2005年05月06日

東京都豊島区 松井和久 6日目 帰国を前に

5月6日の午前中、ジャカルタ市内のメルシー(MER−C)というイスラーム系緊急医療NGOにおいて、「水俣病」インドネシア語版出版を記念した原田氏の講演およびディスカッションが行なわれました。

参加者はわずかでしたが、彼らのほとんどはブヤット湾に環境汚染があるかどうか、それが水俣病かどうかという関心で集まっていました。しかし司会者が原田氏の講演を通じて水俣の経験を学ぶことに集中させたため、アジテーションのない静かな会合となりました。

大事なことは症状が出ている患者をケアすることで、原因究明はその後に時間をかけてじっくりやればよい、原因が究明されるまで放置された水俣の経験を繰り返してはならない、という原田氏のメッセージが共感を持って受け止められていました。

このメルシーのオフィスで面白かったのが、この写真にあるメルシーの旗です。赤い月の上部に描かれたアジア大洋州、その真ん中にくっきりとインドネシアが描かれているのですが、あれれ、日本や朝鮮半島が見当たらない・・・のです。



北スラウェシ州のマナドでは「水俣病」インドネシア語版は「売り切れ」とのことでしたが、首都ジャカルタの本屋ではどうか、見てきました。写真のように、新刊書のコーナーに平積みになって売られていました。思わず、通りかかった人に宣伝してしまいたくなりました。「水俣病」と聞いただけで、中身を読みもせずに「ブヤット湾の汚染を水俣病と決め付けるための危険な書物」というレッテルが貼られないことを祈るばかりです。


さて、本当に短かったインドネシア滞在もわずかとなり、ジャカルタ国際空港で出国審査を終えてぶらぶらしていると、ジルバブをかぶって同じような服装の若い女の子たちの集団がぞろぞろ歩いているのに出会いました。聞くと、ジャワ島の田舎から出てきたこの子たちは、これからクウェートへ出稼ぎに行くとのことでした。

ふと昔、ジャカルタで下宿していたときのお手伝いの女の子がサウジアラビアへ家政婦として出稼ぎに行き、しばらくして、主人のいない隙を見計らったのでしょうか、下宿の大家に泣きながら「サウジに来るんじゃなかった」と国際電話をかけてきたのを思い出しました。当時彼女は16歳、初めて下宿にやってきていきなり私のズボンにアイロンをかけて穴をあけてくれたのですが、つらい日々に耐えられなかったのかもしれません。一体彼女は今どこでどうしているのでしょうか。

そんな彼女とここにいる女の子たちがダブって見えました。「仕事がうまくいきますように」「よい雇用主に恵まれますように」と声をかけるたびに「アーミン」と祈る彼女ら。幸せに帰ってきて欲しいと願わずにいられませんでした。


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東京都豊島区 松井和久 5日目 再びジャカルタへ

マカッサルでの予定も無事に終了し、5日昼の便でジャカルタへ発ちました。マカッサルの滞在はわずか1日半と短く、あれも食べてない、これも買ってない、あの人に会っていない、と、とても心残りでしたが、また8月に来るということで、今回は我慢です。でもバタバタと慌しく過ぎた1日半でした。

ジャカルタに着き、空港から街中へ入ると、乾季とは思えない激しい雨に出会いました。目抜き通りのスディルマン通りは所々冠水し、車は水を跳ね上げながら進んでいきます。しかし、ホテルに着く頃には雨は上がって、少し手前の大雨がうそのようでした。ジャカルタではこうした局地的な大雨がたびたび起こります。


原田氏にお付き合いして、少しの時間、みやげ物売り場をのぞきに行ってきました。ジャカルタ・サリナデパートのみやげ物売り場は、行く度に新たな発見があり、面白いところです。まずは定番のこれ。イスラーム教徒が使う礼拝用のカーペットですが、方位計が縫い付けられていて、どこへ行っても正しくメッカのほうを向いてお祈りできる代物です。


今回の掘り出し物は、こちらの箸置き付き茶碗です。茶碗の上部に穴が開いており、そこに箸の先を突き刺しておけます。この茶碗は、木材でできていますが、バナナの木の幹の皮を木材に貼り付けてあり、ジャワ島中部のジョグジャカルタで生産されたものとのことでした。これが日本で受けるかどうかは分かりませんが、その発想に新鮮さを感じました。これからも面白いみやげ物が様々なアイディアと工夫を凝らして現れてくることを期待しています。


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2005年05月04日

東京都豊島区 松井和久 4日目 水俣から学ぶ

いよいよ今回のインドネシア出張のメイン・イベント、原田正純著「水俣病」(岩波新書)インドネシア語版の出版記念セミナーが、マカッサル市内の国立ハサヌディン大学で開催されました。開始時刻の午前9時にはまだ数人程度しか来ていませんでしたが、9時半頃から人が集まりだし、結局、200人を超える出席者で盛会となりました。出席者の多くは学生やNGOなどの若い世代が多かったのが印象的でした。




主催者のMKS、AMDAインドネシア、ハサヌディン大学医学部などの挨拶に続いて、原著者である熊本学園大学の原田正純教授が、昨晩、私が深夜までかかってインドネシア語訳をつけたプレゼンテーション資料を使い、「水俣からのメッセージ」と題して講演を行いました。原田氏は手馴れた様子で講演されていましたが、対外へ排出されやすい無機水銀よりもタンパク質と結びついて体内に蓄積されやすい有機水銀が被害を深刻にしたこと、胎盤が有機水銀を通さないと医学的に信じ込まれていたため胎盤性水俣病の発見が遅れてしまったこと、などの話で、途中で何度も心に迫る場面があり、出席者の多くが涙腺を潤ませるような光景が幾度も見られました。




原田氏は、水俣病は有機水銀中毒という比較的シンプルな原因だったが、今後の公害病は様々な原因要素が交じり合う複合的な形で現れるとし、原因究明は困難を極めるであろうことを指摘すると同時に、水俣病を含む公害病に対して医学的なアプローチのみでは限界があり、その病気が発生した社会の貧困やその後のプロセスの中で破壊されていくコミュニティに眼を向けた「地域」を捉えるアプローチなど様々なアプローチを総合してとっていくことが必要であることを強調していました。「水俣病かどうか」ということを医学的究明しただけでは何も解決したことにはならない、というメッセージでした。

インドネシア・スラウェシ島では、北スラウェシ州のブヤット湾で何らかの重金属汚染と見られる状況が起こっており、湾に流れる川の上流にある米系金鉱会社ニューモント社の現地子会社が批判の矢面に立たされています。この会社が水銀やヒ素などを垂れ流していた(あるいは空中へ放出していた)と報道され、現在、政府はニューモント社を環境汚染を理由に告訴しています。当初は「水俣病ではないか」という見方さえありました。しかし、ニューモント社からロイヤリティなど様々な収入を得られる地方政府などは目をつぶり、逆にニューモント社を敵視する運動をやめるようにとの様々な圧力がかけられ、当初住民を支援していた多数のNGOも手を引いていきました。「ブヤット湾に環境汚染があるかないか」という問題に終始して、地域の利権と絡んで高度に政治化してしまい、結局、移転を望む現地住民が行政から放置されているのが現状です。

このブヤット湾のある北スラウェシ州の州都マナドの本屋では、「水俣病」インドネシア語版が発売されて数日のうちに売れ切れてしまったとのことです。市民の関心が高いのか、それとも反ニューモントの世論形成に使われることを恐れたグループが買い占めたのか、どうも後者の可能性が高いとセミナーに参加した現地NGOは語っていました。この本の出版を契機として、環境問題で「汚染があったかどうか」「外資系企業はけしからん」といったレベルの議論を超え、住民の現状を様々な角度から科学的に調査し議論していくように、そして住民本位の対策を講じられるように、インドネシアでもなっていって欲しいと願っています。



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2005年05月03日

東京都豊島区 松井和久 第3日目 ジャカルタからマカッサルへ

遅めの朝食をゆっくりとって、まず、頼んでおいたマカッサル行きの航空チケットを取りに旅行代理店へ行きました。チケットはすでに用意してあり、難なくゲット。午後1時に到着する同行の原田正純氏を出迎えるため、ジャカルタ国際空港へ向かいました。初対面だったものの、無事に原田氏と会うことができ、午後4時発が午後6時発に変更になったガルーダ便を待つため、空港ホテルの1室を借りて休みました。

何の問題もなく、午後9時過ぎにマカッサルに到着。空港にはメディア・スラウェシのメンバーである島上さん、イッチャンさん、ニョマンさんの3人が迎えに来てくれました。この写真がその3人です。ホテルに着いてから、明日の「水俣病」インドネシア語版出版記念セミナーの段取りを話し合いました。原田氏持参のプレゼン用CDの一部をインドネシア語に直すことになり、結局夜中の2時過ぎまでかかって何とか終わらせました。浦嶋さんと行った昨年1月のJICAの仕事のときといい、行事の前には必ず何か夜なべ仕事が待っている、という状態に変化はなさそうです。

というわけで、あまり面白い話題のなかった、ジャカルタからマカッサルへの移動日でした。



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2005年05月02日

東京都豊島区 松井和久 2日目 ジャカルタに到着

昨日は箱根でしたが、今日からインドネシアへ出かけています。インドネシア・マカッサルの友人たちと作ったメディア・スラウェシ(Media Kajian Sulawesi: MKS)というNGOが、岩波新書の「水俣病」(1972年出版)のインドネシア語版を出版したのですが、4日に行われるその出版記念セミナーに原著者の原田正純氏と出席するためです。このインドネシア語版は、2004年6月に熊本日日新聞社から出版された英語版を基にしています。

成田から乗った毎度おなじみのジャカルタ行きJAL便は、写真のようにガラガラで、乗客は30人程度でした。この路線の乗客の大半は政府関係者やビジネスマンで、GWの中間に当たる5月2日は利用客がほとんどいないということのようです。ちなみに夕方に成田を出るJALのバリ島行きの便は満席だとか。1998年5月にジャカルタで暴動が起こったときは、さすがに、ジャカルタ行きは数人しか乗客がいなかった、ということもあったそうです。


このところ、ジャカルタに着いて最初の夕食は、あんかけクエティアウ(一見きしめんのようなコメの平打ち麺)となることが多いのですが、今回もやはり食べたくなって、アジア経済研究所のジャカルタ駐在の友人を誘って、ハヤム・ウルック通りにある「メダン福建麺食堂」へ行ってしまいました。昼は福建麺を出すのですが、夜はあんかけクエティアウ、炒めクエティアウ、汁クエティアウの3種類しかメニューがありません。もっとも、食堂のどこにもメニューが掲げられていません。ともかく地元華人の間ではよく知られた食堂です

毎度のことですが、牛肉以外に臓物や軟骨も入るあんかけクエティアウにチリソースをかけて食べると、「さあこれからインドネシアだ」と気分が高揚してきます。



posted by LJ21 at 23:20| Comment(0) | TrackBack(0) | インドネシア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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