2007年07月03日

島根県飯南町 有田昭一郎 2日目

5月から毎朝5時半に起きて7時まで家の修理をしています。今朝も早起きしました。
飯南町に住み始めて5年目、これまでアパートに住んでいましたが、3年目当たりからもう少し山奥に住んでみたいなと思い、色々当たっていましたが、ある日うちのかみさんが「面白い家があるよ」と言ってきました。たまたま見つけたようですが、どれどれと家族5人で見に行きました。

家を見て子ども達の第一声「千と千尋のところみたい」。となりのトトロのさつきとメイの家ならいいのですが、神隠しにあうのかよ、という感じです。基本的には趣のある家なのですが、屋根は一昨年の大雪で折れ、周りは草ぼうぼう、かつての畑は潰れたビニールハウスがススキと笹の原に埋もれています。う〜ん。

結局、要検討とし、他の家も当たってみようと伝手で町内に顔が広いおじさん(顔役さん)に頼んでいたのですが、そしたら紹介されたのがまたその家です。こんなこともあるのだなーと思って、一応中を見せてもらうことにしました。すると家の中は、最後の住人であるおじいさんが亡くなった時点から時が止まっていました。イスに掛けられたままのズボン、戸が開けられたままの水屋など、こうして家は突然空き屋になるのだなと思いました。

地元の顔役さん
 色々検討したのですが、結局、家を借りることにしました。自由に内装できること、周囲の田畑・雑木林を生活の範囲で使用できること、そして家を紹介して下さった顔役さんが同じ集落に住んでいることが大きな理由です。この方は山屋さん(木の伐出業)で、あちこちの山から木を伐り出されるので広く顔が繋がり、色々な情報を持ってられます。例えば、まだ使える耕耘機があるんだけど売りたい、家が空くので貸したい、ミツバチの箱を置かせてくれる所を探している、家のここの部分が壊れて困っているんだけどなど。本業は山屋さんなので、伐り出した丸太で板・柱を挽き、同じ集落の方と大工作業までされています。また商売されている方なので町外の方とも交流機会が多く、よい意味でなんの勝手も知らない私のようなよそ者の扱い方をよく知っておられます。
 最近、空き屋バンク制度があちこちで立ち上げられていますが、結局、システムとしてうまく機能するか否かはこのような地元の顔役さんとうまく関係できているかどうかなのでしょうね。

畑の復元
というわけで、まず5瀬ほどある畑の復元から始めました。ビニールハウスの周りの草を刈り、ハウスを解体します。そのあと笹を草刈り機でザックザックと刈り、長年積み重なった枯れ草と一緒に焼いていきます。開けた所でトラクターを入れてもらい根を切り、土を起こします。掘り起こされた根を集めてさらに焼きます。ほぼ2週間の作業でした。
こんな感じです↓
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家の修理は家具の移動から
 それでいま家の修理をしています。目指すは、外見はトタン葺き納屋、内装はアルバ・アアルト邸、グンター・アスプルンド建築なのですがその道のりは長い。
 家の修理に至るまで大きく2つの山がありました。1つ目の山は家具・調度の移動。大抵の空き家はそうだと思うのですが、家財道具は使った当時そのままで家の中に展開されています。結構、農家の方は物持ちでこれが大変! うちは片づけ始めてこりゃ大変だと思っていたら、大家さんが途中からやってくれたので大助かりでした。2つ目の山は畳の下の床です。借りた家は築40年で、栗材が使ってあり、壁も荒壁なので、構造はしっかりしていますが、土地が元田んぼでかなり湿気があがってきます。人が住んでいる間は窓を開けるので湿気が抜けるのですが、住まなくなると途端に湿気がこもります。それでこの家も畳の下の床(底板といいます)が半分以上腐っていました。
 こりゃいかんとばりばり底板をはいでいたら、えーい他の部分もと荒壁の上に張ってあったベニヤや石膏ボードの天井も落としてしまいました。壊すのは簡単で友人4人とやったら1日で終わり、家は柱だけになりすごくすっきりしたのですが、来る知り合いに「壊してんの?」と聞かれました
 床を剥いだら、ます床下に防湿シートを敷き重しの砂を引きますそこから毎朝、新たに床や壁や天井を貼るための下地づくりをし、もう少しで終わるかな?ということころです。
こんな感じです↓
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 実はもう一つ隠れた山があります。家の周辺の整理です。周囲の林の中に入ると結構使われなくなったテレビや瓦、家具などがそのままほかされていたりします。いずれ片づけようと思っています。それにしても最初は自分の敷地内とはいえ結構こういうことはおおらかだなと思っておりました。それで、知り合いともこの話しをしていたら、それは一概に捨てた者の責任とばかりはいえないという意見がでました。高度経済成長期に入る前も同じくほかす習慣はあったのだと。だけどその時は材料は木や藁や泥で屋外に置いておけば土にもどったのだと。だけど生活品は急速に樹脂やプラスチックに置き換えられていったのだと。そうかもしれません。長い間かけて自然との間に作られた生活習慣や行動習慣を急に切り替えるのは難しいですもんね。

昔の大工さんはすごい
下地づくりとは、床を水平に、壁を垂直に貼りつけるためのフレームを作っていく作業ですが、これが苦労しました。なんせ家に使われている柱で一つもまっすぐな柱がないのです。うねった柱をうまく組んで全体としては安定した構造体にしているのです。水平器もない時代どうやったのだろう?また、庄屋屋敷ではなく普通の田舎屋だったら普通のことなんでしょうが、ユーズド柱が結構利用されています。きっと他の家が何らかの事情で解体された場合など機会ごとに柱を集めているのでしょう。

とそんなことを考えながらトンテンカントンテンカンやっております。家の前の畑のキュウリやトマトがなりはじめました。それではまた明日。


posted by LJ21 at 20:50| Comment(2) | TrackBack(0) | 島根県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
今年の春目標で島根への移住の準備をしておりましたが 仕事子どもそして住居の問題などあり再検討となりました。
いろいろ考えるところはありましたがご縁があり 今は私達なりの都市と地方とのつながりを模索しているところです。
制度システムを整えても やはり“顔役さん”など 人のつながりですね。
良い出会いをしていきたいと思っております。

「千と千尋」いいですね。
ご縁ですものね。
Posted by kicco at 2007年07月07日 09:36
>kiccoさん

うちのかみさんは「もののけ姫」といっております。結局私の場合も、家を見つけるのに3年かかりました。それは調度、町内の人と色々関係が深まるのにかかった時間でもあるような気がします。
今はつゆ。草と格闘の毎日です。
Posted by 有田昭一郎 at 2007年07月08日 23:53
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