2007年01月20日

IDEC 嵯峨創平6日目

「こもれびの里」で2007年初仕事。立川市にある国営昭和記念公園というバカでかい公園の一角に今秋オープン予定の農業体験ゾーンの名前が「こもれびの里」。そこでは武蔵野の昭和30年代の農村風景を再現し、そこで本当に伝統的農法で野菜づくり・米麦づくりをし、料理づくり・年中行事などの体験もしてしまおうという計画が進行中だ。

ぼくは2006年春から「こもれびの里倶楽部」ボランティアとして景観づくりや来園者向け体験活動のお手伝いをしているが、多くの時間はベテラン農家の指導員の方に農作業のイロハを教わって楽しんでいるという感じだ。週末の仕事と勝ち合ってなかなか行けないのが残念だが、月に1〜2度は都市近郊アウトドアを楽しんでいるというわけだ。

sagasan11.jpg冬の農閑期の間は、もっぱら農園整備や付帯設備整備のための土木工事を行っている。今日は堆肥場の移動のための下準備と、炭窯づくりが作業テーマだがほとんど全て人力作業だ。「炭焼きの会」という有名な団体から先生が3名も来られているドラム缶窯の製作に加わらせてもらった。土台の上に2本のドラム缶を並べて本体を作るのだが、いろいろ微妙なコツがあるようで何度も試したり計測したりして慎重に作業を進めている。ぼくは炭窯の周りをかためる土を運搬する班になって(いつものとおり若手は力仕事)、スコップと一輪車でどんどん土を運ぶ。ほんとにいい汗をいた。


sagasan10.jpg夕方から早稲田大学近くの某所へ演劇ワークショップの報告会を聞きに行く。(看板を見て「そう言えば今日はセンター入試1日目だったんだ」と思い出した。)「民衆演劇ワークショップ」の方法(ぼくも交流をしているPETA/フィリピン教育演劇協会が確立した方法)を使って、2006年春〜秋にかけて半年間で18回のワークショップを行い、10月に『水俣ば生きて』という公演を行ったドキュメントだった。

昨年は「水俣病公式発見50周年」ということで、さまざまな事業が水俣市や全国で行われた。『水俣ば生きて』という公演は、胎児性水俣病患者の人たち・障がいを持つ人たち・一般市民や子ども達が一緒の舞台に上がり、患者や障がい者というレッテルではない当たり前の人としての感情や生活感をもつ存在であることを伝えたいと、自らの体験や取材をもとに患者さんや障がい者が出演して行われた公演だ。「もやい直し」(コミュニティの絆の再生)に向けて努力している水俣市の記念事業として行われた。ただ水俣病を取り巻く状況は、今も政治的・感情的に大変にデリケートで、日本国内ではこれ以上無いというくらい難しい状況へのチャレンジといって良いだろう。

このワークショップ手法による参加型の作品づくりに取り組んだのが「演劇デザインギルド」の花崎攝さん、成沢富男さん、福原忠彦さん。花崎さんと成沢さんは、これまでも日本各地で演劇ワークショップを成功させているベテランのファシリテーターで、彼らの力量なくして今回のプロジェクトは無かっただろう。だが、今回のプロジェクトの立役者は現地駐在員として半年間水俣に住み込み、ワークショップの裏舞台(いわば裏ワークショップ)を支えた福原さんであったとぼくは思う。若い福原さんの汗と涙の活動報告・あきらめない頑張りに拍手!だった。


posted by LJ21 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 東京都 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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