2007年05月06日

氏本農園(最終日・いただきます)

 五日目に使った「風土」や「風味」という用語は私の好きな表現です。
 人も動植物も住んでいる風土と深く関わりながら生きています。その土地の様々な動植物(いのち)との関わりのなかで生きると換言できるでしょう。 その観点で健康であることは、風土と良好な関係で生きてきた証です。
 人と様々ないのちとの関わりの典型が「食べる」ということではないでしょうか。人の食べ物は全て元をたどれば他のいのちです。
 良い食べ物とは、動植物として風土のなかで健康に生活したいのちのことだと言えます。 私が、マスコミに登場する広場で屋外運動させただけの、餌は輸入原料に依存した見せかけの放牧豚と一線を画した本格的な放牧養豚にこだわる大きな理由です。
 人は他のいのちを食することで生かされています。 我々を支えてくれる様々な動植物のいのちへの素直な感謝として「(いのちを)いただきます」をこれからも忘れないようにしたいと思います。_CPY5145.jpg
 一週間お付き合いありがとうございました。
 
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2007年05月05日

氏本農園(六日目・祝島の放牧養豚計画)

 専門的になりますが氏本農園での放牧養豚の概略をお話いたします。
 できるだけ畜産の原点に立って、人間の食料と競合しない飼料で育てること、その飼料原料は極力島内で調達を心掛ける、地域の同業他種(ビワ、イモ、コメなど)はもとより水産など他業種とも補完・補合する関係であることを基本とします。
 このことにより自ずと地域環境に優しい廃棄物の発生を抑えた循環型、持続型の有機的養豚の姿になってきます。
 @ 温暖な気候を生かして、生活環境は通年放牧を基本とし、母豚の分娩豚舎以外は無畜舎を目指します。
 A そのため放牧地面積は休耕田を十分確保することで、糞尿による環境汚染を回避し、むしろ休耕田の地力や雑草抑制など機能回復に役立ちます。電牧_20070503_99_2.jpg
 B 放牧地は太陽光を動力源としたソーラー型電気牧柵システムとし、自然エネルギーを活用した管理システムとします。電牧_20070503_99_7.jpg
 C 飼料原料は、休耕田の草資源のほか、島内豆腐屋さんの豆腐粕、ビワの摘果実、屑イモやイモ蔓(つる)から作ったサイレージなど島内での原料確保を目指します。島外からの持ち込みは隣街・柳井市の製粉工場のフスマ(精麦屑)に限る予定です。(コスト的にも輸送賃が高く合いません)
 D 豚の飲料水は棚田用溜池の天水に依存しますが、敷地内の竹炭で水質を浄化して給水します。
 E 島民のし尿処理場から発生するし尿固形分の高温焼却後の砂状焼却灰は、無水分・無臭・無害なため母豚の分娩豚舎の敷料とし、使用後は隣接する氏本農園のビワ肥料に還元します。
 F 動物医薬品の使用を極力抑えるため、防虫や抗病効果のあるハーブの植栽やビワの葉の活用に取り組みます。
 G 出荷肉豚はハムやソーセージなど最終製品化することで荒利率を高めて、輸送コストの吸収を目指すとともに、個性的なブランド商品化をめざします。
(掲載画像は、敷地内の竹材を活用した豚の追込柵で、釘などは一切不使用、私の人件費以外では固定用番線のみです)竹パドック070409_97.jpg
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2007年05月04日

氏本農園(五日目)風土と風味

祝島に帰農する前は、日本最北端の北海道宗谷岬にある宗谷岬肉牛牧場で肉牛生産に携わっていました。 そこは祝島とは全く異なる生産環境でしたが、普遍化できることも学びました。場長と繁殖牛.jpg
それは、生産条件面での欠点は利点と表裏一体であり、欠点も工夫やマーケティングで商品特性としてブランド要因にできるということです。
例えば、宗谷岬は年中強い季節風が吹いていて、牧草の収穫量も少なく収穫作業も大変ですが、反面、アブやダニなど吸血昆虫が少ないので家畜伝染病などがほとんどなく、健康で衛生的という側面もあります。
牧場に風力発電企業を誘致し、牧場のエコロジーさも強くアピールできます。
 このような発想を祝島に当てはめれば、小さな離島ということは、交通や輸送のハンディキャップはあるにせよ、隔離的立地のおかげで無農薬栽培なども容易ですし、農業にとって有害な野生動物が少ないなどのアドバンテージもあるということです。
何よりも、食物の一番の魅力はその生まれ育った「風土」から得た豊かな「風味」であるとするなら、個性的な立地条件の産地は上質な食物を生産できる資格を有しているということです。
そこに生活する人自身のためにも、消費者のためにも、その条件を生かした営農をしない手はありません。
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2007年05月03日

氏本農園(四日目・枇杷の葉茶一服)

 三日間固い話が続きましたので、コーヒーブレイクならぬ我が祝島特産の無農薬枇杷の葉茶一服としましょう。
 豚の放牧地作りの作業の手を休めて、枇杷の葉茶で一服しながら周りをふと見回すと、太い椿の古木に目がとまりました。
 その幹には直径20cmくらいの穴が空き、そこから小さな椿の芽が出ているではありませんか。まるで有袋類の母親が子袋のなかで慈しんで育てているようにも見えます。新芽_20070409_89.jpg
 古木が自分の寿命を悟り新しい生命を残そうとしている健気な意志を感じてしまいました。(我がブログ「氏本農園・祝島だより」既述)
 しかし命がつながるには、古木に根を張るのではなく、大地に根を張る必要があります。このままでは古木の願いは叶いません。
 ただこのような自然(人智を超越した大きな存在=Something Great)の営みに対して、私(人)が植え替えなどの手を貸すべきかどうか悩みますが、一方ではその自然が私に手を貸すよう差し向けるため、あえて見つけさせたとも考えられます。
 以来毎日のように観察していますが、子椿は子袋から身を乗り出す子供のように、少しずつ陽光を求めて穴の外へ向かって伸びてきています。子椿_20070427_99.jpg

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氏本農園(三日目)

 島での産業インフラの最大の課題は輸送です。どんな生産物も輸送コストが重く圧しかかってきます。(輸送は産業インフラであると同時に生活インフラでもあるので、島民は生活防衛のためもあり全般的に質素で、食材など生活必需品の島内生産率はかなりの高さです)
家畜は牛ではなく、豚を採用することにしました。
その主な理由は、牛に比べて輸送が容易(それでも車両や船への積み替えは大変)なこと、牛より雑食性が強いこと、牛は大型化するため最終肥育までは無理で、子牛の段階で本州の生産者に転売する(本州生産者の下請け)しかないが、豚は最終製品となる食肉用肥育までして、いわゆる地域ブランド化も可能であることなどです。
気候も温暖で屋外越冬も可能なため、無畜舎で完全な屋外放牧飼育ができるのも祝島の利点です。
また祝島農業の柱は無農薬栽培の枇杷ですが、無農薬ゆえに枇杷の摘果実の飼料化による有効利用なども有畜農業の大きな魅力で、好奇心をそそられる点です。枇杷袋掛け_20070423_99_3.jpg
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氏本農園(二日目)

(離島らしく?インターネット接続障害で二日目と三日目が同時アップとなってしまい申し訳けありません) 
祝島では農民の平均年齢は70歳近くと高齢化し、耕作放棄地が増えています。 
地形も含めた様々な要因から道路網の整備が十分とはいえず、機械化が進まないなかで高齢により労働には限界があります。
半世紀前は牛が飼育され耕運を担っていましたが、耕運機が牛に取って代わり牛の糞尿堆肥も無くなり島外から搬入する化学肥料に依存する農業に変貌してしまいました。_@C_20070319_42.jpgOY_n_20070314_14.jpg
そのことが離島農業の持続性や有機性、循環性を衰えさせ、高コスト化をもたらし、市場性を失う結果につながったと考えます。
そこで、私はもう一度祝島に家畜を呼び戻し、家畜を地域農業システムに組み込むことで、有機性や循環性を回復させることが、祝島農業再生の一歩だと考えたのです。
ラベル:山口県 祝島 農業
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2007年05月01日

氏本農園(初日)

 私は氏本長一(うじもと・ちょういち)1950年生まれで、団塊といわれる世代のしっぽあたりにくっついています。
山口県の周防灘(瀬戸内海)に浮かぶ「祝島(いわいしま)」という周囲12kmの小さなハート型をした離島で、氏本農園の開園準備をしています。祝島全景.jpg
開園準備というのは、父母が休農して久しい農場を再開するため北海道からUターンして2月に帰島したからです。
祝島の生活は生産性や利便性といった都市型の価値観で図れば、高齢化・過疎・産業(農水産業)衰退という三重苦の状態といえますが、持続性や連帯性など別の価値観を当てればまた違った姿が見えてきます。
敬愛する地元学の指導者の結城登美雄氏が提唱する「買う生活」から「作る生活」で、本来の生きる力を蘇らせ、生活の質(クオリティ・オブ・ライフ)を高められる場が祝島を含めた田舎にはあると確信しています。
明日からは祝島で営もうとする農業について記そうと思います。
ラベル:山口県 祝島 農業
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2006年06月05日

山口県田布施町 大津久美 7日目

こんにちは。

最終日です。

 まずは祝島です。
 棚田から戻り、時間の関係で軽トラに乗せていただき、今度は島東部に
向かいました。

BTH2606833_0B.jpg

 まず第一の目的は山口県の天然記念物にも指定されている”ケグワ”
という木を見ることです。葉っぱに毛が多いことが特徴で、根回りが4以上
あり、国内でも有数の大木です。

BTH2606833_1B.jpg

看板を見つけて山道を登っていくとケグワがその雄大な姿を
現しました。
 静かな山の中で静かに佇むその姿は、人間の営みなど知ら
ぬげに悠久の時を刻んでいるようです。

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posted by LJ21 at 13:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 山口県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

山口県田布施町 大津久美 6日目

こんにちは。

本日は祝島に行ってきました。

島の方に案内していただいたため、島のいろんな”カオ”を知ることができました。

BTH2606810_0B.jpg

まずは島の西側にある棚田。一段が9mにもおよぶ日本最大級の棚田です。
写真ではうまくお伝えしきれてません。ごめんなさい。
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posted by LJ21 at 13:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 山口県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月04日

山口県田布施町 大津久美 7日目(最終日)

こんにちは。

最終日です。

 まずは祝島です。
 棚田から戻り、時間の関係で軽トラに乗せていただき、今度は島東部に
向かいました。
 まず第一の目的は山口県の天然記念物にも指定されている”ケグワ”
という木を見ることです。葉っぱに毛が多いことが特徴で、根回りが4以上
あり、国内でも有数の大木です。



看板を見つけて山道を登っていくとケグワがその雄大な姿を
現しました。
 静かな山の中で静かに佇むその姿は、人間の営みなど知ら
ぬげに悠久の時を刻んでいるようです。



つぎにコッコーの自生地に向かいました。
 
 蔓性の植物であるため、周囲の木々に巻き付いて侵食して
いるかのようです。島内でも確認されているものは10数本足
らずであり、しかも結実するのは雌株だけです。

 今後も挿し木等からのコッコーの育成、そして島への定植
という活動を地道に続けていきたいと改めて思いました。



また軽トラではもうお一方一緒だったため、荷台に乗せてい
ただいて風景を楽しみました。
 (→軽トラの荷台から・・・)
風を切って自然の中を走る感覚はちょっとジープ風。

 時間をかけて島の各所を案内していただいた一日でした。
 またコッコーの葉もたくさん頂いたので、お茶作りが成功す
るようにがんばります。


 1週間おつきあいいただき本当にありがとうございました。
 
 思いつくがままの乱文で申し訳ありません。

 もし祝島に興味を持っていただけたら幸いです。
 そのときは、ぜひ”祝島”とインターネットで検索してみてください。
 また、機会があればぜひぜひ祝島を訪れてみてください。

 期待以上の不思議なノスタルジアがそこここに溢れていますから・・・。





改めまして、どうもありがとうございました。


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2006年06月03日

山口県田布施町 大津久美 6日目

こんにちは。

本日は祝島に行ってきました。

島の方に案内していただいたため、島のいろんな”カオ”を知ることができました。

まずは島の西側にある棚田。一段が9mにもおよぶ日本最大級の棚田です。
写真ではうまくお伝えしきれてません。ごめんなさい。



私も以前からとても興味を持っていたため、写真で何度も見ていたのですが、
はじめにこの棚田を目にしたときは声も出ませんでした。
急峻でビワやミカンの木々が眼下に広がる細い山道を抜けていくと、突然
目の前に城壁のような、いえ、城壁よりも大規模な石積みが広がっていま
す。その大きさと高さには、畏敬の念を抱かざるを得ません。声もなくしば
らくぽかんと見つめ続けたあと、石積みに近づいて見上げてみました。

とにかく高い。そして大きい。



石は谷積みで下段には両腕を広げたくらいの大きさの石があり、絶妙な
バランスで上に行くにしたがって石の径が小さくなっていきます。少しだけ
真ん中が凹型となり、万が一地盤が滑っても被害が最小限となるよう考
えられています。また、一枚がおそらく50反以上あるかと思われる石積み
地盤の棚田に水がきっちり均平に湛えられた姿は本当に美しいものでした。

 自然に逆らわず自然から恵みを受け取ろうという美しい、そしてダイナミック
な試みがそこにはあります。

 さらに特筆すべきはこの棚田が一家族によって作られたということです。
今もそこで農業を営む方とそのお祖父さん、お父さん三代にわたって
家族だけで造られたのです。重機も測量機も何もないところで(重機は
もしあってもここには入れないのですが)、知恵と不断の努力によって
完成した棚田は、言葉に尽くせない感動を私たちに与えてくれます。



実はこの棚田、港から徒歩で2時間超かかる場所にあります。往復4時間
以上山道を案内していただいたわけですが、この間に私のカバンにはたく
さんのビワが入ってきました。(盗ったわけではありません。念のため(笑))
ちょうどビワの収穫の時期、すれ違う島の方が次々にビワをくださったのです。

ありがたいような申し訳ないような・・・。

 そんな島の方の暖かい気持ちにふれながらの4時間、さらに島の風景や
自然を楽しみながらの道中です。ちっとも疲れを感じない貴重な時間でし
た(あとで足にきてましたが(**;))。

 港付近まで戻って少し休憩し、その後はタイムリミット(船の出航時間)が
迫ってきたため、軽トラで案内していただきました。

 長くなってきちゃいましたので、続きは明日


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2006年06月02日

山口県田布施町 大津久美 5日目

こんにちは。

 いよいよ金曜日、週末です。

 昨日課題研究の授業があって、コッコーの雄株は実が成らないけど、何か加工できないかなぁ、と考えて葉っぱでお茶を作ってみました。 

BTH2599048_1B.jpg 

(葉っぱを蒸しています)

葉っぱを採取して水洗いし、蒸してから軽く揉み、小さく切って乾かしました。

 ・・・見事に失敗しました。オイシクなかったです。
蒸すのが長すぎたのか、揉むときにハッと生徒を見ると力一杯揉んでたからか、はたまた乾燥を天日じゃなく実験用の炉乾燥機で行ったからなのか・・・

 (炉乾燥機に入った茶っぱです→)

香りはあるのですが味が薄く、草っぽかったです。

 どなたかお茶(と紅茶)の簡単な作り方を教えていただけませんか?
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山口県田布施町 大津久美 5日目

こんにちは。

 いよいよ金曜日、週末です。

 昨日課題研究の授業があって、コッコーの雄株は実が
成らないけど、何か加工できないかなぁ、と考えて葉っぱ
でお茶を作ってみました。 

 (葉っぱを蒸しています。→)

葉っぱを採取して水洗いし、蒸してから軽く揉み、
小さく切って乾かしました。

 ・・・見事に失敗しました。オイシクなかったです
蒸すのが長すぎたのか、揉むときにハッと生徒
を見ると力一杯揉んでたからか、はたまた乾燥を
天日じゃなく実験用の炉乾燥機で行ったからなのか・・・

 (炉乾燥機に入った茶っぱです→)

香りはあるのですが味が薄く、草っぽかったです。


 どなたかお茶(と紅茶)の簡単な作り方を教えてい
ただけませんか


さて、今週はずっと祝島のお話をさせていただきましたが、
本日は私の出身地、山口県萩市についてです。

 萩市は明治維新で有名で、白壁土塀と夏みかんのコン
トラストもおなじみです。(白壁土塀は練塀を基本構造は
一緒です)

 夏みかんは毛利藩の施策として栽培が始まりましたが、
これは市内の一部ではなくいたるところに木々があり、
この時期は、萩市内はたいてい花の香りが充満して
います。

 とてもいい香りです。

 皆さんは”萩の置きみかん”をご存じですか?
 道の傍らにコンテナを置いて、その上にネット
に入った夏みかんを置き、横にあき缶と小さな
 ”一袋100円”
などと書いた看板が立っています。

 萩市内に何カ所もあります。

 先日萩に帰ったときに実家の近所の昔からの
所定の位置に”置きみかん”を見つけ、なんだか
嬉しくなりました。
 人々を信用して 商品置きっぱなし・お金置きっぱなし。

 我が身を振り返って、旅行に出かけたとき観光
名所だけでなく、地元の体温が感じられるそんな
風景を見つけられるように心がけよう!と改めて
思っています。 


 明日は朝から祝島に行ってきます。
 練塀の修復を視野に入れて、ひび割れ等破損
箇所の調査、定植したコッコーの観察、さらに島
西部にある棚田を見てきます。

 今からとても楽しみです。
 雨が・・・少し心配。

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2006年06月01日

山口県田布施町 大津久美 4日目

こんにちは。

BTH2596868_0B.jpg

 実は3日目分と4日目分とまとめてアップしちゃいました。
 3日坊主本領発揮です。ごめんなさい。

 現在の私のテーマ”祝島”は瀬戸内海のちょうど暖流がぶつかる
場所に位置します。そのため温暖な気候で珍しい植物が多く、
牧野富太郎先生の植物図鑑にも登場しています。

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posted by LJ21 at 20:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 山口県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

山口県田布施町 大津久美 4日目

こんにちは。

 実は3日目分と4日目分とまとめてアップしちゃいました。
 3日坊主本領発揮です。ごめんなさい

 現在の私のテーマ”祝島”は瀬戸内海のちょうど暖流がぶつかる
場所に位置します。そのため温暖な気候で珍しい植物が多く、
牧野富太郎先生の植物図鑑にも登場しています。



その珍しい植物の一つ、コッコーですが、蔓性の植物で島の西側に
ひっそりと自生しています。数年前からコッコーの実を利用した商品
開発が島の人の手によってなされ、昔からあったコッコー羊羹に加え、
コッコーワインがその希少性もあって人気を博しています。
 (写真はコッコー羊羹の看板です)


 しかし自然繁殖に任せていると実のならない雄株が増えて、このま
まいくと近い将来絶滅してしまうかもしれない、という危機感から繁殖
の研究が始まりました。


そして本校での研究の結果、コッコーの実から採れる種
(種はキウイのように実の中に小さいものがたくさんできます)
から生育すると、雄株雌株の予測がつかず、結実しない可能
性が高いのですが、実のなる雌株からの挿し木によって生育
すると、100%結実することが分かりました。

 (写真はコッコーの種です→)


そして、挿し木や播種によって温室にてある程度まで大きくし、
それを祝島で定植する活動を定期的に行っています。

 実がなるまで何年かかるか分かりませんが、本校で小さな
頃から育てた木が大きくその葉や枝を広げ、実を付けてくれる
日が楽しみでなりません

(写真は島での定植の様子です→)


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山口県田布施町 大津久美 3日目

こんにちは。

 今日は祝島に自生する不思議な植物コッコーについてお話しさせてください。

BTH2596712_0B.jpg

 コッコーはマタタビ科の落葉性植物で、和名はナシカズラです。見た目はキウイに似ていますが、大きさはひとまわり以上小ぶりになります。キウイの原種ともいわれています。

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山口県田布施町 3日目

こんにちは。

 今日は祝島に自生する不思議な植物コッコーについてお話しさせてください。

 コッコーはマタタビ科の落葉性植物で、和名はナシカズラです。見た目はキウイに似ていますが、大きさはひとまわり以上小ぶりになります。キウイの原種ともいわれています。


祝島では”不老長寿の実”として有名で、その昔秦の始皇帝に命ぜられた
徐福が、コッコーの実を求めて祝島にたどり着いたという伝説もあります。

”一粒食べれば千年長生きする”奇果とされています。この徐福伝説、
あながち信憑性がないわけでもなく、祝島の地理的条件、歴史的条件
などから夢がふくらみます。

 また徐福伝説から1000年後、祝島は海上守護の霊島として崇められ、
万葉集にも歌われています。

 ”草枕、旅ゆく人を 伊波比島 幾代経るまで 斎ひ来にけむ”

 祝島は、多くの素敵な歴史を持つ宝島だと私は思っています。

 あっ・・・!コッコーの話ではなくなってしまいました。
 明日は本当にコッコーのお話をさせてください。



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2006年05月31日

山口県田布施町 大津久美 2日目

今日も五月晴れのいい天気です。本日は5月30日<ごみゼロ>の日だそうです(笑)!

 朝課外の前にちょこっとだけ日記を書いておこう(現在7:00AM)!!

 田布施農業高校はとてものどかな田舎にあります。牛も羊も山羊もいて、たまに園児が遠足にきます。そんな田布施農業高校はURL http://www.tabuse-a.ysn21.jp/でアクセスできます。実はあまり頻繁に更新していないため、古い情報もありますが、今後鋭意努力して更新しますので、ぜひ一度のぞいてみてください。

BTH2591716_0B.jpg

(本校HPのトップです)
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2006年05月30日

山口県田布施町 大津久美 2日目

今日も五月晴れのいい天気です。本日は5月30日<ごみゼロ>の日だそうです(笑)!

 朝課外の前にちょこっとだけ日記を書いておこう(現在7:00AM)!!

 田布施農業高校はとてものどかな田舎にあります。牛も羊も山羊もいて、たまに園児が遠足にきます。そんな田布施農業高校はURL http://www.tabuse-a.ysn21.jp/でアクセスできます。実はあまり頻繁に更新していないため、古い情報もありますが、今後鋭意努力して更新しますので、ぜひ一度のぞいてみてください。
(本校HPのトップです→)



では、本題の祝島です。
 祝島は山口県熊毛郡上関町の南端から10数q沖合、瀬戸内海周防灘に浮かぶ周囲12kmの小さな島です。人口も年々減少し、かつて海の要衝として栄えていた頃には3000人あまりだったのが、現在では500人余となっています。
 交通はもちろん船です。柳井市柳井港から連絡船が1日3便、所要時間65分、最終寄港地(四代)からは15分で運行しています。

 この島の独特の文化や雰囲気は船を降り立った瞬間に分かります。練塀(ねりへい)と呼ばれる家々の連なりです。漆喰で塗り固められた石造りの建物が横列しており、その家並みは圧巻でさえあります。これを多くの研究者が「迷路のごとき練塀」と形容していることが頷けます。



なぜこのような家並みとなったかというと、実は歴史はそれほど古くありません。江戸時代末期1800年代前半に、この地を大きな二度の火災が襲いました。その復興のさいに防火、さらに防風・防潮といった対策のために完成したようです。


 島を歩くと、穏やかな潮の香りとむせかえるような緑に包まれて、久しく忘れていたぽっかりとした気分になりました。
 車はほとんど走っていません。
 背後から音がして、無意識に車をよけようかと振り向くと、それは数十m向こうから木や葉や草を凪ぎながら向かってくる風の音で、自然の音の他はただ静かな空間がそこにはありました。

 島の空気を直接お届けできないのが残念です。


 明日は、祝島の特産、不思議な果実コッコーについて聞いていただきたいと思っています。



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2006年05月29日

山口県田布施町 大津久美 1日目

BTH2588109_0B.jpg

はじめまして。
 山口県の東部にある農業高校、山口県立田布施農業高等学校に勤務しています大津久美と申します。実は日記も3日と続いたことがないので、少し緊張しています(^^;)
今週1週間よろしくお願いします。

 ”なぜ農業高校?”と思われる方もいらっしゃるかもしれませんので、まずはその説明をさせてください。

 農業高校に限らず専門高校には”課題研究”という科目があり、生徒がグループで卒論を仕上げていきます。
 私の専門は農業土木なのですが、数年前から地域づくりに興味を持ち、2001年〜2005年までの4年間は棚田の研究を続け、中山間地農業の活路はどこにあるのか、を生徒と模索していました。そのときに地元とNPO法人が協力して地域づくりフォーラムが開かれ、その場でLJの方とお知り合いになりました。

 グリーン・ツーリズムの手法の中で私たちは地元の在り方ばかりを検討してきましたが、来訪者の視点で地域を捉えなおすことの必要性を説かれたことで、目から鱗の気持ちでした。あって当たり前である地元の地物や風習、そして住民の空気をどうやって来訪者に伝えていくか、またそれをどういう方法で外部発信していくのか・・・。

 2006年〜2007年はちょっと浮気をしまして、防災(とくに砂防)についての研究をし、豪雨時の災害情報の発信について検討しました。学校周辺地域の約40ほどの土砂崩れ危険箇所(と私たちが判断した)斜面について、一つ一つ危険雨量を算出し、その情報を紙データで地域に配布し、ゆくゆくはHPをたちあげてリアルタイムに危険予測ができるようにしたいと考え・・・ていた矢先に転勤が決まり、現在に至ります。

 そして今年度、本校と同じ熊毛郡にある上関町”祝島”という離島について、地域活性化を最終目標において研究を進めています。

 今週1週間でぜひ皆様にもこの”祝島”というユニークな島の魅力について、わずかなりとお伝えできたらと思っています。併せて農業高校っておもしろそうだなぁ、なんて思っていただければ幸いです(^_^)/。


<本日の私>
 今週1週間は危険物取扱者試験受験者の朝課外。

 週明けから3・4・5・6限続けて授業だ!やだなぁ(あれっ?)と思っていたら日課変更で3・4・6になってました。ラッキーです。
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山口県田布施町

はじめまして。
 山口県の東部にある農業高校、山口県立田布施農業高等学校に勤務しています大津久美と申します。実は日記も3日と続いたことがないので、少し緊張しています(^^;)
今週1週間よろしくお願いします。

 ”なぜ農業高校?”と思われる方もいらっしゃるかもしれませんので、まずはその説明をさせてください。

 農業高校に限らず専門高校には”課題研究”という科目があり、生徒がグループで卒論を仕上げていきます。
 私の専門は農業土木なのですが、数年前から地域づくりに興味を持ち、2001年〜2005年までの4年間は棚田の研究を続け、中山間地農業の活路はどこにあるのか、を生徒と模索していました。そのときに地元とNPO法人が協力して地域づくりフォーラムが開かれ、その場でLJの方とお知り合いになりました。

 グリーン・ツーリズムの手法の中で私たちは地元の在り方ばかりを検討してきましたが、来訪者の視点で地域を捉えなおすことの必要性を説かれたことで、目から鱗の気持ちでした。あって当たり前である地元の地物や風習、そして住民の空気をどうやって来訪者に伝えていくか、またそれをどういう方法で外部発信していくのか・・・。

 2006年〜2007年はちょっと浮気をしまして、防災(とくに砂防)についての研究をし、豪雨時の災害情報の発信について検討しました。学校周辺地域の約40ほどの土砂崩れ危険箇所(と私たちが判断した)斜面について、一つ一つ危険雨量を算出し、その情報を紙データで地域に配布し、ゆくゆくはHPをたちあげてリアルタイムに危険予測ができるようにしたいと考え・・・ていた矢先に転勤が決まり、現在に至ります。

 そして今年度、本校と同じ熊毛郡にある上関町”祝島”という離島について、地域活性化を最終目標において研究を進めています。

 今週1週間でぜひ皆様にもこの”祝島”というユニークな島の魅力について、わずかなりとお伝えできたらと思っています。併せて農業高校っておもしろそうだなぁ、なんて思っていただければ幸いです(^_^)/。


<本日の私>
 今週1週間は危険物取扱者試験受験者の朝課外。

 週明けから3・4・5・6限続けて授業だ!やだなぁ(あれっ?)と思っていたら日課変更で3・4・6になってました。ラッキーです。



posted by LJ21 at 09:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 山口県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月09日

山口県阿東町 賀屋直美 7日目

オヤジの背中

早いものでいよいよ最終日となりました。
では最後に、「今週の私」に登場させて頂くきっかけとなった、LJ21さんのお手伝いとして参加した群馬の地元学調査で感じたことについて少し述べたいと思います。

BTH2464883_1B.jpg群馬県、赤城山の裾野に営まれた、旧黒保根村(現桐生市)の隣接する2集落。
そのうち私が調査のお手伝いした「清水集落」はその名の通り水に恵まれたところで、集落のあちらこちらに水路が引かれ、またそれが美しく管理されていました。

この水路、天然のものではありません。先人たちが多大な労力をかけて造りあげ、そして今日まで集落の人々の手によって代々管理されてきたものです。

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posted by LJ21 at 22:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 山口県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

山口県阿東町 賀屋直美 7日目

オヤジの背中

早いものでいよいよ最終日となりました。
では最後に、「今週の私」に登場させて頂くきっかけとなった、LJ21さんのお手伝いとして参加した群馬の地元学調査で感じたことについて少し述べたいと思います。



群馬県、赤城山の裾野に営まれた、旧黒保根村(現桐生市)の隣接する2集落。
そのうち私が調査のお手伝いした「清水集落」はその名の通り水に恵まれたところで、集落のあちらこちらに水路が引かれ、またそれが美しく管理されていました。

この水路、天然のものではありません。先人たちが多大な労力をかけて造りあげ、そして今日まで集落の人々の手によって代々管理されてきたものです。

しかしながら現在、この集落には「若い人」がほとんどいません。「若い人」がいないということは、この先の水路の守り手がいないということです。
清水集落の方は盛んに、「今、水路の大規模な工事をやっており、それが完了すれば水路は100年でももつ」と熱く語って下さいました。確かに土木工事によって水路のそのものが壊れることはなくなるのかもしれませんが、現実には、水路には人の管理・人との関わりが必要であり、それを失った水路は??
私はお話を伺いながら、集落の方が水路を清水集落の誇りとしていること、そして自身の住み慣れた集落を心から愛していることがひしひしと伝わって、どうしてこんなに熱い思いが「若い人」には届かないのか、とても悲しくなりました。




なぜ若い人は清水集落にいないのか。
それは田舎には「雇用の場がない」からです。
これは大学卒業後、地元に戻りたいと考え現在仕事を探している私にとっても、ごく身近な問題です。

そんな私が最近考えていたことが2つあります。
1つは、雇用は、本当に選ばなければそれなりにはあるということ。(ただし正社員かどうかは不問)
もう1つは、雇われることだけが仕事(=収入を得る道)ではない、という、ごく当たり前のこと。
用は生活に必要な収入を得られれば良いはずなのです。
そしてそもそも本来農山村とは、農業・林業を主な産業とする地域であるのだから、農業・林業を営んで生活して行けることが当然であるはずだし、ベストでしょう。しかし今やその当然が困難な、おかしな時代になってきているのです。




ということで改めて、
私の仕事はどうなるのでしょう(笑)
「大学院まで行ったのに」と言われつつ、雇用先が決まらずに「仕方ないやー、あは」と言いながら、家で百姓したいなぁ・・・なんてもくろみ中。
農業はもちろんやりたいけれど、農家ではなくてあくまで百姓。
オーガニック野菜のお庭を作ってカフェしたり、うちの山のヒノキで部屋を改造して農家民宿したり・・・あー夢は広がります。なんて創造的な仕事なのでしょう。
(ま、それで(収入を得て)生活していけなきゃいけないのですが(・・笑))

こんな私は、友人たちに驚かれ、不思議がられ、時に羨ましがられます。
最近の田舎暮らしブームで、こういった価値観が広がってきたとはいえ、実際には同年代の友人たちの多くにとっては、まだまだ「想定外」であるようです。

しかし、私には「想定内」。
それはきっと、オヤジの背中を見てきたからなのでしょう。

飲み好きで友人の多い父は、近所の飲み友達のおじさんたちと「もみじ会」なるものを結成し、共同でおいしい米作り&オリジナルのお酒を造りました。(→)そしてそんな父を見守る?母・・・
温かい人と自然に囲まれて、楽しそうに暮らす両親を見てきているからこそ、
いい意味で「生きるって、こんなもんだなぁ」と思えるから、
実家に帰りたいと思うのはごく当然の成り行きではないのでしょうか。
この「楽しく暮らす」その姿を見て育つということは、とても大切なのではないかと思います。

カヤ的過疎化対策キーワード
1 生活のための収入を得られる農林業(または百姓)
2 土地の人は楽しく暮らしているのか、どうか。





1週間、楽しみながらだらだらと書かせて頂きました。
ありがとうございました!

(皆様のご活躍をお祈りし、富士山を・・→)



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2006年04月05日

山口県阿東町 賀屋直美 3日目

「リアル」のあるたび

今日は学校へ行く。
なんだかんだと私もこの研究室に属し4年目となります。
といってもそのうち1年は休学して、自称「農をめぐるたび」に出かけていました。
私たちの講座では大学4年生から研究室に分属し、1年間で研究・論文を書くことになっています。が、それまでの大学3年間遊びすぎた?私は、せっかく面白くなってきたのにたったの1年では不服として、大学院であと2年勉強すること、さらに1年休学し、たびに出かけたのです。
こんな娘、親は本当に大変です。

「農をめぐるたび」の目的は、「農」の現場を知ること。
ここでの「農」とは、農業、農村、農的暮らし、農家、農民、農産物等々を含みます。環境保全としての農、安全な食としての農、都市住民のレクリエーションとしての農、環境学習の農、定年後の暮らし・ライフスタイルとしての農、多方面から見直されている農の価値を現場(リアル)で体験・考察し今後の研究と人生に役立てようと、ずいぶん真面目そうですが、実際は「農」暮らしが好きなだけなんですけどね、私。

BTH2454817_1B.jpgたびは岩手・長野・千葉・山口・イタリアへと・・・パーマカルチャー実践の農家さんや子どもの長期自然学校のお手伝い等々させて頂き、各地で耕し種をまき収穫し、おいしいものをたらふく食べ(食べてばっかり、でもこれ大切!)、そして、多くのオモシロイ人に出会うことができました。
農村には「リアル」がたくさんです。

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posted by LJ21 at 21:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 山口県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

山口県阿東町? 賀屋直美 3日目

「リアル」のあるたび

今日は学校へ行く。
なんだかんだと私もこの研究室に属し4年目となります。
といってもそのうち1年は休学して、自称「農をめぐるたび」に出かけていました。
私たちの講座では大学4年生から研究室に分属し、1年間で研究・論文を書くことになっています。が、それまでの大学3年間遊びすぎた?私は、せっかく面白くなってきたのにたったの1年では不服として、大学院であと2年勉強すること、さらに1年休学し、たびに出かけたのです。
こんな娘、親は本当に大変です。



「農をめぐるたび」の目的は、「農」の現場を知ること。
ここでの「農」とは、農業、農村、農的暮らし、農家、農民、農産物等々を含みます。環境保全としての農、安全な食としての農、都市住民のレクリエーションとしての農、環境学習の農、定年後の暮らし・ライフスタイルとしての農、多方面から見直されている農の価値を現場(リアル)で体験・考察し今後の研究と人生に役立てようと、ずいぶん真面目そうですが、実際は「農」暮らしが好きなだけなんですけどね、私。

たびは岩手・長野・千葉・山口・イタリアへと・・・パーマカルチャー実践の農家さんや子どもの長期自然学校のお手伝い等々させて頂き、各地で耕し種をまき収穫し、おいしいものをたらふく食べ(食べてばっかり、でもこれ大切!)、そして、多くのオモシロイ人に出会うことができました。
農村には「リアル」がたくさんです。




ちなみになぜイタリアに行ったのか。
それはイタリアが、アモーレ(愛する)、マンジャーレ(食す)、カンツォーネ(歌う)の国だと耳にたからです。「スローフード」の発祥の地でありすばらしいイタリア料理という文化を持つ国、人生を楽しみ愛する国民、そしてまた、グリーンツーリズム(アグリツーリズム)の先進国であるヨーロッパの国に行ってみたいと思ったからでした。

しかし残念なことにデジカメを盗られて、イタリアの写真は一枚もない、という・・・(笑)思いでは心の奥底に!
(ので今日の写真はたまたま見つけた、阿東町の田植え直前シリーズとなりました。)




ちなみにご存知の方も多いと思いますが、私はWWOOF(ウーフ)を活用して、農家を尋ねさせて頂きました。住み込みの農業体験したい方、農のある暮らしを体験したい方、ただの観光ではないたびがしたい方にはもってこいです。
さらにちなみに国立大学(独立法人化しましたが)は休学にお金がかからないうえに、学割と学生というあいまいな立場が何かと役立つので、学生のうちの休学&たびはかなりお勧めです。


学費を払ってもらっている方はご相談上、ぜひご検討くださいませ(笑)


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2006年04月04日

山口県阿東町 賀屋直美 2日目

カエルの故郷

今日はもうあちらこちらで桜が散り始めています。

桜の季節は、微笑ましい光景がたくさん見れるのがよろし。
普段は周囲の樹木に目を向けることもなく急ぎ足で駆け抜けてゆくサラリーマン達が、足を止めて携帯カメラで桜を「ぱちっ」・・なんて姿を見ると嬉しくなっちゃうし、
あんなに花見で浮かれている姿(私もですが・・)から、本当に桜という花が、四季を感じことの少ない都会に幸せを与える、素晴らしい花であるのだなぁと思ってしまいます。
(例え「花より団子」で、宴会の口実のお花だとしても、それはすごいことですよね。)





私は生まれてから18年間、山口県阿東町という、中国山地ののどか〜な山に囲まれた農村でのんびりと暮らしてきました。だから大学で関東に来てすぐの頃は、湧いて出てくる人の多さと都会人の歩くスピードについて行けずな日々・・・(笑)、また「カエルの合唱」が聴けないことでホームシックになって泣いたこともありました。(←よく泣くから)




私の実家はちょっとした良質米の産地であり、盆地にこだまするカエルの鳴き声は、そりゃすごいんです。あの名曲・蛙の合唱のような、かわいいものじゃありません。

4月下旬の田植え前は、盆地は水を入れ代掻きを終えた田んぼ一面、まるで大きな静かな海。(ちなみに太古の昔、この盆地は本当に湖であったそう。)

5月上旬に田植えを終えてから、稲と競争しながら生き物たちはすくすく育ち、そのうちにカエルの大合唱が始まります。これが本当に半端なくすごい!雨の日には、雨に喜んで農道に踊り出てきたカエルたちでいっぱいで足の踏み場がないほどです。

9月の稲刈りまで、生き物達は本当に賑やかで、だんだんと、赤とんぼが飛び始め、やまが色づき、道端の草が黄金色に染まるころ、ぼちぼち雪がやってくるのです。




山口県は暖かくて、雪が積もるというと驚かれる方も多いのですが、雪、降ります。さらに、阿東町は「山口県の北海道」という愛称?を持ち、県内で最も気温が低く、雪も結構積もりますよ。ちなみに打ちの父が子どもの頃には、二階の窓から出なければならないほどの雪も降ったことがあるそうです。



私は本当に、きれいな所に住んでいたものです。(→私の部屋から)

しかし、そんな私の実家も例外なく、過疎化と高齢化などの農村問題の波が押し寄せています。

当初、砂漠緑化を夢見て大学にやってきた私の方向を大きく変えたのは、
都会での暮らしと、そして外から眺めた、大好きな故郷であったのでした。



posted by LJ21 at 18:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 山口県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

山口県阿東町 賀屋直美 2日目

カエルの故郷

今日はもうあちらこちらで桜が散り始めています。

桜の季節は、微笑ましい光景がたくさん見れるのがよろし。
普段は周囲の樹木に目を向けることもなく急ぎ足で駆け抜けてゆくサラリーマン達が、足を止めて携帯カメラで桜を「ぱちっ」・・なんて姿を見ると嬉しくなっちゃうし、
BTH2451547_0B.jpgあんなに花見で浮かれている姿(私もですが・・)から、本当に桜という花が、四季を感じことの少ない都会に幸せを与える、素晴らしい花であるのだなぁと思ってしまいます。
(例え「花より団子」で、宴会の口実のお花だとしても、それはすごいことですよね。)

私は生まれてから18年間、山口県阿東町という、中国山地ののどか〜な山に囲まれた農村でのんびりと暮らしてきました。だから大学で関東に来てすぐの頃は、湧いて出てくる人の多さと都会人の歩くスピードについて行けずな日々・・・(笑)、また「カエルの合唱」が聴けないことでホームシックになって泣いたこともありました。(←よく泣くから)

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2005年09月14日

アロハの起源は周防大島にあり。 山口県周防大島 大野圭司[四日目]

今日の周防大島は、涼しい秋風がピューッと家に吹き込んで来ます。

さて、みなさん。

アロハシャツってご存知ですか?
ご存知ですよね、若者の間では夏のオシャレ着としてアロハは
流行っていたりします。男性なら一枚くらい持っていたりしませんか。

そのアロハの起源はご存知ですか??

実は、周防大島からハワイ移民で渡ったチャレンジャーたちが、浴衣
をシャツに仕立て上げたのが”アロハシャツ”なんです。

ちなみに、周防大島では19年前より役場職員、郵便局、JAなどの公
的な仕事人は「アロハビズ」ですよ。クールビズが、やっと今年でしょ。
ぜんぜん遅い。しかも、アロハのほうがインパクトあります!もちろ
ん82歳の町長もアロハビズです。ミスハワイが石原都知事にアロハ
ビスを提案してたみたいですが、うちは実践済み。

そもそもハワイ移民は、明治の官約移民という移民制度ができ、日本
から4万人ほどハワイに渡り、その約1割の3,900人が周防大島人だ
ったという歴史があります。

今でも島には、80歳代の2世のおばあちゃんが喫茶店を営み、
ハワイの直輸入のチョコレートやコーヒーがあります。ローマ字で
ハワイの親戚と手紙を出し合っているそうです。他にも、たくさん
英語で会話ができる、おじいちゃんやおばあちゃんがいらっしゃって、
周防大島って本当におもろい島だなあと思います。

もしかしたら、コーヒーを飲むという文化が伝来したのは、都会より
早かったのではと思います。

今日のメッセージは、
 
 「アロハの起源は周防大島にあり。」 

ではでは、今日はこのあたりで。

次回は、最近発足させたアロハ関連の商品開発チームでの構想中
商品についてお話しさせて頂きます!

日本ハワイ移民資料館

posted by LJ21 at 11:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 山口県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月12日

今日の一歩は30年後の未来を刻々と変化させている。 山口県周防大島 大野圭司 [三日目]

総選挙を終えて思う事を少々。
個人的には、国政選挙に投票したのは、社会人一年目の選挙
と合わせて二回目。周防大島に帰ってからは初めての国政選
挙だった。率直に意見させてもらう。母も祖母も自民党に投
票する事はどういう事か、島の未来、孫の未来にどういう影
響があるのか、自分の頭で深くは考えていないと思った。た
ぶんそれは、都市部の有権者より地域の有権者の方が、町・
県・国などの大きな力に頼り生きながらえて来た歴史がある
からだと思う。

デジタルフォレストの猪塚武氏の、たとえ話を使わせて頂くと、

「大胆な地方主権は子供を崖から突き落とすようなもの」

と表現される。郵政民営化する事のメリットとデメリットを差
し引きすると、国にも地域にもマイナスになると思っているの
だが、それ以上に、理想とする地方主権を加速する事で、周防
大島のように若者の人口流出が激しく、高齢少子化が進み、自
主財源比率が低い地域は、どんどん地域経営が苦しくなる。

親ライオン(国)は子どもライオン(地域)を谷に落とし、這
い上がった子どもライオンは自立したライオンになれる。だが
”日本国丸”に先導され、周防大島丸の舵取りをしてきた方々や
乗組員たちは、その深く険しい谷から這い上がるモチベーショ
ンをお持ちだろうか?諦め感が強いのではないだろうか。とい
うか、このような意識をそもそもお持ちの方は少ないと思う。

27歳の若者が生意気を言っているのは重々承知だが、30年後の
未来も57歳で生きる僕としては生意気を言わざるを得ない。今、
57歳の団塊世代は30年後には、この世にいらっしゃらない方が
多い。であれば、少なくとも、この島の舵取りに20代30代のメ
ンバーが加わり切磋琢磨していく事が健全な地域経営だ。

国は、地方主権のルールを創る事で、

「これで自由に主体的にできるじゃろ。あんたらぁの事は、
あんたらぁでやりんさいよ。お金がないなら儲けんさい。
もう、私らぁは知らんけえ、がんばって!」

今回の選挙結果で、このような時代に加速して行きそうだ。

僕は、愚痴っているわけではない。逆に、周防大島はチャンス
なんだと言いたい。正直、周防大島は他の地域より早く経営破
綻を日々の生活で感じるようになる。だからこそ、先駆けてV
字復活できるチャンスがある。そのためには、僕らが熱い想い
で語り動き、自らのアイディアで人を巻き込み、スキルアップ
し、島ぐるみで儲ける実績を創ることが必須。

この島に、心の底から自分があったらいいなと思うモノ(商品)
やコト(サービス)をつくれば、きっと、島の外のお客さんが
買ってくれる。市場調査やマーケティングなども大切かもしれ
ないが、cafe Misakiや周防大島.comや島スタイルは、そんな
事はあまりせず始め、少なからず成功の階段を上っている。

ひとりでも多くのチャレンジャーが、周防大島で生まれ成功
できる風土を創り、優秀な船員で溢れかえった周防大島丸の
船頭に僕はなりたい。

最後に、今回の選挙日は9月11日、アメリカ同時多発テロと
同じ日だった。これは意味のない偶然なのだろうか。もしか
したら、警告メッセージなのかもしれない。競争原理、市場
原理を元に作ったアメリカ社会の歪みは、イラク戦争やハリ
ケーン被害で露呈されている。こんな社会にしないために、
日本人よく考えろ。というメッセージだと僕は感じている。
そのメッセージを裏切らない島にする。

今日の一歩は30年後の未来を刻々と変化させている

posted by LJ21 at 19:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 山口県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月06日

島ぐるみで儲けるという意識ヘンカク 山口県周防大島 大野圭司 [二日目]

続きです。

僕が島を歩き始めた、その一歩目が島スタイルというフリーペーパー
の発行です。島スタイルの目的は、

 「島人の夢の種から生まれた島遊びをビジネス化する夢カタログ」

を島内外に情報を届ける事です。収益源は、広告料と
共感して頂いた方々のサポーター年会費です。現在、
A5サイズ、4ページ、フルカラー、5,000部発行で、
島内の主要観光施設、ホテル、コンビニ、レストラン、
カフェや、山口市、柳井市、広島市、東京などにも全国
配布中です。

創刊して3号を半年で発行し、中国新聞、読売新聞、
KRY山口放送、NHKラジオ、タウン情報YAMAGUCHI、
すおう大島広報など地元のメディアには、かなり取り上
げて頂いていますが、未だに、発行する事に5万円の
収入にしかなっていません。これでは、ぜんぜん、かっこ
よくなくて、えらそうな事言うなら、まず自分が島に必要
なビジネスを成功させます。



ちなにみ最新号は、

 「この島に、ふたりのヒロインが舞い降りた。」

というキャッチで、新しく島にできた、ふたつの女性オーナー
カフェを特集しています。島に若者が少ないのは、島が嫌だ
から帰って来ないのではなく、島に帰って来たいけど、雇って
もらう場所が少ない、業種に限りがあるという理由です。

旧態依然とした、役場、JA、漁協、福祉での雇用には限りが
あり、今後も縮小が続くでしょう。であれば、どうやって、この
島は生きて行くの?次の世代が生まれない周防大島に未来が
ないという事を、マジで考え行動している島民は、人口2万人
中1%もいないと思います。

だからこそ、生意気ながら、27歳の僕が大きな声で叫んで
います。本当にこのままでいいの?かと。僕としては、これから
30年で1,000組のUIターン島起業をする20代、30代を
つくりたい。1,000×4人で4,000人の、若年人口増を目指
しています。

僕の最終目標は、

 「高齢化率を35%に下げ人口を2万人キープし自主財源100%の独立国」

です。これを生涯をかけ実行します。
ふつう、島のリーダーが、こういう事言うんじゃないかと思うの
ですが、言わないんです。未来を切り拓く政治家は、この島に
はいないように感じます。


ま、文句言ってもはじまらんので、僕は僕のできる事を好きな
ようにさせて頂いている事は幸せです。それに、予想以上に、
共感して頂ける同世代、上の世代、島外の協力者。この調子
で、大野圭司とつながる5,000人の次世代ネットワークをつ
くり、島にお客さんを呼び込み、利益を島で分配し、自分もお
金を稼ぐ事を、自分の仕事にして行けば、10年後くらいから
は、ぼちぼち、島を動かせるポジションを獲得できそうです。

なにぶん、若く未熟者で、妄想癖ですので、これからも、
みなさんのご指導、ご鞭撻が必要です。どうぞ今後とも
よろしくお願い致します!

では、明日またお会いしましょう!

島スタイルのブログ
大野圭司の詳細プロフ


posted by LJ21 at 21:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 山口県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ココロの成長が未来の島を刻々と変化させる。 山口県周防大島 大野圭司 [初日]

「今週の私」ファンのみなさん、はじめまして!
山口県、周防大島の大野圭司と申します。

去年の夏に東京から島にUターンし”島スタイル”という
フリーペーパーの編集長を、ひとり気ままにしています。
それと、実家が大野工業という土建屋もしていますので、
そこの従業員でもあります。

先週の「増刊現代農業」甲斐良治さんに声をかけて頂き、
今日から一週間つらつらと書かせて頂きます。ていうか、
昨日の文をまだ書いていないので、今日は2連発!

まず今日は、大野圭司とは何者であるかという事を皆さ
んにお伝えできたらいいなあと思います。そもそも、周防
大島という島は、瀬戸内海で3番目に大きい島で、全周
160kmもあり、僕の暮らす旧東和町は高齢化率50.6%
の日本一高齢化した島です。ちなみに、本土から橋が
かかっているので離島ではありません

同級生は13人中3人しか島内で暮らし働いていない。
そんな島に、ひとりでも多くの同級生が帰り、島で暮ら
し、昔のように、夏になると夜、全裸で海に飛び込むよ
うな僕らの物語の続きをしたいと思っています。ちょっぴ
りでもキラキラした未来をつくるために去年、東京から
帰って来ました。そもそも中学生の頃は、周防大島で
リタイアメントコミュニティづくりによる、島おこしビジネ
スをしたいと思っていました。

島に足りないものはたくさんあるけれど、その根源は、
自らが新しい事にチャレンジしようとする”ココロ”を持
つ人が少ない事。であれば、まずは自分自身が、自分
のできる事からチャレンジしてやろうと日々、島を歩いて
います。


posted by LJ21 at 20:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 山口県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月02日

東京都港区 甲斐良治 5日目

仕事柄全国の朝市や直売所に立ち寄ることが多いのですが、周防大島・志佐地区の「食の工房 ふきのとう」の朝市は規模も営業時間も「日本一小さい朝市」ではないかと思います。ツレアイの中学校時代の同級生・山根要子さんがはじめたもので、週2回、朝1時間だけの営業時間なのですが、朝8時からの開店なのに、まだ薄暗い6時半、7時くらいからお年寄りが集まってきます。


志佐地区は小さな漁港のある住民300名ほどの集落なのですが、NTTを早期退職後、「食の工房 ふきのとう」を開き、農産加工をはじめた山根さんの目についたのはひとり暮らしの高齢者の多さでした。

そのお年寄りの多くは車の運転ができないのですが、まとまった買い物のできるスーパーは数キロ離れた町の中心部にしかありません(そもそもそのスーパーが進出したために、身近なお店がつぎつぎ廃業に追い込まれたのですが)。

山根さんは、不便さをかこつお年寄りをみかね、私費を投じてこの朝市を開こうと思い立ったそうです。


朝市の人気は山根さんがつくる地場産大豆100%の豆腐、おからコロッケやおはぎ、船員だった同級生がつくる新鮮な野菜……。ひと月の半分を東京で、半分を大島で暮らしているツレアイも自家製の野菜やスダチを出しています。

ささやかな、「早めの定年帰農」の同級生の気持ちが集まるこの朝市は、ひとり暮らしのお年寄りの気持ちが集まる場所でもあるようです。


高千穂のような山村、大島のような島(橋でつながっているので行政上は「離島」扱いではないようですが)は、思えば農山村の、いや日本全体の縮図のように思います。

そこには矛盾もいち早く現われれば、その解決策もいち早く現われるような気がしています。そこには大都市・大企業がいまだ示せないでいる高齢者の、また若者の「希望」があるのではないでしょうか。

昨夜の若者たちもみんなが大島への希望を語っていました。


山根さんの豆腐は地場産大豆100%なのに、信じられない安さです。


posted by LJ21 at 18:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 山口県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

東京都港区 甲斐良治 4日目

8月18日は高千穂からツレアイの実家のある山口県周防大島へ。途中博多で森千鶴子さん、安永淳さんと打ち合せ。森さんは増刊現代農業の常連ライターにして九州・中国地方の「食の文化祭」伝播者、安永さんは宗像市漁協顧問・同市観光協会事務局長です。中洲で「吉塚うなぎ」をいただきながら、宮本常一の『海をひらいた人々』絵本化について話し合い。

ご存知周防大島はその宮本常一を育んだ島です。昨年には「宮本常一展示室」もある「周防大島文化交流センター」も完成しました。写真はそこに展示してある宮本愛用の品々。とくにハーフサイズのカメラは、新発売の際、「これでフィルムが節約できる!」と大喜びしたそうです。またルーペは、ベタ焼きの写真を見るためのもの。デジカメの時代まで生きていたら、どんなに喜んだことだろうと思います。


展示室には宮本の撮影した写真が多数展示してあり、これもその一枚。浜の魚網の上で眠る子はまさに「われは海の子」。撮影した宮本の影も映っていて、じつにほほえましい一枚です。




これは昭和38年撮影の「バカンスを楽しもう 村内一斉休養日」ポスター。昨日「村の遊び日」でもふれたように、ほんらい農村は勤勉一辺倒ではなく、休むこと、遊ぶことにも共同性を発揮していたような気がします(私は昭和30年生まれですが、昭和40年くらいまでの高千穂もそうでした)。

なお、宮本が撮影した膨大な写真、著書、年譜が、現在文化交流センターによって「宮本常一データベース」としてネット上で公開されています。

あなたの生まれたころ、生まれたふるさとの写真があるかもしれません。ぜひのぞいてみてください。


周防大島は『大往生の島』としても知られるように高齢化率の高い島ですが、いっぽうで「定年帰農の島」でもあり、また最近では若者もしだいに増えてきているようです。

18日の夜は、そうした若者のひとり、大野圭司さんの呼びかけで「自称若者」も含め、9名が集まりました。大野さんは建設会社の息子でUターン―増刊現代農業流に言えば『土建の帰農』と『若者はなぜ、農山村に向かうのか』を足して二で割ったような人物。

会場は社協職員・河内啓さん/看護士・河内乃理子さん夫妻の家。「風流」を感じさせる古い民家です。食事と飲み物は一品持ちよりということでしたが、河内さんはたくさんの食事を用意されていました。


集まったメンバーは下記の人々。それぞれHPを開設されていますので、ぜひのぞいてみてください。

おげんきクリニック・岡原仁志さん(医師)

島スタイル編集長・大野圭司さん

社協職員・河内啓さん/おげんきクリニック看護士・河内乃理子さん夫妻

岩国・染織工房「七夕屋」植野竹代さん

●ほかに中国新聞大島支局・久保木要さん、染織家・今澄智子さん(宇部&東京)
も。

みなさんお世話になりました! そしてごちそうさまでした! またお会いしましょう!


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2004年11月07日

山口県宇部市 山口大学 河原利江さん 7日目

最後の日になりますが宜しくお願いいたします。

今日は散らかりすぎた家の片付けなどの家事に追われ、気がついたら午後も半ばになっておりまして・・・。うわっと思って急いで大学へやってまいりました。昨日今日と、土日が快晴でとてもよい週末日よりでした。

私事ですが、日曜日は月曜日の午前中の「構造基礎力学」の演習の準備で、午後は研究室のデスクで作業をするのが習慣となっております。何の作業かと言いますと、先週の演習で出題した問題の提出期限が金曜日で、その提出物の採点をまず。そしてその問題の解答作成と次の演習問題の作成をして完了です。今全ての作業を完了しました。明日に備えて準備万端です。



さて、作業は終了したのですが・・・もう既に外は真っ暗で、今日はどこかの場所のご紹介ができません。ですので我が大学のキャンパス内のことを一つ話題にしてみようと思います。

研究棟の新築と改修
ここ数年の間に、建築物の改修ってごくごく当たり前のことになってきましたよね。私自身が研究させていただいている歴史的な建築物の保存に際しての改修(使用用途を変更しているものが多いですね)だけでなく、戦後に建設された鉄筋コンクリートや鉄骨、鉄骨鉄筋コンクリート造など、いわゆるビル建築物といったものの改修は、現在新築工事よりも多いんではないかというほど全国でたくさんの現場があると思います。

東京などの大都会では、バブル時代に建設したオフィスビルを所有し続けることが経済的に難しくなり、思い切って巨大マンションに改修して、さらに自社の不動産部を展開しているような状況です。・・・これは知り合いの企業の方からお聞きした話です。

我が山口大学工学部でも一昨年から去年にかけて、大規模な改修工事が行われました。写真は工学部本館の正面です。以前の姿をちゃんと撮影しておけば比較できたんですけど。

以前の概観は本当に壮絶な感じでしたよ。コンクリートの塊という感じで、いわゆる戦後のビル建築という雰囲気でした。現在は赤茶色のタイル(小口二丁掛け)の芋目地張りで覆われているんです。現在の外壁は実はベランダとして新設されたもので、昔の外壁はその内側にちゃんとあるんです。昔の外壁は、柱型が外に出ていて垂直性が強調されていました。どこでもよく見るスタイルです。私はあの柱型が出ているのは個人的には好きなんですけど。今回の改修ではもともとの躯体の部分は内部の間仕切りの壁を取り壊す以外はそのまま使われています。ですので内部は様変わりしてびっくりです。以前のどちらかというとどよ〜っと暗い雰囲気はいっそうされ、きちんとしたオフィスのように明るいイメージになりました。




一つ残念なのはもともとの躯体の大きさに空調などの設備を入れるために、天井上というか床下というか、その部分に必要スペースをとったので、天井高が低くなってしまって、圧迫感が強くなってしまったことですかね。
もう一つ、周りの先生方からいろいろと評価されるのは居室の間仕切り方法ですね。
図のようになっていて、廊下からまず前室に入ってそのまた奥に居室があるということなんです。教員2人につき共通の前室があって、大体この2戸一で8m角ぐらいですかね。教員のスペースは助手から教授までレベル差なく同じになっております(全てではないですが)。最近の傾向としては、学生に開放するスペースを大きくして、教員のスペースは削減しようというものなんです。なので教授の先生方は昔からの資料や教材を4m角の部屋に全部入れるってことで大変みたいです。私は全くもって広すぎるくらいですけどね。この前室はガラスばり(性格にはアクリルですけど)で歩いている人の腰から頭の上当たりまではすりガラス上で見えなくなっていますが、それ以外は丸見え状態です。これが今の標準的なプランです。・・・まあ、2戸一の中に部屋をきれいに使ってくれる人が一緒だったら快適ですけど、そうでなかったりすると・・・いろいろ大変ですよね。



でも、なにより一番重要なことは昔の躯体を殆ど壊していないことですね。ビル一つ壊すととんでもない量の産業廃棄物が出ますし。

写真は実はこの改修された本館の裏側です。改修は一部ずつやっていくんで裏側は昔のままです。改修の経過とか、状況の大きな変化の把握ができるという意味では、歴史的変遷を感じる面白い状態だと私自身は思います。ちょっと滑稽ですけどね。
先ほどお話した、柱型が外に出ているというのはこういうことなんですが。皆さんはどうお思いですか?
エアコンの室外機が窓の外のひさしの上に置いてあるのがなんとも危険ですよね。台風が来たときはどんなだったんでしょう。改修後はおそらくこの室外機はなくなり、前館天井空調になり、室外機は集中化されると思います。

この他に、新しく建設された研究棟もございます。大体の新設棟と改修棟は、同じ色調のタイル外装で統一されているんです。年代ものの様々な外装の表情を持つ棟が存在しているのも工学部らしくていいと思うのですが、おそらく長期間かけて統一される方向だと推察されますね。

こういった新築や改修の現場を間近で見られることは私自身、とても貴重なことだと実感しているんです。私の将来の夢は、古い建物の診断をして、未来によりよい形で残し、ずっと使っていただくためのお手伝いをすることです。どんな立場であってもいい、そんな仕事をしたい、と思っています。ある建物がそこにあり続けることで経てきた歴史はその所以が何であれ大切な遺産で、やはり建っている場所でずっとそのまちのの風景を見守り、住む人々に見守られ続ける。これが私にとって建築物に対する一番の理想です。

最後に
・・・さてこんな感じで私の一週間の報告を終了させていただきます。本当に個人的で勝手なことばかり書いてまいりましたが、自分自身を見つめる意味で貴重な機会をいただけたと思っております。ありがとうございました。

そして来週の方へおつなぎいたします。




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2004年11月06日

山口県宇部市 山口大学 河原利江さん 6日目

さて、今週の私、残すところ今日を入れて2回となりました。今日も張り切って書かせていただきます。

今日は午前中に昨日行った材料実験の後片づけを行い、午後からは自身の研究に関する調査も含め、小野田へ資料調査へ行くことにいたしました。小野田市は徳利窯のことでも学生時代からたいそうお世話になっている街です。最近ではセメント焼成窯ではなく、登り窯といって主には煉瓦、瓦、食器、壷などといったものを焼成することができる煉瓦造の窯の保存についても研究させていただいています。この登り窯についてちょっと紹介させていただきます。

小野田市にはかつてより「セメント町」「硫酸町」といったユニークな町名が存在しましす。(硫酸町のほうは現在はないようです。)「セメント町」は明治14年に設立された小野田セメント製造会社(現太平洋セメント小野田工場)に由来する名前、「硫酸町」は明治22年に日本舎密製造株式会社小野田工場が設立され、硫酸の製造がはじまり、その硫酸の容器(硫酸瓶)を現小野田市旦の皿山にて地元の土を使って焼いたことに由来するものです。今回ご紹介する登り窯は、「旦(だん)の登り窯」というは明治初期の登り窯で、この硫酸瓶を焼成していたことのある窯です。小野田には当時登り窯を持つ製陶所が数十箇所存在していましたが、現在完全な形で残っているのはこの旦の登り窯のみとなっています。


登り窯に使われている煉瓦は、通常私たちがよく目にする21×10×6cmの平べったい形ではなく、かなり大きくぼっこりした形の煉瓦で組積されています。このぼこぼこっとした風合いが人の手で創られた温かみを感じさせます。
現在この登り窯の煙突部分が傾いており、保存上危険な状態であることから、補強および補修対策の検討が行われています。何しろ小野田では唯一完全な形で残っている登り窯ですので、この地の製陶業の歴史を物語る遺産として、周辺の皆さんもきちんと保存されてほしいと願っているようです。将来的には、この窯を中心として焼き物の里というような文化コミュニケーション施設として、一般の方にも楽しく見学利用していただくような施設の計画をしていきたいと、以前小野田市の職員の方がお話してくださいました。



さて、また話をぐっと最初に戻しまして、今日私が資料調査に行ったのは小野田市歴史民族資料館です。以前から行こう行こうと思っていたのですが、なかなか機会を見つけられず、今日この記事を書かせていただくということをきっかけに行ってみようということになりました。この歴史民族資料館は小野田市立図書館、小野田市民館と併設されており、こじんまりとしてほのぼのとしたところです。
 入館しようとお財布を持ってエントランスを入ったところ、窓口に数人の職員の方がいらっしゃったので、「こんにちは」と声をかけ「入館料っていくらですか?」とお聞きしたところ、職員の年配の男性が「入館料はねえ、とっとらんのだけど、大金持ちの人からはもらっとるのよ(笑)。」とおっしゃいまして。「ははは、すいません、大金持ちじゃないんで」といって早速見学することにいたしました。ただだったんですね。
 入ると1階は主に、小野田の産業を種類別にブースで分けて展示してありました。農業・漁業・工業・窯業、それぞれにかかわる機械や道具、農家の内部の再現も展示してありました。特に興味があったのがやはり窯業(製陶業)に関連するものですね。小野田はその名前になる前、須恵村という名前でした。その名のとおり古来より採取される豊富な粘土を利用した窯業が盛んだったんですね。


2階に上がると、さすが小野田ということで、小野田セメントを起こした初代社長「笠井順八翁」の生涯と小野田セメントの歴史について展示してありました。おお、これは学部生4年時代に本をひっくり返して調べたことだ、と思っておもわず愛着がわいてしまいました。しかし、今日分かったのは笠井順八という方は、セメント業だけでなく、石炭、鉄道・電気・・・・その他数々の産業を小野田で発展させた重要人物だったということです。それは、大きな銅像も建つわなあと納得いたしました。・・・以前この銅像の事を聞きつけ、ある公園の敷地内を探し回り、小高い丘の、緑で覆われた一角に地球のような丸い物体を前に堂々と座っている笠井順八像を見上げたときは、あまりの大きさと迫力に、ちょっと後ずさりしたほどです。写真は私が大学院1年生の夏の調査のときのもので、頭がタオル巻き状態という情けない姿で申し訳ありません。


資料館を満喫した後、久々にお気に入りの場所へ向かいました。大学院2年生の頃、市立図書館へ向かう道で、国指定史跡「浜五挺唐樋(はまごちょうからひ)」という看板が出ており、これはなんだろうと思って向かったところ、その史跡のある当たりの雰囲気にはまりまして、ちょっと行き詰ることがあるといつもここでぼや〜っとして海を眺めるのが私にとっての癒しでした。ちょっとその風景を紹介いたします。ここは小野田の中心街からすると、やや西側のはずれのほうになります。小野田は干拓で大きくなった街で、この浜五挺唐樋は寛文8年に萩藩の直営事業として行われた高泊開作という干拓の時の排水用樋門です。水を招く扉が五挺あることから五挺唐樋と呼ばれています。潮の干満により招き戸が自然に開閉するという当時としては画期的な仕組みだったそうです。この樋門は平成元年まで使われていたというからさらにすごいですよね。

お気に入りって何がお気に入りというと、この五挺唐樋の写真向かって左手にある當嶋神社という石段を何十段か上がった高いところにある小さな神社なんです。この神社の雰囲気や鳥居越しに見た風景の感じがたまらなくてですね。ここでちょっとお賽銭でもいれてお参りして石段を下りながら、目の前にぐっと広がるうみと、小さな釣り船群。時間が止まったようになって頭が休まり、またやれるなあという気になるんです。今日はお孫さんと散歩をされている女性とすれ違い、こんにちは〜と声をかけました。

頭をリフレッシュして、また来週も頑張ろうという感じになりました。さて今日はこんなところにいたします。明日は最後の日ですがどんな日になるでしょうか。



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2004年11月05日

山口県宇部市 山口大学 河原利江さん 5日目

今日は、8時40分から材料実験がありました。今週は、先週作成した試験体の圧縮試験を行うため、アムスラーという加圧試験機を使って模擬試験を行いました。写真の試験機がアムスラーです。最大100tまで荷重をかけることができます。左側のオレンジ色の台の上に直径10cm高さ20cmの円柱型のコンクリート試験体を設置し、右側の操作部でじわじわと加圧していきます。3年生に実際に機械に触ってもらいました。予想では35tぐらいまでかかって破壊するだろうと予想していたのですが、なんと47tぐらいまで破壊せず、しかもいきなりドスンといって大破壊したため、一時試験室は騒然となってしまいました。私もこの破壊の瞬間は余りなれておらず、何回やってもびくっとします。


ちなみに以前、私自身が煉瓦造建築物について研究しているとお話させていただいたのですが、普段扱っている試験体はコンクリートの円柱ではなく、殆どが煉瓦の小さな角柱や煉瓦と目地がつながった組積体です。写真がその煉瓦組積体の写真です。年がら年中、この煉瓦たちと格闘している状態です。しかし、煉瓦というのは本当に色形だけでなく、品質も様々といいますか、ピンからキリまであるということが実感できます。強度などの力学的特性に偏ってみても、同じ年代に作られたものでも弱いものからとても強いもの、耐久性の面から凍害の要因となる吸水率を見ても高いものから低いもの様々です。
 このそれぞれの品質によって、保存するための手法は一概に決められるものではなく、適した手法が選定されるべきだなあと考え、日々実験を行っているところです。例えば、煉瓦造といえば、よく目地にひびが入ったとか穴が開いてしまったというような箇所があれば、何か補修材料を注入して補修するわけですが、その補修材料が煉瓦の力学特性に、耐久性にどんな影響を及ぼすか、これってあまり明らかになっていないんです。もちろんもともとの材料と同じものを使ってやればいいというのがベストなんですが、それだと奥深くまで続く空洞を埋めることができない。そういったときに何を使うかなんです。・・・こんなことをいつも考えながら過ごしているんです。



私はまだ研究実績が浅いので、もっともっと煉瓦造に詳しい方にいろいろなことを学ばなければいけないなあと思っているのですが、なかなか近くにはいらっしゃらなくて。もしよろしかったら、この若造にご紹介ください。なんて。煉瓦造にはまったのは、煉瓦って土からできているもので、ぼろぼろっと砕くと土みたいじゃないですか。それでいて強く焼き締められていると、コンクリートが非ではないくらい強いものになる。そして、煉瓦はセメントモルタルと組み合わさって頑丈な壁となっている、いわゆるたくさんのユニットの複合体ですよね。その壁が複合体であるだけではなく、古来より全てを煉瓦というわけではなくて、屋根や梁、窓部分なんかを木造にしてみたり、近代になってからは鉄と組み合わされたり。構法としても複合されている。逆を言えば煉瓦造単独で用いられるようなことは少ないとも言えるのですが。


日本だと特に木造との複合構造になっていることが多いですよね。私はあの屋根を見上げたときの表情と一連につながる煉瓦壁の表情を、ずーっと流れるようにつなげてみたときのなんとも言えないしっとりとした雰囲気がたまらなく好きですね。ちなみに写真は門司港レトロ内にある、旧門司税関です。

 ちょっと建築物から外れますが以前、愛知県の渥美半島にあるタイル博物館(大手会社の博物館ですが)に行った時、煉瓦造の焼成窯が保存されていて、その窯と一体化したギャラリーに入館しました。実際に炉内に入れるようになっていて、そこにレトロな椅子が置いてありました。その椅子に座って、高温で溶融した炉内のアーチ状に組積された煉瓦の表情に感銘を受けてしまいまして。しばらく動きたくなかったです。行かれた事ありますか?
 こういった産業遺産の場合は、稼動していた頃の壮絶さと、その現役生活を終えた後の雄大さがあいまって、とてもいい雰囲気をかもし出しますね。


ちょっとまた趣味の世界に走りすぎてしまいました。
 今日の私の行動について話をぐっと前に戻しますと、午前中で材料実験を終えた後、午後からは官学共同研究成果報告会に参加してまいりました。といっても私自身は聞きに行っただけですが。どこの大学も今は当たり前のようになっている、官学連携。大学と地方自治体との連携です。今日も報告会には山口県からたくさんの職員の方が来られていました。主に土木建築部の方々です。山口大学ではこの官学共同研究に、分科会が5つありまして、斜面安定、軟弱地盤、鋼またはコンクリート、河川計画、循環型居住環境、この5つです。5つのうち4つは土木関係です。当大学の社会建設工学科は8年前ぐらいからこの官学連携共同研究をされていて、すごくしっかりとした連携体制が整っております。
 我が感性デザイン工学科の建築系の先生方などを含めた建築系の分科会が、このたび発足しました。それが循環型居住環境分科会です。まだ走り出してまもなく、勉強会も少ないのですが、今後共同研究を行っていくことになっています。私も一応この分科会に所属しております。
 本日聴講した報告会では、大学の研究成果を如何に現場で活用していくかというところが議論のキーポイントとなっていましたが、実際に河川計画や地盤監視対策、洪水対策などに導入されたり、試験的に動いたりしているシステムの事例の報告もあり、実際に思った以上の成果があったというようなことを聞きますと、ほお〜っと身を乗り出してしまうぐらい感じ入るところがございました。確かに、研究していても大学の中だけとか学会の中だけでの話で終わっていては何のための研究だろう、ということになりますし、どういった形で地域に還元していくかということは常に考えていなければならないことですね。ハード面の還元だけにとどまらず、ソフト面の還元によって地域がどのように活性化されるかも、最近の工学的見地からは重要視されています。そういった意味でも循環型居住環境分科会には、地域の人々の動き、住まい方、根付いた文化などを考慮したより良い居住環境の実現へ向けた研究が求められています。

 といったところで、今日の私の一日の報告を終わります。明日は・・・どんな一日になるでしょうか。未だ検討中です。では。



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2004年11月04日

山口県宇部市 山口大学 河原利江さん 4日目

今日は昼まで健康診断のため、絶食状態でした。ちょっとふらふらしておりましたが、先ほど昼食をとり、回復いたしました。最近は、労働安全衛生面から健康診断でも研究の中で化学物質や機械工作の使用状況などずいぶん厳しくチェックされるようになり、私自身も実験室で有機溶剤を少し使用するのですが、その体への影響はないかなどというチェックがありました。確かに、正しい使用方法でないと、いつの間にか身体がおかしくなっているかもしれませんし。怖いものです。

ちょっと話題がずれますが、工学部には女性の教員は7名しかいないんです。助教授から助手までですけど。1年に数回、工学部女性教員で集まることがございますが、やはり当工学部は男性教員が殆どなんだなあと実感しますね。この年明けからは、我が感性デザイン工学科にも、女性の講師の先生が建築意匠の講座に来られることになり、楽しみにしているところなんです。ところが、今日の健康診断では、びっくりするぐらい女性が来られていて、あれこんなにいらっしゃったんだ、とぽかんとしてしまいました。事務職員や技術職員の皆さんの中には女性もたくさんいらっしゃるのですね。


さて、昨日のラジオ番組がどうとかというお話ですが・・・

我が山口大学工学部はFMで毎週木曜日の夜9時から10時に広報ラジオ番組を放送しております。「ススメ!工学部」という番組です。FMきららという2002年に開設されたばかりの新しいラジオ局できらら博の開催を受けて開設されたんです。受信可能エリアは残念ながら宇部・小野田・阿知須町地域のみなので、隣の県までというわけにはいかないのですが・・・。もしお近くに来られたときには聞いてみてくださいね。

私自身今年の1月に、番組にゲスト出演してくれという唐突なお話が来て、大雪の日に局まで危ない思いをして行ったのが初めてでした。そのときの司会の先生は、山口大学工学部の知能情報工学科の三浦先生という方です。防災システム工学を専門にしていらっしゃって、ローカルジャンクション21の事務局のお二人がこの前山口県のセミナーパークというところでワークショップをしてくださった会場で、同じように防災グッズに関する展示会をされていらっしゃいました。
ラジオ番組に出るというのは、生まれて初めてで(校内放送はありますけど・・・)かなり緊張したのですが、これがしゃべりだすと止まらなくなりまして・・・。ある意味自分の違う一面を発見してしまいましたね(笑)。
4月に入って、今度は番組の司会(ホスト役)をしてくれないかとのことで、ちょっと不安もありましたがやってみることにいたしました。5人のスタッフでローテーションを組んで、大体月に1回担当しています。もう4回ぐらいはやりましたかね。未だに要領がつかめなくて口がもごもごしたり、かみかみになったりしますが、何とか1時間やっています。
今週は担当の週でして、今日は朝からどういう風に話していこうかと試行錯誤中です。毎回ゲストを自分で連れてくるんですけど、これが結構大変でして。つてをたどってたどって・・・。今週は、同級生のお母さんに半ば無理やり依頼してしまいました。感性デザイン工学科の同級生のお母さんなんですが、宇部の商店街の中にある「まちの駅」という休憩スペース+ギャラリーを併せ持っている場所で働いていらっしゃるんです。そこは以前一度訪れたことがありますが、市民の方の工芸作品の展示販売などがあって、地域独特の工芸を知ることができる温かい場所です。
そのお母さんは多趣味で、ご自分でもパッチワークの大作を作られて展示会に出品されたりもしますし、他県にかわいい雑貨を探しに行っては仕入れてきて、お家で小さな雑貨店を開いていらっしゃるのですがその店頭に並べたりと、本当に感動するくらい多趣味多芸な方です。私も・・・実はパッチワークを習っていたんですが・・・・挫折してしまいまして・・・。また習えるかどうか頼んでみようかなあ・・・・。


宇部の商店街は、現在残念ながら空き店舗が多く、シャッター通りとも呼ばれているんです。宇部出身の同級生に聞くと、小さい頃はものすごい活気があって賑やかだったよと言っていました。郊外の太い国道沿いにショッピングモールや大きなホームセンター、電気屋などが立ち並ぶようになってから中心市街地から人が消えて行ったようです。
山口大学でも、中心市街地の活性化を目指して、産学官の勉強会などで、街中ウォッチングや街なか居住を目指した街づくりのワークショップをされたりと、いろいろな活動が行われています。確かに、なんでも物がそろう場所に歩いて行けて、そこに住めるのであれば私も商店街付近に住めたらいいなあと思っています。そういえば、学生時代設計課題で宇部の商店街の一角を敷地にしてコレクティブハウジングの集合住宅を設計しなさいというのもありました。その敷地はいつの間にか再開発で、以前あった八百屋さんがなくなり、何か違う建物に変わっています。最近では商店街に突然高層マンションが出現したりもしていますね。



ドライブ好きの私が言うのはどうかとも思うんですが、自分でも問題だなあと思うのは、身体を動かして、五感を使って人とコミュニケーションをとる能力がひどく劣ってきているように思うんです。お店の人に明るく「こんにちはー」とか「最近どうですかー」とか、たわいもない会話をしてみるとか、道を歩いていい物とか場所を探すとか。そういう事って大事だなあとつくづく思っているんですが、動きが鈍くなっているんですね。反省すべき点だと思っています。そんなんだと荒むよ、と友達に忠告されてます・・・。

さて、独り言がぶつぶつ出てきたところで失礼いたします。これから会議です。そしてその後ラジオに行って参りますのでこの辺で。
今日は絵が少なくてすいません。


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2004年11月03日

山口県宇部市 山口大学 河原利江さん 3日目

今日は休日ということで、最近あまり行ってなかったんですがあてのないドライブへと出かけることにいたしました。天候はあいにくの曇り空で、午前中にはぱらっと一雨来てすぐやみました。午後から出発いたしました。お祭りの日でさすがにやや混み気味でしたね。さてどちらへ向いていこうかと考え、いつもパソコンの画面を見つめていたりコンクリートや煉瓦の塊を見ていたりというやや目も疲れ気味かということで、海から山のほうへ向けていこうかという心づもりになりました。学生時代より、車でどこへともなくいい景色を求めてぐるぐると走る癖があり、とんでもない山道に迷い込んで泣きそうな思いをしたり、それでもって広い道に出て助かった〜と胸をなでおろしたりと、がちんこなんとか・・・ですか、そういう休日を過ごすのが個人的には好きです。

 まず宇部から阿知須町という、皆様ご存知でしょうか、3年前に開催された「きらら博」の会場があった場所なんですけれども、海沿いにありまして、その海沿いの道を走ってある橋のあたりまでやってきました。これは「周防大橋」という橋です。結構大きな橋です。関門橋と比べたらかなり小さいんですけど。この橋からずーっと周防灘とそれにつながる川を眺めるのは結構気持ちが良いです。


この橋の中間地点から海側を見ますと、ぽっこりと丸く白いものが見えます。これはそのきらら博の際に建設された「きららドーム」です。博覧会の際は私もワークショップに参加させていただいたり、はしゃいで会場内の全ブースを走り回ってみたりと、楽しませていただきました。

 橋を渡って、今度は国道2号線へ出て下関方向へ走ってみました。この国道2号線は区間は限られていますが自動車専用道路になっていて、山口県に来て始めてこの道路を通ったときは家族と一緒にこれ高速道路?とびっくりしたものです。今もたまに家族がこっちへ来たときは道が広いねえと言っていますね。


今度は2号線を右へ折れて、国道490号線を秋吉台方向へと走りました。この号線は私の大学生時代において、多分これからも思い出深い号線となると思います。その理由は後ほど。490号線は整備されていて広くすっと気持ちの良い道路であり、またほのぼのとした道路でもあります。最初は田んぼと迫る山が続きトンネルを抜けますと、大きな湖が広がっています。これは「小野湖」という自然湖?です。常盤湖も大きいですが小野湖もかなり大きいですね。特に南北に長い感じがします。ここは山口大学のボート部も部活に利用するらしいです。ちなみに宇部市はこの小野湖水系なんです。いつだったか雨が降らず水不足のときがありましたが、その時男を通りかかり水位がかなり低くなっていて底が見えそうなところもあり、驚き恐ろしかったのを覚えています。


さて、そろそろ秋芳町に入りましたので、なぜこの号線が思い出深いかについてお話します。大学2年生のとき、先輩の紹介で家庭教師のアルバイトをすることになり、その場所を尋ねたところ近い近い、といってとりあえず道を教えるから一緒に来いと言われ、おそるおそるついて行くと、そこは秋吉台のふもとの秋芳町でした。これは無理ですよ、といってみましたが行ける行けるということで、結局あるご家族のもとへ、週に2回車を走らせ3時間の家庭教師をすることになりました。3時間と往復2時間の道のりで合計5時間。午後6時に授業を終えてそれから出発し帰ってくるのは午後11時と、これがなんと4年間も続いたのです。よくやるわと人からは言われましたが、どうして続いたのかというと、多分それは家族のいる家へ帰るような気持ちだったからだと思います。教えていた子もとても純朴で家族もとても温かい人たちでした。まず7時ごろ着くとあったかい家庭料理が出てきまして、ほんとにこれが美味しかった。それで子供と勉強をしたり日々の悩みを話したりとすぐに3時間は過ぎました。懐かしい山や田んぼの風景も私の日々の栄養剤となっていました。今はその子も大学4年生になっています。時間が経つのは早いものです。


ついでに秋吉台まで上ってきました。もう夕方4時を回っており、人も少ないかと思いましたが展望台に結構な人がいらっしゃいまして。ツアーの方たちがバスで来られていました。人はいたんですが、遊歩道を乗せて歩いてくれる馬のラッキー君がちょっと寂しそうにしてました。秋吉台は大学1年生の3月に、当時住んでいた山口市のアパートから自転車で来たことがありまして。ずっと秋吉台自転車道が整備されていて道に迷うことなく行くことができますよ。これも馬鹿な話で、宇部に行く前に思い出を作ろうと友達3人で秋吉台の朝日を見に行こうだかなにかの思いつきで、夜中の2時ごろに自転車で出発しました。若気の至りです。ものすごい寒くて途中で挫折しそうになりましたが何とか6時過ぎぐらいに着きました。もっと温かい明るい時間に行ったほうが良かったと実感しました。

今日はこの辺であてのないドライブを終え、帰路に着きました。時間があれば日本海のほうまでとも思ったのですが。
明日は、ちょっと憂鬱なのですが健康診断があります・・・。今晩は夜9時までには過食を避けた食事をして、よく睡眠をとってくださいとのことです・・・。
その後は学科の会議と、ラジオ番組の司会です。このラジオのことは明日また書かせていただこうと思います。では。



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2004年11月02日

山口県宇部市 山口大学 河原利江さん 2日目

今日は大学の外に出て、・・・といっても話題だけ外に出るのですが、私自身これまで調査させていただいたことのある宇部・小野田地域の煉瓦造の建物について少し紹介させていただきます。

旧小野田セメント徳利窯
 平成11年から5年間、研究テーマにさせていただいた旧小野田セメント製造会社の煉瓦造のセメント焼成用竪窯「徳利窯」の調査に実験にと奮闘する毎日でございました。その、徳利窯をまずご紹介いたします。この写真は保存調査が始まった当初の徳利窯の写真です。高さは18mぐらいありまして、写真のイメージよりも結構大きいです。煙突の部分は本当にお酒をつぐ徳利の形に似ているんです。
 小野田セメントは明治14年に誕生した日本初の民間セメント製造会社で、この徳利窯は明治16年に建設されたものです。当初はもう一回り小さかったのですが数回の改造を経て現存するような大きさとなりました。一応セメントの作り方を調べましたのでご紹介すると、粘土と消石灰を混ぜて乾燥させたものを原料とし、燃料の石炭と原料を窯の下側の四角い部分の内部に交互に層状に積み重ねていきまして、下から火を入れて1週間焼き続ける、といったような流れです。できた塊を粉砕してさらに寝かせること数ヶ月でセメントの出来上がりということです。積み重ねるのも、火入れから1週間見守り続けるのも、焼きだしのものを粉砕するのも、寝かせて待つのも、今から考えれば本当に大変な作業ですね。
 4年生の夏、先生に調査に連れてきていただき、この窯に出会ったときはなにか強く引き寄せられるような思いでした。現在も健全に太平洋セメント小野田工場の敷地内にそびえ立っておりまして、工場の様子とすぐ裏手の海を行く船を見守っております。一般公開されてますし、いつでも見ることができますよ。



次は宇部に戻ってまいりまして・・・

六角堂
 ちょっと聞くとお寺のお堂のようなイメージですが、正式名称は「桃山配水計量室」というそうです。この建物は宇部の市街地への給水量を計るための施設で、大正に建設されたものです。煉瓦造平屋建てで、六角堂と呼ばれていながら実は正八角形の建物です。不思議です。淡い桃色の煉瓦でできており、非常にかわいらしい概観です。今から4年前、煉瓦のモデュールの調査をさせていただきました。とても精度の良い煉瓦で造られています。
 この煉瓦は宇部の大正期の歴史の中でも重要な技術として知られている「桃色れんが」という煉瓦だそうです。通常の赤煉瓦は粘土を焼いてできておりますが、この桃色れんがは工場の産業廃棄物(スラグ)を利用した、無焼成のいわゆる日干し煉瓦です。北九州の八幡製鉄所でも大正時代にこのような煉瓦が生まれたということをその後の研究活動の中で知ったのですが、その煉瓦はなぜか青いんですよ。使う産業廃棄物によってかなり色合いが違うんですね。
 このれんがの作り方は、しっかりと宇部市の方が受け継ぎ続けていらっしゃっております。私も数年前、桃色れんが作りのワークショップに参加させていただいたことがあります。NPO琴芝ふぁんくらぶの方たちが主催された、宇部の桃色れんがを探索しようという、子供たちの生涯学習や街の人たちの文化への意識を高めてもらおうという行事でした。住宅地の細い路地にひっそりと残っている桃色れんがの塀を探して、宇部の街を歩いて回りました。私もこんなところは入ったことないなあという道を歩き、懐かしく穏やかな気持ち、また何があるんだろうというどきどきするような気持ちで、非常に有意義な1日を過ごさせていただきました。
 この六角堂は実はとんでもないところに建っております。なんと坂道のど真ん中に建っているんです。車が通るのも大変なくらい(大型の車は必ずこすると思うのですが)です。写真で言いますと、車は左側しか通れません。右側は二輪車専用といった感じです。これは、この建物の保存問題と絡んでいろいろとあったそうですが、現状のままここに残そうということでこのような状態になっているそうです。とても強い存在感を感じます。・・・でもちょっと車がこすった跡が痛々しい。ちなみにここは高台で宇部の夜景がきれいに見えるスポットとしても地元では有名だそうです。



さて、次は坂を駆け下りてさらに煉瓦造を探します。

宇部紡績株式会社 煉瓦塀
 宇部は明治から大正時代にかけて炭鉱・鉄工・電気・鉄道・セメント・窒素工業など、さまざまな産業が発達した場所ですが、もう一つ紡織(紡績)産業も発達しておりました。それが大正7年に創業した宇部紡織株式会社(後の宇部紡績株式会社)です。昭和に入ると戦時中の経営悪化で最終的には海軍の工場施設となりました。
 私が研究室の皆と煉瓦の調査に来た際には廃屋となった工場跡に長い煉瓦塀がどーっと続いているだけの状態でした。写真はそのころのものです。工場は相当大きなものであったようで煉瓦塀も敷地一周を取り囲むような形で残っておりました。さらにびっくりしたのは隣に立っている宇部市立図書館はなんとその煉瓦塀を一部建物の内壁に取り込んでいたのです。指導教官の先生と、これはすばらしいねと図書館の中に入って煉瓦塀を観察しました。



その頃既に、工場後の敷地に県営住宅が建設されるということで、煉瓦塀の保存問題についての議論で、最終的に敷地内に煉瓦塀をモニュメントとして残すという結果になっていました。その構造調査で来られていた調査員の方が煉瓦塀のコア抜き(強度試験をするための試験体採取)をしていらっしゃったのを覚えています。
 長い長い煉瓦塀は、現在小さく切断されモニュメントとなったり、敷地境界の塀として同様に残されたり、ベンチの足だったか、いろいろと活用されているそうです。住民の方たちが実際に大正時代から残る煉瓦塀に触れて過ごすことができるなんて、うらやましいなあと思いました。


今日はちょっと昨日よりさらに自分の趣味に走りすぎたかなあと思いますが、この当たりで失礼します。
 明日は文化の日ですね。宇部中心市街地は「宇部祭り」で、出店が並びおそらく歩行者天国などもできて、たいそうにぎやかになることでしょう。常盤公園では野外彫刻展が開催されているようです。宇部は彫刻の街とも言われています。明日は社会勉強に、何か見に行ってみようと思うのですが・・・まだ分かりません。
では明日また。


posted by LJ21 at 19:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 山口県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月01日

山口県宇部市 山口大学 河原利江さん 1日目

はじめまして。山口大学工学部感性デザイン工学科というところで助手をしております、河原利江と申します。
初日ですし自身の簡単な自己紹介と住んでいる場所の紹介などをさせていただきます。

生まれも育ちも岡山県高梁市という所です。高梁市は、岡山県の中西部に位置し、県下三大河川の一つ高梁川が中央部を南北に貫流し、その両側に吉備高原が東西に広がっています。高梁市は、古来「備中の国」として中核を占め、近世では幕藩体制のもとに松山藩を中心として栄え、今日に至っているという・・・パンフレットのような紹介ですがこのような所です。
備中の国、松山藩にはその名のとおりの備中松山城というお城がございます。
よく備中高松城と間違われ、水攻めを受けたところ?と聞かれますが、現存する城の中では日本一高い所に建っている山城です。天守と二重櫓は残存していたのですが、最近大きな復元工事で、五の平櫓、六の平櫓などが復元され江戸時代の雄姿がよみがえっております。城も立派ですが周囲の山々を、城下の街や川の流れを、時間によっては雲海を見渡すことのできる眺めのいい場所でもあります。機会がございましたら一度おいでください。・・・といっても私は山口におりますが。



地元の紹介はこのぐらいにして、現在私は山口県の宇部市という周防灘に面した街に住んでおります。現在所属している学科の大学・大学院生活を経て助手となり、はや山口県に移り住んで9年目です。山口大学は人文・教育・経済・理・農学部は山口市に、工・医学部は宇部市にとキャンパスが分かれており、私も大学1年生のころは全学部共通教育を受けるということで山口市に住んでおりましたが、2年生から宇部に移り住みました。
それまで山と川しか知らない・・・というのは大げさですが、それぐらい海とは縁遠いところで過ごして参りましたので、宇部に住むようになって改めて海が近いなあ、港が身近だなあと感じていたのですが、最近では休日に車で海沿いをドライブするのが私の癒しとなっています。
工学部は常盤台という高台にございます。私はキャンパス内の総合研究棟という8階建ての棟におりまして、今朝はその8階のラウンジというオープンスペースから宇部の街並みを撮影してみました。最初は市街地方向です。手前が工学部、海際は宇部興産の工場群です。海を貨物船が通るのを見ることがありますが、私事ながら工場に円のある研究をしていることから、あああの船は九州方向へ行くのだろうか、関西だろうか、なんだか哀愁があるなあなどと、思いを巡らせることもあります。


次は湖方向です。これは常盤湖といってかなり大きいですが、なんと人造湖だそうです。江戸時代に村の領主が農産物の生産高を上げるために大きなため池を作ろうと計画したのが常盤湖の始まりだそうです。それにしても大きいですよ。一週歩くと2時間ぐらいかかりますかね。ペリカンのカッタ君のいる(いた?)場所です。
湖中央に見づらいと思いますが小さな神社もあります。あのあたりを歩いていると、はっと気がついて振り返ったときにつぶらな瞳のペリカン君が静々とついてきているかもしれません・・・。
春は桜が、夏は深い緑が、秋は赤く色づいた木々、冬はたまに降る大雪で真っ白に、春夏秋冬いろいろな景色を楽しませてくれます。


さて、私の所属する感性デザイン工学科は人間空間(建築)コースとメディア情報コースの二本柱からなる学科です。(ちなみに私はこの学科が新設されたときに1期生として入学しました。)私は人間空間コースに所属しておりまして、主には建築構造力学の演習や建築材料実験を担当しています。そう言えば先週の金曜日に材料実験でコンクリートの手練りの実習を行いました。セメントと砂・砂利・水をシャベルで混練し、写真のような試験体を作成しました。
なかなかきれいな試験体が完成しました。ミキサーで練るとなんてことはなく終わるものなのですが、体を動かして作成することを大切に考えています。



専門分野は・・・といってもまだまだ経験が浅く専門なんて言葉を使うのはおこがましいのですが、現在主に行っている研究活動は、日本近代の組積造建築物の保存に関する実験的な研究を行っています。もともと、歴史的な建築物に興味があり、どんな構工法で、材料で造られているのかを知りたいという気持ちから、歴史の研究室ではなく、材料の研究室に入ったところから今の私が存在しています。そして研究テーマとして、宇部市の隣にある小野田市に残存する旧小野田セメント製造会社(現太平洋セメント株式会社)の煉瓦造セメント焼成用竪窯「徳利窯」の保存事業における、保存調査・保存材料選定実験に出会ったことをきっかけとし、セメント製造にかかわる歴史、煉瓦造の歴史、当時の煉瓦や目地そのものの材料の性質などを解明するための研究に従事するようになりました。(この徳利窯については後日紹介いたします。)ですので現在はソフトの歴史とハードの材料という分野の間でうろうろ〜っとしている毎日を送っています。若造が何をなまいきにと思われるかもしれないのですが、どちらかに偏りたくない、ハードな物事に面した時にその奥に隠れたソフトな部分、地域・文化・歴史・人の動きや気持ちを少なからず見出すことはできないかと思っています。

ちょっと抽象的なお話で終わってしまうのですが、本日はこのようなところで初日を終えたいと思います。明日は大学を出てみたいと思います。
最近の台風や温度上昇・低下の異常気象で、わが大学の桜の木は「狂い咲き」しております。桜も空気を感じて大変ですね。



posted by LJ21 at 19:20| Comment(6) | TrackBack(0) | 山口県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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