2004年12月26日

東京都世田谷区 長畑誠さん 7日目

我が住まい、団地の過去と現在
 いよいよ最終日となりました。いろんな国、地域の「コミュニティ開発」について書いてきましたが、今日は私の住む団地の話です。(7日目でようやく自分の地域の話題になりました・・・)。

 私が住んでいるのは、世田谷区北部、1965年に住宅公団が建設、分譲した団地です。戸数は約400戸。3歳の時にここに移ってきて、二十歳過ぎに実家が神奈川に移ったので引っ越しましたが、その後結婚、バングラデシュ駐在などを経て、7年半前に戻ってきて、今は家族4人で住んでいます。

 約40年前に公団が分譲した当初は、モダンな団地として評判だったそうです。今から見るとエレベーターもなく、天井も低く設備も古いですが、いわゆる「団地」タイプの住居としては大きめの住居サイズで、その後全国に広がった団地の先駆的な存在だったと思います。「昔の長屋とは違って、近所づきあいの煩わしさがない」新しい集合住宅として、当時の人々の関心を呼んだようです。



その団地も築40年になろうとし、入居当初は植えたばかりの低木がまばらに点在していただけなのが、今では約4万8千平米の敷地に50種約600本の樹木が茂る緑いっぱいの環境になりました。そして住む人々も様々な変化を経験しつつあります。まず特徴的なのは「住民の入れ替わり」でしょう。私が小学校に通っていたころ、団地内に30名ほどの同級生が居ましたが、多くの家はここを売却して別のところに引っ越していきました。また売らずに残っている家でも、多くは親の世代がここに住み、子どもたちは外に出ています。私のように二代目が残っている家は珍しいです。さらに所有者が外に住んで賃貸するケースも多いようです。

 もう一つの特徴は「高齢化」です。上述のように子どもの世代が残ることが少ないため、居住者の大半が高齢者となっています。そして子どもが少なくなりました。いま中学に通う息子の同級生は団地内に3人しかいません。団地内の公園も昔は子どもの遊ぶ声が絶えませんでしたが、今は閑散としていて、時々みかける子どもも多くは団地外から遊びにきているようです



コミュニティが問題を抱える中での「建て替え」
 日本の住宅政策や社会の問題点が浮き彫りになっているような団地ですが、ここ数年、「建て替え」に向けての計画作りが進んでいます。自治会もなく町内会にも入っていない団地ですが、管理組合は存在していて、それも珍しく設立以来ずっと「自主管理」を貫いています。そしてその管理組合の活動の一環として、「建替委員会」を組合員(所有者)が作り、建て替えの検討が進んでいるのです。

 私は管理組合法人の理事長を3期つとめ、今も理事として、建て替えの動きについて見守っています。現在は建築コンサルタント会社や不動産会社等ともパートナーを組んで、戸数を増やして増床分を売り、その資金で建て替えをする、という計画が進んでいます。一つひとつ課題をクリアし、組合総会で所有者の意思を確認しながら進めてきました。ただ、私個人としては、400名以上の所有者の合意をとる、ということが大きな課題だと感じています。個人が自分の家を建て替えるのと異なり、400名が皆で話し合い、合意していかないと進められないのです。

 これは簡単なことではありません。各所有者たちは、それぞれ固有の課題を抱えています。高齢で動けない人、逆に今を逃せば動けなくなると考えている人、子どもを抱える人、賃貸している人、ローンが残っている人、それこそ400余名それぞれが異なる状況にあります。そしてコミュニティの機能が衰え、互いに顔をつきあわせて話したり助け合ったりする関係が少ない中では、互いの状況を理解できるような話し合いの場がなかなか作れないでいます。声高に自分の意見を主張するだけの人が目立っています。我々は建て替えた後もここに暮らしていくのですから、建て替えの過程が大事、皆が納得できる形で進めていかないと、その後の暮らし方にも影響すると思っています。


「集合住宅」という「可能性」
 ただ、私はむしろこの状況を、この団地の「コミュニティ」が変わっていくきっかけにできれば、と思うようになりました。「ないものねだり」より「あるものさがし」です。考えてみれば、「どんな環境でどのような住居に住むのか」というのは、集合住宅にあっては、成員全員が考えねばならぬことであり、まさに「コモン・プロパティ」ですよね。それは、子育て、高齢者介護、安全、環境等々、生活すべての面にかかわってきます。前近代のコミュニティで中心となっていた「生産」に係る共有資源にかわり、近代では(少なくとも都市では)「再生産」或いは「暮らし全体」に関わる共有資源がコミュニティの自治にとって重要なポイントなのかもしれません。団地の建て替えも、単なるハードの問題だけでなく、それをきっかけにソフト(人の繋がり)をどう再生していくか、が課題であり、またそれが集合住宅のもつ可能性なのでしょう。

 以上でひとまず終わりです。一週間、どうもありがとうございました。最後、自分の地域のことを書きながら、「この地元を大切にしよう」と思う反面、インドネシアやインドといったアジアの地域で活動する人たちに惹かれてしまう自分がいます。これからもアジアと自分の足元と、二足のわらじを履く生活が続きそうです。こんな私ですが、どこかで見かけたら、どうか遠慮なく声をかけてくださいね。(写真右側が筆者、インドネシア南東スラウェシ州にて。横顔ですみません)





posted by LJ21 at 19:36| Comment(0) | TrackBack(0) | LJ21事務局担当 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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