早いものでいよいよ最終日となりました。
では最後に、「今週の私」に登場させて頂くきっかけとなった、LJ21さんのお手伝いとして参加した群馬の地元学調査で感じたことについて少し述べたいと思います。
群馬県、赤城山の裾野に営まれた、旧黒保根村(現桐生市)の隣接する2集落。
そのうち私が調査のお手伝いした「清水集落」はその名の通り水に恵まれたところで、集落のあちらこちらに水路が引かれ、またそれが美しく管理されていました。
この水路、天然のものではありません。先人たちが多大な労力をかけて造りあげ、そして今日まで集落の人々の手によって代々管理されてきたものです。
しかしながら現在、この集落には「若い人」がほとんどいません。「若い人」がいないということは、この先の水路の守り手がいないということです。
清水集落の方は盛んに、「今、水路の大規模な工事をやっており、それが完了すれば水路は100年でももつ」と熱く語って下さいました。確かに土木工事によって水路のそのものが壊れることはなくなるのかもしれませんが、現実には、水路には人の管理・人との関わりが必要であり、それを失った水路は??
私はお話を伺いながら、集落の方が水路を清水集落の誇りとしていること、そして自身の住み慣れた集落を心から愛していることがひしひしと伝わって、どうしてこんなに熱い思いが「若い人」には届かないのか、とても悲しくなりました。

なぜ若い人は清水集落にいないのか。
それは田舎には「雇用の場がない」からです。
これは大学卒業後、地元に戻りたいと考え現在仕事を探している私にとっても、ごく身近な問題です。
そんな私が最近考えていたことが2つあります。
1つは、雇用は、本当に選ばなければそれなりにはあるということ。(ただし正社員かどうかは不問)
もう1つは、雇われることだけが仕事(=収入を得る道)ではない、という、ごく当たり前のこと。
用は生活に必要な収入を得られれば良いはずなのです。
そしてそもそも本来農山村とは、農業・林業を主な産業とする地域であるのだから、農業・林業を営んで生活して行けることが当然であるはずだし、ベストでしょう。しかし今やその当然が困難な、おかしな時代になってきているのです。

ということで改めて、
私の仕事はどうなるのでしょう(笑)
「大学院まで行ったのに」と言われつつ、雇用先が決まらずに「仕方ないやー、あは」と言いながら、家で百姓したいなぁ・・・なんてもくろみ中。
農業はもちろんやりたいけれど、農家ではなくてあくまで百姓。
オーガニック野菜のお庭を作ってカフェしたり、うちの山のヒノキで部屋を改造して農家民宿したり・・・あー夢は広がります。なんて創造的な仕事なのでしょう。
(ま、それで(収入を得て)生活していけなきゃいけないのですが(・・笑))
こんな私は、友人たちに驚かれ、不思議がられ、時に羨ましがられます。
最近の田舎暮らしブームで、こういった価値観が広がってきたとはいえ、実際には同年代の友人たちの多くにとっては、まだまだ「想定外」であるようです。
しかし、私には「想定内」。
それはきっと、オヤジの背中を見てきたからなのでしょう。
飲み好きで友人の多い父は、近所の飲み友達のおじさんたちと「もみじ会」なるものを結成し、共同でおいしい米作り&オリジナルのお酒を造りました。(→)そしてそんな父を見守る?母・・・
温かい人と自然に囲まれて、楽しそうに暮らす両親を見てきているからこそ、
いい意味で「生きるって、こんなもんだなぁ」と思えるから、
実家に帰りたいと思うのはごく当然の成り行きではないのでしょうか。
この「楽しく暮らす」その姿を見て育つということは、とても大切なのではないかと思います。
カヤ的過疎化対策キーワード
1 生活のための収入を得られる農林業(または百姓)
2 土地の人は楽しく暮らしているのか、どうか。

1週間、楽しみながらだらだらと書かせて頂きました。
ありがとうございました!
(皆様のご活躍をお祈りし、富士山を・・→)
