2007年10月05日

私設あおもり応援団 小畑智恵3日目

自分たちの土地に“財産”が眠っていることに気づき、しかも、それを生かす技術を持つということは、土地にとっても、そこに住む人にとっても嬉しいもんだ。

青森県五所川原市で22年前に「津軽金山焼」という新しい焼き物をつくり、窯場を築いてきた窯元の松宮亮二さんに去年春から約1年の間、取材するたび、ずっとそう思っていました。

39 登り窯.jpg「六古窯」と呼ばれる瀬戸、常滑、越前、信楽、丹波、備前が国内の主要な焼き物産地として知られますが、バブル期に爆発的に増えた注文に応えるうち、多くの産地では焼き物に最も重要な土も、薪窯に最適な赤松もかなり底をついたと言います。さらに今は、日用品には流入する中国やアジアからの安い陶器で十分とする消費者も増え、業界としては“冬の時代”。そんな中、津軽のため池に眠る質のいい粘土と、裏山にふんだんに育つ赤松の存在に気づいたのが松宮窯元でした。

DSC_3675 窯元.jpgそもそも窯元は、看護師でした。精神科の患者さんに作業療法のひとつとして陶芸を教えることになり、独学で学んで患者さんに教えるうち、自分が陶芸のおもしろさにハマってしまったのが運のつき。「予算が足りないなら、自分で作ればいい」とばかりに、壊れた建物のレンガを拝借して自己流の“窯”を造り、解体屋から円盤ブラシが付いている掃除機を2000円で買ってきて、これまた自己流の“ろくろ”まで作ってしまった根っからのモツケ(津軽弁で「熱中する人、お人よし」などの意)。挙句の果て、看護の仕事より、焼き物の道を選んでしまったという逸材?なのだ。

市内の川床やため池の土をさまざま試して金山地区にある大ため池の土にめぐり合い、釉薬を使わず、備前焼のような「焼き締め」の技法が適しているということにたどり着いたのが22年前のこと。

IMG_4438.jpg赤茶色のざらりとした土肌のところどころに、赤い濃淡の筋が見える。赤松から生まれる長く熱い炎が走った跡だ。大窯の場合、スタッフが交代で24時間、薪をくべ続けながら、備前焼よりやや高い1350度までぐいぐいと温度を上げ、そしてゆっくり冷ます。その間、約1週間。「薪をくべるタイミングは5秒違ってもマイネ。窯は五感で焚くもんだ」。数限りない失敗を経験してその感覚を身に着けた窯元は、60歳を過ぎた今も筋肉モリモリ。焼き物が本当に重労働だということがわかる。

76 ジョン窯を造る3.jpg窯元は、津軽の土と薪を生かし、これからの時代を生きる津軽の子どもたちに誇りを持ってもらえるようにと、この金山を焼き物の産地に育てようともくろむ。実はこの五所川原、国内最北端の須恵器窯跡群が確認され、国の史跡指定を受けています。「ここで焼き物をつくることは、100年前に突然途絶えた津軽の焼き物の歴史を、再び動かすこと」。そんなメッセージを添えて世界の陶芸家たちに参加を呼びかけた世界薪窯大会は今年で7回目を数え、夏の1ヶ月間、金山焼の窯場は滞在製作するギリシャ、アメリカ、韓国、台湾、ロシアなど、各国の作家たちでにぎわっているのです。

手びねりはもちろん、ろくろの陶芸教室を開き、春と秋には陶器祭りも行っています。窯は全部で7種8基り、ほとんど毎日、どれかの窯に火が入っているので、窯焚きを見学することも可能。津軽のモツケで、じょっぱりな窯元と、一緒に働く若きスタッフたちに会いに行ってみてください。

ちなみに、取材した内容は「土と炎とじょっぱりと〜聞き書き 津軽金山焼の挑戦〜」として、津軽金山焼から出版されています。

ラベル:津軽
posted by LJ21 at 00:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 東京都 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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