2004年12月31日

東京都三鷹市 朝田くに子 5日目

かつては三が日の間、床の間に飾った「にらみ鯛」
3日の夜にちょっと火を入れて、食べるのが楽しみでした。
今は我が家も飾らなくなりましたが、まだ、続けている方もいるのか、スーパーマーケットでたくさん売られていました。



昨日は、このレポートを書くために父にかつての芦屋について聞いていたら、次々にいろいろな話が飛び出してきました。
祖父がある日、空気銃を入手し、親子ですぐそばの松林に出かけていき、松の木を登る蛇を見つけては空気銃で撃ったそうです。「いやー面白かった」とのこと。芦屋といえば松林というぐらい、阪神芦屋駅近辺に松林が多かった昭和10年代ごろのお話です。そういえば、我が家の2階の押入れに蛇がいたり、小学校から帰ってきて、門扉を開けようとしたら、扉のへりに蛇がいたりしました。いずれも3,4センチは太さがありそうな大きさの蛇でした。



遠浅の浜では、子供のころ、よく魚釣りに出かけました。釣るというよりも、堤防に貼りついているヒラメ(か、カレイか今となってはどっちか定かでないです)を網ですくったり、太刀魚がゆらゆら通り過ぎたり、浜で猟師の人から貝を買ったり、小魚を分けてもらったり、楽しかった想い出ばかりです。
そんな浜も30年ぐらい前に埋め立てられ、今では高層マンションが林立する地域になっています。白い砂浜の松林が美しかった浜がなくなってから、海に足を向けることもなくなりました。そんな浜を見たくない、というのが本音です。



芦屋を離れて、すでに40年近くが過ぎていきました。両親は約8年前に関西にもどってきましたが、私はいつのまにか東京が本拠地になってしまいました。子供のころ、周囲にいた大人たちのことを一人ひとり思い出しながら、父に聞いていくと、単なる父母の友人、他人だと思っていた人たちが遠い親戚だったり、思わぬ深い縁を持っていたり、知らないことが多く、かなりたじろいでしまいます。地方の特徴だと思っていた地縁血縁は、この芦屋にもかつて息づいていたんだと。離れて暮らしていると、先祖とまではいかなくても、ほんの少し前の父母が生きてきた軌跡を実感する場面が少なくなります。まして一緒に暮らしたことがない孫たちともなれば、まったく自分がどんな流れの中にいるのか、それこそ先祖がどんな生き方をしたのか、など思いをはせる機会もないでしょう。少なからぬ縁をもった人々がどのように生きたのか、暮らしていたのかをもっと知りたいなあと思うのは歳をとったせいでもあるのでしょうねぇ。


さて、いよいよ、2004年はあと数時間です。今年、みなさんはどんな年を過ごされたのでしょうか?
私は、ひたすら時間に追われまくった年でした。ある友人に「スローライフだ、スローフードだと言っている人が、忙しい、忙しいと言っているのはおかしい」と言われました。私もまったく同感です。でも、人生はままならぬもの。走り続けなければいけない時機、時期もあるというものです。
2005年、また、たくさんの人に会い、たくさんのエネルギーを交感したいと思います。
来年もよろしくお願いします。
みなさまのご多幸をお祈りいたします。

もう、梅の花が咲いていました。蕾もたくさん!




posted by LJ21 at 18:45| Comment(0) | TrackBack(0) | LJ21事務局担当 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。