここでぼや〜っとして海を眺めるのが私にとっての癒しでした。ちょっとその風景を紹介いたします。ここは小野田の中心街からすると、やや西側のはずれのほうになります。小野田は干拓で大きくなった街で、この浜五挺唐樋は寛文8年に萩藩の直営事業として行われた高泊開作という干拓の時の排水用樋門です。水を招く扉が五挺あることから五挺唐樋と呼ばれています。潮の干満により招き戸が自然に開閉するという当時としては画期的な仕組みだったそうです。この樋門は平成元年まで使われていたというからさらにすごいですよね。

お気に入りって何がお気に入りというと、この五挺唐樋の写真向かって左手にある當嶋神社という石段を何十段か上がった高いところにある小さな神社なんです。この神社の雰囲気や鳥居越しに見た風景の感じがたまらなくてですね。ここでちょっとお賽銭でもいれてお参りして石段を下りながら、目の前にぐっと広がるうみと、小さな釣り船群。時間が止まったようになって頭が休まり、またやれるなあという気になるんです。今日はお孫さんと散歩をされている女性とすれ違い、こんにちは〜と声をかけました。

頭をリフレッシュして、また来週も頑張ろうという感じになりました。さて今日はこんなところにいたします。明日は最後の日ですがどんな日になるでしょうか。





posted by LJ21 at 21:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 山口県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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