2006年06月19日

福岡県宗像市 鐘先漁協の安永淳 6日目

今日は、6月17日。通常総会の日です。
総会は9時30分から始まりました。慎重審議のうえ、議案は全て採決いただきました。
役員改選前に、組合長挨拶の機会を頂きました。
本日までの任期をもって、辞任することを伝えました。
8ヶ月という短い間でしたが、理事会、組合員、鐘崎で漁業に従事しているみなさん、そして職員の協力のもとで、任期まで職務を遂行できたことに感謝を述べて、鐘崎を後にしました。

組合長就任時に、いつのまにか忘れられた風景“漁村”を取り戻すためには、海と食卓を結ぶことが重要だと感じました。
漁協や漁業者のチカラだけでは、大きなウネリにはならないでしょう。
幸い、この鐘崎のある宗像は、地域をおもう人がたくさんいます。
その人たちとチカラを合わせ、ウネリを起こし続けていかれることを願います。

最後に、鐘崎漁協の大漁と海上安全を祈念いたしております。

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(写真は、一昨年の竜宮さんの直会の食事)
毎年総会後に、各部落の集会所で「竜宮(りゅうごん)さん」が行われます。大漁と海上安全の祈願祭です。


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福岡県宗像市 鐘先漁協の安永淳 5日目

BTH2621926_1B.jpg今日は、6月16日。平成18年の第9回魚まつりの話です。
今年は、6月3日、4日に開催しました。
魚まつり実行委員会委員長は、鐘崎漁協の組合長です。
また、「鐘崎ふれあい食堂」と「宗像の海と暮らし展」が「地域に根ざした食育コンクール2005」奨励賞(審査員特別賞)を受賞しました。
当然、昨年より充実した魚まつりを考えるのですが、長となれば実行員会組織団体間の調整や組合内部の意見の集約などで、動きづらくなったのも事実です。
そこで、私のすべきことは「漁食普及のための食育」と「より積極的な組合の参加」に絞りました。

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福岡県宗像市 鐘先漁協の安永淳 4日目

今日は、6月15日。平成17年の第8回魚まつりの話です。
私は、前年の16年の鐘崎漁協総会で非常勤の顧問を拝命していました。
また、前回7回の魚まつりに水俣市の吉本哲郎さんが来場され、その後民俗研究家の結城登美雄さんなどを紹介していただいていました。
当然、気合充実。とことん全力投球で魚まつりに挑みました。
「鐘崎ふれあい食堂」と「宗像の海と暮らし展」を深化(進化)することに努めました。
よりたくさんの外の風を鐘崎に呼び込もうとしました。

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まず、まびき(シイラ)漁師さんと福岡県水産高校を繋ごうと試みました。
私は、まびき漁を体験し伝統漁法のすばらしさ、まびきの美味しさに反比例した市場評価のギャップを何とか出来ないかと考えていました。そのためには、広く一般の消費者(魚まつりの来場者)に、まびきを食べてもらうことが一番と考えました。


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福岡県宗像市 鐘先漁協の安永淳 3日目

今日は、6月14日。平成16年の第7回魚まつりの話です。
この年から魚まつりが、私の一年の最大のイベントとなりました。
私は前年の秋から、トラフグのブランド化で頻繁に鐘崎に出入りするようになっていました。組合員、理事、青壮年の漁業者そして組合職員とも気楽に冗談が言い合える間柄になっていました。

魚まつりの準備は、3月頃から始まります。私は初めて、魚まつり実行委員会準備会議に参加しました。会議では、スタッフの固定化などイベントのマンネリ化が議論されました。

数日後、漁協で組合職員のY君と魚まつりについて雑談をしました。「魚まつりは、よその人がたくさんやってきて車が渋滞するんで、よそに遊びに行くんですよ」とYくん「漁協は参加せんとね?」「青壮年部の担当のIさんが、魚販売の会計係で出ますけどね」

BTH2621924_1B.jpgその後私は理事会に出席させてもらい、漁協として積極的に魚まつりに参加してもらうよう要請し、快諾を得ました。理事さんたちは、ヨーヨー釣とかき氷を販売することになりました。
鐘崎漁協には、西町、北町、中町、千代川、京泊西、京泊東の6つの部落(地区)があります。理事は、3年ごとに部落から2名推薦されます。


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福岡県宗像市 鐘先漁協の安永淳 2日目

今日は、6月13日です。平成15年の第6回魚まつりの話を進めていきます。
この年、私は観光協会事務局長でしたが、当日参加のみの写真係でした。それは個人的に鐘崎を避けていたのです。母校である玄海中学校の校区でもある鐘崎を敬遠していました。当時優等生だった私には、漁業後継者の同級生とは相容れないものを感じてしまっていたのです。(詳しくは現代農業2004年11月増刊をご拝読ください。)

魚まつりは、平成10年に始まりました。
BTH2621923_1B.jpgきっかけは、「玄海未来塾」と鐘崎漁協の青壮年部との出会いでした。
「玄海未来塾」は、現在宗像観光協会会長の吉武邦彦さんが代表をつとめる、主に旧宗像郡玄海町に在住する20代から40代の若手が集まった地域づくりの団体です。玄海は海と魚と歴史の町と自負する吉武さんは、まず一次産業の発展がなければ、町の賑わいはない。「父ちゃん、漁師の跡を継ぐばい!」という子ども達が多く出なければと、いつも言っていました。


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福岡県宗像市 鐘先漁協の安永淳 1日目

みなさん、ご無沙汰しております。鐘崎漁協の安永です。
怒涛の決算を完了し、6月3、4日の筑前玄海魚まつり(以下、魚まつり)も晴天に恵まれ好評のうちに終わることが出来ました。

昨年度は、時化が多く出漁日数の減少と不漁、そして魚価の低迷で水揚は4億8千万円減となりました。また追い討ちをかけるように燃油の高騰で組合員、漁協にとっては非常に厳しい一年でした。
さて、今週末は定期総会です。私は、10月8日の臨時総会で組合長に就任しました。その後、11月29日、3月30日に臨時集会を開催しました。
総会は、二週間前に通知を行い、漁止めを行わないといけません。オーバーな言い方ですが、漁止めは組合員にとって死活問題なのです。

主な議題は、昨年10月の私の日記で触れました「信用事業譲渡」の処理と「鐘崎漁業共済基金」解散です。いずれも、何とか決算に反映することが出来ました。

本来日記は、毎日の出来事を記すことですが、この一週間は、私が数年来関わってきた鐘崎の最大のイベントである魚まつりを軸に書いていきます。
13日は、魚まつりについて。14日は、観光協会事務局長として実質始めて係わった第7回魚まつり。15日は、鐘崎漁協顧問として係わった第8回魚まつり。16日は、鐘崎漁協組合長としての第9回魚まつり。と進めていきます。

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(写真は、10月1日に行われる宗像大社「みあれ祭」)
「みあれ祭」とは、沖ノ島の沖津宮、大島の中津宮の神様を辺津宮にお迎えする神迎えの神事で、宗像七浦の漁船が総出でお供し、色とりどりの大漁旗やのぼりで飾られた大船団の海上神幸となります。
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2006年06月18日

福岡県 宗像市 安永 6日目

今日は、6月17日。通常総会の日です。
総会は9時30分から始まりました。慎重審議のうえ、議案は全て採決いただきました。
役員改選前に、組合長挨拶の機会を頂きました。
本日までの任期をもって、辞任することを伝えました。
8ヶ月という短い間でしたが、理事会、組合員、鐘崎で漁業に従事しているみなさん、そして職員の協力のもとで、任期まで職務を遂行できたことに感謝を述べて、鐘崎を後にしました。

組合長就任時に、いつのまにか忘れられた風景“漁村”を取り戻すためには、海と食卓を結ぶことが重要だと感じました。
漁協や漁業者のチカラだけでは、大きなウネリにはならないでしょう。
幸い、この鐘崎のある宗像は、地域をおもう人がたくさんいます。
その人たちとチカラを合わせ、ウネリを起こし続けていかれることを願います。

最後に、鐘崎漁協の大漁と海上安全を祈念いたしております。

(写真は、一昨年の竜宮さんの直会の食事)
毎年総会後に、各部落の集会所で「竜宮(りゅうごん)さん」が行われます。大漁と海上安全の祈願祭です。



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2006年06月16日

福岡県 宗像市 鐘崎漁協の安永 5日目

今日は、6月16日。平成18年の第9回魚まつりの話です。
今年は、6月3日、4日に開催しました。
魚まつり実行委員会委員長は、鐘崎漁協の組合長です。
また、「鐘崎ふれあい食堂」と「宗像の海と暮らし展」が「地域に根ざした食育コンクール2005」奨励賞(審査員特別賞)を受賞しました。
当然、昨年より充実した魚まつりを考えるのですが、長となれば実行員会組織団体間の調整や組合内部の意見の集約などで、動きづらくなったのも事実です。
そこで、私のすべきことは「漁食普及のための食育」と「より積極的な組合の参加」に絞りました。



つかみどりの魚は、子ども達のその日の食卓にあがっているのだろうか?毎年不安に思っていました。
「魚食普及のための食育」のキャッチフレーズは、つかんで・さばいて・いただきます。
魚つかみどりの魚を、家族で捌いて調理を行ったフライを、その場で食べてもらうという企画です。
つかみどりの会場から調理を行う加工所までの誘導や調理の補助として、日本赤十字九州国際看護大学奉仕団の学生が20数名応援してくれました。
また調理は、前鐘崎漁協婦人部の執行部の方々がボランティアで指導していただきました。



私は、「海と食卓をつなぐ」ことを組合長就任時から強く感じていました。二日間のイベントで100組足らずの体験でしたが、これからの鐘崎にとって、重要な一歩を踏み出せたと思います。


今年の魚まつりの準備では、会議や交渉などに出来るだけ職員を帯同しました。前日の会場準備から撤収まで手伝ってもらいました。
例年魚つかみどりの誘導は玄海未来塾が担当してもらい、青壮年部は魚の補給のみの応援でした。誘導責任者に職員のY君を指名し、青壮年部からも誘導係をお願いしました。
初日は、あがり気味のY君でしたが、二日目は、自信を持った大声を出すY君の笑顔がありました。青壮年部長のT君は先頭に立ち誘導に当たってくれました。
準備段階で、「魚まつりを漁協単独でやるなら面倒なことは止めましょう」といっていた職員もつかみどりの輪の中で笑顔でした。今までの様々な人たちの協力や、たくさんの人たちが、この魚まつりを楽しみにしていることを実感してくれたと感じました。

(写真は、日本赤十字九州国際看護大学奉仕団の学生さん、魚さばき体験会場、青壮年部長のT君、つかみどりを仕切るY君)



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2006年06月15日

福岡県 宗像市 鐘崎漁協の安永 4日目

今日は、6月15日。平成17年の第8回魚まつりの話です。
私は、前年の16年の鐘崎漁協総会で非常勤の顧問を拝命していました。
また、前回7回の魚まつりに水俣市の吉本哲郎さんが来場され、その後民俗研究家の結城登美雄さんなどを紹介していただいていました。
当然、気合充実。とことん全力投球で魚まつりに挑みました。
「鐘崎ふれあい食堂」と「宗像の海と暮らし展」を深化(進化)することに努めました。
よりたくさんの外の風を鐘崎に呼び込もうとしました。

まず、まびき(シイラ)漁師さんと福岡県水産高校を繋ごうと試みました。
私は、まびき漁を体験し伝統漁法のすばらしさ、まびきの美味しさに反比例した市場評価のギャップを何とか出来ないかと考えていました。そのためには、広く一般の消費者(魚まつりの来場者)に、まびきを食べてもらうことが一番と考えました。



3日目の日記で登場した職員のY君は、水産高校出身です。彼から水産高校に流通加工コースがあることを聞き、早速彼と水産高校に協力のお願いに行きました。当然、この企画は彼に任せることにしました。水産高校の調理実習に、まびき漁の船頭さんや奥さんがまびき持参で数回出向いて、魚まつりの準備に協力してもらいました。
魚まつり当日は、揚げたての「まびきの丸天」が大好評でした。
いつか、鐘崎で地元の人が「まびきの丸天」を販売する日が来れば幸いです。



次に、福岡教育大学の学生たちの力を借りることにしました。「宗像の海と暮らし展」での取材とパネル作成と「鐘崎ふれあい食堂」での地元の出店者との共同作業を提案しました。
「宗像の海と暮らし展」では、鐘崎以外の調査を頼みました。大島漁協青壮年部の活動、神湊の老舗旅館の仲居さん体験、地島の地引網などのパネルを作成しました。
魚まつりには、2日間で数万人が鐘崎を訪れます。来場者には、鐘崎以外の宗像の海や暮らしを、また鐘崎の人には、意外と知らない隣の漁村の風景を知ってもらえばと考え企画しました。



「鐘崎ふれあい食堂」は、組合員さんの奥さんたちの店の手伝いをすることになりました。
単なる調理や販売補助ではなく、学生たちは数回自宅を訪ね、いろいろな鐘崎の話や料理の話を台所や居間で聞きました。その結果も「宗像の海と暮らし展」のパネルにしました。
日ごろ家族や乗組員のために作っている料理が、学生たちには新鮮で素晴らしい感動だったようです。「鐘崎ふれあい食堂」のメニューは多様で多彩な普段着の食卓に近づいたようです。
(写真は、水産高校の調理実習、好評の水産高校、地島の地引網後飯場での朝食、教育大学生のふれあい食堂営業)



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2006年06月14日

福岡県 宗像市 鐘崎漁協の安永 3日目

今日は、6月14日。平成16年の第7回魚まつりの話です。
この年から魚まつりが、私の一年の最大のイベントとなりました。
私は前年の秋から、トラフグのブランド化で頻繁に鐘崎に出入りするようになっていました。組合員、理事、青壮年の漁業者そして組合職員とも気楽に冗談が言い合える間柄になっていました。
魚まつりの準備は、3月頃から始まります。私は初めて、魚まつり実行委員会準備会議に参加しました。会議では、スタッフの固定化などイベントのマンネリ化が議論されました。
数日後、漁協で組合職員のY君と魚まつりについて雑談をしました。「魚まつりは、よその人がたくさんやってきて車が渋滞するんで、よそに遊びに行くんですよ」とYくん「漁協は参加せんとね?」「青壮年部の担当のIさんが、魚販売の会計係で出ますけどね」
その後私は理事会に出席させてもらい、漁協として積極的に魚まつりに参加してもらうよう要請し、快諾を得ました。理事さんたちは、ヨーヨー釣とかき氷を販売することになりました。
鐘崎漁協には、西町、北町、中町、千代川、京泊西、京泊東の6つの部落(地区)があります。理事は、3年ごとに部落から2名推薦されます。



今年の魚まつりは、自身が鐘崎と接する間に感じた海の魅力・人の魅力を来場者に伝えることが必要と考えました。
そこで、鐘崎の普段着の食卓をイメージした「鐘崎ふれあい食堂」と実際の漁や暮らしを紹介する「宗像の海と暮らし展」を企画しました。
「鐘崎ふれあい食堂」は、鐘崎で獲れた水産物を食材に、地元の人が普通に調理している料理を提供する屋台村を考えましたが、出店者がなかなか集まりません。そこで、JA女性部や宗像市女性連絡協議会など鐘崎以外の団体にも声を掛けました。そうすると面白いレシピが集まりました。知人の韓国人から教わった海鮮チジミやイリコ出汁のカレーなどです。主食材は鐘崎産を使用することだけをお願いし、何とか8団体が参加してくれました。



「宗像の海と暮らし展」は、漁船に乗船させてもらい船頭さんの話を聞いたり出航前の弁当づくりの写真をまとめ、20数枚のパネルを作成しました。

(写真は、かき氷を販売する理事さんたち、鐘崎ふれあい食堂、宗像の海と暮らし展を見るゴチ網漁の船頭の奥さん)



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2006年06月13日

福岡県 宗像市 鐘崎漁協の安永 2日目

今日は、6月13日です。平成15年の第6回魚まつりの話を進めていきます。
この年、私は観光協会事務局長でしたが、当日参加のみの写真係でした。それは個人的に鐘崎を避けていたのです。母校である玄海中学校の校区でもある鐘崎を敬遠していました。当時優等生だった私には、漁業後継者の同級生とは相容れないものを感じてしまっていたのです。(詳しくは現代農業2004年11月増刊をご拝読ください。)

魚まつりは、平成10年に始まりました。
きっかけは、「玄海未来塾」と鐘崎漁協の青壮年部との出会いでした。
「玄海未来塾」は、現在宗像観光協会会長の吉武邦彦さんが代表をつとめる、主に旧宗像郡玄海町に在住する20代から40代の若手が集まった地域づくりの団体です。玄海は海と魚と歴史の町と自負する吉武さんは、まず一次産業の発展がなければ、町の賑わいはない。「父ちゃん、漁師の跡を継ぐばい!」という子ども達が多く出なければと、いつも言っていました。



鐘崎漁協青壮年部は、満44歳までの漁業従事者で約150名が在籍しています。
鐘崎漁協の組合員の資格取得は、おそらく日本一厳しいと思います。出身が鐘崎以外の者は、7年漁業に従事して準組合員に。更に7年後に晴れて正組合員になれます。ただ漁業に従事していても資格を得ることは出来ません。毎年1月6日に行われる資格審査委員会での承認が必要となります。
さてイベントに、官製のばら撒き型と情熱系手弁当型があるとすれば、魚まつりは後者です。賑わいと交流を目的に旧玄海町の重要産業である水産業を中心としたイベントが生まれたのです。主催は、玄海町(現宗像市)・観光協会・商工会・玄海未来塾・漁協青壮年部などが組織した実行委員会となりました。
開催時期は、競合イベントが集中するゴールデンウィークを避け、水温が上昇し活魚が弱る前の時期、つまり5月下旬から6月上旬。



内容は、青壮年部が鮮魚と活魚を対面で販売。集客のための地元アマチュアによるステージイベント。来場者の食事のための商工会会員による露天や特産品販売。そして一番の目玉は、魚のつかみどりです。
第6回を迎えるまで、鐘崎の対岸にある地島での民泊と地引網体験や予約制の魚のさばき教室などの試みがありましたが、いづれもスタッフの手配など問題が多く継続は困難でした。

(写真は、第6回魚まつりの開会式、青壮年の魚販売、魚のつかみどり)



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2006年06月12日

福岡県 宗像市 鐘崎漁協の安永 1日目

みなさん、ご無沙汰しております。鐘崎漁協の安永です。
怒涛の決算を完了し、6月3、4日の筑前玄海魚まつり(以下、魚まつり)も晴天に恵まれ好評のうちに終わることが出来ました。
昨年度は、時化が多く出漁日数の減少と不漁、そして魚価の低迷で水揚は4億8千万円減となりました。また追い討ちをかけるように燃油の高騰で組合員、漁協にとっては非常に厳しい一年でした。
さて、今週末は定期総会です。私は、10月8日の臨時総会で組合長に就任しました。その後、11月29日、3月30日に臨時集会を開催しました。
総会は、二週間前に通知を行い、漁止めを行わないといけません。オーバーな言い方ですが、漁止めは組合員にとって死活問題なのです。
主な議題は、昨年10月の私の日記で触れました「信用事業譲渡」の処理と「鐘崎漁業共済基金」解散です。いずれも、何とか決算に反映することが出来ました。
本来日記は、毎日の出来事を記すことですが、この一週間は、私が数年来関わってきた鐘崎の最大のイベントである魚まつりを軸に書いていきます。
13日は、魚まつりについて。14日は、観光協会事務局長として実質始めて係わった第7回魚まつり。15日は、鐘崎漁協顧問として係わった第8回魚まつり。16日は、鐘崎漁協組合長としての第9回魚まつり。と進めていきます。

(写真は、10月1日に行われる宗像大社「みあれ祭」)
「みあれ祭」とは、沖ノ島の沖津宮、大島の中津宮の神様を辺津宮にお迎えする神迎えの神事で、宗像七浦の漁船が総出でお供し、色とりどりの大漁旗やのぼりで飾られた大船団の海上神幸となります。



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2005年10月23日

福岡県 宗像市 鐘崎漁協の安永 7日目

組合長就任二週間目は、こんな風でした。
みなさんには、直接関係のない話題が多かったと思いますが、漁港、漁村と食卓はつながっています。ひょっとすると、みなさんの食卓に鐘崎産の魚があるかもしれません。

日本人の原風景は?と問われたとき、みなさんなら、どう答えますか?
稲穂がたれ、鎮守の森でお祭りのある風景、農村の風景を思い浮かべられる方が多いと思います。
いつのまにか忘れられた風景、それが漁村だと思います。
でも、ボクラの祖先、みなさんの祖先は、勇気を持って海を渡ってきたのだと思います。新しい未来のために。



今、漁村は、大きく変わろうとしています。そんな時、ボクは鐘崎漁協の組合長になりました。これからも、少しでも、みなさんの食卓との距離が近くなることを願っています。

鐘崎漁協協同組合
代表理事 組合長 安永 淳

写真は、冬の鐘崎港。
鐘崎は、降雪量は少ないですが日本海気候です。また、正月にはノウサバ(ホシザメの干物)を食べます。



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福岡県 宗像市 鐘崎漁協の安永 6日目

4時半起床
今日は、就任後初めての定例理事会です。予定議案は水曜日に各理事に連絡しています。
書類整理やメールチェック後漁協へ向かいました。
7時漁協に到着
昨日の退室時に、広橋参事から鍵を預かり、セキュリティ解除の方法を教えてもらいました。鍵を開け暗証番号のボタンを押そうと思ったら、ボタンがない、昨日あったボタン。ボタンには蓋があったのです。蓋の開け方を教えてもらっていなかったのです。警報音の中、広橋参事に連絡し、無事入室できました。



9時、理事会開始
報告事項、協議事項が多く、昼食は参事に弁当を注文してもらっています。理事会議長デビューです。顧問の立場で理事会には何度も参加していましたが、今日は緊張しました。組合員と漁協が一丸となるためには、まず理事の理解と協力が必要です。じっくり話を聞き議事を進行しました。昼食をはさんで14時前に無事終わりました。

17時、地元選出市議4名来室
当然の組合長就任に驚かれたようです。就任の経緯を広橋参事と副組合長が説明し、ボクからは、今後の抱負などをお話しました。



19時、京泊西公民館で漁協用地払下げの説明会
数十年前、この地域は砂浜でした。そこには、漁具倉庫が建っていました。その後の漁港整備で土地になったのです。そこへ家が建ちました。空き地には、いつの間にか家が建ちました。道はいつの間にか狭くなりました。
宗像市も都市計画や防災のために、また漁協としても長年の懸案解決のためにも、土地の払下げは早期に解決しなければならない課題です。
公民館には、数十人が集まっていました。組合長の立場で、地域の集会に参加するのも初めてです。
「この土地は、皆さんや先代や先々代の努力、鐘崎漁協の努力の賜物です。今まで、この土地は財産ではありませんでした。測量費など漁協としても、この払下げについては協力をしています。皆さんの住んでいる土地をこの機会に財産にしてください」と挨拶をしました。

今日は遅く24時過ぎ就寝
写真は、シイラ漁風景です。鐘崎ではシイラを「まびき」と呼びます。一度に万匹とれる、たくさんとれることに由来しているようです。まびきの取れる沖の島は、今でも女人禁制の神域。このことにもあやかり、今年から「沖ノ島黄金まびき」として売出中です。海をおよぐまびきは、それはそれは美しい黄金色をしているのです。写真に見える島が沖ノ島です。



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福岡県 宗像市 鐘崎漁協の安永 5日目

4時半起床、
体内時計は順調に作動中です。携帯のアラームがなる前に目が覚めます。
今日は、福岡県信用漁業協同組合連合会(信漁連)の顧問弁護士に諸問題の相談に行きます。朝の時間は、その準備作業に費やしました。

8時、漁協到着
若手職員と鐘崎漁協のパンフレットの作成について話し合いました。漁業関係者向けではなく漁業のことを知らない消費者が、鐘崎のことを解ってもらえるパンフレットにしたいと伝えました。当然、予算はありませんので手作りになります。



9時、宗像市水産振興課 課長・係長が来室
第10次漁港整備について説明に来られました。
鐘崎の港は、西を向いています。南西と北西の風に弱い港です。当然台風にも。(写真をご覧下さい。台風前日の「綱とり」風景です。)近くの港は南を向いています。恐らくこの地域に最後にやって来た海の民だと思います。また鐘崎は、日本海の海女発祥の地としても有名ですが、これは磯が決して豊ではなかったから、他の漁場へ行かなければならなかったからだと考えられます。村を豊にするために、もう一度遠くの海へ漕ぎ出す勇気を持った海の民だったと思います。
ここ十年鐘崎では、船の数が増えています。海に線が引かれ、その線が狭くなりました。遠くの海へ行くための大きな船より、経費の掛からない小さな船が増えたためです。
この計画は十年前にたてられました。細部については見直しを進めたいと考えていましたので、明日の定例理事会で説明してもらうことにしました。

10時半少し前、福岡市内の信漁連に到着
W部長と「信用事業譲渡」作業手順の再確認を行いました。「信用事業」とは、簡単に言うと銀行業務のことです。国からの指導もあり、鐘崎漁協では定例総会で、来年の2月に信漁連に譲渡することにしました。組合員と漁協の「かすがい」のひとつを失うことになりました。



11時、W部長とI弁護士事務所に到着
主な相談は、「鐘崎漁業共済基金」の件です。『筑前鐘崎漁業誌』によれば、昭和50年前から農漁業の一次産業者には、老後を保証する共済年金的なシステムがなかったため、「小規模でも漁業者のための独自のもの」との発想から検討が始まった。とあります。現在は、60歳と70歳で一時金の支給や、葬儀費用の一部を給付しています。しかしながら、信用事業譲渡の過程で、この基金の取扱が問題となっています。基金の解散も選択肢のひとつですが、そうなれば、また「かすがい」を失うことになります。出来るだけ早い時期に臨時総会を開催し、組合員に信を問いたいと思います。

15時すこし前、鐘崎漁協に戻る
今日も時化のため、多くの組合員が浜にいます。今朝の漁港整備に係わる漁種の船頭を漁協に集まってもらいました。理事会の前に、船頭に新たな漁港整備が必要か真意を聞きたかったからです。

20時帰宅、22時過ぎ就寝


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2005年10月22日

福岡県 宗像市 鐘崎漁協の安永 4日目

4時半起床、
この日記、最初は淡々と肩に力を入れずに書こう、と思っていましたが、ほぼ全力投球です。さて今日の主な行事は、宗像観光協会の役員会及び理事会です。新聞報道が先行してしまい、ご迷惑をおかけしました。

8時、漁協に到着
昨日購入した棚に少しずつ荷物を移動しました。まだまだ整理には時間がかかりそうです。
今日も時化なので、様々な方が来室された。公開できる内容は少ないです。
「海は誰のものか」大変難しい問題です。一つずつ意見を聞きながら解決していきたいと思います。



その後、三々五々来室者あり、
14時頃、鐘崎駐在が来られた。赴任以来一年半が過ぎたそうです。鐘崎の濃いい近所づきあいには、当初はビックリしたが防犯上助かる場面が多いそうです。
千ちかい世帯なのですが、ほぼ全員顔見知りであり、大きな家族だとボクは感じています。

15時、宗像観光協会役員会
16時、宗像観光協会理事会
先にも述べましたが、三年前から宗像観光協会事務局長を務めていました。事務局員一人だけが常勤で、会長以下は非常勤の体制です。宗像観光協会は、商工会・JA・漁協などの接着剤の役割で地域振興に貢献しています。
ボクが鐘崎漁協組合長に就任したことを始めて新聞報道で知った観光協会関係者が多く、大変ご迷惑をおかけしました。観光協会会長の口癖は、『宗像の観光は「海と魚と歴史」』です。今後は、観光協会と力を合わせ地域産業の振興に努めたいと思います。
昨年、鐘崎漁協の非常勤顧問となり、今まで接触のなかった県や国の漁業担当者と話す機会が増えました。それまでボクの地図は、宗像市全図だったのですが、この一年で縮尺が変わりました。福岡県全図から九州全図、今では東アジアの中の鐘崎を見ています。それは遠い昔、鐘崎の祖先が渡ってきた海の道が重なっていると感じています。

多分20時前就寝

写真は、「第8回筑前玄海魚まつり」の風景です。







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2005年10月21日

福岡県 宗像市 鐘崎漁協の安永 3日目

4時半起床、
新聞の力はスゴイです。先週金曜日に出来立ての名刺を持参し、大庭副組合長と広橋参事と行政や県の漁業系統団体に挨拶回りをしました。
新聞各社とも丁寧な取材をしていただきましたので、自己紹介も程々に済ませることが出来ました。
それから視察の申し込みが数件、舞い込みました。その資料つくりで朝の時間を費やしています。



7時45分、鐘崎漁協へ向かう。
今日も時化、京泊の集会場では「ふぐ篭船団」、漁村センターでは「青壮年部」執行部の寄り合いがあっているようです。「青壮年部」は満44歳以下の漁業者で約140名がいます。
いつものように金庫の前の神棚に拍手を打ち、さぁ片付けるぞ!とダンボール箱を用意していると「とらふく船団」の世話人が3名来られました。
昨日、福岡県庁水産振興課と水産庁九州漁業調整事務所に「九州・山口北西海域トラフグ資源回復計画」の行政支援策の拡大を陳情に行った報告を受けました。行政側からは芳しい回答を得られず、現在のままでは船団内部の資源回復に対する意欲が低下することを世話人たちは一番懸念していました。
九州・山口北西海域トラフグ資源回復計画の概要は、このサイトを参考にしてください。

簡単に説明しますと、全長25センチ以下の小型魚を放流し、3月後半からの産卵期を休漁にします。鐘崎では、4月10日までの漁期が3月10日まで1ヶ月短縮となります。そのための支援策が必要となります。その間に休業せずトラフグ漁以外の漁業に転向すれば、その魚種の漁獲圧力が高まります。例えばトラフグから鯛を獲るようになれば、鯛を獲る漁業者が増えると乱獲の可能性が出てきます。鐘崎には網を使う漁業、釣り漁業など様々な漁業があります。海はつながっています。トラフグの資源回復計画は、県内外の漁業者の問題でもあります。
水産資源は、石油など鉱物資源と違い減少した資源を回復することが可能です。また海は気球を覆っています。水産資源回復は鐘崎だけの問題ではないのです。ボクらの子孫の食卓の問題なのです。
来週にも県や水産庁の担当者に会うことにしました。



10時ごろ、「ふぐ篭船団」の世話人来室
11月19日、20日に福岡県農林水産祭が福岡市内であります。
「ふぐ篭船団」は、カナトフグ(正式名はシロサバフグ)を獲っています。今年は数年来の豊漁なのですが、魚価は低迷しています。
漁協では、農林水産祭で「カナト」の味噌汁を振舞おうと考えています。各船に30匹ずつの無償提供と手伝いをお願いし、了解を得ました。味付けは、船頭の奥さん達に頼みました。いつもの鐘崎の味をたくさんの方に味わってもらえば、カナトフグのPRになると思います。



漁村センターでの青壮年の会議を覘きました。部長と目が合ったので、そのままセンターに入っていきました。
かねてから考えていた勉強会の話をしました。内容の希望を聞きたかったのですが、部長からは、組合長の方針を部員に話してくれと頼まれました。今度の時化に集会をすることにしました。また勉強会については県や海洋センターに打診後、来月から実施したいと考えています。

12時、
どうも組合長室が片付かないので、書庫に棚を置き、とりあえず書類などを移動することに決めました。そこで漁協若手の石橋君とホームセンターに棚を買いに行きました。漁協の軽トラックの助手席で聞く石橋君の話は楽しいものです。

13時すぎ昼食を済ませ漁協の戻る。
アジ釣りのM.Gさん、共進丸の探索船の船頭、代表監事の海生丸さん、監事のM.Yさんが三々五々来室。

15時、
宗像署警備課から課長と係長が来鐘された。密航者などの監視のために「沿岸警備協力会」を漁協などが中心となって組織しているそうです。

18時30分、宗像ロータリー理事会

19時〜20時、宗像ロータリークラブ例会

22時頃、就寝



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2005年10月20日

福岡県 宗像市 鐘崎漁協の安永 2日目

4時半起床、
さぁ今日からLJ21の日記を書くぞ!と意気込んで、オックスへ向かう。
自己紹介もなく書き始めましたが、時間がない。
ボクは、7月から来年の6月まで宗像ロータリークラブの幹事も務めているのです。
19日の理事会の資料作成もやっておかないと。

天気予報では、今日は時化模様。
この時期、大陸の高気圧の影響で北東の風が沖合いで強いそうだ。
先週の時化の日は、突然の来客が多かったなぁ

7時50分、鐘崎漁協へ向かう。
組合長室の書類の整理をしたいが、決済書類が山になっています。石橋参事に内容を聞きながら対応します。
下関唐戸市場の株主総会の案内が来ていました。
唐戸は、「下関とらふく」のセリを行う市場です。今では唐戸市場の約9割近くが養殖トラフグです。
天然物は、玄界灘などの外海産、瀬戸内海などの内海産に分けられます。鐘崎は、その外海産の5割以上を水揚しています。
主な漁期は、12月から3月までです。西高東低の気圧配置で強い北西の風が吹く玄界灘や響灘が漁場です。
20数年前は、韓国、志布志湾、志摩までトラフグを追いかけていました。
宮本常一さんの「日本の村・海をひらいた人々」のなかで、数百年前の鐘ヶ崎の漁師の「勇気」が描かれています。 浦を豊かに、家族を幸せにするために、玄界灘の荒波に櫓を漕ぎ出し対馬や朝鮮まで鐘崎の祖先は航海していました。

しかしながら、平成63年に20億円あったトラフグの漁獲高は、ここ数年3億円前後に激減しています。
三年前から、鐘崎港とらふく船団の漁獲したトラフグを「玄海とらふく」として、地元の宗像観光協会会員店舗で提供を始めました。
昨年は、トラフグの尾びれにタグと付け船名と漁獲日を記入し個体管理を行っています。
また、そのトラフグを獲った漁師さんの写真もつけています。今年は、福岡市内に販路を広げていく予定です。

8時20分、福岡県漁政課漁協合併担当のJ.Kさん来鐘。
現在日本には、約6千数百の漁村と約1,500の漁協があります。
平成19年度末を期限に「漁協合併促進法」が制定され、250漁協を目標に合併が推進されています。
鐘崎漁協は、宗像漁協、津屋崎漁協との合併協議の開始を行政から指導されています。
そこで鐘崎漁協では、今年の3月に合併検討委員会を組織し、その調査機関として合併検討準備員会を設置しています。
ボクは当初から準備委員会の事務局的立場で参加していましたが、
宗像観光協会事務局長(平成15年度から非常勤、本年10月辞任)の肩書きがあり、
表立った交渉の窓口には立てませんでした。
今回組合長の就任にあたり、準備委員会へ所信を表明しておきたかったのです。
合併していない漁協は、製氷施設など漁港施設整備に対する補助金が受けにくくなります。
鐘崎港の築30年の老朽化した製氷施設の単なるリニューアルのために、合併の道を選択したくはないのです。鐘崎の将来を見据えて、慎重にそしてポジティブに検討していきたいと考えています。



9時少し過ぎ、合併検討委員会準備委員会開催
所信を一方的に表明する前に、各委員の意見を聞くために、県から現在までの経緯の確認と他漁協動向を話してもらいました。
場の流れが少しずつ出来てきました。委員から発言が出始めました。
鐘崎での会議では、この波が重要なのです。何度も波が押し寄せ、方向がほぼ定まった頃、
また別の大きな波が場を変えてしまうこともあります。
しかし、不思議にどこかの着地点があるように、スッと波が止んだ時、決め事は決まります。
宮本常一さんの「忘れられた日本人」の伊奈の村寄りあいの様です。
鮮魚の鮮度維持を武器に他産地との差別化を行いブランド化を進める漁協もあります。
今度鐘崎につくる製氷施設は、単に氷を作る施設ではなく、魚価が上がるための施設の一部にしたい。
その為には性急な合併を進めるのではなく。少し時間を頂きたいと所信を話しました。


鐘崎漁港の正組合員は一戸一員制のため240名ですが、昨年漁業就労所得を得た男子は440名です。
平均年齢は49.9歳、65歳以上は22%と全国平均より12ポイントも低いです。
しかしながら、今春も漁師として将来を嘱望されていた若手が数名、大手自動車メーカーの下請けに就職しました。

19時、縄田蛭子丸ご尊父通夜
鐘崎の礎を気づいていただいた感謝を込めて線香を焚きました。

19時半、オックス新社長、M.N氏と打合せ

21時過ぎ帰宅
22時ごろ就寝


写真は、鐘崎の鎮守、織幡宮春季大祭の様子と、お祭りの料理


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2005年10月19日

福岡県 宗像市 鐘崎漁協の安永 1日目

はじめまして、鐘崎漁協組合長の安永淳(あつし)です。
今週一週間、九州は福岡、鐘崎漁港からの組合長日記にお付き合いください。
肩に力をいれず、淡々と書くつもりです。

5時半起床、シャワー後オックス社屋へ向かう。(オックスは、10 月8日に組合長に就任する前まで社長を務めていた会社です。)ここでメールチェックなどを済ませます。
ボクは、キーボードを始めて叩く組合長なのです。つまり組合長席からはメールのチェックなどが出来ません。また鐘崎は、デジタルデバイド地域なのです。
またオックスで日本農業新聞を読みながら、NHKの朝のニュースを聞くのも8日以来の日課になりました。今日の気になった情報は、柿渋です。鐘崎でもイカ釣りの船の水槽には柿渋を塗っています。イカが水槽の底に沈まず活きのいい状態で港に帰れるそうです。

7時50分、鐘崎漁協へ向かう。
漁協に着くと、相変らずタバコの吸殻が散乱している。何とかしようと思いました。
さてと日経でも読むか、と思った矢先。9時からの会議の資料の作成を忘れていたことに気づきました。
昨年度鐘崎漁協の漁獲高27億円うち12億円は、「まき網」船団が稼いでいます。しかしながら本年度の漁獲高は昨年の三分の二以下、残りの漁期は2ヶ月しかありません。「まき網」の漁期は5月から12月までと決められているのです。そこで先週、福岡県水産海洋技術センターに不漁の分析と今後の対策の意見を求めていました。

8時30分、センター職員4名来鐘。
会議では、厳しい資源状況に変化はないと報告されました。また現在の出荷は、各地の魚市場のセリの時間に合わせていること、その為に需給のバランスがずれ魚価が上がりにくい構造だと言うことがはっきりしました。これはスーパーなどの影響も当然あります。
今後は市場に単に販売するのではなく、食卓に魚を届けるという意識改革が必要だと改めて感じました。

12時15分会議終了。漁協近くの食堂の丸京で「カツ定食」を注文するも、峰ちゃん(女主人)から「こっちの段取りがあるから、チャンポンにしとき」と言われて、チャンポンを食べました。

13時、宗像市役所へ向かう。
宗像市暴力追放推進協議会出席。漁協の組合長になると、役目張りの会議がたくさんあります。

15時45分、鐘崎漁協に戻る。
机の上に25枚の履歴書が並んでいました。
11日の初出勤の日に、広橋参事にお願いしていたものです。組合職員とパート職員に、改めて履歴書を書いてもらい、また現在の業務内容、改善提案や要望を別紙に書いてもらいました。
この書類を基に、次週から個人の面談を行います。
参事と話をして、今までなかった職員例会を毎月月末に行うこと。その時に漁協の周辺の掃除をすることを決めました。

19時30分、鐘崎漁協を出る。
履歴書を読みながら焼酎を数杯。
20時ごろ就寝

写真は、 福岡県内有数の漁獲漁を誇る鐘崎漁港の初夏の風景


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2004年11月29日

福岡県福岡市 西岡一正 7日目

ふー、ようやく7日目。ブログの使い方がよくわからず、テキストが消えたり、写真が拒否されたりの1週間でした。
 今日は、27、28日、金沢への小旅行の記録です。

 久しぶりに2日連続で休める週末でした。先週末の(世間では)飛び石連休もほとんど仕事だったので、どこかに出かけたい気分。年末で期限が切れるマイレージもあったので、27日の夕方、福岡から金沢に出かけました。
 地方都市を結ぶ路線なので1日に3便しかないのは仕方ない。週末とあって午前の便は空席がなく午後の便に。でも午前10時の第2便の次は午後6時半というのはあんまりだなぁ。
 金沢の街中に着いたのは午後9時。おなかも空いたので、ガイドブックを頼りに、午前2時までやっているというアイリッシュパブ「倫敦屋」へ。1969年開店。作家の山口瞳の色紙がかかっていて、コースターには「トリス」で知られる柳原良平のイラストがありました。天井の低い造りがいい雰囲気のパブ。ローストチキンが絶品でした。
 ちなみに写真は翌朝、ホテルの窓から見た金沢駅です。




開放感で、ほろ酔いでホテルへ。
 久しぶりに心置きなく休めたので、起き出したのは11時近く。新しい美術館を見に来たのですが、おいしいものも楽しみたい。再びガイドブックを参照すると、ホテルから歩いて15分ほどのところに近江町市場があり、周辺にはよさそうな店が並んでいます。日曜日でも開いているという「山さん寿司本店」へ。
 名物はボリュームたっぷりの「海鮮丼」。かにみそ、ウニ、イクラ、かに、ブリ、トロ、タイ、アジ、たこ、イカ……。これで、たしか2500円(税別)。思わず、お銚子も頼んでしまいました。
 福岡もそうですが、海の幸が安くておいしいのは幸せです。


さて、旅の目的は、ここです。金沢21世紀美術館。10月にオープンしたばかりの現代美術館です。
 建築は円形の建物の中に、天井高の異なるさまざまな大きさの展示室を、それぞれ独立した形で配置しています。入り口は4カ所。歩いているうちに自分のいる位置がわからなくなる、迷宮的な造りになっています。
 ベネチアの建築ビエンナーレで金獅子賞を受賞した建築だそうですが、しばしば、個性のない展示空間として揶揄的なニュアンスで語られる「ホワイトキューブ」(白い箱)の集合体に徹しているところに、建築家と美術館の意思を感じさせます。



開館記念の企画展も面白かったのですが、パーマネント展示の作品でとくに面白かったものを二つ紹介します。
 ひとつは、「レアンドロのプール」。中庭に造られた小さなプールですが、実は水深は10センチほど。水底は強化ガラスで、その下に写真のような空間があります。この空間には美術館の中から入れる仕組み。下から見ると水の揺らぎの上に空が見えます。中庭側からは、一見普通のプールですが、「水中」には普通に服を着た人たちが見えます。
 観客は、中庭と水底の空間から、水の揺らぎ越しに互いを眺めたり、手を振って合図を送ったり。ちょっと変わったコミュニケーションが楽しめます。


もうひとつは「タレルの部屋」。著名なアーティスト、ジェームズ・タレルの作品です。
 1辺10メートルくらいの四角い部屋。天井の中央を6メートル四方くらいに切り取って、空が見えるようになっています。ぽっかりと開いた正方形は、それと知らずに見ると、天井に青い正方形を描いているだけのように見えます。ところが、時間がたつにつれて、雲が流れすぎたり、時には鳥や飛行機が横切ったり。
 私は、壁に沿って設置されたベンチに座って、夕刻に30分ほど眺めていました。日没を過ぎて、空の青が徐々に深くなっていきます。こんなに長く空を眺めていたのは、ひょっとすると生まれて初めてかもしれないと、ふと思いました。
 現代美術館ですが、観客には家族連れやカップルの姿が目立ちます。入場者はすでに20万人をこえているとか。注目すべき美術館です。


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2004年11月28日

福岡県福岡市 西岡一正 6日目

あらら、のんびりしていたら第5週の方のブログが始まっていました。ま、一週間の約束なので、あと2日分送信します。お暇な方はお付き合いください。

 というわけで26日(金)の記録です。

 この日は取材の予定が2件。最初の取材のため、正午に市内の住吉神社へ。
 来年2月に予定されている歌舞伎公演で主演する役者が、住吉神社で興行成功を祈願して、その後、記者会見という段取りです。
 役者は市川染五郎と市川亀治郎、片岡愛之助の3人。全員30歳前後の花形です。染五郎は父・松本幸四郎の若いころを髣髴させる風貌。段四郎の息子の亀次郎は女形ですが、素顔は意外と男っぽい。愛之助は仁左衛門の元部屋子。親子はないのですが、どこか仁左衛門に雰囲気が似ています。「芸の遺伝子」のなせる業でしょうか。
 個人的には仁左衛門は好きな役者なので、愛之助にも期待したいものです。


記者会見の後に、雅楽の解説がありました。演目の「三国一夜譚」という新作歌舞伎が、雅楽士を主人公にした仇討ちものだからです。
 恥ずかしながら雅楽にはまったく無知、篳篥(ひちりき)と笙(しょう)の区別もよくわかりません。解説では、篳篥が主旋律をかなで、龍笛(りゅうてき)という横笛が副旋律、笙は全体を包み込むような役割を担っているそうで、大変勉強になりました。
 なかでも気に入ったのは、篳篥。長さ20センチもあるかないかの小さな縦笛ですが、ボリュームのある音色です。携帯にも便利だし、機会があれば習ってみたいものです。



二つ目の取材は市内のホテルで。こちらも来年2月に公演するミュージカルに関する記者会見。
 宮本亜門が演出する「ファンタスティックス」で、記者会見には主演俳優の井上芳雄さんが出席しました。
 福岡出身で、小学生のころからミュージカルにあこがれていたとか。中学生のころからレッスンに通い、東京芸大声楽家に入学。在学中にオーディションで抜擢され、プロの俳優になったとか。まだ25歳。前途有望な若手俳優です。

 今日はなんだか、若くて元気で、きれいな男の子ばかりに会った感じ。



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2004年11月27日

福岡県福岡市 西岡一正 5日目

4日目の記録を入力していて、ふと気づいたら午前4時。キーボードにつっぷして眠っていたようです。

 というわけで、遅くなりましたが、25日(木)の記録です。

 といっても、毎週木曜日は文化面の締め切りの日。午前中は自宅でインタビューのテープお越し。新聞記者でありながら、情けないことに、メモを取るのが苦手。やむなく、長いインタビューはボイスレコーダーに録音して、メモの不備を補いうことに。
 合間に気分転換もかねて、ラーメンを作ってブランチに。博多のとんこつラーメンもおいしいけれど、たまには違った味のラーメンも食べたくなるので、この日は札幌味噌ラーメン。最近は一食分のメンマとチャーシューのパックなんて商品もあるんですね。便利になりました。
 午後に出勤。今日も快晴。のんびり列車に揺られたいなぁ、などと妄想しているうちにバスは目的地へ。



職場に着くと、デスクから短いお知らせ原稿を出すようにとの要請あり。いつも文化面を担当している先輩が今日は「退職後のライフセミナー」出席とかで不在。そのため原稿が不足している様子。電話取材でデータを確認して出稿。その合間に、飛び込みで個展の売り込みがあって、応対に出る。福岡では、アポなしに訪ねてこられるケースが珍しくありません。仕事柄、どんな情報も貴重なのですが、締め切り間際に突然こられても……。
 それやこれやで、夕刻になってようやく長めのインタビュー原稿にとりかかる。イタリア美術の研究者ですが、大のオペラファンでそこから、浅草オペラ→エノケン・ロッパの喜劇や戦前の日本映画→歌舞伎→活人画、と関心が広がっていったという内容。楽しいインタビューでしたが、コンパクトかつ過不足なくまとめるのに意外と難渋。デスクに原稿を渡したのは夜11時過ぎ。デスクが原稿チェックを終えるのをまって、ようやく二人で夕食。この日は中洲川端の韓国料理。サムギョップサル(豚ばら肉の焼き肉)とスンドゥプチゲ(おぼろ豆腐の辛い鍋)にビールとマッコリ。今週もようやく山を越えたので、つい飲みすぎてしまいました。

ちなみに活人画とは"tableaux vivants"の訳語。ヨーロッパの祝祭の見世物から発展したアートというか、一種のショー。背景画の前に紛争した人物を配置して、物語の場面や名画を模擬的に見せるものです。日本には鹿鳴館時代に紹介され、女学校や小学校の学芸会などで流行したとか。これを風俗的な見世物にしたのが、戦後、東京tの帝都座(現在の新宿・丸井のところらしい)で人気を呼んだ「額縁ショー」。それがやがてストリップになっていく――という流れがあったそうです。

福岡にいると、ファンとまではいかなくても、ホークスびいきになってしまいます。ベスト電器のCMは城島、来年開通する新しい地下鉄路線のイメージキャラクターは和田、といった具合に街やメディアはホークスのイメージであふれているからです。
 親会社がダイエーからソフトバンクに代わりますが、今後30年間、福岡を本拠とすると発表されたので、地元ファンはひと安心といったところでしょう。
 福岡ドームは私の宿舎のすぐ近くにあるのですが、実は福岡に来てから一度も入ったことがありません。野球は嫌いじゃないし、球場でビールを飲むのは大好きなのですが……。なぜかというと、ドームが嫌いなのです。野球はやはり、オープンエアの開放感あふれる空間で楽しむべきものだと思うからです。空調のきいた球場でビールを飲んでもおいしくないですしね。
 そこで、孫正義さんにお願いです。ゲーム中は、雨天でない限り、福岡ドームの屋根を開けてください。一度開閉すると30〜40万円かかるときいていますが、貴社の財務状況なら過大な負担とはならないでしょう。それより、野球本来の楽しみを市民に提供するという意味で、大きな社会貢献になると信じます。


というわけで、今日は福岡ドームの写真を添付します。左の高い建物ががホテル「シーホーク」です。

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2004年11月26日

福岡県福岡市 西岡一正 4日目

24日の記録です。

 といいながら、もう26日午前4時。更新時間が1日ごとに遅くなっています。
 23日までの、世間では飛び石連休だった期間に、本来は仕事があるにもかかわらず、つい遊びの予定を入れてしまったツケを支払っている感じです。
 新聞記者というと、その日で仕事にけりがつく、という印象が強いかとおもいます。でも、それは政治や経済、事件などを主に取材している記者のイメージであって、私のように文化・芸能やくらしの話題を取材している記者は、どちらかといえば週刊誌に似たサイクルで仕事をしています。それだけに、祝日があると、仕事はどうしても忙しくなってしまいます。
 今夜(23日)も仕事が終わったのは午前0時ごろ、その後、引継ぎなど連絡事項をまとめたたあと、福岡で最近若い人に人気の今泉にあるカジュアル・フレンチの店に。平日の深夜だというのに、店はほとんど満席。ほとんどが若い女性でした。なんとなく、落ち着かないままでした。

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2004年11月25日

福岡県福岡市 西岡一正 3日目

2日目の記録を送信したと思っていたら、なぜか下書き状態で残っていました。先ほど送信したのですが、うまくいったのかどうか。ちょっと不安。

 というわけで、3日目、23日の記録です。

 午前10時、昨夜、わが家に止まったM先輩を送って、マリノアシティへ。
 マリノアシティは、福岡市西部の、海に面した複合施設。今年夏、中心となるアウトレットを増床した際に、食品を中心に九州各地の物産を扱う「九州ムラ市場」がオープンしました。M先輩が活きのいい魚を土産にしたいというので、鐘崎という漁港直送の鮮魚を扱うコーナーに案内した次第。

M先輩をマリノアシティに落とした後、自宅に車を置いて、バス停へ。地下鉄もあるのですが、自宅からバス停まで歩いて1分、そこから職場まで約20分と便利なので、バスが日常の足になっています。
 私が利用する路線バスは途中から高速道路に入ります。晴れた日には、高架になった高速道路上から、博多湾とその向こうに広がる玄界灘が一望できます。この風景を見るためだけでも、バスに乗ってもいいと思えるほど。この日もきれいな空と海が広がっていました。


午前11時に、中洲の劇場・博多座へ。この日の演目は市川猿之助一座の歌舞伎「南総里見八犬伝」。猿之助は療養のため休演。そのかわりに、一座の中堅・若手ががんばっていると評判の舞台です。
 今月初めからの公演に先立って行われた市川右近らの記者会見、インタビューを基に記事を書いたことがあります。実際はどのような舞台なのか、確認しておくのも記者の仕事です。
 師匠・猿之助が得意とするケレンたっぷりの舞台を、右近を中心に中堅・若手で一生懸命に演じていました。清新といえば清新な舞台なのですが、やはり求心力に欠けるという印象は否めませんでした。
 ところで、博多座は隣接する福岡アジア美術館と同時に5年前に開場しました。その縁もあって、建物の内外にアジアの現代美術作品を配置しています。一例が、エントランスの脇に吊り下げられた、竜の姿をした船。中国の著名なアーティスト蔡國強の作品で、赤いランタンで来場者を迎えます。観劇の際には、アート探しも楽しめます。


「舞台がはねたら食事。これが正しい劇場の楽しみ方」と1日目に書きました。ところが、この日は「舞台がはねた」後に仕事がまっていました。祝日ですが、午後4時半から午前0時半まで、職場で待機しているという当番だったのです。すさまじきものは会社勤め、残念。
 文化・芸能担当は、事件を扱う社会部などに比べれば、新聞社では比較的ゆったりしたセクションと思われていますが、時には迅速に対応しなければいけないニュースが飛び込んできます。この日も、鹿児島在住の著名な洋画家が亡くなり、その対応に追われました。やれやれ。

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2004年11月24日

福岡県福岡市 西岡一正 2日目

22日(月)の記録です。

 この日も小倉から。というのも、前夜、東京から出張してきた職場のM先輩と久しぶりに痛飲、電車もなくなったため、そのまま小倉に止まってしまった次第。この時期、例年なら冷え込みが厳しいそうですが、今年はまだ陽気がよく、この朝も快晴。
 ホテルの窓から北九州の街を眺める。港湾地区には煙突が立ち並んでいます。業種はわからないけれど、やはり北九州は生産の街。対する福岡は商業の街。昨日話題にした演劇に関しても、北九州は劇場や演劇祭によって演劇を産み出そうとし、福岡は東京や大阪から面白い舞台を仕入れてきて売る/消費する――、乱暴な言い方ですが、そんな対比ができそうな気がします。
 (ホテルの窓から撮った写真がなぜか消えてしまいました。写真がないとさびしいので、代わりに、小倉でみかけたイルミネーションの写真を添えます。街はいずこもクリスマス気分ですね)
 午前8時から取材というM先輩たちと別れて、新幹線で博多に戻る。


福岡は地方都市とはいえ、エンターテインメントには恵まれた街。東京で単館ロードショーになるようなアートっぽい映画も、短期間とはいえ劇場公開されるし、来日ミュージシャンもかなり高い確率でツアーでやってきます。演劇でも小劇場系の舞台もやってくるし、商業演劇は博多座という劇場で、それこそ東宝、松竹から宝塚、歌舞伎まで月替わりで公演しています。
 ただ、個人的にすごく寂しいのは文楽が見られないこと。月に1度は東京の自宅に帰りますが、週末はなかなかチケットが取れないし、文楽を見るためだけに大阪に行くほどの余裕はないし……。
 と嘆いていたら、12月に22、23日の2日間だけですが、文楽公演が博多座であります。演目は昼の部が「菅原伝授手習鑑」で、夜の部が「曽根崎心中」。それも文楽の人間国宝5人のうち4人がそろうという豪華な顔ぶれ。本拠地の大阪や東京、京都以外では、これほど本格的な公演は初めてとのこと。福岡や九州の文楽ファンにとっては、思いがけないクリスマスプレゼントになりそう。



北九州で仕事を終えたM先輩が福岡にやってきました。実は5年ほどまで、福岡に勤務していたことがあって、とても懐かしいのだとか。翌日(23日)は祝日なので、私のところに泊まっていくとか。
 夕刻、M先輩と同期入社で福岡在勤のAさんも誘って、3人で繰り出しました。
 Aさんは福岡勤務が3度目というベテランの博チョン。お酒は飲まないけれど、かなりのグルメとの評判です。
 そのAさんの案内で、ちゃんこ鍋の「千代の海」へ。元横綱・千代の富士の先輩力士だった人が店長で、時々千代の富士も現れるとか。この日も、ちょうど九州場所開催中とあって、若い力士が谷町筋と思しき年配者とともに鍋をつついていました。
 この店のちゃんこは、さすがAさんが進めるだけあって、絶品。つくねが肉と魚の2種類入っているのですが、肉は地鶏。魚のつくねといえば、普通は鰯ですが、ここはなんとアマダイ(!)と鯛と鯵。アマダイは、関西ではグジの名で知られていますが、関東ではほとんど見かけません。福岡ではスーパーでも普通に売っているので、ポピュラーな魚だと知ってはいたのですが、まさかつくねにするとは(絶句!)。

お酒を飲むのも忘れて鍋を堪能、這うようにして帰宅したら、M先輩は11時もならないうちに健やかな寝息をたてて眠ってしまいました。やはり、おいしいものは人を幸せにする!?
 ちなみに、写真は私が6月に釣った40センチのアマダイ。こちらはしゃぶしゃぶで堪能しました。


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2004年11月22日

福岡県福岡市 西岡一正 1日目

はじめまして。福岡市の西岡と申します。
 といっても、福岡には今年の4月に転勤してきたばかり。家族を東京に残しての単身赴任なので、いわゆる「博チョン」ビギナーです。
 仕事は新聞記者。芸能や文化関係の取材を担当しています。
 自己紹介はこれくらいにして、第1日として、21日の記録です。

 で、いきなりですが、話題は北九州に飛びます。
 北九州というと「製鉄の街」という印象があります。私自身も福岡に来るまではそうでした。でも、文化・芸能関係では近年は「演劇の街」として注目されています。
 たとえば北九州演劇祭は今年でたしか13回を数えました。昨年には小倉城の近く、リバーウオークという複合施設内に北九州芸術劇場が開館しました。大中小、3つの舞台を備えた立派な劇場です。
 21日午後、ここの中劇場で行われたコンテンポラリーダンスを見るために出かけました。福岡から新幹線で約20分、東京から横浜に出かけるより、もっと気軽です。



公演は「H・アール・カオス」。最近評価の高い女性ばかり4人のダンサーのカンパニーです。作品タイトルは「白夜」。ゴシック風の舞台装置に夜想曲のような音楽で始まりました。
 タイトルと導入部の印象から、身体表現を静謐に展開する作品を予期していたら、宙乗りあり、紙ふぶきあり、スペクタクルに富んだ作品でした。映画「マトリックス」の冒頭のように、英数字が縦に流れるデジタル映像などからも推測すると、「管理社会における身体」といったところがテーマなのでしょう。70分間、休みなしに律動するダンサーに驚嘆しつつ十分に楽しんだのですが、予想とのギャップに戸惑ったのも事実。しばらく注視したいカンパニーです。


舞台がはねたら食事。これが正しい劇場の楽しみ方です。
 この日は、ちょうど東京在勤時の先輩が、フリーのライター、カメラマンとともに北九州に出張してきていたので、夕刻に待ち合わせました。
 福岡もそうですが、北九州でもまず味わうべきは魚です。ライターの岡澤香寿美さんがまだふぐを食べたことがないとのことなので、小倉駅近くのふぐ料理店へ。タクシーの運転手さんに教えてもらった大衆的な店で、刺身、白子の茶碗蒸し、から揚げ、鍋、ぞうすいの「ふぐフルコース」を堪能しました。岡澤さんの満面の笑顔をご覧ください。
 運転手さんの話では、下関に行くと普通の食堂のような店で天然のふぐを出すところがあるそうです。やはり天然の方がはるかにおいしいとのこと。その一方で、先輩が某作家から聞いたところでは、ふぐは回遊魚ではないから、養殖でも天然と大差ないとか。
 いずれにしても、鍋のおいしい季節になりました。福岡では大相撲の九州場所が始まると、アラ鍋の季節になるとか。うーん、楽しみ。


食事の後は2次会。小倉には旦過市場といういい感じの市場があります。その隣の路地が、規模は小さいけれど、新宿ゴールデン街に似た雰囲気と聞いて、早速繰り出しました。
 店の名前は忘れたけれど、おもちゃ箱をひっくり返したような店で、昭和の懐かしグッズが店中に散乱していました。
 カウンターの端っこには自称「職業は旅人」というお姉さんがいて、近々、カナダからアメリカ西海岸を下ってメキシコ経由でキューバに旅をするとか。こちらも東京や福岡から、仕事とはいえ、小さな旅の途中。一期一会とばかりにエールを交換するうちに、小倉の夜は更け、私の記憶は薄れていって……。


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2004年10月24日

福岡県大野城市 竹島真理 10月第3週7日目

新潟県の地震、本当に驚きました。新潟の皆様に心からお見舞い申し上げます。早く余震がおさまることを祈っています。

 自然災害は本当に恐ろしいですね。人間の知恵は、このような被害を可能な限り、どう食い止めるか―温暖化の解決も含めて―にこそ、全力を傾けて注ぐべきです。イラクに自衛隊を派兵したり、軍事的に“強い日本”を与党も野党も熱病のように求めることにうつつを抜かしている間に、台風や地震によって私たちの生活は脅かされています。「自然との折り合いをどうつけて暮らしていくのか」を足元から点検し直すことが、政治にも企業にも個人にも求められています。


川の乏しい福岡市は渇水と隣り合わせの都市です。私の住んでいる大野城市も事情は同じで、蛇口の水にとても気を使います。私は最近、洗濯物をすすぐときに、お風呂の残り湯を使って手洗いすることが増えたのですが、そんなとき、清水で洗濯物を洗っていた祖母たちのことを思い出します。
 
 私の実家の周囲には地元で「井川」と呼んでいる清水が何ヵ所もあって、今も野菜洗いや大きめの洗濯物を洗うときなどに使われています。井川は、上の段、中の段、下の段と、水の流れの順に三段に分かれていて、泥の付いた野菜や洗濯物は下の段で洗い、野菜の仕上げ洗いは中の段で、上の段は昔は飲み水にしていたので、物を洗ってはいけない場所です。毎年七夕のころ(日田では旧暦の8月)には、水神様に捧げるナスを、誰かかれかが井川の上の段に浮かべています。
 
 ここでは「洗いよりますか?」(洗っていますか?)と声を掛け合うのが挨拶代わりです。幼い私は祖母の背中におんぶされながら「洗いよりますか」と一人前の挨拶をしていたので、「この子は口から先に生まれた」と近所のおばあちゃんたちから言われていました。
 
 祖母たちの世代は母たちの世代以上に、この井川をよく使っていました。毎日夕方になるとここで米を研ぐおばあちゃんもいて、子どものころの私は井川で魚捕りをしながら、そのザルの中の手の動きを見ていました。今のように便利な時代とは違って、井川で洗い物をする生活は冬は特に大変だったでしょうが(でも清水の水は夏冷たく冬温かいですよ)、井川の回りにはいつも会話がありました。

 私にとって、洗濯物を手ですすぐ時間は、明治生まれの祖母たちと自分を重ね合わせている、結構楽しいひとときです。


この一週間の日記の連載は、自分の暮らしを虫眼鏡で見つめ直す貴重な機会でした。結びにちょっと、宣伝させて頂きます。
 雑誌「現代農業11月増刊『なつかしい未来へ』」(農文協)が先日発売されました。巻頭には結城登美雄先生は『みんなの気持ちが集まる場所さえあれば「小さな村」には希望がある』という文章を書いておられます。
 
 私も大分県由布院温泉のむらづくりリーダー、中谷健太郎さんのインタビューと、福岡県の離島、姫島の記事を書かせて頂いています。中谷さんは「むら」の人にも「まち」の人にもぜひ読んで頂きたい、「村のいのちを都市の暮らしへ」というお話をして下さっています。姫島は店が一つしかなく、しかもそれは全戸で共同出資した購買店。皆さんが温かくて、初めて行くけど「なつかしい」島です。私はこの島の人々に出会って「民主主義や住民自治は外国に学ぶものではなく、日本の田舎には昔からあったものなのだ」と気づかされました。
 
 「森の新聞」の森千鶴子さんも、吉井正澄・前水俣市長へのインタビューや宮崎県高千穂町の浅ケ部地区の記事を書いており、とても読み応えがありますよ。
 皆様に読んで頂けるとうれしいです。

 それでは、この日記を読んで下さった皆様、どうもありがとうございました。



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2004年10月23日

福岡県大野城市 竹島真理 10月第3週6日目

今日は自由の森の友達と電話でずい分ゆっくりしゃべりました。

 日田市には10年前にスタートした「自由の森大学」(http://www.coara.or.jp/~jiyumori/)という市民大学があります。20歳代から60歳代まで約30人のボランティアスタッフでつくる実行委員会が運営しており、地元出身のジャーナリスト筑紫哲也氏が学長を務めています。私も8年前からスタッフをしていますが、「自由の森がなかったら、私の人生は味気ないものになっていただろう」と思うぐらい、スタッフ仲間の人間関係は濃く、みんながいるおかげで辛いときも乗り越えてきたし、うれしいときはみんなに祝福してもらってきました。ここには、私の大切な友達がたくさんいます。

 ものづくりが仕事の人も多いです。ウイスキー樽でもテーブルや椅子を作るベテラン家具職人の河津元治さん、農林業に精を出している穴井邦彦さん、少ない予算でも最大限工夫して住み心地の良い家を建ててくれる一級建築士の梶原文夫さん、「消しゴムはんこ」を作らせたら日田で右に出る者のいない木下裕子ちゃん(純銀粘土でアクセサリーを作るインストラクターでもあります)…一人ひとりの特技を紹介するとこのスペースでは足りません。


この写真は日田市源栄町皿山に江戸時代から続く民陶「小鹿田焼」です。左は窯元で自由の森大学アドバイザーでもある坂本茂木さんが私たちの結婚祝いに下さったご飯茶碗。右は若き窯元の後継者でスタッフ仲間の黒木昌伸さんのお宅で昨年秋に買ったお皿で、黒ちゃんのお父様の作です。どちらも我が家の毎日の食卓になくてはならないお茶碗で、持ちやすく、使いやすく、料理を引きたててくれます。福岡に住んでいると、日田にいるとき以上に、食卓に小鹿田焼があるとほっと心が和みます。
 
 小鹿田焼は皿山の土を谷川の唐臼でついて陶土にし、蹴ろくろで成形し、天日に干し、薪をくべた登り窯で焼いて作ります。「とても売れていたバブルのころ、効率の良い電気ろくろを入れようと試みた人がいたけれど、電気ろくろでたくさんの器を成形しても、庭先で天日干しできる量には限りがあるので、電気ろくろを入れるのは取り止めた」という話を先日、茂木さんがしておられました。小鹿田焼は小鹿田の自然とともにあります。


これは日田市の隣にある日田郡天瀬町の広報紙「広報あまがせ」です。作っているのは町の広報マンで、自由の森大学スタッフでもある小関憲治さんです。表紙の写真が良いでしょう。高塚地蔵尊の玄関口、豊後中川駅に入る久大本線の一両列車。4月号なので、桜や菜の花がきれいです。憲ちゃんの撮る写真や記事からは、ふるさと天瀬への愛情が伝わってきます。
 町内の五馬地域で毎年10月に行われる秋祭り「くにち」で神社に奉納される杖楽「くにち楽」を、子どもたちの練習風景から本番当日までずっと取材して「くにち楽を通して、人々は地域の結び付きをより強固なものにして、次の世代に伝えている」とまとめた昨年11月の特集号は、大分県の広報コンクールで特選に選ばれました。



天瀬に住む人はもちろんのこと、ふるさとを離れて読んでいる町出身者の方も、この広報紙を毎月楽しみにしておられるはず。裏表紙には好評企画である天瀬の「今昔風景」。町民や町出身者の提供する昔の写真と現在の景色が載っています。

 天瀬町は来年3月、日田郡の他の町村と一緒に日田市に編入合併されます。合併しても天瀬町の風景も人々の暮らしも変わらないでしょう。でも、人口約6500人の小さな町だからこそ、地域に根差した広報マンだからこそ作ることのできる、町民一人ひとりの顔が見えるような広報紙は、これからどこへ行くのか。

 天瀬町は今、五馬くにちの真っ盛りです。


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福岡県大野城市 竹島真理 10月第3週5日目

私の朝は夫のお弁当作りで始まります。朝起きが苦手なので夜のうちに仕込みをして「朝は温めるだけ、炒めるだけ」にしているのですが、毎週金曜日をクリアすると「よくやったー!」とほっとします。今日も「よくやったー!」でスタートしました。
 
 我が家の台所は日田の実家で両親が育てているお米と野菜に賄ってもらっているところが大きいです。帰省する度に野菜をもらい、時には送ってもらうこともあります。


その野菜を食べ終わると出掛けるのが、筑紫野市針摺にある「むすび庵」です。ここは、30年以上前から有機無農薬で米や野菜を作りつづけておられる八尋幸隆さん、美智子さんご夫妻が、8年前から自宅前に開いておられる農産物直売所兼交流所。朝取りの旬の野菜、お米、地小麦粉、平飼いのニワトリの卵とそのお肉、美智子さん手作りの味噌やコンニャク、天然酵母パンなどがあり、おいしくて値段もとても手ごろです。

田舎で育った私はスーパーで野菜を買うことにとても抵抗があります。「できれば農薬のかかっていないものを食べたい」と、以前は自然食品店で野菜を買っていました。そこの野菜は有機無農薬栽培で有名な九州の農村からの直送です。確かに安全でおいしいけれど、袋いっぱいに買い込んだ帰り道、私はいつも空しい気持ちになっていました。市価の2倍近い値段の「安心・安全」な野菜を背伸びして買う不自然さ。「お金は出すから、私には、安全なものをちょうだい」と言っているような都会人の身勝手さを自分に感じて、後ろめたかったのかもしれません。

 でも、2年ほど前に友人の紹介してくれた「むすび庵」で野菜を買ったとき、その空しさはありませんでした。


「なぜ、むすび庵だと空しくないのかな?」―このことは、それからずっと私にとって謎です。今もはっきりと解けたわけではありませんが、何となく思うのは、「むすび庵は、お店の後ろに八尋さんの畑やその暮らしが見えるな。実家の近所のおばさんたちに野菜を分けてもらっているような安心感があるな」ということです。

 “ものが安全だから安心感がある”のではなくて(もちろん、八尋さんの野菜やお米は安全ですが)、むすび庵の店内に漂うほんわかとした雰囲気、八尋さんご夫妻の、土の匂いのする気取らない温かさ、その周辺の、都市化の中にありながらも農村ののどかさを残している雰囲気が、ほんわかとした安心感を与えてくれるのかもしれません。

 スーパーの野菜を買いたくないのは、農薬の問題もさることながら、作り手の顔やその周囲の風景の見えるコミュニケーションがないからかもしれません。


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2004年10月21日

福岡県大野城市 竹島真理 10月第3週(四日目)

今日は、昼間は新聞の土曜日版の記事を書いていました。夕方、自転車で5分ほどのところにある春日原商店街で買い物をして夕食の準備をした後、夜は太宰府市観世音寺の公民館に韓国舞踊の取材に行きました。
 
 春日原商店街は西鉄天神太牟田線の春日原駅のすぐそばにある商店街です。正式な名前は春日原東町朝市商店街。戦後のリヤカー部隊(農家のおばさんたちが家でとれた野菜をリヤカーに載せてきて売っていた)が始まりで、今は八百屋さんや魚屋さん、肉屋さん、総菜店、和菓子屋さんなど約70のお店があります。



中でも私が週2〜3回は買い物をするのが、この「自然や」という豆腐屋さんです。福岡県産の大豆「フクユタカ」とにがりだけで豆腐を作っていて、看板商品は寄せ豆腐と木綿豆腐。冷やっこが欠かせなかった真夏、毎日食べていても飽きないくらい、ここの木綿豆腐はおいしいです。値段も1丁136円と手ごろです。

 このお店のご主人は三十三歳。私は「2代目で、親の跡を継いだのだろう」と勝手に想像していました。この日記を書くためにお話を伺ったら、何と脱サラして豆腐作りの修業をした後、8年前にこのお店を開いたのだそうです。「いろいろ聞いても『そこに豆腐があるから、豆腐屋になった』としか言わないんですよ」と奥さん。若夫婦とご主人のお母様とで店を切り盛りしておられます。

 このお店の名物には、毎週1回しか作らない「ごま豆腐」もあります(店頭に並んでいても、取り立てて宣伝なさらないので、私も3週間ぐらい前にその存在を知りました)。買ってみたら、本当に美味しい。ワサビ醤油で食べると絶品です。

 昨年の春、まだ今ほど足しげく通っていなかったころ、買い物の途中で雨が降り出したら「これ、使ってください。返さなくてもいいですよ」と、ご主人のお母様が傘を貸して下さったことがあります。それは私にとって、春日原商店街がぐっと身近に感じられた瞬間でもありました。

 そして、最近この豆腐屋さんで買い物をする楽しみの一つは、若奥さんとの立ち話です。近所のおいしいお店のことや節約の話など、とりとめのない話をちょっとするだけなのですが、私にとって、都会の生活の中の大事なオアシスになっています。



 



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2004年10月20日

福岡県大野城市 竹島真理 10月第3週(三日目)

今日は午前中から、新聞の土曜日版の記事を書いていました。今回の紙面で紹介するのは、福岡県糸島郡二丈町福吉地区にある、地元でとれた海の幸と山の幸の直販所「福ふくの里」です。

 福吉地区は海と山に囲まれたところで、約1000世帯のうち約4割が農家で約1割が漁師さんです。平地が少ないので大規模農業はできないけれど、海も山もあるから農作物や魚介類の種類は豊富―そういう地域の個性を最大限に生かす場所として、住民アンケートの意見をもとに、農業や漁業など各分野の代表で組織する「福吉地域づくり推進協議会」が2年前、この「福ふくの里」をオープンさせました。

 新鮮さが買い手の心をつかみ、お客の8割近くは福岡市からやって来ます。お年寄りや定年帰農組が「忙しくなった」と顔をほころばせながら野菜作りに張り切り、最初は奥さんたちに魚を運ばせていた漁師さんたちも、その人気の良さに、自ら率先して魚を持ち込むようになったとか。出荷者がどんどん増えています。この地区にはスーパーマーケットがないため、出荷している皆さんにとっても、ここは貴重な買い物の場になっているそうです。 
 
 私が取材したのは午後からで、たくさんのお客さんでにぎわっていました。「お話を伺った後に買い物しよう」と楽しみにしていたのですが、午後4時近くには、めぼしい魚や総菜、青菜などはほとんど売りきれていて残念。今度は朝の「福ふくの里」を見に行きます。

西日本新聞の朝刊には昨日から「食卓の向こう側」第4部が連載されています。今日は横浜港に野積みされた塩蔵品のことが載っていて、そういう事実を初めて知った私は、とてもびっくりしました。こういう物の入った「山菜○○」を、きっと私もどこかで食べているに違いありません。「食を他人任せにしてはいけない」とあらためて思いました。

 一面と三面に詳しく書かれていて、とても読みごたえのある記事です。 きっと、後日ブックレットで出版されるので、遠くの方もこの連載を読むことができますよ。


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2004年10月19日

福岡県大野城市 竹島真理 10月第3週(二日目)

台風が近付いています。本当に台風の多すぎる年ですね。「温暖化対策に本腰を入れなさい」という自然の教えのように感じます。えさがなくて山を下りてくるクマたちもかわいそう。台風が太平洋のずっと東の沖にそれて、どこにも近付かないことを願っています。

 今日の私は朝から忙しい一日でした。午前中は新聞の土曜日版の取材で福岡市の福岡大学病院の先生に「冷え性」のお話を伺いに行きました。「冷え性」の改善もやはり、食事と運動から、だそうです。

 取材の帰りに天神で一時間ほど、ウインドーショッピング。私が最近よく足を運ぶのは、天神の明治通りにある秋田、青森、岩手三県のアンテナショップ「みちのく夢プラザ」です。



ここは私にとってワンダーランド。珍しい食材がたくさんあります。最近は工芸品に心惹かれるようになりました。

 何気なく見上げた樺細工の茶盆がはっとするほど美しかったのです。ちょうど塩野米松さんのご著書『失われた手仕事の思想』を読んでいたこともあり(樺細工師さんのお話も出てきます)、どんな方が作っておられるのだろうと想像が膨らみます。

 樺細工の茶盆も曲げわっぱの弁当箱もぜひ使いたいのですが、家計を預かる身、一度に買い揃えるわけにはいきません。「まずは必要なものから」と鉄分補給を兼ねて先日買ったのが、南部鉄器の鍋です。今日もこの鍋で味噌汁を作りました。ステンレス鍋よりも味がまろやかな気がします。



味噌は、実家の母の造る味噌で、大豆も両親が無農薬で育てています。日田では味噌造りのことを「味噌つき」と言い、私の実家の近所では自家製の味噌をつく家がまだかなりあります。私も実家の味噌つきを楽しみにしているので、必ず帰省して手伝っています。

 今日は夕ご飯を作る傍ら、ゴマ掏りをしました。ゴマも実家で自家用に育てています。

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2004年10月18日

福岡県大野城市 竹島真理 10月第3週(一日目)

はじめまして。竹島真理と申します。フリー記者として「増刊現代農業」などに記事を書かせて頂いています。
 私が住んでいるのは福岡市の隣の福岡県大野城市です。今日の福岡は残暑を思わせる陽気で、朝10時に干した洗濯物がお昼にはパッと乾いていました。家事を済ませた後、午前中は女声アカペラサークルの練習に行き、その帰りに春日原商店街の豆腐屋さんで豆腐を買い、午後は車で20分前後のところにある筑紫野市針摺の直販所「むすび庵」に野菜を買いに出かけました。この豆腐屋さんと「むすび庵」のことは後日、詳しく紹介させて頂くことにして、まず、自己紹介を兼ねて私の郷里、大分県日田市のことから話させて頂きます。


日田市は大分県と福岡県の境にある、人口約6万4000人のまちです。甲子園に何度か出場した「日田林工高校」を覚えておられる方も少なくないと思いますが、日田は周囲を山に囲まれた盆地のまち、基幹産業は林業です。私は3年半前まで、郷里の日田で地方紙の新聞記者として働いていました。
 上段、中段、下段と、似たような写真が並んでいるでしょう。ここが私の生まれ育った日田の農村です。上段は6月初め、中段は9月初め、そして下段は10月の初め。私はこの風景が大好きで、通勤の途中、朝な夕なに眺めては「美しいなあ」と思ってきました。ここは日田盆地の端にある、小さな盆地のようなところ。周囲の台地には弥生時代の集落跡「吹上遺跡」や弥生時代の環濠集落跡である「小迫辻原遺跡」があります。
 この田んぼはきっと弥生時代からずっと耕され続けてきた田んぼだ、と私は思っています。



今月初め、実家の稲刈りを手伝いに帰省しました。自転車で行く田んぼの道には、柔らかな匂いが漂っていました。刈り取った稲の匂い―「ああ、この匂い!」と、私の体内時計が稲刈りのころの時間にきちんと巻き戻ったような気持ちになりました。どんなに映像や通信が発達しても、この匂いばかりは田んぼのあるところでしか味わえません。
 太陽の温もりを感じさせる、収穫の喜びの匂いが集落全体に満ちています。


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