1週間お付き合いいただきありがとうござました。
『月刊むすぶ』は読みにくい雑誌です。
日ごろは玄米を食べているのですが、先月、白米を頂戴しました。それも『月刊むすぶ』の購読代として。久しぶりの白いお米がなぜかまぶしく見えます。確かに玄米より食べやすい。
同様、『月刊むすぶ』は食べにくい雑誌です。
1960年代から80年代の住民運動や市民運動の特徴は、「告発」型という特徴があったようです。そして直接参加することで自分自身の生き方さえをも問う。そんな辛気臭さがあったのかも知れません。そんな時代背景のもと誕生した『月刊地域闘争』→『月刊むすぶ』は、読みにくい雑誌です。
「読みやすい」ということは、消費しやすいという普遍性を持っているわけです。それは親切なのかもしれません。
確かに「安全な食を」という掛け声で始まった共同購入運動では、当初、泥付の大根が売られていました。でも今、そんな大根を配達するとクレームがくるそうです。そして多くの共同購入会は、生協や会社になりました。
闘うということ
1970年代に障害者解放運動が始まりました。川崎市では、車椅子の障害者が、バスを占拠します。なぜかというと、「車椅子は乗せられません」と運転手さんが言うからです。
もちろん会社が、私たちの社会がそう言わせるわけです。
これは明確な差別なわけです。
今は、そんなことはまずないでしょう。
一方、社会的な弱者に対する施策はそれなりに進んできました。これは事実です。
となると何が起こるというと、私たち自身が、賢くなり闘うことを忘れてしまいます。
告発すること、批判することは、ダサいこと、格好悪いことになってしまいます。
時代は何も変わっていない。
もう一度、生活の場から声を確かめる場として「月刊むすぶ」を育てていければと思っています。
住民運動の中から生まれた言葉で「スモッグの下でのビフテキより、青空の下の梅干がいい」というのがあります。確か鹿児島志布志の石油コンビナート建設反対運動からは発せられた言葉です。
この闘争が闘われて40年近くがたつと思います。そしていまスローライフ・フーズがお洒落になりました。
私たちはこの井戸を掘ったひとたちがいたことを忘れると、過去に復讐されるかも知れません。私たちはどんな場所に今いるのか、そんなことを考えることのできるきっかけをこの「月刊むすぶ」で提供できればと思っています。
1週間、お付き合いいただきありがとうございました。
今後ともよろしくお願いします。
ロシナンテ社 四方哲