2005年12月15日

岩手県盛岡市 高橋慶子 3日目

南部杜氏の里
 私の職場は盛岡市ですが、居住地は石鳥谷町というところです。宮沢賢治の故郷として有名な花巻市のお隣で、毎日ここから電車に30分乗って通勤しています。今朝の石鳥谷駅のホームは雪が積もっていました。
 石鳥谷町は「南部杜氏(なんぶとうじ)の里」として知られています。“南部”は南部藩、“杜氏”はお酒を造る職人さん(の長)のこと。石鳥谷町には、夏場は農業をし、冬になるとお酒を造るお父さん・おじいちゃんがたくさんいます。そうした人達の多くが、地元ではなく全国の酒造りの現場に出張していきます。つまり“出稼ぎ”です。私が小学生だった頃、冬になると必ず「出稼ぎに行っているお父さん・おじいちゃんへ」というテーマで作文(というか手紙)を書かされました。普通のサラリーマン家庭に生まれてしまった私は、手紙を書く家族がいないのが残念でならず、友達のお父さんやおじいちゃんあてに手紙を送っていました。



“生活工房 サスティナ・かや”のおかき
 未来図書館の監事をお願いしている平佐興彦先生は、岩手大学の先生をしていらっしゃいましたが現在は退官され、息子さんと一緒に様々なお菓子を作っています。毎月の理事会に必ず「おかき」をお土産として持ってきてくださるのですが、これがと〜ってもおいしい!昨夜の忘年会に持ってきてくださったので、本日のおやつとなりました。
 このおかき、ちょっと固めの食感といい素朴な味といい、食べ始めるとやみつきになってしまいます。世の中には“無添加”とか“無化学調味料”などの食品が出回っていますが、このおかきには、そういう言葉を当てはめるのがなんだか申し訳なく感じられます。うまく言えませんが、圧倒的に大きい自然を前にして「環境保護」を言うときの違和感にちょっと似ているのかな。そういう価値ではなくて、丁寧に作るお菓子ってこういう味がするんだな、こんな風に出来上がるんだな、そんなことを感じてしまうおかきです。そして何よりおいし〜い♪HPは開設されていないとのことですが、関連するHPを見つけました。



未来図書館のミーティング
 来年度の事業をどうしようかということで、ミーティングを行いました。未来図書館は私を含めて5人のスタッフがいます。代表の久保さん(男性)はもとはIT企業の経営者、右側の恒川さんは高校の家庭科の教師、山田さん(左から2番目)はマスコミなど様々な仕事を経験し、大山さん(左端)はアメリカの大学院を卒業されたあと東京の会社に勤めていたのだそうです。私はもとは公務員です。なんてバラバラな経歴なんだろう(笑)それが未来図書館の強みと言えば強みかな。
 バックグラウンドが違うので共通言語を見つけるまでに時間がかかることもありますが、違うゆえにスタッフで話をするのは面白いですね。今日はたっぷり1時間以上かけて、来年度のキャリア教育はどういう風に進めようかとあれこれ話し合いました。



デスクワーク
 ミーティングのあとは未来図書館の事務所に戻ってデスクワーク。デスクワークとは言っても体も使います。今日は、週末から始まる「子どもしごと展」に向け、掲示用のポスターを手作りしました。
 「世界のポスト」というテーマで作ってみましたが、世界中のポストの色っていろいろなんですね。びっくり。赤が主流と思いきや、黄色が多いことが今日の発見でした。やっぱり街で目立つことが大切なのかな。



読書
 往復の通勤電車は大切な読書の時間です。朝の電車では新聞を、帰りの電車では本を読むことを日課にしています。この間までは村上龍さんの本を読んでいましたが、今日からは夏目漱石さん(さん付けはおかしいですね)の本を読むことにしました。
 人との出会いと同じで、本との出会いもなんだか不思議だなあと感じてしまいます。これはちょっと読めないな〜と思って素通りしていた本が、ある日突然、「読んで読んで!」と言っているように見えるんです。昨日の本屋さんでは、この「草枕」くんに呼ばれてしまいました。

同級生
 帰りの電車に乗ろうとしたところで「慶子!」と呼ぶ声が。見ると中学時代の同級生でした。同級生って一瞬にして時間を飛び越えますよね。帰りの電車の中は、中学時代にタイムスリップした私たちが、尽きない話題で盛り上がりました。
 ということで、夏目漱石さんは明日からスタートすることとなりました。





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2005年12月13日

岩手県盛岡市 高橋慶子 2日目

本州最東端・宮古市
 今日は朝から宮古市に出張です。北海道のみなさまにはかないませんが、宮古市は本州の一番東端に位置しているのだそうです。太陽を一番先に見ることができる、なんだか羨ましいところです。
 盛岡から宮古まではバスで移動。「106急行」というシンプルな名前で、地元にとっても愛されている(と私は思っている)大切な乗り物です(ちなみに国道106号を走っているバスなのです)。所要時間は約2時間。盛岡を出るときには雪が積もっていましたが、宮古に着くと雪は全く見あたらなくていいお天気(思わず車の中から写真をパチリ)。こんな時、岩手は広いなあ!と実感します。

キャリア教育
 私が属している未来図書館では今年度、「キャリア教育」なるものに取り組んでいます。キャリア教育…正直、今ひとつピンとこない名前ですが、子ども達が社会に触れることで「働くこと」を前向きにとらえ、自分が将来やりたい仕事を子どもの頃から考えるようにしよう、とまあ、そんなことを進める取り組みです。今日は県立宮古商業高校の3年生を対象に、このキャリア教育の授業を行う日なのです。


しゃおしゃんの前田千香子さん
 本日の講師は前田千香子さん。盛岡市材木町で、「しゃおしゃん」という中国茶のお店を開いていらっしゃいます。そばにいるだけでとっても暖かい気持ちになれる、大きくてゆったりとした、私の憧れの女性です。
 
お茶の味は入れる人によって変わる
 講義はちょっとした実験から始まりました。受講生から選ばれた男の子1人、女の子1人、そして前田さんの3人がそれぞれお茶を茶碗に注ぎます。予め前田さんが入れきたお茶を茶碗に注ぎ入れるだけの簡単な作業です。幸運にも試飲係に任命された私は、3つのお茶をいただきました。すると…3つのお茶の味が違うんです。男の子が注いでくれたお茶はなんだか力強く、女の子が注いだお茶は優しく、前田さんが注いだお茶はすっきりとして飲みやすい味がしていました。
 前田さんは言います。「お茶は入れる人によって味が変わります。そのときの気持ちの状態によっても変わります。みなさんが入れるお茶の味は1人ひとり違うはず。…私はいつも、おいしく飲んでもらえるように気持ちをこめてお茶をいれるんです。」



無理をしないこと。自分を大切にすること。
 それから前田さんは、お茶のお店を開くことになったいきさつなどを中心に、様々なメッセージを高校生に伝えてくれました。「自分の心や体が壊れるまで我慢することはないですよ。無理をしてはダメ。態勢が整わないなら整うまで待てばいいんです」「自分を大切にしてください。自分を一番愛してあげられるのは自分なんです。自分を大切にしなければ他の人も大切にできませんよ」「皆さんはこれから様々な会社に就職するでしょう。だけどもし、この会社にいると自分が壊れてしまうと思ったなら、思い切って変えてみることもいいと思います」…前田さんのお話は、高校生の皆さんにしっかり伝わったようでした。一番後ろで聞いている私も、前田さんの珠玉の言葉の一つひとつに、ジーンとなってしまうのでした。


平井さん
 帰りの106急行で、宮古市の平井教育委員長さんに偶然お会いすることができました。同僚から「とても教育に熱心で、謙虚で、親しみやすくて、本当にすばらしい女性」と聞かされていましたが、実際にお会いしてみるとそのお人柄が表情にもにじみ出ていらっしゃいました。素敵な女性が世の中にはたくさんいるんですね

 それにしても人の縁は不思議。帰りのバスでお会いできるなんて、ほんと、神様に感謝しなくっちゃ、ですよね。



総会と忘年会
 夜は未来図書館の総会と忘年会が開かれました。来年はどうしようか〜なんてまじめに話していたのは最初の15分だけ。あとはよもやま話で収集がつきません。忘年会ですもん、当然ですよね。今年もいろんなことがありました〜なんて話しながら、ほろ酔い気分で一日が終了しました。



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2005年12月12日

岩手県盛岡市 高橋慶子 1日目

みなさまこんにちは。NPO法人未来図書館の高橋慶子と申します。岩手に暮らしています。

今朝の盛岡はマイナス9.7度。とてもよく晴れた、気持ちの良い、キーンと冷えた一日でした。
冬は、青空がのぞく日ほど気温が下がります。こんな日は空気がとても澄んでいて、雪をかぶった遠くの山々が街の中からハッキリと見渡せます。
こんな朝は、足をとめて遠くの山々を眺める人たちをよく見かけます。忙しい朝の通勤時間、職場に向かう通いなれた道の途中で、よく見慣れた景色にほうっと見入る人達の姿には、なんだか私がほうっとさせられます。

今日はデジカメを持っていないので(ごめんなさい!)、今週のうちにはきっと、この美しいその景色をみなさまにお裾分けしたいと思っています。ご期待くださいね。


ローカルジャンクション21の浦嶋さんとは、今から5年ほど前、当時岩手県の大船渡地方振興局が実施していた「地元学」の事業を通じて知り合いました。それ以来のご縁で今回こちらに登場させていただくこととなりました。
一週間どうぞよろしくお願いいたします。


私が働いているのはNPO法人“未来図書館”。素敵な名前だと思いませんか?私が名づけた訳ではないので、堂々と自慢できるのですが…(笑)。
名前の由来は「未来をつくる図書館」という一冊の本。この本には、図書館というのは単に本を無償で貸し出すだけの施設ではない、図書館は膨大な知識や情報が集積している「知のインフラ」であり、その情報を発信すれば世の中がもっと面白くなるはずだ!というようなことが書かれています。
未来図書館は、世の中にたくさんの情報を発信していく存在になりたい!特に、子どもたちに社会のありのままの姿を感じてもらえるような情報発信基地になりたい!そんな思いをこめて名付けられたのだそうです。

今日はデスクワーク中心の一日となってしまいましたが、明日からは外回り中心の毎日が始まります。
未来図書館の活動を中心に、岩手での暮らしをご紹介していきたいと思います。

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2005年04月30日

岩手県江刺市 及川純一 7日目

4月30日(土)晴れ

 今日は朝から田圃に出て肥料散布です。(右の写真は田圃から我が家を見た所)
 イネの苗も出そろって、青々としてきました。16日に種を蒔いたのですが、やっと安心して見られるくらいに成長しました。我が家の苗の管理は、84才になる父親が主に行っています。私が設計業などをやっているものですから朝晩しか農作業が出来ませんので、代わりにやってくれます。ありがたいことです。
 時々「いつまでやらせるつもりだ。早く引退させろ」と叱られます。本心は、元々農業一筋で頑張ってきた人なので、係わっていたいのです。いまだに農業について勉強していますので、頭が上がりません。感謝の意を込めて夕飯時に、コップ酒を進めます。息子に酒を勧められるのがうれしいらしく、相好を崩しながら私と付き合うのです。
 母が逝ってから10年近く立ちますが、昼間父だけが家に残っていますので話し相手もなく寂しいとは思います。ですからせめて僅かな時間でも父の話を聞こうと思うのです。幸い呆けの兆候は見られないので、もう少し親不孝な息子でもいいかなと考えてます。さっぱり駄目な息子だと思わせることが、長生きさせる一つの方法でもあるのかなと思っています。


世間では好天に恵まれたおかげで農作業がだいぶ進んでいます。既に代掻きを行っている人もいます。多分連休明けから田植えが始まるでしょう。我が家では5月中旬を目標に頑張っているところです。あくまでもマイペースです。

 さて、この一週間お付き合い下さいましてありがとうございました。「今週の私」というよりは「私の勝手な江刺紹介」で終わろうとしています。企画者の意図とちょっと違ったかなと反省してますが、せっかくの機会ですから最後まで紹介で終わろうと思います。
 連休の3〜4日には江刺甚句祭りが行われます。具体的な内容については市のホームページをご覧下さい。
 来年2月には江刺周辺の5つの市町村が合併し「奥州市」となる予定ですので、江刺市としては最後の甚句祭りとなります。また5日には人首町の祭りがあります。
 私はと言うと、この間はガラス館とオルゴール館の手伝いでレジを叩いているかもしれません。もし連休中江刺においでいただく予定の方は私に声をかけて下さい。江刺の魅力をお教えします。では私の手配写真を貼り付けて終わりにしたいと思います。


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2005年04月29日

岩手県江刺市 及川純一 6日目 丘陵地

4月29日(金)晴れ 強風 【みどりの日】

 夜半より風雨が強く、明け方になって雷雨でした。今日は隣の水沢市で火防祭が行われる日でしたので心配していましたが、8時頃には晴れてきました。また北上の展勝地でも桜祭りが行われる日だったようですが、昨夜の風雨で花びらが落ちてしまったのではないかとこれまた余計な心配をしてしましました。
 さて今日は私が住んでいる地域の紹介を少し。江刺は地形的に見ると中心市街地のある平野部と種山などのある山間部、そしてその中間地帯である丘陵部に分けることが出来ます。これまで平野部と山間部の話しをしましたので、今回は丘陵部について紹介します。
 丘陵部は北上山地が平野に落ち込む所であるため大変に起伏に富み複雑な地形をしています。かつては殆どが山林でしたが、昭和40年頃国策による開田事業が始まり開田化されました。遊びのフィールドが禿げ山になり、ブルで押され景色が変わっていきましたが、むしろその変化がおもしろくて喜んで遊んでいた記憶があります。


上の写真は江刺市藤里地区の俯瞰写真です。残存林は急斜面と神社仏閣及び屋敷林で開田化出来ない所です。7割近くが開田になったのです。
 この結果段々田が出現し、スカイラインが水平という人工景観も見られるようになりました。また、場所によっては水田面積より畦畔面積が多い場所も少なくありません。
 しかし、この開田により奥行きのある変化に富んだ農村景観が出現したと思っております。アップダウンのある道路や移動するたびに細かく変化する眺めは、最高だと自負しています。


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2005年04月28日

岩手県江刺市 及川純一 5日目 水車小屋

4月28日(木)晴れ
 
 人首の町から種山方面へ向かって行くと、中沢集落へ向かう橋が左に見えてきます。そこを渡って500mぐらいの所に中沢トコトン水車があります。
 この水車小屋は明治10年頃に大場梅三郎という水車大工が建てたものです。間口5間、奥行き3間の茅葺き水車小屋です。この水車小屋は浅倉平治氏から三浦久蔵氏に移り、主に三浦家が中心となって経営してきたものでした。
 この水車ではコメ・ムギ・ヒエ・アワなどが精製され、コメ・コムギ・ダイズ・キビなどが製粉されていました。この作業は女性の手で行われ、男性は運搬作業を行っていたようです。最盛期には24時間稼働もあったそうで、その繁盛ぶりが伺い知れます。しかし昭和40年には機械の普及に押されて受注が減り、立ち行かなくなってしまいました。そのためそれ以降休業の状態が続いていたのです。何年も放置されていたため、建物の傷みもひどくなっていました。それを見かねた市内の篤志家が自分の浄財で修復しましたが、受注もないため使用する機会を得ず再び放置され、廃墟に近い状態で残されていたのです。


そんな中、平成16年春に浅倉冨治氏の努力により保存会が結成され、米里地区有志によって再度復元されました。地区の人々は茅葺き作業を手伝ったようで、故老から作業の手順ややり方、コツなどを聞きながら葺き上げたと聞いています。この作業が地区の結束を高めたようです。今後水車をいろんな形で利用することで農村の暮らしを豊かに出来ると期待をしています。

 さて完成写真をご覧になってどんな感想を持たれたでしょうか。外見からはわかりませんが、この水車は初めから営業用に造られています。そのための工夫がたくさんあります。
 水車本体の位置を見て下さい。よく見かける水車小屋は建物の外に出ているはずですが、この水車は建物の中央寄りにあります。なぜでしょう。これは営業品目を増やすための工夫です。水車が外に出ていると利用する空間は片側だけですが、建物の中央にあると両方使えるのです。建設当初から篩い付きの石臼1基と米麦用の杵8基が設置されていました。それぞれを木製の歯車で連結して稼働させるという、往時としては他に例を見ない水車小屋なのです。


その造りを説明しましょう。水は中沢川から水路で導水します。水車手前で水路を約40°前後に傾けています。落水に加速を付け水車に当てることによって出来るだけ大きな水車を回そうとしているのです。
 水車小屋は水車によって二分されています。水車の左側には大きめの石臼があります。水車は写真の方角から見て反時計回りに回転します。それを木製の歯車で回転の方向を変え石臼を回すようになっています。しかも挽かれた粉を篩いが篩って完成品となります。縦の回転が横の回転に変わり、さらに前後に動くように工夫されているのです。
 水車の右側には精製と製粉用の杵と臼が8基あります。水車の縦の回転をそのまま直角に曲げ、杵を動かす軸に伝えます。8つの杵が同時に動くと軸に力がかかりすぎるので、8つの杵が一つずつ動くように微妙に調整されています。
 このシステムを実際に見たときの感動は忘れられません。人間ってなんてすごいんだろうと思いました。でも、もっと驚くことがありました。水車右側に窓があり、杵を動かす回転軸が見えます。かつてはこの回転軸が建物の外に伸びており、軸の回転を利用して外では製材も行っていたと言うことです。


水車を利用可能な限り利用して営業を行っていたのです。先人達の英知と努力を肌で感じました。

 今度は使われなくなった水車の話しです。
 実は私の親戚の家が中沢入り口近くにあり、やはり製粉の水車を回して営業していたのです。この水車がまたすごいのです。小学生の頃一度だけ見せられたことがあったのですが、いまだに忘れられません。
 ここの水車は人首川から取水し建物へ導水します。この水はそのまま建物の中に入り、滝のように落下するのです。その中には縦のタービンが2基、並んで設置されていました。水は渦を巻いて落ち込み、その勢いでタービンを回します。これを動力として製粉業を営んでいたのです。落水とタービンの回る音がものすごかったのを覚えています。最近いつ頃造られたのかを聞きましたが、大戦前だとか戦中だとかではっきりしません。戦後活躍していたことだけは確かです。現在は河川改修で導水路が使用できなくなり、使っていないとのこと。設備はそのままあるそうなので、もったいない気がしています。

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2005年04月27日

岩手県江刺市 及川純一 4日目 人首村

4月27日(水)快晴
 今日は中心市街地から離れて、山村の話しをしたいと思います。

 江刺市米里はかつて人首村と呼ばれていました。今でもまちは人首町、横を流れる川は人首川と呼ばれ人首という名が残っています。人首村と聞いて横溝正史の世界を想像した人もおられるでしょうが、名付けの理由におどろおどろしい過去を期待されても困ります。でも人の首と大いに係わりあることは事実です。
 坂上田村麻呂が征夷大将軍としてこの地にやって来たとき、抵抗したのが悪路王(大岳丸)です。やがて抵抗空しく処刑されてしました。その子人首丸は逃げ落ちて隠れましたが朝廷軍の知るところとなり、捉えられ斬首されてしまいました。若干15才の美少年だったと言います。今から1200年前の話しです。口伝では切られた首が空を飛び、近くの川に落ちて水を真っ赤に染めたと言います。それ以来、その川は人首川、まちは人首町と呼ばれtるようになりました。ただし、人首と書いて「ひとかべ」と読みます。
 私はこの地に親戚がいて小学校の殆どの休みにはこの地で遊んでいました。起伏に富み奥深い北上山地のはずれ、山ひだに抱かれるように集落が点在しています。入母屋の茅葺き屋根が典型的な山村景観を見せていました。子どもながらに美しいと感じていました。水が豊富で魚も多く、私は魚の採り方を教わりました。私の原風景を育んでくれた所なのです。
 



一方で非常に不思議な文化を持つ所でもあります。山村ながら都会の匂いがするのです。これがもう一つの魅力です。この魅力の形成には歴史が大きく係わっていると思っています。慶長11年に伊達藩となり南部藩との藩境として重要な場所であると共に、内陸と沿岸を結ぶ交通の要所であり宿場町として栄えました。
 また、金や銅を産出する鉱山がかなりありました。大野、小屋沢、古歌葉(こがよう)金山は平泉時代に発見採掘された物で近世まで採掘していました。当時の鉱山は公政不入の地とされ、一種の治外法権地域であったとされます。そのため多くの切支丹が流れ込み、鉱山で働いていました。伊達政宗は切支丹を容認していたしその家来である後藤寿庵は水沢で布教活動行っていました。そのため岩手県南には切支丹が多くいたと思われます。宣教師達も鉱山を巡って布教活動を行ったようです。
 明治期になると禁止令が撤廃されますが、この地にはロシア正教とカトリックの二つの教会がそれぞれ建設されていきます。小さな町の中にキリスト系教会が二つあったのです。ロシア正教は明治12年から布教が行われ23年に教会堂が建設されています。当時の信者は300名を越えたと言います。その後教会堂は二度も火事に遭い、現在は残っていません。明治40年のロシア革命以後急速に衰えて、信者も大正末には


120余となり現在は14名です。
 カトリックは明治17年に教会を建てています。38年頃フランスからアンジェラスの鐘を輸入し設置しています。以後戦後の一時期まで毎日、この鐘の音が山間に響き渡っていたことになります。わたしが小学生の頃は聞くことがありませんでした。
 文学との係わりも深く、宮沢賢治は「五輪峠」や「人首町」にその感想を残していますし佐々木喜善、草野心平、串田孫一も感想を文章に残しています。また、詩人佐伯郁郎はこの地で生まれています。

 人首村は蝦夷の文化を下地にしながら、平泉文化、宿場町に泊まる人々、鉱山で働く切支丹など多くの人々と彼らの持つ文化を受け入れてきたのだろうと思われます。山村なのに都会の匂いがする不思議な感覚は私だけの物なのかもしれませんが、このような歴史によって生まれ、育まれてきたものではないかと想像しています。
 人首村は現在も都会からの移住者を多く受け入れています。一つの集落の半分近くが移住者という所もあります。今度はこの人達によってまた新しい人首の文化が創られていくのではないかと密かに期待しています。
写真上:古歌葉集落
写真下:人首町並




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2005年04月26日

岩手県江刺市 及川純一 3日目 蔵の話し

4月26日(火)晴れ
 2日目の写真ですが、最初の物がガラス工房となる土蔵の曳き家風景、真ん中がガラス館内部、最後がガラス館(左)とガラス工房です。ガラス館は新築、工房は明治43年頃に造られた土蔵を無料でもらい受け改修しました。
 さて、今日は土蔵の話しです。江刺市の中心は岩谷堂地区で人口約1万人。市全体で3万4千人ですから約3割の人々が住んでいます。古くから物資の集散で栄えた商人のまちでした。当然土蔵も多く建てられていました。現在ガラス館を中心に半径500m以内に134棟の蔵が残されています。範囲をもう少し広げると200棟以上はあるでしょう。最近江刺は蔵のまちとして売り出していますが、川越や宮城県村田町のように店蔵が街並みを形成している姿とは大分違います。江刺の場合は家財道具を入れる文庫蔵が多いのです。そのため土蔵は敷地の奥に配置されていて、表通りからは殆ど見えません。どこに蔵があるのと怒って帰られる方もいるでしょう。でも、路地裏にはいると土蔵が並び、懐かしい空間が広がっています。
 江刺は明治37年から39年にかけて5回も大火に遭遇しています。延べ1400棟もの住宅を焼失しています。現在残っている土蔵の殆どがこの後に造られています。県南の花泉町の土蔵は狛犬が逆立ちしていたりレリーフで鶴亀の模様があったりと豪華ですが、江刺の土蔵は至ってシンプルなデザインです。土壁のみあるいはなまこ壁に漆喰仕上げが殆どですが、財力のある人でもせいぜいなまこを屋根の下まで立ち上げる程度です。これは連続の大火で建設費が不足したか、早急に建設する必要があったか、あるいは文庫蔵と言うことで奢侈に造る必要がなかったことによるものと推測します。いずれ、このことがシンプルで清楚な美しさを持つ土蔵の造られていった理由でしょう。


土蔵はそれぞれの役割を持って造られます。店舗用の店蔵、家財道具を収納する文庫蔵、酒などの製造に使う工場蔵、商品を収納する倉庫蔵、穀物を入れる穀物蔵などがそれです。ただ穀物蔵は板蔵の場合が多いです。しかし、蔵は現代生活になじまないと考える人も多く、その役割も時代によって変わってきています。代が変わるたびに商売の縮小、商売替え、廃業などになると蔵は最終的には空き蔵となり、邪魔者の扱いになってきます。勿論蔵の重要性を認識する人もいますが、出来れば壊したいと思っている人も多いのです。
 江刺商人の誇りであり文化の象徴である土蔵はこのままでは消滅する恐れがあります。中心市街地はそもそもそのまちの文化の発信地であり、まちと周辺農村部を結びつける核で遭ったはずです。その核を失ったまちは果たして10年後100年後に世に誇れるまちとして存在できるのでしょうか。自分たちの生き様こそが歴史を作り、その歴史が宝となり、誇りとなるのでしょう。文化としての土蔵を新しい視点から見直すことが必要だと考えます。



江刺の蔵は新しい物でも築後100年は経っています。従ってどんな蔵も傷んでいます。この補修も個人の力ではどうにもならないのが現状です。また、現在の持ち主は老夫婦や独居老人である場合が多く、そろそろ代替わりになります。子供達は都会で暮らしている家庭が多く、世代交代によって蔵が残らなくなる可能性があります。価値観の違いや修理にかかる費用の問題から江刺の蔵の風景は無くなることもあるかもしれません。
 蔵のある風景を残して行くためには、蔵を継続的に残していく法的、資金的、技術的、人的システムの構築が望まれるのです。


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2005年04月25日

岩手県江刺市 及川純一 2日目

4月25日(月)花曇り
 今日は大忙しの日で、肝心の仕事が出来ませんでした。朝8時半、自治会の仕事で地区センターへ。9時半頃出勤し、その後銀行へ。何せ一人事務所のため何でもしなければなりません。11時から黒船のアルバイトの面接立ち会い。午後2時、みずさわ地元学懇談会出席。昨年から委員として参加してますが、ここで浦嶋さんと知り合いました。午後7時半から黒船役員会。もう始まってますが、これを終えてから出席します。
 さて、今日は江刺のまちづくりについて紹介したいと思います。
 「えさし」と聞いて北海道かと思われる方が多いと思います。自分の生まれた場所の知名度が低い。これは自信喪失に繋がります。これを払拭して子や孫の代に自信のもてるまちを残したい。これが我々のまちづくりの原点です。この思いは同世代の共通認識としてあり、東北新幹線「水沢駅」に江刺を入れさせ「水沢江刺駅」にし、NHK大河ドラマ「炎立つ」の放映決定と同時に平安のテーマパーク「えさし藤原の郷」を建設する原動力となりました。
 しかし、「藤原の郷」にお客が来ても中心市街地には来なかったのです。この現実が我々の視点を変えました。中心市街地を守らないで文化を誇れるまちと言えるのだろうか。まちを調べていく内に土蔵の多さに気づきました。その土蔵は道路拡幅や価値観の変化で簡単に壊されつつありました。この土蔵を何とか残したい。しかも使いながら残したいという思いが湧き上がってきたのです。


仲間11人で民間のまちづくり会社黒船を立ち上げ、滋賀県長浜の黒壁の協力を得ながらガラス館、ガラス工房(土蔵を曳き家し改修)を造りました。その後キンコン館、オルゴール館と土蔵を集積しながら店舗に改修していきました。
 済みません。催促の電話が入りました。これから役員会に出席です。
 続きはまた明日。


また


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2005年04月24日

岩手県江刺市 及川純一 1日目

4月24日(日)快晴
 初めまして。今週お世話になります及川です。
 まず簡単に自己紹介。1952年生まれ。つい最近53才になりました。農業系の大学を出た後、電鉄系の建設コンサルタントに勤務しておりました。しかし都会の生活になじめず、妻と実家に戻ったのが26年前のこと。8年間の専業農家を経て、ランドスケープの設計事務所を立ち上げ現在に至ってます。現在も水田を作りながら農村生活にどっぷり浸かっています。
 また、7年前から江刺のまちづくり会社黒船の設立に参画し、まちづくりの実践を行っています。この辺の話しは日を改めてしたいと考えています。

 さて、今日は朝から川にある頭首工に向かいました。実は今年度からある水利組合の組合長になってしまいまして、本日は水揚げの日だったのです。役員6名で頭首工から約7kmの水路を水と一緒に歩きました。途中、水路のゴミを上げたり支線の止め板の確認をしていくわけです。農作業は種まきが終わり、田堀り作業が始まった段階です。まだ田圃に水を必要とはしませんが、準備をしておく必要があるわけです。平年に比べ農作業は遅れ気味ですが、水揚げは例年通り実施しました。



今日は日差しがポカポカと暖かく、ウメやコブシが満開です。サクラが六歩咲きと言う状況。雑木の芽も少しずつふくらみ、春らしくなってきました。歩きながら水路の土手や山際にキクザキイチリンソウ、カタクリなどの花を見つけるたびにうれしくなりました。
 突然カモシカとはち合わせ。お互いびっくりしてしばらくお見合いしていましたが、彼(彼女?)は悠然と崖を登っていきました。私は写真を撮ることを忘れていていたので、今回には載せることができません。残念!。
 水路の半分はコンクリート水路ですが、土側溝の所も半分ぐらい残されています。その部分で魚類を探してみましたが、全くいませんでした。いたのはザリガニ一匹のみ。この原因は秋から春先まで水路に水を流さないことが一番の理由です。次にコンクリート水路にしてしまい生き物が住めないようにしてしまうこと。私が子供の頃はフナ、ドジョウ、ナマズ、ウナギなどかなりの種類が生息していました。
 孫にはホタル狩りをさせたいと言いながら、コンクリート水路化を進めているのが今の農村。農業技術の変化と、自然環境のあり方がもっと議論される必要があるし、農地の生き物調査をして状況確認をする必要も感じた一日でした。


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2004年12月19日

岩手県 紫波町 佐藤 美津彦 7日目

■稲荷街道を行く(六) [安倍道と鎌倉街道]

 ●安倍道
 今日、鎌倉へ行ってきた。
 高徳院(大仏)と鶴岡八幡宮に寄ったが、鶴岡八幡宮は源頼義が前九年の役で奥州の覇者であった安倍一族を討ち滅ぼしての帰りに祀ったものといわれている。
 その頼義から数えて五代後の頼朝によって後三年の役のあと100年に渡る栄華を誇った奥州藤原氏が滅んだ。頼朝は現在の地に八幡宮を移し、今の形の基礎を築いている。その奥州に住むものとして心中は複雑だ。
 7・8年前に「安倍道」を歩いた。
 「安倍道」とは安部一族が拠点とした衣川の柵から厨川の柵(盛岡市)を経由して北へ延びる軍事用道路である。前九年の役の際の敗走に使ったことから「安倍の逃げ道」ともいわれている。
 歩いたのは町内にかかる分だけだが往時の佇まいを残す部分はごく限られていた。それとても本当にそうかは知る由もない。その道筋は一筋ではなく網の目状に入り組んでいる。我が家の東150mほどのところにも南北に走る道跡が残っている。さらに5qほど東に進むと「鎌倉街道」跡がに平行するように走っている。これらのことは平成6年に盛岡タイムス社が出版した「安倍道を探る」(佐島直三郎著)が詳しい。
 
 ●義経の弓
 八幡宮の宝物殿に入ると源平合戦の屏風絵に屋島の合戦における「義経の弓流し」の図があった。
 安倍氏の滅亡から120年ほど下って藤原氏(基衡)は義経を匿ったとして頼朝に討ち滅ぼされるが、その義経は16歳の時にも金売り吉次の手配で先代の藤原秀衡を頼って奥州に下っている。その際に紫波町赤沢の地にしばらく滞在し騎乗や弓術をの訓練を受けたのではないかという説があり、その時に使ったと思われる弓一張りと矢数隻も現存するという。根拠のないこととして一蹴するには惜しい話である。
 かつての源頼義・義家VS安倍頼時・貞任、源頼朝VS源義経・藤原基衡という奥州と鎌倉の対立の構図は奥州における敗者の歴史でもあった。来年のNHK大河ドラマは「義経」である。その因縁深い鎌倉に義経の残像を訪ねたところで稲荷街道の全行程を終わりたい。



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2004年12月17日

岩手県 紫波町 佐藤 美津彦 5日目

■稲荷街道を行く(五) [ 志和稲荷神社・志和古稲荷神社 ]
 
 ●志和両稲荷とお祭り
 武田家住宅を出て1qほど下ると稲荷街道の終着点、志和古稲荷神社と志和稲荷神社にたどり着く。200mほどの距離を置いて二つの稲荷社が並ぶ例は他に知らない。両稲荷の関係は寡聞にして知らないがたぶん無関係だと思う。
 小さいときに耳した呼び方は「おいなりさん」と「こいなりさん」であったから、しばらくはてっきり「大稲荷」と「小稲荷」だと思っていた。いつの間にか「こいなり」は「ふるいなり」と変わっていた。
 春と秋の例大祭には参道の両側を露店が埋めて大いに賑わった。昭和30年代中頃はまだ1円札や10円札が流通していたように思う。参道の入り口付近には白い着物に軍帽を被った人達が数人、アコーディオンやハーモニカで哀愁を帯びた物悲しい楽曲を演奏していた。ふと足元を見ると松葉杖をついている人の片足がないことに気付き、見てはいけないものを見てしまった後の居たたまれない気持ちに襲われた。その人たちが「傷痍軍人」と呼ばれる人達で演奏していたのは「戦友」という軍歌であったことを知るのはもう少し後になる。
 その頃、僕の祖母は「敬神婦人会」という女性の崇敬者組織の何かの役をしていたが、お祭りには境内に常設した小屋で仲間数人とそば売りをしていた。遊びに行くといつも支那そばをごちそうしてくれた他に50円をくれた。穴の空かないやつだ。毎回だと悪いかなと思い始めるとなかなか立ち寄る勇気が出なくて、少し離れたところで遊んでいて呼ばれるのを待っていたりする素直じゃない子どもだった。今はそうでもないが。その祖母は僕が就職して2年目に大往生を遂げた。



●水けんかと山王海ダム
 さて、稲荷街道はここで終点となるが、道はさらに山ひだの奥へと続き、ついには山王海ダムへ至る。ここはかつて山王海の集落があり分教場も置かれていた。周辺の沢を集めた流れは滝名川となって麓に下り、志和稲荷前で二筋に分かれる。一つは滝名川本流として旧八戸南部領(志和、片寄、赤石(一部)地区)の農地を潤し、もう一つは高水寺堰として旧盛岡南部領(水分、古舘、日詰、赤石(一部)地区)へと流れる。
 しかしひとたび旱魃に見舞われると、水田面積に比べて水源の流域面積が小さく降雨量も少ないことから、深刻な水不足に悩まされ、用水をめぐって熾烈な水争いが長い間繰り返されてきた。
 「志和の水けんか」といわれ、記録に残るものだけで36回に及び天保4年、天保11年、慶応元年、明治33年、大正13年の水争いは、死者を出すほどの大騒動に発展し代官所も手が出せなかったという。
 水けんかはまず両陣営からの投石合戦から始まったらしいがその際の石礫により参道入り口にある狐の石像はことごとくその耳を欠いている。
 ちなみに「須川長之助物語」には長之助が水けんかの始まる直前に植物採集の旅に出たため村の人から大いにそしりを受けたというような記述がある。
 昭和27年に完成した山王海ダムは当時東洋一のアース(土堤)ダムといわれ、これにより長い間繰り広げられてきた水論(水けんか)の歴史にもに終止符が打たれた。
 三十数戸あった山王海の集落は先祖伝来の土地を離れ、麓への移転を余儀なくされたが、ダムの完成後も水没を免れた数戸は土地を守るために残ることを選択した。それにともない山王海分校は存続したが、それも昭和41年で幕を閉じた。
 祖先の霊が眠る土地を離れるということがいかほどの思いであったのだろうか。こうした先人の思いに支えられて現在の我々がいる。




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2004年12月16日

岩手県 紫波町 佐藤 美津彦

■稲荷街道を行く(四) [ 温泉保養公園、東根山、武田家住宅 ]

 ●温泉保養公園
 水分神社から稲荷街道に戻り、さらに南に下ると左手に洋梨畑が広がり、その先には紫波町の全景が展開する。まもなく右手に温泉保養公園が見えてくる。ウォータースライダー付きの温水プールと併設した温泉である。「ラ・フランス温泉館」と名付けられたが、この辺一体が洋梨畑でありその一角に建てられたことからその品種に由来している。
 後背地に後から建てられた「ホテル湯楽々」やテニスコート、多目的芝生グランド、さらには南側に隣接するデイサービスセンターを併設した“保養施設「ききょう荘」”、ゲートボールコートと一体となって温泉保養公園を形成している。
 ふるさと創生事業で掘り当てたあづまね温泉を源泉としており泉質は低張性アルカリ性で肌に浸透する。いわゆる「美人の湯」とか「べっぴんの湯」とか呼ばれるものだ。確かに性別、年齢を問わずその泉質効果が期待できるようだ。



●東根山
 ホテル湯楽々の北側を真っ直ぐ山腹に向かう道がある。東根山(923m)への登山道である。名前の由来については、その山容が四阿に似ることからとか諸説あるようだ。 「こたつ山」とも呼ばれるそうだが水分から見るとそうは見えない。それよりは山頂から左にずっと視線を移動させると「ゴジラの首」に見える部分があることのほうが気に入っている。
 最近、東根山、矢巾町の赤林山、南昌山、盛岡市の箱が森などの山を「志波三山」として県立自然公園への指定を働きかけている。
ここで「志波」の表記に違和感をもたれた方がいるとすればすごい。通常使われるのは「紫波」か「志和」だ。「志波」は混合型だ。「斯波」というのもある。このことはポータル紫波のFAQで説明しているのでそちらに譲る。




●武田家住宅
 さらに500bほど行くと街道沿いに広い駐車場があり、その奥に茅葺きの豪壮な曲り屋が見えてくる。曲り屋は母屋部分と馬屋部分が鍵型に接続した南部特有の様式である。馬産地南部における馬を家族同様大事に扱おうとする馬への愛着が作り出した構造といわれる。紫波町指定建造物「武田家住宅」である。
 江戸末期の建築と推定され外観、間取りともほとんど手を加えておらず現存する曲り屋として近隣では最大規模のものと思われる。100坪を越える間取りは使用人部屋も有しており往時の繁栄振りが偲ばれる。もちろん遠野の千葉家(163坪)は別格ではあるが。
 母屋上座敷側(南側)の庭園も見事であり、周囲の環境が一体となった景観を有している。しかしその規模故の悩みを抱えている。茅葺き屋根の葺き替えに膨大な費用がかかる。昨年度は約800万円をかけて三分の一を葺き替えたが、残りは見通しが立っていない。
 我が家も曲屋である。建築年次は不明だが勝手に140〜150年と思っている。確たる根拠はないが隣接する土蔵に棟上げ式の際に使ったと思われる矢の形をした板が残っておりその裏に明治2年の文字が見える。これが母屋のものだとしても140年ということになるし、土蔵のものだとすれば母屋はそれ以上と推定されるからだ。
 昭和30年代前半にだと思うが母屋の茅の葺き替えをしたのを覚えている。近所の人たちが20〜30人ほど集まって(子供のことなので近所の人かどうかは分からないが今考えるとそう推測される)する作業は子供心にも高揚感を与えた。
 しかし、昭和30年代に馬屋部分を二階構造トタン葺きに改築した。さらに昭和40年代後半に母屋の茅葺き屋根の上をトタンで覆う方法により改修した。いずれも当時よく行われた手法であるが、この時期から茅葺きは減少し、いわゆる「結いっこ」のシステムも崩壊していったのだろう。茅葺き屋根の面積は建坪の倍、その葺き替えに必要な茅を育てるにはさらに10倍の面積が必要だという話を聞いた。茅場の減少も崩壊に拍車をかけている。
 曲屋の間取りで奇妙なことがある。座敷には大抵仏間があって裏側に外壁との間に半間の横に細長い空間がある。これはいくつかの曲り屋を見たが必ずあった。座敷の縁側の突き当たった脇から入るようになっているが単なる物置とも思えない。しかし、我が家のその空間に入るための部分は壁になっている。子供の頃には木の扉があったと記憶しているが、今は確かにない。
 昔、飢饉が日常だった頃、年老いた父や母を、不治の病にかかった子供を仏間の裏に寝かせてひたすら極楽往生を祈った、という話を読んだのか聞いたのか、あるいは想像したのか定かでない。楢山節考のラストシーンが脳裏をよぎる。
 あの入り口を封印したのは確かに父だと思う。誰かその理由を知らないだろうか。



●松本一里塚
 少し戻るが、ホテル湯楽々入り口付近に稲荷街道最後の一里塚が復元されている。


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2004年12月15日

岩手県 紫波町 佐藤 美津彦 3日目

■稲荷街道を行く(三) [ 水分神社(みずわけじんじゃ)と水 ]
 
 ●水分神社
 ビューガーデンの南側を、山の中腹に向かってまっすぐ一本の道が延びている。水分神社の参道である。道沿いの杉木立群が幽玄な雰囲気を醸し出している。



緩やかな坂道を10分ほど歩くと境内の手前左手に水汲み場が見えてくる。その奥に社殿があり、さらにその奥には清冽な水が湧出する水源地がある。



かつては灌漑用水として利用され早い時代から開田が行われたというが、昭和27年に山王海ダムが完成してからは灌漑用としての役割を終えた。
 今では水道用水として利用されるほか一部を前述の水汲み場に供給しているのだが、この水が名水として評判で盛岡市や近郷近在からもたくさんの人が水を求めてきておりその往来は絶えない。
 休みの日に行くと10台ほどの駐車場は常に満車状態で、途中の待避場附近も渋滞が珍しくない。
 我が家の水もここから引かれているが、それでも定期的にこの水を汲みに来ている。水道関係者からは「水道の水をしばらく放置して塩素を飛ばしてしまえば同じことだ」といわれるがどうも味が違う気がするのだ。気持ちの問題だといわれればそれまでだがやっぱり違うのだ。
 ちなみに水分地区に水道が引かれたのは昭和38年のことだが、それまではというと井戸から手押しポンプで汲み上げていた。鉄分が多かったせいだろうか、吐出口部分に濾過のために取り付けたガーゼが赤茶色になっていたのを覚えている。呼び水ということを体験したのもこの頃だった。
 母屋の前を流れる堰の脇に風呂小屋があり、その水を利用して風呂を沸かしたが冬場は雪が温度調整の役割を果たしていた。
 水分神社の名は全国に見られる。岩手県内だけでも知る限りでは三社ある。大方は、“みくまり”と呼ばれているようだが当地は“みずわけ”である。水配り(みずくばり)が転訛したものといわれているが、事実扇状地の高台に位置し麓の集落に用水を供給している例が多い。
 神社の由緒について触れるべきかとも思ったが諸説あり定かならざることと単なる資料の引用は本意ではないのであえて割愛するが、古から水の神様として崇敬を受けおり昭和30年3月まで存在した水分村の村名もこの神社に由来している。

 ●須川長之助(すかわちょうのすけ)[天保13年(1842)〜大正14年(1925)]
 その水分が生んだ植物収集家「須川長之助」について紹介しておきたい。(以下、一部紫波町史を引用)
 町内下松本の農家の長男として生まれ、19歳で函館に出稼ぎに行っている時、植物学者として世界的に有名なロシアのマクシモウィッチ博士に雑役として雇われた。
 博士から植物の種類、採集方法を教えられ、博士が外国人による制約のために出かけられない場所には代わりに採集に行くなど元治元年(1864)博士が帰国するまでの3年間あまり植物採取助手として博士の研究を助けた。
 博士の帰国後も全国各地に採集旅行を続け押し葉標本をロシアに送り植物分類学発展における陰の功労者となった。 
 博士の名付けた380種の植物の学名のほとんどは長之助の収集したものといわれている。後年、長之助の功に報いて12種類の植物に彼の名をとって命名された。代表的なものでは立山で採集した高山植物に「チョウノスケソウ」の学名が付けられている。




●おまけ
 今日の人物紹介は、会ったことのない人なので事務的になってしまった。反省。
 さて、無線ルータ(写真右)は何とか接続できたので、次はいよいよネットワークカメラ(写真左)の設定。でも今日は疲れたので続きは、あしたのこころだ〜っ。



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2004年12月14日

岩手県 紫波町 佐藤 美津彦 2日目

■稲荷街道を行く(二) [ ビューガーデンと藤原嘉藤治(ふじわらかとうじ) ]

●ビューガーデン
 鷹木資料館を出て、1qほど南に下ると右手上方に緩やかな斜面が開けてくる。東根山麓に広がるこの場所は、かつて藤原牧場と呼ばれ冬期間は子どもたちのスキー場として利用されてきたが、今は46,000uの広大な斜面をキャンバスに自然との共生を主題とした景観が展開し四季折々の草花や樹木が往来する人々の目を楽しませてくれる。葛、同園芸(瀬川勲社長)が平成12年に開設したテーマパーク「ビューガーデン」 http://www.viewgarden.com/index.htmlである。
 更に遡れば藤原嘉藤治が戦後間もなく入植して開拓した地であり、親交の深かった高村光太郎が「天然の舞台」と呼んで称賛した場所であったとか。
 開園期間は4月上旬から12月上旬の10時から日没までで現在は残念ながら冬季閉園中だが、来春4月1日から再会とのこと。お近くまでお越しの際には是非立ち寄られることを強くお勧めする。

●藤原 嘉藤治
 さて、前述の藤原嘉藤治を読者はご存じだろうか。ほとんどの方は初めて耳にされると思う。斯くいう私もさほど詳しいわけではない。小学生の頃であったろうか、父を訪ねてきた氏について後から「あの人は“かとうじさん”という人ですごい人だぞ」というような意味の話をされた記憶がある。その時は、変な名前だなと思った位で特に強い印象は残っていない。
 その嘉藤治は、明治29年(1896)この地(旧水分村小屋敷)に生まれ昭和52年(1977)この地で81才の生涯を閉じている。
 その生き方は、終戦を境に大きく変わっかに見える。
 戦前は、花巻高等女学校の音楽教師として赴任したおり花巻農学校の教師をしていた宮沢賢治と知り合い、以来無二の親友として交友を温め、賢治の没後は家族を引き連れて上京し、小学校教員や団体職員として勤務しながら二つの出版社(文圃堂・十字屋書店)からの「宮沢賢治全集」発刊に編纂者として尽力した。現在も賢治を語るうえで嘉藤治の存在は欠かせないものとして評価されている。賢治を理解しその思想を広めるための時代といえるだろうか。
 全集を完成させた嘉藤治は終戦直前に帰郷し、戦後は東根山麓に入植し開拓に身を投じた。嘉藤治は指導者として開拓農家の組織化に力を尽くし、農政に苦言を呈し、困窮にあえぐ開拓民に勇気を与え続けたという。その生き様は、信念の人であり、反骨の人であり、実践の人であった。賢治の思想を自分なりに昇華させ実践した時代といえなくもないと思う。
 そうしてみると、大きく変わったかに見えた生き方は、その底流では揺るぎのない大きな一本の流れとして完結していたのだと思えるようになった。
 父が生前に話してくれた「すごい人だ」という言葉は今、実感を伴って脳裏に蘇る。
 その自助・自立の精神は、時を経た今、まさに我々に必要なものとして問いかけられているような気がする。偉大なる先人から。

 ★嘉藤治に関しては、ビューガーデンのホームページhttp://www.viewgarden.com/event/katouji-top.htmに詳細な記録が公開されています。また紫波町広報紙「紫波ネット」http://up.kpc.jp/~shiwa/back/0412/index.html紙上においても“どっこ舎”舎主内城弘隆氏の執筆による「かとうじ物語」が10回シリーズで連載中なのでそちらもご一読いただければ幸いです。

 ●「かとうじ山こだまの会」 
 藤原嘉藤治を顕彰する活動を展開している「かとうじ山こだまの会」という団体があります。平成15年12月に設立されビューガーデン(葛、同園芸)の瀬川社長の奥様である瀬川正子さんが会長を、どっこ舎の内城弘隆さんが副会長に就任されています。会の末席を汚している関係から少しだけPRさせていただきます。
瀬川夫妻は嘉藤治を知らずにこの開墾地をビューガーデンの地として定めたということですが、その景観に惹かれたという根底には共通する思いがあったような気がします。会の設立以前から瀬川夫妻や内城氏を中心とした有志で顕彰活動が行われてきましたが、設立後も含めて6回のパネル展と3回の野外音楽会を開催しています。
着実に夢を実現していく姿には敬服するとともに大いに触発されるものがあります。



●おまけ
 さっそくルータの設定を試みた。A5版30頁の説明書はいかにも心許ない。目次を見るとフレッツ系とヤフー系の説明しかない。
 実は加入しているプロバイダはどちらの系列でもない。紫波町内の農事有線放送網を利用したADSLサービスを地元有志企業を中心として設立した潟tルーツネットが提供している。いわゆる地域密着型プロバイダである。有線というと飲み屋のBGMを思い浮かべる方がほとんどだろうが、こちらは有線放送電話なのだ。定時または緊急時に行政やJAからの音声放送が主機能であるが加入者同士であれば無料電話としても機能する。町内でフレッツサービスを提供できる収容局は2個所であるのに対して有線は7局ある。その分広範囲なエリアをカバーできるというわけだ。それに回線品質が良いことから速度も速い。
 それはさておき、説明書にはないが実際に設定画面を見てみると該当すると思われるメニューを見つけた。多少のやり直しはあったが1時間ほどで設定は終了した。さっそくブラウザを立ち上げるとややあっていつもの見慣れたサイトが表示された。大成功。
 電波の強さが「非常に強い」、「強い」、「中」、「弱い」、「非常に弱い」の5段階インディケーターで表示される。今はルータが設置された部屋なので当然「非常に強い」である。ノートの画面を開いたまま隣の居間に移動。「中」と「弱い」をいったり来たり。ちょっとがっかり。それでは一番離れた寝室へ。部屋のドアの前で「接続されていません」の表示が。おおいにがっかり。その後ノートを両手で恭しく掲げて家中をウロウロ。家人は怪しんでいるが無視。洗面所「弱い」、トイレ「弱い」、二階西側「非常に弱い」、二階東側「接続不能」、裏玄関の外、ここは重要だ。なにしろネットワークカメラの被写体の一つとして目論んでいた犬及び犬舎があるからだ。インディケーターはと見ると...「弱い」、よし合格。電波が弱いといっても802.11g規格なので最低12Mbpsは出るからネット利用には全然影響ないのです。だって、ケーブル接続でも5Mbpsがやっとだから。これってやっぱり悲しいこと?


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2004年12月13日

岩手県 紫波町 佐藤 美津彦 1日目

■稲荷街道を行く(一) [ 鷹木資料館 ]

山は東根 からりと晴れて
稲荷街道 荷馬車で行けば
駒もはずむよ 並木のかげに
ちらりほらりと ソレ紅だすき
※ほんに水分よいところ
 サレバソレ サレバソレ
 サレバサー サレバサー

 紫波町水分地区で歌われている「水分音頭」の一節です。
 「稲荷街道」とは、盛岡南部氏の居城である盛岡城(不来方城)から奥羽山脈東側を縁沿いに南下し志和稲荷神社(注1)に至る行程四里半の古道で、今も街道沿い四個所に一里塚が残っています。
 私が生まれ育った水分地区は紫波町の北西部に位置し、その西端を稲荷街道が縦貫しています。水分地区に含まれる約6qの道沿いに点在する見所と人物を紹介していきたいと思います。

注1 天喜5年(1057)、時の鎮守府将軍源頼義が社殿を再興したのを初めとし、平泉藤原氏の時代には樋爪氏が、正平年間(1346〜)〜天正16年(1588)までは斯波氏が、その後は南部藩主代々に亘り社領の寄進や社殿の造営を行った。

●鷹木資料館
 盛岡城址から旧国道4号線沿いに南下すること約4qの地点、川久保というところに塚跡がある。稲荷街道の起点であったという。ここから南西方向に約8q下ると途中赤林一里塚(矢巾町)を経由して山麓に行きあたる。和見の一里塚(矢巾町)である。ここから南下すると紫波町に入り、さらにしばらく行くと左手眼下に眺望が開けてくる。
 そこに戦後まもなく開拓のために入植した人たちが生活している田沢という小集落があり、その入り口に「鷹木資料館」の看板が見えるが、それらしい建物はいっこうに見あたらないため見過ごす人が多い。
 館主は鷹木孝三氏(79)、行動と情熱の人でありその言動は年齢を感じさせない。数年前まで栽培してきたタバコの乾燥室や作業小屋を利用した私設資料館である。受付や案内があるわけでもなく入館料をとるわけでもない。本人がいれば中を案内してくれる。人によっては「がらくた」としか見えない物や鑑定団に出したらあるいはと思われる物までかなりの点数が無造作に置かれている。最初は一人で収集を始めたらしいが、最近では近在の古い農家から家の新築や改築を機に持ち込まれる例も少なくないという。
 マスコミなどではしばしば取り上げられるが、実際に立ち寄る人は案外少ない。確かにふらっと寄るには勇気がいる環境ではある。人によって当たりはずれ感が強い。穴場ねらいの方にお奨め。



氏は切り絵の作者であり、笛・尺八の奏者でもある。
 居宅にお邪魔すると10年前から始めたという切り絵の作品が数十点額に納められて壁一面を埋めていた。
 始めた動機は60年前に遡る。大東亜戦争末期、青森連隊の中隊長付き従卒であった氏は、ある時中隊長が前任者に挨拶伺いする際のお供をしたが、その前任者の居間に飾られていた一幅の切り絵に目がとまり釘付けとなった。その時の感銘が深く心に残りいつか自分もやってみたいと強く思ったという。
 その思いが60年の時を経て、タバコ栽培から手を引くのを機に一気に噴出し、誰に師事するわけでもなく全くの独学で技術を身につけていった。素人芸の域を遙かに超えた作品の題材は、人物、動物、風景、建物と様々である。また、氏は笛を能くする。神楽や祭礼のお囃子、「獅子踊り」や「さんさ踊り」といった民俗芸能のお囃子から民謡の尺八までジャンルは広い。
 私の暮らす升沢という集落には「さんさ踊り」が伝承されてきたが40年程前に一時廃れた。それから20年近くを経て青年会を中心に復興の機運が高まり、復活に向けて氏に笛の指導を全面的に引き受けていただいた経緯がある。
 踊りは今も継続しているが笛の音色は追いつかない。私にとっては生涯の師匠である。





●自己紹介
 岩手県紫波町役場で情報政策を担当しております佐藤と申します。
 飲んだ勢いで気軽に引き受けた(朝田さんから)ようですが、結構これって重いかも。
 そうもいっていられないので、ネタを考えなきゃ。地元ネタかITネタか、やっぱり地元ネタだろうなぁ。でも気が向いたらおまけでITネタもやてみよう。
 ということで、今日のような形になりました。次の日(飲んだ)は手抜きがあるかもしれませんが(きっとある)その際には何とぞご容赦を。それでは一週間お世話になります。


●おまけ
 昨日、プリンタと無線ルータを買いにY電気に行った。予算は50,000円。プリンタはE社の複合機(35,000円前後)が目当てで行ったのだが、売り場でその製品を眺めているとE社の派遣社員(上着のロゴでわかる)が寄ってきて、あれこれ説明がはじまった。どうやら値段の高い機種(45,000前後)を勧めたいらしい。ちょっと辟易したので、いったん離れて隣のC社の売り場に移るとC社の派遣社員が寄ってきてあれこれ。「E社の同等機種とくらべてちょっと高いですね」(38,000円前後)、というとこの機能がどうとか、あの機能がこうだとか。E社の売り場に戻ると迷っているのを察したのか今度はY電気の店員が寄ってきた。「結局印刷品質はどのメーカーも大差はないですよ」、「あっても使わない機能にお金を払うことはないし、個人利用の場合スキャナーやコピー機能の利用頻度が決め手だと思います」といわれて妙に納得、C社の専用機(22,000円)で即断した。うーん、やっぱり第三者の客観的意見は傾聴に値する。
 次に、ルータ売りへ。ここには派遣社員も店員もいない。M社の最新ハイエンド機(21,500円)とc社の標準機(9,780円)で大いに迷った。値段が倍以上も違うのだが、M社の多機能に引かれてほとんど決めかけていた。速度的にはc社で十分なのだが、設定でつまずく場合が多いと聞いていたからだ。それにM社はハイパワーが売りで、部屋と部屋が離れている我が家には向いている。
 そこで決めれば良かったのだがc社の「ネットワークカメラ」(19,800円)の文字が飛び込んできた。前からやって見たかったやつだ。ホッ欲しい。M社のルータと組み合わせると完全に予算オーバー、無い袖は振れない。結局、c社のルータとネットワークカメラを衝動買いしてレジへ向かうとそこは長蛇の列。そうか、年賀状とボーナスのシーズンなんだとまるで人ごとのように思いながら帰路へ。
 そしてその道すがら「やっぱり複合機だったかな」とか「設定で泥沼にはまったら...ぅうっ」とか悩みは尽きないのでありました。


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2004年12月12日

岩手県 住田町 福島行我 7日目

■エコプロダクツ2004
 メールでの情報で気がついた。

 昨日まで「エコプロダクツ2004」が開催されていたようだ。来場者数は、約12万人。環境に対する感心の高まりを反映しているのだろうが、ともかくすごい人数である。

 そう言えば、ローカルジャンクションさんもエコプロダクツ展に関わると聞いていた。例のあの品は、宣伝していただけたのだろうか?

■FSC森林認証制度
 皆さんは、FSC森林認証をご存じでしょうか?

 熱帯雨林の乱伐が問題化した1980年代以降、欧米を中心に、森林破壊を排除して木材を供給するしくみが考案されてきた。その成果の一つが、森林認証制度である。

 WWF山笑会さんの言葉を借りると、FSC森林認証制度とは「適切に管理された森林を認証し、そこから生産される製品にマークをつけて市場へ流通させる仕組み」。
 FSCのロゴマークは、環境等を考えて管理した森を出所とする木材製品の証である。同時に、消費者の方がその製品を購入すれば、環境に配慮した森作りを間接的に応援することとなる。

 ※ 詳しくは、WWFジャパンホームページ「FSCの森林認証制度」をご覧下さい

 少々ややこしいのだが、森林認証制度は複数ある。FSC森林認証の特徴は、共通の制度が世界に広まっている点と考える。

 住田町でも平成16年3月、町有林と私有林の一部がFSC森林管理認証を協同組合さんりくランバー、三陸木材高次加工協同組合、けせんプレカット事業協同組合、気仙地方森林組合、住田住宅産業株式会社の5者がCoC認証(加工・流通過程の管理認証)を取得している。

■住田の森では
 環境のことを考えた森作り。FSC森林管理認証を取得するためには、様々な約束ごとを守らなければならない(WWFジャパンホームページ;森林管理のための原則と基準(仮訳)へ)。ちなみに、各原則にはもっと細かい具体的な約束事があって、第三者機関によって定期的に審査される)。FSC森林管理認証を取得した住田の森では、森作りの方法も変わり始めた。

 【写真は、スギの人工林。町有林の一例】

 例えば、チェンソーオイル。今までは、鉱物性のオイルを用いていたが、植物性のオイルに切り替えられた。川のそばでオイルを注ぐことも御法度である。
 人工林を抜き切りして、木漏れ日が差し込む明るい森を作る。土が雨で流れないように下草を生やすためだ。調査区を設置して、希少植物の有無をチェックして森作りに反映する。長期的な計画を立てるために森林のデータベース作りも開始した。森と川は深い関係で結ばれているため、川の水生生物を調査したデータも点検する。

 もちろん、森作りの担い手が環境を考えることは必要だ。しかし、そこには労力やコストがかかる。定期的な審査を受けるためにも費用を払わなければならない。


■日本の林業の今
 右のグラフを見て欲しい。昭和55年を100とした木材価格の推移である(名目価格、全国平均)。ここ約20年間で、丸太の価格は4割に、立木(伐られる前に、森で売買される木の価格)に至っては2割。物価の上昇も考えれば、森林所有者にとっては散々な状況だ。

 大手の木材需要に応じて大量に材を供給できない、乾燥材の需要に対応できない、外材に市場を占められている(日本の木材自給率は2割)など、原因は考えられる。

 あまりにも安すぎて、山の管理が行き届かないのに、さらに環境を考えるなんて・・・・日本の多くの森林所有者が抱く感覚だと思う。

 まま、森林所有者の高齢化や若い世代への相続も進んでいるから、「自分が持っている山自体への興味」も薄れつつある現状かもしれないけれども。


■森林ボランティアシンポジウムにて
 岩手県主催の「森林ボランティアシンポジウム」が住田町で秋に開催された。FSC森林管理認証を取得している森林所有者の方にパネルディスカッションへ参加していただいた。とても熱心に森作りへ励む方である。議論の中での一言。

 「昔は石6,000円だった木価も、今は石3,000円。こんな木材価格ではやっていけない。」

 林業関係者の集まった会場が俄にうなずく。

 住田町には木材加工団地が整備されている。日本の木材産業の状況では信じられないほどの活気があり、売上げも大きい。経営者の努力もあって、加工団地内のさんりくランバーという製材所では、他所よりも高値で丸太を購入している。その意味では、住田町の森林所有者はまだ幸せなのだ。しかしそれ以上に、木材価格が安すぎる現実が横たわる。

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岩手県 住田町 福島行我 7日目(上の続き)

■山側の森林認証制度
 コストがかかっても森林認証を取得する。山側にとって、それは、認証された森から出る木材製品の付加価値を高める意味が大きいと考える。差別化して、利益を還元する。

 皆さんは、FSC森林認証制度をご存じでしょうか?

 もちろん、森林認証制度はまだ始まったばかりだし、その普及には時間がかかるのかもしれない。また認証制度自体は、木材製品の「質」を問わないため、良い製品を生む努力も必要である。

 しかし・・・・あくまで個人的な想いではあるが、総体として、消費者の方々や森林認証を推進する側と山側との間にギャップを感じざるを得ない。<まち>と<むら>とのギャップとも置き換えられるだろう。世界と日本とは、そもそも山の現状が異なるのだ。

 その点を考慮しなければ、FSC森林認証が山側で継続的に普及していかないのではないか(ただし現状は、日本の取得面積は増加しているそうです)。

 もちろん、誰が悪いというわけではなく、誰しもが各々の立場で目的を目指す。だが、<むら>で想う私としては、ぜひ<むら>の状況を見つめて欲しいと切に願う。

 ただし、それ以上に、FSCの制度を利用した高付加価値製品を提供する努力が必要である。ふんどしを締め直さなければならない。

■豆腐キット
 何だか抽象的な議論に終始してしまった。私の筆力の無さがもどかしい。すみません。

 来年の「食育フェア」で、ローカルジャンクション21と住田住宅産業とが合作した「豆腐キット」がデビューする予定です。エコプロダクツ2004で宣伝していただいたはずの「例の品」。FSC森林認証製品での出品予定です。
 <むら>と<まち>をつなぐ豆腐キット。ささやかな一歩であるかもしれないが、個人的には様々な想いが凝縮しています。

 ぜひ皆さん、食育フェアで購入して下さいね!

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2004年12月11日

岩手県 住田町 福島行我 6日目

■帰ってきました。
 更新が遅れて大変申し訳ありません。仙台から帰ってきました。
 久しぶりに、ネオンの目映い光に照らされながら歓楽街を歩きました。
 フツカヨイになったのも久しぶり。

 仙台の街では、今日から「SENDAI光のページェント」が始まるようです。
 規模が縮小されていると聞きましたが、ホームページからもその様子が伝わってきます。

■星空と月明かり
 住田町へ来てからしみじみ実感するのは、とても星空が美しいということです。夜空というのは、天候にも左右されるし、運に恵まれなければ「満点の星空」には出逢えませんよね。ある意味、ここに住む人の特権でもあります。まま、ついつい日々の忙しさに夜空を見上げる余裕なんて生まれにくいものですけれども。

 ※ ちなみに住田町では、1988年以来、「すたーうぉっちんぐ種山ヶ原」が開催されています。

 私は、職場から自宅まで田んぼの畦道を歩いて帰宅します。夜も更けると周りに外灯など無いため、日によっては懐中電灯が必要です。

 そう、「日によっては」。月が満ちる頃には月明かりに照らされます。青白く浮かび上がる畦道、稲穂、山並み。月明かりとは、意外に明るいものなのだと実感します。


■自分が変わること
 星野道夫という人が好きです。残念ながら、彼の新しい作品を見る願いは叶いませんが、写真家でもありエッセイストでもあった彼は、多くの美しい作品を残しています。

 「もうひとつの時間」というエッセイの冒頭には、満点の星空の下で交わした友人との会話が描かれます。友人がある人から聞かれた、感動的な風景を一人で見た場合、愛する人へどのように伝えるか?という逸話を星野さんへ投げかけます。
 
 皆さんならどうしますか?「ある人」の答えとは、

 「その夕陽を見て、感動して、自分が変わってゆくことだと思うって」
 星野道夫「もうひとつの時間」『旅をする木』収集 文藝春秋(bk1のページへ)

■転がり続ける価値観
 住田へ来てから、ローカルジャンクションさんの影響もあり、価値観が転倒していく自分がいます。住田町へ来てからほんの数ヶ月ですが、その転倒は、<むら>の実状に根ざしていることだと考えます。
 本来であれば、その価値観の転倒をこのブログで上手く伝えられればよいのですが・・・・もやもやとした考えは、まだ言葉にならないのかもしれません。今週の私では、自分のふがいなさを噛みしめています。

 あぁ、またフツカヨイ的な文章だな。大変恐縮です。もう一日分は頑張ります!

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2004年12月10日

岩手県 住田町 福島行我 5日目

■久しぶりに
 いやぁ〜、更新がすっかり遅れてしまいました。本当にすみません。

 疲れがたまっていたいたせいか、ブログを書いている途中で寝てしまいました・・・・でも、こんなにぐっすりと寝たのは久しぶりです。すっきりしました。惰眠を貪るのはとても幸せ。

 本当はきちんと更新しなければいけないのですが、これから忘年会のため仙台に行きます!
 ブログの更新はまとめて最終日に・・・・しばらくは、先日、種山ヶ原森林公園で撮った写真で場をつないで・・・・アクセスしていただいた皆さま、関係者の皆さま、申し訳ありませんm(__)m


寒さの中で辛うじて残るマイヅルソウの実


カラマツ林も万全の冬支度


広場には、枯れ草に隠れてたんぽぽの返り花がひっそりと咲いていた


何の植物の名残でしょうか?もう少ししたら、雪の中に埋もれてしまうのでしょう。


posted by LJ21 at 00:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 岩手県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月09日

岩手県 住田町 福島行我 4日目

■<むら>の風景
 <まち>から<むら>に来た人が「わぁ〜畦道ってホント、きれいですねぇ〜!」と感動する。その人は、<むら>の人が草刈りをしていることを知らず、これが「ありのままの自然」だと思いこむ。

 そんな例え話を聞いたことがある。

 そもそも、魚の切り身がそのまま海を泳いでいると信じる子供がいる世の中だから、仕方がないのかもしれない。

 <むら>の風景とは、人々の営みが自然に働きかけて作られてきたものなのだろう。美しさの裏側には努力がある。そんなことを忘れてはならないと思わせる出来事があった。

■水の地元学
 今年、住田町の下有住地区で「水の地元学」を開催した。地元の方が考えていた行事と、町民と役場職員とが協働する地区振興計画との共催。

 水の地元学の中で、下有住地区のお父さんたちが企画した「地元学オリエンテーリング」を開催した。地元に残る地域資源(水源や水車など)をチェックポイントとし、子供たちが地図を片手にその場所を目指すというもの。チェックポイントはクイズ形式となっており、分からないことは、近くに住む人たちに子供たちが聞いて回る。

 「最近は、同じ地域といっても、子供がモノを尋ねることも少なくなったからね」

 リーダーの方の言葉。とても面白い企画だと頭が下がる。

 チェックポイントの一つに、「利き水」クイズが設けられた。
 住田町には簡易水道がまだ残っている。近くの沢の水をひいて、生活の中で用いる。捉え方次第だが、僕自身は、それだけきれいな川の水が残っていることに感動する。
 水源の異なる4集落の沢水を一組ずつ用意して、子供たちが利き水を行い、同じ沢の水を当てることに挑戦した。

 【写真1枚目は、「利き水クイズ」の様子】


■循環型社会って?
 僕は、埼玉の実家に帰るとペットボトルの水を飲む。水もお金で買う時代だ。よくよく考えると、ガソリンよりも高い。その対価として、様々な場所から水が運ばれてくる。

 一方、簡易水道を使う場所では、とても小さな系で水が使用されている。水の輸送エネルギーだって、都市部と比べたら格段に小さいのだろう。

 「水の地元学」では、簡易水道の水源も回った。

 地元のある方の言葉。
 「水道組合で、水源を管理するのが大変なんだよね・・・・最近は、若い人も少なくなったし」

 忘れてならないのは、生活の中で沢水が使われることによって、人の手が介在し、水源や沢水が守られてきたことだ。昔は、もっともっと集落全体で、川の水を汚すことに対して厳しかったと聞く。

 江戸は循環型社会のモデルと言われるそうだが、まだまだ<むら>には、その名残が息づく。
 水源を探検し、沢水で利き水を行う。それは立派な環境教育でもある。

 スウェーデン政府が出す冊子『15の環境政策目標』の表紙には、川の水を飲む子供の写真が象徴的に用いられている。

 ただし日本の現状、<むら>の高齢化が進む今、水源を守るための労力は失われつつあるのだろう。

 【写真2枚目:住田町に赴任してから、川の周りにキセキレイが多いことに驚いた。川がきれいな証拠だと思う】


■気軽に、楽しく
 春、盛岡からツアーを募り、住田町の森の恵みを体験してもらった。地元の人の案内で急斜面を登り、山菜採りも行った。

 【写真3枚目は、山菜採りへ向かう皆さんの様子】

 参加してくれた女子高生の残した言葉が強く印象に残る。

 「山菜採りって、ホント、大変なんですねぇ〜」

 <まち>に戻って山菜を目にした彼女は、あの山菜採りの辛さを思い出してくれるだろう。それが、<まち>と<むら>とのギャップを埋める、小さいが大きな一歩だと思う。

 マス・ツーリズムからポスト・ツーリズムへ。グリーン・ツーリズムという言葉をよく聞くようになった。
 イメージで相手を語ることが多いと感ずる時代に、気軽に楽しく、<まち>と<むら>が交流できればと思う。
 そこには、新しいライフスタイルのヒントが秘められるような気がしている。


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2004年12月08日

岩手県 住田町 福島行我 3日目

■森の保育園
 昨日は、種山ヶ原森林公園の紹介に続いて、生活と自然との距離が遠く離れているのではないか?という実感を書きました。このお話には続きがあります。

 住田町では「森の保育園」が、種山ヶ原森林公園で年5回開催されています。保育園から飛び出して、子供たちを森の中で一日遊ばせるという活動です。

 大変なのは、保育士の皆さんだと思います。やんちゃな子供たちを引率して森で遊ぶ。それも丸一日。園長先生をはじめ、保育士の方々の努力がなければ、森の保育園は実現しません。頭が下がる想いです。

 宮沢賢治作品を一人芝居で演じる方にお越しいただき、おじいちゃん、おばあちゃん達も一緒に子供たちと森で鑑賞する。聞いただけでも楽しそうな企画を先生方は実行しています。すごい。

 【写真は森の保育園の一コマ。一人芝居を演じているのは星鴉★宮さん】

 僕も今年、数時間ながら森の保育園に参加しました。
 森の中を移動する時には、子供たちの手をなるべく大人が握って歩きます。独身の私には、子供たちのちっちゃな手の感覚すら、とても新鮮でした。


■森と子供たち
 園長先生や保育士の方からお聞きしたお話。
 
 「子供たちって、森の中へ行くと優しくなるんですよ。普段はそんなことはないのに、風邪で休んだ子を心配して、『お土産にドングリを持っていってあげよう』という気持ちになったり」

 「子供によって、いろいろな反応があるんですよね。ある子はドングリを見てはしゃぎ、またある子はドングリを見つけて『あそこから落ちたんだよ!』とミズナラの木を指さしたり」

 「私たちも森で、いろいろな事を子供たちから教わっているんです」


■十力の金剛石
 宮沢賢治は『十力の金剛石』という作品を残しています。わがままな王子が自分の室を抜け出し、山へ金剛石(=ダイヤモンド)を探しに行くお話です。王子は、生き物たちとの出会いを通じて、「十力※の金剛石」の存在を知ります。
 ※ 十力とは、仏のもつ十種の智力のことのようです。賢治ワールド。
 
 その十力の金剛石こそは露でした。
 ああ、そしてそして十力の金剛石は露ばかりではありませんでした。碧いそら、かがやく太陽丘をかけて行く風、花のそのかんばしいはなびらやしべ、草のしなやかなからだ、すべてこれをのせになう丘や野原、王子たちのびろうどの上着や涙にかがやく瞳、すべてすべて十力の金剛石でした。


 途中の森で、服に引っかかったさるとりいばらを「面倒臭く」なり、剣で切った王子の行動が変わります。印象的なラストシーン。

 王子も叫んで走ろうとしましたが一本のさるとりいばらがにわかにすこしの青い鈎を出して王子の足に引っかけました。王子はかがんでしずかにそれをはずしました。
(以上、斜線部は、宮沢賢治『十力の金剛石』より)

 森の中で子供たちは、十力の金剛石を見つけているのでしょうか?


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2004年12月07日

岩手県 住田町 福島行我 2日目

■ロマンチック
 昨日のブログの冒頭で心配されたのか、事務局長さんから再びご連絡をいただいた。「ロマンチックな福島さんの記述をイメージしていました」そうな。
 う〜ん、俺がロマンチック・・・・何だかちょっぴり恥ずかしく、嬉しかったりする。今日は、トーンを変えてみようかな。

■ご紹介
 種山ヶ原森林公園という場所をご紹介します。

 種山ヶ原は、宮沢賢治『風の又三郎』の舞台となった場所です。賢治の作品は、詩、童話、短歌など多岐にわたりますが、そのジャンルのほぼ全てに種山ヶ原は関わりを持ちます。

 「宮沢賢治作品の原点のひとつは種山ヶ原であることに間違いない」

 宮沢賢治研究家の先生から教えていただいた言葉です。

 そんな種山ヶ原に森林公園があります。木のチップが敷き詰められた小道など、たくさんの方々が四季折々の森を体験できる場所です。
 「森を散策して自然を満喫したいけど、お手軽に森へ入りたい」という方にもオススメ。

 【写真1枚目】春を彩るカタクリ。公園内には群生する場所もあります。

 国道397号沿い、道の駅ぽらんの向かいを登った場所にその森は広がっています。入口には遊林ランド種山があり、ヒノキ風呂でゆったりのんびりすることもできますよ。


■ちょっとした贅沢
 皆さんは、自然を暮らしの中で感じることがありますか?

 僕の前任地は、北海道の利尻島でした。神々しい利尻山が裾野を広げる、大自然に囲まれた素晴らしい場所です。そして何よりも、素晴らしい仲間との出逢いを通じて、身の回りの自然へ目を向けるようになりました。
 春を告げる可憐な花々、遙か遠い国からやって来た夏鳥、秋にぽこぽこ顔を出す美味しいきのこ、翌年の葉っぱを隠して厳寒の冬をじっと耐える木々・・・・

 少し立ち止まって、道端の雑草に目を向けること。世界の見方が変わるということは、ちょっとした贅沢であることを利尻の方々から教えてもらいました。

 そんなことも手伝って、今年は何度も種山ヶ原の森へと足を運びました。


■初冬の森へ
 昨日の種山ヶ原森林公園の様子をお伝えします。
 
 来る厳寒の時季に備え、静まりかえった森。無音の音が聞こえてきそうです。
 
 初冬の森は、何も見るべきものがないように思いがちですが、今年のタネを飛ばし終えた植物の姿に昨日はちょっぴり感動しました。

 例えば、春の山菜としても知られている「ウルイ」=「オオバギボウシ」の姿。

 【写真2枚目】タネを飛ばし終えたオオバギボウシ。
 【写真3枚目】夏に撮影したオオバギボウシの姿。透けるような薄紫色の花が、冬には上のような姿になるなんて。
 【写真4枚目】マルハナバチの着地ならぬ着花(夏に撮影)。

 ◎花粉を運ぶマルハナバチが足をかけ易いように、花びらの先端が反り返っているそうです。
 ◎マルハナバチは、同じ種類の花を次から次へと訪れる、花にとって勤勉な花粉の運び屋さん。同じ仲間のコバ
 ギボウシでは、マルハナバチのみ花の奥底に隠れた密を吸えることが知られています。オオバギボウシでも一
 緒?
 ◎飛び出して上を向く雄しべと雌しべ。マルハナバチのお腹はその先端に必ず触れてしまうそうな。
 → 長い時を経て創られた、花と虫との関係


■生活と自然との距離
 住田町や利尻島で共通に感じることは、生活と自然との距離が遠のく現実です。特に、子供たちの姿に。

 学校から戻れば、テレビやテレビゲームへ夢中になる。そんな光景は、山や川に囲まれた地方でも見られます。

 とやかく言う筋合いはないのですが、漠然たる不安に包まれるのです。

 「生活の中に自然があること。それが一番大切だと思うよ」

 利尻で生まれ育ち、島の自然を見守り続けてきた方にいただいた言葉です。人々の心に潜むふるさとの原風景は、変わりつつあるのでしょうか。


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岩手県 住田町 福島行我 1日目

■ついに・・・・
 ローカルジャンクション21事務局長さんからメールが届いた。「すみませんねー」とのお言葉。ついにこの日が来てしまった。「いつでもいいですよー」と答えてはいたものの、いざとなると辛い。
 
 こんな時は、そう、全て忘れてしまおう。とりあえず、ネットサーフィンだ。某局の恋愛バラエティー「あいのり」のページへと辿り着いた。「30歳にはなったけど、俺ってまだ独身だし」と独りごちながら第247話を開くと、ページの最後にこんな事が書かれていた。

 日本の食料自給率は40%。これは先進国の中でも特別に低い数字。
 その一方、日本は年間1131万トンもの食糧を捨てている。
 これは年間6283万人もの飢餓に苦しむ人々を救える量である。


 数字の出所は分からない。でも、改めて衝撃を受けた。

■何かヘンな当たり前
 有機農法に取り組む同世代の方から聞いた言葉をふと思い出す。「僕の作った野菜が町外へ出て、町内で売られる大半が町外の野菜。何かヘンだと思いません?」

 確かに。

 最近、「食の安全・安心」や「トレーサビリティー」という言葉をよく耳にする。でも、一番安心で完璧なトレーサビリティーは、隣のおっちゃんが持ってきてくれたキャベツであり、昨日お邪魔したお宅で食べさせてもらった吉備団子だ。

 何かヘンな当たり前にすっかり慣れきった自分がいて、その中で僕は暮らしている。

■あのグラフ
 この町へ転勤してから、よく頭に浮かぶグラフがある。
(※少々面倒ですが、このページの"Chapter One"を開いてp.14をご覧下さい)

 世界の国々の経済成長を表すこのグラフ。1950年頃から日本は急激に豊かになったことが分かる。しかも、その傾きはとても急だ。世界中にこんな国は無いと思う。

 この時代には、猛スピードで様々な動きや変化が起こったのだろう。モノ、お金、人、そして人々の営みに。
 当たり前のことが当たり前でなくなり、かつては想像できなかった当たり前がもたらされた。埼玉県出身の僕は、そんな後者の当たり前の中で人生の大半を過ごしてきた。

■自分自身のために
 入職1年目、東京。ある方から研修でこんな事を投げかけられた。
 「農林水産業が日本のGDPに占める割合は数%でしょう?それに比べて、農林水産業に投入する税金は大きすぎるよ。」
 その頃の僕には、返す言葉がなかった。

 この町へ転勤してから、その答えが見つかりそうな気がする。貨幣経済が全てではなく、かつての当たり前の中には、他の経済だってあったのだ。それは、隣のおっちゃんが持ってきてくれたキャベツへのお返しなのかもしれない。この町には、そんな当たり前がまだ生きている。願わくば、「なつかしい未来へ」結びつけたい。

 住田町の人たちはとても温かい。ヘンな当たり前から自分が一歩抜け出すためにも、「ヘン」を「行動」に変えて、少しでもこの町へお返しをしたいと考えている。

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2004年10月17日

岩手県室根村 かけす農場 市嶋豊 7日目

日曜日の朝は「日曜市」から始まり。
東磐井農民組合という仲間で 夏の間開いている直売朝市で、10月末までの開催。
野菜を中心に 秋になってりんごなども出てきました。うちでは うどんを持っていっているのですが、今回は在庫切れ。朝のおやつ(?)に提供する酵母なしのうちではナンと呼んでいるパンと、小さな灯油ストーブだけもって行きました。
今朝は 一段と冷え込んで、思わずみんなが手をかざして、今朝は霜だったとか 霜ではないとか言っているところ。



野菜売り場は ビニールの簡単なハウスになっていますが、そのハウスの外でもダンボールや木切れを燃やして こちらはこちらで暖をとっていました。
日曜市、朝6時から8時頃までですが、お客さんはほとんど決まっていて「もうぼちぼち終わりにするかー」てな 感じで終わりになります。きてくれたお客さんへの販売のほかに「宅配カゴ」があって、こちらで5品を選んで届けるという方法もとっています。


さて 8時に日曜市が終わって、9時からは昨日も書いた「いわてグリーン・ツーリズムインストラクターセミナー」。
アウトドアでの緊急対処法という 現場で必要な具体的講習や、地域ならでは ツーリズムにするには・・・という話など、内容は多岐にわたりました。


午後は 受講生の、今やっていること、これからの目標、目的、課題、解決策をそれぞれまとめて発表。
自分を含めて「漠然としていて 具体的アドバイスをできる段階ではない」というのが講師の先生の総評でした。 たしかに そのとおり・・・。


さて 今日は市嶋の日記、最終日です。我が家の番犬キュー助が最後にご挨拶・・・?

なかなか 読んで面白い内容とはいきませんでしたが、今のかけす農場の様子を少しはお伝えできたかなと思います。
今後もかけす農場のHPで、農場と関係あることないこと 色々と日記に書いていきたいと思っていますので、ぜひのぞきに来てください。
http://www.kakesu.com

1週間お付き合いいただき、ありがとうございました。





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2004年10月16日

岩手県室根村 かけす農場 市嶋豊 6日目

今日と明日の2日間、いわてグリーン・ツーリズムインストラクターセミナーというものが 室根山の反対側、隣町の施設を会場にして開かれています。ぼくは都合で 今日の夜の「交流会」と明日の講座に出席することにして、今日は交流会に出てきました。
写真の左端でこちらに顔を向けているのが、このセミナーの担当者であるいわてグリーン・ツーリズムサポートセンターの事務局長、吉田さんです。
もともと8月から 「とーばんふうどくらぶ」という東磐井地区のグリーンツーリズムを盛り上げようという企画があり、それがきっかけで今回のものも案内をもらいました。

8月からの企画でははじめに室根村内の「地図作り」講座があって、そこでローカルジャンクション21の浦嶋さんと知り合ったという 今一番ホットな 人のつながりのなかでの今日明日のセミナーです。



そんなことで 帰宅が遅くなりましたので、今日はあとはぼくが撮った「室根の生き物」写真をご紹介して 日記としたいと思います。

一枚目は今年の8月に撮影したもので、カモシカの親子です。カモシカはある程度の距離があれば 人を恐れることはなく、時々みかける身近な生き物です。
以前 山の中を歩いていたときに 2,3メートルの距離でばったり鉢合せしたこともあります。さすがにその時はお互いに驚きました。



これは 2年ほど前に撮ったものですが、土管の中にいる アナグマです。
田んぼの土手をこちらに向かって歩いてきていたのですが、人に気づいて土管の中に逃げ込んだところをパチリ。


うちのすぐ近くを流れている沢です。小さいので魚はいないようですが・・・


沢に限らず うちの敷地内でもサワガニがいます。
数日前に撮ったものですが、探してみたらものすごく小さな子ガニが数匹いました。今の時期にこんな小さくて、冬を越せるのだろうかと思ってしまいます。本当に指先サイズです。

あまり 日記になっていませんが、今日はこれにて・・・



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2004年10月15日

岩手県室根村 かけす農場 市嶋豊 5日目

秋晴れが続きます。もう半月もすると 雪がちらついてくるかも知れません、今が秋の一番爽やかな季節です。
室根山の中腹まで車を走らせてみました。南東の気仙沼方向を見ると 山の切れ目から太平洋が見えます。一方近くを見れば 室根の中心部、折壁地区が広がっています。大体の田んぼで稲刈りが終わり、農繁期も終盤。(横長ですので、写真をクリックして大きな画像でどうぞ)


うちの畑は、大豆とソバを収穫すれば 今年の収穫は終わりです。
種まきが6月下旬まで遅れた大豆も、ご覧のように大分実ってきています。今作っている大豆は 青、黒、茶色の三種類。今年はまとまった売り先の予定はないのですが、ほかの雑穀などと輪作する都合もあって必ず毎年作っています。


青大豆をぽん菓子にして直売所に出しているのですが、加工を頼んでいる近所の人が前回は失敗してしまい、黒焦げになってしまいました。粉にしてコーヒーにして売ればいいのでは?という提案を受けて 売り出したところ、並べた10袋は数日で売切れてしまいました!
そこで今度は失敗でなく わざわざ焦がしてくださいね〜、と頼んだのですが「どう失敗したものだったか・・・」と今回出来上がったきたのは炒り加減もはぜ具合も ちよっと足りなめ。「大丈夫、これも苦かっけ(苦いよ)」とは言われたものの もう少し黒くしたいなーと ゆうべは薪ストーブの上でしばらく炒り足しました。前回ほどではないものの まずまずの色になったのでよしてして、粉にしてフルイにかけて袋詰め。早速直売所に並べてきました。


ところで母は 最近熱心にパン焼きをしています。
粉はうちの小麦は製粉屋さんに挽いてもらい、全粒粉などは購入もしているのですが、久しぶりに引っ張り出した製粉機で、色々と製粉してみてはパンを焼いて出来上がりをみてまた 試しているようです。
今まで作っていた品種、ナンブコムギやハルユタカに加えて 今年初めて種を蒔いた「ゆきちから」という品種が、種として沢山入手できたのでその一部を粉にしてテストしていますが、パン用に開発された品種だけあって「とても焼きやすい、これはいい!!」と言っています。
一度に焼く量が少ないこともあって、オーブンでなくナベで焼くことが多いです。


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2004年10月14日

岩手県室根村 かけす農場 市嶋豊 4日目

気温低く 秋晴れです。

午前中は穀類の脱穀し終わったワラのカットをしました。写真に写っているのがカッターですが、キャタピラのついたベースは近くの人のところに5日手伝いに行って譲ってもらった「運搬車」で、普段は荷台をつけて使っているもの。そして上に載っているカッターは隣町の知り合いの仲介で完全にタダで頂いたものです。組み合わせてみると 思った以上にぴったりの自走式カッターとなりました。
はじめに稲のワラを切って、それからモチキビ畑に移って作業中、という光景です。


午後は 色々な作業を少しずつ。
次の写真は まだ前の家の庭に残してあった りんごの木の移植をしているところ。バレリーナツリーと呼ばれる 直立性のりんごで、小さいりんごが幹に鈴なりに・・・なるはずなのですが、ほったらかしているので まだ実はならないでいます。
しっかり植える穴に堆肥などを入れて、来年は収穫を期待・・・。


これは小麦の畑の一枚です。ここは畑の横が数メートルの崖になっていて 沢があります。土手際に生えている桑の木は 土が崩れないために大切な存在ですが、しかし大きくなって畑にかぶさってきたので、とりあえず畑側の枝をばっさりと切りました。3センチくらいまでの枝ならば 草刈機で問題なく切れます。
一年だけならば 土手の草刈だけですが、何年もお借りしていると畑の周りの木も意外と大きく伸びてくるので 手入れしていかなければ。


自分の農業に 機械は不可欠。しかも 入手するのは古いものも多いので、使える限り使っても2,3年も使うと壊れるものもあります。
スクラップを しばらく放置していたのですが、引越しを機に片づけていかねばと思っていつも利用している機械屋さんに相談したところ 快く引き取っていってくれました。
ちなみに写真で一番目立っているのは 「先代」のカッターです。コレもタダでもらったものでした・・・そういえば。


ところで 今日は日食がありましたね。
朝から晴れ渡っていた空が、なぜか日食がピークになる30分ほどまえからうす曇り・・・しかしそれがかえって ちょうどよいフィルターになって、なにもなくても欠ける様子を見ることができるくらいでした。

写真は畑の土手に生えている ガマズミ。実も葉も 秋らしい色です。


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2004年10月13日

岩手県室根村 かけす農場 市嶋豊 3日目

きのう最後に書いた 直売所、旬菜館の店内です。
野菜から加工品、工芸品、店の外側では袋詰めした堆肥や野菜苗などまで約100人の生産者が出品しています。昨年の9月末にオープンして一年たったところ。
はじめは専任のレジ係ひとりと 生産者の当番がひとりという店番体勢でしたが、今年の夏からソフトクリームを販売することになり、それに合わせて当番制は廃止されて専任店員ふたりとなりました。
店番当番は1,2ヶ月に一度半日ずつで、負担であると同時に、お客さんに接することができるいい機会だったので当番がなくなって少し残念な感じもします。



旬菜館でかけす農場が販売している品物の人気商品が ぽんせんです。
ぽんせんを焼く機械は3年前に購入しました。ぽんせんが焼けるのは プロパンと電気で上下から熱した凹凸の皿に、材料を入れてレバーを下げて圧力をかけます。数秒待ってレバーを上げるとその拍子に材料がふくらみくっつき合うという単純ながら 奥の深い仕組みです。原材料によって加圧している時間やレバーの上げ方が違いますし、皿の熱あんばいがよくないとうまく焼けません。
調子よく焼ければ 1時間に100枚のペースで焼けます。
(写真の右手に写っているのは ガスオーブンです、母がちょこちょこパン焼きに使っています。)



ぽんせんはカレースプーン一杯の原料が一枚になります。写真は玄米に細かくした昆布を加えた「玄米ぽんせん」の原料と焼き上がり。はじめてぽんせんの焼ける様子を見た時は 数秒でのお米の変身に感心したものです。

ここでちょっぴり宣伝を・・・ このぽんせん、10月からオープンしたローカルジャンクション21のお店「風土倶楽部」で扱っていただいております。玄米ぽんせんのほかにも2種類ありますので、機会があったらぜひ 一度食べてみてください。
http://www28.cds.ne.jp/~localj/fudo/fudo.html

自動機械焼きのぽんせんもあるようですが、一枚ずつふくらみを加減しながら焼くことで歯ざわりもしっかりとしたぽんせんになっています。


田んぼのわきの木立に アケビのつるがからんでいます。年によって実が沢山なるときもあればならない時もありますが、今年はこの場所にはいくつも実がなっていました。
引越しのどさくさにまぎれたのか 高枝ハサミが見当たらないので、脚立を持ち出しての「収穫」となりました。

山菜と言っても 知識もないので、食べるのは春はタラの芽 秋はアケビなど、有名で目立つのだけです(笑)


今日はぐっと冷えてきました。岩手でも北のほうには明日の朝は霜注意、の予報も出ているようです。
うちでも夜 薪ストーブを焚いてみました。薪は製材所から木っ端を沢山もらっているので、火持ちはともかく 気前よく燃やすことが出来ます。ストーブは関東から移住してきて うちから車で30分の所に住んでいる方からゆずっていただいたもので、南部鉄器製。側面に南部鉄器トレードマークである「いぼ」が並んでいます。
ストーブのむこうでは 母が小型の製粉機で小麦を粉にしているところ。基本的には隣町の製粉屋さんに製粉してもらうのですが、全粒粉などをこうやってうちで作ったりしているのです。

ところで この欄の下に「コメントを見る・書く」というのがあります。クリックしていただくと書けると思いますので この日記のご感想など ぜひ書き込んでくださーい。


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2004年10月12日

岩手県室根村 かけす農場 市嶋豊 2日目

今日は自己紹介。
1980年東京生まれです。しかし、両親の都会嫌いと大気汚染回避策で、あちらこちら引越しを繰り返しています。
親も田舎志向、農業志向。岩手の県南に狙いをつけて、農業の見習いをさせてくれる方がいたので、この室根村に両親とぼくの3人で9年前に移住してきました。兄弟は兄と姉がいます。
室根に来てからは 農業についてはぼくが主体となって、自給&雑穀類栽培を目指していますが、何年たっても「目指している」感じで・・・。

はじめに思い描いた生活は「大きな森の小さな家」(ローラインガルスワイルダーの本)の世界でしたが、今は大分ハードルを下げつつ 頑張っているところ。


室根に来てすぐ 知り合った方の紹介で家を借りて、今年の夏までそこに住んでいたのですが、6月に売り家の話が舞い込んできました。
「今後10年借り家に住み続けるより、買ったほうがトータルでは安い」という家族会議の結果で、今の家を買って移ることに。今までの家は室根山の中腹と言ってもいい高さでしたが、今度はふもとまで下りてきた感じです。
しかしさっき書いたとおりぼくは「農業目指し中」で、生活は親だのみですし、親の仕事も田舎でもあり景気がよいわけではないので、家の購入資金は祖母からの支援をいただいての家です。ともかく落ち着ける家を得て「お客さんを迎えられるくらい きちんと(散らかさないように(?))しようねー」と話しているこのごろなのです。


ところで 夏場はもっぱら農作業をしているわけですが、冬はアルバイトを週4日程度しています。
アルバイトの内容は農業とは何の関係もない、工事現場などの交通誘導のガードマン。農村では冬場は土木工事に従事、という人も少なくはないので、そういう意味では現代の農村型スタイルなのかも知れません。「大きな森の小さな家」スタイルとは明らかに違うのですが・・・。

夏場も時々ピンチヒッターとして呼ばれることがあり、特に秋になってくると忙しくなってきて「出たいだけ来て」という感じ。今日も昨夜「明日一日出てほしい」と電話があり、天気も続きそうなので出勤してきました。写真はその現場です。いかにも「公共事業でーす」という感じです(笑)


アルバイトの帰りに、村内に一年前にできた農産物直売所「旬菜館」によりました。

我がかけす農場も 雑穀やその加工品など並べています。決してバカ売れはしませんが、それでもほかの生産者とは違う品物ですし、繰り返し買って下さるお客様もいます。

おっと、そういえば「市嶋」と「かけす農場」の関係を書き忘れていましたが、かけす農場イコール市嶋農場 です。はじめの頃は農場名なしだったのですが、やはり名前はあったほうがいいと 2年前から「かけす農場」を名乗るようになりました。かけす というのは室根にも沢山いる鳥の名前で、どんぐりを秋にたくわえたり、トンビの鳴きまねをしたりと個性的なキャラクターで、気に入って農場名にしました。

それでは また明日・・・


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2004年10月11日

岩手県室根村 かけす農場 市嶋豊 1日目

こんにちは 
 
岩手 かけす農場の市嶋と申します。
今日から一週間 「今週の市嶋」にお付き合いください。
まずは自己紹介・・・と思ったのですが、とりあえずうちの村の風景を一枚だけ見ていただいて、あとは今日の作業の様子を書いてみます。

村内の矢越地区から室根山の方向を見た風景。手前右に地面が見えている畑は かけす農場の畑の一枚です。今年はモチキビを作って収穫し終わったところ。




今日は小麦の種まきをしました。

写真の右手の奥に見えるのが 畑ですが、この畑は今回初めて借りたもので 今まではヨモギだらけになっていました。


先週 プラウという大きなすきで反転した表面を、今度はトラクターにロータリープラウをつけて細かく耕していきます。

種まきは 以前は刈り取りがしやすいようにすじに播いていたのですが、コンバインで収穫する予定なので 今年は簡単な全面ばら播きにしました。


小麦の種です。

品種は岩手のスタンダード品種である ナンブコムギ。もう 何年も自家採種を繰り返しているので、勝手に「ムロネコムギ」になっているかも・・・。

一晩 風呂の残り湯につけたので、ふくらんでいます。湯につけるのは 芽出しの意味と病気予防の意味があります。


畑で作業中 トラクターの燃料警告ランプが点いたので、畑を移動する途中で軽油を入れに寄り道しました。
普段はポリタンクで買ってきてうちで入れます。農村とはいえ 国道沿いのガソリンスタンドに土だらけのトラクターで行くのは 少し目立ちます・・・。

座席の後ろにバケツに入った小麦のタネがあるのが 分かるでしょうか?


・・・と いうことで、今日は農作業の様子を書いてみましたが、基本的にひとりで作業するので写真には自分は登場しないのです。

うかうかしてると 日付が変わってしまいそうですので、今日はこのへんで。



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2004年09月27日

岩手県紫波町 佐藤勇悦さん 7日目

今日は1日中家にいて、日頃掃除や片づけがきちんとできていない箇所を徹底的に攻めてみました。しかし、はじめると予想以上に時間がかかり、一段落したのは深夜です。

あっという間に7日目に突入です。
もう少し天気が良ければ、町内を取材してあるいて、皆さまにご紹介したい場所などもあったのですが・・・
今日の天気だと、絵がきれいに出ないなと思いあきらめました。

最後は、私のふるさと自慢ということで、自宅のある片寄(かたよせ)地区の自慢を独断と偏見で厳選?したのをお届けします。

ひとつ目は、「堀の井(ほりのい)」の高橋酒造店。

紫波町には、4つの造り酒屋がありますが、そのうち3つが西部地区に集中しています。水分(みずわけ)・上平沢(かみひらさわ)・片寄の各小学校区にひとつずつ。したがって中学校区に3つあることになります。

「堀の井」は、地元ばかりでなく遠方のファンも多いようです。
以前は、甘口のお酒(私の感想)だったように思いますが、最近は、香りは芳醇で喉ごしはサラリとした味わい。大吟醸「紫波の匠(しわのたくみ)」がその代表格と思います。


次は、熊谷牧場が経営するレストラン「地夢新(チムニー)」。

私は、このお店の黒豚のトンカツがお気に入り。気軽に食べられるパスタもいいな。
自家製のハムやソーセージの直売所も兼ねているので、新鮮な製品がよりどりみどりです。

コーヒーだけ注文しても、先付けにハム・ソーセージ(一口サイズ)が出てきます。

県道盛岡和賀線をお通りの際は、ぜひお立ち寄りくださいませ。


最後になりますが、レストラン「地夢新」のお隣にある、志和握里センター「もっす」は、地元の農家が行政の助成を受けずに設立した産直です。

「志和(しわ)」は地名、「握里(あぐり)」は地元農家が手を携えるという意味を込めた造語。「もっす」は方言で「ごめんください」の意味(「申す」がなまったものと思われる)です。

店舗は、他の産直にくらべて、とても質素で大きさもひと回り小さいのですが、
農家の個性が出ていて、アットホームな感じが気に入っています。
元気のいい美人の母ちゃんたちが出迎えてくれます。

盛岡市や花巻市方面からの顧客もいらっしゃるとのこと。
地元農家ばかりでなく、農家と消費者がしっかりと手を携えているようです。

私のお勧めは、キュウリの漬け物をはじめとする農産加工品。
特製のキムチもうまいし、イチゴの入った大福(季節限定)もあります。
あ、そうそう、あらかじめ連絡しておくと、その日の朝に精米したお米も売ってくれます。

こうした取り組みが評価されて、平成10年12月には、岩手県から「いきいき中山間賞」を受賞しています。

こちらのお店にも、お気軽にお立ち寄りくださいませ。



1週間は早いものですね。
週初めに、大変な事件があったことから、後半は息切れしてしまいましたが、少しでも、本町に興味を持っていただければ幸いです。

皆さま方には、最後までご覧いただき、ありがとうございました。

追伸
紫波町に、はじめてお越しになる方は、どうぞ私こと佐藤までご連絡くださいませ。
メールアドレス:you@town.shiwa.iwate.jp
電話:019−672−6871
です。

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2004年09月26日

岩手県紫波町 佐藤勇悦さん 6日目

今日は一日、3人の息子たちのアッシー君でした。

午前中、長男は買い物に。二男は、盛岡南公園球技場で社会人ラグビーの補助員をするからとのこと。ともあれ、二人を車に乗せて盛岡方面へ。

午後は、三男(中学生)が特設クラブではじめたラグビーの練習について行き、夕方まで過ごしました。


特設クラブがはじまって2週間あまり。
昨夜は雨が降ったこともあって、河川敷のグランドコンディションは良くありませんでしたが、練習試合では、中学生と高校生の混成チーム相手に、なかなかの活躍でした。
息子も3トライ決めてくれました。

兄弟3人とも、中学時代は野球部に所属しており、加えて特設クラブのラグビーを経験しています。
兄弟の中で一番迷いに迷って参加した二男が、高校に行ってもラグビーを続けています。長男は、陸上競技ですが。
長男・二男とも下の兄弟には同じ種目をやってほしくないようです。
ラグビーも陸上競技も野球以上に興味があると見える三男ですが、さて、三男はどうする?!


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2004年09月25日

岩手県紫波町 佐藤勇悦さん 5日目

今日は、財政担当部局として虹の保育園被災対策の会議に出席しました。

佐川旭さんも出席され、再建に向けてのコメントをいただいたのですが、佐川さんの虹の保育園に対する心情が直に伝わってきて、目頭が熱くなりました。

建築業者と町産材を供給した製材業者の代表も出席されて、様々な視点から対応策が出されました。
虹の保育園が、建設に携わった方々の情熱と技術の結晶であったことをあらためて痛感させられました。
私見ですが、以前にもまして立派に再建されることを願うばかりです。


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2004年09月24日

岩手県紫波町 佐藤勇悦さん 4日目

今日は、午前中に虹の保育園で作業をし、午後は秋晴れの空のもと町内産直めぐりをしました。

わが町は、9行政区あるうち、もともと町場だった日詰地区を除いて、8つの行政区でそれぞれ一つずつ産直の組合が組織されています。
地元志和地区の産直をスタート地点として、8つの産直を回ってみました。

本日9月23日は恒例となった「フルーツの里まつり」の日。
各産直とも思い思いの趣向を凝らしてまつりを盛り上げていました。

手前みそですが、10年ほど前、私と仲間の発案(ボランティア)ではじめたスタンプラリーが今も行われています。だから、ちょっとうれしい気分。
はじめた当時は、産直は5つでしたが、「よその産直にお客を取られる」といって迷惑がられたものです。本当は、全く逆なのですが。

(以下は、先送りしていた続きです)



北上川に架かる紫波南大橋をわたると大巻産直があります。ここは、餅まきの最中で、大勢の人だかり。産直敷地内に入る余裕がないので、そのまま佐比内峠の駅に向かいました。

佐比内産直紫波ふるさとセンターでは、案山子が出迎えてくれました。
何ともすてきな出来映えですが、他にもたくさんの案山子があり、コンテストの最中とのこと。私は、3番に投票したのですが、制作者がそばにいて「実はその作者は私です。」といって、餅を分けてくれました。

この案山子、とても人気があって、一緒に記念写真を撮る人が多かったです。


餅といえば、わが町のイベントに欠かせないのが「振る舞いもち」。
ごらんのように長蛇の列ができておりまして、付近のベンチも餅を頬ばる人でいっぱい。

この日は、クルミときな粉の2種類の味が振る舞われていましたが、これは何とも懐かしい味。
「おばあちゃんたちならではの味だよね。」とカミさん。
私は、亡くなった祖母を思い出していました。


産直に出されていた農産物の中で、一番印象に残ったのが、減農薬・減化学肥料の特別栽培リンゴです。全国初、本県レベルの半分の使用量だとか。

ひととおり見て、帰りに買って帰ろうと思っていたのですが、知り合いと話しているうちにうっかりしてそのまま帰ってしまいました。長岡産直で売っています。
味のレポートは、またの機会にということで、ゴメンなさーい。


お餅を食べて、祖父や祖母のことが気になりました。
今日はお彼岸の中日(秋分の日)です。祖父母に手向ける花を買って帰りました。


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2004年09月23日

岩手県紫波町 佐藤勇悦さん 3日目

今日は、午後から虹の保育園に行ってまいりました。
私は、床掃除を中心に作業にあたりました。
施設職員・父母の会の皆さま・役場の職員、総勢100名ぐらいだったでしょうか。明日の作業には、カミさんと二人で参加する予定です。

でも、なぜ、どうして?
作業の合間に目を凝らして思わず部屋の中を見つめます。ときおり父母の方も、壁に床に天井に、じっと視線を向けていらっしゃいます。

被災した建物の南側は、
被害にあってもなお凛としてその外観をとどめています。
テラス南端の丸い柱は、高温に耐えてしっかりと梁を支え、
梁は、その半分が炭化してしまっても、その上にある屋根を支えている。
互いに励まし合って、その役割を全うしているようでした。




佐川旭さんは、虹の保育園建築のコンセプトとして
「樹齢200年の樹を生かして」
「心を育む遊具空間」
「より柔らかい空間へ」
「生活の場としての保育園」
(別冊建築ジャーナル「地域力をつくる建築」より)
をあげておられます。

樹木たちは、
佐川さんの理念を受けとめるかのように
子どもたちの城を傷つきながらも守ってくれました。

もう少しだけ待っていてください。
あなた方の強さをこんなに感じたことはありません。
以前のように
子どもたちを優しく暖かく包み込んで見守っていける空間を再生するため、
私たちは、力を合わせて、あなた方の頑張りに応えてまいります。


追伸
今日の2コマの絵は、木戸橋(きどばし)から見た滝名川の上流と下流。
河川改修で、川底はすっかり削り取られ、周囲の雑木林もなくなり殺風景でしたが、自然が復活してまいりました。
改修直後は、まるで三面舗装の水路のようでしたが、水の流れはしだいに蛇行して、もとの流れに戻っています。
この川の流れを見ていると、自然には抗えないなとつくづく思います。
最近は、ヨシも生えてきて、そのせいか水に輝きと透明感が出てまいりました。





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2004年09月22日

岩手県紫波町 佐藤勇悦さん 2日目

今日は、とても残念な報告をしなければなりません。

実は、昨夜、
わが町が進めておりました、循環型社会構築の象徴的な建物のひとつである「虹の保育園」園舎が火災に遭いました。

深夜の出来事であり、通園されている園児の皆さんや施設職員の皆さんに怪我などは無かったのですが、消火にあたってくださった消防団員の方が数名、怪我をされたと伺いました。
この場をお借りし、心よりお見舞い申し上げます。

(なお本日の絵と文は一致しませんのでご容赦ください)

火災の概要を
藤原町長が町民の皆さまにあてて発せられたメッセージの内容をお借りしてお伝えいたします。


虹の保育園火災のご報告

町民の皆さまに虹の保育園の火災の状況についてご報告申し上げます。

9月20日 午後10時30分 地元住民から119番通報
午後10時32分 有線放送で町内に通知
午後10時41分 紫波消防署員、現場到着、消火活動開始
 車両3台、隊員15名
 消防団車両23台、約200名
 婦人消防協力隊、約30名
 午後11時25分 火災鎮圧
 9月21日 午前 1時48分 火災鎮火


4月に開園いたしました虹の保育園が、昨夜の火災で使用不能になりました。
町民、地区民の待望の施設であり、皆さまからお預かりした貴重な財産である虹の保育園を焼失したことは、誠に残念であり、申し訳なく思っております。
心からお詫び申し上げる次第でございます。

また、利用者の児童をはじめ、保護者の皆さま、そして地域の皆さま方に多大なご不便をおかけすることを、たいへん心苦しく思っております。

昨日は休日保育が行われ、2名の児童が午後4時15分に帰宅いたしました。使った部屋は1歳児室であり、テレビや電気ポットの電気を使用し、ガス等は使用しておりません。使った電気器具はコンセントを抜き、コンセントカバーをつけて午後5時15分に保育士が帰宅しました。火元については、現在の時点で確認できておりません。

本日9時30分から紫波警察署、消防署による現場検証が行われます。
また、紫波町議会では9時から火災対策を協議するため、議員全員による現場視察を行っております。町では助役を本部長とする火災復旧対策本部を立ち上げ、関係各課長による復興に向けての対策を開始しました。

現在入所している児童の皆さまは、0歳児、1歳児は中央保育所と古館保育所に、2歳児から5歳児までは上平沢小学校に分散して、保育を開始する予定ですが、時期については両保育所は明日より、上平沢小学校については受入準備等もあり、今夕開催する保護者を対象とした説明会の中で確認することとなっています。
保育士の心の動揺による児童等への影響のないよう、最大限の配慮をして参る所存でございます。

虹の保育園の火災については、改めて町民の皆さまにお詫び申し上げますとともに、あらゆる手段を使い、町の目指す森林資源循環の理念に基づいて、一日も早い復興をお約束申し上げ、火災についてのご報告といたします。

平成16年9月21日
紫波町長 藤 原 孝


今日は、私の仕事をご紹介しようと考えておりましが、冒頭から、たいへん重く苦しい話題を申し上げてしまいました。

私は、紫波町役場に勤務しており、現在は総合計画や交通対策、財政を担当する政策経営課政策調整室に所属しております。

明日からは、本格的に復旧に向けた動きが出てまいります。
職員としてばかりでなく、一町民として、復旧活動に貢献してまいりたいと決意しております。

(2枚目・3枚目の絵は、通勤路から見る早池峰山、岩手山と姫神山)






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2004年09月20日

岩手県紫波町 佐藤勇悦さん 1日目

皆さん はじめまして 岩手県紫波町の佐藤勇悦と申します。
朝田さんからお声がけいただき、このサイトに出させていただくことになりました。
生まれも育ちも紫波町で、よそのことを知らない井の中の蛙ですが、住み慣れたこの町の風土が大好きなオジサンです。
普段の生活を通して、私の町の雰囲気を少しでもお伝えできたら幸いです。
これからの1週間、どうかおつき合いくださいませ。

秋も少しずつ深まりを見せておりますが、最初の絵は、わが家から見た日の出直前の東の空です。来光にうっすらと浮かび上がる早池峰山(稜線の上の三角)がご確認いただけるでしょうか。
日に日にお日様は、南の方に移動しますが、11月3日頃、早池峰山頂で朝を迎えると早池峰山の影が、ちょうど岩手山の中腹に重なって見えてとても感動的です。

岩手を代表する山といえば、岩手山・姫神山・早池峰山があり、これを岩手三山と呼びます。小ぶりだけれど岩手山と形が線対象のような姫神山、少し離れているけれど岩手山と影が重なる早池峰山。この三つの山をモチーフとした三山伝説(恋のお話し)ができたのも何となくうなずけます。


私の家族は、妻と三人の息子、父母と愛犬クロの七人と一匹家族です。

クロは、黒柴の雑種らしく、10年以上前に事務所に置き去りにされたのを引き取って育てました。当時は子供たちも小さかったので、お互いに良い遊び相手だったことを思い出します。
ドッグイヤーでは、もう相当のご老体のはずですが、まだまだ元気です。

では、クロと散歩しながら、わが家の周辺をご案内いたしましょう。



家の南側にやってまいりました。稲の刈り取りもずいぶん進んでいます。
紫波町のもち米は、市町村では全国第1位の面積、生産量を誇っています。
わが家の周辺も早稲系品種のヒメノモチが作付けされており、ごらんの水田も刈り取られて稲株だけになってしまいました。

わが家の水田(兼業農家です)は、ひとめぼれを作付けし、しかもよそのお宅よりも1週間ほど田植えが遅かったので、刈り取りは今週半ばから後半になりそうです。

画面中央に遠く岩手山が見えています。岩手山の見えるところに住んでおられる方は、自分の住んでいる所から見る岩手山が一番だと感じておられることでしょう。
私は、このように稲株の田んぼのずっと向こうに見える「秋の岩手山」もいいなと思います。今日は、頂上付近から雲がたなびいてイキな演出をしてくれました。



こちらは家の北東、絵が小さいので、何の鳥か分からないですね。
ファミリーでしょうか。このあたりが気に入っていると見えて、最近、農道やあぜ道で3羽の白鷺をよく見かけます。

白鷺と重なっている土手のところが滝名川です。河川改修と上流のダムかさ上げで川の様子がずいぶん変わってしまいました。

冬が近づくと、白鳥も田んぼに飛来するのですが、白鳥は水の中の方がお似合いですね。田んぼに立っている姿は、白鷺の方がずっとすてきだと思いますが、皆さんはどう思われますか。


家の真東のあたりにやってきました。奥に見える山は新山(にいやま:TVの中継所があるところ)です。右手奥の方に、うちの作業場が見えています。

絵の中央の奇妙な木立は、お隣の杉の木。屋敷内に杉の葉が落ちスギて困るとかで、ずいぶん上の方まで枝払いをされました。

夜、わが家から見るこの杉の木は、また格別でして、杉の木のシルエット上方にぽっかりとお月様なんか見えたら最高です。

もうおわかりでしょう。わが家のあたりも典型的な散居集落でして、田んぼの中に集落がぽつりぽつりと散在しています。


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2004年09月12日

岩手県松尾村 よしだそういち 最終日 9月12日

今日はオフ。久しぶりにブナ林に行きました。
やっぱいいね。でも熊にあわないように、熊鈴つけてっと
先日の台風の影響で、ブナの太い枝が折れてました。
自然ってすごいですねー。


今はきのこの季節!
ありとあらゆるところにいろんなきのこが、でもどれが食べれるのか
分からないので、うかつには手を出せません。
これはブナハリタケ(だと思う)たくさんありました。


もう稲刈りの時期です。台風による被害も少なかったみたいですね。
今年は、例年より稲刈りの時期が早いみたいです。


締めくくりは、温泉。アー気持ちいい(^o^)
今日はいけなかったので、雰囲気だけでも 雪見風呂です。
ここは、松川温泉 松楓荘 秘湯です。



あと半月もしたらこんな紅葉が見られます。
松尾村の紅葉は全国的に見ても非常にすばらしいですよ。
今日本屋で「山と渓谷」をみたら紅葉特集やってました。
もちろん八幡平の紅葉も紹介されていました。
ご覧下さい。
というわけで、一週間ありがとうございます!
これからも岩手をよろしくね!


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2004年09月11日

新市名 「八幡平市」に決定! よしだそういち 6日目 9月11日

西根町・松尾村・安代町合併協議会で新市名に「八幡平市」と
決定しました。新市名と共に皆の意識も紳士命になればいいですね?
新しい意識に

これは西根のとうもろこし すーっげいうまい ここんちのとうもろこしは
さいこうにうまいっす。


これが、当センター1階地産地消レストランで使われている食材です。
これら素材のよさを活かした、料理は絶品です!

テラスで食べる料理は最高!


本日のランチ 
住田ポークのトマトソース(サラダ、スープ、古代米入りご飯のセット)
\900 うまかった

地産地消レストラン「いさみや」
盛岡市材木町7-31 TEL 019-621-2101



今日は土曜日、よ市 開催の日 30年前から続くよ市です。
写真は暗くて見えにくいですが、通りの向こうに見えるのは
岩手山です。
よ市の人通りは、びっくりするほどの賑わいで(ホント聞いてた
以上にすごかった)
今旬の、野菜・きのこ・栗・ぶどうなどを求めて賑わっておりました。

毎週土曜日 3時から7時まで開催です。ちなみに4月から11月まで


ここは、材木町にある中国茶専門店「しゃおしゃん」
元県職員の彼女がお茶にはまって、中国・台湾へ
自ら焙煎するお茶は最高の至福のひと時になるでしょう。

よく行ってお話しします。
店主のしゃおしゃん(中国でのニックネーム)は、県職時代
イギリスでグリーン・ツーリズムの勉強をしていたことも
あるんですよ。
http://www8.plala.or.jp/xiaoxiang/

近くのパン屋さんも天然酵母を使ったパンでベッカライ・ベルグ
といいます。
http://www.h2.dion.ne.jp/~berg/index.html
銀座のいわて銀河プラザにもありますよ。
http://www.pref.iwate.jp/~hp0401/


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