2005年04月26日

岩手県江刺市 及川純一 3日目 蔵の話し

4月26日(火)晴れ
 2日目の写真ですが、最初の物がガラス工房となる土蔵の曳き家風景、真ん中がガラス館内部、最後がガラス館(左)とガラス工房です。ガラス館は新築、工房は明治43年頃に造られた土蔵を無料でもらい受け改修しました。
 さて、今日は土蔵の話しです。江刺市の中心は岩谷堂地区で人口約1万人。市全体で3万4千人ですから約3割の人々が住んでいます。古くから物資の集散で栄えた商人のまちでした。当然土蔵も多く建てられていました。現在ガラス館を中心に半径500m以内に134棟の蔵が残されています。範囲をもう少し広げると200棟以上はあるでしょう。最近江刺は蔵のまちとして売り出していますが、川越や宮城県村田町のように店蔵が街並みを形成している姿とは大分違います。江刺の場合は家財道具を入れる文庫蔵が多いのです。そのため土蔵は敷地の奥に配置されていて、表通りからは殆ど見えません。どこに蔵があるのと怒って帰られる方もいるでしょう。でも、路地裏にはいると土蔵が並び、懐かしい空間が広がっています。
 江刺は明治37年から39年にかけて5回も大火に遭遇しています。延べ1400棟もの住宅を焼失しています。現在残っている土蔵の殆どがこの後に造られています。県南の花泉町の土蔵は狛犬が逆立ちしていたりレリーフで鶴亀の模様があったりと豪華ですが、江刺の土蔵は至ってシンプルなデザインです。土壁のみあるいはなまこ壁に漆喰仕上げが殆どですが、財力のある人でもせいぜいなまこを屋根の下まで立ち上げる程度です。これは連続の大火で建設費が不足したか、早急に建設する必要があったか、あるいは文庫蔵と言うことで奢侈に造る必要がなかったことによるものと推測します。いずれ、このことがシンプルで清楚な美しさを持つ土蔵の造られていった理由でしょう。


土蔵はそれぞれの役割を持って造られます。店舗用の店蔵、家財道具を収納する文庫蔵、酒などの製造に使う工場蔵、商品を収納する倉庫蔵、穀物を入れる穀物蔵などがそれです。ただ穀物蔵は板蔵の場合が多いです。しかし、蔵は現代生活になじまないと考える人も多く、その役割も時代によって変わってきています。代が変わるたびに商売の縮小、商売替え、廃業などになると蔵は最終的には空き蔵となり、邪魔者の扱いになってきます。勿論蔵の重要性を認識する人もいますが、出来れば壊したいと思っている人も多いのです。
 江刺商人の誇りであり文化の象徴である土蔵はこのままでは消滅する恐れがあります。中心市街地はそもそもそのまちの文化の発信地であり、まちと周辺農村部を結びつける核で遭ったはずです。その核を失ったまちは果たして10年後100年後に世に誇れるまちとして存在できるのでしょうか。自分たちの生き様こそが歴史を作り、その歴史が宝となり、誇りとなるのでしょう。文化としての土蔵を新しい視点から見直すことが必要だと考えます。



江刺の蔵は新しい物でも築後100年は経っています。従ってどんな蔵も傷んでいます。この補修も個人の力ではどうにもならないのが現状です。また、現在の持ち主は老夫婦や独居老人である場合が多く、そろそろ代替わりになります。子供達は都会で暮らしている家庭が多く、世代交代によって蔵が残らなくなる可能性があります。価値観の違いや修理にかかる費用の問題から江刺の蔵の風景は無くなることもあるかもしれません。
 蔵のある風景を残して行くためには、蔵を継続的に残していく法的、資金的、技術的、人的システムの構築が望まれるのです。




posted by LJ21 at 20:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 岩手県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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