2006年01月09日

三鷹市 5日目 暮らしやすい三鷹

名刺を交換するたびに、「おっ!三鷹ですか」と言われることが多いことに驚きます。
住んでいたことがある人、親族が住んでいる人も多いのですが、関係がなくても「あの三鷹市」として妙に感心されたりします。

三鷹には6年前に越してきました。父の転勤で兵庫県芦屋市から中学入学と同時に渋谷区広尾へ。高校時代は吉祥寺に越して、社会人になってからは文京区西片という後楽園から歩いて10分程度の超都心に20年ほど暮らしていました。6年前に思いがけず三鷹にマンションを購入。井の頭公園の目の前に住んでいた高校時代がとても懐かしくなって選んでしまった、そんな感じかな。

画像:井の頭公園


まだ建設中だった我がマンションに行く道筋にやはり建設中のガラス張りのビルがあって、そのビルのために道路を拡張工事までしている。「なんじゃ、これ?」と横目で見つつも、新居にゆっくり腰を据える間もなく地方出張の連続。2004年9月に市の広報で「マイショップに出店募集」を目にして応募、風土倶楽部の棚を産業プラザの1Fのマイショップに出させていただくことになりました。
そう、それがガラス張りのビルだったのでした。なんと我が家から3分!マイショップ&マイオフィスなどと勝手に言っています。

画像:三鷹産業プラザの外観


ここに出店して以来、第3セクターである株式会社まちづくり三鷹の方々とも懇意になり、「行政と市民の協働のまち三鷹」を実感する日々です。地方では、人口が少ないこともあって、行政と住民の関係が近いことをよく目にするのですが、文京区に住んでいたときは区役所に行くのは住民票を取りに行くときぐらいで、身近な行政というものをついぞ感じたことがありませんでした。当時、文京区春日にはバブルの塔というのがそびえていて(もちろん今もある)、あのガラス窓のガラス1枚分は私の税金だわ、と目にするたびに思ったものでした。

画像:産業プラザの玄関 1Fにはマイショップのほか、iカフェやホテルオークラのティールームなどもあります。


画像:マイショップ風景

戦前は武蔵野の農村地帯で、戦中、戦後は一時製造業が盛んな時期もあったようですが、結局、都心から少しだけ離れた郊外の住宅街として急速に発展してきました。昭和20年には5万人だった人口が昭和40年には15万人に達していたそうです。現在は17万人です。旧住民と新興住民を融合させて、新しい町をつくるために、昭和48年ごろからすでに総合計画を住民が地区ごとにつくったまちづくりプランをベースに作成し始めたそうですから、住民自治にもっとも早くから取り組んだ行政の一つだといえます。

行政とか住民とかという立場よりも、毎日、暮らしたり、仕事をしたりする場が快適で、楽しく、そしてやりがいがあること。そんな環境づくりを一緒にやっていく場が身近にあるというのはありがたいことだと思っています。
三鷹にお越しの節は、ぜひ、産業プラザに足を伸ばしてみてくださいね。
(新宿からJRで特別快速なら15分足らず、快速でも20分程度です)

産業プラザという名前がちょっと馴染みにくくて、いつも仲間と「ポッキープラザ」にすればいいのにと冗談半分で言っています。
ポッキーというのは、三鷹の鷹をシンボルにした鷹の子のキャラクターです。三鷹にはジブリ美術館があるので、ジブリのデザインによるものです。



幕開けは風邪でどうなることやらでしたが、ようやく復活!
では、今週末のフェアでお待ちしています!
遊びに来て下さいね。

画像:井の頭公園の梅 これは昨年の風景。今年はいつもより春が待ち遠しいですね。




posted by LJ21 at 13:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 東京都 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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