2007年09月09日

宮崎県高千穂町 高千穂観光協会 飯干記章 7日目

今日は、僕の住む向山地区
の学校の運動会でした。
僕の通った向山南小中学校は、併設校です。
僕が通っていた頃は、児童数は、70人くらいいたんですが、
今は9人です。来年は6人という話でした。
児童数が少ないため、地区の運動会としての機能も兼ねており、
色々な方が参加します。
今年は高校生が試験や部活動の大会出場などで出れなかったため、
しわ寄せが色々なところに来てました。
ちなみに僕も全体の半分ぐらい出ました。

きつかったー。筋肉痛。

風呂に入って一杯のんで寝ましたよ。ぐっすりと。

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ラベル:宮崎県 高千穂町
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2007年09月08日

宮崎県高千穂町 高千穂観光協会 飯干記章 6日目

観光地のマナーってあると思うんですよね。
先日の台風で、高千穂峡に上がったゴミです。

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人の手で一生懸命片付けるんですが、
やっぱり無理な量というのはあります。
これがこのまま川下の町へと行くのかと思うと。
海へ流れ出るのかと思うと。

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高千穂峡だけの問題ではないな、と。

捨てるなら持ち込むな。

持ち込むなら持って帰れ。

まさかとは思うけど、地元の業者が汚してるとかはないよね・・。
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2007年09月07日

宮崎県高千穂町 高千穂観光協会 飯干記章 5日目

現在台風の被害で約2年運休を中止している
高千穂トロッコ鉄道を
再び走らせるために
僕の友人たちが奔り回っています。
今日も、たくさんののぼりを作って
色々な町内の店を回っていました。
年内一杯まで期限は延びた様なのですが、
いまだ目処は立っていません。
町内でも意見は色々です。僕自身は、
是非走って欲しいと思っています。
観光協会という立場でなく、いち個人として。

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高千穂は自分の子供と遊ぶ時、町外に出ることが
ほとんどです。そんな親子のためにもね。

僕の子供ができた時に一緒に乗れたら
楽しいだろうなあと思います。

がんばれ、斉藤 藤木!!!!

高千穂トロッコ鉄道を
再び走らせるために。

ラベル:宮崎県 高千穂町
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2007年09月06日

宮崎県高千穂町 高千穂観光協会 飯干記章 4日目

僕は、ライムスターというラッパーが大好きなのです。
最近、pod cast にはまってまして、「ウィークエンドシャッフル」という
ライムスターのウタマル師匠が出てるpod castが特にお気に入りです。
その中で、いつも[X BOX]の話が出てきます。
「[X BOX]を持ってないやつの気が知れない。」と。

だんだん欲しくなってきました。

買っちゃいました。

僕もいいたいです。

「[X BOX]を持ってないやつの気が知れない。」

注:[X BOX]についてワカラナイ方は、そのまま検索して
調べてみてください。いいですよ。
ラベル:宮崎県 高千穂町
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2007年09月05日

宮崎県高千穂町 高千穂観光協会 飯干記章 3日目

高千穂峡内観光売店にて、ギャラリーを開設しておりますです。

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先月は日之影町在住の廣島さんという方の作品展示を行いました。
この方はスミソニアン協会から、「A Basketmaker in Rural Japan]
という本まで出ている方です。近く日本語版が出るということなので
要チェキです。
観光協会内での交渉が一月かかった本当に苦労した作品展でした。
日之影町観光協会・商工会の皆さん、特に山根さん、本当に有り難うございました。
お客様も大変喜ばれていましたよ。
Yo。

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次回開催予定は「刈り干きり」です。刈り干きり唄・労働食について紹介したいと思
います。
ラベル:宮崎県 高千穂町
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2007年09月04日

宮崎県高千穂町 高千穂観光協会 飯干記章 2日目

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消防訓練も終わり、いよいよ神楽の練習が始まります。
去年帰省してから、また神楽を舞うようになりました。
去年は彦舞という舞をふくめ、4番舞いました。
彦舞は、神楽の中で、2番目の舞になるのですが、
神楽宿についてから数えると最初の神楽です。
 神楽を始める前に場を清めるという意味があるそうです。
 面様は猿田彦となります。
和舞は非常に難しく、呼吸や間の微妙な取り方でうまい人とそうでない人の差が出てきます。

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僕は神楽が好きです。まだまだへたくそですが。
今年は笛も練習します。
ラベル:宮崎県 高千穂町
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2007年09月03日

宮崎県高千穂町 高千穂観光協会 飯干記章 1日目

今年の夏は、スタードームと高千穂峡内での体験メニューに振り回されました。

スタードームは国見ケ丘というところに建てました。

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Npo法人 天岩戸自然学校の工藤鉄平君 監修のもと、観光協会職員で手伝いながら建てました。
モノ自体は非常に好評で、特に日よけをつけたのが良かったです。

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国見ケ丘の「雲海茶屋」では、しいたけ茶を無料で振舞っているのですが、このスタードームでお茶を楽しまれる方も多かったです。風がいい塩梅で吹いて、気持ちいいですよ。

今年のは撤去しましたが、意外に好評だったので、来年また作ろうと思っています。

体験メニューは、高千穂峡内で色々やりました。陶芸・神楽面彩色・水鉄砲・・・。

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大変でしたが、子供たちの喜ぶ姿、写真をとるお母さん、子供にせがまれ悪戦苦闘するお父さんたちの姿、職人のようなおじいちゃんたちの姿を見ると「やってよかったな」とほんとに思いました。

広島から来られた家族連れのお客様からはお礼の手紙を頂き、「高千穂が好きになりました。」と書いて頂いていたのが非常にうれしかったです。

今後もできたら続けたいと思っているのですが・・・。

観光地を使って遊んでるわけじゃないですよ。けっして。

ラベル:高千穂町
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2007年06月25日

宮崎県宮崎市 児玉健作 7日目☆☆

あっという間に最終日です。

おおよそ着物屋らしからぬ話をしていたような気がします(笑)

まだまだ書いてなかったことを思い出したりもしますが、これからも何らかの手段で発信していきたいと思っています。

さて、楽しいお知らせを。

今年で4回目になりますが、

『ニッポン全国きもの日和』

という催しが、11月3日に開催されます。
全国各地の着物ファンが、思い思いのイベントを同じ日にそれぞれの地域で開催するものです。既にご自分の地域で報道されご存知の方もいらっしゃるかもしれませんね。

これは、名目上「着物のファン」が主体となって毎年11月3日に開催される、という決まりだけが存在します。
日本中で同じ日に色々な所、この空の下に、着物を着る人がいたら面白いんじゃない?ということで始まりました。
ですから開催されない地域もありますし、たった1人でも2人でも「今日はきもの日和だぜっ」と着物をまとえば、それはきもの日和のイベントなんです。とても簡単、気楽でしょう?

宮崎にも実行委員会があるんですよ♪
昨年は古き町並みを残した港町「美々津」で。
今年は近代宮崎の山林王、後藤家を中心に賑わった町「高城」にて。

地域の伝統や、和文化の良いところを見つけ出し、小さい子どもからお年寄りまで誰もが楽しい!と言える町おこしに。
そう思って宮崎では、やっています。

皆さん、今の内から11月3日に目標をつくって、着物を着てみませんか?



「今週の僕」の思っていること。〆
さて、最後に書いておきたいことがあります。着物に関する、考えて欲しいこと、です。

「着る」という、衣服としての最も重要な根幹がありながら、この世に生まれ1度も誰にも袖を通されなくて、消えていく。

そんな運命を辿った着物たちは、数知れません。
今、日本の各家庭に眠る着物の総額は4兆円分ともいわれています。
ちなみに宮崎県の抱える負債は1兆円弱です・・・。
古本屋でコミックを売ったことのある方はご存知でしょうが、古着屋さんに売っても信じられないほど安く買い叩かれます。
価値を認めない人からは、荷物が減って部屋スッキリ。1,000円にもなれば御の字だ!と思われるかもしれませんが・・・。


私も、私の両親も、店でこう言います。

「着物を着ませんか?」

着物に興味をもたれた方には

「まずはタンスの中を見てみてください。お母様やおばあ様、
お父様やおじい様の着物が眠っているかもしれませんよ。」

と。

確かに、新しい消費を得られなければ、今の生産者の生き残りには益になりません。一般的に厳しいとされる今の呉服業界、消えゆく技術がどれほどたくさんあるでしょう。

しかし、思いを込めて作られたであろう数々の着物たちの行く末を思うと、そう言わずにはいられないのです。

呉服屋の決めゼリフに「置物は(笑)お着物は何代にも渡って着られますから、お得ですよ」などという言葉があります。
僕は、そんなのは商品に付加価値を付けてより高額で売るための、セールストークだと思っていました。
今も、そう思っていないわけではありません。
深く考えず、イメージだけでそう言う呉服業界人が存在するからです。

しかし、1枚の布として完成するまでに幾多の工程を経る着物、裁断され縫製され丁寧に仕上げられたそれが手元に届く、着て、解いて、縫い直されて、或いは染め替えられて、いつしか着用に耐えられなくなった頃、布としてまた何かに活用されついには消滅していく。

そんな使われ方をされていたという事実が、あるんです。

捨てられるために、パッチワークに売買されるために、洋服にされるためにこの世に生まれたわけじゃない。

着物には、一つのものを使い捨てではなく、ずっと使い込み大切にしするというある種の「モノ」の理想が、この国の知恵が、様々な思いや想い出と共につまっています。

呉服屋さんにセールストークを仕掛けられた時、その店員さんが洋服だったら是非聞いてみてください。
「なぜ、あなたは着物を着ていないのですか?」と。

もしあなたが着物を着ていて、それに後ろ指を差す洋服の方がいたら、尋ねてみてください。
「なぜ、あなたは着物を着ていないのですか?」と。

もちろん伝統衣装などという一方的なレッテルを貼られた「凍ったもの」ではなく「血の通った衣服」である限り、着ていようがいまいが個人の自由です。でも今の着物のあり方はとても不自由です。

営々と築かれてきた知恵の積み重ねと、家庭ごとの地域ごとの伝統なくして、ただただ洋服と比べるのはあまりにも、分が悪い。
悲しいかな、憂うべきかな。


7日間にわたって僕がここで書いたことを、少しでもあなたが覚えていて
いつか凛とした、あるいはとてもリラックスした、キモノの面白さを知っていただけることがあれば、何よりも幸せです。

また、どこかでお会いしましょう。

2007年6月24日 宮崎市 染織こだま店員 児玉健作

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メッセージ、コメントお待ちしています。


ご紹介いただいて日向時間テツロー様、朝田様、読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。また明日も頑張れます。
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2007年06月23日

宮崎県宮崎市 児玉健作 6日目☆

着物と時間というところから本日は始めたいと思います。

着物を着用するのにかかる時間はどれくらいでしょうか?

僕はその時々によって違う、といいますか変えているのですが
おおよそ1分〜8分程度です。
急いで出かけるときなどは、パッと着物を羽織り帯を締めて出ます。
冬はそれでは寒いので、足袋やら羽織やらマフラーが加わり3分ほど。

スーツを着て出かけるときと、そんなに大差は無いです。

では、変えているとはどういうことか。

それは

あえてゆっくり着る時があるということです。

丁寧に襟元を合わせ、着物をなるべく自然な形に体に沿わせます。
帯は、着物の要ですので腰に(いわゆるくびれの部分ではなく腰骨)馴染むようしっかりと締めます。
そんな時は大抵袴を着けるときですが、袴もまた腰を支えるものとして、丁寧にしっかりと身に着けます。
そうしている間に、気が引き締まってくるのが感じられます。

気力を充実させたいとき、敬意を払いたい誰かにお会いするとき、
また着る時間そのものを利用してリラックスしたい時。
僕はゆっくりと、ゆっくりと、着物を着ます。

着物(和服)を「スローウェア」と呼ぶ根拠の一つでもあります。
着物を着用する、或いは帯を結ぶ早さを競う大会などがままありますが、スローであることの意義を手放しているような気がして、ちょっと重いため息をついてしまうことも。

また、1枚の着物。高価なもの、安価なものどちらもあります。
3000万円とされるものも、50円とされているものもあります。
どちらも「お着物」と呼ばれる存在。

中には、実に2桁にも及ぶ工程を経て、何人もの手を巡り、気の遠くなるような作業の果てに完成されるものもある着物です。
その時間、技術への対価ということを考えたとき、それが素晴らしい工芸品であり美術品だと認識されたとき、高級着物は「適正価格」を付けられることがあります。

時間への対価、という意味。それは製作の工程においても、着物のスローであることの裏づけになることでしょう。

あえて書きますが、それを殊更に喧伝し利幅をいや増しに増やす業者がいることも事実です。職人に対して値切ることはいくらでもするのにね。

もう一つ着物をスローウェアという根拠ですが、これは時間の質を変えるということ。同じ日に同じ場所で、洋服・和服を着て行動するときに違いが生まれるのです。

秋、次第に突き抜けるよう高くなりだした空には、ポカンと浮かぶ月。虫の声が、風吹き抜ける植物の擦れ合う音。遠く聞こえる波濤。

この質を高めることが出来るのは、そのものを感じ取れる人であること。土と共に、海とともに生きている人です。

それを助けるのが、家であり調度であり、食膳であり、そして衣服です。衣・食・住の三者をもって、時間の流れをゆるゆると緩めることが出来るようになります。

既に、それを体感されている方も、多いのではないでしょうか?

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2007年06月22日

宮崎県宮崎市 児玉健作 5日目☆

着物で旅する男、児玉健作でございます。

自分の好きなことを凝縮していったら、いつの間にか「着物で歩いて旅をする」になっておりました。

徒歩の旅は、自分の体を酷使するという側面もあってか、普段とは比べ物にならないほど「人間以外」のものが沢山見られます。
それを写真や絵画に写し取る術を持たない僕は、ただただ感じるままに心を巡らせるばかりでした。
驚くほどにあらゆる生き物の生死の有様を見て、自然災害の傷跡に直面して、過去の遺産に心を揺さぶられて、
今を生きる見知らぬ人々と言葉を交わし、「この世は常に生と死の明滅で形作られている」という心境に至ったものでした。

暑い日は川縁に体を休め、湧き出る清水に浸した手ぬぐいで汗を拭い、雨の降る日は雨の音を全身で聞き取り、暗い山の中では人ひとりの弱さを知り、賑やかな街の中では普段の暮らしを、まるで違う者の目で眺める。

ある意味で自分を異界の者と成す故に感じた多くの事象は、僕の死生観や自然観をかなり変えてしまいました。

身の程を知る、とはネガティブなイメージが付きまとったりするものですが、正に逆の、良い意味で身の程を知ることの叶った旅でした。



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2007年06月21日

宮崎県宮崎市 児玉健作 4日目☆

tabi01.jpgさて、第4日目。コメントいただいた中に着物の機能性の
話しがありましたので、その辺の画像をちょっとだけ。
この画像は、宮崎県を縦断する「ひむか神話街道」を歩いて旅した時のものです。

tabi02.jpgこれは愛用の地下足袋です。内側がメッシュ素材になっていまして、ウォーキングなどのスポーツ用に開発されたものです。ネット通販で買えます。

tabi03.jpgえー、着物にはよく見かけるカタチは四角い袖があって、肩から足元までストーンと下りたものだと思います。ところが、腰丈・膝丈の着物というものも昔からありました。一時期話題になった「ミニ浴衣」など、一休さんのサヨちゃんが着ている位の丈ですから、目新しいものではありません。

この丈が半分のものを「半着(はんぎ)」といいます。

前述の長い方は「長着(ながぎ)」と呼びますから、そのまんまです。
その「半着」ですが、袴の下に履いたりする時は、嵩張らず便利です。かつての野良着も、近いものがあったかと思われます。袖の形状は「船底(ふなぞこ)」、機動性第一です。

もう1点の方に目を向けていただくと、これはバッチョと呼ばれる笠の一種です。
漢字では番匠と表すようです。棕櫚の皮や竹で拵えた物があります。宮崎の土産店には400円位から置いていたりします。
雨の日も視界を遮らず、かつ両手が自由になります。
頭と笠の間に空間もありますので、蒸れたり熱がこもったりしません。
実に理に適ったアイテムを先人は生み出していたものです。
よく時代劇などに登場する菅笠も、雨が降れば水分を吸って膨らみ、かえって防水性が高まるものです。
まあ、難を言えば強風には弱いところがあります。

tabi04.jpg
最後に、ここは宮崎県西都市の寒川集落です。
近年しきりにメディアに取り上げられるようになった「限界集落」。
その終着点です。詳細は映画になっていますので、サイトを見てみてくださいね。
映画「寒川」公式ウェブサイト ※注 寒川は(さぶかわ)と読みます。

これらの画像で、おおよその僕の旅姿を見て取っていただけたでしょうか?
着物も色々、あるんです。

僕はかつて、自転車、二輪、四輪またはバス・電車・飛行機といった
速い旅・早い旅をしてきました。
ある時など、宮崎を夕方に出て翌朝奈良に到着という自動車旅行。
もちろん、途中の景色や名物、人との出会いなど有りはしません。
ただズワーッと続く夜の高速道路・・・。
やる度に「もうこんなアホなことはしないぞ」と思うんですよ。

そうして気づいたんです。旅はその過程こそが面白いはずだ、ということに。
人は、人が動く速さ以上の旅では、沢山のものを見落としてしまうし、
速さを競う旅では見えてこないものもある。

だから、「物見遊山」
をキーワードにして旅を、徒歩の旅をするようになりました。

キャッチフレーズは「時速一里の歩き旅」

これをスローツーリズムと呼んでも、いいでしょうか?
さて、明日5日目はスローな服とスローな旅の邂逅。
「歩き旅」のお話を予告いたしまして、4日目の〆といたします。






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2007年06月20日

宮崎県宮崎市 児玉健作 3日目☆

第3日目です。着物暮らしがどうスローライフと関わるのか、前回の最後で少し触れました。その中で、自分が実際に感じたところをご紹介していきたいと思います。

◆四季の移ろいを感じる
 春夏秋冬それぞれの時期に応じた素材や形式別の着物があり、それぞれの組み合わせにより季節を味わうことが出来ます。また、柄や模様・小物によって季節感を演出することは着物の大きな楽しみの一つです。
例えば、四季を通じて好まれる桜ですが、花見のときの桜模様は格別ですし、七夕のときの星をかたどった小物。中秋や仲秋の観月の折に、ウサギの模様など。最近ではハロウィンやクリスマスにちなんだ柄なんかもあったりして、コーディネートの妙を楽しませてくれています。
その時そのときの「らしさ」を意識することにより、自然や気候・また文化との調和を体感することが出来て、無理のかかった「季節外れ」すなわち人工的な、旬以外に供される食べ物ではなくその時期のものを愛でることにより自然との一体感を味わえます。

◆古人の知恵を受け継ぐ
着物に親しむことと、切り離せないのが日本の伝統的な「知恵」との接触です。おばあちゃんの知恵袋や、最近では「風呂敷」のようなエコロジーとされる工夫も、着物暮らしではいち早くその生活に取り込んでいます。便利なものは、例え着物から離れたとしても、いつしか身に付いた知恵になるものです。
身振りや仕草、作法といったものも特に習い事をしなくても自然と身についてきます。これはちょっと自分でもびっくりするぐらいでした。
不便さを嘆く前に、それを越える知恵を磨くことが出来るのも、思わぬ収穫になることでしょう。

◆歩くこと
 着物は歩きにくいという先入観があるようです。総じて活動的ではない、と。ここでビシッと反論しておきましょう。
着物を動きにくいものにしてしまったのは、近代に、いやここ50年ほどの着物文化に原因があります。結論から先に申し上げますと、
「着物を着ていても野球ぐらいは出来ますよ」
というところですね。
ちょっと逆説的な話になりますが、昔(明治以前くらいですか)の人は、皆おとなしくきちーんと端座して、お行儀良くしていたでしょうか?
そんなはずはありませんよね。自然を友としながら、それぞれの地域で働いて、涙して笑って、時に喧嘩もしながら、生きていたはずなんです。



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ラベル:着物 季節
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2007年06月19日

宮崎県宮崎市 児玉健作 2日目☆

第2回目です。前回、突然の着物熱にかかってしまった貧乏男子大学生が、いかに着物を手に入れるか〜、というところで終了しました。その顛末を述べまして、当世着物事情から話を進めましょう。「スローウェア」とどういう関わりがあるのか、いずれのお楽しみに。

お金の無い学生のこと、帯も着物も履物も、まず持ってはおりません。手に入れたいとは思うものの、呉服店は金額も敷居も高そうだし、浴衣を買うほどの金も無い。
書店にも資料は無し、苦肉の策で当時普及しつつあったインターネットを使い、情報を集めました。ところが、「男の着物を格安で手に入れる方法」はどこにも無かったのです。(もちろん今はこの頃よりも遥かに情報は増えていますが)
やっと見つけた2、3のサイトで調べて発見しましたのが「骨董市」。確かにこれなら古着もあるはず!早速京都は東寺の弘法市へと足を運びました。選び方すらもわからない中、とにかく店のおじさんおばさんに聞きまくって1枚の麻着物を入手したのです。お値段は忘れもしない5,000円ナリ。
帯は実家から祖父のものを送ってもらい、履物は500円くらいの一番安い雪駄を。襦袢は、当時雅楽を習っていた関係で半襦袢がありましたのでこれを流用。こうして何とか一通り揃えて、僕の着物ライフは始まったのでした。

着物を着始めて、何を感じたか。季節の移ろいか、日本の心か、いやいやこれが羞恥心だったのです。やけに通りすがる人々がこちらを見ているような気がしまして、何とも恥ずかしい気持ちがありました。
今にして思えば、これは自意識過剰であったような気もしますが、いっちょう着物を着てみようと決めた男は、結構誰しも通る道なんですよ。それが故に着物に今ひとつ踏み込めないという諸兄の話も聞きます。
さて、その後のことを少し。祇園祭デビューを着物で果たした後、それからは古着を扱っている店が不思議と目に付くようになりまして、リサイクルショップや骨董市、または着物専門の古着屋を回りました。
ちょっとずつちょっとずつアイテムを増やし、それと同時に秋は紅葉・・などと決めて色々な場所を散策しました。それまでも訪れていた古寺や名勝が、まったく異なった光を放つように感じられたのは、意図しなかった喜びでした。

当時手に入れた最も安価な着物は、ウールのアンサンブル。着物は50円で羽織も50円。まったく笑ってしまうくらいの値段です。しかし、需要が無いものは、この値段でも売れはしなかったということなのでしょう。在庫は豊富でした。もっとも、今は同じ店で30倍!のお値段が付いていたりします。それが安いか高いかは、人それぞれでしょう。
そんなこんなで、まったくの呉服屋稼業とは対極に位置して着物に親しむことになった僕ですが、今の呉服業界であるとか着物ファンである方々の動向というものは、大変面白く感じられます。
多くの方が思うような、堅苦しい「日本の伝統と高級感」の世界がジワジワと変化してきているのです。
もちろん、2006年夏にちょっと話題になった、悪質な販売方法をとっていた巨大チェーン店の倒産に象徴されるように、まだまだ高額商品押し込め路線は、残念ながら健在です。もっともそうでないお店が増えたことが、大いに励みになるのですが。

ちょっと脱線してしまいましたが、「着物」の価値観が変わってきていることが言いたかったのです。何かあったときや人生の節目に着るものから、普段に個人の楽しみとして選択できるものへの変化。衣装としての着物が衣服としてのそれとして復活しつつあります。

これを僕は、自然とともに生きるスローな生き方と切り離して考えることが出来ません。着物を着ると、自然歩く時間が増えます。自家用車に乗って走る時速4、50kmの視点から時速4、5kmの視点へと変わっていく。
そこには、きらめく様な世界が広がっていました。季節を感じ、大切に培われてきた伝統、知恵を自らのものに成していく。
まったく素敵な生き方があったもので、そこをもって「スローウェア」と呼ぶには十分すぎるような気がします。
こんな現代の着物暮らしを通したスローライフ、これを明日のテーマにしたいと思います。

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2007年06月18日

宮崎県宮崎市 児玉健作 1日目☆

kodamaはじめまして。児玉健作と申します。
この度1週間のお時間をいただき、「今週の私」をお届けいたします。
さて、簡単に自己紹介申し上げます。1980年2月生まれ、宮崎県
宮崎市で高校まで過ごし、4年強を奈良に。
その後故郷へ戻り、3年間をサラリーマンとして企業で働きます。
ただ今家族で経営する和服の小売店で、2007年春より勤務。
地域振興をライフワークとして、楽しく元気な地域づくりを日々考えています。
趣味は徒歩の旅、性格は「石橋を叩かずに跳ぶ」タイプです。
しばらくの間、お付き合いのほどよろしくお願いします。

さて、僕がまず取り上げるのは「衣・食・住」のうち「」です。スローライフが支持され、LOHASが求められる中、食への関心や住まい、或いは自然と共にある暮らしへの志向は高まっています。
ところが、日本に暮らすものにとって文化としての衣、ここで取り上げます「和服」の価値や効能というものが見落とされている気がしてなりません。
そこを『スローウェア』という言葉で語っていきたいと思います。

まず、僕自身の着物との接点を簡単にご紹介して1日目の話題といたします。着物、つまりは和服を着用するようになったのは2001年の夏からです。当時近畿地方で暮らしていたのですが、ちょうど祇園祭が近づく頃。そうですね、季節としてはこのブログを書いている今くらいでしょうか。「突然着物が着たくなった」のです。もっとも、奈良という懐深い土地に住むようになったのが「奈良京都という歴史と文化財の宝庫を堪能するには、住んでみるのが1番と思った」からで、したがってその土地の風情を味わう上で着物をまとった方が、より深く楽しめると感じていたので、ある意味ではそれは必然だったのかもしれません。

僕は実家がいわゆる呉服店だったわけですが、それまで着物に親しむといえば夏の浴衣か正月の着物、成人式の着物ぐらいでした。それでも他の人より少しは着た回数も多かったでしょう。しかし成人式の頃、1人で着ることなんてとても出来はしません。まして着物が生活の一部になり得るなんてまったくの予想外。かけらも考えていませんでしたね・・・。

そういうことで、急に着物が着たくなったものの、季節は夏。浴衣の他に夏の着物もあるのかな〜くらいしか考えていなかった身としては、「何から手をつけていいかさっぱりわかりません!」という状態です。
呉服屋の息子だからそれくらいわかるだろう、などと言われるかもしれませんが、興味関心が無いということは、たとえそれが家業のことであっても理解しようという気も無いのですからどうしようもありません。
実際のところ、身近に呉服屋さんのお知り合いがいらっしゃる方は、普段からその方が和服を身に着けていらっしゃるのかどうか、気に留めて見てみるか、姿をちょっと思い出してみてください。

というところで第1回はここまで。明日はいきなり壁にぶつかった僕がどういう行動に走ったか、そして冒頭にて触れました『着物の効能』について書いていきたいと思います。

まず読んでいただき、ありがとうございました。

蓮屋 hasunoya http://hasunoya.atukan.com
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ラベル:着物 宮崎
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2007年06月09日

宮崎県日向市 川崎修 5・6日目

申し訳ない(泣)
一日空けてしまいました。せっかくコメントいただいていたのに・・・。

昨日と今日は、お隣、延岡市で「ISO9001/14001」の内部監査員講習会があり、そこで受講していました。ひさしぶりの「座学」しかも、丸一日、2日間。ひとこと「ひんだれた〜〜〜〜」です。

※「ひんだれた」=宮崎の方言で「大変つかれました」の意

ブログを更新する気力ありませんでした。見事な3日ボーズです。

さて、今日は昨日いただいたコメントのうち、高千穂の友人「藤木テツロー」君のことを・・・。

彼との出会いは、もう1年前でしょうか?私が以前つとめていた菓子屋で、お店のギャラリーがあり、そこで「ツバルの光」写真展をやってもらったのが始まりです。それ以前に宮崎県情報を発信している、「パワナビ」の代表者である「藤木くんていう、若者がいる!」と話しを頂いていましたが、そのときはコンタクトできず、雑誌「日向時間」を主宰した若者として、どんな強者?という正体不明な存在だったのですが、実際にお会いしてみると、なんか「ふわふわ」しているような、脱力系というか癒し系というか、雑誌「日向時間」創刊号の硬派なイメージとはかけ離れた印象でした。

日向時間創刊号.jpg日向時間創刊号

そんな彼と、再会したのは、この「ひゅうがリサイクルセンター」がオープンした直後、私が「この施設は県内、いや全国に情報発信したい!」と懇願したんですね。そしたら「「日向時間」として取材にいきます!」と快く、OK。あれよあれよと取材をしてくれて、たっぷり情報発信してくれました。

それから、いろんなことで彼とコンタクトをとるようになり、背中を押されるように地元のFMラジオで少しインタビューを受けたり、延岡のジャスコで一緒にイベント打ったり。とバタバタとまた、急速に深くおつきあいさせていただくことになったのでした。

不思議な男です。藤木テツロー

彼の講演会が6月28日かな?日向市で行われます。私が日向市役所に言って、少しですが予算が付いたことによるものです。少しでも彼のイイ話が日向の人たちに伝われば、また、彼に頂いたご恩を少しでもお返しできれば・・・と思います。

オサム語録:「最善観(さいぜんかん)で生きる」

森信三先生が「終身教授録」で語られた言葉です。

「自分の身に起こることは、全て必然であるとともに最善のことであるから、一切これを拒まず素直にその全てを受け入れ、そこに隠されている神の意志を読みとらなければならない。」

神という表現について、異論を唱える方々がいらっしゃるかもしれません。が、私が2日目で「すべては必然」と書いた、元になる言葉です。

私がこの会社に入れたのもこの最善観によるものかもしれません。私は、高卒です。でも負けん気だけは人一倍強かった。「成功したい!」との思いで、この15年間は勉強もしましたし、いろんなセミナー、また仕事も一所懸命やってきました。そんな中、7年前に辞めた会社の専務から、電話が・・・。

「少し話があるから、時間とれるか?」
すぐに向かいました。私にとっての「2師」か「3兄」の一人です。

専務の会社に到着後、応接室に招き入れられ。

「おまえは、今の会社にいて未来はあるのか?」

開口一番の言葉です。

「う〜〜〜ん、ないと思います。今の会社は家族経営(株式会社ですが)で、よその血を入れたがらないようですから。」

「それなら、ちゃんと聞け、おまえにある男を紹介する・・・・・・。」と今の会社のセンター長であり、私の今の上司になる「加藤氏」を紹介する。といった話でした。

会社を立ち上げているが、「工場長」の役目をその専務にに相談したんですね。それに対して「俺はいま、動けんから俺の片腕を紹介する!」と言って私の名前を挙げてくれたんです。

もう7年前です。その専務と一心同体のように行動していたのは。普通ありえない話です。専務はそのやりとりを私に話してくれました。

「いきます!その加藤くんに会わせてください」

あっという間に、話はついて、今、私は「ひゅうがリサイクルセンター」の工場長です。

私を紹介してくれた専務に感謝です。また、加藤氏との出会いに感謝です。そして、いままでがんばってきた自分にも感謝しました。

いま、一所懸命がんばっているのになかなか報われない人たちって多いと思います。でも、頑張っていれば、いろんな力が作用して、必ず報われるものだと思います。常に「最善観」を忘れずがんばっていきたいですね。




ラベル:宮崎県 日向市
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2007年06月07日

宮崎県日向市 川崎修 4日目

クルスの海.jpg日向市のこと・・・。
今日は、私が毎日通勤している「日向市」のことを少し。
日向市は宮崎県の北部に位置する、太陽の光と青い海に囲まれた町です。Bn}.jpg人口は、63,506人(2006年2月1日)、市の花=ひまわり。日向市出身の有名人=「若山牧水(歌人)」「江藤隆美(元代議士)」「青木宣親(プロ野球選手)」「桂歌春(落語家・(社)落語芸術協会監事 )」などなど詳しくは、ウィキペディアにて・・・。

私は、この会社に勤務するようになってはじめて、日向市のことを詳しく知ることになったのですが、通ってみてこの土地と人に接することになったのですが、一言「あったかい!」

仕事を通じての人間関係なので、もっと深いところを見ないといけないとは思いますが、私が生まれ育った延岡よりもイイと思いました。とても表現が稚拙で申し訳ないんですが・・・。

今日の記事の頭にある写真は「クルスの海」と言います。太平洋に面した日豊海岸にある日向岬の一部なのですが、通称「願いが叶うクルスの海」として主にカップルに人気のスポットです。また、その近くに「サンドーム日向」をはじめとするお倉が浜運動公園には、現在毎年、「欽ちゃん球団ゴールデンゴールズ」もキャンプに訪れ、温暖な気候と暖かい人情のある町として萩本欽一さんも楽しみに訪れてくださっています。

また、日向市は先に書いた日豊海岸を擁し、サーフィンのメッカとして「金ヶ浜」「小倉ヶ浜」など有名で、一説にあの木村拓哉も波乗りにお忍びでやってきたとか。結構捨てたもんじゃないところなんですね。

まだまだ、日向市の魅力はあると思います。でも私も現在勉強中でして、もう少し調べて、もっときつーい情報をアップできればと思います。とにかく、南国宮崎。あの「どげんかせんといかん」の東国原知事で有名になっていますが、知事のみならず、ここ日向も魅力満載ですので、どうぞお気にかけて下さい。

オサム語録:「針は天極をさす」
高村光太郎さんの言葉です。
【高村光太郎の詩・書】
  いくらまわされても 針は天極をさす


自分の信念を方位磁石(コンパス)に例えた詩です。
どんなに振り回されようが、自分の目指した方向は見失わない。
どんなに誘惑されようが、流されない。

天極という言葉もいいですね。

『天極』

あなたの天極は何ですか?



ラベル:宮崎県 日向市
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2007年06月06日

宮崎県日向市 川崎修 3日目

今日は、昼間はうちの女子従業員のユイさんと宮崎市まで行くことになり、片道2時間、往復4時間の運転でした。彼女は22歳大卒の新人です。

当社では、「環境学習課」という部署を設けました。そこの担当です。彼女からこんな質問を受けました。「工場長は休まないんですか?」と。

「・・・・う〜〜〜〜ん、休まないとイカンよね。俺が休まんとみんな休み辛いやろ?」「はい」

そうなんです。会社をオープンさせて、ほとんど休んでいません。別にそれが手柄ではないと分っているのですが、また、他人に対して、その姿をひけらかすつもりも毛頭ないのですが、結果、みんなに「休みづらい」空間を醸し出してしまっているんですね。

「もうしばらくしたら、しっかり週休2日とらせてもらうわ」

と答えておきましたが、どうなることやら???
とにかく安定稼働が見えるまでは、気が抜けないので、当分「休み」は考えられないかな?ごめんユイさん。

オサム語録:「過去と事実は変えられない、変えられるのは解釈だけだ」

これは、私が以前つとめていた会社の社長が教えてくれた言葉です。少し造語?の部分がありそうなんですが、共感したので、しっかり頭に入れてます。

そうなんですよね?「過去」自分がとってきた行動・決断。「事実」目の前にある真実。は変えようがないですね。昨日も少しここで書きましたが、「・・・たら、・・・れば」を考えてもちっとも良いことなんかない!。また、目の前の事実は事実として存在するときに、人間は、ようはどう解釈するか?しかないんですよね。私の前の会社の社長はよく「ラッキー!」を口癖にと言っていました。

仮に、なにかケガをしても「ラッキー!」とまず、口にする!
そしてその後、なぜ「ラッキー!」か?考える。と言っていました。私もそれに習っています。目の前に起こる問題、課題に対して「あ〜〜なんて俺は不幸なんだ〜〜〜」と嘆くよりも「これも必然!ラッキー!」と考えて、なぜラッキーなのか答えを探ったほうが、より前向きに行動できる。実際そうしてたくさん実体験を積んできて、結構自体が好転sていくことを知ったんですね。

どうですか?みなさんも「過去と事実は変えられない」ならば「解釈」を「ラッキー!」に変えてみませんか?

また、明日!
ラベル:宮崎県 日向市
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2007年06月05日

宮崎県日向市 川崎修 2日目

gaikan04.jpg今日も仕事の話を・・・。

本日は日向市環境市民会議の皆様、約40名の方々が、施設見学に見えられました。日向市環境市民会議とは、日向市が取り組んでいる「日向市環境基本条例」に基づいた日向市の環境問題を地域で実際に推進する方々を募って構成されている団体で、いわば町の環境問題対策員さんです。主に各区の区長さん方なのですが、その方たちが、新しいごみ処理施設の勉強にと来られたのです。0605kengaku3.jpg

当ひゅうがリサイクルセンターでは、出来る限り、研修見学の受入を積極的に行い、情報発信をしていくことを考えています。今まで小学校の生徒さんや、高齢者団体、地域の婦人会の方々などと共に勉強してきましたが、今回は実務面で高い意識を持った方々なので、しっかり取り組んでいこうとメンバー(私を含め4名)全員で対応したのでした。

本来なら、施設の説明はビデオやDVDを準備したほうが、伝える内容、ニュアンスも同じなので大変楽なのですが、私たちは、経費の面と自分たちのスキルアップのことを考え、スライドショーで説明を行っています。本日の講師はわたくし川崎がつとめました。

まず、施設の概要説明(スライドショー)→質疑応答→館内案内(管理棟)→工場内見学とステップを踏んで大体1時間30分の案内でした。
帰り際に「今度は区のみんなと見学にくるね」と多数の方から見学の依頼を受け、とにかく喜んで帰っていただきました。

ごみ処理を業としていますが、特に思うことです。このごみ処理という事業は、ごみを排出される方々との理解がものすごく必要な事です。ホントに最近つくづく思います。実は昨日は当センターに日向市議会の議員さんが3名見えられて、「分別が進んでいないと赤字になるでしょ?」と言われました。「そのとおりです!」と答えました。嘘偽りない答えです。本当に排出される皆様方の理解と実践があれば当センターで従業員が「手選別」しなくてもいい。ことになります。そこは、経費なんですね。市の予算を圧縮するために民間委託を検討される自治体が多数だと思います。でも、民間委託してしまった後の自治体の責任は変わらず、啓蒙活動を続けていくことが重要なのです。

しかも効果的な活動が必要ですね。なぜなら、たとえば「チラシ」を配布して、市内全域2万3千世帯に知らせました!では、理解が進んでいることとはイコールではないのですから。そんなこんな問題がいっぱいあって、ごみの分別はなかなか進まないのが実態です。

先に述べた、市議会議員さんに伝えました。「私たちの活動は、ごみそのものを処理する役務と、それによって得られる情報が命です。だから、私たちは地域の皆さん方へ効果的な啓蒙活動していくことも事業活動ととらえています。また、そういったノウハウは価値のあるものだと思っています。もしかしたらそこにビジネスチャンスがあるかもしれないと思っているんです。」と・・・。
これからもっともっといろいろな経験を積んでいくことでしょう。そこで得たものをみなさんへお返しする日が早く来るように頑張っていきたいと思っています。

オサム語録2:「すべてが必然!」

今回、会社を操業するにあたり、約50名の社員さんが集まってくれました(新規採用です)。いろいろな経験、年齢、性別の人たちです。私よりも年上の方たちが多数いらっしゃいます。みんなに来ていただいた初日に伝えた言葉です。「今日、この日この時間、この場所に一同に介したみなさんとは、会うべくして会っている、すべては必然で起こっていることと思っています。このご縁をしっかりつないでいきたい。この会社で働く事すべて、また、ここで起こることはすべて必然です。だからこのご縁を大切に毎日がんばっていきましょう!」と。

よく「・・・たら。・・・れば。」と言う人がいます。私個人の考えで「タラ・レバ」は嫌いです。過去があって今がある。だから過去に起因することを今、どうこう言うこと自体が無意味だと思っています。過去のそのときは、ベストの決断だったんだと思わないと前に進めないとも思っています。生きていくうえで、良いこと、悪いこと起こります。そのとき「これは偶然ではなくて私にとって必要なこととして目の前に起こっている。」と考えれば、自分を成長させる種として、肯定的に捉えられるじゃないですか。私は、これからもこう言い切ります。「すべては必然!」また、明日!
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2007年06月04日

宮崎県日向市 川崎修 1日目

ひゅうがリサイクルセンター
 初めまして、今日からこの「今週の私」を1週間担当させていただくことになりました。どうぞよろしくお願いします。
さて、初日なので簡単に自己紹介を・・・。

昭和42年10月生まれ、現在39歳の男です。妻1人、子供3人(長男小6、長女小4、次男幼稚園年中)の5人暮らし。
住まいは、日向市のお隣、延岡市です。特技は、剣道4段(小学校2年からやっていました)。趣味は、パソコンいじりと料理。

こんな男です。今回この「今週の私」に参加させていただくことになり、大変光栄に思っています。どんなことを投稿していくか、いろいろ考えておりまして、この地域のこと、仕事のこと、自分のことetc...。とまあ、日々の出来事を中心に投稿することになると思いますが、気長におつきあい下さい。

 私の仕事:日向市で今年の4月1日に操業開始した、複合型ごみ処理施設「ひゅうがリサイクルセンター」というところで工場長を務めています。工場長といっても私は技術屋ではないので、全体の運営管理、工程管理、自治体との交渉窓口などを受け持ってます。
 ここで、「複合型ごみ処理施設」と書きましたが、どんなことかというと、当センターでは、世の中にある「一般廃棄物」と「産業廃棄物」とありまして、一般廃棄物は自治体の責任で処理すること、産業廃棄物は事業所の責任で処理すること。となっています。簡単にいうと、ごみを処理する際に係るお金の負担が一般廃棄物は自治体(税金)、産業廃棄物は(事業主)と分かれています。通常、一般廃棄物の処理は、自治体が箱物を作って、職員は直営(公務員)か第3セクター方式であたりさわりのない「○○○組合」とか「△△△協会」とかに委託して行われ、基本的に一般廃棄物のみの受入で産業廃棄物は受け入れないのが原則です。そして産業廃棄物は、一般的に産廃事業者が施設、設備を投資して、産廃排出事業者への営業をかけて、営利事業として運営していく。つまりしっかり、区分がされているんですね。

 当社は、一中小企業です。もともと産廃処理事業でお隣の延岡市で40年間農業用廃プラスチックのリサイクルを事業の柱として取り組んできました。今回、縁あって日向市さんより誘致を受け、産廃処理で培われたノウハウと柔軟な発想で一般廃棄物も処理できる施設をつくってくれないか?というお誘いを受け、一般廃棄物も産業廃棄物も両方処理できる「ひゅうがリサイクルセンター」の建設が実現されたのです。

 一般廃棄物の処理委託を受託するときに問題となることがありました。それは当社が「いち、事業所」ということです。しかも今回の委託は、一般市民の持ち込みも可能な形での委託。つまり一般廃棄物の事業をまるごと「いち事業所」に委託することに対する、議論でした。結果的に予定通りに当社が受託したのですが、非常に珍しい「民間委託」(おそらく全国で初めて)が完成したのです。

 しかし、全国的に見て「第三セクター方式」ってうまくいってるとこあります?ほとんどないですよね?うちも始まったばかりなので大口はたたけないですが、第三セクターは運営体が「○○○組合」などいわゆる、同業他社の集合体なんですね。そうすると、事業活動しているということは常に「問題解決」がつきまとうことだと思うんです。「問題点」は組織が1枚岩なら、多少の無理を強いても団結力で乗り切ることができると思うのです。でも、そこに変な利害関係や派閥や仲間意識がある組織だと一枚岩になります?私はならないことのほうが多いと思います。だから、第3セクターはうまくいかないのではないかな?と思うんです。その点、日向市さんは(イイ意味で)非常識な決断をしてくださいました。行政改革をしていかなくてはならない全国の自治体のみなさんへの「勇気」につながるのではないかな?と思います。

 そんなこんなで約2ヶ月「ひゅうがリサイクルセンター」をやってきました。これからもず〜〜〜〜〜〜っとやっていきますけど、今日こうして投稿したことが「あら!口だけ」と言われないよう努力していかんとイカンと思います。まさしく「どげんかせんといかん!」です。

 仕事のことは、徐々にお話ししていきます。最後に、私は朝礼で必ず話さないといけないのですが、自称「オサム語録」を作っています。それの一部のご紹介。

オサム語録:「2師3兄5友(にしさんけいごゆう)をもて」

長崎蒲正鰍フ上戸社長よりいただいた言葉です。「川崎さん、人間が成功する、人生を生きていくうえで大切な人って何人必要と思います?」という質問をある勉強会で受けました。「???????????」私は、「解りません」と答えたのですが、そこでいただいたのがこの「2師3兄5友を持て」でした。たくさんの人と出会い、別れ、たとえば「一期一会」とか「○○○は袖すりあう縁をも活かす」とかありますけど、単純でなおかつインパクトがありました。「あなたが生きていくうえで、本当に「師匠」と思える人を2人、そしてあなたにとって「兄」と思える人を3人、最後に本当に「友」と言える人を5人持てたら、あなたの人生はいい人生(成功する人生)だと言えます。」

あなたにとって「2師3兄5友」は何人います?私はまだ完成していません。・・・。ではまた明日!

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2007年05月20日

フォトメッセージマガジン『日向時間』 藤木テツロー7日目 【宮崎県高千穂町】 5月20日

おっと、そして今日で7日目!ありがとうございました!早かったです!

7日目といっても、特別なことはありません。昨日の予定通り、土呂久に取材に行ってきました。

59-toro.jpg取材といっても、何を取材するかは、現地について次第。私が住む三田井地区から車で25分ほど離れています。天岩戸伝説で知られる天岩戸神社より6kmほど、土呂久川沿いの山道を上流まで遡ったところに、土呂久の集落があります。標高1633mの古祖母の懐に抱かれ、谷に寄り添うように現在、39世帯124人の村人が暮らしています。

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56-toro.jpg土呂久を美しく感じるのは、天に開かれている土地だからかもしれません。人間様が作った建物よりも、高く大きな山に囲まれ、流れ出る湧き水の音を聴きながら、色んな生物が生き生きとしています。人間もまた、生き生きとしています。

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55-toro.jpg生まれてくる子を楽しみに待つ若夫婦。息子が婚約者を連れて帰ってきて、ますます元気になるお父さん。春の山桜の美しさを懐かしみながら、黙々とお茶摘みをするお婆さん。今日、土呂久を歩いただけで、たくさんの幸せを感じることが出来ました。今を生きる喜びがここにはあるように思います。

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54-toro.jpg特別じゃない村、特別じゃない暮らし。ただ、自然に寄り添って生きるということ。土呂久の村を歩くと、人として大切なものが見えてくるように思います。とても、シンプルなものだと思います。

今日は、これでおしまいです。

一週間、お世話になりました。また、あえる日を楽しみにしています。ありがとうございました。

『日向時間』水

http://www.hyuugajikan.com/backnumber/2006_aut/03.html
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2007年05月19日

フォトメッセージマガジン『日向時間』 藤木テツロー6日目 【宮崎県高千穂町】 5月19日

今日は、午前中のうちに『パワナビ』レポートを書き上げほっと一段落。

明日は、町内の土呂久地区の取材です。

2-jikan.jpg月刊『むすぶ』という雑誌で、『土呂久歳時記』と題して、毎号、土呂久の四季の風景をフォトエッセイとして連載させていただいております。かつてこの村は、亜砒酸製造に伴う亜砒焼木の煙に覆われ、第四の公害病と呼ばれる土呂久鉱毒事件の村として、全国にその名を知られました。ただ、そういう村の歴史を知らずにこの村に一歩足を踏み入れると、村を囲む自然の美しさや、生命の煌めきに心を奪われてしまいます。

2-toro.jpg

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2007年05月18日

フォトメッセージマガジン『日向時間』 藤木テツロー5日目 【宮崎県高千穂町】 5月18日

早いもので『今週の私』、『日向時間』藤木テツロー編も5日目となりました。

今までのを読み返してみまして、これは、すごく真面目な人物だと誤解を与えかねないと思い、大変反省しましたので、今日はフランク永井で行きたいと思います。

ちゅーことで、昨日は第一回「こんばんは会」やってきましたよ〜!あっ、そうですね、おさらいとして「こんばんは会」の説明をしましょう。「こんばんは会」というのは、僕が住む高千穂町で活動しているそれぞれの団体や個人が集まり、自分たちが取り組んでいる活動のことや町の良いところや問題等の情報を共有することを目的として、自由に発言できる場として毎月第三木曜日に行なわれるものです。

昨日の第一回「こんばんは会」は、少数精鋭の四人(私を含む)が集まりました〜!

写真@キャプション
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高千穂町役場勤務の工藤さん。水俣の吉本哲郎氏に師事。高千穂町の地元学の旗頭!かけてるメガネは伊達じゃない!知的空間が頭脳に広がる、未来の高千穂町長はこの人で決まり!本命◎○◎


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2007年05月17日

フォトメッセージマガジン『日向時間』 藤木テツロー4日目 【宮崎県高千穂町】

今日の夜は、第一回「こんばんは会」(仮称)があるので、朝のうちに日記を書いておきます。

「こんばんは会」というのは、私が住む高千穂町で活動しているそれぞれの団体や個人が集まり、自分たちが取り組んでいる活動のことや町の良いところや問題等の情報を共有することを目的として、自由に発言できる場として毎月第三木曜日に行なわれるものです。と、いっても今日が第一回目なので、どういう形になるかは今後の話し合いの中で決めていきたいと思います。

ちなみに、「こんばんは会」(仮称)の名前の由来はと申しますと、高千穂町出身の『増刊現代農業』編集主幹で、このローカルジャンクション21の理事でもある甲斐良治さんが酔っ払ったときに、意味があるのか無いのかわからないのですけれども、やたらと「こんばんは」「こんばんは」という言葉を連発して面白いということに由来しています。甲斐さんのご実家で仲間と呑んだときに、具体的に高千穂のことを考える場所を設けましょうという話になりましたので、そのまま「こんばんは会」となりました。仮称としておりますが、仲間内では「こんばんは会」で統一されています。甲斐さんは、「こんばんは」を連発したあと、そのまま安らかに眠りましたので、この会の内容や名前が「こんばんは会」になったことは知らないかもしれません。「こんばんは会」のお話は、また明日の日記でさせていただきますね。

さて、今取り組んでいる宮崎情報発信『パワナビ』のレポートの内容を少しご紹介させていただきます。

宮崎県の日向市における不燃物の完全民間委託です。おそらく、行政が完全に民間委託という形としているのは、全国初ではないでしょうか?


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ラベル:宮崎県 高千穂町
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2007年05月16日

フォトメッセージマガジン『日向時間』 藤木テツロー3日目 【宮崎県高千穂町】

今日は、一日じゅう家で、宮崎情報発信『パワナビ』の編集作業をしていました。天気は午後から大荒れでした。

『日向時間』夏号に執筆して戴いたJIM-NET(日本イラク医療支援ネットワーク)事務局長・佐藤真紀さんから、「ウラン兵器全面禁止」を求めて、日本政府の担当者と対面交渉を行なった詳細のメールと記事を戴いたのでご紹介いたします。

以下、佐藤真紀さんのメールより。

『5月8日の政府交渉の報道を紹介します。 広島では各紙で取り上げてくれたようですが、東京は厳しいですね。核の問題も広島、長崎の問題になってしまって8月も東京のメディアはあんまり取り上げないようです。 賛同ありがとうございました。けして実りのある交渉ではありませんでしたが、戦略を練り直してがんばります。 』  
さとうまき JIM-NET事務局長

s-QP|P.jpg

新聞記事 
(福島瑞穂さんのお隣に座っているのが、佐藤真紀さんです)

イラクでは、1991年の湾岸戦争以降、ガンや白血病の子どもたちの数が増えています。その大きな要因として、湾岸戦争やイラク戦争で使われた劣化ウラン弾等のウラン兵器にあるといわれています。2003年のイラク戦争後、イラクへの経済制裁はなくなりましたが、各国のODAや国際機関の支援も滞っており、病院の設備の老朽化や、薬が欠乏しているという状況は改善されておりません。イラクへの関心が冷めてしまうにつれ、必要とされている抗がん剤等の薬品の供給量も減っているそうです。

佐藤真紀さんが事務局長を務めるJIM-NET(ジムネット)とは、小児ガン(主に白血病)治療のためのネットワークです。JIM-NETでは、それぞれの団体が既に行なっている支援の効率化、専門性を高めるための情報の共有化を進めるとともに、効率化、継続性を持って、イラクでの医療支援を行っています。



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フォトメッセージマガジン『日向時間』 藤木テツロー2日目 【宮崎県高千穂町】

今日は、弥勒先生の最愛の妻、マスエさんの告別式がありました。

今朝の九時過ぎにパソコンを開き、メールを確認してみますと、『最愛の妻逝く』の文字。送り主は『日向時間』に毎号、西米良村の四季の写真とエッセイを執筆して戴いた写真家の小河孝浩さんからでした。小河さんの奥さんは40歳ぐらい。まさか事故にでもあったのかと思い、メールをよく読んでみますと、お亡くなりになったのは、同じく『日向時間』に毎号、宮崎の風景を描いて戴いた画家の弥勒祐徳先生の最愛の妻、マスエさんのことでした。

告別式が11時とあります。場所が新富町。私が住む高千穂町から車で二時間ほどかかります。私は急いで告別式に出席できる準備を整え、会場に車を走らせました。車中で弥勒先生のことを思いました。

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2007年05月14日

フォトメッセージマガジン『日向時間』 藤木テツロー1日目 【宮崎県高千穂町】

初めまして、フォトメッセージマガジン『日向時間』という写真雑誌を、宮崎県の高千穂町という山村から発信しております藤木テツローと申します。どうぞ、宜しくお願い致します。

まず始めに、私の仕事であるフォトメッセージマガジン『日向時間』を中心にこの一週間が回っていきますので、この雑誌の趣旨についてご説明させていただきたいと思います。

『日向時間』とは宮崎の言葉で、のんびりしていると言う意味も含めて『時間にルーズ』という意味として使われます。しかし、時間とは何なのか?何のためにあるのか?と、考えた時に、人間が決めた『時間』というものを寸分違わず守れるのは、人間が造り上げた機械的な世界の中だけのことであり、機械的な世界に流れる時間と、自然の中で流れる時間とでは、そもそも時間軸が違うと考えます。

宮崎は百姓の国です。台風の日に草を刈る人はいません。雪の降る日に種を蒔く人はいません。宮崎に住む私たちの祖先は、季節の変化を敏感に感じ取り、その日の天候、その時々の自然環境に合わせて、ひたむきに働いて生きてきたのだと思います。すなわち『日向時間』とは、自然に寄り添って生きる宮崎の生活のリズム『郷土の時間』だと思いが至るようになりました。

凄まじい速さで進む現代の社会の中で、目先の効率化と合理化は、私たちの暮らしの土台である自然をも飲み込み、数多くの伝統と文化が遠い過去の遺物となってしまいました。村々は発展してきたのではなく、衰退の一途をたどってきたように思います。それでも宮崎には、脈々と流れる『日向時間』の暮らしの中で、豊かな自然、伝統と文化が息づいています。そういう時間をしっかりと紡いできた人たちがいます。大切なものが見えにくい現代にある今こそ、『日向時間』再考のとき。大切なものが何なのかということをしっかりと見つめていきたいというのが、フォトメッセージマガジン『日向時間』の趣旨でございます。

具体的に中身についても、触れたい所ではありますが、一週間ありますので、おいおいということで宜しくお願い致します。

さて、それでは『今週の私』について、さっそく入らせて戴きたいと思います。

今日は、ローカルジャンクション21の理事もなされております、森千鶴子さんが、直々に私のご指導に参られました。と、言うのは半分冗談で、高千穂町の隣町にあります五ヶ瀬町の宮崎茶房というお茶農家に一緒に行って来ました。私は宮崎情報発信『パワナビ』というインターネットサイトのレポーターもしておりますので、その取材もかねてであります。
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ラベル:宮崎県 高千穂町
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2006年02月26日

宮崎県川南町 河野英樹 6日目

今日は、今から役場で会議の後、昼からは宮崎県庁で打合せと終日デスクにいません。
また夜は、4月からの地区の世話役(役員)選考会(焼酎を飲みながらでしょう)がありますのでまともな書き込みができません。
従いまして本当に簡単ですが、これをもちまして川南からの最後のメッセージとさせていただきます。
本当に1週間ありがとうございました。これからも川南町をよろしくお願いします。
機会がありましたら、ぜひ川南においでください。

追伸
昨日行われました講演会についてひとこと。
先生の話の内容はすごく参考になりました。
横石先生ありがとうございました。


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宮崎県川南町 河野秀樹 6日目

今日は、今から役場で会議の後、昼からは宮崎県庁で打合せと終日デスクにいません。
また夜は、4月からの地区の世話役(役員)選考会(焼酎を飲みながらでしょう)がありますのでまともな書き込みができません。
従いまして本当に簡単ですが、これをもちまして川南からの最後のメッセージとさせていただきます。
本当に1週間ありがとうございました。これからも川南町をよろしくお願いします。
機会がありましたら、ぜひ川南においでください。

追伸
昨日行われました講演会についてひとこと。
先生の話の内容はすごく参考になりました。
横石先生ありがとうございました。
ラベル:川南町 宮崎県
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宮崎県川南町 河野秀樹 5日目

今日は、午後から「豚(トン)・珍(チン)・感(カン)トリーかわみなみ合衆国:農業農村活性化フォーラム」が行われる。
川南町認定農業者協議会(会長:日高昭彦氏)が主催して毎年開催されるこの大会は、今回で8回目を数える(よく続くなー)。

BTH2345380_0B.jpg講師は、先日このブログに紹介させていただいた徳島県上勝町鰍「ろどり代表取締役副社長の横石知二さんである。
演題は「人が輝き商品が生きる」
何と素晴らしいタイトル!川南のなかにもそういう人物、商品ができてくるといいなあ。
おっと、午後0時に宮崎空港に到着されるのでそろそろお迎えに上がらなければならない。時間がない!

実は、先週から講演会やイベント、視察研修などがぶっ続きであわただしすぎる。
あさってからは、福岡県宗像市の鐘崎漁協(安永組合長)に研修に行くことになっており(当然、森ち先生にもごあいさつを!)、その準備などバタバタなのである。
安永さーん、森さーん。2月28日(火)はよろしくお願いします。

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posted by LJ21 at 10:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 宮崎県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

宮崎県川南町 河野英樹 5日目

今日は、午後から「豚(トン)・珍(チン)・感(カン)トリーかわみなみ合衆国:農業農村活性化フォーラム」が行われる。
川南町認定農業者協議会(会長:日高昭彦氏)が主催して毎年開催されるこの大会は、今回で8回目を数える(よく続くなー)。
講師は、先日このブログに紹介させていただいた徳島県上勝町鰍「ろどり代表取締役副社長の横石知二さんである。
演題は「人が輝き商品が生きる」
何と素晴らしいタイトル!川南のなかにもそういう人物、商品ができてくるといいなあ。
おっと、午後0時に宮崎空港に到着されるのでそろそろお迎えに上がらなければならない。時間がない!

実は、先週から講演会やイベント、視察研修などがぶっ続きであわただしすぎる。
あさってからは、福岡県宗像市の鐘崎漁協(安永組合長)に研修に行くことになっており(当然、森ち先生にもごあいさつを!)、その準備などバタバタなのである。
安永さーん、森さーん。2月28日(火)はよろしくお願いします。




本町の認定農業者協議会が、川南ではじめて「地元学」に取り組んだ。
そして、今もなお川南に学び続けている。
このメンバーらが今まで調べた結果を以前まとめたものがあったので紹介する。
また、この協議会は、写真のような風景をこれから残していくために表彰制度をつくった。これもあわせて紹介したい。

<これまで調べた農村・漁村川南の結果>
県の中央部に位置する川南町は、東は黒潮あらう日向灘をのぞみ、西は木城町、南は高鍋町、北は日向の歌人「若山牧水」のうたった「尾鈴山」の麗峰を仰ぎ、都農町と境している。町域の大部分は標高50メートル前後の台地で、中央を平田川(へだがわ)が貫流し日向灘にそそぎ、この川の両側に広がる唐瀬原、国光原の両台地は戦後における日本屈指の大開拓地である。

田んぼは少ない。町の北境を流れる名貫川(なぬきがわ)と、町の中央を流れる平田川の川沿いをはじめ、戦後、町外の小丸川(おまるがわ)から引いた幹線水路(昭和26年頃開通)沿いにしか田んぼがない。畑のある風景が川南である。
一方で漁村の風景もある。明治16年頃に、漁業専業者を本格的に「通浜(とおりはま)地区」に移住させようと日向市細島地区から3氏の家族を勧誘したことが今日の川南漁港の基礎をつくった。
このように、川南には「海」、「川」、「大地」、「山」、そして少しばかりの「まち」のくらしがある。
川沿いを中心に古くからある「土着農民」の集落と、明治から終戦後にかけて畑作地域を中心につくられた「外来農・漁民」の集落が混在する町。常に耕し続けてきた町。日本の合衆国「川南」である。


 イメージづくりのためにやっていること(その1)
「子共たちに伝えたい村の風景」表彰制度
(1)審査期間
平成16年9月1日から平成17年8月31日(1年間)
(2)対象
 農山漁村を対象に、自治会など慣例的にまとまった活動をしている集落
 (3)審査基準
@自然素材以外のものが目立たないこと →ケバケバしい建物などがないこと。
A通学路、神社などの清掃を年に3回以上やっていること。
B用水路などの管理をしていること。
C地区の人たちがいっしょに楽しむ行事があること。
D水のゆくえを説明できる人がいること。
E鎮守の森があること。
F地区の景観を守るための約束事があること。
以上、7つの項目のうち、5項目以上やっていて、そのなかに特徴的な活動があること。

☆ 表彰:<平成17年9月、認定農業者協議会総会にて受賞式を行った。>

☆ 効果:表彰されたことで改めて自分たちの地域の良さを再発見するきっかけになった。また、後継者不足や高齢化率の高さが問題となっているこの地域の人々が、住んできたことへの自信を取り戻しつつある。さらに、マスコミに取り上げられたことで、町内外からここに直接訪れたい、などの反響が出てきている。次は、経済につながる仕掛け、仕組みを創っていく。

 イメージづくりのためにやっていること(その2)
ふるさとの川の清掃から・・・(きれいな川はたくさんの人を呼び込むはず、との発想)
この活動は、当研究会メンバーらが「近くの川(黒鯛川)を昔のようにきれいにして子供達に遊ばせよう!いや自ら(平均年齢32.5歳の男達)が遊びたい!!」と本年5月中旬からスタートとさせた活動である。
開始から約5ヵ月が経過。徐々に参加者も増えはじめ周辺住民との協働作業として定着してきている。毎週土曜日の朝6時から約2時間、台風以外は休むことなくやっている。
また、この活動に刺激されて町内の別の川(高森川)でも同様の活動がはじまった。

3 これからの展開(やっていくこと)
・ 荒れた竹林や雑木山の樹木を活用し炭づくりを行っていく。
・ この炭を水質浄化のために各排水溝などに設置する。
・ 炭づくりは、地元の高齢者(その技術や炭窯を持つ人々)、やってみたい人達に依 頼する。
 炭づくり、という昔の産業復活?新たな産業創出?へつなげる。
・ 炭づくりが進むことで荒れている山に人が入り、計画的間伐で美しい里山の風景を 創る。
・ きれいな川をはじめ、里山の風景やその自然を楽しみに外から人が訪れる。生活の 旅=「グリーン・ツーリズム」のはじまりとなる。
・ このような地道ながらも本物の取り組みの中から「自然にやさしい町、きれいな農村 風景の町」というイメージがつくられ物が売れていく。経済もついてくる。そう信じてい ます。
・ 他に、地元企業の皆さんと一体となって川南のイメージをつくりたい。それぞれが持 つ強み、たとえば売り方、買い方、技術などを結集して地域全体で川南を考え、創る 仕組みを構築していきたいと考えています。
 具体的な計画については・・・・・秘密です。






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2006年02月25日

宮崎県川南町 河野秀樹 4日目

川南町の中央を流れる「平田川(へだがわ)」支流のひとつ、「黒鯛川(くろたいがわ)」の清掃活動を昨年5月から、職場の同僚である、渡部好文君、甲斐玲君たちとやるようになりました。

毎週土曜日の朝6時から約2時間。
最初はこの3人でやっていたのですが、趣旨や目的(後ほど説明)に賛同した他の役場職員(米田正清くん、谷講平くん)や認定農家(日高昭彦さん、橋口裕二さん)をはじめ、友人や川南ラグビークラブのメンバー、周辺住民の渡辺さん(元郵便局の職員)などと協働して取り組むようになりました。
また、この活動が新聞に紹介されてから、町内に流れる別の川「高森川」でも周辺住民による清掃活動が行われるようになりました。

この清掃活動をやろうとしたきっかけは、地元学の「あるものさがし」をしている中、私たちが子どものころ毎日遊んだこの川で、今の子どもたちがまったく遊んでいなかったことに気づいたことからでした。
なぜなんだろう?とその様子を見に行ったところ、子どもが(人が)寄りつける状態でありませんでした。
雑草や樹木が生い茂っていたことに加え、川の水がお世辞にもきれいだとはいえませんでした。だから自然と、人が川から離れて行ったのではないか・・・?
であれば、再び子どもたちが川に近づける環境を、ここで昔遊んでいたいた先輩(私達)が整えてあげるべきではないか、と考え行動しました。
さらに、多くの住民が川に近づきはじめることで、自分たちが出す生活排水に注意するようになったり、家畜糞尿を適正に処理しないまま川に放流する悪質な畜産農家の行為を撲滅させることができるのではないか、とも考えてのことでした。
これらが少しずつでも改善されていけば、「清らかな川が流れるまち川南」が生まれるのではないでしょうか。
効果は少しずつですが現れてきています。

町内を流れる川がきれいになれば、それだけでも地域のイメージづくり、イメージアップが図られるはずです。清らかな川の水で育つ安心安全な農畜産物の生産をはじめ、「川が育てたおいしい海の水産物」などの山、大地、川、海をつないだ地域全体のブランド化ができてくるのではないか、と信じて私達は川に寄り添い続けています。
今はとても寒いですが。

BTH2342481_0B.jpg写真は、やっている川掃除と関係ありません。
町内の山手にある集落(旭ケ丘)の渡辺さん(みかん生産農家)のお宅です。
山から湧き水を引いてつくった食材などの洗い場です。


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ラベル:川南町  宮崎県
posted by LJ21 at 08:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 宮崎県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

宮崎県川南町 河野英樹 4日目

川南町の中央を流れる「平田川(へだがわ)」支流のひとつ、「黒鯛川(くろたいがわ)」の清掃活動を昨年5月から、職場の同僚である、渡部好文君、甲斐玲君たちとやるようになりました。
毎週土曜日の朝6時から約2時間。
最初はこの3人でやっていたのですが、趣旨や目的(後ほど説明)に賛同した他の役場職員(米田正清くん、谷講平くん)や認定農家(日高昭彦さん、橋口裕二さん)をはじめ、友人や川南ラグビークラブのメンバー、周辺住民の渡辺さん(元郵便局の職員)などと協働して取り組むようになりました。
また、この活動が新聞に紹介されてから、町内に流れる別の川「高森川」でも周辺住民による清掃活動が行われるようになりました。

この清掃活動をやろうとしたきっかけは、地元学の「あるものさがし」をしている中、私たちが子どものころ毎日遊んだこの川で、今の子どもたちがまったく遊んでいなかったことに気づいたことからでした。
なぜなんだろう?とその様子を見に行ったところ、子どもが(人が)寄りつける状態でありませんでした。
雑草や樹木が生い茂っていたことに加え、川の水がお世辞にもきれいだとはいえませんでした。だから自然と、人が川から離れて行ったのではないか・・・?
であれば、再び子どもたちが川に近づける環境を、ここで昔遊んでいたいた先輩(私達)が整えてあげるべきではないか、と考え行動しました。
さらに、多くの住民が川に近づきはじめることで、自分たちが出す生活排水に注意するようになったり、家畜糞尿を適正に処理しないまま川に放流する悪質な畜産農家の行為を撲滅させることができるのではないか、とも考えてのことでした。
これらが少しずつでも改善されていけば、「清らかな川が流れるまち川南」が生まれるのではないでしょうか。
効果は少しずつですが現れてきています。

町内を流れる川がきれいになれば、それだけでも地域のイメージづくり、イメージアップが図られるはずです。清らかな川の水で育つ安心安全な農畜産物の生産をはじめ、「川が育てたおいしい海の水産物」などの山、大地、川、海をつないだ地域全体のブランド化ができてくるのではないか、と信じて私達は川に寄り添い続けています。
今はとても寒いですが。

写真は、やっている川掃除と関係ありません。
町内の山手にある集落(旭ケ丘)の渡辺さん(みかん生産農家)のお宅です。
山から湧き水を引いてつくった食材などの洗い場です。



「地域のイメージをつくる」ために急がず休まずボチボチのことしかできていません。
が、必ず30年先には「あーー!あの川南!!」と言われるようになります。

由布院でも、黒川温泉の南小国町にしても、大山町や小布施町も、すぐ結果が出たわけじゃありません。
本物のもの、人、をじっくり磨きながらあそこまでなったはずです。
川南の住民が元気に、住んでいることに誇りが持てるように努力します。

写真は川南地元学の第一人者「米田正清」くんです(写真左、右は私の住む集落の村田のおばちゃんです)。

彼は、毎週土曜日の朝8時30分から「商工会青年部の中村昭人くん」と<商店街の地元学>を行っています。
これから川南が熱くなります。要チェック!!



posted by LJ21 at 07:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 宮崎県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月24日

宮崎県川南町 河野秀樹 3日目

2006年2月24日(金)午前5時30分から、この「今週の私」を作成し始め、完成まで辿り着いたかと思いきや、全ての文章と写真を誤って消えてしまいました。
しばらく自分のやったことに呆然としておりました・・・。
ようやく立ち直りはじめたので、また頑張ってみます。

写真は、今度の日曜日(2月26日)に本町認定農業者協議会主催によります
「農業・農村活性化フォーラム」の打合せ風景です。
普段では見られない神妙な表情(失礼)で、資料に目を通す、川南町役場農林水産課:横尾剛課長、渡部好文君、甲斐玲君です。(写真、左から)

BTH2340014_1B.jpg今回で8回目を迎えるこのフォーラムは、徳島県上勝町鰍「ろどり代表取締役副社長の横石知二先生をお招きして講演会を開催します。
料理の脇役「つまもの」に着目し、地元に掃いて捨てるほどあった「葉っぱ」を特産品に仕上げ、地域経済と地域住民の元気をつくった仕掛け人の横石先生。
あるもの(葉っぱ)とあるもの(地元のおばちゃん)を組合せ、新しいもの(「つまもの」)をつくった成功事例。
この方から学ぶことで、これからの川南の可能性を探してみたいです。
演題は「人が輝き商品が生きる!」
とても楽しみです。

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ラベル:宮崎県 川南町
posted by LJ21 at 10:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 宮崎県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

宮崎県川南町 河野英樹 3日目

2006年2月24日(金)午前5時30分から、この「今週の私」を作成し始め、完成まで辿り着いたかと思いきや、全ての文章と写真を誤って消えてしまいました。
しばらく自分のやったことに呆然としておりました・・・。
ようやく立ち直りはじめたので、また頑張ってみます。





写真は、今度の日曜日(2月26日)に本町認定農業者協議会主催によります
「農業・農村活性化フォーラム」の打合せ風景です。
普段では見られない神妙な表情(失礼)で、資料に目を通す、川南町役場農林水産課:横尾剛課長、渡部好文君、甲斐玲君です。(写真、左から)

今回で8回目を迎えるこのフォーラムは、徳島県上勝町鰍「ろどり代表取締役副社長の横石知二先生をお招きして講演会を開催します。
料理の脇役「つまもの」に着目し、地元に掃いて捨てるほどあった「葉っぱ」を特産品に仕上げ、地域経済と地域住民の元気をつくった仕掛け人の横石先生。
あるもの(葉っぱ)とあるもの(地元のおばちゃん)を組合せ、新しいもの(「つまもの」)をつくった成功事例。
この方から学ぶことで、これからの川南の可能性を探してみたいです。
演題は「人が輝き商品が生きる!」
とても楽しみです。





先週の金曜日(2月17日)に、お隣の自治体「都農町(つのちょう)」や「JA尾鈴」と合同で企画した「尾鈴地域農漁村活性化講演会(硬い名前だなあ)」に、「地元学」西の横綱「吉本哲郎」先生をお招きしました。(すいません、今週の私なのに)
「地域内にあるものをつないで、3つの元気、3つの経済をつくる 水俣の事例から」という演題でお話いただきました。
参加者である役場職員や農協職員からは、「いい話しをしてもらった、早速実践してみようや!」と、前向きな意見が出ていました。
が、講演会後の懇親会で焼酎が入ってからの発言のため、どこまで本気なのか怪しいものですが・・・。


吉本先生との出会いは2004年の6月、地元新聞社である「宮崎日日新聞社」主催による講演会で講演をされたことからでした。
このお話に衝撃を受けました。
それからしばらくたった9月に、上司であった三角博志さん(当時、役場企画商工課課長補佐)とともにアポイントもとらずに水俣市役所へ。
お忙しい?ところにも関わらず、また突然の私たちの行動に対しても先生は怒られず、逆に貴重なお話をしてくださいました。
それからこれまで大変お世話になっております。

「調べる、考える、つくる」の繰り返し!頑張ります。



posted by LJ21 at 08:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 宮崎県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月23日

宮崎県川南町 河野英樹 2日目

一日目に本町の紹介をすることを忘れていましたので簡単に説明を。
川南町の位置は、宮崎県の東側(太平洋に面している)でちょうど真ん中付近。人口は17,400人程。面積は約90kuと、人口も面積も小さな、小さな自治体です。
なお、詳細は役場HPをご覧ください。本当に簡単すぎた説明でした。すいません。

さて、今日は、仕事で川南町漁業協同組合(年間取り扱い高、約23億円)に向かう途中に、町の中央を流れる「平田川(へだがわ、と呼びます)」の橋の上から身を乗り出す危険な行動をしているおじちゃんを発見したので、注意がてら「何をしてるんですかー?」と声をかけてみました。
このおじちゃんは、近くにある「高森(たかもり)」という集落に住む「瓜生(うりゅう)」さんという方。ではいったい何をしていたのかというと「鯉の引っ掛け釣り」をしておられました。「引っ掛け釣り」とは餌などをつけない釣りのことです。仕掛けは竿とテグスに三本針だけのシンプルかつ原始的な仕掛け。それ(三本針)を鯉など大型の魚が通りそうな所に仕掛け、針の上を魚が通ったら一気に竿を引き上げる、という漁法?で獲物を狙っていた最中のようでした(海釣りではボラなどを釣るときにこの辺ではしています)。
隣でしばらくこの釣りを見ていましたが、水が濁っており魚の姿が見えません・・・。前述のように、魚が針の上を通った(確認した)上で成り立つ釣り方ですので今日はムリそうな雰囲気(私とおじちゃんの二人の間になんともいえない空気が漂いました)。
そんな中おじちゃんから一言、「今日は釣れんじゃろ。いやこれからしばらくは釣れん。田植えのための代かきがはじまりだしたから水の濁りがでてくるとよ。じゃから釣れん」と。
この発言は、九州以外の方ならびっくりしたのではないですか?すごい発言でしょ。もう川南では田植えの準備がはじまっているんですよ。2月22日のことです。
実際、この川の濁りは田んぼから流れてくる土のようでした。
最後に「もし、魚(鯉)が釣れたらどうするの?」と聞いたところ、「自宅の池で養い、客が来たときなどに食べさせる」とのこと。「おれもいつかこの家の客になりたい」などと思いつつおじちゃんとお別れしました。








午後3時20分に目的地の「川南町漁業協同組合」に到着。
ちょうどセリの真っ最中です。ここの市場は夕方3時からセリがはじまります。
なぜこの時間帯にセリが行われるかというと、福岡や関西、関東(ほとんどが築地)で行われるセリに再びかけられるために、間に合うように、と逆算した結果からです。
水揚げされたそのほとんどが町外に出荷される川南の魚たち。大消費地の都会でおいしく食べてもらっているのだろうか?などと考えてしまいますが・・・。
ここの漁協で水揚げされる魚種の数は年間約100種類程。

町内に残った鮮度ビチビチ魚たちは、夕方の町内のスーパーや魚屋に並びます。つまり各家庭の夕食に登場します。
または、居酒屋さんや料理店で獲れたて魚や牡蠣、貝などを川南では存分に味わえることができるのです。
「川南には天然のイケスがある」などと称して自慢する人もいます。まさしくその通りですよ。
このブログをご覧の皆様、ぜひ、川南にいらしてください。きっと「食」することだけは満足していただけるはずです。





セリが行われているすぐ隣で、魚をさばいているおばちゃんをパチリ。
このおばちゃんの魚さばきはとても丁寧で、いつも感動しています。
お名前は一政光江(いちまさみつえ)さんといいます。
昔から原付バイクで町内の各家々を行商される方で、私の実家も私が小さい頃からお世話になっています。
魚の販売を通して、町内に住む「浜の民と丘の民」をつないでくれる大事な仕事をしてくださる光江おばちゃん。
このような、漁協のヨコで魚を加工して売っている女性たちが他に3,4名おられますが、跡を継ぐ後継者がいないのが現実です。
どうすればいいのでしょうか?

いま、このことをも含めて川南の一次産業(農業・漁業)に携わる者たちがこれからどうすれば地域が元気になるのかを考えはじめています。また、違いを認め合い、近づくために、お互いのあるもの(くらし方、つくり方、買い方、売り方)をまず調べ、整理ようと動き始めています。そして、出てきた「あるもの」と「あるもの」を組み合わせて新しいあるものを創っていこうとしています。

素材の宝庫?川南。明日は農業に行ってみましょう。



posted by LJ21 at 04:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 宮崎県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月21日

宮崎県川南町 河野秀樹 2日目

一日目に本町の紹介をすることを忘れていましたので簡単に説明を。
川南町の位置は、宮崎県の東側(太平洋に面している)でちょうど真ん中付近。人口は17,400人程。面積は約90kuと、人口も面積も小さな、小さな自治体です。
なお、詳細は役場HPをご覧ください。本当に簡単すぎた説明でした。すいません。

BTH2337224_0B.jpgさて、今日は、仕事で川南町漁業協同組合(年間取り扱い高、約23億円)に向かう途中に、町の中央を流れる「平田川(へだがわ、と呼びます)」の橋の上から身を乗り出す危険な行動をしているおじちゃんを発見したので、注意がてら「何をしてるんですかー?」と声をかけてみました。

このおじちゃんは、近くにある「高森(たかもり)」という集落に住む「瓜生(うりゅう)」さんという方。ではいったい何をしていたのかというと「鯉の引っ掛け釣り」をしておられました。「引っ掛け釣り」とは餌などをつけない釣りのことです。仕掛けは竿とテグスに三本針だけのシンプルかつ原始的な仕掛け。それ(三本針)を鯉など大型の魚が通りそうな所に仕掛け、針の上を魚が通ったら一気に竿を引き上げる、という漁法?で獲物を狙っていた最中のようでした(海釣りではボラなどを釣るときにこの辺ではしています)。

隣でしばらくこの釣りを見ていましたが、水が濁っており魚の姿が見えません・・・。前述のように、魚が針の上を通った(確認した)上で成り立つ釣り方ですので今日はムリそうな雰囲気(私とおじちゃんの二人の間になんともいえない空気が漂いました)。
そんな中おじちゃんから一言、「今日は釣れんじゃろ。いやこれからしばらくは釣れん。田植えのための代かきがはじまりだしたから水の濁りがでてくるとよ。じゃから釣れん」と。
この発言は、九州以外の方ならびっくりしたのではないですか?すごい発言でしょ。もう川南では田植えの準備がはじまっているんですよ。2月22日のことです。

実際、この川の濁りは田んぼから流れてくる土のようでした。
最後に「もし、魚(鯉)が釣れたらどうするの?」と聞いたところ、「自宅の池で養い、客が来たときなどに食べさせる」とのこと。「おれもいつかこの家の客になりたい」などと思いつつおじちゃんとお別れしました。



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宮崎県川南町 河野秀樹 1日目

はじめまして。
宮崎県川南町の河野英樹(かわのひでき:写真、表彰状を持っている男)と申します。
「今週の私」を担当することとなり不安な気持ちでいっぱいですが、やったことしか、やろうとすることしか、話せない!と開き直り明るく書いて行きたいと思います。
皆さんどうぞよろしくお願いします

BTH2331693_0B.jpgさて、今週のスタート日曜日(2月19日)に、宮崎県社会人ラグビー7人制大会が開催され、私が代表を務める「川南ラグビークラブ」が2年連続で優勝を果たしましたので、
1日目は、このラグビーの話題からさせていただきます。スポーツネタなのでこのブログで登場することがかなり少ない(いや、全くない)と思いますが、あえてチャレンジさせていただきます。

通常、ラグビーは1チーム15人でするスポーツなのですが、同じ広さのグラウンドを使って7人で行う大会も年に1回あるのです(相当疲れます)。
実は15人制においても、昨年11月に開催された第31回全九州クラブラグビー選手権大会で宮崎県勢としては23年ぶり(23年前もウチのクラブが優勝)の九州制覇を果たすなど、九州ラグビー界では少しは有名なチームなのです(自分で言ってしまった)。
人口18,000人にも満たない小さな自治体「川南町」の中に、九州ナンバーワンの取組、成績、組織が存在することは珍しいのではないかと考えています。

私は、この人相や体格が一見恐そうな若者たちと、30年先の川南町を「地元学とラグビーを通して、強く!賢く!面白く!」しようと本気で頑張っています。
その取組としては、地域に流れる川の清掃や、地元商店街の地元学、各集落のあるもの探し、練習場や試合場でのゴミ拾いやトイレ清掃、通学時の早朝交通安全立ち番指導など、住民の皆さんに喜んでいただける活動をやり続けようと、ぼちぼちながらも進めています。
クラブ運営を、単なる「強さだけの追求」に留まらせないこと、有り余るパワーやエネルギーを地域の活性化につなげる仕組みや活動に整えることで、私たちの存在価値を高めて行きたいとも考えています。
これをきっかけに川南のラグビーもよろしく御指導ください。


川南町には山、川、大地、そして海(漁港)もあります。農業粗生産額では九州で6番目(約188億円:平成15年産)の農業と漁業が盛んな町です。
しかし、問題もあります。よく言われるのが@どこにあるのかよくわからない。A地域のイメージがない。などです。
そんな川南町の現状や魅力(あればの話しですが)、暮らし方など皆さんに知っていただくために少しでもお届けできたら、と考えています。
慣れないこと(ブログへの書き込み)ですが、どうか大きな心でおつき合いください。

ラベル:川南町 宮崎県
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宮崎県川南町 河野英樹 1日目

はじめまして。
宮崎県川南町の河野英樹(かわのひでき:写真、表彰状を持っている男)と申します。
「今週の私」を担当することとなり不安な気持ちでいっぱいですが、やったことしか、やろうとすることしか、話せない!と開き直り明るく書いて行きたいと思います。
皆さんどうぞよろしくお願いします

さて、今週のスタート日曜日(2月19日)に、宮崎県社会人ラグビー7人制大会が開催され、私が代表を務める「川南ラグビークラブ」が2年連続で優勝を果たしましたので、
1日目は、このラグビーの話題からさせていただきます。スポーツネタなのでこのブログで登場することがかなり少ない(いや、全くない)と思いますが、あえてチャレンジさせていただきます。

通常、ラグビーは1チーム15人でするスポーツなのですが、同じ広さのグラウンドを使って7人で行う大会も年に1回あるのです(相当疲れます)。
実は15人制においても、昨年11月に開催された第31回全九州クラブラグビー選手権大会で宮崎県勢としては23年ぶり(23年前もウチのクラブが優勝)の九州制覇を果たすなど、九州ラグビー界では少しは有名なチームなのです(自分で言ってしまった)。
人口18,000人にも満たない小さな自治体「川南町」の中に、九州ナンバーワンの取組、成績、組織が存在することは珍しいのではないかと考えています。

私は、この人相や体格が一見恐そうな若者たちと、30年先の川南町を「地元学とラグビーを通して、強く!賢く!面白く!」しようと本気で頑張っています。
その取組としては、地域に流れる川の清掃や、地元商店街の地元学、各集落のあるもの探し、練習場や試合場でのゴミ拾いやトイレ清掃、通学時の早朝交通安全立ち番指導など、住民の皆さんに喜んでいただける活動をやり続けようと、ぼちぼちながらも進めています。
クラブ運営を、単なる「強さだけの追求」に留まらせないこと、有り余るパワーやエネルギーを地域の活性化につなげる仕組みや活動に整えることで、私たちの存在価値を高めて行きたいとも考えています。
これをきっかけに川南のラグビーもよろしく御指導ください。


川南町には山、川、大地、そして海(漁港)もあります。農業粗生産額では九州で6番目(約188億円:平成15年産)の農業と漁業が盛んな町です。
しかし、問題もあります。よく言われるのが@どこにあるのかよくわからない。A地域のイメージがない。などです。
そんな川南町の現状や魅力(あればの話しですが)、暮らし方など皆さんに知っていただくために少しでもお届けできたら、と考えています。
慣れないこと(ブログへの書き込み)ですが、どうか大きな心でおつき合いください。






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2005年09月01日

東京都港区 甲斐良治 3日目

帰省3日目の8月17日は、役場の工藤君とともに熊本県旧清和村の前村長・兼瀬哲治さん(59)に会いに清和文楽邑へ。兼瀬さんは、1987年ころから本格化した「文楽の里」づくりに役場企画係長としてかかわり、91年「文楽邑」支配人に、99年には村長になった方です。これまで「増刊現代農業」では『帰農時代』(99年)、『地域から変わる日本 地元学とは何か』(01年)などにご登場いただいてきましたが、実際にお会いするのはこれが初めてです。

それどころか、私が清和村の土を踏むのも約20年ぶりのこと。当時「月刊現代農業」の野菜や土・肥料・農薬担当記者だった私が、同村在住の「自然農薬」研究家・古賀綱行さん(82)のお宅に何度かお邪魔させていただいたとき以来です。古賀さんは、取材が終わると、私や同行の画家・貝原浩さん(故人)に食べきれないほどの仕出し弁当をふるまい、「この弁当は『お芝居弁当』といって、昔、この村で農村文楽がさかんだったときの名残り。昔のディナーショーじゃな」と笑わせたり、村の小さな公民館に展示されていた文楽人形の頭(かしら)を見に連れて行ってくれたりしました。

清和村は、私が陸路帰省する際に利用する高速バス「ごかせ号」(福岡〜高千穂〜延岡)が走る村です。それ以来、清和村を通過するときには古賀さんのことや文楽のことなどを思い出しながら車窓の風景を眺めていました。

ところがその何年か後のこと、清和村通過の際に、突然私の視界に、立派な木造の「文楽館」の建物と道沿いに林立する「お帰りなさいフェスタ」ののぼりが飛び込んできました。「文楽が復活したのだ!」―そう思い、古賀さんに電話で連絡し、紹介してもらったのが当時・文楽邑支配人だった兼瀬さんでした。

兼瀬さんはユーモアとウィットの人。以下『帰農時代』にご寄稿いただいた文章からその片鱗をご紹介すると――

――清和文楽保存会の定年は80歳である。今、農家の若い人は兼業で勤めている人が多い。そのような保存会員は日曜日の公演にだけ出ている。40歳の人はこれから20年間そのようにして過ごして60歳で定年になったら毎日、文楽館へ通うことになる。これを「60歳からの後継者づくり」と言っている。60歳から80歳まで好きな浄瑠璃を聞き、人形を操りお客様との交流で楽しさと元気をいただいて過ごすことになる。

―― 元気になったおじさんおばさんである。そのおじさんおばさんに目をつけたのは昭和54年であった。今から20年前のことになる。茶飲み話で浄瑠璃のことをを話すおばさんたちがいる。「たいじゅうが…、たいじゅうが…」と話している。体重が重いのか軽いのかと思って聞いていると、『絵本太功記十段目』のことであった。太功記の太と十段目の十を取って他を省略してしまっているのである。

――農業はもともと融通のきくところがある、専業農家の保存会員は農作業の合間に駆けつけている。公演がある時、忙しい時期は早朝と夕方が大事な農作業の時間である。農業が出来ないでしょうと心配されるお客様には「農業は今、流行のフレックスタイム制ですから」と説明している。農村は都市の効率、迅速、膨張や高度は無いが安定、融通、継続の力があるといえないだろうか。

いま「文楽館」の来館者は年間1万人どころか3万人。「物産館」「レストラン」が7万人。
観光客ゼロだった村は「農村文楽」によって年間10万人を呼び寄せる村になりました。

――(文楽館建設に「こんな田舎の人形芝居を見に来る物好きなんているものか、いたとしても二度とは来ないだろう)と反対されて)「フト考えた。一度はお出でると思っている。一度は保証付きである。九州内の1500万人の人が1年に1万人ずつ来ていただけるとしたら、それは1500年かかる。1500年のうちには二度ぐらいはお出でるのではなかろうか。と考えたときまた一歩を踏み出したのである」。






清和文楽の保存会員は約20名で年間公演回数は260回。担い手のほとんどは兼業農家の60〜80歳。

文楽がさかんになったのは江戸末期の嘉永年間。春4月と秋9月の祭りを中心に伝えられてきたということですが、「猫の手も借りたい農繁期になぜ祭りの日をつくったのか」という疑問に兼瀬さんはこうも書いています。

――それは豊作祈願願成のためばかりではなかった。それは「農休日」であった。農村は一律の社会であった。つい最近まで農休日の旗が掲げられ一斉に休みを取るのである。豊作祈願は五分の建前とされた。後の五分は本音の農休日であったと思われる。じつは働きたいのだが神様の名を借りてその心までも縛って休みを取るのである。農繁期の疲れた体を労るひとつの知恵であったのであろう。

江戸末期に新しく祀られる神様が増え、また祭りと「遊び日」が増えたのは全国的な傾向のようです。農文協から発行されている古川貞雄さんの『村の遊び日』(解説・結城登美雄さん)に詳しく述べられていますので、ご関心のある方はぜひご一読ください。「遊び日」に禁を破って働いた村人への罰則なんてケッサクな話もあります(増刊『21世紀は江戸時代』でも紹介)。昔の人はやたら「生産力の上昇」なんて求めなかったのですね。

また兼瀬さんは「物産館」をつくるにあたって、隣県大分の「一村一品はモノカルチャーだ」と、「一村百品」をめざし、農家の蔵を調べたら「いまあるものだけで70品、あと30品は一息だ」と女性たちを励ましたとのこと。

清和村では、まず「経済活性化」ありきの村づくりではなく「伝統文化」「生活文化」の掘り起しが周年の仕事づくりにつながったようです。


文楽邑見学の後は、標高700mの「清和高原天文台」へ。グランドゴルフ場や「清和高原の宿」もある人気のスポットです(本当はここに一泊し、九州在住の増刊現代農業ライターのみなさんや、『若者はなぜ、農山村に向かうのか』に登場する山村NPOの方々と交流会をもちたかったのですが、すでに予約で満杯でした。来年はぜひ計画的にやりたいと思っています)。

(画像は「高原の宿」。兼瀬さんによれば、50名規模のホテルを建てようとすると最低でも5億円かかるけれど、こうした1棟1200万円のロッジ10棟で50名収容できるそうです)


清和村から工藤君の車で40分かけて高千穂に戻ると、待ち受けていた同郷の高山文彦さん(45)と居酒屋「手力」(たぢから)と、店名は忘れましたが田舎には珍しいカフェ・バー風の飲み屋で痛飲。高山さんは『火花―北条民雄の生涯』で大宅壮一賞・講談社ノンフィクション賞を受賞したノンフィクション作家で、最近は『水の森』『鬼降る森』などふるさとを描いた作品も多く発表しています。

画像は昨年夏、ハワイ在住で夏を高千穂で過ごす画家興梠義孝さんのアトリエで『鬼降る森』について話す高山さんです。


posted by LJ21 at 13:06| Comment(1) | TrackBack(0) | 宮崎県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月30日

東京都港区 甲斐良治 2日目

帰省2日目の8月16日は、「みつばちプロジェクト」のブログでも紹介されている日本ミツバチの名人、佐藤林さん(73)のお宅を訪問。案内してくれたのは今年1月に「今週の私」に登場した役場企画情報課の若手、工藤久生君(33)。

佐藤さんの本業は腕のいい(そして頑固な)大工。しかし、10代のころから趣味で日本ミツバチを飼いはじめ、いまでは西は天草半島から東は大分空港のあたりまで、ほぼ九州を横断して580箱の巣箱を置いているとか。しかも普通、巣箱を置いてもそこにハチが営巣するのは2〜3割なのに、林さんの場合は6〜7割。「みつばちプロジェクト」でも書かれていたように、どこに巣箱を置くかはカンが頼りだし、どこに置いたかは記憶が頼り。正確には覚えていなくても、その場所の近くに行けばだいたい思い出すそう。「1m違うだけでハチが入らないこともあるし、蜜源の花のすぐそばでも入らない」とか。

また「里より山の方がハチは蜜を集める。自然木の多い山は木の花が何かは一年中咲いている」とも。いま高千穂ではハチを飼う人が増えて全体では100人ほどいるが、とくに親しい4人が集まると「ハチの話で朝まで眠らない」とか。また天草に行くのも大分に行くの日帰りで、朝3時に高千穂を出て、帰ってくるのは夜の9時。一年間の車の走行距離が1万qちょっと。


高千穂はまた日本ミツバチの蜜を集めるだけでなく、長野県と同じようにスズメバチや地蜂の幼虫を食べる食文化のあるところ(画像は大スズメバチの成虫のはちみつ漬けと佐藤林さん)。

地蜂の巣を探すのは「ハチつなぎ」といい、花にとまっているハチの足に目印の糸やこよりを垂らしたカエルの足の肉などをからませ、巣に帰るハチを肉眼や双眼鏡で追いかけるという原始的な方法。巣が見つかれば「つながった」、見つからなければ「つながらんかった」。

子どものころの私自身もこのハチつなぎの経験があり、おとなといっしょに野山をかけまわるのが好きでした。巣が見つかれば、夜のあいだにダイナマイトの導火線や花火の煙をかけて成虫が一時的に失神状態になっているあいだに巣を掘り出すのです。

高千穂では、日本ミツバチが巣箱に入ってくれるかどうか、また、「ハチつなぎ」で巣が見つかるかどうかは腕半分、運半分の「結果論」。でもその「お金をかけないギャンブル性」が、よい年をしたおとなたちを夢中にさせているようです。


(写真は昨年の夏、実家の庭にスズメバチがつくっていたハンドボール大の巣。「孫たちが帰省してくるのに危ないから」と、老父が夜中、懐中電灯で照らしながら殺虫剤をスプレーして落としたもの。しかし逆襲に遭い、オヤジは顔面を刺されてウンウンうなるハメに)


「腕半分、運半分の結果論」といえば、夏休み前に、千葉県の某地でトライした「イセエビの生け簀漁」もそんな漁。昨年「捕れるときは1000匹くらい捕れる」というなじみの民宿のおばさんの甘言に誘われ、初めて参加したのだけれど、成果は数匹!

その漁法は、海とパイプでつながった岩場の穴(人工的に掘ったもの)に入り込んだイセエビを手づかみで捕まえるといういたって簡単なもの。しかし、そのためには穴にたまった海水をバケツでくみ出し、底にたまった砂やヘドロ状の土をかき出し、イセエビを捕ったら、イセエビの巣になっていたコンクリのブロックを運び出しては掃除し、また元に戻すという作業が必要です。しかも炎天下の、足場の悪い磯での作業。ホント、熱中症で死ぬかと思うほどです。

昨年は屈強な鴨川自然王国のスタッフと参加したのですが、あまりにも不漁だったので「民宿のおばさんがまた今年もやると言ってるけど、どうする?」と王国スタッフに電話をしたら「やるに決まってるじゃないか! なんのために去年、あんな苦労をして掃除したんだ!」と言われてしまいました。


今年の漁もしんどかったけれど、かんじんのイセエビが70匹ほど捕れたので、鴨川から行ったメンバーも大満足。8人がかり、3時間ほどの漁だったので、労力から言えば買った方が安いのかもしれませんが、なんとも言えない満足感、充足感があります。

日本ミツバチ、地蜂捕り、伊勢エビ漁――自然を相手の人間の「労働」には、「合理性」だけでは解釈できない身体のヨロコビがあるなあとつくづく感じる夏。(成果は)あてにならない、(経済的には)頼りにならない、(仕事としては)けっこうキツイ――しかし、なぜだかハマってしまう! そんな仕事が、山村や漁村にはまだまだたくさんありそうです。


posted by LJ21 at 19:41| Comment(2) | TrackBack(1) | 宮崎県 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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