2006年09月08日

青森県青森市 小笠原秀樹 5日目

ようやく自宅のネットが復帰しました。でも、書き込みはオフィスからです。

さて、依然として「コミュニティビジネス交流会」の申込が低調なので、県の担当課とプロモーション策を意見交換してきました。といっても、会議ほど堅苦しくなく、雑談のようなものですが。
本業のほかに、夜は家族会議(完全なプライベート)、さらに青森創造ゼミナールの活動でした。
前日のブログで「市民メディア」のお話をしましたが、青森創造ゼミナールは「地域住民のメディアリテラシー向上と草の根の情報発信の促進のために、ラジオ番組制作実習や地域メディアに関する情報収集や研究を行う」ことをミッションに活動している任意団体です。まあ言い換えると、市民メディアマインドを青森県民にということですね。
そもそも話。もっと県民がメディアに主体的に関わること、考えてもいいのではないか?もの言う視聴者、リスナー、読者がもっといなければならないのではないかと、記者時代に思っていました。それが、メディアリテラシー、市民メディアの基本的なマインドではないかと。編集権がメディア側にあるのはやむ得ない。取材したことが100%表にのるとは限らない現状ですね。それよりも、取り上げない、ネタにしないものが多いという現状。市民活動は金にならない(営業にならない、CM収入に結びつかない。)、動きに絵がないからなんて、とても勝手すぎる。それもメディアの編集権、編集方針なんだからといったら、おっしゃる通りです。はい。
ならば、市民が主体的に関わる、運営するメディアはないか、できないか、1990年代末に当時研究者の駆け出しだった私のテーマとしたのが、いまの青森創造ゼミナールの活動につながっています。
はじめは自身の研究分野として、昨今増え続けるコミュニティ放送(地域FM放送)を中心に全国の局をヒアリングをしていました。その中で、エフエムジャイゴウェーブ(田舎舘村のコミュニティ放送)をヒアリングしたところ、番組を作ってみないかとお誘いを受けました。はじめは、無報酬だし・・・とあまり乗り気ではなかったのですが、これまで引きずっていたラジオへの想いを吐き出すことが何かを振り切るきっかけになるかもしれない。そう思い、結局引き受けたのでした。
番組は、開局日の3日後、2000年1月3日スタート。私が夢だったDJ(音楽)番組です。一定の支持を受ける番組になり、私も話したい、番組を作りたいと集まってきました。ならば、組織化しようと翌年2001年に青森創造ゼミナールを結成、活動を始めました。いまは、ゼミナールとしての番組も2本。また、この夏、青森市浅虫でイベントミニFM放送「kanonFM(かんのんえふえむ)」を行いました。
NPO支援が職業化している私にとって、この活動は日常にメリハリ、潤いを与えてくれるものと思っています。そう、それがボランティア活動で言う生きがいなんだと気付いています。支援する側がこんなことにいま気が付くのって、ボランティア活動をされている方からは笑われるんですがね。
(翌日に続く)


posted by LJ21 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 青森県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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