2007年01月13日

滋賀県近江八幡 山口琴子 6日目

ブログ、あと2日間あるとのことでしたっ。

3日目の投稿に対して下記のコメントをいただきました。
「…(略)でも、私にとって良い環境ってなんなのか?とか、同じ環境に居ても人によって感じることが違うのは何故なのか?なんて考えるとわからなくなります。わかっていることは、環境を変えられるのは人(私)なんですよね。きっと。」
これを読んで、思い出すことがあったので書きます。
ある住職が、相手(社会)は自分の反影であるというお話をしてくださったときに紹介された文章です。図に表現したものも添付します↓
浄玻璃の鏡.JPG

「…(略)何故ならば、外の世界というものは皆その根源というものを内(自分の心)に有(モ)もっているからである。環境とか、周囲だの、外界だの、社会だの、そういうものは皆その根本を自分の主観に有(モ)っているものである。畢竟(ヒッキョウ)ずるに自分の心、自分の意志、それが世界を造るのである。外界というと要するに自分の心の影である。自分の心の中に美しい世界が荘厳(ショウゴン)せられるならば、おのづから外界とか社会とかいうものもまた改善せられて来るということは、それは疑い得ないであろう。」 ・・・(「曽我量深選集」第五巻376頁「本願の仏地」より抜粋)

主観って人それぞれ。だから、環境をどうとらえるかも人それぞれなんだと思います。
例えば、自分の置かれた今の環境が良いかどうか、なんて、絶対的には決められるものではなくて、自分が良いと思うかどうかだと思うのです。
GNPではなくGNH(国民総幸福)を国の豊かさの指標にしているブータンという国にも学ぶことができると思います。

世の中に問題があると思っている人にとっては、その問題は発見されているけれど、問題に気づいていない人にとっては、その問題は存在しないですよね。
実際、皆で解決しなければならない問題があるのであれば、皆が自分の内の問題だと思わなければ、誰も解決しようとしません。だから、皆に気づいてもらえるように話す必要があります。

。。。ちょっと長くなりそうです。続きは明日にいたします。


ラベル:近江八幡市 環境
posted by LJ21 at 00:00| Comment(1) | TrackBack(0) | 滋賀県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私も確かに環境は、主観によって捉え方が変わると思います。だから自分が変われば、同一の環境でも変化するでしょうし、環境に対しても働きかけることができると思います。しかし、物事を知る基本は自分を知ることだと思います。その物事を知る物差しとなる自分を知るのが、また難しんですよね。ほとんどの人はそんなに立派じゃないんです。いつのまにか、自分の環境(外界)から影響を受け自分の意思に関係なく主体であるべき自分が、変化してしまうと思います。そして変化してる自分にも気づかない。そんなことがあるんですよ。だから・・・・・ 続き明日以降にします。
Posted by 地 at 2007年01月15日 23:07
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。