2005年10月16日

東京都 三鷹市 松尾瞳美 7日目

★「市民活動」社会★

想像して見てください。

おいしい匂いの立ち込める小さなカフェにふらりと寄ったら、そこはオーガニックのコーヒーを出しているお店だった。

そのお店の中心にあるソファには若い女性と、おばあちゃん、おじいちゃん、若い男性、高校生などが5人ほど座り、話をしています。よく見てみると「遺伝子組み換え作物についてフリートーキング。どなたでも参加できます。」と書いてある。

「最近は殺虫能力のある遺伝子組み換え植物があるんですよ。だから無農薬だと謳えるわけです。そんなもの人間が食べると私達の体はどうなってしまうかは分かっていないんですよ。」

「動物実験などをして安全だと確かめているんでしょう?」

「短期的な実験では完全に安全だとはいえないでしょう。遺伝子組み換え食品が私達の体に影響を及ぼすのはもしかして2世代後の孫たちかもしれない。そこまでは実験では分からない。」

「でも、近い将来飢餓が発展途上国などで問題になるって言われているでしょう。私なら、飢餓で死ぬより、少々体に悪くても作付け率のいい遺伝子組み換え食品をおなかいっぱい食べたいと思うよ。」

「遺伝子組み換え植物を食べた虫などが死に、食物連鎖が壊れてしまったら、土や肥料が出来なくなってしまう可能性だってあるんだよ。そうなると作付け率以前に土地がなくなっていく。飢餓の問題をどうにかしたいなら、そんな危険な方法を選ぶ前に人口爆発の問題を対処したり、発展途上国の農業効率向上のためのサポートをしたりと、することはたくさんあるはずだよ。」

などというやりとりがされていた。

この町は個性的な店が多い。それはNPO数が多いため、よりよいお金の使い方をする人が多いことと、個人企業家にたいするサポートが充実しているからだ。

カフェを出ると、街路樹をメンテナンスしている団体が活動していた。
町並みはその団体の植樹・管理活動によって美しくユニークな姿が保たれている。
その活動をしている人はほとんどが当日ボランティアで、植物が好きな人や土いじりが好きな人が参加している。
 その中には小学生のグループも参加している。学校の総合学習の一環で小・中・高生がボランティアや取材調査などでさかんに町に出て活動している。学校教育は自分達でテーマを決め、問題や物事を抽出し、調査し、問題解決や改善に向けて行動するというプロセスで評価される。そう変わったのも、町にある教育NPO連合というNPOの連合体が学校と連携し、総合学習プログラムの協働作成、情報提供、教師の教育プログラムなどを行うようになったため。
この総合学習により、子供達は社会問題を知り視野が広くなることや、情報の収集の仕方が身に付いたり、地域に世代を超えた知り合いができるというメリットがある。また、時々NPOや地域住民も子供達の奇抜なアイデアや解決法に新しい糸口を見つけることもある。

この町には身体障がい者にとってもやさしい町だ。例えば文字を音声で読み上げるソフトを開発したNPOや、点字の本を格安の方法で作成するNPO、手が動かない人のための音声操作ができるPCを製作しているNPOなど、数多くの身体障がい者向けサービスを展開しているNPOがあるから。
 なぜそんなNPOが多く立ち上がったかというと、例えば「こういうソフトを開発して身体障がい者のために役立てたい」という人が3年間中間支援NPOの力を借りてひとり立ちするまで暖かい支援を受けることが出来るからだ。

その中間支援NPOの力を借りて独立したNPOが町中で多様なサービスを提供しており、さまざまな人のニーズを受け止めることができる。

町中いたるところに市民活動に参加するための仕掛けがある。
社会を自分達が担っているという充実感がある。
活動をすることによって感謝される。
やりたいと思った人が自らやれる仕組みがある。
こどもも、老人も、障がい者もいきいき暮らせる。

そういう社会を目指したいと思っています。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

一週間思い思いのことを書かせていただき、ありがとうございました。
三鷹市市民協働センター 松尾瞳美

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2005年10月15日

東京都 三鷹市 松尾瞳美 6日目

★NPO・コミュニティビジネスの支援のあり方A★

(写真はサンフランシスコにあるNPOの拠点、ソーロー持続性センター。ホームぺージよりhttp://www.thoreau.org/home.html

BのNPO支援財団についてですが、今でも日本の笹川財団、日本財団、トヨタ財団などがありますが、それに加えて個人の寄付からなる財団が欲しいなと思います。

日本人は寄付をしない文化だと言われますが、文化だけが主要が原因ではなく、例えばどこに寄付したらいいのかわからない、その寄付が本当に有効に使われるのか不安、などの原因も考えられます。

NPO支援財団を作り、寄付金の使われ方の情報公開を行い、有効活用されるという信頼を作る。電話寄付、クレジット決済寄付、オンライン上での寄付など、さまざまな寄付の方法を開発する。寄付したいという人の相談にのったり、政府や行政へ(認定NPOだけでなく一般のNPOでも)寄付金の税的控除の仕組みを働きかけるという役割が必要だと感じています。


(写真:このような建物の中でNPOがたくさん生まれている。)
 
アメリカのTides Center, Tides Foundation などはこれらBつの役割を持っており、
非常に効果を挙げています。

もちろんそのままその仕組みを取り入れては日本になじみません。

しかし、市民活動を日々応援する立場としては、この3つの機能の必要性をよく感じます。


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2005年10月14日

東京都 三鷹市 松尾瞳美 5日目

★NPO・コミュニティビジネスの支援のあり方@★

市民活動が発達した姿が、NPOやコミュニティビジネスだと私は思います。

 有給のNPOやコミュニティビジネスになると継続して活動ができ、責任を持って発展的な活動ができます。社会に対していい仕事を作り出し、いいサービスを提供でき、それによって助かる人がでてきます。
 それだけではなく、いち早く社会のニーズに対応できる仕組みであり、夢を実現できる仕組みであり、多様性に対応できる仕組みにもなります。

市民活動が発展しNPOやコミュニティビジネスになることは、上に挙げた例以上にもっと社会的価値があると感じています。

目指すところは、NPOで食べていける人たちが増え、それによって社会もよくなっていくことです。

しかし、日本ではNPOにとって風当たりが厳しく、ほとんどのNPOはボランティアによって成り立っています。

もっとNPOやコミュニティビジネスにとって優しい社会に出来ないでしょうか・・・。

そこで、以下のようなことを考えています。(個人的にです)

@中間支援NPOを作る
A三鷹にNPO都市を作る
BNPO支援財団を作る

この3点です。



@の中間支援NPOでは、

●NPOやコミュニティビジネスの経理や会計、給料手続き、行政への報告書類づくりなど、本業を圧迫する事務作業を安いお金で代行する。

●オフィスやプリンタ、PCなどの設備を格安で貸し出す。(これは日本でもすでに行われているところがある)

●PC環境のサポートを格安で行う。三鷹は世界一のIT都市(ITを活用したコミュニティ作りで世界一になりました)。その実績を活用し、NPO活動に不可欠なPC環境の整備・サポートを格安で提供する。

などを行い、やる気のある人が本業に専念できるような仕組みを作りたい。

A三鷹にNPO都市を作るというのは、NPOの本拠地となる場所が日本にはまだ無いからです。なぜNPOが集まる本拠地が必要かというと、以下のようなメリットがあります。

●一団体ではできないサービスやプロジェクトを他団体と協力して行える。
●経理や会計、行政への報告書類、給料などを共通して運営する。
●信頼ができるため、寄付金が集まりやすい。
●ノウハウや知識を共有し、助け合いながら高めていける。
●まとまることで行政や政府への交渉力がつく。
などです。

例えば三鷹市でNPOへの優遇措置(可能かどうかは分かりませんが、例えばNPO法人を取得しているとごみを有料ゴミ袋で出さないといけないが、家庭用でもよくするとか、NPOへの寄付金を所得税から控除できるしくみなど)が出来ないかなぁと思います。

Bは明日書きます。

(写真は、サンフランシスコにある大きなオーガニック食品のスーパーマーケット。日本の金銭感覚だとそこまで高いとは思わなかった。)


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2005年10月13日

東京都 三鷹市 松尾瞳美 4日目

★市民活動支援のあり方★

三鷹市市民協働センターは市民活動の支援も行っています。
現在行っている支援は、

@レターケース(無料)や印刷機(有料)、ロッカー(有料)、無料のミーティングルーム、展示ホールの無料貸し出し

ANPO設立相談窓口

B市民活動団体がイベントを行う際のPRサポート

C三鷹市の後援・共催のサポート

D協力者の情報提供

などです。さらに充実させるために市民の代表からなる「企画運営委員会」で話し合っています。

私個人の考えですが、市民活動の支援をもっと踏み込んだものに出来ないかと思っています。

例えば、パソコンがうまく動かない時にその団体に出向き、治すようなサポートであったり、ホームページの作成の仕方を出向いて教えるようなサポートであったり。
また、たった一人で「こういうことをやってみたい」と思ったときに、仲間作りから実施までを行いやすくするためのサポートであったり。

要は「やりたい」と思った”いいこと”を実現できるようなサポートをしたいと思うのです。

(写真は三鷹市での「選挙セール」の取り組みの様子。投票に行った人に割引やサービスをするお店を募り、「選挙セール参加店」として協力してもらう。
この仕組みもやる気のある市民から始まったもの。早稲田商店街では実際に投票率のアップにつながったという結果が出ている。)


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2005年10月11日

東京都 三鷹市 松尾瞳美 2日目

★市民活動とは何なのか★

今日は、私が感じた「市民活動」について話させてください。

私は高校生の時にあるきっかけで環境問題について考えるようになり、大学も「環境科学部」に進学し、環境のコンサルティング会社に就職しました。

そんな私にとって「市民活動」は問題を解決するための運動という認識しかありませんでした。

しかし、会社を辞め、NPO活動が活発な地であるサンフランシスコに行き、その認識は変わりました。

ちょうどアメリカの大統領選挙が行われようとしていた時でしたので、街ではデモが行われたり、各家の窓に「ケリーに投票します」といった意思表示のプラカードを掲げていたりと、とてもにぎやかでした。

(1枚目の写真はピースマーチの様子です。音楽やコスチューム、手作りのユニークなプラカードなど、まるで「自己表現」の場として楽しんでいるような雰囲気。ピノキオのように鼻が伸びた大統領のバルーンを持っている人や、お尻に「BUSH」と書いてペンペンたたいている人など、とてもユニークなパレードでした。)

そして毎日のように知り合いが集まり、夜遅くまでアメリカの政治や戦争について語り合っていました。

街には無農薬栽培の野菜や無添加の食品を売っているお店が多く、また特徴のある小さなお店が軒を連ねています。こういうお店が成り立つのは、意識の高い消費者がたくさんいるという証拠です。

また、街のいたるところでNPOが主催するイベントが行われていました。
「遺伝子組み換え食品に関するパネルディスカッション」や、
「アメリカの多国籍企業が発展途上国で起こしている問題」についての報告会など
いたる所で開催されているのです。


イベントだけでなく、NPOのサービスも実にさまざまでした。
障害を持つ人がアートを作り出すサービスをしているNPOでは、
専門の先生の指導の下、クオリティの高い芸術作品が作り出され、
販売会ではお店に入りきらないほどの人が買い求めに来ていました。

インターネット上にボランティア活動のカレンダーを運営しているNPOもありました。
「明日開いているからボランティアでもしようかな」という人が
そのサイトを見て、参加したいボランティア活動を見つけ、
指定された集合場所に行く、という手軽な参加の方法を提供しています。

市民活動が生活の一部に溶け込んでいる街でした。

(2枚目の写真は週に一度開かれる、環境に配慮した市場。無農薬野菜やオーガニック食品、植物などが売られている。)


私がインターンしたNPOでも、多くの発見がありました。
若い人が多く、女性も男性も同じくらい活躍していました。
若いのに責任のある仕事を任されているのにも驚きましたが、
彼らはなによりもやる気にあふれ、生き生きとしていました。

サンフランシスコに来て、市民活動の価値を知りました。
それは生きがいをもって生きることが出来る、ということです。
仲間ができ、一緒に同じ問題に向かって活動できる。
しかも、周りから感謝される。

私は新しい「生き方」を垣間見れたような気がしました。

(3枚目の写真はデモの様子。自分の思いをプラカードに表現している。)


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2005年10月10日

東京都 三鷹市 松尾瞳美 1日目

はじめまして。三鷹市市民協働センターの松尾瞳美です。

9月4日に、三鷹市市民協働センターで行われた「秋の市民交流会」で、
初めてローカルジャンクション21の朝田さんのお話を伺いました。

それがきっかけで「今週の私」の担当をさせていただくことになりました。
どうぞよろしくお願いします。

三鷹市市民協働センターは、市民、NPO・市民活動団体、町会・住民協議会などの活動や交流を支援するとともに、これからの市民と行政との新しい協働のあり方を考え、協働によるまちづくりを推進する施設です。

要するに、市民活動のサポートや行政や市民活動団体、個人と市民活動団体などを「つなぐ」役割を持っています。、市民の中から選ばれた25人の「企画運営委員」の方々と今後どういう運営を行うか、どういう事業を行うかなどを話し合っています。

書きたいことが多すぎて、何から書けばいいのか混乱していますが、
最終的に言いたいことは、「市民活動はめちゃめちゃ面白い!」ということ。
そんな市民活動を行っている人に会える職場で働けること、私にとってこれ以上の幸せは無いなと思っています。

一番上の写真は三鷹市市民協働センターから撮りました。
目の前に神社の森が見え、周りが一軒家の住宅街なので空が広く感じます。
時にハッとするほど綺麗な空が見えます。


といっても、私は協働センターに勤めてまだ1年です。
しかしこの間、さまざまな事業やサポートを行いました。

★プロのデザイナーに講師に来ていただき、ポスターやチラシの作り方を習った「PRのコツ講座」。

★キャッチコピーの作り方をプロに教えていただいた「キャッチコピー塾」。

★市民活動団体と協働し、生ごみ堆肥を使った花壇を作りました。

★次年度の協働センター事業を市民の方からアイデアをいただく「アイデアワークショップ」を開催しました。

★協働センター登録団体が集い、話し合う「利用者懇談会」。

★市民活動団体が三鷹市に共催・後援を申請する時のサポート。

★市民活動団体がイベントをするときのピーアールのサポート。

などです。

また、私自身もたくさんの市民活動に参加させてもらったり、市民活動団体を作ったり、イベントに参加したりしました。

2つ目の写真は生ごみ堆肥を使って野菜を育てている市民活動団体の畑の様子です。(協働センターではありません。)


上記からさらに、協働センターでは市民活動関係のイベントを自由に書き込める「イベント掲示板」や市民活動に協力してくれる人を登録する「助っ人登録」のサービスをインターネット上にオープンしました。

まだまだこれから協働センターでは面白いイベントや講座、サポートを充実させる予定です。
★是非定期的にホームページをご覧ください★

写真は、三鷹駅から南に伸びる商店街の様子。
この道を通って協働センターに向かいます。→


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2005年10月04日

東京都文京区 田辺大 2日目

10月2日(日)

上記の大会の2日目です。

地上49階。東京タワーも見えます。眺めがいいんです。。

2025年のわが国のビジョンを考えるワークショップがあり、パネリストとして「社会的企業家やNPOが食べられない、という古い常識は変えられる!」と熱く語ってしまいました。




社会的企業家は、ない物ねだりでなく、あるもの探しをします。。。 それって、地元学と一緒の視点!


10月3日(月)

写真は茨城県・行方市(旧、北浦町)の様子です。川のすぐ向こうは北浦。日本で2番目に大きい霞ヶ浦を構成する湖です。

10月6日・7日にアグリビジネス創出フェアが東京・有楽町の東京国際フォーラムで開催されます。
私達アサザ基金は、地域の漁協(北浦漁協、霞ヶ浦漁連)、農業団体(JA八郷、有限会社ギルド)、流通企業(ベジタ)、環境NPO(NPO法人エコタウンほこた)と連携して(「北浦・霞ヶ浦環境パートナーシップ市民事業」)、出展します。




外来魚(ブラックバスやアメリカナマズ)を水槽に入れて、フェアに展示します。今日は、魚体の提供のお願いに地元の漁師さんを訪問し、ご快諾を頂く事が出来ました。

出展の趣旨は、ゆっくりと明日に。。 要するに、「あるもの探し」の事業です!




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東京都文京区 田辺大 1日目

皆様

こんにちは! 

以前、LJ21企画の群馬県・片品村への地元学ツアーに参加して、地元学ファンになりました、田辺と申します。
あちこちで、つい地元学の素晴しさを熱っぽく語ってしまいます。
本業では、私は、社会的企業家(※)へのサービスに特化した経営コンサルティング会社を自営し、NPO法人アサザ基金のスタッフもしております。

事務局の浦嶋さんから「田辺さんはいつも何をしているのか謎です。書いてください!」とのことで、今週を担当します。よろしくお願いします!




10月1日(土)

※:社会的企業家って? 社会変革の担い手として、社会の課題を事業で解決します。ソーシャル・アントレプレナー。

日本で初めて、社会的企業家の全国大会(ソーシャル・アントレプレナー・ギャザリング)が、六本木ヒルズで開催されました。
主催は、NPO法人ソーシャル・イノベーション・ジャパン(SIJ)。
代表理事は、一橋大学大学院商学研究科の谷本寛治教授です。
私も理事を務め、大会の準備に関わってきました。




写真は一日目の交流会の様子です。

「福祉ビジネス 手がたり」という盲ろう者(目と耳の両方に障がいが有る人)による訪問マッサージ事業を主宰していまして、交流会の会場で、発表と実演を行うことが出来ました。左は盲ろう者の星野厚志さんです。

(フォレスト・プラクティス代表、NPO法人アサザ基金事務局。ブログ・メルマガ「社会起業家 成功への10ヵ条」発行人)



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2005年07月31日

東京にて。6日目

LJ21さんに誘われて三鷹にある産業プラザにて
風土倶楽部さんと一緒に出展しました。
千葉鴨川自然王国にて朝5時より野菜収穫を宮田ちゃんと一緒にしてその後
の参加です(なんと朝のデートを野菜収穫をしながらのペアもいてほのぼの感がいいですねっと感じながら)
また、信州の飯山のアスパラも送ってもらい販売しました。


えっ?販売金額ですか?
販売はあっという間?にほぼ完売しましたが
野菜の金額って¥100を積み重なっての世界です、
やっと原価の金額がクリアーした位ですよ。
交通費は稼げないですが、とっても有意義で鴨川やいい山の野菜を販売でき、
また、LJ21さんもがんばりも感じられましたので十分満足です、
以前はハンバーガーを販売していたが今は楽しいよ。


これは僕が神楽坂にて着ていた子供たち。



飯山の友人の子供。

また鴨川でも仲がいい子供たちがいます。

ぼくはその子供たちが大好きです。

子供らが山の信州・東京・海の鴨川に将来往来できれば最高です。

自分が楽しむ!それが一番です。
僕はなんでも損得関係なく協力していまいます。
でもすごーっくためになるし。
みんな仲良くなります。
いろんな硬い言葉や横文字なんていりません笑顔が
大事です。


ちょっと古いけど冬にとった鴨川の大事な仲間です。
いつも夢をみてそして一歩づつそれがかなっています。
いつも酒を飲んでいます。
いつも新鮮な空気のもとで新鮮な野菜を食べています。

自分には何ができるかわかりませんが
聞く耳と教えてもらう姿勢と体験
協力をすれば
お金でないものが得られます。

今回この私の一週間を書き
なんだか自分って楽しいな〜ってより思えてきてしょうがないです。
機会を与えてくださってLJ21さんに感謝いたします。
また、このページを見てくださってありがとうございました。
明日は今後の自分について最後にいたします。
では。


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2005年07月10日

東京都千代田区 MARUNOUCHI CAFE 薮田 7日目

夜の丸の内

昼間はにぎわってた仲通りも、ひっそりとして静かです。
でも、ショーウィンドーやビルの明かりは消えないので、
きらきらとしてきれいです。

お堀沿いの道に出れば、
お堀の水にビルの明かりが映って、さらにうつくしい。

今日はウォールギャラリー「GRUE展 森に入る」の初日でした。

MARUNOUCHI CAFEでは度々、2階を通常通り開放しつつ、
ギャラリーのように仕立てることがあります。

今回は、デザイナー山崎薫さんによる森のような作品です。
ちいさなかわいらしいデザイナーさんです。

夕方、みなさんがくつろいでいる中をぬって、
キャプションをつけていたのは、デザイナーさんご本人です。

今日はもう、MARUNOUCHI CAFEはおしまいです。
それでは、またあした。

そして、本日で、丸の内からの日記はおしまいです。
ありがとうございました。


posted by LJ21 at 21:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 東京都 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月09日

東京都千代田区 MARUNOUCHI CAFE 薮田 6日目

休日の丸の内

皇居のお堀沿いには林がつづき、休日になると、
芝生の上にシートを広げて、おべんとうを食べたり、読書したり、お昼寝したり。

しばらく行くと、「和田倉噴水公園」があります。
かなりダイナミックな噴水で、時間によって様子が変わります。
ちいさな子が、水の中に入って遊んでいました。

もっと歩いて行くと、大手門から「皇居東御苑」に入れます。
大手門から入って、入口でちいさなチケットをもらって下さい。
きれいに整えられたお庭で、夏でも木陰があってすごしやすいところです。

マルカフェ前を、さっき赤い2階建てバスが通りました。
休日は大人気です。45分くらいで皇居・銀座・丸の内をまわります。
屋根がないので、雨の日はレインコート着てたりします。
ガード下を通るときはスリリングで、かなり楽しいバスです。


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2005年07月08日

東京都千代田区 MARUNOUCHI CAFE 薮田 5日目

丸の内でお昼ごはん

画像は、すぐ近く「東京国際フォーラム」の中庭です。
お昼の時間になると屋台が並びます。

沖縄料理、カレー、タコス、オムライス、いろいろ。
テーブルも用意されるので、お外でランチをするには良いです。

仲通りを歩けば、いろいろとカフェやレストランがあります。
外からは見えなくても、ビルの中に入れば、大抵コンビニと、食べるところがあります。

ここ新東京ビルは、仲通りのビルの中でもご飯処は充実しています。
地下におりると、たくさんのお店があります。

よく行くのは、もうひとつのMARUNOUCHI CAFE。
同じ新東京ビル1階にある「MARUNOUCHI CAFE 倶楽部21号館」。

もとは銀行の金庫だった場所が、今は会員制のラウンジになっています。
窓がなく、昼間でも夜のような異空間です。

毎日違うランチが出されます。ここは「玄米ご飯」がおいしい。
つぶつぶした歯ごたえが良く、とても良く炊けています。

先日はグリーンカレーでした。辛いのが好きと言ったら、
さりげなく、辛く仕上げたものを出して下さいました。
富士額の美人のコックさん、すてきです。

みなさま、いつもおいしいごはんをありがとうございます。
いただきます。


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2005年07月06日

東京都千代田区 MARUNOUCHI CAFE 薮田 3日目

丸の内仲通り

大手町から丸の内を通って有楽町まで続く、
ビル間の通りが「丸の内仲通り」です。

通りには、文部科学省ビルや郵船ビルなど、オフィスがたくさんです。
アルマーニ、エルメス、イヴサンローラン、バカラ、ティファニー、
ソブリンハウスなど、きらびやかな店も並びます。丸ビルもこの通りにあります。
最近はセールのため、特にこの前の土日はたくさんの人でした。

お昼休みには「ランチョンプロムナード」のお時間です。
12時から1時まで、仲通りが歩行者専用道路になります。

両側に見える木は「ユリノキ」です。5・6月には、チューリップのような花を
つけると聞いたのですが、仲通りのユリノキは、なかなか花をつけません。

よく、カラスがとまってます。マルカフェによく来るカラスは、寄っても逃げず、
近くで見させてくれます。たっぷりとした体で、同じ長さに刈り揃えられた頭が
さっぱりとして、緑がかった黒い羽はつやつやとして、角度によって色を変えます。

たいへんに美しい鳥なんですが、
マルカフェテラス席で食べている人のご飯を狙うのは、困ります。


posted by LJ21 at 21:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 東京都 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

東京都千代田区 MARUNOUCHI CAFE 薮田 2日目

MARUNOUCHI CAFE 2階の本だな



2階には本棚があります。新書古書問わず、国内外からセレクトした本を置いています。
「BOOKS @ MARUNOUCHI CAFE」と呼んでいて、
本を介して、感動や興味、知識を伝え、人とつながるようにとの思いがあります。

どなたでも自由に読め、誰かに伝えたいと思う本があれば寄贈をお受けしております。
みなさんと一緒につくりあげていく本棚です。

画像手前に積んである赤い本は、先日寄贈頂いた本です。
寄贈者の男性は、休日になると結構遠くから自転車で来られます。

ななめお向かいの明治生命ビル内の書店「富山房」さんからは、
「多少難有りで、売り物にはならないから」と、たくさんの絵本を寄贈頂きました。

少し前ですが、絵本1冊を持って、「子どもが大きくなったから」と、
九州から来られた方もいました。

そして昨日、赤い本を本棚に出すために、カバーを書けて、蔵書番号をつけて
という作業をしてくれたのが、慶応大学の学生さん。
「場のチカラ」プロジェクト という、地域コミュニティの中の集いの場を研究する一環として、
MARUNOUCHI CAFEをお手伝いいただいています。

同じビルにある京都のおもたせ屋さん、そこで働くひかえめな若い女性が、
毎日のように、本を読みに来てくださいます。

今日も、マルカフェはたくさんの人に支えられています。


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2005年07月04日

東京都千代田区 MARUNOUCHI CAFE 薮田 1日目

はじめまして。薮田と申します。
東京駅から歩いて8分くらいの「MARUNOUCHI CAFE」に勤めています。

ここはビルの中にあり、丸の内にお勤めの方や、丸の内を訪れる方に開放している
「公園」のような場所です。
丸の内エリアの交流の場を目指し、ここから文化を発信していこうとしています。

そのための取組みとして、イベントも行っています。
5月に行ったのは、皇居前の社民党ビル屋上での養蜂のお話。
企画・協力を頂いたのが、藤原養蜂場さんと、ローカルジャンクションさんでした。

そもそも「MARUNOUCHI CAFE」は、丸の内をもっとすてきな街にすべく、
三菱地所によってつくられました。

初代MARUNOUCHI CAFEが1998年に始まり、現在3代目。
三菱地所はオーナーとなり、私たち株式会社イデーが運営を引き受けています。

どうぞお越し下さいましたら、ソファでゆっくりくつろいでいって下さい。
入り口には牛がおります。夏なので、今は麦わら帽子をかぶっています。

丸の内はとても良い街です。特に今日は雨。
雨の丸の内は美しくて、大好きです。


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2005年06月05日

国際協力機構(JICA、ジャイカ) 小林英里子 7日目

早いもので今日で私の日記も最終日を迎えました。
ブログ初体験だったのですが、簡単に情報発信、コミュニケーションできるツールだなぁと便利さを実感しました。
ガーナに赴任して生活環境が整い、自宅でインターネットが使えるようになり次第(なんと最近ガーナでもADSLが導入されました!)、ブログでガーナ情報を発信するのも面白いかな、と思っています。その折にはLJのホームページでもお知らせさせて頂きますね。
また、ガーナにお越しになる機会が(万が一?)ありましたら、ぜひご連絡下さい!

今週1週間、本当にありがとうございました。


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国際協力機構(JICA、ジャイカ) 小林英里子 6日目

1日目の日記にも書きましたが、7月から西アフリカのガーナという国に3年間ほど赴任する予定です。ガーナはアフリカ西海岸沿いに位置する国で、首都はアクラ、公用語は英語(何百もの現地語もあります)、政治は共和制、国土は日本の3分の2ほど、人口は2千万人という国です。
「ガーナ」と聞くと、多くの方がチョコレートを連想されるかと思いますが、実際ガーナの主な輸出物はカカオ豆で、ガーナの経済を大きく支えています。ただし、ガーナ人の子どもがいつでも美味しいチョコレートを食べているかというと全くそうではなく、1年に1度食べられるかどうかという高級品であるというのが皮肉なところです。
また、野口英世が黄熱病研究のためガーナに渡ったものの、わずか半年後に自らが黄熱病にかかって亡くなった地でもあります。

JICAではガーナに対し、教育、保健、農業、貧困対策等様々な支援を行っていますが、その中で私は主に教育と保健分野の事業を担当する予定です。
教育分野では小中学校の教員を対象にした理数科教育の研修を行うプロジェクトや、産業人材育成のための技術教育プロジェクトがあり、また青年海外協力隊の理数科教師隊員も高校30名ほど派遣されています。保健分野では、エイズ、寄生虫対策、地域医療プロジェクト等が行われています。
私はそのようなプロジェクトで活動している専門家を影でサポートする役割で、裏方仕事という意味では日本での仕事と同じですが、現場にいる立場を最大限有効に活用して、ガーナ人や専門家の方々の意見によく耳を傾け、現地に根ざした協力ができればと思っています。

*写真はアクラにある野口英世記念病院にある彼の銅像です。
 また、昨日掲載した写真は、”フーフー”というガーナの伝統料理です。
 キャッサバ(芋の一種)とヤム芋を粉にして蒸し、臼でついたもので、日本のお餅によく似ています。これに唐辛子とトマトベースの辛いスープをかけて食べるのですが、とっても美味しいです!


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2005年06月03日

国際協力機構(JICA、ジャイカ) 小林英里子 5日目

LJの浦嶋さんからのリクエストにお応えし、今日は私の大学時代の話を書きたいと思います。

宮城県仙台市にある東北大学に4年間在籍し、文化人類学を勉強しました。この専攻を選んだ理由は2つあります。
1つは、専攻を選ぶ際にまだ自分の中で研究対象がはっきり決まっていなかったので、人類の文化に関すること、つまりは何でも研究対象になるという文化人類学の懐の深さに惹かれたこと。
2つ目は、研究室の助手の先生の「文化人類学はまだ珍しい学問だから、就職の面接の時に文化人類学専攻というだけで話が広がるし、相手の印象に残る」という言葉につられたという邪道な理由です。
(あまり真面目な学生ではなかった私が文化人類学について語るのもオコガマシイのですが・・・)文化人類学は、物事の背景や成り立ちを、ある時は限りなく内部者に近い視点で、またある時は外部者の客観的な視点で見ることが求められる学問であり、隠れた要因を見つけたり、複雑な関係者のつながりを紐解くことで真実を明らかにする学問だと思います。
“さわり”だけでもこうした見方を勉強できたのは、国際協力という複雑怪奇な(?)世界に携わる上で多少の助けになっているのではと思います。

勉強よりもずっと多くのエネルギーを費やしていたのは、海外・国内での国際ワークキャンプでした。「国際ワークキャンプ」というのはNICE(ナイス)というNPO(http://nice1.gr.jp/)が主催するボランティア活動で、世界中から若者が集まって2、3週間一緒に生活しながら、地域の人たちと農村開発や環境保護等に取り組むというものです。
とにかく外の世界を自分の目で見たい、どうせ見るなら旅行者としてではなくもっとその国の人たちと関わりながらできるだけ深く見てみたい、という気持ちが強かった私は、「これだ!」と思って早速申し込み、メキシコでの海ガメ保護活動、トルコでの公園整備活動、岩手の陸前高田市での農漁業のお手伝いという面白い経験をさせてもらいました(浦嶋さんと知り合ったのも陸前高田のワークキャンプの時です)。
ワークキャンプを通じて世界の色んな人たちと一緒に働くことの楽しさを経験したことが、今の仕事を選んだ理由の一つになったように思います。

*写真は本文とは全く関係ないものです。さて何でしょう?答えは明日の日記で・・・!


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2005年06月02日

国際協力機構(JICA、ジャイカ) 小林 英里子 4日目

今日は“箸休め”で、仕事以外の話をしたいと思います。

昨晩、友人2人と新橋に飲みに行きました。2人とも仕事とは関係のないつながりで、Eさんは雑誌の編集者、Tさんはつい最近までとある私立学校の広報担当を務めていた方です。

国際協力の業界というのは、世間の動きや関心事に敏感でなければならない一方で、ついそうしたところを離れて机上の空論に走りがちな人の多い業界のように感じます。自分の価値観や感覚のバランスを保つためにも、こうして仕事以外の人たちと交流する機会を意識的に持つようにしています(何だかんだ言って単純に楽しいだけなんですが)

Tさんは趣味で5年ぐらい俳句を作っていて、俳句、短歌、川柳それぞれに向いている性格が違うことや、「句会」メンバーで行く「吟行」(俳句を作るための旅行のこと)の話など、知られざる興味深い俳句ワールドについて色々と教えてもらいました。Tさんが最近作った句の中で私が特に気に入ったものをご紹介します。
「象に色塗りたし 五月晴れなれば」
句を解説するのは野暮のようですが、少々解説を。Tさんが小田原城に出掛けた時に、その隣にある小さな動物園にいた年老いた象を見た時に浮かんだ句だそうです。五月晴れのくっきりした青い空と、年老いた象のモノクロのコントラストが印象的で、晴れた空に似合うような色を象に塗りたいと感じた、という、なんとも絵画的な心境がたった17文字の中に見事に収められていて感心してしましました。

帰り道、会社が築地にあるEさんから、「2012年を目処に築地市場が江東区の豊洲に移転する」という話を聞きました。恥ずかしながらこの話を全く知らなかったので驚きましたが、移転理由が納得できるものでなく、その動きの影には政治家の利権が絡んでいる様子があるということを聞いて、市場関係者の怒りややるせなさはどれほどだろうと思いました。Eさんは、雑誌の編集者という情報発信の側に携わる立場の人間として、あきらめずにもっとこの動きに対する声をあげていきたいと語っていました。結果はどうあれ、Eさんのような行動によって築地を好きになる人が増えたらいいなぁと思います(築地市場移転に関する詳しい情報は、http://www.chuoku-town.com/gyousei/を参照)。

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2005年06月01日

国際協力機構(JICA、ジャイカ) 小林英里子 3日目

私がJICAに入って最初に配属されたのは、「青年海外協力隊事務局」という部署でした。青年海外協力隊はJICAの事業の中でも一番有名ではないでしょうか。都内にお住まいの方なら、電車の中吊り広告で募集のポスターをご覧になったことのある方もいらっしゃるでしょう。
現在、青年海外協力隊は世界69カ国に約2,500名派遣されています。その中でも、私はバングラデシュ、ネパール、パキスタン、ブータン、ウズベキスタン、キルギスという国に派遣されている協力隊員の方々を担当し、彼らが任地でスムーズに活動できるようサポートをさせて頂いていました。
具体的には例えば、活動に必要な機材やお金を送ったり、ケガや病気で日本での治療が必要な場合に一時帰国の手続きをしたり、技術面での支援が必要な時には日本から専門分野の先生を派遣したり・・・。
協力隊にご関心のある方はぜひ一度HPをご覧下さい!
http://www.jica.go.jp/activities/jocv/index.html

次に配属されたのは「人間開発部」という部署です。「人間開発」なんて、とてつもなく大げさな名前のようですが、要は、教育と保健という人間にとって一番基本的かつ大切な分野の協力を担当している部署です。
私が担当していた中でも非常に印象深い「ニジェール・みんなの学校プロジェクト」について少しお話したいと思います。西アフリカに位置するニジェールは、女性の10人に1人しか読み書きができず、2人に1人しか小学校にすら通えず、子どもの7人に1人は5歳以下で亡くなってしまう、という本当に過酷な状況の国です。
このプロジェクトでは、子どもが学校に通えないのは、親の教育に対する理解不足や学校に対する不信感が一因であることに着目し、「地域の人たちに学校をもっと身近に感じてもらうと同時に、魅力的な学校をつくろう」という目標を掲げて活動しています。
学校を魅力的なものにするために、校長、教師、地域の人たちみんなで話し合って計画を作ります。例えば、子どもの病気を予防するための手洗い・うがい励行計画、農業技術の習得と学校資金確保を兼ねた玉ねぎ栽培計画、学校の安全確保のための塀建設などなど、アイディアあふれる計画が次々と実行されています。
もっと詳しくこのプロジェクトについて知りたい!という方はぜひHPをご覧下さい。→http://project.jica.go.jp/niger/6331038E0/

*写真は、ある学校で行われたピーナッツバターづくりの様子です。小学校を卒業してすぐ働き手になる子どもが多いニジェールでは、こうした実践的な教育が必要とされています。



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2005年05月31日

国際協力機構(JICA、ジャイカ) 小林英里子 2日目

JICAの仕事は、一言で言ってしまえば「@日本国民の税金を使ってA開発途上国の発展の手助けをしよう」ということです。

解説その@日本国民の税金とは?→いわゆるODA(Official Development Assistance:政府開発援助)と呼ばれるもので、日本の年間ODA総額は大体1兆円ぐらいです。つまり一人当たりに換算すると、約1万円弱のお金を開発援助のために払っているということになります。「一人当たり1万円」と聞いてどう思われますか?おそらく、「予想以上に多い」と感じる方が多いのではないでしょうか。確かに、金額だけを見れば日本のODAはアメリカに次いで2位(ちなみに2000年までは1位でした)で、なかなか頑張っているように思えますが、国民総所得に比較して考えるとODA拠出国中20位・・・「日本人は稼いでいる割にケチ」と言われても言い訳が難しい状況です。

解説そのA開発途上国の発展の手助けとは?→手助け、というからには、相手がどんなことに困っていて、どんな助けが必要なのかを知ることがその第一歩です。相手国の人たちと膝をつき合わせてじっくり話をして、彼らが何を必要としているのか、それは日本ができることなのかをよく考えた上で、一緒に計画を立てます(まぁ実際にはこのプロセスがスムーズに進まない事もよくあるのですが・・・)。計画を立てる段階から相手国の人たちと一緒に考えるのが、日本の援助の一つの特長と言えます。

なるべく分かりやすく、面白い説明にしようと思っていた割には、読み返すとやっぱり小難しい雰囲気が漂ってしまいました・・・すみません。
もっと具体的なイメージを持ってもらえるように、明日は、私が担当していた実際のJICAのプロジェクトのお話をしようと思います。

*写真は、中米のホンジュラスで活動している算数教育分野の青年海外協力隊員(JICAで派遣しているボランティア)です。ホンジュラスでは算数が嫌い・苦手な子どもが多いので、もっと楽しんで算数を学べるように、青年海外協力隊の人たちが身近なものを使って教材を作り、展示会を開いた時の様子です。


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2005年05月30日

国際協力機構(JICA、ジャイカ) 小林英里子 1日目

はじめまして、小林英里子と申します。
国際協力機構(JICA、ジャイカ)というところで仕事をして6年目になります。
この日記を読んでいらっしゃる方でJICAという名前を聞いたことのある方はどのぐらいいるでしょうか?2001年に電通さんにお願いして行ったJICAの認知度調査では、「名前を知っている」と答えた方が全体の3割、「名前と事業内容両方知っている」と答えた方になるとたったの5%という、なんとも悲しい結果が出てしまいました・・・。
ということで、今週の日記では「JICAっていったいどんな仕事をしている団体なのか?」ということについて、極力分かりやすく、面白くお伝えできればと思います。

それから、7月初旬からアフリカのガーナという国に赴任する予定なので、後半ではガーナの情報(と言っても私も今目下勉強している最中なのですが)をお伝えしたいと思います。

それでは、これから1週間お付き合いの程どうぞよろしくお願いします。

*写真は、以前出張で行ったアフリカのニジェールという国で出会った子どもたちの写真です。つやつやした黒い肌とカラフルな衣装がよく似合っていて本当に可愛らしい!



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2005年05月07日

東京都豊島区 松井和久 7日目 東京へ戻る

わずか4泊5日のインドネシア行きでしたが、相変わらず朝から晩までバタバタと動き回っていたような気がします。でも、短期間であれ、インドネシアの空気を吸って、少しだけ新たな気分で日本での生活に戻れそうな気がします。

振り返ってみれば、昨年6月に、熊本日日新聞社から原田正純著「水俣病」(岩波新書、1972年)の英語版が出版されたのが始まりでした。早速入手し、それを8月に試しにマカッサルの仲間たち(地元NGOのMKS[Media Kajian Sulawesi])のところへ持っていったところ、「是非インドネシア語に翻訳したい」と強く懇願されました。折りしも、今回紹介した北スラウェシ州ブヤット湾で「水俣病が発生した」という新聞報道が世論を騒がせていた頃でした。それから約半年で翻訳は終わり、日本での著者、出版社、写真家などとの交渉を終え、ようやく出版となりました。彼らとしては、水俣病の有無よりも、水俣病というものがいかなるものかをきちんと知ってもらいたい、というのが出版の意図でした。

インドネシアの人々は、病気は薬を飲めばすぐ治ると信じている一面があります。出版記念セミナーでも「水俣病はどうすれば治るのか」「予防はどうすればよいのか」という質問が出ました。原田氏からの「治ることはない」「(有機水銀の科学的有用性は否定しないが)有機水銀を排出しないこと」という答えは、セミナー参加者に重く受けとめられたようです。植民地時代から行政が住民を監視・敵視してきた長い歴史を経て、ようやく行政と住民とがコミュニケーションをとらないわけにはいかない時代となってきた今日、もはや行政がブヤット湾のような問題を隠蔽することは困難であるにもかかわらず、行政も住民もなかなか歩み寄れない状況が続いています。

しかし、今回の「水俣から何を学ぶか」という私たちの問いは、翻って「水俣から我々は何を学んできたのか」という問いになって自身へ返ってきたようにも思えます。来年は水俣病が正式に「発見」されてから50年。地元学を生み出してきた背景にある、様々な苦しみや葛藤の水俣50年の歴史の重みを踏まえながら、最も重要な何かを国内外の様々な人々に伝えていく必要を痛切に感じた1週間でした。

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今週1週間、私のつたない「日記」にお付き合いいただきありがとうございました。またどこかで皆様にお世話になることと思います。いろいろとご指導いただければ幸いです。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。



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2005年05月01日

東京都豊島区 松井和久 1日目 箱根に行って

皆さん、はじめまして。今回初めて「今週の私」に登場する松井和久と申します。日頃は日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア経済研究所というところで、インドネシアの政治経済を調査研究しております。

一昨年から勉強し始めた「地元学」を通じてLJ21のお二人と懇意になり、インドネシアや開発途上世界の地域づくりと日本の地域づくりとの学びあいの関係が作れないだろうかと考え始めています。今後とも皆様からいろいろと学ばせていただきたいと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

詳しい自己紹介は別の機会に譲るとしまして、人並みにゴールデンウィークと称して、家族で箱根へ行ってきました。箱根に行くのは中学校時代の修学旅行に続いて二度目。あのときは富士五湖から仙石原に出て、海賊船に乗って元箱根に着き、東京へという、地方中学生の箱根素通り旅行で、何も見ていません。もっとも今回も「箱根にうまいものなし」と聞いていたので、全く期待せずに行ってみました。


甘酒茶屋から元箱根まで東海道旧街道を歩いてみました。その一部は写真のような石畳の道でした。江戸幕府は1680年に石畳を敷設したのですが、第14代将軍徳川家茂と政略結婚することになった和宮が1863年に京から江戸へ降娘(こんな言葉があるのですね!)される際に、東海道に石畳を全面改修したということです。途中「イノシシに注意」の立て札がありましたが、出会ったのは赤いヘビ君と虫たちでした。



大涌谷にも行きましたが、面白かったのは「黒タマゴ」です。これは玉子茶屋という業者がボコボコいって噴出している硫黄泉につけたゆで卵で色が真っ黒、6個で500円でした。この玉子茶屋、大涌谷散策路が閉まった後も黒タマゴを買える出店を下に設け、出店から玉子茶屋へ原料の玉子を、玉子茶屋から出店へ茹で上がった黒タマゴを「ミニロープウェー」で運んでいました。

この卵、どこの卵なのでしょうか。黒タマゴは「食べると7年長生きする」といわれているそうですが、温泉の成分が溶け込んでということならふむふむ、でも卵がいい卵だったらより効果が大きいのでしょうか。ちなみに、ロープウェーの早雲山駅ではヨード卵「光」の黒タマゴが売られていました・・・。そうそう、黒タマゴの「温玉」も売られていましたが、昔はそんなのなかったですよね。




今回行ったのは、箱根寄木細工、旧東海道、箱根関所、芦ノ湖、大涌谷などでした。実は、そのほとんどが、娘の小学校の社会の教科書の「私たちの県とまちづくり:箱根町のまちづくり」という単元の内容例として取り上げられていたことに、帰宅してから初めて気づきました。お会いした箱根寄木細工の工芸士・本間昇さんも教科書に載っていました(彼の自著を買いましたが、とても面白いです)。

いまどきの小学校の教科書、なかなかのものです。今回の箱根行きは、もしかして、娘の「地元学」事始、となったのでしょうか。娘も、ごろごろ寝転がりながら、うだうだと箱根のことを日記に書いている様子でした。




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2005年04月02日

今日から日記担当する佐野です。

みなさまはじめまして!
今日より1週間、「今週の私」を書かせていただく東京の佐野です。
実は、今週の私は2回目でして、以前は昨年の夏に徳島に居たおりに書かせていただきました。

いまは、東京北区にある「ERIC 国際理解教育センター」というNPOで働いております。
といっても、この4月からスタートしたばかりのホヤホヤです。ERICでは、国際理解教育を人権や平和、多文化共生、環境といった様々な側面を内包した幅広いものとしてとらえ、年間さまざまな研修を日本各地で実施しています。
http://www.try-net.or.jp/%7Eeric-net/j-main.html

なかでも、僕が担当しているのはESDファシリテーターズカレッジ推進事業。
ESDとは、Education for Sustainable Development の略で、日本語では「持続可能な開発のための教育」と呼ばれています。
もともとは、ヨハネスブルグで開かれた環境開発サミットで日本政府とNGOが提唱したことから始まり、今年2005年より「持続可能な開発のための教育の10年」というのがユネスコ主導で世界的に推進されています。

ERICでは、そのESDを国内外で進める“ファシリテーター”(学びの場づくりの推進役)を要請するため、自主・受託合せて様々な研修・ワークショップを開催しています。
ご関心のある方は、ぜひご参加ください!

ということで、今日はカゼのため1日家におりました。
明日も家でのんびりです。どうも天気が良くないですね。
さあ、来週はお花見日和かな?




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2005年03月13日

宮部 浩司さん 3日目

宮部です
今回は、せっかくのお話をいただきながら、今年最悪の体調不良とかさなってしまい、これだけしか書けなかったことを最初におわびします。

さてさて、相根さんの話しがとても面白いので続きです。彼は、シックハウスの空気汚染の重要性をさかんに訴えていまして、それは食品の農薬汚染よりもむしろ深刻だといいます。なぜなら、食品は体内に入ってからいろんな臓器のフィルターを通りますが、空気は肺から直接脳に影響を与えるからです。ですから、無農薬の玄米を炊いても、それがシックハウスの中だったら、お釜の蓋を開けたとたんにごはんが化学物質に汚染されてしまうので、せっかくの無農薬有機食品もダメになっています。そこで、彼はコーデックスとかなんとかという外圧団体に、しかるべき食品は、しかるべき空間環境にしかおいてはいけないという提案をしたところ、それが今年採択されて、日本政府も遵守することになったそうです。
また、食のトレーサビリティも重要だが、建材のトレーサビリティも重要とかで、有機JAS法と森林認証を組み合わせて、日本の林業を活性化できるとも言っていました。すみません、このへん僕が素人なんで、ちゃんと理解していなくて。たぶん語弊だらけなんで、詳しい人は怒らないで下さい。
いずれにしても、彼が言っていたのは、「建築は農業だ」ということ。建築も農業も素材は、田や畑や海や山からくるというのです。なるほどです。
(写真は相根さんです)


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2005年03月11日

宮部 浩司さん 2日目

宮部です。風邪でダウンしてお休みしていました。

先日、日本の健康住宅の先駆者である。相根さんの取材をしました。ここでの化学物質過敏症の方の現状があまりにもインパクトが大きかったので、ご紹介します。

建築家・相根昭典さんの設計したエコハウスが、施主のIさん家族へ引き渡されるというので、同行取材をさせていただいた。化学物質過敏症の方の新居を訪問するにあたり、相根さんから事前に注意されたことは、整髪料を含め化粧品類は一切使用禁止。クリーニングしたての衣類はダメ、できれば一週間ほど部屋乾しした衣類を着用。喫煙者の同行はもっての他、携帯電話は必ず切ること、等々。つまり、ありとあらゆる刺激物が、ほんの微量でも持ち込めない。逆に言えば、これほどまでに過敏症の人を廻る現代の空間環境は過酷なものとなっているのだ。
しかしこの症例は、もはや特別な人の病気とはいえない時代になってきている。日本では、潜在者層を含め、10人に一人はなんらかの化学物質過敏症であるという。私たちは、こういう過酷な時代を今生きていているのだ。

Iさん邸に一歩足を踏み入れたとたん、新築の家にもかかわらず何とも懐かしい感覚が、身体の奥深くから湧き上がっているのを感じた。地方の古民家を訪れたときに感じる、無垢の木肌や白い漆喰から皮膚感覚で伝わるあのぬくもり。神社の拝殿に対座する時のような隣とした空気の清々しさ。日常生活でどことなくざわついていた気がいつのまにかスーッとお腹の下におさまり、深いところで安堵感がある。居住空間というものがこれほどまでに生身の人間の五感に影響するのだということを、はじめて体感できた思いがした。「奇抜な建物をつくる必要はありません。そこにいるだけで、なぜか落ち着く。もっとここに居たいと感じさせる建物こそ本当にいい建築なのです。」相根さんは、こうした細胞の一つひとつが喜ぶ空間づくりを常に心がけているという。
そして二階に上がり、節目の目立つ無垢の杉材のフローリングを歩くと、昔懐かしいキュキュっという床鳴りの音が微かに響いた。「今の住宅の床が何故鳴らないのか知っていますか?」と逆に相根さん。聞けば現代的な工法では、建材の隙間は全て合成ボンドでガチガチに固められ、その量は家一軒につき、なんとドラム缶一本分以上にのぼるそうだ。これではシックハウスになるのも当然。「すべて自然素材で作った本物の床は、鳴ってあたりまえ。逆に鳴らない床は危険な床なのです。この音を耳障りと感じるか、心地よいと感じるかはまさに住み手の意識しだいですね」と相根さん。住まいが奏でる囁きをを楽しんで暮らす生活こそ、すっかり心が疲弊してしまった今の私たちに必要なスローライフではないだろうか。



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2005年03月08日

東京都文京区 宮部 浩司さん

はじめまして。宮部浩司といいます。東京の文京区でグラフィックデザインをやっているのですが、たまにライターもやります。
僕のクライアントで「栄養と料理」という女子栄養大学出版部さんが発行している料理&栄養学の雑誌があります。
先週の土曜日に「日本産原木乾しいたけを守る会」(乾しいたけの業界団体?)が主催して「栄誉と料理」が開催した、乾しいたけのセミナーにカメラマンとして取材してきました。
参加者は、埼玉県内の学校給食関係者が多かったのですが、学校給食の現場の人たちの食の安心・安全に関する意識の高さには驚きました。
一般主婦の参加者が「日本産原木乾しいたけは、中国産人工ほだ木栽培乾しいたけに比べて価格が高いのでなんとかして欲しい」と発言してるのに対して、
給食関係者の方は「児童に中国産を食べさせるのには納得がいかなない。日本産にするようにと何度自治体に訴えてもらちがあかないから、国レベルでなんとかして欲しい」と訴えていました。
これが一例ですが、「地産・地消」の考え方は、家庭からよりも給食の教育現場の方が先行しているのだなあという印象をうけた一日でした。

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2005年02月28日

東京都調布市 壽賀 一仁 7日目

東京では気持ちの良い晴天に恵まれた日曜日、私はJVCの友人たちと一緒に高尾山に登ってきました。冬の朝、自宅から2分歩いて多摩川の土手に上がると、高尾山は奥多摩の山並みの左端にいつも見えているのですが、実際にはなかなか行けないのが現実です。今日は、まだ先日の雪が残る山道を登り、とても気持ちの良い散策を楽しみました。

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高尾山の山頂からは、私が暮らす地域を一望の下に見下ろすことができます。前にも書いた通り私は立川市で産まれ、しばらく国分寺市で育ちました。一時期多摩を離れたものの、1975年から狛江市、その後1986年からは調布市と、海外暮らしを除く人生の大半を多摩で暮らしてきています。また両親の墓は、高尾山に程近い町田市の西端、相原町のお寺にあります。普段の暮らしの行動半径も考え合わせると、多摩川中流域の両岸、つまり北多摩の南部と南多摩の北部が、私の地元にあたるのだと自分では考えています。

もっとも、中学に入り、学区外の私立校に通った時から、私の生活は地元からかなり離れてしまったのが現実です。朝早く家を出て、夜遅く帰宅する生活は、東京の郊外に住む多くのサラリーマンの方と同様、地元をただ寝に帰るだけの場所に変えていました。

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しかし、国際協力と勇んで出かけて行ったアジアやアフリカの村で、そして訪問させていただいてきた日本各地の農村で、私は地元を自分たちのなかに取り戻していくことの大切さに直面させられました。人々が本来持っていた豊かな風土と生活文化こそが地元であり、環境破壊や貧困の背後には、地元が外部社会の政治や経済、暮らし方の圧倒的な影響力にさらされたことが必ず存在していたからです。植民地の歴史、安い農産物価格、換金作物の導入、資本家の農地所有など、全ては同根です。




そうした視点で自分の地元を振り返ると、当然のことではありますが、影響を与える側と受ける側の両面を持っていることにあらためて思い当たります。世界有数の一大消費都市である東京の一部として、日本・世界の農村に圧倒的な影響力を行使している構造に乗っかっていることは、ありとあらゆる農産物が店頭に並んでいることからも一目瞭然です。と同時に、いまだにつづくマンションの建設ラッシュと里山の破壊や、不審火などの不可解な事件の発生は、人と自然の関係・人と人との関係が崩れていることの象徴です。

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こうして私も今、国際協力による地元づくりの支援と自分の地元へのかかわりを両立させようと試みをはじめています。昔日の面影はないとはいえ、幸いなことに多摩にはまだ里山や田畑、雑木林が残されていますし、それらを守り親しむ人々の活動もさかんです。また、日本各地の農村とつながる八百屋さんや食堂、お店など、さまざまな結びつきの場もあります。仕事と生活を分けてよしとするのではなく、それらをできるだけ全体性をもった一体のものとできるよう、地域の集まりなどに少しずつ、あらためて結びつきをつくっています。




ちなみに、私がかかわっているジンバブエの村は、なんと「ジモト」村(!)という名前です。偶然とはいえ、これも何かの縁でしょう。アジアやアフリカの地元づくりを応援しつつ、自分の地元でもきちんと生きること。日本各地の農村とつながりつつ、地元の町でもできるだけ農的な暮らしを試み、人として地域としての自立を高めること。海外にしょっちゅう出かける「風の人」として地元に生きるのは容易ではありませんが、調布市の北に接する三鷹市の朝田さん、多摩川の川下にある川崎市高津区の浦嶋さんというLJ21のお二人に学びつつ、自分なりに実践していきたいと思っています。




1週間、お付き合いをありがとうございました。結局、日記の大半が深夜か翌朝のアップとなってしまったことに、現在の自分と持続的な農的暮らしとの大きなねじれが現れてしまってお恥ずかしい限りです。LJ21に集う皆さんとは、今後ぜひ交流を深めていきたいと思っていますので、今後ともどうぞ宜しくお願いします。(壽賀一仁記/ suga@mwb.biglobe.ne.jp)


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2005年02月27日

東京都調布市 壽賀 一仁 6日目

今日も寒い一日でしたね。風も強くて、自宅そばの日当たりの良い場所で満開に咲いていた梅の花びらが道路に散っていました。昨年、冬の初めは暖冬といわれ、年末から急に冷え込み、各地で大雪があり、そしてすでに猛暑の長期予報。気象の乱れが50年、100年後に少しでも落ち着いて持続的になるよう、暮らしや産業社会のあり方を地道に変えていかなければと思います。

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さて、今日は本当に久しぶりに埼玉県の小川町に行ってきました。著名な有機農家である金子美登さんのところで開かれた種苗交換会(第24回関東たねとりくらぶのつどい)に参加させてもらってきたのです。といっても私自身はまだ土に根ざした農的暮らしを実践できてはいませんので、交換の輪に加われる自前の種は持っていません。今回の訪問目的は、ジンバブエで持続可能な社会づくりに取り組んでいる仲間たちに、種をめぐって人と自然の関係・人と人との関係が調和した日本の例を紹介するためです。




実は、金子さんのところには1999年11月、現在も一緒に活動しているジンバブエの仲間がお世話になりました。農業ジャーナリストの大野和興さん、西沢江美子さんのご紹介で、金子さんと、同じく小川町で有機農業に取り組む田下隆一さんのお宅を訪問させていただいたのです。ジンバブエから来た3人のメンバーは、堆肥づくり、野菜づくり、合鴨農法、有畜複合経営、バイオガスプラントと液肥など、様々なことを学ばせてもらいました。そのなかでも彼らにもっとも印象に残ったのは、消費者とのつながり、そしてなによりも土に根ざすお二人の生き方・姿勢でした。その後も私はずっとジンバブエと行き来しているわけですが、彼らは折に触れて「金子さんや田下さんはどうしている?」と尋ねてきます。人と人が出会うということは、たった1度の出会いであってもこれほどの力を与えてくれるのだとあらためて思います。

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大きな刺激を得てきているのは、彼らに同行した私も同じです。これまでに訪問させていただいてきた全国各地の実践者の方々からの学びがなければ、現在の私は全く違った生き方をしていたと思います。そうした感謝と私自身の暮らしを最終日に綴りたいと思います。

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2005年02月25日

東京都調布市 壽賀 一仁 5日目

今日は、JVCの事務所でエチオピアのコーヒーの試飲会がありました。うちのスタッフがかかわっている新しいNPOがエチオピアの農民組合に協力して、有機コーヒーのフェアトレードを計画しているのですが、今日はその準備としてコーヒーの専門家を招いた勉強会を開いたのです。楽しいお話もさることながら、出してくださったコーヒーのおいしかったこと♪ 安全な食がおいしいのは、アフリカでも同じです。

**********

さて、今日はすこしだけ個人としての「土に根ざす農的な暮らし」への思いを綴ってみようと思います。


私は東京の多摩地区、立川市の病院で産まれましたが、小学生の頃までずいぶん多くの時間を両親の出身である鹿児島で過ごしました。桜島を対岸に望む松林の砂浜とシラス台地の裏山にはさまれた集落はこじんまりしていて、全体がお気に入りの遊び場でした。砂浜を駆け回り、船から転げ落ちて海でおぼれそうになり、小川でさわがにを獲り、防空壕の跡にもぐりこんでかくれんぼをし、養鶏場の前を鼻をつまんで駆け抜け・・・、本当に楽しい思い出がいっぱいです。

裏山のふもとにあった祖父母の家は、目の前に小さな田んぼが何枚かあり、裏庭にはアケビやびわ、ざぼんに仏手柑など、いろんな果樹が一本ずつ植えてあったことをよく覚えています。裏山の畑にはスイカや温州みかんがありましたが、その後はポンカンに代わりました。本当はもっといろんな作物があったのだと思いますが、小さな子供の頃の記憶には果物ばかりが残っていて、我ながら苦笑してしまいます。

現実には、私にとって鹿児島の村は遠い田舎であり、その後の人生のほとんどは、国分寺市から狛江市、そして現在の調布市と、海外暮らしを除く大半の時間を東京の多摩地区で暮らしてきています。しかし、ほっとした気持ちになれる風景というのは、どうやら子供の頃の記憶に強く影響されているようです。つまり、錦江湾の海の代わりに多摩川の流れを、桜島の代わりに丹沢の後ろにそびえる富士山を眺めて、私は多くの安らぎを得てきたように思います。

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もっともそれは単なる癒しの風景であって、土に根ざす農的暮らしとはほど遠い、都会の暮らしであることに変わりはありません。そして国際協力で滞在したアジアやアフリカの村で「なんでわざわざこんなところまで来ているのか」と問われ、また自分がいかに日本の風土の中で育まれた生活文化を失い、自立性を失くしているかを痛感させられるたびに、日本での農的暮らしに自分がどう向き合うかを考えさせられています。

実は私は、高知県の農業大学校が1998年から開始した「新いなかビジネススクール」の第1期生です。それは、高知県西部の窪川町での実習を含む充実した時間であり、農的暮らしにどう取り組むかのヒントをたくさん得られた貴重な1年間でした。すでに同期の仲間の多くは高知県をはじめとする各地で農業に取り組んでいるのですが、結局私自身はいまだ農的暮らしを実践できていません。それは迷いのようでもありますが、同じ生き方に取り組むアジア・アフリカの農村の人々を「風の人」として応援することが現在の私の農的暮らしだと思っている面もあります。どうしたら国際協力の活動と自分自身の農的暮らしを一つの全体性を持ったものにできるか、多摩川の対岸にある多摩の横山を眺めながら、日々できることをやっているというのが今の等身大の私です。

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こうしたことをつらつら考えていた先日、鹿児島の田舎で広域農道を新たに整備するので、土地区画整理をおこなうとの通知が役場から来ました。計画図によれば道幅の広い立派な道路が集落を貫通していくようです。21世紀になってもいまだに続いているこうした建設は、あの持続的だった農的暮らしをどこまで変えていくのでしょうか。遠くとも当事者である一人として、真剣に向き合わなければと今思っています。


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東京都調布市 壽賀 一仁 4日目

昨日はあんなに暖かだったのに、いま外は雪! いくら春一番の後は寒くなるとはいっても、こう寒暖の差が激しいと体調を維持するのが大変です。今も軽い頭痛がするのですが・・・。う〜ん、気をつけなければ。

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さて、昨日の続きでジンバブエの活動をご紹介したいと思います。

AZTREC(ジンバブエ伝統的環境保護者協会)に集ったマシンゴ州北部の村人は、伝統的な寄り合いを開き、自然を守る規範や知恵、技術を取り戻すことによって、湿地や泉、山、森などの大切な自然を地道に復活させてきました。20年経った今では、のべ400haにおよぶ入会の森が回復し、涸れていた50以上の泉から水が湧き出してくるようになりました。こうした自然の回復によって、在来の果樹や有用木、薬草、屋根葺きや籠づくりのための葦や葦、食用の野鳥や小動物など、さまざまな自然の恵みも再び得られるようになってきています。

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また昨日も書いたように、ジンバブエの人々は「人間は誰もが少なくとも一つ以上の才能を生まれながらにして精霊たちから与えられている」という考えを持っています。このため、村の生活文化を取り戻す試みは、農業や薬草、狩り、建築、音楽、演劇、農具づくり、壺・籠づくり、伝承語りなど、それぞれの一芸に秀でた年長者や長老から学ぶことによって積み重ねられてきています。なかでも食の文化は万国共通で女性の天下、雑穀を使った伝統食の調理や農産物の加工は自給だけでなく、貴重な現金収入ももたらしています。写真は村の女性が作った素焼きのつぼと、そのなかで醸したドロと呼ばれる地酒(ヒエの一種による醸造酒)です。アフリカの太陽の下で渇いた喉には、めちゃくちゃうまいですよ♪

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このように、ゆっくりとした自分たちのペースで地域固有の風土と生活文化を取り戻す活動をおこなってきたAZTRECですが、アフリカの農村といえども、グローバル化した世界の影響から自由ではありません。例えば写真は、サザと呼ばれるジンバブエの主食(トウモロコシの粉を熱湯で練ったもの)に野菜のピーナッツバターソースをかけたものですが、この黄色いサザは遺伝子組み換えトウモロコシのものです。2001年から02年にかけて起きた旱魃による食糧不足の際に、救援物資としてアメリカから送りつけられてきたものですが、日本における遺伝子組み換え米やジャガイモの試験栽培の問題と同じように、いかにして安全な食と環境を守るかは、いまや世界共通の課題です。

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こうした状況を背景に、現在ジンバブエの黒人農家の間では、自前の種子を取り戻そうとする動きが広がっています。これまで政府や種子会社によって一方的にハイブリッド種のトウモロコシが普及されていたのに対して、持続性があり、地域の生活文化のなかに位置づいている伝統的な雑穀や種子採りができるトウモロコシが再評価されてきているのです。それは単に自前の種子を取り戻すことにとどまらず、種子を大切に保存するためにおばあさんの世代が継承している伝統的な知恵が再び必要とされたり、雑穀の栽培が増えることで地酒を醸す女性の社会経済的な地位が上昇したり、有機的につながっている農的な社会全体を活性化させています。

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このように私は、村の人々が地域固有の風土と生活文化を取り戻し、暮らしの改善につなげていくのを、研修機会の提供や他地域との経験交流などを通じて側面からお手伝いさせていただいています。一緒に考え、活動させてもらうことによる私自身の学びや喜びが大変大きいのですが、いわゆる「風の人」としてそれに見合う余所者としての役割を果たしたいと日々頑張っています。

自宅のパソコンの調子が悪く、事務所から朝アップすることになってしまいました。梅の花のように、雪のせいで凍えてしまったのでしょうか?


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2005年02月24日

東京都調布市 壽賀 一仁 3日目

今日、関東では春一番が吹きました。自宅近くのお風呂屋さんの前では梅の花が満開、八幡さまの前ではなんと桜がほころびはじめています(さすがに早すぎると目を疑いましたが本物でした)。春一番の後は冷え込むとは言いますが、もう春はすぐそこですね。

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さて今日と明日は、「持続可能な社会づくりを目指し、人と自然の関係・人と人との関係が調和した、土に根ざす農的な暮らしを創る」ために、私が一体どんな活動に取り組んでいるのか、ご紹介したいと思います。


私が現在お付き合いしているジンバブエという国は、アフリカ南部にある日本とほぼ同じ大きさの高原の国です。古くから文明が栄え、石で作られた円筒形の城で有名なグレートジンバブエ遺跡という世界遺産があります。

他のアフリカの国と同様、この国も植民地化された歴史があります。特にジンバブエは、高原で比較的過ごしやすく土地も豊かだったために、白人の支配が1980年まで長引きました。そして独立後も、つい最近まで優良な農地の6割以上を人口の1%にも満たない白人が大農場として所有するという不平等が続いていました。

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植民地化は、単にジンバブエの人々から土地を奪うだけではなく、地域固有の風土に育まれてきた生活文化を破壊するものでもありました。ですから、独立のための戦いは、ジンバブエの人々の伝統的な世界観や文化、規範、智慧などを回復するための戦いでもありました。しかし政治的な独立後も、植民地時代に持ち込まれた効率性や経済性という志向は一層強まり、人々が持っていたコミュニティのつながりや人と自然のつながりは壊れていく一方でした。

しかし、日本でもそうであるように、ジンバブエにもこうした状況に危機感を覚える人たちがいます。荒れた風土を本来の姿に回復し、それを持続的に利用する生活文化を再評価して、土に根ざした農的暮らしを創りだそうとする試みが各地でおこなわれているのです。私は、そうしたグループの一つであり、そのなかでも特に自然とのつながりと伝統文化を大切にしてきているAZTREC(ジンバブエ伝統的環境保護者協会)というグループとこの5年間、じっくりお付き合いをさせてもらっています。

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AZTRECというグループの一番の特徴は、ジンバブエの人々が地域固有の風土のなかで育んできた世界観・自然観を大切にしているところです。彼らによれば、世界は精霊界、自然界、人間界の3つの輪からできています。精霊界は個々に独自の役割を持つ多神教の世界で、精霊たちはそれぞれ湿地や森、山など自然界の特定の場所に住み、鳥やヘビなど動物の姿を借りて人間界にメッセージを伝えるそうです。一方、人間は精霊たちによって生かされている存在で、誰もが少なくとも一つ以上の才能を生まれながらにして精霊たちから与えられているといい、各家(一族)にはそれぞれの守り神が化身した動物がトーテムとして与えられています。つまり、自然界は精霊界と人間界のコミュニケーションをつなぐ聖なる場で、人間は自然を守ることで精霊たちを敬い、精霊と交信する能力を持つ霊媒師を通じて精霊のメッセージを受信し、人としての生を営むのだというのです。



従って、1985年から活動を始めたAZTRECの活動は、まず各地域で伝統的な寄り合いを開いて精霊たちの住みかであり住民の暮らしを支える自然環境の状況を話し合い、湿地や泉、山、森などを保全・回復するとともに、その場所に入れる人、入る際のマナー、ルールといった細かい規範と、それらの自然の恵みを利用する伝統的な知恵や技術を取り戻すことでした。また、精霊を敬い感謝を捧げるために行なわれる雨乞いの儀式や収穫祭、感謝祭などの大切な祭りを復活させることもおこなわれてきています。

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日本でもアジアでも村の古老や篤農家の方にお話を伺う時はいつも感じるのですが、農的な暮らしの根っこには、それぞれの風土に根ざした自然の見方と、それに基づく人生観のようなものが存在しています。これはアフリカでも同じで、生活の知恵や技術の裏側にあるものに耳を傾けることがまず大切であり、それ自体がとても楽しい学びのプロセスです。

また深夜になってしまったので、続きは明日に。


posted by LJ21 at 02:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 東京都 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月22日

東京都調布市 壽賀 一仁 2日目

私が活動する日本国際ボランティアセンター(JVC)という国際協力NPOでは、隔週の火曜日、東京事務所のスタッフやインターン、ボランティア全員によるオフィスミーティングをおこなっています。毎回20数名が一堂に会し、タイの村の朝市づくりからイラクの白血病治療薬の支援、さらにはコピー機の入れ替えまであらゆることを全員で話し合うのは、透明でもあり非効率でもあり、いずれにしてもなかなか疲れる一日です。しかし、ヒエラルキーを作ることが何度も議論されてきたにもかかわらず、いまだにこの平等さを貫いているのが、いかにもJVCらしいところではないでしょうか。

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JVCは、「地球上のすべての人々が自然と共存し、共に生きられる社会を築くために、地球環境を守る新しい生き方と人間関係を創りだす」ことを長期目標としています。また、活動の際の行動基準には「地域独自の知恵と多様な文化の尊重」や「自然環境の保全と自然資源の地域利用」などを掲げていますので、文章だけを見るとLJ21そのものといった感じで、私自身なぜもっと早く皆さんと出会わなかったのだろうと思っています。

その一番の違いはもちろん、「世界の様々な場所で社会的に強いられている困難な状況を自ら改善しようとする人々を支援」するという長期目標の一節にあります。このためJVCは、タイ、ラオス、カンボジア、ベトナム、南アフリカなどで土に根ざす農的な暮らしを創ろうとする現地の人々と一緒に、環境保全型の農業や共有林の保全、農産物の地場市場づくりなどに取り組んできています。

これらの活動はJVCのスタッフだけでおこなえるようなものではなく、その過程では日本全国で持続可能な社会づくりを目指す大勢の方々のお世話になっています。LJ21のホームページでも連載がリンクされている山形県長井市の菅野芳秀さんをはじめとするレインボープランの方々や置賜百姓交流会の方々、茨城県八郷町や埼玉県小川町の有機農家の方々、福岡県の古野隆雄さんをはじめとする全国合鴨水稲会の方々など、お名前を挙げていくときりがありません。佐賀県唐津市の山下惣一さんには、農業だけでなく「みなとん里」という直売所の運営からも大変勉強させていただいています。さらに、生活クラブ連合会など消費者側で持続可能な社会づくり取り組む方々とも、広くネットワークを組んで活動しています。

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ところでJVCは、国際協力NPOという特徴のため、訪問者やゲストがとても多いところです。今日は、日本に留学して3年になるスリランカ人のマノダ・ガマゲさん夫妻が尋ねてきてくれました。彼らは、昨年末のスマトラ沖津波で大勢のスリランカの子供たちが親を失い、勉強を続けられなくなったことに心を痛め、友人たちの協力でチャリティコンサートをおこなったのです(詳細はhttp://www.misatoya.net/tsunami)。そしてその収益金の一部を同じように被災したタイの方々の支援に使ってほしいということで、寄付を届けに来てくれました。タイ南部の被災地で活動していたスタッフが昨日ちょうど帰国したところでもあり、現地の状況について詳しく説明をすることができました。世界の様々な場所で様々な形で人と自然の関係・人と人との関係が調和した社会づくりに取り組む仲間が気軽に行きかう、いつもそんなJVCでありたいものです。

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ただ、JVC東京事務所の最大の問題は、残念ながら事務所での生活は「土に根ざす農的な暮らし」から最も遠いところにあるということです。現在23時23分、私はまだ雑居ビルの中でパソコンを打っているのです・・・。

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東京都調布市 壽賀 一仁 1日目

はじめまして。LJ21事務局の浦嶋さんのお宅より10km上流の多摩川のほとり、東京都調布市の西端に住む壽賀一仁(すがかずひと)です。日本国際ボランティアセンターという国際協力NPO(http://www.ngo-jvc.net/)で活動して、もう15年。不惑を迎えた現在は、アフリカ南部のジンバブエという国の農村に通いながら、現地の人たちによる「持続可能な社会づくりを目指し、人と自然の関係・人と人との関係が調和した、土に根ざす農的な暮らしを創る」活動(LJ21の活動目的と同じ!)に、余所者の仲間としてかかわらせてもらっています。今回は縁あって1週間、日記を綴らせていただくことになりました。どうぞお付き合いをよろしく。

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このところ、いろいろな原稿の締め切りに追われていて、考えが煮詰まった状態のまま何時間もパソコンに向かっていることが多い。しかし先週末、ついに頭のネジが切れてしまい、堂々巡りから抜け出せなくなってしまったので、伊豆へと逃亡しました。すると幸運にも金曜夜から大雪が降って、久々に静けさをたっぷり堪能することができました(その分寒さは堪えましたが・・・)。

伊豆の山中はもともと静かなところですが、雪が降り積もった後の凛とした静けさは、やはり格別です。新潟県中越地方の方々のご苦労を考えると軽々しく言うことはできませんが、雪の静けさには、都市の生活でささくれ立った神経から無用な熱を奪いさり、高ぶりを静めてくれる力があると感じます。土曜日、雪の林を散歩しながら、地に根ざし、自然と深くつながるということは、静けさを含む自然とのかかわりの全体性を取り戻すことなのだとあらためて実感しました。

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ここで「自然とのかかわりの全体性」と書きましたが、私は全体性というものが農的暮らしの一番の鍵だと思っています。そしてこの全体性という特徴こそが、私のような国際協力分野の人間が最近どんどんLJ21が取り組む活動に近づいてきている理由でしょう。

アジアやアフリカの農村コミュニティと一緒に活動するようになると、地域固有の風土の中で育まれてきた自然観や規範、智慧、技術が今でも一つの全体性をもって豊かに息づいていることに、必ず誰もが驚かされます。そして活動対象のコミュニティに外部の技術を導入して近代化を図る旧来の援助ではなく、智慧や技術の集合である生活文化を引き出し、新たな豊かさを創りだしていく新しい方法を探すために、多くの関係者が業務の上で日本の農的暮らしの全体性に注目しています。

一方、国際協力を通じたアジアやアフリカとの出会いによって、いまや人口の多数を占める都市育ちの日本人がいかに生活文化を失い、自立性を失くしているかを痛感した人たちは、自分たち自身が生活の中で智慧や技術を取り戻していくために、全体性をもった日本の農的暮らしを注目しています。

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こうしたなかで、私自身のLJ21との出会いは、なかなか劇的です。国際協力分野の人間として、私も上に書いたような両面の関心をもって、90年代中頃から日本の農的暮らしに関心を高めていきました。当初は、もっぱら農業・農法面の関心から山形県置賜地方や埼玉県小川町などを訪問させていただいていましたが、99年春に琵琶湖博物館の嘉田由紀子さんに出会い、住民グループによる昔の水の使い方の調査などを見て、まさに目からウロコが落ちました。

その後2001年、ジンバブエから日本に一時帰国した際、私は「地域から変わる日本〜地元学とは何か」(現代農業2001年5月増刊)を手にしました。結城登美雄さんや吉本哲郎さんの文章・対談はもちろん、「人生が変わった!」という朝田さんの文章も印象的で、私は地元学の紹介のため、仲間にこの本を貸したりプレゼントしたりしていました。そして今年の1月20日、あいあいネット(2004年12月24日の長畑誠さんの日記参照)の勉強会の場でついに初めて朝田さんにお会いしました。愛読していた本の執筆者に会うというのはもちろん望外の喜びで、それが今回の日記掲載につながったというわけです。

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初日はごく簡単にと思っていたのですが、返済が滞っている借金のようにたまっている他の原稿のため、ホームページへのアップが朝になってしまいました。道路を走る車の音とご近所の賑やかさに、昨日の日没時の一瞬の静けさが懐かしく思い出されます。それでは、続きはまた。



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2005年02月13日

東京都立川市 石丸 奈加子 7日目

新しい一年

 今日で今週の私も最終日です。稚拙な文章を読んでくださった方、お時間ありがとうございます。正直に告白すると、ブログも初めて、デジカメも下ろしたてなのに加え、この一週間面白くも無い話でさぞや皆さんご退屈ではないかと戦戦恐恐でした。いろいろと拙い意見を書き散らし、言葉足らずの部分もたくさんあったかと存じますが、お叱りは甘んじて受けますのでぜひご教示下さい。また言うまでもないことですが、本ブログで表現した文責は全て私個人にあり、引用した団体の見解を示すものではないことをご了承下さい。

 繰り返しになりますが、LJ21のお二人と知り合い、日本の豊かな社会資本について目を啓かされたことは、昨年今の職場に就いたことの思いかけぬ大収穫でした。新しい一年を迎えますが、今後ともどうぞよろしくお願いします。

 そして皆さまと近いうちにどこかでお目にかかり、二つと無い面白いお話をうかがうのを楽しみにしております。そのときまで・・・
 
 ダ・フストレーチ(再会のときまで)!!




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2005年02月12日

東京都立川市 石丸 奈加子 6日目

リバース・ミッション

 週末は友人や先輩たちと集まりました。こちらは私をロシアでのボランティアとして養成し、派遣した団体(日本カトリック信徒宣教者会)を通じて知り合ったネットワークです。この会は平和の道具となるべし、とするキリスト教精神を信条として成立した経緯があり、派遣されるボランティアは「信徒宣教者(Lay Missionary)」と呼んで司祭や修道女らといった専属の宣教者とは区別します。Layには素人という意味もあるので「素人宣教者」といった方が分かりやすいかもしれません。いわゆる狭義の布教は目的としておらず、途上国の人々と「共に生きる」をスローガンに活動するため、派遣国も活動内容も多岐に渡ります(例えば私の場合は正教会が強いロシアで、NGOスタッフとして社会福祉プロジェクトの発掘やロシア人スタッフの人材育成を担当しました)。

 2〜6年程度の海外生活の後聖職者になる者もいますが、基本的にはそれぞれで進路を定めて新しい生活に入ります。団体事務局側からの帰国後支援もごく控えめなもので、第一期生の派遣から20年近く経っていますが有志による関東地区でのOBOG会が開催されるほかは没交渉となってしまう人も少なくありません。個人や教会を介した緩い人的ネットワークはありますが、それほど活発ではなく帰国者の多くは日本の市井で居場所を見出し生活を再開しています。滞在国との縁を現在の仕事に直接引き継いだり「国際協力業界」に就職したりする者と、日本の企業や学校等に再就職したり、資格や学位を取るため勉強中、出産や子育てを経験中が半々といったところ。とはいえ今回はそれぞれの伴侶や2世も合流してとても賑やかな会となりました。

 この集まりで必ず話題となる言葉に「リバースミッションReverse Mission」があります。これは素人宣教者として一定の訓練を受け海外でのミッション(使命)を果たすけれど、帰国後の生活でのそれぞれが果たす使命も重要なのではないか、という考え方です。残念なことに研究機関ではないのでその使命の中身にまではまだあまり研究されていません。概念だけが大切にしまわれている、といった状態です。市井の人々に歓迎され生活の質の改善に寄与するような使命とは何なのかを自らに課す、期限無しの宿題です。この語を私なりに勝手気侭に少し敷衍すると、海外と国内という異なる二地点での経験なり知識なりが、個人を介して双方の組織や社会単位に波及するものということができます。とすれば別に専門用語でも何でもなく、一般の海外でのボランティアについても応用できるかもしれません。ただそうなるためには「ミッション」という言葉が帯びている負のイメージ、かつて世界各地の先住の民に対してたくさんの悲劇を引き起こした、ひとつの価値観の熱狂的な押し付けとしてのミッションについて、清算する日を待たなくてはならないかもしれません。



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2005年02月11日

東京都立川市 石丸奈加子 5日目

”人助け”の理由

 今日は建国記念の祝日。ここでの国というのは何とはるか神武天皇時代の大和のクニの国興しだそうで、国家観はクニから国家へずいぶん変遷したことだろう。などとちらりと考えてみても、祝日の話題にそのような会話を誰かと交わすこともなく静かな一日を過ごしました。

 部屋の押入れを片付けるはずが海外滞在中に撮った写真や頂いた手紙などが出てきてつい手がとまってしまいます。ストリートチルドレンや難民の子どもなど、社会経済的に世界の子どもが抑圧を受けているのではないかと感じ、そのような状態の改善になるような仕事に就きたいと思ったのが10年少し前。当時高校生だった私に同じ地球上に起きている南北格差や環境問題に対する目をひらかせてくれたきっかけの中に報道写真があります。その幾葉かは有名な作品だったらしく、現在渋谷の写真展で公開されているようです(写真展『地球を生きる子どもたち』、2005年2月5日〜3月21日まで開催中、渋谷Bunkamura ザ・ミュージアム )
 さて数か月前、NPO研究で国内有数の大学院で、政府開発援助の業務について報告をさせて頂いた際、参加者から「私たちの地元だって景気が悪くて大変なのにわざわざ海外の人助けをしようと言うのですか」という質問を受けました。私の側には、非営利活動の意義については国内も国際も同じだろうとの思い込みがあったので少々驚きました。その後国内の非営利活動を取りまく状況の厳しさと複雑さについて少しずつ知るようになるにつれて、なぜ彼がこの問いを発したかの理由が少しずつ明らかになってきました。一般に地球規模の課題についての関心と資金の集まり具合に対し、国内については身近なわりに問題の構造が却って見えにくく解決の突破口が見出しにくい、そのジレンマを感じながら研究をされる方だからこその疑義だったと思います。

 残念ながらそのときはあまり上手く答えることができず、卑見であっても答えを用意しておかなくてはと思いました。私個人としては、「国益」などといった概念を持ち出さなくとも説明可能な、現代の生活を享受する人間としてのしがらみの束の一つ、責任ではないかと考えています。海外の問題に目を奪われ地元についての勉強が疎かとなるのは怠慢とは言えるでしょうが、そのことが国際協力自体の欺瞞ということには当たらないのではないかと思います(なお蛇足ながら国際協力を行うための予算が国内の地域経済を圧迫するという因果関係を追求することは困難だと思いますし、政府間協力の予算額自体は年々1割程度ずつですが漸減傾向にあります)。

 マハトマ・ガンジー(Mahatma Gandhi, 1869-1948) の墓に刻まれているという「7つの社会的罪」という碑文を教えてもらったことがあります。偉人(マハトマ)の墓に刻まれているという以下の言葉は、現代日本に生きる私に「”人助け”をする理由」についてのヒントを与えてくれるような気がするので、時々読み返しています。

(以下抜粋)
Seven Social Sins (7つの社会的大罪)
Politics without Principal (原則(哲学)なき政治);Wealth without Work (労働なき富);Pleasure without Conscience (良心なき悦楽);Knowledge without Character(人格なき学識);Commerce without morality (道徳なき経済行為);Science without humanity (人間性なき科学技術);Worship without Sacrifice (犠牲なき信仰)。



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2005年02月10日

東京都立川市 石丸 奈加子 4日目

お化け映画比べ

 職場の帰り、昨年3月まで通っていた学校で知り合った友人4名が集い、おおいに盛り上がってしまいました。会場は最近職場の最寄駅付近にできたという、鹿児島の郷土料理の店で豚しゃぶと焼酎が美味しかったです(水俣で教わった「黒伊佐」はなかったけれど)。この顔ぶれはそれぞれに海外経験が豊富で得意分野もあり、共通の友人も現在世界中に散らばっている、というような仲間です。といっても話す内容はそれほど高尚なわけではなく(おっと皆さま失礼!)、他愛のない噂話や本、映画の話題ほどお酒もすすむ、という気のおけない席で毎回楽しみにしています。

 その中で、最近日本のホラー映画「呪怨」が同じ清水崇監督によるハリウッド版リメイクが完成し、米国でも連続第1位という大快挙を遂げているという話が出ました。私自身は日本版を観たことがあるのですが、東京の現代風の民家を訪れると、筋がわからないまま何だか不気味な子どもが猫のような鳴き声を上げたり、女性の影がずるずると徘徊するので私はちょっと退屈した覚えがありました。ハリウッド版の設定は日本版と同じ東京の民家ですが、その家に棲むお化けと遭遇して恐ろしい目に会う登場人物はアメリカ人という点が違うそうです。そして、日本では敢えて理由やお化けそのものの姿をはっきりとせず気配で恐怖を増幅していたところを、ハリウッド版では物音や悲鳴を大きくしたり、お化けをそのまま出したり(それは幽霊というのか?)、また、その家にどういう事情があったのかという背景説明をするといった点で工夫をしたということでした。たまたま帰宅後の深夜番組で制作者側のインタビュー特集を組まれていて日本のホラーの恐ろしさは、間(!)や気配に潜んでおり、映画を観終った後も解決しきれない謎が残るところがより深い怖さを引き出す、そこがハリウッド映画と大きく違う点であり魅力なのだ、という主旨のことを述べていました。

 そういえば、一昨年しばらく北タイに滞在したときに、そこで仲良くなったタイ人の女の子に誘われ、当時彼女の仲間うちで話題になっていたというホラー映画を二人で観に行ったことがありました。観たいけどタイ語わからないよと言ったら「大丈夫、観れば筋はわかるから」と言われ、半信半疑のまま付いていったところ、確かに判りやすい展開で何とか大筋は掴めました。ストーリーは、都会の一流高校に下宿をしながら通う、あるまじめな美しい女子学生が、他校の金持ちの男子学生にだまされて妊娠、さらに浮気をされて絶望し、自殺をしたあと「お化け・幽霊(ピー)」になって、自分が住んでいたアパートの住人たちを驚かしお祓いに現れる霊能者や司祭たちも次々に撃退されてしまう、と言う筋でした。面白かったのはこのホラー映画がけっして恐怖の一点張りではなく、お化けと人間の応酬のなかで相当コミカルなやりとりがあり、2時間強の間にロマンスあり涙あり、そしてドタバタもある作りだったことでした。一回で違った味を求めるところは、酸味・甘味・辛味など全てをかけあわせる、タイ料理の特徴にも通じるかな、などと夢想しました。他方で輸入された「大」宗教が敷衍し、ライフスタイルは極めて急激に現代的なものとなりながらも、「ピー」の存在を畏れるあたり、日本のスタイルとも似通ったところがあります。タイのホラー映画が案外ウケる日が来るかもしれません。

 それにしてもホラー映画の楽しさは思いっきり恐ろしいと騒いで共有できることですね。北タイでは映画がはねた後、すっかり気温も下がり車もほとんど通らなくなった田舎道を、女の子のスクーターの後ろに乗せてもらい、「ああー、恐かったねえ!!ああー、さむさむっ!!」と大騒ぎして帰ってきたものでした。実は彼女はエイズ感染者で薬によって発症を抑え、ちょうどその頃ずいぶん体調も快復しているという状態でした。その彼女の丸い背中に顔をぴったりつけて、一緒に大笑いしながら夜道を駆け抜けた仕合せはちょっとしたもんだったんだなと、今になって思います。




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2005年02月09日

東京都立川市 石丸 奈加子 3日目

「伝える」って何でしょう?

 今日は私の担当の一つである研修コースのキックオフがありました。昨年秋頃からプログラム内容や日程を練り、応募書類やエッセイをもとに選抜したメンバーがいよいよ一同に会しました。応募者21名から選ばれたのは10名の参加者。出身国はバングラデシュ、カンボジア、ラオス、ネパール、フィリピンとホンジュラス。アフガニスタンの女性は予定していた便が欠航したため、まだ到着していません。

 このコースは各国の女性起業家を育てるための制度やスキルについて学び、帰国後の活動に役立ててもらうことをねらったもの。役場やコミュニティのリーダー、NGOのスタッフや起業経験者を対象としています。今日から約3週間続き、教室での講義だけではなく、都内の博物館(「仕事と女性の未来館」、三田)見学や九州鹿児島県の村おこしの取り組み(姶良郡牧園町の村おこし塾と起業例)などへのフィールドワークもあります。日本の経験や知識の中から、女性の起業と経済的な自立促進という観点から整理しなおし、できるだけ研修員に学びやすいようなカリキュラムに仕立てるのが工夫のしどころ。
 そもそも私がLJ21のお二人らと知り合うようになったのも、同じようなことを「コミュニティ開発」をテーマとしてできませんかというお願いがきっかけでした。その過程で、水俣や紫波町、加美町、日の出町などを国内各地の様々な規模やレベルの村おこしやコミュニティ開発の事例を紹介し、途上国から来た研修員に役に立つように伝えるとはどういうことなのか、について知恵を絞ってくださいました。あるもの探し、食の文化祭、地元にあるものを探して村やコミュニティの要とすること、風の人と土の人が手をとりあって元気になっていくこと・・・。たくさんの面白いエピソードや哲学はただ翻訳すれば伝わるというものでもありません。どうすれば全くこれまで生きてきた背景が全く異なる外国人にとっても分かりやすく、なおかつ参考になるのか?

 幸運なことに、そしておかげさまで、作っていただいたカリキュラムに沿って現地に研修員たちを連れて行くと、期待していた以上の手ごたえを感じました(温かく受け入れてくださった各地の皆様、改めて御礼申し上げます)。あぜ道を歩き、質問をぶつけ、土地の食事を頂くことで、来日当初は「豊かで何不自由ない国」にしか映らなかった日本の多層性が浮かび上がってきたようでした。高齢化や孤独、山の荒廃といった問題があること、しかしもしかしたら自分たちの国にも同じような問題は近い将来潜んでいるのではないか。また、住民組織や市民団体、行政がそれぞれどのような解にたどり着こうとしているのか、その過程でどのような動きが生まれたのか、など、実務者として熱心に何がしかをつかんで帰ろうという様子でした。たくさんの上質の伝えあい、学びあいが生まれたと思います。

 話が伝わらないということには、物理的に耳に入っていないということと、中身を理解してもらえないことの二つの意味があります。大阪生まれ東京育ちの私は、町育ちの宿命か、IT時代の弊害か、情報はあればあるほど良いと質よりも量を詰め込むことに一生懸命になってしまいがちでした。またプログラムを企画する側としては、スケジュールがぎっちりと埋まっていないと、さぼってるのかと叱られるという恐れもあります。
 しかし伝えたい「思い」が豊富にあるからこそ、伝える側が聴き手の反応に注意を払い、相手が腑に落ちるまでの「余白」」、「糊しろ」、「休符」といったものを取ることも大切だということに気づきました。井戸に石を投げ込んでも、投げ込み続けていれば波紋や反響は捉えがたくなります。でもいったん投げかければ、畳み掛けずに耳を澄まして反応を待つ。各地で私たちを受け入れて下さった方々との会話には、必ずそういった「間」があったことに気づきました。

 今日から始まった研修は「コミュニティ開発」ではなく「ジェンダー主流化」という、日本でもまだあまり捉えどころのないような概念をキーワードにしています。しかし、このゴツゴツとした消化の悪さが一体何なのか、確認することも、もしかしたら何かの役にたつかもしれない、という気がしてきました。・・・ちょっと楽観的すぎるかしら。



posted by LJ21 at 20:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 東京都 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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