2005年03月07日

いわて地元学フェスタ

昨日の、環境コミュニティビジネスモデル事業の発表を終え、ほっと一息、もなく、代表の朝田は沖縄へ調査、事務局長の私は「いわて地元学フェスタ」に出席のため、朝一番から盛岡へ。このスケジュール、どうなっちゃってるんだ、と我ながら思います。

岩手県は、平成11年に策定された総合計画で「いわて地元学」を位置づけ、積極的に取り組んできました。以来、各地で地元学が取り組まれ、私もいくつかの地域でそのお手伝いをさせていただきました。地元学のさらなる普及を狙った県のイベントは、昨年度に引き続いての参加です。

そもそも、私の地域との出会いも、以前在籍していたヒューマンルネッサンス研究所が、平成9年から岩手県陸前高田市の方たちと一緒に地元学の実践研究を始めたことがことの発端です。(この事例が県の目に止まり、県が地元学に取り組むきっかけになったようです。)私は研究所に入ってすぐでしたが、水俣の吉本哲郎さんや立命館大学のモンテ・カセム教授らとともに、一兵卒として高田の市内を走り回っていました。このときの経験が、いまの私の礎となっています。



今回の地元学フェスタは、現在取り組んでいる5地区の事例発表と、岩手大学の広田純一教授進行のもと、ローカルジャンクション21の理事である結城登美雄さんと、同じく顧問の甲斐良治さんが対談を行います。

今回は会場にも少し趣向が凝らしてありました。開催場所は農業教育資料館。盛岡高等農林学校の本館として、大正元年12月に建てられた建物です。素敵な場所でした。会場には、地元学でつくられた地域資源マップなどが展示され、県内の取り組みの厚さが感じられます。壁に貼ってある三つの地図は、以前私が関わった地域のものです。(改めて、たくさんお仕事をさせていただいていることを実感。感謝です!)



さて、今日の私の役目は、平成12年度から関わっている岩手県住田町と、今年から事業が開始された水沢市中心部における地元学の事例発表のコーディネーター。水沢の事例の詳細については、ローカルジャンクション21のホームページに載っていますので、こちらをご覧ください。

水沢からは、地元で料亭や素敵なコーヒー豆店を経営し、今年の地元学メンバーである佐藤一晶さんと、地元学事業の主催者である商工会議所の菊地浩明さんが参加(
写真)。今年度、調べて再確認した水沢の資源と来年度の活動内容について発表していただきました。3月21日には、その成果と今後の計画について語り合う「水沢探検発表会」が行われますので、お近くの方はぜひご参加ください!(詳細は、水沢商工会議所0197−24−3141まで)

住田町からは、平成12年住田町に入ってから地元学に関わっていらっしゃって、地域のリーダーとして活躍されている吉田洋一さんと、役場の福島さん(このブログにも登場してくれました)が参加。洋一さんは、地元学で地元の水の豊かさを見直し、そこから健康な土づくり、食べ物づくりに目覚め、仲間たちと有機農業に取り組んでいる経緯を発表してくれました。

他、葛巻高校が取り組む地元学など3地区の事例発表があり、その後対談へ。






対談では、葛巻高校の取り組みの例をひき、今まで学校が行ってきた「知るための学び」ではなく、「つかうため、活かすための学び」をもっと見なさなければいけないのではないか、それが本当の「生きる力」ではないか。地元学は、私たちの社会が今まで軽んじていた、「ここでみんなと力をあわせて生きていこう!」という思いと「ここで生きる力」を養っていくことなのでは、と結城さん、甲斐さんがお話され、深く共感。
地元学やって、地域の活性化になるの?という声は、よく現場で聞かれる問いですが、「地域の活性化」とは何か?については、結城さんが沖縄のおばあに聞いたお話を披露してくれました。1.あたり2.ゆんたく3.ゆいまーる4.共同店5.てーげー。(←何がなんだかですよね?結城さんも、国内の調査で初めて通訳を介して話を聞いた、と笑っていました。)
一つ一つ書くとたいへんなので、今日私が特に印象に残ったお話を。「ゆんたく」とは、お茶のみのこと。今でも沖縄の方たちは、誰かの家に集まり、みんなで一緒にお茶を飲む。そこで、いろんな話がされ、やれ誰々さんを見ないが元気か?、○○が壊れて困っているなどなど。そんな情報のやりとりのなかで、誰かが手伝ったり、助け合ったりして、大体多くの問題が解決されていく。そうやって、むらは、むらのなかで支えあって生きてきた。そういうつながりがなくなってきた、もしくは壊してきたのがここ数十年の日本だったのでは。地元学は、もう一回「ゆんたく」を取り戻そうよ、ということ。確かに経済の活性化も必要。でも経済の活性化だけで、地域の活性化は語れない。今まで、あまりにも前者ばかりの活性化論にとらわれてきたのでは。そんなお話でした。結城さんのお話は、その分かりやすい論理に深く納得させられると同時に、ぐっと胸にこみ上げる熱いものを感じます。(その後の打ち上げで笑っていたのですが、結城さんの話は左脳ではなく、右脳が反応するみたい。)もっとお知りになりたい方は、ぜひ農文協の増刊現代農業をお読みになってください。HPはこちら



その後盛岡駅で、結城さん、甲斐さん3人で打ち上げ。いろいろとめでたい話もあり、大いに話は盛り上がり、軽くのつもりがずいぶん飲んでしまいました。それでも飽きたらず、電車の中でもさらにグビグビと。当然ながら、途中から爆睡。あー、しかしまだまだ年度末の過酷なスケジュールは続くのであります。とりあえず今日はここまで・・・。おやすみなさい。


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2005年03月05日

無事終了、そして新たな出発

経済産業省の環境コミュニティ・ビジネスモデル事業の成果発表会が本日、無事終了しました。
全国の116件の応募の中から15団体が採択され、昨年の7月から事業構築に取り組みました。
私たちは、採択されたものの、頭で考えていたことと、モノを実際に動かしてみることの違いに少々戸惑い、当初の2,3ヶ月は悩みの中でうろうろしていましたが、風土倶楽部を立ち上げ、マイショップに出店し、各地の仲間たちと協働で食育フェアに出店し・・・と具体をこなすうちにいろいろな課題をクリアして、ようやく今日に至りました。明日からは、また新たな始まりです。

画像は発表中の私です。


採択されたほかの14団体の発表をすべて聞いて、とても勉強になりました。どの団体も、熱い人々ばかりで、学生から団塊の世代まで幅広い年齢層や立場の人たちが一堂に会した懇親会会場は、すごい熱気満たされていました。本当にどの取り組みも社会に必要なものばかりですが、今の経済システムの中でもがいていることも確かです。もちろん私たちも、です。でも、こんなに「お仲間」がいると思うと、それだけでも心強いです。この方たちとは、いろいろつながりあえることがいっぱいあって、今後の展開が楽しみ。


同志社大学経済学部の郡嶌教授が閉会の挨拶で「コミュニティ経済の息吹を感じた」とのこと。小さな環がどんどんつながりあえれば、きっと大きな動きになる、そんな実感を得ました。



今日は慶応大学のN君が面白い企画をもって会場に会いにきてくれました。私たちが懇意にしていただいている、ゼミの某教授にぜひ、会いに行ってこいと言われたとか。とても元気のよい青年で、一緒にやれたらかなり面白そうです。


今月号のソトコトの特集「保存版 ソトコト的元気NPO大百科」の元気な101のNPOの一つにLJ21も選ばれ、掲載されています。
うーん、ようやくここまで来たか。


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エコロジカルなグルメの食卓

3月下旬に二つの雑誌に私の拙文が掲載されるので、恥ずかしながらお知らせします。
一つは「住む。」という泰文館から出ている季刊誌の春号から「いま、食の現場で」という連載が始まります。第1回目は「自然卵」です。
昨年、7月に開催した食話会の山形県長井市の菅野芳秀さんによる「おいしくて安全な卵に出会うために」が題材です。このときの食話会は、毎日新聞の記者の方もいらしていて、これがきっかけでネットで今、菅野さんの連載が掲載されています。
食話会には、マスコミ、行政、地域づくりのNPO、食に関心の高い学生さんや主婦の方、ライターの方など幅広い方に参加していただいています。

画像は「住む。」これは冬号です。
ここちよい暮らしとはをしっかりした視点で捉えたなかなかスタイリッシュな雑誌です。


私は6年ほど前に有機野菜とは何かを追い求めた「元気な野菜、食べていますか?」というムックを創ったことがあります。今のような仕事を始めたきっかけは1997年ごろに宮崎県綾町の郷田實さん(2000年3月に逝去)にお会いしたことですが、この少し前くらいから雑誌で食とエコロジーの関係を追いかけ始めていました。地元学などを経て、行き着いたところが地域づくりだったというのは、今では当然な流れだと考えていますが、当時はなぜ、地域づくり?と思いながら、岩手県紫波町の循環型まちづくりにどんどん深く入っていくことになりました。深く入れば入るほど、やっぱり食なんだなあとまた戻ってくるのですが。


そんなわけでまた原点に戻ったような連載をさせていただくことになりました。編集部の西本さんと、まずは楽しくやりましょ、ということにしています。「食」とか「環境」とか「地域づくり」とか漢字で考えるとなんだか自分のことじゃないみたいですけれど、「食べる」とか「暮らす」とか動詞で考えるとかなり身近に思えますよ。

立ち読みでもかまわないですから(なんていったら西本さんに怒られるかな)、「どんな卵を食べればいいのかわかんない!」と少しでも思っておられたら、手にとってみてください。少しはヒントになるかもしれません。


もう一つは「アイソムズ」という環境技術系の雑誌です。リレー連載で、LJ21の理事の渋澤さんから1月掲載分のバトンを渡されたのですが、フェアなどで時間がなく、私からバトンを渡すはずだったサスティナブル・コミュニティの研究家である中島恵理さんに先に書いていただきました。私の掲載は今月末ごろになるかと思います。こちらは「スローフード、スローライフのおすそ分け」をテーマに、私たちの活動のことをご紹介しています。
店頭で手に取ることができるのかどうか、わかりませんが、もし、どこかで目にされたら、お目通しください。


実は今日のタイトルの「エコロジカルなグルメの食卓」をテーマに書いてみたいなあと考えています。そのうちブログでやろうかな。おっと、とにかく3月が終わらなくっちゃ。

今、聴きながら書いている曲は久しぶりのブラームス、ピアノコンチェルト2番、アシュケナージです。
この曲を聴くと深夜、車でこの曲を流しながら、多摩川のあたりから、そのころ住んでいた文京区の家まで飛ばして帰ったころを思い出します。

では、今夜はお休みなさい。




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2005年03月04日

心に潤いを

外は雪。昼過ぎにようやく止みました。今日も机にしがみつきの一日・・・。まるでこのところ引きこもり状態。
じっくり書類を作る時間も必要ではあるけれど、ホント、この時期、地味な日々。早く3月脱出したーいが本音。
今年は風邪を一度もひいていない。たぶん、人ごみにほとんど出かけないからかな?これができるって都会ではとっても幸せなこと。出かけても、なるべく渋谷、新宿といった大きな街はできるだけ滞在時間を短くし、ご飯を食べたり、飲んだりは中央線沿線だったり、赤坂の人気のない裏通りの店だったり。しっかり飲むときは地方だし。



過疎と呼ばれる地方が仕事の大半を占めはじめて、過密と呼ばれる都市との間を行ったり来たりするうちに、やはり都市の人ごみがだんだん馴染めなくなってきてしまったようです。出張から帰ってきて、東京駅に降り立った瞬間、出張の数日間に目にした人の数以上の人がすごいスピードで前をどんどん過ぎていく。アナザーワールドです。どっちが?どっちも。



最近はヒルズが話題の中心だけれど、ヒルズに行っても、コンクリートとガラスの冷たい感触ばかりが肌に押し寄せてくるような感覚を持ちます。一昨年の秋にマンションの裏階段から派手に転げ落ちて、コンクリートの階段と床にいやというほど全身を打ちつけ、おまけに向こう脛を負傷し、自己流手当てがまずくて、全治3ヶ月ぐらいの傷になってしまって以来、コンクリートフォビアになってしまったようです。ビルとか、車とか、冷たくて固いものに対して違和感がどんどん増幅してくる。なのに、マンションに住んでいるから、部屋中、なんとなく自然系のものばかり集めてしまう。でも、向かっているのはパソコン。ああ、現代生活の自己矛盾だ。



年度末大騒動顛末記なんて書くとどんなに面白い状況になっているのか、と思われるでしょうけれど、内実はひたすら書類書きまくりです。頭の中が大騒動なんです。明日は経済産業省の成果発表会。今回は、かなり準備をしたので15分間のプレゼン、なんとか乗り切れるかな?自転車操業のLJ21事務局、もう一ふんバリです。


このところ音楽も聴かずにいたけれど、ちょっと心に潤いをということで今、この日記はマルタ・アルゲリッチによるラフマニノフのピアノコンチェルトNO.3を聴きながら書いています。アルゲリッチというだけで、なんだか心が騒いでしまいます。おまけにラフマニノフ!

ワイルドストロベリーって、年中、小さいけれど可憐な花をつけてくれます。そしてちっちゃい赤い実をつける。今日も雪の吹き付けるベランダで花をつけていました。健気な花だなーといつも感心。いつも励ましてくれて、ありがとう。


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2005年03月03日

年度末大騒動顛末記 その2

昨夜から、今後のスケジュールを考えて、青くなったり、冷や汗、脂汗がにじみ出ている状態の事務局です。こんなの書いている暇、あるのか!でも、こういうときこそ、じっくり考えて、今の状況を分析して・・・暇ないか。
というわけで事務局長から、「そんなことしてないで、早く仕事に戻ってください!」という檄が飛んできそうなので、手早くすませます。編集業務や取材記事を書いたりというのがかつてのメインのお仕事で、どうしても「伝える」という性(サガ)が頭をもたげてしまいます。


「今週の私」は、昨年の6月ごろからブログをいち早く取り入れました。が、うまく使いこなせていません。もっと読んで下さっている方と双方向で楽しめるはずなんです。私たちの地方の仲間も少しずつブログを取り入れはじめています。昨日の小さな環が大きな環へ、というのはまさにブログでつなぎ合えると考えています。もちろん、「環をつなぐ」ことの一翼を担うということで、それがすべてではありません。リアルからバーチャルへ、バーチャルからリアルへ、その壁を自由に行ったり来たりできるのが、情報化社会の現代です。

ライブドアが話題になっていますが、たぶん彼らの世代は多感な10代後半からこの社会にどっぷり浸かってきた人たちで、その行ったり来たりをビジネス化しているんだろうなあ。いつも遅れてしまうか、序章で終わってしまう世代である昭和30年代生まれはちょっと遠くから、そんな風景を眺めています。でも、否応なく、こんな団体を動かしていると、その輪(この場合はこちらの文字)の中に入らざるを得ないです。

リアルとバーチャルは、思い込みの世界をどう視点を変えるか、ということでもあります。
ここに一つのリンゴがあります。とにかくおいしくて、私はこの冬、このリンゴと毎日一緒でした。1箱はいただいて、2箱目は注文して取り寄せました。あまりのおいしさにいろいろな人に食べさせてみましたが、みんな、喜んでくれました。
このリンゴは、青森でもなければ、長野でもない。群馬県片品村産なのです。「群馬で、それも尾瀬の手前でリンゴができるの?それもこんなにおいしいのが」というのが食べさせた人すべての反応でした。



昨日は「干しりんご」をご紹介しましたが、「食べてみる」という行為は、このリアルとバーチャルを交換できる実に面白い一瞬です。五感で味わい、体に取り込み、血肉にするという、なんともリアルそのものです。でも、こうして私がこんなにおいしいと言っている間はみなさんにとってバーチャルなんですよね!ふ、ふ、ふ。食べてみたいでしょう。

近々、沖縄に食材調査に行きます。2年半ぶりの沖縄です。
すみません、時間がないので、この辺で突然、今日は終わります。

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2005年03月02日

むらまち工房 立ち上がる

1月下旬にLJ21の声かけで「むらまち工房」設立研究会が開催されました。各地で持続可能な地域づくりに取り組んでいる団体や生産者、都市側の安全安心なものにこだわる団体や飲食店、などのネットワークがようやくカタチをもつことになりました。

現在、LJ21では、ニッポン食育フェアの出展や三鷹のMYSHOPなで、地域の個性あふれる恵みを紹介し、販売する風土倶楽部を展開していく中で、今まで以上に、各地の皆さんといろいろなつながりができてきました。モノが行き来するというのは、実態が見えてくるから、単なる情報のやりとりよりも絆が強くなるのは当たり前ですね。

「こんなもの、売れるのだろうか」から始まり、「いや、こんなものが欲しかったのよ」があったりして、まだまだ小さな小さなロットでやりとりしていますがモノが動けば、互いにうれしい関係になるのです。まさに「むらとまち うれしい出会い 楽しいつながり」の第一歩です。


ただ、それだけではなかなか次につながらないのも事実。互いの関係はモノだけではないはず。旅だけでもないし、情報だけでもない。いっそ、お互いのいいところ、足りないところ、補い合えるところを持ち寄って、何か面白いことをやろうじゃないか!ということでとりあえず「むらまち工房」という名前でネットワークが立ち上がったというわけです。


言葉だけのネットワークではなく、これからLJ21が企画するイベントなどにみんなで関わりながら、一つずつ課題をクリアしていく予定です。いわば「アクティブな研究会」であり、事業構築なのです。
ご興味のある方は、ご一報ください。ただ、一つだけお願いがあります。まずは「私の利益」を考えるのではなく、「みんなの利益」と「みんなが喜ぶこと」を考えてください。ささやかなwin & winをたくさんつくって行こうよ、というのが今回集まったメンバーの共通の思いなんです。


メーリングリストも立ち上げ間近です。今までのつながりのある方たちから、まずはお声がけをしていきます。
小さな環から、大きな環になればいいなと夢を膨らませています。

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2005年03月01日

LJ21事務局スペシャルウィーク 年度末騒動顛末記

今週は特別企画!LJ21年度末大騒動顛末記です。
昨日、経済産業省平成16年度環境コミュニティ・ビジネスモデル事業の報告書を出し終わり、ひと山越えた私たち。ほっ。
ただ、今週末の土曜日に成果発表会があるので、そちらの準備もしなければ。
こちらのことは、当ホームページhttp://www28.cds.ne.jp/~localj/の事務局だよりにもお知らせをしているのでご覧ください。

とにかく、年度末というのがいかに恐ろしいものであるか。というのも、私たちはこのモデル事業に採択していただいたおかげで、昨年秋から、調査に各地に飛び回り、そのうえ、「稼業」の地域活性化の調査やプログラムづくりにも奔走し、机を温める暇がほとんどなかったのです。報告書や制作物を1月の食育フェアが終わったころから、この2,3月にかけて「とにかくやらんば!」と土日もなく仕事、仕事の日々です。(そういえば、秋ごろから休みなんてない・・・)

写真:ずるずるといつ終わるのか・・・一反もめんの妖怪のごとく出てくるファックス用紙。いろいろ錯綜する仕事の書類で足の踏み場もない仕事場と化しつつあります。


この1週間、ほとんど机にかじりつき状態で、こういうときに甘いものが食べたくなるのはなぜ!脳が呼んでいる!とかなんとか言いながら、チョコレートをむしゃむしゃ。つい商品の「干しリンゴ」に手がいってしまう。あ、みなさん、これ、新商品です。
リンゴを剥くのがめんどーだという方にぜひ、お勧めします。そのまま食べても、りんごの甘さが凝縮されていて、「え、こんなにリンゴって甘かった?」というほど。紅茶に入れると本格的なアップルティーになります。香料なんかでごまかしたアップルティーを飲んでいる方、そのおいしさにびっくりしますよ。
この食べ方は、LJ21の顧問である甲斐さんから教わったもの。フェアで売り出したときに購入し、こんなおしゃれな飲み方をしていたとは・・・と事務局唖然。甲斐さんによると、紅茶は桜野園の国産茶で、藤原誠太さんのハチミツをたらすとなお良しとのこと。うーん、さすが農文協さん、目のつけどころが違う。早速、風土倶楽部で「干しリンゴ」+「桜野園紅茶」+「ハチミツ」セットを用意しようかな。

写真はそのスペシャルトリオのa cup of teaです。おお、至福のひととき。
ご希望の方は事務局までお申し付けください。すべて取り揃えることができます。ハイ。


このモデルで動かし始めた風土倶楽部については、年末のこのブログでもご紹介しましたが、今度は「みたかモール」にもインターネットショッピングのお店を開店することになりました。当面は、水俣市桜野園の各種お茶と愛林館の香り米を中心に販売して、軌道に乗せていくつもりです。三鷹市内在住なら送料は無料。三鷹以外の地域は一律500円です。どうぞみなさまもご利用なさってください。
URLは、開店準備が完了し次第、LJ21のホームページでお知らせします。風土倶楽部のホームページもただ今、改訂中です。

明日は、むらまち工房について、みなさまにお知らせします。

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2005年01月09日

7日目 川崎市高津区 浦嶋裕子

やっと7日目!今週は、ずっと東京、さらに内勤が多かったので、なかなかネタを考えるのに苦労しましたが、無事に最後の日を迎えることができました。めでたし、めでたし。
今日もまた家でずっとパソコンとにらめっこだったので、買い物に出掛けたついでに撮った川の写真から始めたいと思います。



すでにご紹介しましたが、我が家は、多摩川のすぐそばにあります。住む場所を決めるときに、川のそばを条件に探しました。以前住んでいたのも、やはり多摩川の脇でした。例のタマちゃんが最初に出現した丸子橋のすぐそばです。ただ、タマちゃんの登場の事実を熊本県の水俣で知って、帰ってきたときはすでにタマちゃん引っ越し後。ものの200mも離れていないところに暮らしながら、結局この目で一回も見ることなく、タマちゃんは去っていってしまいました・・。
整備が進んだ下流部の川ではありますが、人工的な空間に囲まれている都市のなかでは「自然」を感じることのできる貴重な空間です。とにかく、ゴミゴミとしたまちなかで、大きな空が見上げられる場所、そして高層階でなくても山が遠望できる場所は、わたしにとってとても大切です。



今は寒いので人はまばらですが、暖かくなると、夥しい人が集まり、思い思いに河原で楽しんでいます。多摩川近くに暮らしはじめたのは6年前ですが、当時とくらべてその数は確実に増えています。まち中で遊ぶだけではなく、かといって遠出をしてアウトドアを楽しむというのとまた違って、日常の中で肩肘張らずに自然と親しみたい人が確実に増えているのでしょう。(この写真はおととしの冬に撮った、タコあげ大会のようなイベント時の写真です)


なぜ、川のそばに住まいを求めたかは、今の仕事に大きく関係をしています。今から8年前、地元学提唱者の吉本さんと岩手の陸前高田市で衝撃の出会いを果たしました。いきなり車の助手席に座らされ、陸前高田の海、山、川、を走り回り、「あれは何だ、これは何だ」と矢継ぎ早の質問にずいぶんとたじろぎました。そのひとつに、道の話があります。川沿いの道を走りながら「この道はなんだ?」と聞かれ、「えー、県道ですかね」と答えたら、「そういうことじゃない」と言われ、そこが川の道であることを教えてくれました。今は重機があれば、どこにでも道をつけることのできる時代ですが、人力しかない時代、道は山の尾根筋と、川や谷沿い、そして海岸沿いが主な道でした。新しい技術によってつくられたものを「はいで」いくと、風土に寄り添った暮らしのカタチが見えてきます。なぜ集落は、この場所に集まっているのか、なぜここに神社があるのか、すべては自然の恵みによって暮らしてきた幾世代にもわたる生活の積み重ねなのだということを実感しました。(写真は三陸の海の道)
私が、現在暮らすこの地域も、当たり前ですが、昔と比べると大きく変わっています。現在の246号線は、大山詣でのための大山街道と平行して走っていますが、その街道を行き来するために多摩川のほとりには二子の渡し場があり、宿場や遊郭などもあったと聞きます。周辺には、梨畑などの果樹園や畑が広がっていたそうです。そして多摩川だけは、山梨県の笠取山水干から、羽田河口まで、昔と変わらずゆうゆうと流れ続けています。私は、もちろん見たこともない風景ですが、そんな「なつかしい」往時の二子玉川周辺の記憶をとどめる川のそばに暮らすことは、私にとってとても大切なことです。



地元学と出会って以来、日本各地へ訪れる機会が増え、今の時代にもちゃんと残っている多くの「なつかしい」風景に出会いました。おそらく200年前と大きくは変わらない、周りの自然に馴染んだやさしい風景。冬にもなると、軒先に柿や大根などが吊るされ、季節の流れとともにある暮らしが、またその風景に溶け込んでいます。季節の流れともにある生活のリズム、わずらわしいけどありがたい隣人とのつきあい、自然の恵みに感謝する心、そんな「ほっと」する地域に数多く出会え、本当に幸せだと思います。しかし、もしこのようなきっかけがなければ、おそらく死ぬまで顧みることがなかったことでしょう。
自分が良かったんだから、もっと多くの人と、このような出会いを分かち合いたい、そんな思いで始まったローカルジャンクションです。

今年の食育フェアのテーマは、ズバリ「なつかしい未来」です。今までの未来像とは、「新しいもの、遠くにしかなかったものを手に入れる」ことでした。フロンティアスピリットは、いつの時代でも求められるものですが、しかしこれからは、昔からあった身近なものを、失ってしまった大切なものを取り戻す「なつかしい未来」にも夢があると思っています。ムラのなつかしい風景やムラの楽しみを分かち合い、ともに育てていく、そんなマチとムラの出会いの場が、ローカルジャンクション21が描く「なつかしい未来」です。そんな楽しくて夢あふれる未来づくりに、みなさんもぜひご参加ください。
まずは、食育フェア「なつかしい未来」に遊びにいらしてください。お待ちしております!

来週の今頃は、「大成功!」とニコニコ笑いながら寝ていることを期待して・・・。
一週間おつきあいいただいた方、まことにありがとうございました。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。




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2005年01月08日

6日目 川崎市高津区 浦嶋裕子

豆腐づくり再開

2日前の最後に「これから豆腐づくり」だ!と書いて、日記が終わっていましたが、実はあの晩は、ミキサーに入れて呉汁をつくるシーンの写真を撮るところまでで中断していたのでした。呉汁を絞って、豆乳とオカラに分けておいて、冷蔵庫に入れておいたのです。なかなか仕事が忙しくて、落ち着いてつくる暇がなくて・・・。今日は家で作業だったので、やっと豆腐を完成させることができました。まずはその模様から。

豆乳を煮た立ててニガリをうつのですが、今まで何回かつくって失敗していたのは、温度が低すぎたからのようです。焦げ付かないように、しゃもじでかき混ぜながら温めていくと、お豆のいい香り。このまま飲んじゃおうかな、という気になります。いよいよクライマックス。ニガリをうちます。数々の失敗が頭をよぎります、緊張の瞬間。とりあえずティースプーンに半分くらいをたらす。ん、変化なし。ではもうちょっと。まだ変化なし。あれ、じゃあもうちょっと?そうだ、朝田さんはニガリを打ってからまた火を入れるとか言っていたな。と、ここで火を入れた瞬間、フワフワと分離が急速に進みました。おぉ、固まる、固まる!ん、あれ?固まりすぎじゃないか、これは!


もう遅すぎました。ニガリを打ちすぎてしまったようです。この段階から豆腐の塊がお鍋のなかで形成されていくまでは一瞬の出来事。これを、網ですくって豆腐キットのなかに入れるとこんな状態。うーん。これは明らかに失敗だ。


キットに入れて上から重石を乗せること10分。ちょっと豆腐とは思えない形状のものができてしまいました。でも味は良し。すぐには気づきませんが、よーく味わうと、やはりニガリが多いことが舌でも感じることができます。残念ながら、成功!とはいきませんでしたが、まずは固めることができたのde
、今日のところは良しとしたいと思います。しかし、冷奴で食べるには硬すぎるし・・・。ということで、今晩の夕食に豆腐チャンプルーをつくりました。もう水切りしなくても十分硬いし、よしよし。


食育フェアの準備
パンフレット等の印刷物は、私たちの手を離れ、準備はフェアの一環で行われる食育ワークショップ(午前がハチミツ、午後が大豆と豆腐づくり。詳細はこちら。あ、ちなみに豆腐づくりはプロの豆腐屋さんがきます。私が教えるわけではないのでご心配なく。)や、ブースの必要備品についてなどの細かい準備に移っています。ここ二日で盛り上がったのは、アンケートに答えてくれた方への景品づくり。何にしようかと考えていたところ、いいアイディアが浮かびました。先日ご紹介したように、各商品紹介が双六状になっているので、双六のコマとサイコロをプレゼントすることにしました。コマはなんと、各地から取り寄せた本物のお豆。5種類の豆をつかって双六で遊んでみてください!という景品です。今、すでに手元に用意できたのはこの3種。このバカでかいのは、群馬県の花豆です。同じ豆でもこんなに大きさも色も違うなんて・・。「ちょっと、こんなに大きくて双六のマス飛び出ちゃうよ」、「大豆丸くて転がっちゃうよ」などなど、いろいろご意見もあるかと思いますが、そこらへんはご愛嬌。お豆のカタチを確かめながら、ワイワイやってもらえればと思っています。



やってみること、やってみせること。
昨日の話になりますが、夕方家に帰ってニュースを見ていたら、米村でんじろうさんが科学実験をやっていました。最近、本当にでんじろうさんはひっぱりだこですね。「笑っていいとも」に出演されたときはかなり驚きました。
今から2年前、以前の研究所でNPOの調査をしていたとき、子供たちの理科離れを食い止めるために、理科教育にかかわる方たちのNPOやネットワークが活発に活動していることを知りました。企業も、とくに電機メーカー系が、自社の展示場などで科学教室を盛んに開いていました。米村さんについても、そのとき知りました。
理科の総授業数の削減や、指導要領の変化などで、実験の機会がかなり減ってしまっているとのこと。私がインタビューした方はご自身が科学大好き人間で、その楽しさを子供たちに伝えたいのに、実験の回数が少なく、またその内容にも多くの規制があり、理科の授業が面白味に欠けることを憂慮されていました。
昨日の米村さんは、「科学を難しいものとして捉えないで、まずは面白い、不思議なものだ、ということを体験してもらいたい」という趣旨のことを言っていました。分野は異なりますが、「食」も同じことのように思います。私たちは、知識や情報をたくさん身につけることで、何かを知ったような気になっている。でも、本当に自分の身体を通して、その対象と向き合っているのだろうか。大切なことは、自分でやってみること、または間近でやって見せてもらうこと。そして自分なりに何かを発見すること。当たり前だけれど、こういう一つ一つの体験をもっともっと大切にしなくてはいけないと思っています。
LJ21では去年から、食べものを作っている人の話を聞く「食話会」を開催しています。「食べものが育てられ生み出される現場の声に耳を傾ける」という、とてもシンプルな企画です。「有機農業」や「安心・安全な食品」などの情報が氾濫する今だからこそ、食の現場に直接自分が向き合ってみる。つくり手の飾り気のない、普段の仕事の様子を間近で聞くことで、ささやかだけれども、自分なりの発見や感動が生まれます。
豆腐づくりも同じこと。つくり方を知識として知っていても、自分が実際にやるとなると話はまったく違ってきます。一つ一つに驚きと、感激(または落胆?)があります。やってみること、やってみせること。そこから生まれる小さな発見や感動。LJ21では、今後もそんな当たり前のことを大切にしていきたい。でんじろうさんの静電気実験で激しく感電するアナウンサーたちを見ながら、そんなことを考えたのでありました。


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2005年01月07日

5日目 川崎市高津区 浦嶋裕子

今日は、半蔵門の構想日本で会議があり、久しぶりに都心に行って来ました。大学卒業してからの3年間は、銀行で法人営業をしていたので、都心のビル街を闊歩していたのですが、最近は、三鷹か地方というパターンが多いので、すっかり疎くなってしまい、よく迷います。今日も、道を90度間違えて突き進み、飛んだ目にあいました。碁盤の目の京都のまちなかでも、90度違う方向に15分くらい歩き続け、京都府の方に「京都で迷う人ってなかなかいないですよ」とからかわれた悲しい経験もあります。決して方向オンチではないと思うのですが(十分方向オンチか・・)、どうも平地の碁盤の目に弱い私です。地元学をやっていながら、これはまずいなぁ。
半蔵門の後は、大手町の三菱総合研究所へ。今年度、LJ21の活動が、経済産業省 環境コミュニティ・ビジネスモデル事業に採択され、当事業の事務局の三菱総研さんに時々お邪魔しています。今日は、日記があるので、ちょっとだけ周りの風景をゆっくり見てみました。


丸ビルが人気スポットになって久しいですが、丸の内界隈の変貌ぶりは大手町方面にも広がっているようです。ここはサンケイビルの前。大きな広場にあるオープンエアのカフェはそれほど新しいものではないと思いますが、昔の味気ないオフィス街から比べると、ずいぶんと変化したものだなぁと思います。


その横に、小さな簡易店舗を発見。「ローマの靴みがき」とあります。なぜローマin大手町?とても興味を惹かれましたが、今日は残念ながら閉店。いま、インターネットで調べたところ、女性が靴磨きをしてくれて、待っている間にマッサージもしてくれるんですって。駅構内などによく見かける焼き立てシュークリーム屋が、かなりいい収益をあげていると以前聞きましたが、こういうニッチなサービスを提供するスモールショップがもっと増えていくのかもしれません。


そばの壁に目をやると、「東京丸の内ユビキタスミュージアム」という文字と、QRコードが。時間がないので、写真に収めるだけで立ち去ってしまいました。インターネットでいま調べてみると、携帯電話でまちの歴史や観光案内、イベント情報などが引き出せて、「まち全体を生きたミュージアムとして楽しめる」とのこと。すでにこのようなサービスはありましたが、この東京丸の内版の新しい点は、GPS携帯でなくても、この写真のようにまちかどに貼られたQRコードなどで、いまいる場所を地図で教えてくれるそうです。うーん、都会で迷える私にとっては便利かも?そのほか、まちかどにポストイットを貼るように置手紙ができるそうな。思い出や、写真やらを、自由に投稿できるそうです。でも大手町のビル街に、投稿したくなるような、そんなロマンチックな思い出ってあるのかな。「商談が破談になった、チクショー」とか、そんなのが入っていたりして(笑)。
こういった街なかとはまったく違いますが、各地で地元学をやって、小さな範囲の地域にたくさんの情報が詰まっていることにびっくりします。分かりやすい例を言えば、川の小さな淵それぞれに、ちゃんと名前がついていて、またその名前の背景には言い伝えや歴史があったりして。名前が失われていくことは、その地域に暮らす人たちが共有していた思い出や知恵など時間の積み重ねがどんどん消えていってしまうこと。一緒に地元学をやった地元の年配の方が、終わり際にふと「やっぱり地元のこういう細かい地名を、自分が分かる範囲で記録に残さなければ」と言っていたことが思い出されます。失われつつある地域の情報を、できるだけわかりやすいカタチに可視化することが、とても大切だと思っていて、各地で絵地図づくりや暦づくりなどをやっているわけですが、最近の情報技術ではこんなことまでできるのかぁ、と関心です。今度、時間があるときに、このミュージアムを体験してみよー。



食育フェアの準備はますますヒートアップ。書くことはまだありますが、今日はここまで。
あと8日!


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2005年01月06日

4日目 神奈川県川崎市 浦嶋裕子

私は、一応LJ21の会計を担当しておりまして、月初には、お金の精算や出し入れなどの仕事があります。今日はまずそれから片付けます。銀行に用事があるときは、歩いて15分強の二子玉川駅に行きます。多摩川にかかる橋をわたると、そこはもう二子玉川の繁華街。ちなみに、神奈川県と東京都の境を越えることになります。(首都圏在住の方には当たり前ですね・・・)
この橋は我が家から3分。(この日に撮った写真は分かりにくかったので、次の日に撮った写真と交換しましたので、時間帯と天気がほかのと違います。)新二子橋といって日本橋を起点に神奈川県中央部を縦断する246号線が走っています。実はこの橋が渡れると知ったのは、引っ越して来てから1年が過ぎようとしていた頃。我が家に逗留し、二子玉川高島屋での試飲販売に通っていた水俣のお茶農家松本さんが、この橋を渡って売り場に通っていたのです。それまで私はてっきり車専用の橋だと信じ込んでいました。自分の足元って本当によく見えていないものですね。



車がビュンビュンと通り過ぎる結構な交通量ですが、橋の上は高くて気持ちがいいです。写真(上)のように、橋に上がって下流を見れば二子玉川のデパートはすぐそば。反対の上流はこんな感じ(写真横)。天気がいいと丹沢山系が遠くに見渡せて、いい景色なのですが、今日は曇天で残念。っていうか、今日はすごく寒い!(夜になって天気予報を見たら最高気温なんと5℃!どおりで寒いわけだ。)でも河原では年配の方たちが、ドラム缶に火をともしながらゲートボールをやっていました。これは全国共通の風景ですね。


二子玉川までのご近所感覚がついつい私を油断させ、部屋着の延長のような格好で出かけてしまうことがよくあります。二子玉川と言えば世田谷マダムが闊歩する高級ショッピングエリア。ハっと気づくと、高級ブランド店の前で恥ずかしい思いをすることもしばしばです。


今日はついでに、食品売り場(いわゆる「デパ地下」ってやつですね)に食育フェアで販売する豆類のプライスゾーンを調べに行きました。最近「デパ地下」って評判ですが、これでもかと消費意欲を駆り立てるように、包装や飾りつけが凝りに凝っています。私も、思わずうっとりとして、「買いたい!」欲がムクムクと湧き上るのですが、これって食べ物本体ではなく、包装やデザインにどれだけお金をかけているんだろうとも思います。以前、LJ21の理事の方から興味深い話を聞きました。20世紀はじめ、フォード社が大量生産方式によって車の低価格を実現し、車の爆発的な普及につながったが、その後のGM社はより洗練されたデザインへモデルチェンジを繰り返すことによって、車の売れ行きを伸ばしていった。モノがモノそのものではなく、そのデザインやイメージによって売れていく構図は、大量生産方式の確立以上に、経済の本質を大きく変えた、と。そんな話が、デバ地下を歩いていて、頭によみがえってきました。

ふと見上げると、売り場のあちらこちらに「ミズキ団子」(各地で花餅とか呼び名がいろいろありますよね)が。しかし、ミズキが刺さっている枝も団子もプラスチックなところが少々残念。なかなか本物を飾り付けるのはたいへんですよね。しかし、私たちはそんな挑戦を自らに課してしまいました。なんと、今度の食育フェアでは、かなり大きいミズキの団子刺しで我らのブースを飾り付けます。団子の飾りつけには、岩手県住田町から頼もしいお母さんたちが駆けつけてくれます。ミズキは丹沢近くの山から、イベントの前々日に、自ら車で採りに行く予定。枝が直前にしか揃わないので、ほとんどぶっつけ本番で、今からかなりドキドキしています。当日、どれほどきれいに飾りつけられたか、ぜひ見に来てください!
食育フェアまであと9日だ!



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2005年01月05日

3日目 神奈川県川崎市 浦嶋裕子

今日も川崎は晴天!冬型の気圧配置で、太平洋岸は気持ちよく晴れ上がっています。写真は、我が家のベランダから見える風景です。ここは246号線のすぐ裏に当たりますが、畑があるんです。周りは住宅と、幹線道路沿いの大型店ばかりの味気ない景色なので、この畑の風景には癒されます。冬の今はちょっとさびしいですが、夏にはたくさんの種類の野菜でにぎやかになります。


原稿の締め切りだ!
さて、今日は食育フェアに使うパンフレットの入稿日。朝からバタバタと、最後の文言の確認について電話をしたり、メールを打ったりと大忙しです。今回のパンフはちょっと凝っているんです。日本各地から届くスローフードのことを、ゆっくり、じっくり楽しんでもらうように、スローにあがるのが勝ち!の双六風に記事をまとめました。盛りだくさんの情報を上手にレイアウトしてくれたデザイナーさんに感謝です。一時は、入稿まで間に合うかとドキドキしましたが、かなり無理をしていただいて、本日無事に入稿までこぎつけることができました。ホっ。皆さん、出来上がりを期待していてくださいね。そして、当日会場に遊びに来て、パンフレットをもらっていってくださいね!


我が家の晩御飯
机にかじりついての事務作業ばかりですと、なかなか日記のネタに困りますね。というわけで、「今週の私」恒例の夕飯ネタを披露したいと思います。
三が日を過ぎ、皆さんも年末年始のご馳走でだいぶ胃がもたれている頃ですよね。今晩は、さっぱりと野菜をモリモリ食べたいということになって、我が家で定番になりつつあるライスペーパー巻きと相成りました。要は、ベトナム名物の生春巻きですが、通常エスニック料理店で食べるときは、すでに巻いてあるものが出てきますが、これは食卓で自分の好きなものを巻いて食べるものです。野菜を切って、ちょっとお惣菜を用意すれば、あとはひたすら自分で巻くだけの、簡単かつ「豪華!」に見えるのでお奨めですよ。
左下にあるのが乾いた状態のライスペーパーで、その脇にあるのがぬるま湯です。このお湯に浸して皮を柔らかくし、巻き巻きしていきます。野菜のほかには、甜麺醤の甘い味で仕上げた肉味噌と、ナンプラーやインドネシアのサンバル(今年のJICAの仕事でインドネシアに行ったときに病み付きになって買って帰ってきました。とうがらしとアミ、にんにくが混ざったペースト状の調味料)などで味付けしたアジア風豚のしょうが焼き。今回は初挑戦として、酢飯も用意して巻いてみました。イケました。



調味料は楽しい。
この料理に限りませんが、忙しいなかで、それなりにおいしい食事をつくっていくのは、おいしい、いろんなタイプの調味料をたくさん揃えておくことだと私はつねづね思っています(本当の料理上手は基本調味料でおいしい食事をつくると言いますが、その域には到底至っておりません・・)。今日活躍した調味料は右の通り。生春巻きに欠かせないソース(左側)は、<ナンプラーやにんにくのすりおろし、レモンの絞り汁ととうがらし>ですが、ここで重宝するのが岐阜県高根村の「熟成一味とうがらし」。これは、赤唐辛子と氷砂糖、食塩を1年半寝かしただけの無添加の一味とうがらし(ペースト状)。もみじおろしに使ったり、味付けにちょっと垂らしてみたりと、とても便利な一品です。1年半とうがらしを寝かす場所とは、村内の新道付け替えにともない閉鎖されたトンネルのなか、なんです。まさに「あるもの」を活かした妙案です。
肉味噌に使った、八木澤商店のもろみも、愛用している調味料の一つです。八木澤さんは長いおつきあいをさせていただいている陸前高田市で創業200年近くを誇る、本物の食にこだわった醸造業です。このもろみも味付けにちょっと加えるだけで、グッと味に深みが出ます。
今日、熊本から新たに仲間に加わったのが、無添加薄口醤油・本醸造無添加酢・柚子しぼり汁だけのとってもシンプルなドレッシング。酢飯をつくるのに、自分でつくる合わせ酢の代わりに使ってみたら、ちょっとサラダ風な酢飯になって、なんともいい感じ。これは使える!
東南アジアの魚醤「ナンプラー」も頻繁に使う調味料ですが、今回の食育フェアには奥能登から「いしる」がやってきます。前からぜひ使ってみたいと思っていましたが、今回登場するのは、地元でも評判の一品だそうです。絶対買わなきゃ。わくわく。



食育フェアまで、あと10日!
さて、写真撮りのため、これから豆腐づくりです。いまのところ、ニガリの打ち方が下手なようで連敗中。果たして今晩はうまくいくのか・・・?
(水に浸したお豆が私を待っている)



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2005年01月04日

2日目 神奈川県川崎市高津区 浦嶋裕子

年明け早4日目、そしてローカルジャンクションの最大のイベント、食育フェアまであと11日!年末年始のお休みで、張り詰めていた気分が少し緩んでしまったので、ここにきて少し焦っています。

脅威の1月
食育フェアもさることながら、1月はLJ21はイベント盛りだくさん。昨年の秋に、三鷹の産業プラザMYSHOP内に、小さな風土倶楽部のコーナーを設けて以来、三鷹を拠点にまちとむらの交流のプラットホームができないかと、模索していましたが、その第一弾のイベントが1月26日の夜に行われます。産業プラザそばのコミュニティ・カフェ「雑多楽や」さんにて、水俣の棚田のお米の話をベースにした食話会 in 三鷹を行います。水俣だけでなく、丹後や能登、新潟とLJ21の仲間の皆さんが集まってくれますが、おいしいご飯を引き立ててくれるお漬物などのサイド・ディッシュを持ってきてもらおうと思っています。ローカル同士(もちろん三鷹もローカル)の出会いがどんなコトを生むのか。みんなわくわくしてくれています。
また、その翌日には反省会を行い、交流のプラットホームづくりの第一歩となればよいなあと考えています。(その週末にもまた別のイベントがあるんです。)年明け早々、今後の重要な布石となるイベントが目白押しの1月なのです。

帰省人をキャッチ
そんなイベントを控え、各地の皆さんとメールなどでやりとりを続けていますが、せっかくだったら会って話がしたい、ということで、今日は東京帰省中の方々をキャッチしての打ち合わせが二つ重なりました。

お一人は、棚田百選にも選ばれた水俣市源流部にある久木野ふるさとセンター愛林館の館長、沢畑さん。帰省先が、中央線沿線だったので、三鷹までやってきてくれました。(話をするのに夢中ですっかり写真を撮るのを忘れてしまいました!)LJ21が出店している三鷹産業プラザのMY SHOPでは、愛林館のクッキーや香り米などを売っているので、そのスペースを案内して、同じく産業プラザ内のインターネットカフェで今後の打ち合わせを行いました。

弱小NPOにとって、こういう場所って本当に便利だなぁと、つくづく感じました。幸運にも我々の事務所からすぐそばで、お茶を飲みながら、静かでゆったりと話せるスペースがある。いわば地域の人と共有する応接間のようなものですもんね。便利、便利。沢畑さんとは、食育フェアに出店するものや26日のイベントなどについて2時間ほど話し合いをしたのちに、次へと移動。


次のミーティングは、石川県珠洲市とのおつきあいを仲立ちしてくれた、先輩の石川さん(シャレじゃないです)。東京から新幹線で帰るところをキャッチ。以前は、同じ研究所に勤務していましたが、今は金沢市にIターンし、地元のシンクタンクにお勤め。キャリアは私よりはるかに上でしたが、以前の職場にはほぼ同時に入社し、水俣で地元学の強烈な洗礼を一緒に受けたことが懐かしく思い出されます。職場が変わって遠く離れても、何かあるとこうやってまた協力し合える関係って本当にいいものです。
(→今回は写真を撮ったものの、携帯しかなかったもので、画像が荒いですね。すみません)


さて、昨年の食育フェアに参加してもらった珠洲市交流ビューローの沢谷さん、奥野さんは、ときどき珠洲のレポートをLJ21のホームページに掲載していただくほどのおつきあいとなっていますが、今年はなんと、もう2人加わって4名で応援にかけつけてくれます。うれしい限りです。奥能登は話を聞けば聞くほど魅力的なところで、今年はぜひツアーを行いたい!と話し合ってきました。決まった際には、皆さんご参加くださいね!

「まちとむらをつなぐ」を活動の柱にしているLJ21ですが、現場で地域の活性化に取り組むお二人に、これからつくっていこうとしている交流のプラットホームに何を期待するのか、そんな話にも花が咲きました。本格稼動2年目のLJ21にとっては、重要な1年になりますが、そんな年初めに有意義な話し合いができたと感じています。
まずは目白押しのイベントを一つずつ成功させていかねば・・・。がんばるぞー。
(食育フェア用のパンフを一緒にチェックしているところ)



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2005年01月03日

神奈川県川崎市 浦嶋裕子 1日目

あけましておめでとうございます。ローカルジャンクション21事務局の浦嶋です。
祝!!今週の私、2年目に突入です。振り返れば、第一回は、私からスタートを切らせていただいたのでした。1年ぶりに、自分のページに戻ったら、なんとまぁあっさりとした日記だこと。自分が書いたものなのに、びっくりしてしまいました。自分たちでまず始めたことではありますが、大勢の皆さんの力で、このページは育てられていったんだなぁとつくづく感じます。いまよく言うところの「参加型」ってやつでしょうかね。本当に1年間、当ページに参加してくださった皆様に感謝申し上げます。
(しかし、いざ自分が書く段になると、あまりに立派になりすぎたこのページに、押しつぶされそうな気分になっています。)
去年は続けていくことで精一杯でしたが、今年は、この日記に参加してくれた人たち同士のネットワークもつくっていければなぁなんて思っています。(果たしてそんな余裕があるのか、いささか不安ですが)地域も違えば、業種もまったく違う皆さんですが、きっと思うところはとても共通しているのだと思います。そんな方々が、物理的な距離を越えて知り合えるきっかけになれば、まさにローカルジャンクション21の願うところです。
 さて、前振りはこのくらいにして、日記を書かねば。今日からLJ21は開業ですが、休み明けで、どうも調子が乗らない一日でした。いずれにせよ、ずっとデスクワークだったので、少し時間をもどして、お正月の様子を書きたいと思います。
2004年を振り返れば、とにかく出張に次ぐ出張の日々でした。日数なんと128日!我ながら呆然。どおりで家にいる時間が少なかったわけだ。そんなわけで、年越しくらいはゆっくりと旅行を!というわけで夫婦で一泊、小田原のほうに足を伸ばしました。行き先は、東海道線で小田原から一つ先の駅「根府川」の江の浦というところです。
湘南海岸特有の遠浅の砂浜は、小田原で風景が一変します。箱根の山から流れ出る早川を過ぎると、山が海まで迫った伊豆独特の風景が始まります。根府川はそんな伊豆の始まりに位置します。根府川は石の産地で、海上輸送で江戸に運ばれ、江戸城の石垣に多く用いられたとのこと。小田原特産のミカンはこのような地形と、名産の石によってつくられた段々畑で栽培されてきたのです。
宿泊先は、小田原でもとくに名高いミカン生産地である江の浦地区にある「江の浦テラス」。ミカン農家だったご主人が、5年前に畑の一部に建てた素敵なプチホテルです。到着した大晦日は、突然の大雪と渋滞で夕食直前にやっとのことたどり着きました。あたりがすでに暗いため、景色は明日に廻して、まずは食事、食事!


オーナー高橋さんのご家族で経営しているたった5部屋の宿。和洋取り混ぜた家庭料理風の献立は、一泊二食付き1万円とは信じられない美味しさ!奥さんオリジナルの海老のパングラタンや、帆立のサラダ、スープなど。メインの金目鯛の煮付けは、伊豆の海の名産!豪快な盛り付けとお味でダブルに満足の一品です。1年の最後を飾るにふさわしい土地の恵みと手作りの技の味を堪能できるすばらしい食事で、大満足。夜は、年越しも忘れて、オーナーの高橋さんとお酒を酌み交わし、明日の初日の出を期待しつつ、就寝。


さて、元旦です。部屋からカーテンを開ければ、眼前に海が広がるロケーション。大晦日と打って変わって晴れとの予想。絶対に初日の出見よう、と目覚ましを3重にもかけて寝たはずなのに・・・気づいたら「明るい?!」
そうです。目覚まし時計に気づかず、寝飛ばしてしまったのです。カーテンを急いで開くと、太陽はすでに海から指3本ほど昇っていました、空は澄み切ったスカイブルー・・。年明け早々悔やむのでありました。
(今、去年の日記を振り返ったところ、なんと去年の元旦も岩手の三陸まで足を伸ばしながら日の出の瞬間を見逃している・・・。毎年同じ過ちを繰り返しているなぁ・・。)



目の前に広がる相模湾と、ミカンの段々畑。水平線の先には、三浦半島、そしてその先に房総半島まで見渡せます。相模湾は本当に「湾」なのね、と何とも当たり前のことに感心してしまいます。西に目をやると、雪をかぶった丹沢山系が望めます。実家が茅ヶ崎の私としては、丹沢の山々は馴染み深い山ですが、相模湾の背景としてそびえる丹沢の山並みを一緒に眺めていると、改めて神奈川の山と川と海のつながりを感じます。前日の大雪が去った澄み切った空の下の風景に、感動する元旦でした。


追伸:朝食には、おせちとお雑煮が出されました。お雑煮は、大根と里芋が入ったダシと薄口醤油のお澄まし。珍しいのが、上に乗っている青海苔のような海草。これが独特の風味を加えていて、とてもおいしかったです。



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2005年01月02日

東京都三鷹市 朝田くに子 7日目

今日は風がないせいか、昨日よりも暖かいです。
しばしの正月休みもそろそろというか、もう終わりに近づきました。
食育フェアなど、いろいろ控えているため、明日から本格復帰です。

その前に最終日のフィニッシュを決めねば。このレポートって、いろいろな方にお願いしてきましたが、みなさん、充実のレポートを送ってくださるのでつい力が入ってしまいます。1年前の1月第3週の私のレポートを見ると、実にあっさりしたもの。これって、LJ21の進歩なのだ。失ったものは、今のところなし!といいたい。だって、ゼロからの出発ですもの。

さてさて、今日はご提案です。
世の中、蕎麦打ちなるものがとっても人気です。自称名人もたくさんおられる。蕎麦に関してはなぜか一家言お持ちの方が多いように思います。特に男性。女性で蕎麦のことをあーだこーだ言っている人って、あまりお会いしたことがありません。女性は料理を作るのが日常化していて、いちいち薀蓄をたれながら、つくる暇もないし、そういう視点ではつくらない。男性は料理がイベント化するから、どうしても薀蓄と抱き合わせになる、そんな説もあります。


それにしても、なぜ、蕎麦なのか。なぜ、うどんはうどん打ちとして、薀蓄料理の対象にならないのか。群馬県片品村や神流町で地元学調査をしたときに、各家にうどんの製麺機があり、だしも家ごとに違って、とても面白かったです。群馬県だけかと思えば、一昨年の秋、宮城県高千穂町でも手作りうどんが盛んで、その地区の製麺機の展示会が開催されました。何十年も使いこんだ製麺機など20台ほどが展示され、それぞれに思い出を書いたシートが添付されていて、うどんづくりが日常化しているようすがよくわかりました。



以上は長い前振りでした。実は、今、手作り豆腐キットを開発中で、食育フェアで展示即売します。昨年のフェアでは各地で作られている豆腐キットの展示のみを実施しましたが、とても好評で販売していないのかとずいぶん聞かれました。宮城県や山形県など8ヶ所からの展示でしたが、それぞれ材質、形状、豆などが違い、興味深かったです。しかし、都心のマンションではもう一工夫が必要だと感じていました。そこで、洗いやすく、乾かしやすい、そして収納に場所を取らない組み立て式の豆腐キットを開発しました。このところ、このキットを使って、豆腐づくりを何度もやっていますが、いろいろ発見することが多いです。
昨年、キットの展示をする際にも、豆腐づくりをやってみましたが、大豆の味とはこういうものだったのかと目からウロコでした。豆腐の味にはちょっとうるさくなりました。たぶん、これって蕎麦打ちの薀蓄に通じるのだ・・・。
(画像は組み立て式豆腐キット「海と森と畑の物語」(仮称)。組み合わさる部分にはちょっとした工夫がされており、気仙大工の技術が息づいています)


豆腐づくりを何度もやるうちに、ふと疑問に思ったことがあります。沖縄県国頭村辺戸で海水を使って、薪と釜で島豆腐を作っている、友人の上江洲和子さんの家で何度も豆腐づくりのお手伝いをしたことがあります。上江洲さんはふやかした大豆を挽いた後(呉汁)、すぐにおからと豆乳に分けてしまい、豆乳を煮て、海水を混ぜて豆腐を作ります。ところが、本州ではほとんど呉汁を一度煮立たせ、熱い間におからと豆乳を分けるのです。沖縄の方法は生搾りというそうで、沖縄独特のやり方なんだと納得したころに、石川県珠洲市(能登)の友人から、呉汁に熱めの湯をかけて搾るという方法を教えてもらいました。そうです。能登のやり方はちょうど中間なんです。岩手県藤沢町でおばあさんの豆腐づくりをそのまま今を行っている深萱昔とうふ工房の皆川さんに聞いたら、「絶対、煮なきゃだめ」とのこと。

で、探究心旺盛(?)な私は、岩手方式はすでに実証済みなので、今回は珠洲方式を採用、やってみたところ、今まで熱くて搾るのが大変だった呉汁搾りが簡単な上に、かなりおいしい豆腐が完成したのです。これ以外にはにがりの入れ方と入れるタイミング、どんな水を使うか、どの程度の水を使うか、豆はどこの豆にするか、豆腐の固さは・・・など、興味が尽きないのです。豆によって、本当に味が違うんですよ。究極は、昔の人がやっていたように石臼で豆を挽くというのもありです。ものすごく時間がかかるそうですが、かなり味わい深いものができるそうなので一度やってみたいです。



蕎麦打ちもいいけれど、豆腐づくりもはまります。豆腐は毎日、食べられる、料理も豆腐百珍があるほどバラエティに富んでいるし、おからの使い方まで入れると、これはすごいですよ。にがりを入れる瞬間の緊張も見逃せません。
LJ21の豆腐キットは岩手県住田町の杉材を使っていますが、固まりかけた豆腐をキットに移すときに湯気から立ち上る杉の香りもなんともいえないいいものです。このキットは、これから、みなさんからのご意見をもとに、もっともっと進化させていくつもりです。
みなさんも豆腐づくり、いかがですか?
(画像はにがりを入れた後、豆腐が固まりはじめたところ。このときが快感!)

年末年始の1週間、このコーナーをご覧いただいたみなさま、ありがとうございました。
今年もLJ21をご支援くださいね。



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2005年01月01日

東京都三鷹市 朝田くに子 6日目

あけましておめでとうございます
本年もよろしくお願いいたします

昨日と打って変わり、元旦の朝は青空となりました。風があるのか、雲がかなりの速さで流れていきます。
この地方にしては、風が冷たくかなり寒いです。
我が家から見える六甲の山並みは、昨日の雪でうっすらと雪化粧という珍しい風景となりました。



久しぶりにだらだらしながら一日過ごしました。
午後には、家から10分程のところにある広田神社へ初詣に行きました。この辺り一帯は、かつて広田神社の敷地だったようです。今も神社の裏山はちょっとした公園ぐらいはあります。上の写真は我が家のそばから見える広田神社と六甲の山並みの風景。手前の池は新池と呼ばれる貯水池です。右手の小山はカブトヤマ。山と住宅街にはさまれたこんもりとした緑の部分が広田神社です。
右の写真は広田神社です。



では、お屠蘇と御節をご紹介します。
かつては3日まで商店が休みで、4日に初荷だったため、家族も多かったし、3日間の食料確保と、この間は料理をすることもなく、のんびりしようというような意味もあって、テーブルがいっぱいになるぐらいたくさんおせち料理を作った記憶があります。今では1日から初売りをする店もあり、「買いだめ」をする必要もなくなりました。我が家も、1日分程度の御節料理です。でも、買ってきたものは蒲鉾だけで、しっかり全部手作りです。
関西らしいものといえば、焼き穴子でしょうか。以前は明石の穴子を扱っている神戸の店のものを取り寄せていましたが、一昨年閉店してしまいました。肉厚の本当においしい穴子だったから、すごく残念です。



お雑煮は、関西なのでもちろん白味噌で、小芋と大根を入れて、上にかつお節をかけるのが我が家流です。
これをいただかないことには、正月という気分が出ないです。

夕食は、御節と雑煮に加えて、いただきものの手づくりスモークサーモンとチーズ、生ハム、そして、ちょっと贅沢なワイン。スモークサーモンとチーズは、一人で山梨県の山中に住む父の友人の女性が自家製を送ってきてくださったもので、とびきり美味しい!これぞPriceless!です。



テレビでは、NHKが25年目のシルクロード特集を放映中です。変わらないもの、激変するもの、映像が伝える情報を前に、ほろ酔い気分の私は「進歩とは、何かを失うことなんだあ」などとつぶやくのでありました。何かを得たら、何かを失う、これぞ因果というものか・・・とかなんとか。人間は欲張りだから。
そうそう、先日読んだ新聞記事によると、「CO2削減は、京都議定書が掲げる現在の目標が達成されても、2100年時点で温暖化を10年遅らせるだけにすぎない」とか。2050年に現在の半分以下に全世界でしなければならないのに、日本だけでも1990年比で6%の削減が危ぶまれているわけで、気温上昇は避けられない可能性大。グローバル化はますます進み、途上国の排出量の増加も予想される中、我々の食文化どころか、暮らしそのものを根底から変えられてしまうかもしれない。(おっと、酔っているわりには難しいこと考えてるやん←自分で自分につっこみを入れたくなるのは関西人の証拠か。東京生活が長くても、関西人かも!と思う瞬間にちょっとうれしいのはなぜだ)

写真の桜は温暖化のせいで咲いているのではありません。冬に咲く四季桜というそうです。新池の周りでちらほら咲いています。

さあ、みなさん!2005年、なんとかよい年にしましょう。


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2004年12月31日

東京都三鷹市 朝田くに子 5日目

かつては三が日の間、床の間に飾った「にらみ鯛」
3日の夜にちょっと火を入れて、食べるのが楽しみでした。
今は我が家も飾らなくなりましたが、まだ、続けている方もいるのか、スーパーマーケットでたくさん売られていました。



昨日は、このレポートを書くために父にかつての芦屋について聞いていたら、次々にいろいろな話が飛び出してきました。
祖父がある日、空気銃を入手し、親子ですぐそばの松林に出かけていき、松の木を登る蛇を見つけては空気銃で撃ったそうです。「いやー面白かった」とのこと。芦屋といえば松林というぐらい、阪神芦屋駅近辺に松林が多かった昭和10年代ごろのお話です。そういえば、我が家の2階の押入れに蛇がいたり、小学校から帰ってきて、門扉を開けようとしたら、扉のへりに蛇がいたりしました。いずれも3,4センチは太さがありそうな大きさの蛇でした。



遠浅の浜では、子供のころ、よく魚釣りに出かけました。釣るというよりも、堤防に貼りついているヒラメ(か、カレイか今となってはどっちか定かでないです)を網ですくったり、太刀魚がゆらゆら通り過ぎたり、浜で猟師の人から貝を買ったり、小魚を分けてもらったり、楽しかった想い出ばかりです。
そんな浜も30年ぐらい前に埋め立てられ、今では高層マンションが林立する地域になっています。白い砂浜の松林が美しかった浜がなくなってから、海に足を向けることもなくなりました。そんな浜を見たくない、というのが本音です。



芦屋を離れて、すでに40年近くが過ぎていきました。両親は約8年前に関西にもどってきましたが、私はいつのまにか東京が本拠地になってしまいました。子供のころ、周囲にいた大人たちのことを一人ひとり思い出しながら、父に聞いていくと、単なる父母の友人、他人だと思っていた人たちが遠い親戚だったり、思わぬ深い縁を持っていたり、知らないことが多く、かなりたじろいでしまいます。地方の特徴だと思っていた地縁血縁は、この芦屋にもかつて息づいていたんだと。離れて暮らしていると、先祖とまではいかなくても、ほんの少し前の父母が生きてきた軌跡を実感する場面が少なくなります。まして一緒に暮らしたことがない孫たちともなれば、まったく自分がどんな流れの中にいるのか、それこそ先祖がどんな生き方をしたのか、など思いをはせる機会もないでしょう。少なからぬ縁をもった人々がどのように生きたのか、暮らしていたのかをもっと知りたいなあと思うのは歳をとったせいでもあるのでしょうねぇ。


さて、いよいよ、2004年はあと数時間です。今年、みなさんはどんな年を過ごされたのでしょうか?
私は、ひたすら時間に追われまくった年でした。ある友人に「スローライフだ、スローフードだと言っている人が、忙しい、忙しいと言っているのはおかしい」と言われました。私もまったく同感です。でも、人生はままならぬもの。走り続けなければいけない時機、時期もあるというものです。
2005年、また、たくさんの人に会い、たくさんのエネルギーを交感したいと思います。
来年もよろしくお願いします。
みなさまのご多幸をお祈りいたします。

もう、梅の花が咲いていました。蕾もたくさん!


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2004年12月30日

東京都三鷹市 朝田くに子 4日目

昨日の午後から、郷里に帰省中です。
生まれてから小学校6年生まで育ったのは兵庫県の芦屋市です。出身は?と聞かれて、「芦屋」と答えるたびに「お、お嬢さまだ」と何度、反応されたことでしょう。そのたびに「芦屋にも下町があるんですけど・・・」

芦屋には、浜側から山に向かって阪神、JR、阪急と3本の電鉄があります。みなさんがすぐに連想される「六麓荘」は阪急から山側のあたりの住宅街のことです。そりゃあ、豪壮な邸宅が並んでおりますよ。というわけで、芦屋を知る人は「何線沿線?」などと聞く人もいます。



今日、母や叔父と一緒にJRの芦屋駅に出かけたついでに、私が生まれた家や、生まれる前に父母たちが住んでいた(父と母はご近所恋愛なもんで)近辺を回ってみました。場所は阪神芦屋駅と、JR芦屋駅の中間地点で芦屋川のすぐそばです。
写真は芦屋川の橋の上から六甲の山に向かって。生まれた家があったのは、この左手の1本裏あたり。
この辺りは芦屋の中でも地震で大きな被害を受けたこともあり、あたりは一変していて、今でもある如来寺が唯一の目印です。母と叔父から、この辺りが家で、田んぼが一枚だけ庭にあって、家のすぐそばには牧場があって・・・などと聞くと仰天してしまいます。牧場ですよ!


今年、自然卵養鶏のことを調べているうちに、両親に仕入れた知識を得意になってべらべらしゃべっていたら、いとも簡単に「昔、うちでも飼っていたわよ」と言われてしまいました。だって、うちは農家じゃないでしょう!?「うさぎのふんが鶏の羽虫を防ぐと言われていて、必ず10羽ぐらいに2羽ぐらいウサギを飼っていた」とか。恐るべし、高齢者!

祖父は英語の先生だったんです。曽祖父が米相場で失敗、財産を失くしてしまい、かわいそうに思った親戚が、祖父をアメリカとカナダに留学させたという背景があります。なんでそんな財力が親戚にあったか。これがなんと木材なんです。実は曽祖父も材木商。親戚も材木商。まさに大阪の商い人たちだったわけです。建材としても、枕木、電柱、そのほかなんでも木材が重宝されたころのことです。東京の赤坂辺りにも豪邸を持っていたようで、写真で見るかぎり、「こ、これは迎賓館か?」というような洋館です。(あ、これはあくまでも本家&親戚のことですから)山があるとはこういうことだったんですね。で、曽祖父はつい米相場に手をだし・・・これさえなければ、今ごろは・・・まあ、何が幸いするかわかりませんからねぇ。


財産を失ったといっても、当時はのんびりしていて、祖父は帰国してから一族の経営する電鉄会社に就職したものの、会社勤めに合わず、私立高校の先生になり、本家のテニスコートでテニスをしたり、みんなで旅行に行ったり、戦争まではとってもほんわか過ごしていたようです。谷崎潤一郎の「細雪」を読んでいると、なんとなく父や祖父母の暮らしがぼんやりわかるような気がします。そうそう、谷崎夫妻は芦屋市宮川町に住んでいたこともあります。(芦屋市伊勢町には谷崎記念館があります)。私は宮川小学校卒です。

祖父は戦後、占領軍の通訳などを少しだけやっていたりしましたが、結局、海外に行くことなく、92歳で亡くなりました。「アメリカに行ってみたいなー」と懐かしがっていた様子もなく、祖父にとってアメリカとは何だったのか、大正時代、祖父が見たアメリカとはどんな国だったのかを聞かずにいたのが今になると残念です。
亡くなる間際まで、英語の個人レッスンをしてあげたり、英語で手紙を書いてきたり、ちょっとした冗談を英語で言ったりして、楽しんでいました。最後までほのぼのした、まるで欲のない人で、大好きな祖父でした。私が子供のころに接した今は亡き親戚の人たちはみんなほのぼの系で冗談ばかり言いながら、生活を楽しんでいました。この人々が私にとって芦屋人のイメージです。残念ながら、六麓荘じゃないんです。

写真は今のJR芦屋駅周辺です。地震でほぼ全壊した駅も今では賑やかな駅前としてすっかり蘇っています。



久しぶりに会えた叔父の家のピレネー犬はなちゃんとハグ中。
「覚えていてくれたのねー」
感激しているのは私だけ?


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2004年12月29日

東京都三鷹市 朝田くに子 3日目

三鷹のマイショップも昨日で今年は終了し、来年は4日からとなります。
来年のラインナップの目玉は、「ヘルシースナックシリーズ」です。
ちょっと小腹が空いたとき、口寂しいときについ手が伸びるお菓子ですが、どうせ食べるならジャンクフードではなく、食べてからだにいいスナックはいかがでしょうか、というシリーズです。

食べながら、「太るなー」とか「からだに悪いなー」とか、どこか後ろめたい気分で食事をするのって、本末転倒です。食べることは、健康になること、自己管理をすることなんですから。
安心とか、安全とか言う前に、素材の味をアミノ酸調味料でごまかしたようなものでないものを食べたいものです。
アミノ酸の1種であるグルタミン酸は水に溶けにくく、本来は扱いにくいもの。それをナトリウム化した化合物がグルタミン酸ソーダです。顆粒にして塩を混ぜれば、ポテトチップスも、インスタントスープも、ラーメンもみんな同じような味になります。ね、似たような味でしょ?そんな味に慣れてしまうと、味はどんどん画一化されていきます。簡単、便利、手軽、安い・・・その裏で、本当においしいものがわからなくなる、料理をしなくなる、食文化が消えていく、という現実が進行中です。

素材の味は実に多様です。食べ始めると、けっこう癖になります。たとえば雑穀で作っているぽんせん。昔ながらのお菓子ですが、玄米、大豆、あわといった材料に、ごま油とほんのり塩味だけにしたら、あれっ?こんな味だったんだ!と一つひとつの顔が見えたような気になります。1月からは「ひえぽんせん」も登場します。私たち事務局はイチオシです。でも、すごく興味深いことがあるんです。実はぽんせんを試食してもらうと、たいてい女性は「おいしい!素材の味がする!」と言って喜んでくれるのですが、男性は「味がしない、まずい」といいます。これって、どういうことなんでしょう。

生産農場のかけす農場の市嶋さん(今週の私にも登場)は次々に自分で作った農作物で製品を開発中。ぽんせん、大豆コーヒー、不思議感触の干しリンゴなど、試食しながら、意見交換をしています。また、三鷹のショップに来るお客さんなどの意見もフィードバックして、一緒にもっとおいしく食べてもらうには?を試行錯誤中です。今でも充分おいしいんですけれど、今まで馴染みがなかったものをきちんと受け止めて欲しいから、つい力が入ってしまいます。でも、楽しい、です。



また、三陸産の昆布もスナックとしてご提案したいひとつです。根こんぶといって、昆布の一番固い部分だけを集めたパックです。かなり固いのですが、口の中でころがしていると、ぬるぬる感とともに潮味と昆布の味がじわっとしてきます。ガムの代わりにどうかなーと。私ははまっちゃったんですが・・・変?


熊本県水俣市桜野園のほうじ茶、緑茶、紅茶は、毎日の食卓に欠かせない飲み物として、風土倶楽部の顔になりつつあります。「有機栽培は勇気栽培」だという桜野園の松本和也さんの虫が出ても、病気が少々あっても、茶木の生命力にゆだねる勇気がたくさん詰まったおいしいお茶です。「楽をしようってこと」なんて冗談にしてしまう和也さんですが、見えない部分で生命力を高める努力はすごいです。

→水俣市の山間部。お茶の産地でもあります。




そうそう、昨日、ご紹介した小鹿田焼きのように食べ物だけでなく、雑貨もご紹介しています。その一つが和ろうそくです。これが意外にもショップでよく出るんです。それも1本ずつ。お灯明に使われるのでしょうか?都会人って、そんなに信心深いのかなあと事務局ではウワサの和ろうそくです。画像ははぜの実です。こんな実から和ろうそくができるなんて、不思議ですよね。

モノたちの話を始めると、作っている人の話し、行ったときのこと、どんどんお伝えしたくなってきます。来年は風土倶楽部のサイトも充実させていく予定なので、ご期待くださいね。

また宣伝ですが、食育フェアでは、みなさんの心意気の入った商品をたくさんご紹介します。ぜひ、お遊びにおいでください。


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東京都三鷹市 朝田くに子 2日目

10月から、三鷹産業プラザ1FのMY SHOPコーナーの棚二つにLJ21のサテライトショップ「風土倶楽部」をオープンしました。小さなスペースですが、いつもドタバタ状態の私たちにとっては充分すぎるほどです。こちらで扱っている商品をご紹介する前に、私たちのことを少しお話ししようと思います。

→風土倶楽部のコーナーです。


私たちは、「地元学」とか「先人学」とか呼ばれている、足元を見つめ直して、地域を読み解き、その地域本来の暮らし方をどう取り戻すか、といったことをベースに、各地で調査をやったり、事業を進めたりしています。どうやら「ファシリテーター」とか「コーディネイター」と呼ばれる職業らしいです。というのは、今まであまりなかった分野なのです。

日本が右肩上がりのころ、地方にはどんどんりっぱな建物や道路ができていきました。都市に追いつき追い越せとばかりに、都市化の波が押し寄せたのです。ところが、我に帰ってみると、道路ができて、若者はより便利な地域に出ていき、りっぱな建物は使う人が少なくなる。でも、ランニングコストはしっかりかかる。高齢化で医療費が嵩んでくる。都市化により暮らしが画一的になるにしたがって町の風景はいつのまにか個性を失っている。自分たちの暮らす地域とは、いったいどんな地域だったのだろう。次の世代に何を手渡せばいいのだろう。今、そんなことがまちづくりの大きな課題になってきました。便利さや快適さを優先するうちに、人と人や、人と地域、人と自然の関係が少しずつ変化し、離れていったといえます。それらを再構築していくために何を取り戻し、何を築いていくのか。そんなことを地元の方と話し合ったり、考えたりするのが私たちの「お仕事」です。


そうしていろいろな地域でうろうろしていると、今まで見えなかったものが見えてきます。それは人だったり、モノだったり、お祭やみんなで取り組んでいるコトだったり。なんとも深い味わいのあるものばかりで、地域の底力ってすごいなあ、と都会育ちの私は感心させられたり、魅せられたりすることのなんと多いことか!
ほかの人にも伝えたい!自分の発見を話したい!という生来、おせっかいな性格らしく、ついにLJ21を立ち上げてしまったというわけです。


そんなことで、私たちが地域で見つけた「これ、これ!」というものを「風土倶楽部」というカテゴリーで少しずつご紹介しています。
今まで暮らしに溶け込みすぎていて、気がつかなかったモノ、あるいは大量消費の影で忘れ去られていたもの、ちょっと見方を変えてみたら、すごく素敵になりそうなもの、そんなモノたちです。もちろん、そのモノたちの向こうには、出会った人々の「うまく伝えてよ!私たちの心のこもったモノたちのこと」という思いがあるものでもあります。

まさにスローフード、スローライフのおすそ分けです。都会でなんだかわけのわからない忙しさ、焦燥感、乾いた気分をもてあまし気味のあなた(あれ!それは私?)、一ついかがですか?


今日は商品のご紹介をするつもりでしたが、まずはちょっともったいつけちゃった、かな。
一つだけ、まずはご紹介。大分県日田市皿山にある小鹿田(おんた)焼の納豆小鉢です。ホームページの風土倶楽部のコーナーで詳しくご紹介しているので、ぜひ、そちらをご覧ください。ずっと「納豆にふさわしい器」と探していたのですが、先日、立ち寄った小鹿田の里でついに出会えたのです。かの「いい仕事しているねぇ」の中島誠之助氏も大のお気に入りらしいです。さすがお目が高い?!食育フェアでも、販売します。
明日をお楽しみに。
http://www28.cds.ne.jp/~localj/


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2004年12月28日

東京都三鷹市 朝田くに子 1日目

今年のトリを勤めることになりましたローカル・ジャンクション21の朝田です。
ついに「今週の私2004」、最終週まで来ることができました。
今年一年、このコーナーに参加してくださったみなさま、また、お立ち寄りいただいたみなさまのおかげです。
1月にこの企画を始めたときには1年間続けられるだろうかと危ぶんでいましたが、奇跡的に1年最後の週を迎えることができました。
みなさまに深く感謝いたします。


1年間を振り返って、参加してくださった方の顔ぶれを見ると、まさにLJ21の活動の軌跡ともいえます。
今年も、日本各地で本当によい出会いをたくさんもつことができました。
毎週、各地から中身の濃い充実した内容をレポートいただきました。
驚いたのはみなさんが多彩なことです。一つの仕事だけという方はほとんどおられず、「稼ぎ」のほかに、自分のやりたいことを「仕事」として取り組んでおられることです。それをいくつもお持ちの方もいました。

考えてみれば、かつては生業のほかに、みんな地域のためや、自然から恵みをもらうためにいろいろなことをしていたんですよね。
便利になって、時間がたくさんあるはずなのに、なぜかいつも忙しい現代人はどこか何かがおかしいと自戒もこめて、気になっています。本当に一番やらなければいけないことは、大根を一本無駄にせずにいろいろな料理で食べきること、あるいは家族や隣人への心配りをこまやかにすること、季節を先取りすることもなく、自然に従って、恵みをいただくこと、だったりするはずなのです。


みなさんからのレポートを読んでいると、日本には多様な風土がある、たくさんの生き方がある、とうれしくなることが多かったです。
このコーナーを「面白い」と言ってくださったり、定期的にチェックして下さっている方もだんだん増えてきているようです。
ということで調子にのって、来年は首都圏と地方の方に交互にご担当いただけないかと考えています。
そして、ご参加いただいた方々をはじめ、読んでくださっている方ともっと意見や情報交換などができればいいなあとも。
7月からブログを導入しましたが、今後はもっと進化したブログも検討中です。
どんどんご意見、ご感想をお寄せください。

さて、今年も残すところわずかです。
今、事務局は1月15,16日に開催される「食育フェア」への出展準備で大忙しです。今年1月に開催された第1回目のフェアに引き続いての出展で、今回は商品とともに各地から助っ人がたくさん来てくれます。
商品もますますバージョンアップしつつあり、ぜひぜひ、みなさんにご紹介したいものばかりです。いずれも大量消費の流通にはなかなか合わない商品で、まさに「日本各地のスローフード、スローライフ、少しだけおすそ分け」です。
明日は、そんな商品の中から、最近、私がイチオシ、お気に入りのものをいくつかご紹介します。



今日の画像は、今年、しばし、言葉を失った美しい風景です。が、あまりよいショットでないので、どこまでお伝えできるかどうか。ホームページ上でも公開していたものです。
秋田県阿仁町森吉山山頂付近の雪のブナ林帯「雪桜」です。雪桜は雪の深い地域では見かけることがありますが、ゴンドラから眺められるのはここだけです。山頂はアオモリトドマツなどの樹氷となります。どうして樹氷ばかりがクローズアップされるのか、不思議なくらいの「雪桜絶景」でした。



日本山村会議が開催された「天と谷に暮らす遠山郷」長野県上村山頂付近
足元に雲がたなびく、急斜面で人々は霜月祭(千と千尋の神隠しの湯屋のモデルとなった祭)とともに見事な生活文化を築いています。ウワサの二度芋のおいしさも堪能しました。



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2004年12月26日

東京都世田谷区 長畑誠さん 7日目

我が住まい、団地の過去と現在
 いよいよ最終日となりました。いろんな国、地域の「コミュニティ開発」について書いてきましたが、今日は私の住む団地の話です。(7日目でようやく自分の地域の話題になりました・・・)。

 私が住んでいるのは、世田谷区北部、1965年に住宅公団が建設、分譲した団地です。戸数は約400戸。3歳の時にここに移ってきて、二十歳過ぎに実家が神奈川に移ったので引っ越しましたが、その後結婚、バングラデシュ駐在などを経て、7年半前に戻ってきて、今は家族4人で住んでいます。

 約40年前に公団が分譲した当初は、モダンな団地として評判だったそうです。今から見るとエレベーターもなく、天井も低く設備も古いですが、いわゆる「団地」タイプの住居としては大きめの住居サイズで、その後全国に広がった団地の先駆的な存在だったと思います。「昔の長屋とは違って、近所づきあいの煩わしさがない」新しい集合住宅として、当時の人々の関心を呼んだようです。



その団地も築40年になろうとし、入居当初は植えたばかりの低木がまばらに点在していただけなのが、今では約4万8千平米の敷地に50種約600本の樹木が茂る緑いっぱいの環境になりました。そして住む人々も様々な変化を経験しつつあります。まず特徴的なのは「住民の入れ替わり」でしょう。私が小学校に通っていたころ、団地内に30名ほどの同級生が居ましたが、多くの家はここを売却して別のところに引っ越していきました。また売らずに残っている家でも、多くは親の世代がここに住み、子どもたちは外に出ています。私のように二代目が残っている家は珍しいです。さらに所有者が外に住んで賃貸するケースも多いようです。

 もう一つの特徴は「高齢化」です。上述のように子どもの世代が残ることが少ないため、居住者の大半が高齢者となっています。そして子どもが少なくなりました。いま中学に通う息子の同級生は団地内に3人しかいません。団地内の公園も昔は子どもの遊ぶ声が絶えませんでしたが、今は閑散としていて、時々みかける子どもも多くは団地外から遊びにきているようです



コミュニティが問題を抱える中での「建て替え」
 日本の住宅政策や社会の問題点が浮き彫りになっているような団地ですが、ここ数年、「建て替え」に向けての計画作りが進んでいます。自治会もなく町内会にも入っていない団地ですが、管理組合は存在していて、それも珍しく設立以来ずっと「自主管理」を貫いています。そしてその管理組合の活動の一環として、「建替委員会」を組合員(所有者)が作り、建て替えの検討が進んでいるのです。

 私は管理組合法人の理事長を3期つとめ、今も理事として、建て替えの動きについて見守っています。現在は建築コンサルタント会社や不動産会社等ともパートナーを組んで、戸数を増やして増床分を売り、その資金で建て替えをする、という計画が進んでいます。一つひとつ課題をクリアし、組合総会で所有者の意思を確認しながら進めてきました。ただ、私個人としては、400名以上の所有者の合意をとる、ということが大きな課題だと感じています。個人が自分の家を建て替えるのと異なり、400名が皆で話し合い、合意していかないと進められないのです。

 これは簡単なことではありません。各所有者たちは、それぞれ固有の課題を抱えています。高齢で動けない人、逆に今を逃せば動けなくなると考えている人、子どもを抱える人、賃貸している人、ローンが残っている人、それこそ400余名それぞれが異なる状況にあります。そしてコミュニティの機能が衰え、互いに顔をつきあわせて話したり助け合ったりする関係が少ない中では、互いの状況を理解できるような話し合いの場がなかなか作れないでいます。声高に自分の意見を主張するだけの人が目立っています。我々は建て替えた後もここに暮らしていくのですから、建て替えの過程が大事、皆が納得できる形で進めていかないと、その後の暮らし方にも影響すると思っています。


「集合住宅」という「可能性」
 ただ、私はむしろこの状況を、この団地の「コミュニティ」が変わっていくきっかけにできれば、と思うようになりました。「ないものねだり」より「あるものさがし」です。考えてみれば、「どんな環境でどのような住居に住むのか」というのは、集合住宅にあっては、成員全員が考えねばならぬことであり、まさに「コモン・プロパティ」ですよね。それは、子育て、高齢者介護、安全、環境等々、生活すべての面にかかわってきます。前近代のコミュニティで中心となっていた「生産」に係る共有資源にかわり、近代では(少なくとも都市では)「再生産」或いは「暮らし全体」に関わる共有資源がコミュニティの自治にとって重要なポイントなのかもしれません。団地の建て替えも、単なるハードの問題だけでなく、それをきっかけにソフト(人の繋がり)をどう再生していくか、が課題であり、またそれが集合住宅のもつ可能性なのでしょう。

 以上でひとまず終わりです。一週間、どうもありがとうございました。最後、自分の地域のことを書きながら、「この地元を大切にしよう」と思う反面、インドネシアやインドといったアジアの地域で活動する人たちに惹かれてしまう自分がいます。これからもアジアと自分の足元と、二足のわらじを履く生活が続きそうです。こんな私ですが、どこかで見かけたら、どうか遠慮なく声をかけてくださいね。(写真右側が筆者、インドネシア南東スラウェシ州にて。横顔ですみません)



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2004年12月25日

東京都世田谷区 長畑誠さん 6日目

さて、そろそろLJ21のお二人と私との「なれそめ」を書かないといけませんね。初日に「奇跡のよう」と言いましたが、完全なる「海外系」の私をお二人に引き合わせてくれたのは、「あいあいネット」を一緒に始めた島上さんでした。「いりあい・よりあい・まなびあいネットワーク」では、コミュニティを基盤とした資源管理と自治をテーマに、アジアの住民組織、NGO、研究者による共同調査や経験交流を目指しています。その流れの一つとして、「日本の地域づくり」からいろいろ学ぶことができないだろうか、と考えていたところ、そういうことに以前から関心をもって関わっていた島上さんが、LJ21のことを紹介してくれたのです。

 でもそれだけだったら「お知り合いになれた」だけだったかもしれませんが、なんと、仕事を一緒にすることになったのです。JICA東京の「市民社会支援プログラム」という仕事で、日本や海外の「住民主体の地域づくり」の事例を研修のコンテンツとして作っていく、という仕事をLJ21と私たちがすることになりました。そのおかげで、お二人と一緒にいろんな地域をまわることができ(浦嶋さんとはバングラデシュまで一緒に行きました!)、とっても勉強になり、また刺激をうけた一年でした。

海外研修生と一緒に水俣で地元学に触れる
 そうした活動の今年の締めくくりとなったのが、海外9カ国(タイ、フィリピン、カンボジア、ネパール、バングラデシュ、スリランカ、トルコ、ウズベキスタン、ガーナ)から11人の研修生(地方行政官やNGO職員ら)を連れた現場訪問研修でした。まず11月末には水俣にお邪魔しました。初日は久木野地区で相思社の遠藤さんや愛林館の沢畑さんのご指導で、実際に村を歩いて、地元学の実践の一端に触れることができました。翌日は市役所で寄ろ会や村まるごと生活博物館の取り組みについて聞いた後、頭石地区の「村まるごと生活博物館」へ。住民の皆さんの活動を見せてもらい、いろいろお話しをお聞きし、活発な質疑が行われました。そして最終日は吉本哲郎さんから地元学の考え方やその応用についてお聞きした後、研修生同士で討論を行い、最後は吉本さんや遠藤さんと討議する、という大変盛りだくさんの企画でした。(写真は水俣市頭石の「村まるごと生活博物館」にて)

 研修生たちが共通して感銘を受けていたのは「ないものねだりからあるものさがしへ」という地元学のアプローチでした。途上国の現場では普通「皆さんの地域では何が問題ですか」「何が必要ですか」という聞き方をして、「その地域にないものを外から導入する」という活動が殆どです。それに対して、地元学の「あるものさがし」という考え方は、地域の住民が自分たちの持つ資源を認識して、できることから前向きに自力で取り組む、という「住民主体」の動きを促進するために重要な切り口だ、と認識したようです。頭石の村まるごと生活博物館で、村の人たちが前向きに自分たちの未来を考え、外の人たちとの交流を目指している姿を実際に目にして、強い印象を受けたようです。また生活博物館を仕掛けた市役所の側のアプローチが参考になる、という研修生も居ました。



岩手県紫波町で、「循環型まちづくり」を考える
 研修生たちが次に訪れたのは、循環型まちづくりに取り組む岩手県紫波町です。まず役場で循環型まちづくりの経緯、どのように住民を巻き込んで計画を立て、実行していったかの説明を受け、NPO法人「紫波みらい研究所」の方から、環境探検隊や地産地消メニュー研修会など、循環型まちづくりに関する活動をお聞きしました。さらに森林資源循環として町産材で作られた小学校も見学しました。翌日は2カ所の産直センターをまわり、産直組合長さんから農業者の自主的な取り組みとしての産直の意義と日本の農業が抱える課題等についてお話しを聞きました。農協も訪問しました。さらに役場で「ゴミの18分別」や「マイバッグ運動」を住民とともに進めていった経緯を聞きました。最終日は研修生の側から自分の国での取り組みの発表(ウズベキスタンはアラル海の水位激減の問題、カンボジアは地雷撤去問題)と、紫波町訪問で学んだこと、考えたことを発表し、討論を行いました。こちらも密度の濃い訪問となりました。(写真は産直センターあかさわにて)

 この訪問では「循環型まちづくりというコンセプトを、どのようにして住民を巻き込みながら具体化していったか」というプロセスを考えてもらうことが主眼でした。NPOの果たした役割や、役場から住民への働きかけの経緯など、学ぶことは多かった筈ですが、それ以上に研修生にとっては、「資源リサイクル」と「産直」という二つのテーマが刺激的だったようです。「ゴミの分別収集とリサイクルを自分の地域でも試行したい」「農家に産直というあり方を紹介したい」と語る研修生がかなり多かったです。途上国においても都市化が進みゴミ問題が意識されつつあることや、農村における現金収入の増加や都市との繋がりが課題となっていることの現れでしょう。殆どが暖かい国から来た研修生に12月の東北は少し可愛そうでしたが、実り多き旅でした。



日本の地域と途上国の地域を繋ぐ意味
 今回の二つの現場訪問は、日本の地域でさまざまに取り組まれている「地域づくり」の活動が、途上国の地域でコミュニティ開発に取り組むNGOリーダーや地方行政官などにとって、よき学びや刺激になりうることを証明したと思います。これは、経済発展の度合いは異なっても、「グローバル化と近代化の中で、地域の社会・文化や環境に根ざした開発はどうあるべきか」「住民を主体にして、NGO・NPOや行政、民間企業が協働する活動はどのように可能か」という共通の課題を抱えているからでしょう。ローカルジャンクション21と私たちとが出会ったのは、決して偶然ではなく時代の必然だったと思います。

 今回の研修、「日本の受け入れ側にとってはどんな意味があったのか」を検証する必要はありますが、必ず何らかの学びや発見が日本側にもあると思います。今後とも双方向の学びあいと経験交流の機会を増やしていきたいです。こうした機会作りを積極的に進めているJICA東京に感謝です。水俣と紫波で受け入れてくれた皆さん、そしてお忙しい中調整にあたり現地訪問までつきあってくれた朝田さん、浦嶋さん、本当にありがとうございました。全国の地域で活動される皆さん、ぜひこうした出会いの機会を持ってみませんか。


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2004年12月24日

東京都世田谷区 長畑誠さん 5日目

「いりあい・よりあい・まなびあいネットワーク」
 さて今日は、私が仲間と今年立ち上げた、この長い名前のグループについてお話しします。略して「あいあいネット」といいます(おさるさんをキャラクターに、という声もありますが・・・)。コミュニティを基盤とした資源管理と自治をテーマに、アジアの住民組織、NGO、研究者等のネットワークを通じた共同調査や経験交流を目指しています。

「まなびあい」
 そもそも私が2年ちょっと前にシャプラニールの事務局を辞めた時、「シンクタンクを作りたい」と考えていました。NGOでずっと現場で活動をしていると、その日その日の仕事に追われ、短期的な課題の解決ばかりを考えるようになります。「自分が関わっている相手の社会は世界の(歴史の)中でどういう位置にあるのか」「そもそも開発とは何なのか」「どんな社会を目指すべきなのか」といったマクロ的な視点をもって考えることができなくなっている、というのが当時の問題意識でした。そこで「シンクタンク」だったのですが、その後いろいろ活動する中で、「シンク」する(考える)のは、私たち先進国のNGOの人間ではなくて、途上国の現場で生活する住民自身であり、そこに直接関わる地元NGOであるべきではないか、と思うようになりました。
 「開発援助」の世界では、援助を行う側の機関が対象とする地域や課題についての調査を計画・実施し、それをもとに相手国政府と協議して援助プロジェクトの立案を行い、事業を実施する、という形が普通です。そうした調査の場面では、住民や地方行政はあくまで「対象」であり、地元NGOは調査員として「手足」として使われるだけ、という構図が殆どです。今必要なのは、住民が自分たちの地域の資源と課題を認識し、進むべき方向性を見定めていけるための、住民自身による調査であり、それを脇から支え促進する地元NGOによるファシリテートの筈です。
 「調査」はあくまで「アクション」と結びついてこそであり、しかもその本来の主体は住民自身である、と考えるようになった私は、同じような問題意識をもって「実践する研究者、研究する実践者」を模索していた京都大学大学院の島上宗子さんと出会い、新しいグループの構想をともに進めることになったのです。目指すのは、各国の住民、NGO実践家、研究者が互いに響きあい、新たな発見が自らの活動に繋がるような調査や交流を、アジアの現場で生み出すことです。

「いりあい」
 こうした経験交流や共同調査のテーマとなるのが「いりあい」と「よりあい」です。「いりあい」については、島上さんが書かれた文章から引用させてもらいます。
 そもそもこの企画を構想するようになったきっかけは、2003年7月、大阪市立大学法学部主催のシンポジウムに出席するため来日したヘダール・ラウジェンさんとともに日本の山村を訪ね、森や入会林野に関わっている人々・研究者と議論を交わしたことにあります。ヘダールさんは、インドネシアで森や土地をめぐる権利問題に弁護士として携わってきた人物で、中スラウェシの山の民といわれるカイリ族出身。山村で村長を務めた経験もあります。
 日本の山村を訪ねる中でヘダールさんは、日本人の自然(森や稲)に対する感覚と自分たちの感覚に共通する部分が多いことに驚き、また、日本にはインドネシアの慣習権(hak ulayat)に似た入会権が存在すること、日本もインドネシアと同時期(19世紀後半)に、西欧から「所有権」の概念が導入され、以来、所有権の曖昧な森林が国有化(+公有化、私有化)の道をたどってきたこと、それでも日本では現在も財産区などの形で法的に認知され、入会慣行が生きている地域があること、などを聞き、ひどく感銘をうけていました。
 「日本のことをもっと知りたい。研究者・NGO・住民の間で経験交流・情報交換・協同学習の機会をつくろう!」と意気投合、再会を期したわけです。
(島上宗子「インドネシア訪問報告」2004年4月、近日中にウェブにて公開予定)(写真は伊勢神宮を訪ねたヘダールさん)
 日本の「入会」だけでなく、アジアではコミュニティがその成員の生産や生活を維持するために必要な自然資源(森・水源・海など)を共同で守り活用していく仕組みが見られます。こうした共有の自然資源を維持管理すること、「Common Property Management(CPR)」が、コミュニティの存続に深く関係しています。近代化とグローバル化が進む中で、このCPRが今後どうなるのか、はコミュニティの今後にとって大きな意味をもつでしょう。なお、CPRは自然資源に限らず、都市のコミュニティにとっての社会インフラのようなものも含められるかもしれません。



「よりあい」については、紙幅の関係であまり述べられませんが、コミュニティが物事を決めていく仕組み、意思決定のあり方を指します。まさに「自分たちのことを自分たちで決めて、実行し、守っていく」という「自治」そのものの課題です。これについても、各国各地域の経験を交流し、学びあいを通じて新しい動きに繋げられたら、と考えています。

 「いりあい・よりあい・まなびあいネットワーク」、まずはトヨタ財団「アジア隣人ネットワーク」の助成をうけて、日本・インドネシア・インドをフィールドとして、連続勉強会と、インドネシア・中スラウェシ州や日本での経験交流・共同調査を計画しています。ウェブサイトを立ち上げましたら、LJ21のサイトにも紹介してもらいますので、どうかお見知りおきを、よろしくお願いいたします。


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